方法

苦労した人の顔つきには明確なものが一つある【決定的特徴】

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苦労したかどうか。

着目を外枠にするか中身にするかで、言葉の意味も価値も使い道も何もかもが変わります。

本質は中身。

中身を探求するとわかる、苦労したからこその在り方、特徴、顔つきがあります。

ここでは、苦労した人の顔つきからわかる、苦労の真意や使い方を私なりにお伝えします。

  • 苦労した人かどうかを見極める考え方を知りたい
  • 自分が苦労した人かどうか客観的に考えたい

外枠も大切であり、本人の経験であるためどのように捉えるかは自由。

そこにプラスして、苦労の中身を具現化するために、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

苦労した人の顔つき

苦労した人の決定的特徴1選

なんでも
なんでも
私が海外を旅する理由の一つが、『苦労』も『時間』も『幸福』も『人生』も何もかもが、“相対的”であると実感理解するためです。

捉え方も感じ方も人それぞれ違い、ある人にとっての苦しみは、ある人にとって朝ごはんを犬に食べられたくらいのものだったりします。

私自身、「もう人生に疲れたな」と思っていた時のインド滞在で、「私の何を苦労と言えるだろうか?」とはなはだ疑問になったことがあります、もうあれは13年以上前のこと。

比べてしまえば自分のものなど無に等しいとすら思えた現地のリアル、貧富の差、生育環境、捨てられる人々、過酷な生きる地。

辛くても嬉しいことがあれば、子供は素敵な笑顔を見せてくれる。

しかし、そこには遊び盛りの子供であっても笑顔に変わることのない顔がたくさんありました。

日本でもどこでも辛くて痛いことはあり、程度の違いはありますが、そもそも苦労とは相対的であり一人一人捉え方が違い、どれだけ適応や忍耐できるかの力や許容、精神も違います。

程度の違い、そういった苦労の外枠は置いておき、本質である中身に着目します

すると見出されることの一つにはこんなものが。

  • 苦労すると痛みがわかる

ただ、これは一部であり共通点とは言えなそうです。

苦労したからこそ共感性が高まる人もいますが、苦労したからこそ共感性が歪んだり壊れる人もいます。

ここでお伝えしたいのは、私が見つめた苦労人全員に共通していること

自分のしている行為に一切の後悔がないことです。

苦労した人の決定的特徴は、自分の現在の行為に後悔がない。

一切の躊躇がない、迷いがない、後ろめたさがない。

真っ直ぐに、純粋に、正直に、自分のしていることを遂行する人です。

たくさん失敗して間違えて、たくさん後悔してきたことを意味します。

ただ後悔だけして終わらなかった人、後悔せずに生きる自分になれた人です。

 

どうすることもできない経験者

なんでも
なんでも
私が過去に出会ってきた人々の洞察から、明確に把握していることがあります。

苦労した人は、「もうどうすることもできない」というジレンマの先、葛藤の向こう側、迷いや彷徨いを乗り越えた先の情景を知っていることです。

どうすることもできない経験の過酷さは想像を超えます。

私の知っている人々の多くは既に亡くなっています。

私自身もこの経験があるのですが、幸運にも助けられたために今も生きているだけでして、どうすることもできない状態には選択肢は明確に一つしかありません。

やるかやらないか(やられるか)

そこには迷いもふらつきも、葛藤もジレンマもたくさんあったかもしれません。

けれどもその先。

明確に、自分の選択に疑いも信頼もなく、「やるならやる」とシンプルな世界。

自分を肯定するもしないも、する以外がない。

自分を受容するもしないも、する以外がない世界に辿り着きます。

それ以外の道がないそこでは、後悔できたらラッキーです。

二回目があるかわからないため、後悔したなら後悔を、失敗を、間違いを徹底的に自分の糧と力とし、苦痛を経験値としてできる限り吸収して次に活かします

そんな在り方によって一切後悔のない正直な行為と、行為に真っ直ぐ向き合う自分ができるのだと思います。

そんな在り方によって顔つきができていく考え方、いくつかの顔がありますので見ていきましょう。

 

苦労した人の顔つき➀:無表情、時々にこやか

なんでも
なんでも

お伝えしたい顔つきは三つあります。

一つ目は善人の顔。

暗くて辛くて苦しかった経験から、物事を冷静に見つめる目、眼識を持ち、感覚感受の鋭さが練り上げられます。

無表情な顔つきになります。

何も見ていないようで全てを見ている、目のピントを一つに合わせずにぼやかして全体を把握する、そんなイメージです。

一見冷たそうですが、苦労した人は助けられた人でもあり、感謝を知っています。

手の差し伸べ、慈悲なくして存在していないと容易に予測できる、そんな経験をしている人ほど心から感動し、心から感謝し、心から涙を流します。

その感謝は心の理解を促してくれます。

人に、動物に、虫に、自然に…、あらゆる意識体には心が宿っていると知る人もおり、心と心を繋げ合う感覚を経験していきます。

繋がりは一切の“自我”の主張なく、他との調和、共有、融和、共同体感覚。

本当に優しい笑顔を時折見せてくれます。

基本的には無表情

静寂を知り、どこか柔らかさを覗かせ、時折見せるニコッ

苦労した人の優しい笑顔を見ると、こちらはホワン、トロンと溶けてしまいそうです。

 

苦労した人の顔つき②:目が鋭い

なんでも
なんでも

誰しもが善人のようにはいきません。

助けられなかった人もおり、目が鋭くギラギラしていきます。

鋭さは全体をボワンではなく、対象一点にピントを合わせてジーっと見る傾向があり、捕らえて離さない目、虫眼鏡を通した太陽の光がジーっと燃える、そんなイメージです。

熱を内側に持っており、燃えたぎると目が大きく見開き、周囲を飲み込む大きなエネルギーが出ます。

苦労した人はたくさん傷ついた人でありながら、人を傷つけることもでき、ターゲットを絞ったら躊躇がありません。

人の痛みを知る目、傷を、恐怖を、弱さを知る目

一方、恐怖や弱さを知らない場合、目は濁ります。

恐怖や弱さを知る人は目が鋭く、ギラギラと輝くように黒光ります。

そして大きな顔つきとなるのが、危機的状況などふとした瞬間に殺意を出すことです。

殺意を知る人の鋭さは、知らない人とは比べることができないほど別物、この顔になったらオーラやエネルギーが一変してにおいが出ます。

察しのいい人は顔を見ずとも危険性をキャッチします。

この目で人を見たら誰も近付きませんし、誰も関わってきませんので、基本的には真顔か無表情か、ぼーっとした顔をする人もいます。

真顔が多いですが、人によっては相手を怖がらせないためにニコニコします。

それがまたより怖い印象を与えていたり…。

 

苦労した人の顔つき③:若く、開いた顔

なんでも
なんでも
これは苦労を苦労だと思っておらず、今後も思うことがない人の場合です。

「え、苦労って美味しいの?」とか言い出す人でして、天然っぽさがあります。

いわば苦労知らずの顔でして、3歳児がバッタを見ながらキョトンとしている、そんな時の顔です。

※顔つき➀と②を持つ人も、苦労を苦労だと思わなくなるとこの顔つきになると考えられます

明るく、開いた印象を与える顔つき

実年齢より明確に若く見えます

透明度の高さがあり、透過によって光る心が反映しやすく、常に「パァ~♪」と言い続けて生きているような顔つきです。

行動や発言が子供っぽい人もおり、「本当に若い人なのでは?」と思えることもありますが、話せば若い印象はまずありません

見た目では苦労人かどうか見分けが難しいですが、絶対的な自信や自己愛、信念や核の明確さがあり、雰囲気や話し方、話す内容に“大衆さ”がありません。

無害な顔と思いきや、突然キッと目つきが鋭くなり、かと思えば「蝶々だ、可愛いね」と子供のような笑み。

表情豊かで穏やかさも険しさあり、殺意もとろける笑顔もある。

顔が真理。

顔なし、かつ、全てがそこに在る。

関わると表情にドキッとすることが多く、翻弄されるので疲れやすく、無意識に依存してしまう可能性もあるので注意も必要です。

 

顔つきの共通点

苦労した人は後悔する気のない顔をする

なんでも
なんでも
顔つきの共通点としてお伝えしたいのは、決定的特徴でもある後悔しないさま。

後悔する気のない顔つきです。

迷いや彷徨い、葛藤やジレンマの向こう側にある顔はスッキリしています。

清々しく爽快で、後ずさりしない前を向くさまや、過去を大いに自分の力や肯定材料にしてきた信じる顔

インドでも日本でも、悪いことをしなければ生きていけない人はいます。

恵まれた環境、周囲に助けを出してくれる人々やヒントがあれば幸運ですが、それがない、またはあっても気づけない環境もあります。

そんな中で常に自分のために、誰かのために、守るために行為を続けて生きていきます。

「どちらが良いか悪い」と選ぶ余裕がなければ、たくさんミスし、間違え、過ちを犯すのは必然。

自分で生きて、自分で選択し、自分で行為する人はたくさん失敗しながら、味わう苦痛を植えて自分の肥しにします。

変化のチャンス、成長機会であるため、境遇や環境や自分そのものを活かす。

苦労を繰り返すほどに選択に迷いがなくなり、強さを育み、失敗を恐れず、本気で行為していきます。

苦労した人は後悔したからこそ、後悔しない在り方や後悔するつもりなどさらさらない気を持ちます。

真っ直ぐ自分のできることに全力で行為、本気で実行します。

失敗すれば直ぐに自分を改め、本気でいきます。

これは本当の本当に、“本気”です。

辛くて痛くて苦しい、どうしようもできない、心をグチャっと潰される恐ろしい状況だからこそ、本気で自分のできることに集中し、全力を出し切らなければなりません。

苦労して生き抜いてきた人ほど、後悔する気はありません。

社会的に良いか悪いかは別の話ですが、そんな顔は紛れもない人間の顔だと思います。

 

苦労は買いたくないけど、目の前にあったら頂きたいですね

なんでも
なんでも

人それぞれ感じ方も認め方も違います。

そんな苦労、捉え方を変えると大切な意味が見出せそうです。

『後悔しないためのアイテム』

これは、苦労の数を増やす意味ではありません。

苦労すればするほど顔だけでなく在り方、生き方に表れます。

起きた現実が痛くても、「辛いな、嫌だな、苦しいな」と思う事柄に、本気で向き合う行為に苦労があるのだと考えます。

「苦労は買ってでもしろ」なんて言葉があります。

わざわざ買いたくはありませんが、目の前にあればそれは本気で挑み、本気で選択し、本気で行為するチャンスなのかもしれません。

目の前にあったら頂きたい。

なんせ後悔したくない。

そんな欲も知も含めた顔は、人間っぽさの象徴なのかもしれません。

 

最後に:苦労した人の顔つき

私たち一人一人には人生というスパンがあります。

若い頃の苦労があれば、晩年の苦労もありそうです。

先に苦労を乗り越えておけば、同じレベルが来ても二回目、ササっと対処して終わり。

乗り越えられず後悔があっても、いつでもどこでも乗り越えられれば自分の力、肥しになります。

そんな繰り返しによって強くなる私たち人間の精神、成長によって選択視に迷いがなくなり、失敗を恐れなくなり、本気で行為に及べる。

苦労すればするほど後悔のできない在り方、顔つきになっていきます。

一方で、行為に全力でなければ、本気でなければ、「苦労させられている」と思えてしまい、必要のなかった苦労になる可能性があります。

させられるのは他因や他責の行為、無責任になりかねません。

責任のなさはあればあるほど、後悔、残念として後ずさり、過去への執着が増えます。

後悔のない顔つきとは自分で選択して、責任を持って、本気で突き進むことで表れる心の在り方とも言えそうです。

いつでもどこでも苦労できる私たちは幸運者。

「辛いからわざわざ欲しくはないけど、せっかくあるならもう二度としたくないので苦労しておきたい」

そんなものかもしれませんね。

ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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