特性

悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る仕組み

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泣いているわけではないのに涙がとまらない、まるで泣いているようだ。

悲しくないのに、辛さや哀しみの感情もないのに、なぜか涙が出ることがあるかもしれません。

無感情で涙が出ている、あれ、うつの症状かな?

そう思うかもしれません。

「どうして悲しくないのに涙が出るのだろう?」

特定の人と特定の状況で話すと、涙が出る仕組みがあります。

精神にある意識の表裏を紐解くとわかる理解、現実的スピリチュアル。人間を象徴し、日常的にはびこる人間性の話です。

ここでは、特定の人と話すと悲しくないのに涙が出てくる詳細を、一つの考え方としてお伝えします。

おかしな話を大真面目にお伝えする場ですので、よりご自身の内側、奥深くの意識の理解を育む時間となれば幸いです。

涙にある意味深の探求を始めましょう。

悲しくないのに涙が出る

悲しくないのに涙が出る人の状態

泣く理由はさまざまですので、悲しくなくても涙は誰しも出すもの。

映画観て感動、うるる。
怒りすぎて、気づいたらぽろろ。
玉ねぎ切っていたら、ぐじゅぐじゅ。
笑い過ぎて、バチャバチャ。

私なんかは、鼻をかんだらピューっと放水のように目から涙が出ます。とそんなことはどうでもいいですね。

さまざまな感情に紐づいて泣き、他者への共感、感受性の鋭さ、角膜防御、顔面内部の空気変動などにて、涙が出ます。

ですがこれらとは一線ピー。

悲しくないのに涙が出る場合、自己制御なく涙が出てくる状態です。

自分としては泣くシチュエーションではないにもかかわらず涙が出てくる、勝手に出てくる、とめられない、やめられない。どんな感情なのか、どうなっているのかわからない。

自己認識なく泣く、まるで自然な反応として涙が出ます。

このような状態の人にはある認識が潜みます。

  • 自分を認めていない
  • 自分を許していない
  • 本当は自分を認めたい
  • 本当は自分を許したい

拒否と肯定が入り混じり、現状拒否認識が優位。肯定認識を自ら出す方法を知らない状態が考えられます。

 

悲しくないのに涙が出る人の特徴

悲しくないのに涙が出る人の特徴
  1. 感受共感性が高い
  2. 敏感体質
  3. 我慢癖
  4. 自己否定癖
  5. 自己抑制癖
  6. 自信と自尊がない
  7. 自分を知らない

特徴には、気質や体質として感受共感性と敏感性の高さがあり、人によってはエンパスやHSPと言われます。

③以降の他の特徴は、全て同じことを表します。

「自分を自覚しない癖」

自らの行動や思考、感情や気持ち、あらゆる行為と働きを自ら認識し、確認し、認めない特徴です。

ですが、明確に自覚するものがあります。

「他者目線での自分の立ち位置、状態、在り方」

他者にどう見られているかを他者の目線や思考で自覚しようとし、それ以外の自覚をなるべくしないようにします。

「この人はこう思っているだろう」と思い込み、自分がしている行為への自覚をしないように、嘘や誤魔化しが多くなります。

元凶となるのが、「我慢」です。

忍耐ではなく我慢。嫌なことを嫌々味わう我慢をし続けて、自分を自覚したくなくなると、悲しくないのに涙が出るようになります。

ただ単に自分を自覚しないからこうなる訳ではないと、私自身の経験からでは理解しています。

そこには、意識であるスピリチュアルな話があります。

 

悲しくないのに涙が出るスピリチュアルな仕組み

意識とは自我意識、自分そのものです。

意識は陰と陽、光と闇、始まりと終わり、生と死のように二極化の一元化。良いがあれば悪いがあるように、二つ別々にありながら組み合わさり一つになります。

この意識を人間味として象徴するのが、愛と恐怖。表裏の関係にあり、どちらも自分自身のことです。

私達は愛と恐怖を内包し、愛に触発すると自分を愛し、他者を愛し。恐怖に触発すると自分を拒否し、他者を拒否します。

恐怖は、「怖い」という感情でもありますが、認めないこと(または拒否する自分を求める様)を意味します。

「認めない」と認めている状態が恐怖ですが、「認められない(拒否したい)」となる場合、エゴに変わります。
※少し複雑になるのでエゴは割愛します

例えば、怒りは恐怖の一つ。怒るためには認めない、拒否する事柄があるために反発して怒ります。

怒りの対象を許せず否定や非難などの拒否をし、さらにその行為をすることは、物事を受け入れられない自分=自分に対する拒否表現、恐怖状態を意味します。

ここで思い出してもらいたいのが、悲しくないのに涙が出る人の認識。

  • 自分を認めていない、許していない

恐怖を意味します。

悲しみ、辛さや悔しさ、怒りや憤り、認めないことが起きると恐怖で泣きます。

しかし、恐怖だけでは泣きません。

 

涙が出るのは許した時

子供を例にしますと、暗がりの怖さがあれば恐怖にて泣きますが、恐怖だけでは泣きません。

我慢せず、恐怖を認め、それに喜べば、怖いことはその人にとっては喜びにもなり、恐怖を受け入れた人間性が表れ、泣かなくなります。

泣くには一つ材料追加。愛です。

愛とは恐怖の反対。肯定、認める、受け入れる、許すこと。全てに含まれるのが、「敬い」。自分や他者を敬う様が愛そのものです。

恐怖だけではなく、愛が加わることで涙が出ます。

子供は自分を認めて愛しているため、恐怖があっても恐怖を喜びとして迎え入れることができず光。または恐怖だらけの環境にて恐怖を受け入れ闇、と極端になります。

自らを愛する状態で暗闇という恐怖が加わると泣き、自分を愛さない状態に光という愛が加わると泣きます。

愛と恐怖の意識の理解では、涙とは愛と恐怖が互いに干渉し合い、反発することで泣くと考えられます。

ここでの主旨である、悲しくないのに涙が出る人を対象にすると、我慢にて常に恐怖を内包し、それが大きければ大きいほど、愛が認知された時にドバーと涙を流します。

悲しくないのに涙が出る人の場合、愛とは自分への許しです。

我慢にて恐怖を内包する状態に、「自分を許せる、許してもいい、許そう」と思えることが起きると、涙が出ます。

 

スピリチュアルな涙の仕組み

感情に起因して泣く場合とは違う、意識から溢れる涙がここでお伝えしたい内容です。

[恐怖]が在る意識状態で、[愛]という[許し]があると泣く。

[愛]という[許したい]意識状態で、[恐怖]という[認めない拒否]があると泣く。

全ては自分の中での話です。

涙の材料は愛と恐怖。「自分を許す意識」と「自分を認めない意識」

我慢すると嫌なことも飲み込むように生きるので、嫌とも認めるとも言わなくなり、真意や自分の意見を隠すように押し殺すかもしれません。

自分を許せないという思いも強くなり、我慢させられたことに対して他者を許せない思いも強くなります。

恐怖をどんどん蓄積した意識状態です。

しかし、根底には自ら進んで恐怖を蓄積しているわけではない自分がいます。愛です。

恐怖を受け入れて喜んで拒否すれば話は変わります。愛はシュンと消え、どれだけ辛いことがあっても泣かなくなります。

冷たいのではなく、拒否する自分を受け入れている意味でして、闇系の愛として自信を持つ形になります。

 

スピリチュアルな涙は心からの贈り物

恐怖を喜ぶことで愛の認知がなくなり泣かなくなりますが、愛を失くしたと思うことはできても実際には消えません。

スピリチュアルな涙の場合、思考ではなく、自尊や愛を表すとの連動が大きく関わります。

悲しい、嬉しいの表面意識からさらに奥へ向かい、無自覚の領域にある自我意識内部からの自己表現、無自覚で癖になった恐怖と、無自覚で心の底から湧き出る愛の認知があります。

心からの涙には自制がなく、愛と恐怖の組み合わせによる芸術が生まれます。

壮大な地球の美しさを見た時の涙。

苦労して山を登り、道中でたくさんの苦しみや辛さを積み重ね、恐怖を蓄積する意識。

その挙句、山頂で見る地平線の自然と太陽、地球と宇宙の調和。

愛、大好きな地球に感謝したくなるような敬いがあり、道中の恐怖を全て許してあげられる力。

恐怖があればあるほど、達成した結果が愛であればあるほど、意識から涙が出ます。

嬉しいも悲しいも通り越した意識からの涙は、心の叫びであり、心からの許しのギフト。

そんなスピリチュアルな話です。

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特定の人と話すと涙が出る原因

特定の人と話すと涙が出る原因

悲しくないのに涙が出る仕組みがよくわかる様があります。

特定の人と話す時です。

共感性・感受性・敏感性が高い人は、他者からの影響を過敏に受けるために、恐怖を抱きやすくなります。

恐怖にあらがう方法として我慢があるため、他者の影響を受けやすい人ほど我慢し、誤魔化しや思い込みにて自覚をなくして対処します。

それこそが自分を大切に愛する意識の表れでして、恐怖を抱えやすい人は恐怖を抱えているとも思わないように自分を護ります。

そんな状態で、特定の人と話します。

特定の人とは、我慢癖の自分を許せる人、我慢しないで関われる愛のある人です。

優しい人、敬いの気持ちがある人、否定しない人、拒否しない人、受け入れる人、許してくれる人、安心できる人、恐怖を感じさせない人、自分らしくいられる人、誤魔化さないで関われる人。

一切我慢する必要がない人と関わると、蓄積された恐怖がダム決壊の如くドガーンと崩壊します。

人と話すと涙が出る場合には、話そうとする空間に自身の、または相手の敬いである愛があり、自分を許す状況が作られるために涙が出ます。

恐怖を多く蓄積した状態で自分を許す状況が起きると泣きます。

 

大事な話をすると涙が出る

「自分を許す状況」であるために、特定の人だけでなく、自らが大事な話をする際にも涙が出ます。

これまで言えなかったこと、我慢して抑制していた恐怖そのものを吐き出す時。

恐怖の吐き出しには自分への許しが必要です。自らが自らを許した時、大事な話をする、または話をしようと試みます。

すると意識からの涙が出ます。

例えば、恐怖心を抱える両親、父親や母親とのトラウマや心の傷を抱える記憶があると、「私が両親と関わるのを許せない」と無自覚の認識が起き得ます。

許しが出ると両親と関わる時に涙が出ます。また、関わることを既に許していれば、その先の深い関わりや、大事な話をしようとすることで、自らを許そうとする愛によって涙が出ます。

 

自分を許す状況になると涙が出る

人と話すだけでなく、許す状況があるかないかに涙が出る要因があります。

ポイントとなるのは、我慢する自分を許せる状況です。

我慢する人は強制や逃げ道のない状況になると、真意が表れやすくなります。

例えば、我慢していたことを話さなければならない、我慢してはいけない状態などです。

 

自分を許すと涙が出る体験談

私は幼い頃からすぐ泣く人間、なんとしても泣かないように生きていました。

高校生のある日、ユニークな我が家は完全なる崩壊。死んだり、精神病棟へ強制連行されたり、警察が来たり、役所の人が来たり、いろいろ大変なことになりました。

閉ざされていた実情が露になり、事実を話さなければならなくなります。

これは私という我慢する人間にとって、「我慢してはいけない=自分を許していい状態」となりました。

自分で自分のことを許せない、許す方法も知らない人間には、強制や強要は時に助けです。

他からの愛ではなく、自らに内包されている愛を引き出してくれる助け。

この時、私は事実のほんの一部を伝えただけで、涙は涙腺が崩壊したかのごとく溢れ、息ができないほどに流れ続けました。

 

涙とは癒しの力

自分を許す状況は人それぞれにあると思います。

  • 自分の幸福なんて考えられない時、幸福になることを許してくれる愛する人がいれば、涙が出ます
  • 苦しみの縛りの解き方がわからない時、解きほどいてくれる人がいれば、涙が出ます
  • 我慢ばかりの生き方の時、気兼ねなくみんなでワイワイ笑い合える状況があると、涙が出ます
  • 憎んでいた人が死に、その人を愛していたんだと気づいた時、涙が出ます

反対もあります、自己愛がある状態で恐怖があれば涙が出ます。

  • トイレ掃除をしてくれているおばちゃんに、「ご苦労様」と言えない自分の不甲斐なさに、涙が出ます
  • 誰かをどうしようもなく好きになり、そんな自分を愛している時に、相手との先行きに不安を覚えれば、涙が出ます
  • 自分を愛しているからこそ、激昂して恐怖に飲まれた自分が現れれば、涙が出ます
  • 自らに恐怖を与えたくない認識が強く、目上の人との関わりなどの緊張感、またはその際の優しい一言で、涙が出ます

涙には癒しの力があり、恐怖があれば愛の意識から、涙を流して心を軽くさせてくれます。

「許し」という愛は、涙という癒しに形を変え、どこまでも自分を敬います。

恐怖を抱え知っている人であればあるほど、自らを、そして他者を愛した時、自然と涙が出るのが意識からもたらされるメッセージ。

「私は私を許しているよ」という自己表現ではないかと思います。

※涙が出る効果については、泣きたくないのに泣いてしまう大切な意味│涙ヒーリングのアイテム化はご法度 をどうぞ。

泣きたくないのに泣いてしまう大切な意味│涙ヒーリングのアイテム化はご法度泣きたくないのに泣いてしまうと、自己理解がない、自己コントロールがない、訳わからない。 一体どうなっているのか、自分のことがまるで...

 

悲しくないのに特定の人と話すと涙が出る まとめ

脳科学からの認知があり、心理・行動からの認知があり、スピリチュアルからの認知がある。

涙とはなんとも不思議なものですが、自然と湧き出る泉に意味があるように、自然と流れる涙にも意味があります。

意識とは深層にある真意であり、変えることのできない自我の表現として、愛と恐怖の混在を教えます。

見えずらくても確実にある気持ちであり、想いであり、意志であり、信念であり、意識。

真意として深層から流れる涙をとめる必要はありません。

とめることは意識をも隠そうとしてしまいますが、意識は消えません、誤魔化せません、制御できません、コントロールできません。

これらは、「そんなことをする必要はありませんよ」という意味です。

それならば、出しちゃいましょう。

泣きましょう。表現しましょう。

涙を癒しの力として使用するためにも、自分を把握し、確認し、理解を深められてください。

涙が出た時の自分を感じてみてください。許しは癒しです。

涙を認め、自分を許すための機会となれば幸いです。

それでは、悲しくないのに泣く、特定の人と話すと涙が出る話しを終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

自分のために、泣きましょう。

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