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泣きたくないのに泣いてしまう大切な意味│涙ヒーリングのアイテム化はご法度

訳も分からず涙が出る、いえ、本当は理由を知っている、心の奥底では。

泣きたくないのに泣いてしまう。

自己理解がない、自己コントロールがない、訳わからない。

一体どうなっているのか、自分のことがまるでわからないような気持ちになるかもしれません。

ですが、泣きたくないのに泣いてしまう場合、そこには明確な意味があったりします。

私自身、子供の頃は人前に立ったり、自分の意見を言うとなぜか涙が出ていました。

「泣きたくないんだー、やめろー、とまれー!」と心の中で叫びながらも、泣いて涙声うるうる。

この状態、あることをしたら一瞬で治りました。

ですが、「治したからなに?」と治った後に気付きました。あれだけ当時は治したいと思っていたのに。

泣かないようにする以上に、泣きたくないのに泣く行為そのものを理解すると、はるかに大きな意味がもたらされる。そんな、私の体験談があります。

ここでは、「泣きたくないのに泣いてしまう」ことに潜む大切な意味、それは自分として生きるための自己理解と自己認識の架け橋をお伝えします。

それでは、泣いちゃう紐解き、涙の冒険を始めましょう。

泣きたくないのに泣いてしまう

泣きたくないのに泣いてしまう人とは?

泣くことへの理解は人それぞれにあると思います。

  • 「悲しいから泣く」
  • 「弱虫は泣き虫」
  • 「甘えん坊はすぐ泣く」
  • 「泣いてかまってもらう企み」
  • 「自分を見出す手段で泣く」
  • 「周囲を否定するために泣いて被害者意識」
  • ‥‥

泣いてばかりいると、涙は感動や幸せな状態表現以上に、「自分のために泣いている」と思われ、批判的な意見を言われることが多くなります。

その典型が、泣きたくないのに泣いてしまう人だと思います。

泣きたくないシチュエーションだと自ら認識しておきながらも泣いてしまい、自己コントロールできない様の露呈や、涙の使い方を疑問視され、周囲の目を集め、目立ち、羞恥。

泣きたくないのに泣いてしまう人は、周囲から理解されにくいので共感を得られません。

そして、我慢、自己否定、自己嫌悪、自己閉鎖してしまいがちです。

これらは、泣きたくないのに泣いてしまうという状態や状況に、一般常識的な認識や観念などの他の情報(他者の反応や評価)を含めた概念にて作られる在り方です。

言い方を変えると、泣きたくないのに泣いてしまうことによって自分が作られてしまう

「こんな自分に納得いかない」
「こんな私は嫌だ」
「こんな私は認められない」
「こんな自分を知りたくない」

これが、泣きたくないのに泣いてしまうことから見出される初めの理解です。

泣きたくないのに泣いてしまう人とは、自分を知ろうとしなくなり、その原因として、自らを認めず、自分が作られてしまう人。

このように自分を構成される要因となるアウトオブコントロールの泣く行為、ここに自己否定や嫌悪や閉鎖的に開示しない様として、自分を認めたくないという拒否認識が考えられます。

この状態、自分を嫌いになりたいと欲します。ですが、欲しているとは思わないようにします。

いわゆる、我慢によって自覚しなくなります。

自分を嫌い、認めず、見ない。これほどまでの影響を与えるのが、泣きたくないのに泣いてしまう行為。

とんでもなく強大な力があるように思えます。

そんな力の元凶は一体何なんでしょうか?

 

泣きたくないのに泣いてしまう理由

涙は悲しみや辛さ、喜びや感動など、感情に伴って発生し、泣く行為にて放出・表現します。

ですが、なぜだか泣いてしまう時には、感情がないようにも感じ、何だか知らないけど勝手に泣いているような気持ちになるかもしれません。

まるで花粉症の人が気付かぬ内に鼻水垂らしている。
「あっ、出てくるとこ間違えちゃった」と涙さんが勘違いしたような。

私がこの状態を洞察した時に気付いたのは、「怖い」と思っているのに、思わないようにしていることでした。

感情はしっかりとある、それは「恐怖」

なのに、怖いと思うことをとにかく嫌がる自分がおり、無視。

見ないで誤魔化し、「怖がってなんかいない」「そもそも恐怖なんてないよ」とまるでなかったことにする演技、別名我慢。

誰しもがそうなのか私にはわからないのですが、もしここに該当すれば、泣きたくないのに泣いてしまう理由は明確です。

「本当は泣きたい」

怖いから涙が出てくる。本当は怖くて怖くて仕方がなく、泣きたくて泣きたくてしょうがない。

少し涙のメカニズムを見て、詳細をわかりやすくしていきましょう。

 

泣くとは涙の自己ヒーリング

私達人間は泣くことができると言われています。

他の動物とは違い、感情と紐づいて泣く。

そのため、喜びや感動があれば泣き、他者に共感して感受すれば泣き。自分のことでなくても共感する能力があれば他者のことでも泣きます。

同時に、怒りや悲しみ、辛さやふざいなさ、悔しさや緊張など、自らが認められない反発を表す状態でも涙を流します。

まさに、怖いという状態がこれに該当し、恐怖に共通すると考えられるのが、「その状態の自分に拒否がある」というものです。

拒否がある=認められない=恐怖

恐怖とは単純に怖いという感情だけでなく、意識に内包される弱さの表れとして、認めたくない、知りたくない、味わいたくないなどの自分を認められない様。

自己受容と自己肯定ができない人ほど抱えるものが、恐怖です。

そのため、常に恐怖を感じている(自分を認められないと認識する)人は、何もなくても急に泣いたりします。

この恐怖があるとどうして泣くのでしょうか?疑問です。

ここには自己防衛や脳内対処として、自分を護るための活動があると考えられますが、詳しいことは私にはわかりません。

ですが、恐怖に対して泣く経験にて、私なりの自論があります。

ここでちょっと、小話にお付き合いください。

 

泣く意味を知る体験談

私はちょっとおかしな人間ですので、ある時60日間ほどアラスカの森で野生化して暮らしていたことがあります。

その際、食料が捕獲できず、虫とか草とか聖書とか食べていたのですが、ヒューマンライフに戻るために森の奥地から道路へ戻る道中でした。

14日間歩き続けて奥地まで行ってしまったため、そこから出てくるのはだいぶ険しい状況でして、ついに歩くのもままならなくなり、石すら投げられないほどに衰弱しました。

「はは、終わる、はは、やべぇ」とおかしくなっていたのですが、ふざけて笑ったり現実を誤魔化す余裕は到底なくなり、無言で数日経過。

そしてある日、私は1ⅿほどの太さの倒木を越えられず、どれだけ頑張っても越えられず、最後は上半身が乗り上げられた倒木の上から、力なくドサッと落ちました。

怒りも悲しみも、辛さも悔しさも、何の感情もなくただ落ち、痛みも何も感じません。

落ちた茂みから一切身体も動かさず、仰向けになった身体の目を開けると木々と空が広がっていました。

涙も出ない。

ただ、「‥‥終わりか」と思いました。

すると、急に涙が溢れて号泣しました。驚くほどに泣きました。

泣こうとも、泣きたいとも、泣きたくないとも思っていない、何も思っていない、そんな力がまだ残っているとも考えつかない状況でしたが、突然の涙は溢れ続けました。

この泣く瞬間、実は私の中で一つの想いがポッと出ていたんです。

それは、「生きなきゃ」というものでした。

そこにはさまざまな記憶と出来事と想いの集結があり、そう想った瞬間に涙ドバーという具合でした。

この経験にてわかったのは、涙、泣く行為の意味です。

自分を護ろうと、大切にしようと想う心からの気持ちがあると、恐怖を感じた時に涙が出てくる。

涙とは自分を大切にしようとする気持ちと、恐怖との触発によって出てくる自己表現だと考えます。

そしてもう一つ、森で泣いた時にわかった明確なことがあります。

涙には傷を癒す力がある。

私自身、理解できないほどの驚きでした。全く動けないと思って倒木の横、茂みの中に落ちた私は、号泣したことで元気になり、活力さえ取り戻し、その後に動き出して進めました。

明らかな体の動きの違いと、意志と気力の差は見逃せないほどでした。

癒しの力は恐怖という心に抱える傷や、重たさを取り除く効果があると理解しています。

※おかしなワンダーストーリーについては、人生を変えた経験を本に|ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ をご覧ください。

 

泣きたくないのに泣いてしまう意味

泣きたくないのに泣いてしまう心理

これまでの内容から、「どうして泣いてしまうのか?」を洞察するとわかることがあります。

  • 恐怖を抱えている
  • 自分を大切にしたい想いがある

恐怖と愛。

恐怖によって自己受容と自己肯定ができなくなり、自信や自尊がなくなります。

自己否定や自己嫌悪になり、自らを閉ざすように殻にこもるかもしれません。

ここにある心理は、「認めたくない」と思える物事の多さ、そして自らの人間性です。

自信や自尊がなくなればより恐怖に苛まれ、飲み込まれやすくなり、私のように人前で意見を言うだけでも恐怖にがぶ飲みされて、口も目もガタガタします。

少しでも関わりが深い親や兄弟姉妹、友人などには意見を言っても恐怖などありません。

ですが、
「もしかしたら否定されるかも」
「なんか言われたらどうしよう」
「ちゃんと発言できないかも」
「バカにされるかも」
「恥ずかしい思いをするかも」
と、思考内までも予想や予測にて恐怖で埋め尽くされる。

この状態、怖くて仕方がありません。

心が重くて仕方なく、傷がうずいて仕方ない。

そこに、自分を大切にする想い、愛があると涙が出て来ます。

傷を癒してくれる、癒そうとしてくれる。

なぜか泣いてしまう心理は、心を護ろうとする自らの愛の表れ、恐怖に苛まれても癒そうとしてくれる自分の真意だと考えられます。

ですが、「泣きたくないのに」という思考があると、その状態を自覚しないように誤魔化し、そこに恐怖があるとは認識しなくなり、「泣きたくないのに泣いてしまう」となります。

 

泣く大切さ

癒しの涙ヒーリング。

脳内認知では、セロトニンを分泌して元気を出させる効果があると言われています。

スピリチュアル理解では、未浄化の滞留エネルギーであるネガティブな感情を流して、浄化する効果があると言われています。

心が癒されると、肉体の疲労や衰弱に関係なく、活力にみなぎり元気になります。

  • 怒り心頭で激昂した際、涙が出たらストップのサイン。傷を癒さないと頭吹っ飛ぶよ
  • 悲しいことを言われた際、涙が出たら自己否定ストップのサイン。自分を攻め続けたら心ズタボロよ
  • 怖くて何もできなくなった際、涙が出たら恐怖との戦いストップのサイン。恐怖とは自分だから戦ったら自分がボコボコよ
  • 緊張して何もできなくなった際、涙が出たら力の入れすぎストップのサイン。身体も頭も固まっていたら血管暴発よ

そんなことを涙が伝えてくれているのかもしれません。

泣くことで現状表現、「はい、認められない恐怖中」

泣くことで恐怖の癒し、「はい、恐怖過多なので癒し中」

これが泣く行為。

涙ヒーリングを如何に自らのために使用するか、そして他者に迷惑をかけないで涙するか。

涙の影響は自らの内部だけでなく、周囲の他者の行動や思考を変える大きな干渉力があります。

涙をふりまけばみんなポワポワーなんてなればいいのですが、いかんせん涙ヒーリングの効果は己のみ、干渉されれば心地悪く感じる人もいます。

そこで、「泣きたくないのに」「泣いてしまう」の意味をそれぞれに理解すると役立ちます。

最後に意味をご覧ください。

 

泣いてしまう意味

私は泣きたくないのに泣いてしまう自分が嫌で仕方ありませんでした。

「泣きたくないのに、なんで泣くんだよ」とふがいなさにさらに涙する。

ここには、「自分を支配したい、思うようにコントロールしたい、くそっ、使えねぇ」と唾を吐く私がいました。

自分のことを知らないまさに表れです。

知らないために自信も自尊もなく、自らを支配して、思い込みや逃避、自覚をせずに誤魔化し、恐怖をなるべく抱かないように認識も行動も制限し、グルグルに縛り付けます。

「泣く」という行為に、負け、弱い、甘ったれと勝手なルールを作り、自己概念を強めて支配を進めます、事実を見ないように。

私が学生の時、泣くのがどうしても嫌だったのですが、あることをしたらそれ以降は一切泣かなくなりました。

それは、全校生徒の前でスピーチをしたためでした。

この一回でこれまでの悩みは終了、とても簡易なものでした。

しかし、その後に大切なことに気付いたのは生育後。

泣かなくなった私は、泣くのを我慢して取り繕いで固め、強がりとプライドを持ち、何があっても泣かなくなりました。

そして、バンッ。

破裂音と共に私の心はぶっ壊れました。

その後は自分を見直す時間がもたらされ、「泣きたくない自分」を理解し、「泣く自分」を嫌わずに受け入れるようになり、今ではすぐに泣きます。元通りです。

それが良かったんです。

少し遠回りしましたが、泣く意味を経験し、大切さを理解して戻って来ることで、恐怖の表れとしての涙は出ず、喜びの表れとして涙が出ます。

恐怖と愛が共に多くあればあるほどに、泣きます。

泣くのは、泣いた方が自分のためになる合図であり表現。恐怖が多く、自分を認めていない自己受容と自己肯定が低いと教えます。

泣いてしまう意味を自ら把握することが大切です。

自己受容と自己肯定がない、自信と自尊がない、支配が強く、プライドと誤魔化しが多い‥‥などなど。

コントロールなく泣いてしまう恐怖の表れは、拒否認識の強さを知り、自らの認識と気付きを得られます。

そのため、泣いてしまうのを合図として、「恐怖が多い=自分を認めない拒否が多いんだ」と認識することから物事は始まります。

自分を変える道を自ら切り開ける、そんな大切な意味です。

※逆に泣けない話は、泣きたいのに泣けないジレンマ│苦しみの原因と改善は三人の自分 をどうぞ。

 

泣きたくない意味

「泣きたくない」と思うことにも意味があります。

泣きたくないと思わない場合、他への執着を強め、泣くことを癖のように使い、涙のアイテム化が起き得ます。

すると、周囲の反応や動きの影響に利益を見出すために、何かあれば泣くようになります。

「泣くことで自らの満足と納得を得る」という狙い、干渉うるうるです。

しかし、「泣きたくない」と思うことには、涙のアイテム使用目的がないので、周囲に嫌がられる泣きにはなりにくいです。

泣きたくないというのは、自己抑制で我慢を強いるまさに自己支配の表れでもありますが、「泣いてしまう意味」を把握すると、泣いて他者を利用するようなことが起きないため、他者に迷惑がられなくなります。

どうしても泣いてしまう状態なので、そんな自分を認めて周知すれば、他者に迷惑をかけたり、気を使わせる涙にならないように解消できます。

それは涙腺ゆるキャラにもなり、「なんか泣いちゃうんです~」と泣く行為への後ろめたさもなくなり、より解放的に涙ヒーリングが加速されます。

泣きたくないと思うことにもこのように他者への配慮へ繋がる意味があり、「泣きたくないのに」「泣いてしまう」の両方の意味を理解すると、自分のためになりますので、一つの考え方としてご参考にされてください。

※自然と泣いてしまう仕組みは、悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る人間の意識と仕組み をご覧ください。

悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る人間の意識と仕組みとまらない、泣いているわけではないのに涙がとまらない、まるで泣いているようだ。 全く悲しくないのに、辛さや哀しみの感情もないのに、...

 

泣きたくないのに泣いてしまう まとめ

キーワードは、「恐怖(自分を認めない)」「愛(自分を大切にする、または許す)」です。

恐怖は思考、愛は心。

頭と心で別れた思いと想いは、自覚できる拒否と、無自覚の愛であるため、恐怖が先行してしまいがちです。

すると、ちょっとでも恐怖を抱く環境では自然と涙が出て、涙ヒーリングを人前で執り行います。

「ちょっとちょっと、今会議中なのでヒーリングは後ほどしてもらえますか?」

なんてことは言われないと思いますが、「なぜか涙が出てくる際には自らを認めていない状態の悲痛の叫びとして、心が反応して涙を流してくれている」

そんな大切な意味をキャッチする合図だったりします。

ぜひ、涙ヒーリングは効果利益だけでなく、気付きの合図として活用してみください。

泣きたくないのに泣いてしまう人は、「泣きたくない」と思う様に人一倍恐怖が先行している心理が表れ、そこには恐怖を感じやすい気質や性質、共感性や感受性の高さも影響しています。

人それぞれに違うのが私達人間。

そして、自らを最も認めてあげられるのは本人ですので、まずは泣いてしまうご自身を認めてあげましょう。

その際には、恐怖の基でもある「泣きたくない認識」が、他者に迷惑をかけない力になり、涙との関わり方が大きく変わるものと思います。

ぜひ、ご自身のために泣きましょう。

キャラにしちゃいましょう。

周囲に伝えましょう。

涙のアイテム化はご法度、だけど自らの心からのギフトは欠かさず受け取りましょう。

そんな理解が役立つことを願います。

それでは、涙ヒーリングの診療所でも作ろうと思うので、全員森へゴー。

いや、それカルトー。

ってかー。

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