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自分がつまらない人間だと思う人の特徴と理由【改善は自己愛の活用】

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自分でつまらないと思うのは自由ですが、自分からつまらない人間だと思うことはおそらくありません。

そこには必ず他者と比べたり、他者の反応や直接言われることでの気づきとして、「私ってつまらないかも」「みんなはああなのに私はこうだ、それってつまらないってことじゃん」と思う。

どれだけつまらないギャグや生き方をしていようと本人だけでは気づきません。それが本人にとっては当たり前であり、本人にとってはつまらなくありません。

自分がつまらない人間だと思う場合、それは他者の意見に忠実に従っていることを意味します。

そんな理解を深めることで、つまらない自分の改善方法が見えてきますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

自分はつまらない人間だと思う

自分がつまらない人間だと思う理由

他者と区別することで自分を評価・判断することは世の常です。

しかし、この世に自分一人しかいなければ、おもしろいとも、つまらなくないとも思うことはありません。

自分がつまらない人間だと思う場合、他者の存在にて見出された意見であり思考です。

“つまらない、面白くない”とはあまり誉め言葉として使われないので、自分がつまらない人間だと認めることは心地良いものではなく、容易にできることではありません。

そのため、「つまらないね」と言われれば、「そんなことないわっ」と認めない、または、「なんだとコノー」と怒りや悲しみにて反発を表し、認めずに済ませる対処をします。

特に怒ったり泣くことで相手に非があるように思い込めるので、「つまらない」と言ってきた人間を悪にして認めなくて正解という正当化ができます。

そんな心理や在り方があることから、自分がつまらない人間だと思う=認めている人間性がわかります。

自分がつまらない人間だと思う人は素直、真面目、強い

※真面目とは社会性や規律に従うことに一生懸命な生真面目、糞真面目のこと
※強いとは肉体やメンタルではなく、心の意志(恐怖に屈服しない強さ)

「もしかして、私ってつまらないのかなぁ?」と曖昧に解釈しているのではなく、「私はつまらない人間なんだ」と思うことは容易なことではありません。

人は自分に不都合なことや不利益なことは拒み、嘘をつきます。

そこには、“エゴ”にて“自分を他者と区別して認識する”ことで、恐怖と対峙しないで済む対処が可能となり、自己防衛として心に傷がつかないように逃げます。

それをしない。

何者?

 

自分がつまらないと認める人は他者の評価・判断を自分のものにしない

他者がつまらない、またはつまらないとわからせるような指摘をすることで、誰しもの頭の中に、「私ってつまらないかも」=否定されたという記憶が残ります。

その場合、他者の評価や判断をそのまま鵜呑みにしている状態です。

言い方を変えると、他者の意見に揺さぶられ左右される自分がおり、他者に従っている状態です。

自分がつまらないと思う人は他者に従っていると思いきや、そうではありません

他者や社会性という他の認識や常識やルールを、一旦“自分の認識”に通してから自分を見つめた結果、“自分がつまらないと思っています”。

わかりにくいですね。

自分の中で、「私ってつまらないんじゃないかな?」と思っているふしを知っているということです。

他者の評価や判断を利用して、自分の中にある不明確だった認識を明確にしている状態。

「あなた、つまらないね」
「あっ、それだ!」と言う気づきの自覚。

でも、つまらないとは否定なので、気づくと同時にズーン、ショッ…ク、ガクッっと。

どこかにあった認識なので、ありがたいけど知りたくなかった。でも事実なので認められる。

これは素直な人の特徴です。

自分をつまらない人間だと思ってネガティブな気持ちになることは、“自分の中で見たくないと思っている部分がある”=“自分を明確に認識できていない”ということでもあります。

 

つまらない人間の特徴

他者が指摘するほどなので、何かしら迷惑をかけているのかもしれません。

「飲み会に来たのに、全然空気読まないで輪に入って来ないじゃん」
「話がつまらないからどう反応していいかわからない」
「つまらないことずっと喋ってるよ、聞かされる方は辛いな」
「時間を無駄にされている気分だ」

つまらない人にもさまざまなタイプがいると思いますが、つまらない人間だと思われたり言われる人にはいくつかの特徴があります。

一覧はこちらです。

つまらない人間の特徴
  1. 自分が常に認識の中心
  2. 子供のように無邪気で素直
  3. 話すことは自分の世界のこと
  4. 自分に嘘をつけない
  5. 攻撃性がない
  6. 自己愛が強い

 

1、自分が常に認識の中心

常に自分が主観なので他者目線で物事を見ることはせず、目の前で泣いている子がいても、「どうしたの?どうして悲しいの?」ではなく、「この子は親と逸れたんだきっと、ほら交番行くよ」と自分目線で他者を見て判断します。

自分勝手やわがままとは全く関係ありません。もちろん人によってそういう人もいますが、それはつまらなくない人もそういう人はいます。

全ての認識、知る、思う、考える、感じる、想う、評価する、判断することは自分を中心にします。

自分が思っている常識やルールというフィルターを一旦通して物事を見るので、他者のことであっても常に自分の認識が含まれた上での見方、意見、提案などになります。

 

2、子供のように無邪気で素直

つまらないと思われる人は子供のまま育ったような人です。

子供は常に自分の認識を中心にして物事を見て、感じて、考えます。それと同じように生きているため、とても無邪気です。

純粋であるために好き嫌い、良い悪い、善悪がはっきりして、嫌なら嫌、良いなら良いと明確な判断をします。

はっきりと意志表示や行動を示さないと、自分のことをつまらないと気づかない素直さでもあり、そこでさらに嫌がられてつまらないと思われることにもなります。

優しさも思いやりもありますが、自分を主観にした優しさや思いやりになるので、相手がそれを欲しているかどうかを知ろうとは思いません。

貧乏な人を見れば、「食べ物をあげれば喜ぶだろう」とそれに真っ直ぐに行動して、食べ物をたくさんあげる。
「実はそれ全部嫌いな食べ物なのー」なんて事実は気にしませんし、それがわかれば、別のものを買いにまっしぐらという少し変わった優しさの形を持ちます。

 

3、話すことは自分の世界のこと

つまらないと思われる最たる理由となるのが、話がつまらないこと。

この理由は、自分の世界のことしか話さないためです。

突然話し出して、さも相手は自分の世界をわかっているかのように話すので、話される側は訳わかりません。

「相田さんがあんな状態じゃない、だから私はもっと休息が必要だと思うんだよね」
「最近食べ過ぎたからスゴイ太った」

「はっ、相田さんって?」「…」「で?」「なんの話?」という回答しかできないような話をします。

相互交流による会話ができず、常に一方通行になるため、つまらないと嫌悪を与えます。

話す内容が共通認識ではなく自分の世界という、己の認識であり己の知覚であり己の認知に関することなので、「…」となる空間作成時間となり、さらに自分の認識が主体なのでずっと話を続けていたりします。

どうしましょう、気づかない。
「どけ、俺が言ってやる」という町村会議みたいなことが起きていたりします。

 

4、自分に嘘をつかない

素直さの基です。

つまらないと思われる人は自分に嘘をつかないために拒否や誤魔化しをしません。

それができないのですが、純粋で素直なので、できてもしようとは思わない人間性です。

他者に嘘をついても自分には嘘をつかないので、言われたことをそのまま受け取って傷つきやすく喜びやすく、他者の影響が強くある人生です。

「あなたつまらない」と言われた時に、それを誤魔化さないので認めますが、これは嘘をつかない以上は認めざるを得ないということでもあります。

 

5、攻撃性がない

つまらないと言われる人は攻撃性を持たない、平和な人です。

攻撃とは他者を否定したり排他したりすることで傷つける行為、物理的なものと精神的なものの両方があります。

自己防衛にて攻撃からの防御として対応することはありますが、自ら攻撃をしかけることはまずありません。

関わりやすく壁がない印象を周囲に与え、輪の中心になりやすく、よりつまらないと思われも言われもしやすい人間性があるので輪の中心を恐れる人もいます。

 

6、自己愛が強い

つまらない人間の最も大きな特徴は自己愛の強さです。

あらゆる認識の主観も主体も自分、物事の中心に自分を置いてから見て、感じて、考えて、想う。それらは全て自己愛の強さから来ています。

どの場所に行ってもどこに居ても自分が中心であることを求めます。

誰よりも称賛されたい、褒められたい、認められない、愛されたい、必要とされたい。

その場で自分が一番なんだと思える材料があると心から喜び、「本当に誰よりも私がスゴイ、そうじゃないかな?」と思っていたりします。

自己愛は自分を明確に認識することで自らに愛を与えるため、自分を愛している人は一人で生きる傾向があり、他者とほとんど関わりません。他者に興味がないわけではなく自分の方が興味があるという具合です。

反面、自分を明確に認識していない場合には、他者からの肯定や承認をとにかく求めます。その自らの利益のための押し付け行為によってつまらないと言われ、他者に認めてほしいけど他者との関わりに恐れを抱き、どうしようと悩むことが多くなります。

以上が、つまらない人間と思われたり、言われる人の特徴です。

 

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つまらない人の改善方法

自分はつまらない人間だと悩む場合

つまらない人間と認めるか否か、それはいわば自分を見つめることができるか否かです。

「うすうす感づいてはいたけど…いざ言われるときついね、その一言」

つまらないと言われる人の傾向として、「あなた、つまらないよ」とはっきり言われないと、自分のことをつまらない人間だと思わない特徴があります。

自分の認識を主体にしているので、そこにズバッと刺し込むようにされないと気づきません。

しかしズバッと言われると、まるでバシュ、シュパ、ブシューーと日本刀で切られたような爽快と崩壊感、耐え難い。

誰でもつまらないと言われればショックですので、嫌な気持ちになります。

しかし、言われてむなしい、悲しい、空虚、孤独を感じる場合、自分がいないことを自覚する必要があります。

自分のことを自分で認識できていないことで“むなしさ”に直面します。
「つまらない…なんだ私って…はぁお月さん」
「私ってつまらないんだよ…そうなんだよ…グスン」と灰が散るように空虚を感じる。

そのようになる場合、自分がいないことを自覚しないと、神経症やうつ、死にたくなるという状態になります(私という人体が体験済みです)。

自分がつまらない人間だと言われて悩む場合(対処の答えが出ないことでのむなしさがサイン)、そこに自分がいないことを自覚することが改善の始まりとなる。

むなしさを感じないために人それぞれに嘘をついて誤魔化し、相手を責めてうやむやにして、自分を正当化してなかったことにします。

それができない人間性があるので、言われた以上は自覚しなければ辛い方にしか行かなくなります。

逃げてしまうと、あらゆる人との関わりを逃げるようになり、人間関係や生きる環境を自ら制限して狭い世界を作り、抜け出すことが困難になります。

すると他者を否定しまくります。そこに攻撃性はないのですが、自分が優越感を感じて生きている価値を見出す対処として他者批判、否定をするので、本当に誰も近付かなくなるほど恐い人になります。

つまらないと思われる人は、はっきり気づかせてくれる人の存在と、言われたことを自覚することが改善になります。

悪役を買って出るつまらないと指摘してくる人はムカつくけど、とてもありがたい存在だったりします。

 

つまらない改善方法

自分がつまらない人間だと思う場合、頭のどこかに「自分が中心で居たい」という人間性があると思います。

実際につまらない人間だと思う人は、他者との関わりにて中心になれる人です。

そうなるために、自分のできることをするのが改善方法になります。

つまらない改善方法は、自分のキャラクターやスタイルを明確にする

自分を明確に認識していないことでむなしさや寂しさや孤独を感じるので、自分を認識しながら喜びを見出せる生き方を作るのが改善策です。

キーワードは、“自己愛の活用”、“できないことはしない”、“自分の喜びが主体”、“スタイルの確立”です。

詳細を見ていきましょう。

 

人との関わり方はお笑い的スタイルが良い

自分の世界を相手にドンッとするタイプなので、相手の世界に入ることは無論、相手の認識を理解しながら関わることは困難です。

できないことはしません。する必要なし。

できることをします。そこに自分の世界を表現する力があることを活用します。

自己愛の乱用、いえ、活用です。

それが、会話形式でのコミュニケーションではなく、お笑い形式でコミュニケーションを図ることです。

ピンでも、コンビでも、トリオでも何でもよく、話す際に自分の世界を表現してそれを引き延ばすような話の繋がりを作ることで、自らの人と関わるスタイルを明確にします。

つまらない改善は、会話ではなくお笑いのやり取りのように話を繋げることで、人と関わるスタイルを確立する

※自己表現を広げるコミュニケーションをする

会話とはキャッチボールです。伝えて、それに対して相手が返すという繰り返し。

これはポイッ、要らない。

コミュニケーションスタイルは、自分が話す際にツッコンでもらえるように話します。

それは、相手のことを考えるのではなく、自分の話を広げるために質問させることです。

こんな感じ。

「なんだか秋らしくなって、ヒグラシもミミュミミュ鳴いてるね」
「ミミュミミュってどんな感じ?」
「なんかこう、羽を鶴の恩返し的にはた織るのさ」
「鶴の恩返し的なヒグラシってどんなの?」

「ゆで卵ってエロイじゃん、そのゆで卵を昨日食べたんだ」
「エロイの?何で?どこが?」

あとは自分の世界を爆発させてください。

芸人さんのようにボケとツッコミというニュアンスはありません。

自分の世界を話す特徴を利用して、そのまま言いたいことを伝えますが、その際に相手が疑問に思えることを少し付け足します。

相手がツッコんで話が終わっても良いと思いますが、そんな芸人さんみたいな人はなかなかいませんので、相手に疑問を抱かせることで話を繋げ、さらに自分の世界を披露できる。相手も興味を示したり楽しめる。

楽しめなくても一方通行にならないので、相手に嫌な思いをさせることがなく、相手のための時間にもなる。

会話ではなく話の掘り下げであり、自分の世界を掘り下げる時間になるので、キャラクター認知が起きます。

キャラクターと言っても自分を偽るぬいぐるみ的なニュアンスではなく、自分のスタイルを明確化することです。

つまらないと思われても嫌悪がなくなり、面白い人、変な人、独特な人、悪意なくつまらない人というような認知が周囲で起きます。

※退屈でつまらない人間理解は、【人生は退屈だから楽しめる】暇でやることがないからこその人間的本質 をどうぞ。

 

自分の世界を広げるために他者と関わることでポジションが生まれる

自分のために人を利用するような話をしていますが、つまらないと言われている以上はもともとそうしています。

そこで相手に嫌悪を抱かせなければ、何も悪いことはありません。

自己愛が強いので自分を中心に物事を見る人間性があり、それが大切な個性ですので貫いて活用します。

自分の世界の表現にて話を広げることで“ポジション”がわかります。

関わるべく相手がわかるようになります。

つまらない改善のために自己愛を貫いて関わる人を明確にする

つまらないと思っても思われても、それが個性であり人間性なので貫きます。

しかし、これまでお伝えしたように自覚しないと、押し付けにて他者の時間を奪うように話したり、相互の会話をせずに相手に話をさせない、返答が難しいことばかりという嫌悪を与えるので、自覚した上で自己愛を貫きます。

つまらないと思う人間性となる自己愛を活用して、自己表現を広げることが改善方法なので、自分と同じように“喜びを求めて人と関わる人”を見極めて選ぶ大切さがある、という考え方です。

 

自分はつまらない人間 まとめ

つまらなければつまらないでいいと思います。

周囲が何を言おうとその人の意見として自由に思います。

しかし、つまらないとわざわざ言ってくれることには大きな意味があり、大きな気づきがもたらされます。

指摘する所業には知られざる恩恵があり、自分がないことへの気づきと自覚と共に、つまらない人間の改善が始まります。

その際には、自分のために人と関わり、話を一方的にしていることをしっかり自覚します。

会話ができなければ話を掘り下げてもらう話し方をして、より自分の世界を披露できるように自ら作ります。

自らの喜びを自らが作る認識を増やしていくと人と関わるスタイルが確立され、周囲からの認知を作り、人と共存しやすくなります。

できないことをする必要はなく、できることを伸ばすと同じように自分の喜びを求める人が現れ、お互いの世界を広げ合ったり、より関わりやすい人との話の掘り下げと拡大の楽しい時間が増えていきます。

特に話が楽しいかどうかはどうでもいいことで、何か興味を深めることによってつまらないことへの改善が育まれます。

そんなつまらない自分の改善は、己の道を探すことを意味し、自分で作った道が適した生き方であると表します。

つまらないと思えることの恩恵として、この内容がお役立ちできれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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