育ち

【思いやりがない人の育ちに共通点】2つの原因が親切を遠ざける

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

日本にいるとこんなことを思うかもしれません。

優しいけど思いやりはない。

インドにいるとこんなことを思うかもしれません。

自分勝手だけど思いやりがある。

世の中は矛盾だらけです。

そんな違いを体感し、さらにインド内で思いやりのない人と関わると、どうして思いやりがないかわかりやすくなります。

ここでは、思いやりがない人の内情、原因に迫ります。

  • 思いやりがない人の育ち(過去)を知りたい
  • 思いやりがなくなる原因について考えたい

私個人的には日本とインドは真逆の思想や在り方が多いです。

そんな違いを直接味わうと、思いやりがなくなる条件や環境があると考えざるを得ませんでした。

思いやりがない人と関わると、どこか寂しさや虚しさを感じるのはなぜか?

そんな理解を深めるために、一つの考え方になれば幸いです。

思いやりがない人の共通点

思いやりがない人のタイプ

「思いやりがない」という言葉、意味毎にタイプが分かれます。

思いやりがない人のタイプ
  1. 自己中、ナルシシスト
    …無知(認識力が低い、認知の歪み)
  2. 自分を騙す
    …誤魔化し、偽り
  3. 個人主義
    …自分主観のみ(認識の偏り)

それぞれの紹介を始めます。

 

思いやりがないタイプ①:自己中、ナルシシスト

自分しか見えない、自分のことしか興味がない人

自己中心的、ナルシシズムが特徴的。

わがままで無責任、他力でありながら自覚がなく、自分主体以外の物事の認識が少ない。

周りが見えておらず、見る気もないのがこのタイプ

認識力が低いために無知でありながら、無知だと自覚しないので成長せず、他者側の目線で物事を考えられないため、思いやりがないだけでなく思いやることができません。

自分のみ存在する疑似世界を顕微鏡で凝視している、そんな状態。

ジャングルで遭難した時にみんなのパンを食べてしまい、「もっとないの?」と平気で聞く、思いやりや親切とは真逆を極めます。

※自己中心的な人の育ちは、「一体どんな育ち方してきたの?」自己中心的な人の大きな課題 をご参照ください。

 

思いやりがないタイプ②:自分を騙す

二つ目のタイプは少し複雑でして、誤魔化しや偽りを多用し、自らを騙して生きるタイプ。

他者だけでなく自らを誤魔化すため、嘘(嘘をついていないという嘘も含む)が多く、隠れナルシシストであり、いい人を装いながら仮面を被り無意識に人を利用します

人に興味がなく、自己ルールが強く、思い込みや決めつけが多く、自分を騙しているために嫌なことの自覚を拒む癖があり、エゴを認めないさまが特徴的です。

プライドや見栄が強く、周囲からの目が気になり、損害回避や不安回避など、嫌なことが起こらないための事前回避に忙しなく、常に思考がグルグル回っています。

このタイプ、嫌なことが起こらないため、自分のために、優しい人にはなれます。

しかし、思いやりはありません。

周囲からの体裁や評価取得、面倒と不利益をなくすなど、自分のための働きとして優しくするさまが目立ち、「人のため」が目的ではないので思いやりは見出されません。

 

思いやりがないタイプ③:個人主義

最後のタイプは、自我が強い人

能力が高く、自立意識が強く、集団ではなく個人に特化する在り方が特徴的。

「私の、俺の在り方、生き方、考え方」を保持、または主張し、自己認識力が高く、他者認識力が低い。

徹底的に個を際立たせ、自己防衛を固め、自己能力を鋭く磨く人であり、合理的で生産的、理論的で倫理的。

他者への興味が薄く、人間嫌い、人を疑い、信用しない人もいます。

人間は生態として捉え、大衆は“もの”に見え、歴史はプロセスだと捉える、そんな絶対的自分主観による古風なヨーロピアン的観念を持ち、ヒットラーやポルポトのように危険思想に飲まれる人もいます。

己が納得できることのみを認める(それ以外を受け入れられない)個人主義者

心や気持ちどうのこうのではなく、思想や遺伝の継承を中心に人類のことを生態的かつ長期的に考え、総合的利益性の高さを優先する、そんな特異な思いやりを持つ人もおり、他者一人一人の今や気持ちへの配慮が欠けます。

自分にとって、の優しさや思いやりになるため、相手に思いやりを押し付けるなんて奇妙なことも起こります。

気持ちの繋がり以上に現実的な物理現象を好み、人間味が薄く、感情や気持ちを含めないために思いやりがない人とみなされます。

※優しくはできるけど思いやりがない心理は、【日本の特性】優しいけど思いやりがない人の特徴と心理 をご参照ください。

 

思いやりがない人の共通点

タイプは三つに分かれますが、全てに共通点があります

[自分]に対する強い制限です。

思いやりがない人は、[私、俺、己]など自分を捉える認識が狭いと考えられます。

例えば、タイプ①は己のことしか考えないため、[自分=自分のみ]という、世界で最も認識が狭い状態です。

タイプ②は誤魔化しの多用によって、「私とは他によって認められる」と他に基づき、自分がなんなのかわかりにくいので自分を認識したくても定まらなくなります。

タイプ③は自分主観の絶対性によって、「I am ONE」に捉えざるを得ず、物事を深く理解しようとすればするほど、極めて強く己にフォーカスします。

自分とは自分ですが、自分だけかどうかは決めつけたり思い込んだり、強迫観念化して幻想に入り、徹底的に「そうだ、そういうものだ」とインプットさせる必要があります。

自己支配、保有概念で縛る状態。

物事には正解も間違いもありませんが、地球上のルールを定め、正解と決めた正解を見出すことで、答えは自動的に制限されるのと同じです。

[自分]に対する認識が己のみ、またはその自分をも曖昧になると、自己へのフォーカスはあっても他へのフォーカスがなくなるため、思いやりがない人になる、という考え方です。

 

思いやりがある人は[自分]が大きい

反対に思いやりがある人は、自分に対する認識が自分だけではありません。

物事に正解も間違いもない、それならば必要な時にみんなで考えて、その場に適応させた答えを一緒に見出し、みんなで柔軟に変化させながら育みます。

例えば、私が出会った中で最も思いやりがあると感じたのは、ダライ・ラマ法王です。

あの方は無我。

もはや自分が自分ですらない状態。

[自分=他]であり、あらゆる他によって自分が在ると認識できるほど、自分とは大きくて広い存在になります。

[自分=私のみ]という限定縛り、いわゆる意図的に制限する認識がなければないほど、仏教でいう空(くう)の理解が深い状態であり、解放平等共同体意識が高まる

自分が大きくなればなるほど[自分=全]になっていき、自分が親になって幸福であることも、遠く離れた見ず知らずのアフリカ人夫婦に子が授かったことも、同じようにワクワク。

認識の縛りがなければないほど、自分が大きければ大きいほど、自分を大切にするのと他者を大切にするのは同義。

自然と利他心が広がり、関りが思いやりと親切に溢れます。

 

『自分を知りたい方へ』

自己理解は知識の習得だけでは本質になりません。
経験と実践を含めて理解がより深まるため、機会をここに提示します。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※自分を本当に変えたい方のみご活用ください。

洞察:思いやりがない人の育ち

思いやりがある国でわかること

インドにいるとさまざまなことが勉強できます。

その一つが思いやりです。

あの人たちは自分勝手でナルシシストで自己中心的、そして自惚れています。

とにかく自己愛が強いため常に自撮りばっか、自分自分。自己利益がとにかく最優先、時に騙すこともいとわない。

同時に、家族を初めに人との繋がりが強く心から家族や友人を愛しています

人と人の距離感が物理的にも精神的にも近いので、心の距離が近い

自己中で自己愛者でありながら、同時に家族や友人など他者に対する愛も同じように強く、はっきりわかることがあります。

[自分=自分+他]

「私だけ、己だけ」が全くない。

他も含めて自分を構成しており、根っからの共有体質。

一緒に住むことがあればあなたが買ってきたものは彼らのもの、彼女らが買ってきたものはあなたのもの。

一緒に食べれば必ずと言っていいほど分かち合い、人のものは勝手に食べる。

キーってなるけど、ありがとうにもなる。

何かお願いすれば、自らの時間を割いてまで協力してくれます。大概はおかしなことになり、感謝したいような迷惑なような。

インドで人々と関わると、「自分勝手だけど思いやりがある」という不思議な感覚があります。

そんな環境で時たま現れるのが、思いやりがない人

決定的なことがわかります。

 

見栄が強い人は思いやりが全くない

貧富の差が激しい中で、物質依存していない人が多いのもインドの特徴でして、物がなくても精神的に豊かな人は多く、お金がなくてもみんなで助け合って生きている場所がたくさんあります。

しかし、物質に頼って生きている人もたくさんいます。

インドに限りませんが、「金だ金だ!」と叫んでいる(顔に書いてある)人は本当に思いやりがありません

人を騙しても、お金をかすね取ってもなんとも思わず、人が困っていても煩わしいと蹴散らします。

思いやりのない人々は、心に余裕がないように見えます。

貧しくても幸せそうな人々の多い国ですので、どうして心に余裕がないか洞察すると、気づくことがあります。

「見栄が強い」

同じ騙すような人でも、見栄や差別への執着がない人は、自分勝手でも思いやりがあります。

貧富、カースト、男女など、差別のたくさんある環境、他者承認欲求を求めた人々はエゴを強めてマウントを狙い、驚くほど偉そうにします。

「私は客だぞ」と日本で希少価値のある生態は、インドで流行り病のごとく横行しています。

「私は何者かである、お前よりすごいんだ、優れているんだ、わかったか」とお腹に書いてある。

どうして心に余裕がないのか、見栄が強くなるのかを日本も含めて考えると、こんなことが言えそうです。

[自分]に対する認識の狭さ

 

育ちの着目ポイント:自分の大きさ

[自分]をどこまでの範囲で認識しているか。

思いやりがない人の育ち方で考えられるのは、[自分=私のみ、俺のみ]で制限せざるを得ない、または制限したくなる環境です。

わかりやすく、己(おのれ)認識を増長する環境と称します。

子供の頃の私たちは一人で生きていけないので、己認識が増長する可能性は二つです。

  1. 孤独に対する拒み
  2. 過干渉に対する拒み

これらを拒みたい意思によって[自分=私のみ]にそぎ落としていきます。

自分が小さく限定されていき、フォーカスが自然と己のみになればなるほど、思いやりがない人になります。

優しさは本人ではなく周囲が一方的に判断するものなので提供できますが、本質的に自分を捉える際に他を含めていないので、共感や共同意識が芽生えないものになります。

人によって思いやりとは心の繋がりではなく、思想や遺伝(または文化や血や歴史)などを生態科学や構造で捉えた“概念”になり、継承行為として思いやりをみなす、

「私の腕の肉片は冷凍庫に保存してあるから、DNA解剖して遺伝子を絶やさないようにな、我が家系に幸あれ、シュー」

「え、なにそれ、要らないんですけどー」なんてことになります。

現代社会では一般的にも思えますが、自己保有や自己支配など、己認識の強まりによって自分を小さくする要因が、孤独と過干渉にあると考えられます。

そんな[自分]に対する限定認識の原因、詳しく見ていきましょう。

 

思いやりがない人の育ち方①:孤独

孤独を味わう環境で育つと、思いやりがなくなります。

特徴としてこのような環境があげられます。

思いやりがない人の育つ環境
  1. 親の無関心、放任
  2. 「一緒になにかをする」がない
  3. 直接の会話が少ない、褒められない
  4. 嘘をたくさんつかれる
  5. 肌の接触が少ない
  6. 上っ面ばかりを気にする家庭
  7. 人の出入りが少ない家
  8. 親の友達が少なく、友達と接するさまを知らない
  9. 困っていても誰も助けてくれない

親との関りが遠く、興味関心を示されない、こちらも持てないなど、育つ環境でスキンシップを感じにくい状態です。

赤ちゃんはスキンシップなく生存できない、という研究結果があり、私たちは愛なくして生きられないことが知られています。
※詳細は、赤ちゃんに好かれる人は認められた天使|意識状態の違う別世界を生きるをどうぞ。

思いやりがない人は愛を感じにくかった、そんな心の距離が遠い環境で育ったと考えられます。

生育段階で孤独に耐えられる強者キッズはなかなかいませんので、孤独に対する強い抵抗、働き、抗い、いわゆる現実への拒否活動が邁進

エゴや自我を強め、個に特化するために自立や自律を極め、「私のことは私がやる」と己認識が強くなります。

何が良いかは人それぞれですが、サバイバル技術や個人能力の高まりにて、個に特化した成果や成功につなげやすくなりながら、思いやりは希薄します。

 

思いやりがない人の育ち方②:過干渉

己認識を増長させるもう一つの要因が、過干渉です。

特徴としてこのような環境があげられます。

思いやりがない人の育つ環境
  1. 親が自立していない
  2. 私物化や支配される
  3. 強制や強要が多い
  4. 依存や執着される
  5. 甘やかされる
  6. 周囲がなんでも言うことを聞いてくれる

親など周囲からの干渉によって自分そのものが希薄化する、[私]を消される育ち

自立を阻害し、怠惰を増長する育ち方でもあり、個の尊重がない典型的なさま。

一人の人間として尊重されなければされないほど、[私]を消されれば消されるほど、危惧と恐怖で潜在意識は溢れます。

自己防衛や自己愛を糧に自力で[私]を護り、個を見出そうと頑張り、見栄とプライドのエゴが自己保持と保身のために重要になります。

  • 自己ルールが強まる
  • 心の余裕がなくなりやすい
  • 他者側になって物事を捉える目線がなくなる

これらが無意識に起こるので自覚がなくなり、思いやりとは何なのかを知る由がなくなります。

結果的に思いやりがなくなる、または「それって思いやりなの?」と疑問視される一方的なものになりがちです。

孤独と過干渉。

どちらかを味わう、または両方を味わう生育によって、個を護るために自己防衛と自己愛が強まり、人それぞれにタイプが分かれていきます。

自己愛の強さと差別の多い社会環境があると、己の存在を保持する意識が強まり、見栄やプライドが強まると考えます。

 

まとめ:思いやりがない人の育ち

個の特化はとても大切であり、頑張り抜いたからこその努力の賜物でもあります。

一方で、他を介入する意思や動機が見出しにくくなる見返り、常に因果は等価性ですので、バランスが崩れている点は否めません。

個人的には思いやりがないからこそ、思いやりを持つための努力に邁進できるので、必要な過程であり育ちだと考えます。

そんな理解がご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です