人生哲学

【レベルが違う人って一体何者?】高いも低いも合わない意味がある

「この人はなんてレベルが高いんだ、私とは違いすぎる」
「なんだこのレベルの低さは、大丈夫か?」

高いも低いもレベルが違うと感じる時があります。

ある程度レベルが高い人にとって、さらにレベルが高い人に対する違いがあり、レベルが低い人にとって、レベルが高い人に対する違いもあり、レベルの違いは千差万別であることがわかります。

レベルが違う人とは一体何者なのかわかりにくいものです。

ここでは、レベルが違う人側の目線ではなく、レベルが違うと認識する私達側の目線を紐解き、レベルが違う人の正体を突き止めます。

  • 違いを感じるのはなぜ?
  • レベルが違う人とは何者なの?
  • レベルが違う人と関わる体験談とは?
  • レベルが違う人が教えてくれる大切なこととは?

これらの理解にて、レベルの違いとは受け取る側の心理や精神に合わせた表現だと、知っていただく内容となっております。

レベルが違う人と出会った際にわかった大切なことが、一つの考え方となれば幸いです。

レベルが違う人は合わない

どうしてレベルの違いを感じるの?

才能や能力、技能に知能、周囲からの評価に人間性、経済力に精神性、社交性に余裕。

人間の高低・上下・勝負・優劣・良悪・正否を評価するあらゆる分野があります。

特に能力・財力・精神性には、生き方や過去の努力や経験の蓄積があるため、人間性が醸し出される材料として、レベルの違いを感じやすいものです。

私達がレベルの違いを認識する時、思うか感じるかの二つの入口があります。

レベルの違いの捉え方
  1. レベルが違うと思う
  2. レベルが違うと感じる

思考概念か体感感受かの違いは全く異なり、頭で思っているか、心身で感じているかにて意味が変わります。

 

レベルが違うと思う場合は概念による比較

「思う」時、他の情報やルールとしてインプットされている概念があります。

概念には自分の主観がなくなり、誰かが言った、本に書いてあった、社会的に決まった、正しいと言われる、間違っていると言われるなど、他の情報を主体にした認識になります。

世間的・社会的・ルール的に他者や自分と比較することで見出される思考、「この人は他の人とは比べられないほど仕事ができて、人として私よりもできている」と思う状態です。

比較による概念があるために、良悪・上下・勝負・正否・優劣にて上か下かに区分けします。

上があれば下があり、相手のレベルが高いと思えば自分や誰か他者を下にし、相手のレベルが低いと思えば自分や他者を上にするシーソーゲームが起きます。

概念による比較は自分と他を含めて物事を認識するため、「レベルが違う」と思うことには良悪の評価を付け、利益にも価値にも、不利益にも価値喪失にもなると考えられます。

 

レベルが違うと感じる場合は感覚による比較

「感じる」時は完全に自分主観です。

他の情報や他者の存在介入がなく、シンプルに自分と相手の向き合いです。

といっても相手は関係がなく、自分から一方的に違いを感じているので、レベルが違うと感じることは自分を知る意味になります。

極端に言うと、相手がスゴイ人かどうかはどうでもよく、周囲や社会的な評価ではなく、「どうして自分はレベルが違うと感じたのか?」の紐解きで自己理解します。

レベルが違う人とは、自分との違いを自分主観で認識したことによる表現。

相手ではなく自分を知るために、「こ、この人はレベルが違う!」と表現している。という考え方です。

 

レベルの違いは自分と合わない合図

レベルの違いは思っても感じても、どちらもシンプルな合図があります。

この人は自分と合わない(違う)

現状の自分と合わないと概念にて思ったのか、体感で感じたのか。

思うのか感じるのかは本当に全く違うので、どちらの認識なのかは直ぐにわかります。

思う場合には他が介入、感じる場合には自分のみですので、感じる場合にはとんでもなく合わない感じ、思考癖があったとしても明確に合わないほどのレベルの違いを感じます。

思う場合には多少のレベルの違い、またはレベルが違うと思いたい思考があり、感じる場合には圧倒的なレベルの違いとなります。

※精神レベルの高い低いの詳細は、精神レベルが高い人はふざけている│特徴はレベル低い人間性? をどうぞ。

 

相手が高いと感じるレベルの違いの意味

「な、なんだこの人の圧倒的レベル感は、凄すぎる!」

レベルが高い人に感じる自分との違いには、[合わない=尊重]の気持ちが生まれます。

合わないほどのレベルの高さは相手を敬う気持ちになり、目指すべき指標にもなります。

少年野球の時にイチローと自分のレベルの違いを感じ、「凄すぎる、なんて素敵な人だ、勉強させてもらおう」「イチロー選手みたいになれるように頑張るぞ!」となるイメージです。

レベルの違いによって人を敬う気持ちを教えてもらい、自らをより向上させる動機を与えてもらう効果があると考えられます。

レベルが違う人を知ったり関わると、自らを高める影響力を貰うことができ、愛と指標を教えて頂く学びになります。

敬いという愛を自ら見出すことができ、さらに人によって必要であれば動力や活力を見出して道を進むことができるのが、「この人とは合わない」という感受に潜む意味です。

レベルが違うと感じる大切さがあり、「この人はスゴイ」と相手にフォーカスして見惚れる以上に、自分にフォーカスすることでレベルが違う人の有難みがわかります。

 

相手が高いと思うレベルの違いは、嫉妬や執着心を作る

一方、「この人のレベルは高い」と思う場合、「チェッ、くそっ」となったり、「凄すぎる、この人がいればもう大丈夫だ」「私なんかこんなんだ…」となる可能性があります。

レベルの違いを認識することで嫉妬、執着(甘え)、自己否定、誤魔化し、自分を怠惰させてエゴを増やします。

自分が主観ではなく、比較概念で相手が上になると自分が下になるルールがあり、相手を認めたくない場合には嫉妬し、自分を認めたくない場合には自己否定します。

自分のレベルが低いと思う指標にし、責任を持たないと相手に甘えたり責任を押し付ける執着が起き、スゴイと認めていないのに認めた振りをして自らの認識を誤魔化すこともあります。

感じても思っても人それぞれの認識ですが、思う場合には自分の利益にならないため、レベルの違いについて考えたくない人や、何が違うのかを納得できるように自己都合で解釈しようとする人もおり、「この人と合わない」に潜む意味が極端に変わります。

 

相手が低いと感じるレベルの違いの意味

「一体どうなっているんだ、このレベルの低さは!」

レベルが低い人に感じる自分との違いは、[合わない=イライラ、憤り、反発、苦しみ]の気持ちが生まれます。

合わないほどのレベルの違いは、自らを抑圧し、我慢し、利用され、依存され、精神が疲弊してしまう危険性があり、自己防衛と向上機会になります。

自らを護るための合図になり、環境を変えたり、関わる人から離れる時だと教えます。

自らのレベルを高める合図にもなり、向上することで環境を変えずとも自らを撲滅させず、明確な線引きの上で関わる距離感を作れます。

レベルの違いによって、自らのいる環境や関わる人との同調が切れかかっていることを表します。

この機会に向上して圧倒的にレベルを高くすると、レベルの違いを感じて意味を見出す周囲のためになったり、その場から離れて別のレベルと同調を合わせる新しい出会いを始めることもできます。

 

相手が低いと思うレベルの違いは、優劣によるエゴになる

感じる場合はイライラや反発感があったり、中には悩み事になる場合もあります。思う場合にはレベルが低い人を蔑み、馬鹿にし、愚痴や悪口を言う傾向があります。

「レベルが違う」と思うことで自らを上にして、相手を下にする心理目的があり、優劣を付けるシーソーマインドが稼働します。

レベルの違いによる「合わない」という概念が、自らを優越させて自己保持したり、「この人はダメだ=私は良い、正しい、頑張っている、認められるべきだ」と正当化を図ります。

[レベルが低い=ダメ]というルール設定があると考えられ、他者との比較によって存在価値や意義という名の利益を得る在り方になります。

これをエゴと言います。

エゴは大切なものなのですが、優劣にて自らを上、相手を下にする場合には、全て思い込みの概念世界であるために、「正しいも間違っているもない空間で、どちらが正しいのか?」を探る不思議な状態を作り、自分という存在が薄れてしまう可能性があります。

※レベルが低いと感じる時は、「周りのレベルが低い?!」と感じた時にわかる心理と対処法 をどうぞ。

 

レベルが違う人とは一体何者?

レベルが違う人とはただ合わない人

ただただ合わない人です。

自分の領域ではない人であり、波長が合わない人であり、波動が同調しない人であり、いる世界が違う人。

なのに目の前にいる場合、チャンス以外の何物でもありません

合わないからこそ自分との違いがわかり、何が自分に足りないのか、足せるのか、学べるのか、気づけるのか、向上できるのかを知れます。

向上する必要性は人それぞれですので、向上機会にしなくても指標にしたり、自己理解を深めてより自分らしく気楽にする一助にもでき、敬いを持って愛を知る機会にもなります。

全て自分のためです。

レベルが高くても低くても、自分との違いを認識した際には、自分のためになります。

  • レベルが高い人は愛(敬い)や目指したいと思える指標を見せて、活力や動機を与えてくれる
  • レベルが低い人は自己防衛や向上心の大切さを教え、世の中は広いと気づく機会を与えてくれる

レベルが違う人とは自分を高める影響を与えてくれる人。存在するだけで恩恵を与えてくれる大切な人であり、貴重な存在です。

 

レベルが違う人と出会った体験談

私は海外を旅している際に、さまざまにレベルが違う人と出会う機会があり、大切なことを教えてもらいました。

多くの出会いの中でも特にレベルが高いという意味で違いを感じたのは、インドのグルジー(僧侶)でした。

グルジーの詳細は、自分を成長させてくれる人の素晴らしさ│一生忘れない人間性の高さと特徴 をご覧ください。

グルジーはおじいちゃんであり、生活から使命から、車の運転から人々のケアから、何もかもがぶっ飛んでいます。

特に車の運転なんかはふざけたもので、100km/hでビュンビュン飛ばす車の中、30km/hでトロトロ走ります。インドですので同乗中に何回死を覚悟したかわかりません。

生き様そのものが全て勉強になる人で、ゆっくりと家で飼っている牛のもとへ歩いていき、うんこ座りをしてミルクを牛からジュージューとコップに取りながら、自分の口にもジュージューと直ミルク発射しています。

ゆっくりと歩いて私のもとに来ると、真っ白な口をしながら、「ほれ、飲みな」とフレッシュすぎるミルクをくれます。

学校に行けないカーストの村の外れに住んでいるグルジーは、みんなをケアしながらボランティアで宿泊施設を作り、使命を持って行動し続けます。

初めは自分とのレベルの違いを痛感し、グルジーのことばかり観察して多くを学ぼうと思っていましたが、グルジーが教えてくれる無言の授業は不干渉の愛があり、大切なことには自ら気づきなさいというメッセージ性がありました。

私の理解では、「自分の認識である、感受、思考、意識を大切にしなさい」という真意があると思っています。

「周囲を見てもOK。だけど主観は常に自分だよ」

「レベルが違くても同じでも、自分を見て、自分と向き合い、自分がどうするか、どうしたいか、何に気づいて、何を学ぶか、全て自分次第だよ」と言われているようでした。

 

レベルが違う人が教えてくれる大切なこと

レベルが違う人はレベルに対する概念がありません。

高くても低くても、概念であり事実とは違い、事実は常に感覚であり自分の中に存在します。

事実を知るためにも思考があり、他の情報が重要になりますが、基盤は自分という主観です。

自分は絶対的な存在である前提があり、そこに思考や知性を用い、人によっては知能も用いて、自らの事実を把握して明確にしていきます。

レベルが違う人以上に、レベルが違うと認識する自分にフォーカスする意味があります。

私の理解では、レベルが違う人とは自分を知るための材料です。

グルジーはそう気づくことを望んでいたように思います。

 

レベルの違い=合わない意味を解明する

何をどうしても受け入れてくれる許容の広さを持つのが、高い意味でのレベルが違う人です。

レベルが高まれば高まるほどに、どんな人とでも関わるようになり、また誰と関わらなくても気にしなくなります。

ここには常に自分が主観の上で他を認識するさまがあり、自分を前提に他を少しずつ入れていく順番があります。

自分と他の違いにはあらゆる価値があります。

レベルが違う人のようになる必要などなく、如何に相手の凄味を知り、相手にできることと自分にできることの違いを知るか。

独りで生きられる人もいれば、複数で生きられる人もいます。

テストで点数を取れる人もいれば、テストなのに落書きできる人もいます。

レベルの違いにあるのは良い悪いの評価判断ではなく、自分と他者が合わない意味を解く、自己解明です。

合わない意味に正解も間違いも存在しません。概念で組み込めることはできますが、自分が薄まるので自己解明しにくくなります。

自己解明によって自分の価値を知り、相手の価値も知り、私達千差万別の生き物はロボットでもAIでもないため、自分にできることを見つけ出す役割を示します。

高くても低くても、どちらの違いでもこのことを教えてくれるのが、レベルが違う人。そんな考え方です。

※魂という奇妙なレベルについては、魂レベルの段階(人生のステージ)に8つのステップ|最後は宇宙行?! をご覧ください。

 

レベルが違う人 まとめ

「この人はスゴイなぁ」と思う時、自分と他者の違いには一体何がありますか?

一体何を感じてレベルの違いを認識したのか。真意は常に自分の中にあり、実は潜在的に知っていたりします。

あとは如何に無自覚を自覚できる領域に持ってくるか。

自己理解にはトリガーがあり、ヒントがあり、如何に自分を知ろうとするかに全ての答えがあります。

レベルが違う人との関わりは、大いに自己理解を深める機会になります。

関わりがない場合には傍から見るだけでも重要で、向上のチャンスそのものです。

向上心がなくても問題ありません。気づきのチャンスがあり、自己解明するスタンスによって自分と他者の違い、合わない点から価値を見出す目線を持ってみてください。

私達は何もできないと思っていても、何かしらできてしまいます。ただ、それが他者と違うのでわかりにくくなることがあります。

思い込みは事実が目の前に露呈した瞬間に、乾ききった泥団子のようにギュッとしたらパシュ、パラパラと崩れます。

あらゆる価値を知る機会。レベルが高くても低くても違う人がいれば、ご自身にフォーカスしていきましょう。

敬いを知り、指標を定め、活力を見出し、向上し、自らを護ります。

グルジーはレベルが高い。しかし、グルジーにできることがあれば私にできることもたくさんあります。

それに気づいた私を見てグルジーはまんべんの笑みなのです。

レベルが違う人との関わりがあれば、機会を逃さずに自分のためにしちゃいましょう。そんな一助となれば幸いです。

それでは、レベルが違う人のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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