『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
昔からの友達、長い友人歴。一緒にいてつまらなくはないけど疲れてしまう。
このように思う場合、頭で人と関わる状態になっているかもしれません。
気づかぬ内に頭である脳が稼働し続けると疲れます。
友達と合わないとは思いたくない気使いや優しさがあり、「いらない友人関係」とは思いたくない思考がジレンマを作ります。
身体は正直です。合わない反発があり、自分らしくいられない真意があると、「疲れ」を表します。
「友達といると疲れるようになった」
この真意には大切な自己理解があり、体と心は最も優先するものを伝えます。
- どうして友達に疲れるようになったのか?
- 一体何が自分に起きているのか?
- いらない友人関係なのか?
友達に疲れる時には一旦休憩、ゆったりお茶でも飲みましょう。
物事とご自身を見つめ直し、疲れることに潜む大切な自己理解をご覧ください。
起きる出来事の意味が、よい気づきと価値観の整理となれば幸いです。
Contents
友達に疲れるようになった
友達といると疲れるようになった理由
心身を含めた自分として関わっていたのが、頭にフォーカスしている状態に変わることがあります。
気づかぬ内に思考過多となり、インプットした過去の記憶にある価値観、観念、ルール、インプットした優先情報が主体となり、自己防衛が働きます。
「自らを護らないと」
無自覚な潜在意識にてこのように思うと、知らぬ間に頭を働かせ、思考が巡り、相手の言動、自分の言動が気になり、多くの対処に目が回り、疲れます。
友達といると疲れるようになったのは、友達との反発、友達と関わる自分に反発があります。
- 友達と自分の反発
- 自分と自分の反発(友達といる時の自分に対する自己反発)
疲れるようになったのは反発を自覚し始めたため
合わないと反発が起き、心身が硬直し、不安や恐怖を抱き、自己防衛が働き、思考が巡り、エネルギー消費量が増えます。
反発があれば疲れますが、「疲れている」と思うか否かは人それぞれです。
「疲れる理由がないから疲れていない」と脳に思い込ませることも私達人間にはできるため、心身は疲労しても頭が疲れていないと思えます。
反発があっても、「友達だから合わないはずはない」と決めることで反発はないと思え、自覚しないようになります。
嫌な人と一緒にいれば自覚しないようにする理由はなくなり、思う存分疲れます。
嫌な人ではなく友達なのに疲れる場合、反発を自覚し始めています。
自覚の始まりは、脳ではなく肉体や心の意見を優先していることを意味します。
疲れるようになったのは自分に正直になったことを表す
友達と関わってきた歴史によって、長い時間をかけて思考内に癖や傾向やルールが作られます。
相手の見方、感じ方、考え方が構築され、相手との関わり方に定型が大なり小なり作られます。
反発の自覚があると、
「どうして人との関わりにルールを作っているんだ?」
「友達といると違和感がある」
「自分らしくないな」
「自分を抑制している」
「気を使いたくないのに使っている」
「我慢している」
このように疑問や違和感や真意、自分の意見が出て来ます。
[友達と関わる時の自分]を作っていたことに気づき、自分に正直に向き合う様が強ければ強いほどに真意が隠せなくなっていきます。
違和感が露呈すると疲れを実感する
人間の脳は本当に何でもできてしまいます。リミッターをかければ限界を作り、リミッターを外すと限界がなくなります。
疲れを心身が感じても疲れていないと思え、倒れるまで働き続けることもできます。
自分の意見を持ち、真意に耳を傾け、事実を真正面から見るようになると、友達と自分の間にある反発や違和感が露呈し、疲れていないと思う状態がなくなります。
無自覚の抑制や我慢がなくなり、相手への違和感、友達といる時の自分自身への違和感を感じる状態になります。
- どうしていつも自分ばかり話しているの?
- どうして私の話を広げないの?
- どうして人によって態度を変えるの?
- どうして気まぐれなの?
- どうして相互のことを考えないの?
- どうして私に「いいね」って言わせるの?
- どうしてマウントをとって押し付けるの?
- どうして話を広げない相手に私は何も疑問視しないの?
- どうして愚痴ばかり聞いているの?
- どうして自慢をニコニコ聞いているの?
- どうして気まぐれな相手の世話をしているの?
- どうして私からしか連絡しないことに納得を振舞うの?
- どうして友達なのに気を使うの?
- どうして思ったことを言わないの?
相手への反発、自分への反発があればあるほどに、疲れを自覚せずとも心身は感じています。
※自分の話ばかりで疲れる詳細は、「さすがに疲れる」。自分の話ばかりする人の心理と対処法 をどうぞ。
友達といると疲れるようになった原因
疲れるようになったのは反発があり、違和感があること自体に原因があります。
合わない人とは関わりませんので、友達は合う人だと思います。
しかし、それは過去の話。
私達は日々変わり続ける生物ですので、過去に合っても今日はどうか?明日はどうか?
常に違います。
過去は合っていても、今は合わないために疲れます。
この原因となるのは、友達は変わらず、自分が変わったためです。
※エゴによって疲れる詳細は、一緒にいると疲れる人のスピリチュアル│疲れる原因と対処は「エゴ」をご覧ください。
自己認識が高まると変わらない人と合わなくなる
変わるというのは内面を意味します。
内側、精神や意識、価値観や観念。自律、自責、自力、自立など、自らが自らの意思や意志にて物事を認識するようになると変わっていき、自分を知ることを意味します。
自分を知るとは自己認識力。自らを自らが認識して知る力です。
肉体は自然と成長しますが、自分を知ろうとするか否かは人それぞれ。経験が増えれば知る機会が増え、成長にも退化にも、謙遜にもうぬぼれにもなり、自己認識の育みは千差万別です。
成長する人は自己認識を高め、変わらない人や退化する人とは合わなくなるのが自然です。
人それぞれの人生の中で成長度合が違い、変化度合が著しくなると合わなくなり、度合に比例して疲れも増えていきます。
成長と退化によって昔のようには合わなくなるのが人の常
成長もあり、退化もあり。
日々を生きているとさまざまに経験があり、自覚の機会があり、認識の育みがあり、自分を知り、他者を知ることができます。
知ることで自分の使用・活用ができ、脳と肉体と心の使い方がわかり、能力や才能開花できます。
やる気を出し、動機を作り、欲を持ち、活力を持ち、感情をコントロールし、観念を手放し、人間を知り、摂理を学び、人間関係を作り、知恵を育み、愛と敬いを知り、調和と共有と平和を理解します。
成長とは、自分を知ること。
退化とは、自分から逃げること。
「自分を知る自己認識の育み」は実にさまざまな意味を内包し、人それぞれに成長と退化が日々起き続けています。
友達といると疲れるようになったのは、友達が退化したか、自分が成長したかによって、合わなくなったためです。
※ステージが変わると友達が減っていく理由は、ステージが上がると起こる【友達が減る】【6段階現象】をご覧ください。
疲れる友達はいらないのか?
疲れる友達の大切さ
「疲れる」ことには良いも悪いも両方あります。
疲れは反発や違和感を意味するため、自分や相手に変化が必要な合図になり、「疲れる」と感じる側の人が変化できます。
このサインを教えてくれるのが疲れる友達です。
合わない人と関わるのは、自らを抑制するか、相手を変えさせる干渉が必然的に起きるので、人同士の利用し合いが起きます。
疲れる際には自らが変わり、相手と関わらないことが両者への敬いとなります。
変化への覚悟は一人では困難
疲れる友達は物事に変化を与えるための貴重な存在です。
これまで関わっていた友達の場合、過去の記憶や歴史があるために現状を変えることは悲しく怖いものです。
成長という変化には常に覚悟があり、退化には逃避があります。
覚悟とは不安や恐怖から逃げずに喜びを尊重する決意。逃避とは自分から逃げることを意味します。
きっかけなく一人で覚悟することは困難です。
しかし、疲れる友達がいることで選択肢が明確になります。
- このまま友達と関わり、自らを抑制するか、干渉して相手を変えさせる
- 自らを友達と合う状態に退化させる
- 覚悟して成長する
人それぞれにどの選択も意味があり、自覚して選択する時点で既に自己認識の高まりがあります。
※友達はいらないと思う大切さは、「疲れるしめんどくさい」友達がいらないソリタリーに光と闇 をご覧ください。
疲れる友達は成長の一歩目
関わった時間が長ければ長いほど、友達と関わらないことは不安や恐怖を抱く理由となります。
長年付き合っている自らの思考ルールを変え、他者への執着を手放し、否定や排他、他の友達に悪口を言われる、言いまわるなどの危惧があると、行動を抑えることが起きます。
疲れる友達がいることで、行動抑制して変化を止める自分を目の当たりにできます。
「友達」というルールが知らぬ間に脳内に縛りを作っている自覚となり、あらゆる隠れている真意を知るのが、疲れを感じることでの気づきです。
疲れの実感はさまざまなことを自らに教えてくれます。
自らの思考の縛りを手放し、変化することは怖いものです。
しかし、今変化の時がやってきたことを内側から伝え、自分を知る機会となる意味があります。
成長した時、友達と再度関わることができる
切磋琢磨してお互いに影響を与え合い、成長し合う関係は素敵ですが、個々に生きる別人同士が多くの方の現実です。
友達は友達自身で変わる必要があります。自分のことは自分が責任を持ちます。
変わる人から変わり、成長して自己認識を深めた時、他者を知る余裕と許容がもたらされます。
自分を知ることは他者を知ることを意味し、より他者を敬い尊重した関わりへと人間関係は変わります。
成長によって、関わらなくなった友達と再度関わることができます。その際には友人関係は過去のものとは一変し、より心地良くお互いのための人間関係となります。
※意図的に友達を切った因果応報は、【人間関係リセット症候群】友達がいない必然性&誰といても孤独を感じる原因 をご覧ください。
疲れる友達はいらないのか:結論
疲れるようになった友達は、関わらないことが大切な友達です。
関わらないことが両者のためとなり、利用し合いにならず、エゴの関わりにならず、変化しない様を誇張しないようにできます。
これまで関わってきたのであれば、合う状態が合わない状態となり、自らが変わる時が来たサインとなります。
いらないなんてことはなく、関わらないこその大切さがあります。
人間は知らないところで影響し合い、出会ったことに意味があり、少しでも関わったことに気づきがあり、自らの成長への道が開きます。
関わっていた事実と、関わらない事実があり、新しい学びがもたらされます。
自らが成長した時、再度友達と関わるかどうかは自由です。成長した暁にはあらゆる自覚が増え、自ら意見を作り、自らの思考と行動を認め、自らを認識するため、関わりを決めることに不安と恐怖はなくなっています。
この状態になるきっかけであり成長への始まりをもたらしてくれるのが、疲れるようになった気づきであり、疲れてしまう友達の存在です。
とても大切な人です。
※友達と合わなくなったスピリチュアルな理由は、【成長か悪意?!】友達と合わなくなった理由4選【スピリチュアル】をご覧ください。
友達といると疲れるようになった まとめ
あらゆる事実は自分自身の中にあり、知り、気づける唯一の存在が自分です。
気づきのきっかけを与えてくれるのが友達。
過去の歴史があり、関わった記憶があり、友達といる時の自分が作られた経過があるからこそ、自分を知ることができます。
エゴに対して合わなくなることは、自らがエゴから離れ、自己認識を高めて自ら物事を理解し始めた合図です。
離れ、関わらないようにしましょう。
疲れてしまう友達によって選択肢が明確化され、覚悟を決めて関わらないことは自分に正直になり、不安や恐怖以上に自らの喜びを尊重する意味です。
主役は自分、人生を生きる中心人物をはっきりさせましょう。
「ありがとう」
「さようなら」
「また会う日まで」
友達は成長させてくれる感謝の存在です。
いつの日か、相手を敬う気持ちを持って、関わる日が来るといいですね。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
今日は朝から疲れた…と、何度も溜め息をつく自分がいました。この記事を、ちょうど目にして良かったかもしれません。人を許せない私が悪いのかと今までずっと考えてきました。
相手もきっとすごく疲れているはずです。
お互いに、関わり方を変える必要がありそうですね
疲れていたら相手に対する態度は自然と変わってしまいますね。
とても感銘を受けました。
色んな記事を読んできた中で1番納得のいく言葉でした。
この記事を書いてくださってありがとうございます。
そう言っていただけると嬉しいです。
こちらこそ読んでいただき、ありがとうございます。
ほっとしました。
全く全てが自分の理解と一緒で。
昔、全般的に人に対して可哀想とか、罪悪感を抱く事が多く、離れることはかなりの抵抗があり、それがどういう事かもわかりませんでした。
「成長によって、関わらなくなった友達と再度関わることができます。その際には友人関係は過去のものとは一変し、より心地良くお互いのための人間関係となります。」
マラソンみたいに、今は走る速さが違うだけかも知らん。
そうなんじゃないかな、と思っていたくもりを、ここで答えあわせ出来るようで本当に助かっています。もしや私の思考に合わせてテーマがupされてますか笑
ありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”⭐︎
答え合わせになれて光栄です。
何かしら思考が繋がっているのかもしれませんね。