特性

【涙もろい人は心のパイプが太い】感動しやすい涙はスピリチュアル

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あ、また泣いてる。

涙には人それぞれの目的が写ります。

泣いてストレス発散したい人。
現実逃避したい人。
自己表現を自制できない人。
涙を期待する癖になっている人。
被害者意識が強く責められない立場になりたい人。

さらに、心と連動して感動しやすい人もいます。

心や精神を含めた意識としてのスピリチュアルな捉え方には、心との連動による涙もろい訳があり、意識を物語る現実表現があります。

ここでは、涙もろい人が感動する詳細を見ていかれてください。

  • 涙もろい人とはどんな人?
  • 涙もろい人のスピリチュアルな意味とは?
  • 涙もろいことの大切さとは?

これらを紐解き、「涙が出やすいのは人間の基本を思い出すからなんだ」と知っていただく内容となっております。

性格や心理など、現状から見出される涙もろさとは別の捉え方として、人間の記憶の集大成が語る「自分」を知る一つの考え方になれば幸いです。

涙もろい人の意識とタイプ

涙もろい人の意識

「涙もろい人」は到底一言で言い表せないほど、人それぞれに泣く目的があります。

感動する恋愛映画を観たい、悲しいドキュメンタリー映画を観たいなど、泣くことを喜ぶ人もおり、涙する自分に期待する脳の使い方をして、定期的に趣味のように泣く人もいます。

泣く気がなくても自然と涙が流れている人もおり、泣いている人を目の前にすると一緒に泣く人もいます。

目的はさまざまにありますが、涙もろい人は自己表現を抑制しない解放心理があり、自己愛に基づく自分を抑えない気質があるかもしれません。

泣きたくないのに泣いてしまうなど、表現を抑圧したい思考願望がありながらも、止められずに表現が露呈する人もおり、潜在的(無自覚)な自分を抑えたくない意識が存在すると考えます。

そんな意識のお話を進めてまいります。

 

自分を抑えたくない恐怖と愛の絡み

自分を抑えたくないのは、「自分でありたい」という強い願望や意識の表れとなります。

自信のなさや、自己肯定感の低い心理が関わり、基盤には自我意識の強さがあると考えられます。

自我の強さには自己愛の強さがあり、「私は私なんだ」という念が強ければ強いほど、泣きやすい人になります。

理由は、「自分としていれない世の中だから」です。

他者との共存社会で生きている私達。自分を自分だと思いたくても、「あなたはこういう人、しっかりしている人、怠け者、かわいい人、かわいくない人‥‥」とさまざまに外的評価を付けられ、名前や性格など外付けのパーソナリティが土器のように塗り重なっていきます。

「私は私なんだ」という自我意識が強い人ほど、他からのペタペタ偶像作りは自己抑圧になり、自分のことを自分で認めずらい抵抗になります。

多少のことでも気になり、どう思われるかに過敏になり、まるで虫歯があるのに冷たい水を飲むような生き方になります。

自然とストレスを溜めやすく、潜在的な抑圧が増えます。

この状態が恐怖心の積み重ねです。

自己愛が組み合わさり、抑圧された中で自分を解放しようと望む意識が構成されます。

[抑圧の現状(恐怖)+解放願望(愛)=涙が出る]状態です。

無意識に自己を抑圧しており、自我意識の強さによって周囲や外部情報を気にかけ、恐怖心が増えてストレスが蓄積しやすく、それらを全て解放したい強い自己愛があることで涙もろい意識になる、という考え方です。

 

涙もろい人は自己愛が強い

意識状態によってさまざまな自己表現が起きます。

涙もろい人は拒否感(恐怖心)がありながら自己愛によって反発が起き、恐怖を受け入れないことが自分のためになると認識します。

反発する結果、恐怖や嫌なものと距離をとりますが、なんとか対処しなければ蓄積してしまうので、何かしら自己表現にてリリースする必要があります。

多くの人は怒りや愚痴を使用して、恐怖心やストレスをリリースします。

他にも泣き言や同情求め、他責で人のせいにしたり承認を求める行動、自己憐憫や自己欺瞞で誤魔化す方法もあり、さまざまです。

自我意識が強いと他者への執着や依存やエゴ以上に、一人で対処する個のやり方になり、他者に干渉しません。

怒りで自己表現するとしても誰かに怒りをぶちまけるのではなく、一人キャンプする山頂で憤りを叫ぶ、なんてイメージです。

自我意識が強く、自己愛がある人は、個のやり方でさらに自分を大切にする方法として、泣く選択があります。

泣くことはストレス発散にも癒しにもなり、自分を護りも大切にもする方法でありながら、他者に干渉しない個のやり方です。

あえて人前で泣く、承認を得るために泣くなどの他に干渉する狙いがある場合は、涙もろいと言うよりは泣きたい人、涙を利用する人になりますが、そうではない涙もろい人は、愛を認知しながら恐怖を対処する結果、涙を流します

恐怖心があればあるほど、自己愛があればあるほど、涙を流す動機があるために涙もろくなり、心の在り方が大きく関わります。

社会性やルールなど他からの縛りが強い場合、「泣きたくないのに泣いてしまう」ことが起きます。

※どうしても泣いてしまう件は、泣きたくないのに泣いてしまう大切な意味│涙ヒーリングのアイテム化はご法度 をご覧ください。

 

心との繋がりがある自己愛にて涙もろくなる

自己愛とは自分を大切にする意志であり、自分を愛する意識です。

「自分」として幸福に生きるためには欠かせないもので、自己愛の強さは心との繋がりを表すシンボルです。

共存社会で生きているので、万が一自己愛を強くし過ぎると、他者に干渉した自己中心性、周囲を認識できない無配慮、キングダム主義的自己愛性になる注意点もあり、自制や認識力を高める知性は欠かせません。

あくまで他に干渉せずに自らを大切にして愛する意識であれば、知性うんぬんは関係なく、心と繋がるパイプを強靭にして、個を尊重し、自分を愛し、護り、自分として存在するために涙を流すことで恐怖心をリリースします。

恐怖心があっても愛に基づかなければ心との連動がなく、「涙を流す」という潜在的な選択になりずらく、心ではなく脳を使いながら快楽にてストレス解消したり、欲求満たしの物欲や所有欲にて恐怖を誤魔化したり、他者に愚痴や泣き言や同情してもらうなど、全く泣かないこともできます。

 

涙もろい人の3タイプ

これまでの内容を基に、涙もろい人のタイプを三つに分けます。

涙もろい人のタイプ
  1. 恐怖心やストレスが溢れている人
  2. 自我意識(自己愛)が強い人
  3. 感動しやすい人

恐怖心となる、嫌で、認めたくない、やりたくないなど、危険や苦痛や拒否したくなるさまがあり、ストレスも溜まり、憤りや未循環、滞留や蓄積が多ければ多いほど、涙の原材料が増えます。

①恐怖心やストレスが溢れていると、余裕がなくなるために自分一人での対処ではなく、他者への執着やエゴが増え、泣いてなぐさめてもらったり、泣くことでの利益を得ようと干渉を強めます。

②自我意識(自己愛)が強いと、愛の認知によって恐怖心を緩和するために涙を流す潜在的な選択をし、無自覚の自己抑圧が多くなればなるほどに涙もろくなり、泣きたくないのに泣いてしまうことも起きます。

②は心との連動があるからこそ涙を流して恐怖心を自己対処する選択。愛の認知によって自らの辛さを緩和する結果です。

恐怖心が緩和されると②は③感動しやすいタイプになり、スピリチュアルな涙もろさの意味が表れます。

より詳細を紐解いていきましょう。

※泣けない詳細は、泣きたいのに泣けないジレンマ│苦しみの原因と改善は三人の自分 をどうぞ。

 

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涙もろいスピリチュアルな意味

感動しやすい涙もろい人

ここでお伝えしたい主旨です。

私達は誰しも恐怖心との関わりや向き合いがあり、自己愛の度合や、心と繋がるパイプの太さの違いがあります。

心と連動する場合、感情や気持ちなど情動的な涙を流しやすくなり、あることが起きます。

心とのアクセスによる、情動記憶を現実と照合する魂との繋がりです。

魂とは意識が保持する全記憶
心とは肉体から魂に繋がる通路だと捉えるとわかりやすいと思います。

愛の認知は肉体と心の繋がりをグググと強くします。

すると無意識ですが魂に繋がり、心が感じた情動的な記憶とコネクトします。

この状態が自我意識が強く、自己愛が強く、魂と情動的な連動。

スピリチュアルではエンパス、心理ではHSPとも言い、感受性・共感性・敏感性が高まる状態です。

私達は過去にさまざまな経験をしています。魂の記憶には過去生も他の次元意識、ハイヤーセルフの記憶もあり、経験していなくても感覚的に認知します。

すると現実世界で捉えている目の前の出来事、例えば映画のワンシーン、テレビのシーン、漫画の1ページ、本の文章、広大な景色、ご飯を食べる認識など、あらゆる現実に対する情動的な認知が、魂の情動的な記憶と照合されます。

共感性と言えばそれまでなのですが、共感では収まらない照合による気持ちが発生します。

まるで山頂で見た雄大な絶景を前に感動して涙を流すような、得も言われぬ一体感(記憶との照合による思い出しや未来との合致、記憶と現実が一体化した瞬間)があります。

心との繋がりが強いと、無意識領域の照合による情動が湧き出て、感動による涙を流します。

これが、ここでお伝えしたいスピリチュアルな涙もろさです。

※エンパスとHSPの詳細は、エンパスの特徴は全部自意識の強さ|感受力にスピリチュアルな不思議 をどうぞ。

 

感動による涙もろい人は現実の認識に泣く

感動は愛であり心の認知、魂との情動的な繋がり。現実の認識に対する感謝や受け入れでもあります。

貧しい人が苦しい中で亡くなった時、涙するのはなぜか?

共感して可哀想と泣く人もいます。しかし、ここでお伝えしたいのはそういう涙ではありません。

貧しい人々を知り、その後に自らがご飯を食べられることを有難いと感動して泣く、そういう涙でもありません。

貧しい人を知った時、魂との繋がりにて過去の自らの似た記憶と照合し、自らが苦しみや辛さの恐怖心を感じながら、自らや貧しい人に愛を認知した時に泣く涙です。

ご飯を食べられる有難さではなく、ご飯を食べた時に食べている現実を知り、味を感じ、味を感じられると知り、自分が存在するあらゆる認識があると気づくことで感動して泣く涙です。

言い方を変えると、目の前の現実の中に恐怖と愛を両方感じる人は、感動しやすくて涙もろくなります。

一週間飲まず食わずで死にかけた後、ご飯を食べられて感動して自然と泣いている、そんなイメージです。

これを日常的に認識する人は超現実主義者です。

※人と話すと涙が出る詳細は、悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る仕組み をどうぞ。

 

涙もろいスピリチュアルな意味を知った体験談

わかりにくい内容かと思いますので、私自身の体験談にて気づいた涙もろさの意味をご覧ください。

私は日常生活で知らぬ間に泣いている時があり、たまにご飯を食べている時におかしなことになっています。

パクパクパク、ツー。
「あれっ、なんで泣いてんの?!」と自分で驚きます。

こういう時を考察すると、だいたい白米を食べている、というのはどうでもいいのですが、自分に物凄く集中している時にこの現象が起きます。

内観するとわかったのは、「ご飯を、食べてるんだなぁ」としみじみ感じている。

綺麗な夕日を見た時に自然と涙が出る、その時と同じ感覚です。

白米の味、噛んでいる行為、味わえる肉体、箸を持つ手、聞こえる咀嚼音、食べようと行動している意志、経験できる貴重さ、存在する自分。

あらゆる認識の自覚は、「私はここにいて、この現実を認識できる」という気づきを与えます。

「私はこの現実を欲し、この現実を創っているんだ」と認識する瞬間、過去のこの現実を叶えられなかった記憶を心が照合し、恐怖と愛がタングルします。

自然の絶景に見入る時と同じで、日の出を見て感動する時と同じで、共感では収まらない無意識の過去の記憶との照合により、[拒否したくなる恐怖心+そんな自分を愛したい認知]が合致し、現実を認識します。

しばらく運動ができず、久しぶりに外を歩き、さらにジョギングまでできた時、走りながらウォンウォン泣きます。

何度も言ってしまいますが、共感では収まりません。

記憶との照合による恐怖心と愛の認知、二つがタングルして絡み合った時、現実に残るのは愛です。

ご飯を食べていること、歩いていること、仕事していること、話していること、書いていること、ハグしていること、握手していること。

あらゆる現実に残るのが愛の認知。現実に対する感謝であり受け入れです。

恐怖があって、愛があって、愛が優位になる。そんな時、どんな出来事でも現実を認識することで感動し、涙もろくなります。

※感動が潜む死別の詳細は、身近な人の死ほど大切なものはない【死別のスピリチュアルな死生観】 をご覧ください。

 

涙もろい大切さ まとめ

年齢を重ねると精神が落ち着き、欲が落ち着き、現実を現実として認識しやすくなります。

そこにあるのは陰と陽、恐怖と愛、闇と光。現実をそのまま見て、感じて、考えて、想います。

涙もろさには利用価値も儚さも有難さもあります。

涙はストレス緩和や癒しの力もあると言われていますので、泣くことを期待する涙も大切だと思います。

しかし、それらとは少し違うのが感動による涙です。

感動は人間の基本ベースであり、恐怖と愛(陰と陽)の合作です。

ベースがある上で心と繋がる在り方がポイントとなり、感動しやすい人もいればしにくい人もいます、思考ルールや観念にて泣きたい人も泣きたくない人もおり、泣かないことが正義の人もいます。

感動しやすい人には共感性の高さによる同調がありますが、共感とは言えない自分の存在認識、現実を現実として真っ向から捉えるからこそ、過去の記憶を大切にして今を作る在り方が見出されます。

この理解によって、感動して泣くことは人間の心の繋がりを教え、過去の記憶との照合による恐怖と、現状の愛の認知を表す、陰と陽の両方を兼ね備える基本スタンスを思い出させてくれるかもしれません。

涙によって人のコントロールを企む場合、煩わしさ以外のなにものでもありませんが、そうではない場合には涙とは自分の存在に潜む見えにくい核を表してくれます。

自我意識の強さ、恐怖心の多さ、心との繋がり有無、恐怖と愛の受け入れ。

私達人間は過去によって構成されて今を生きています。現実を現実として捉える場合には過去の記憶と今の認識が両方大事になり、恐怖も愛も欠かせません。

恐怖が優位になれば学びの機会になり、愛が優位になれば感動。

恐怖だけになればおかしくなり、愛だけになればおかしくなる。両方あるからこそ感動できる。

そんな捉え方がスピリチュアルな涙もろさです。

憶えていないのも、あるのかどうかもわからないのも、あらゆる記憶の集大成で構成されているご自身をより知るご参考になれば幸いです。

それでは、涙もろい人のスピリチュアルなお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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