ご飯を食べること。
寝ること。
呼吸すること。
これらは好きなことかどうか。
好きなこととは何かを考えてみるとわかりにくいものです。
仕事が好き。
趣味が好き。
人が好き。
好きだから仕事するのか、仕事だから好きなのか、お金をもらえるから、価値を見出せるから、見出してもらえるから、ルールに則れるから。
“好き”には一つの共通点があり、恋の好きのように明確な目的があります。
それは、自分の利益のみを求めた自己満足の遊び。
事実は時に嫌われますが、悩まれている時には好かれるかもしれません。
好きなことがわからない時に役立つことを願い、好きなことを知るための紐解きをご覧ください。
Contents
好きなことがわからない

好きなこととは?
好きかどうかは本人が唯一認識できます。
これが好きかあれが好きか。
ヨモギ饅頭か、かしわ餅か。
「ヨモギまん、でも甘いのは要らないから中身は抜いてね」
好きかどうかは本人のみが知ります。
あの子が好き、でもあの子は?
「どっちも好き、だってどっちもカッコイイ」
好きになることにルールも何もありません、本人が自由に決めます。
そんな“好き”には、ある共通点があります。
好きになる理由は、“自分に喜びがもたらされるから”
本当に好き勝手、ルールもなく自由に決める。なんせ自分の喜びのことしか考えていないから。
好きになるのは自分が満足し、納得するからです。
好きなこととは、自分が満足か納得にて何かしら喜びがあることです。
当たり前のことを言っていますが、伝えたい真意がありますので紐解いていきましょう。
恋と愛の違いでわかる、好きは一方通行
好きなこととは恋のようなものです。
誰かを好きになる際、一方的に自分の喜びのみを考えます。
あの人と一緒にいたら私が嬉しい。
あの人とデートできたら私が満足。
あの人を見ているだけで私は納得。
あの人と付き合えたら私が喜ぶ。
愛とは相互交流による育みや敬い合いですが、恋とは己の喜びを求めた一方通行でルールも縛りもない自由な満足行為です。
遊びに相手も含めることで関わりの中で愛に発展することもあると思いますが、それは好きになった後の話。
好きなこととは恋のように自らが喜ぶかどうか、それのみを主体にした自己満足の遊びです。
それは私達人間の基本原理のようなものです。
自分の利益のために生きている
私達はとにかく自分の満足や納得の喜び=利益を求めて生きます。
自分の喜びでも人の喜びでも自分の利益になるので求めます。
ボランティアにて人を救済することは、救済されて喜ぶ人の笑顔を見ることが自分の喜びだからなどの利益です。
ここに綺麗ごとも偽善もありません。事実は美しく、“好きになること”が人間の基本原理であることを表します。
好きなこととは、自分が満足か納得する(利益を得る)こと。
好きなことがわからなくなる理由
喜びがもたらされることであれば、進んで行為に及びます。
恋多き人は、とにかく自分を喜ばすことに集中しているために行為に忙しなく及びます。
そのように好きなことが多い人は自分を喜ばすことを尊重し、それが“自分を愛すること”でもあります。
好きなことがわからない場合、自分を喜ばすことを尊重していない状態があります。
自分を愛していない状態です。
言葉がくすぐったいかもしれないので言い換えますと、“自らを敬っていない”です。
好きなことがわからない理由 : 自らへの敬いがない
敬いがないことで好きなことがわからない理由が分散される
“敬いがない”ことは理由の共通点です。
その状態で生きることで、好きなことがわからない理由がいくつも枝分かれするように分散されます。
そんな理由の一覧はこちらです。
- 嘘をつく
- 自分が何人もいる
- 現実や事実を認めず拒否する、うやむやにする
- 興味が湧かない
- 何もかもつまらない空虚感がある
- 過去や未来を考え、今を認識しない
- 約束された利益しか見えず、自らに責任を持てない
- 自分の意見や意志がない
- 心が満たされていない
- 自らが自らを支配している
自らへの敬いがないことで、喜びによる利益である満足や納得を求める理由がなくなります。
喜びとは単純に満たされるものですので、これを嫌がる人はあまりいないと思います。
ですが、それを求める理由がなくなれば“好きになる”という行為にて喜びを求める労力を払う気がしなくなります。
その際、好きなことをしたいけどルールや社会性に従わないことや、周囲の目や体裁を気にすることでの“恐怖を味わわない”ことに多くの利益があると、事実を認めず嘘をつき、約束された確実な喜びを求めるように好きなことに制限が付きます。
それが、自分に責任を持たない状態を作り、過去や未来を行き来して“今”を見なくなり、心が満たされなくなり、自らを他者の目や社会性のルールを用いて支配します。
この状態、自分の意見も意志もなくなります。
好きなことがわからない理由は、自分を敬わないことで意見も意志もなくなり、自らを支配することで喜びを求める理由がなくなるため。
自らの支配は好きなことを求める動機をなくす
喜びを求める動機があることで、何かしら“好きになる”ことを好んでします。
好きとは興味を見出す好奇心でもあり、楽しく嬉しく喜ぶ=満足や納得=自分にとっての利益があることです。
趣味でも仕事でも好きなことをする際には“行為”が必要ですので、“自分を喜ばすため”という目的を持って行動します。
そのため、行為する際には目的が必要です。さらに、目的を持つためには動機が必要で、それが自分を喜ばそうとする敬いです。
「自分のために喜ぶぞ」という動機にて好きなことをする目的を持って行動するという流れです。
この動機、「喜ばそう」と思っていなければ見出せません。
言い方を変えると、「喜ばせて」と思っていても出てきません。
この動機を“意志”とも言います。
意志は自らを喜ばそうとする自分の源であり敬いの基です。
意志があることで好きなことをしようとします。見つけようとはしません。
好きなことを見つけようとすることは、喜びたいのではなく喜ばせて欲しい状態です。
それが自らを支配する、「こうあるべきだ」「こういうものだ」「好きなことをしないと」「好きなことをするのが良いに決まっている」というルール設定による喜び探しです。
ルールを設けて縛ることで、「本当に好きなことをしたいのか?」「なんのために好きなことをしたいのか?」「好きなことって何なのか?」がわからなくなり、好きなことを求める動機がなくなります。
※楽しいことがわからない話は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をご覧ください。

自分の好きなことを知る

好きなことがわからない時に大切なこと
好きなことは自分を喜ばそうとする意志によって見出されます。
好きなことがわからない状態で見つけようとすると、好きなことをする行為にて喜びをもらおうとする思考が含まれます。
喜びをもらうために好きなことを見つけても、それは好きなことを求めていない。
わかりにくいので要約します。
好きなことは自分を喜ばせる敬いによって認識されることなので、自分の内側にしかないということです。
自らを喜ばせる意志が目の前の行為を好きなことにする
喜ばせてもらえる行為だから好きなことになる
意志によって喜びを見出せるから好きになるので、探すのは自分の外側ではなく内側になります。
それはまるで自分探しの旅のよう。
見つける行動は重要ではありません。見つけようとする行動にある意志を知ることが重要です。
好きなことがわからない時に大切なことは、喜びを求める意志を見出すことです。
好きなことを見つける場合には、喜ぶ意志があるのか、喜ばせて欲しい思考があるのかを自覚する必要があります。
『自分を喜ばしたいと思っているのかどうか?』
まるで客観視しているように観て、どう思うかです。
何のために好きなことをしたいの?
「自分を喜ばすため」
これ以外の答えを私は知りません。
この質問が明確であれば、転職したり適職を見つけたり、趣味を見つけるためにさまざまに試してみたり、行動し続けることで好きなことを見つけることができます。
しかし、質問の答えが曖昧であれば動機と目的がうやむやになってしまうので、好きなことを見つけるのは宝くじのような話になります。当たればラッキー。
好きなことがわからない現状があれば、“見つける”のではなく“知る”ことが方法です。
好きなことを知るためには、好きなことをしたい真意を確認することが先決です。
そのために、支配となるルールの呪縛を手放し、自らを敬うことが大切です。
言い方を変えると、好きなことを見つける場合、そんな自分(思考)はブン投げちゃう。もうピョーンと放り投げる。
好きなことを本当に求めているのか不明確な自分(思考)に、一旦どいてもらいましょう。
※本当の自分がわからない時は、本当の自分がわからない時のより大切な話│一つの彷徨いは無限への始まり をご覧ください。

好きなことを求める自分を探す
自分探しを始めましょう。
場所や環境など外部を変えることでの探し方ではなく、内側を探索します。
いつでもどこでもできます。
方法は、自らに嘘をつくことの自覚です。
他者に嘘をつくことは何の問題もありません。しかし、自分に嘘をつくと“好きなことをして自らを喜ばしたい自分”をロッカーに押し込めて見つからないようにします。
それが思考、嘘を作る工場です。一旦どいてもらうやつです。
哲学やスピリチュアルな認識では、自分は一人である状態から分散されて増殖するかのように増えていきます。
心理学では自己一致とも言います。
現実を認めず拒否する、または思い込みや決め付けにて事実を湾曲させる。そこには自己支配や嘘があり、敬いが消えます。
自己支配の根底には、他者の意見や常識に従い自分を押し潰したことへの反発や恐怖が潜み、嘘をつく原因になります。
自分に嘘をつくことで一人しかいなかった“自我”が分散し、“我”を作ります。真意と認識に相違があり、現実を認めないことで何人にもポコポコ増えていきます。
例えば、自分のやりたいことが中学生の時にありました。
しかし家庭の事情でできなくなり、「まぁ仕方ないよね、ははは」と笑顔で言っていたとしても真意に納得がなければ自分に嘘をついてしまい、本当は仕方ないと思っていない自分が生まれます。
このように分散していくことで、最初に居た自分がわからなくなります。
自らに喜びを与えるために好きなことをしたいと思っている唯一は、最初の一人目です。
何人居ても良いんです。それが人間性であり性格であり個性を彩ります。ただ、初めの一人をちゃんと認識していることが大切です。
そのための方法が自分に嘘をつくことの自覚です。嘘つく事実を誤魔化さずにそのままのリアルにすることです。
【好きなことを見つける=自分を喜ばしたい意志を見つける】です。
※やりたいことがわからないことを知ると理解が深まりますので、やりたいことがない、けどやりたくないことはある場合に知っておきたいこと をご覧ください。

自分の好きなものを知る方法
好きなことは見つけるのは外側ではなく内側であることから、好きなものを知ること、または思い出すことがとっても重要です。
自分探しにて自我である最初の一人が見つかれば、何をしても好きなことになります。
自らを喜ばせたい意志はまるで宝物を見つけたようにポカッと光り、何をしても目の前のことが好きになります。
例えば、ご飯を食べているのは紛れもなく自らを喜ばせるためであり、毎日恒例の好きなことです。
“好きなこと”とは目の前のことをどのように自らの喜びに繋げるかの“創造”でもあることがわかります。
意志が見えなければそのように認識するのは困難ですが、好きなことがわからないことで、そのため、意志が見つかればこっちのものです。
意志は支配を取り払い、敬いを持つことで見えてきますので、上述の嘘の自覚を一つ一つしていくことが大切ですが、その際に過去に遡ることで最初の一人に近付いていきます。
最初の一人とは誰しも赤ん坊の時です。
嘘を自覚しながら過去の記憶に一つずつ遡って思い出すことで、自分の好きなことを知ることができます。
子供の時に好きだったことを思い出す
自分の好きなことは子供時代の自分が良く知っています。
- 雲を見て何の形か考えてストーリを物語ること。
- ダンゴ虫を机の上に置いて、ミニカーと一緒に並走。
- パキュパキュ言う靴を履いて、「うるせー」と叫んで笑う。
- 立ちしょんでどれだけ飛ばせるか遊び。
- 食べている際の口内音にてコンサートを開く創造。
無限に出てくるかもしれません。
ご自身の当時を思い出してみてください。
大切なことは何を好きだと思っているかではなく、どうでもいいことを喜んで好きになっている自分を知ることです。
当時好きだったことを今やっても、「これのどこが好きだったんだろう?」と好きになれないと思います。
子供の頃は何が好きかではなく、する行為を“好きにしている”ことに気付きます。
自らの敬いであり、支配のない様であり、創造性です。
ルール設定による観念化がない状態では、敬いの気持ち次第で本当に何でも好きなことになります。
何でも好きになれる中でより喜べるものを好きになって、何度も行為するのが子供です。
過去、自分の分散が少ない頃の認識を思い出すことで、好きなことがわからない時に大切なことを実感できると思います。
悩みの意味を知る
自分の好きなことを知るためには、「好きなことって何だろう?」と悩んでいること自体を知る方法があります。
何か悩みを抱える際、私達には共通の事が起きています。
それは、悩みにて現状に不満足を作ること。
そして、現状に満足を求めることです。
これらは、[現状否定+満足を求める欲]を意味します。
悩みとは自分の利益を求めて渦巻く欲望の中で、自ら答えが出せないことで不満足を継続している状態です。
この状態、好きになることと似ています。
好きかどうかは自分をどれほど喜ばしたいかの意志が決めますので、その意志が強ければ強いほどに好きなものもことも、好きな人も何もかもが多く、欲が強いことを表します。
これぞ人間の基本原理と言わんばかりに自らの利益を求めて止まない欲欲欲。
言い方はあれですがこれこそが私達人間であり、欲があることは好きの意味を明確に把握する勉強会のようなものと捉えられます。
悩みとはどれほど自分に欲があるかを知り、どんな種類の欲が強いのかを理解することで解決に繋がります。
自分の好きなことを知ることも、どれほど自分に欲があり、どんな欲を持っているかを理解することで分析することができます。
※悩みの詳細に大事なことをまとめていますので、悩みを解決する方法で正体が見える│紐解くとわかる解決しない案?をご覧ください。

自分の好きなことを知るポイント
最後に好きなことがわからない時の、自分の好きなことを知るポイントをお伝えして終了します。
上述の悩みのように、欲を知る=好きなことを分析できるのですが、それは欲を知る=自分を知ることを意味します。
好きかどうかは意志を見出すことでいくらでも子供のように作り出せますので、自分を喜ばせたい意志=敬いを持つ自分を知ることが最も大切なことです。
そのために自分探しや、さまざまな新しいことに挑戦したり、行動して経験することが大切になり、行動を継続することで見えてくるものが必ずあります。
自分がわからない状態で行動しても、「一体先のこともわからず何をしているんだ?」と泥沼にはまる彷徨いがあり得ます。
私がそうでしたので、「ここは注意して」と強く言いたい。
良かれと思って行動を続けても、「あれ、どうした?」と目的見失いになってしまう、時すでに遅しなので、行動する際には一つ事前理解をしておきましょう。
そこで、自分の中で大切な核を一つでも把握することで、意志を見つけることや行動にて経験を増やすことに道標を作れます(彷徨い防止)。
方法は、自分が外向的か内向的かのどちらかを知ることです。
外向性は刺激を好む、内向性は癒しを好む
私達には外向性と内向性という性質があり、人間性があります。
外向性と内向性
- 外向的な人は、社交的で他者との関わりを好み、人と人の関わりを好きになる傾向がある。
- 内向的な人は、自らの心や精神の内側へ向かう意識に関心が強く、自分を掘り下げて知ることを好み、一人の時間を好きになる傾向がある。
外向的な人は他者との関わりにて自分を見出す傾向があり、肯定として評価や認められることに興味があり、欲も他者との関わりにて見出せるものを強く持ちます。
大きな特徴としては“外部刺激”を求めることです。パーティーが良い例ですが、楽しい時間が好きで、新しいことへの刺激や興奮、サプライズや衝撃や反応に喜びます。
その反面、内向的な人は一人で自分の内側を探求することに欲を持ち、肯定以上に自らを受け入れる受容を求めます。
まるで脳内や心の中を観るように目を瞑り、自らのやりたいことを独自で創造したり掘り下げることに欲を強く持ちます。
大きな特徴としては“癒し”を求めることです。リラックスやゆったりした時間を好み、一人、または同じように内向的な人同士の深い会話や創造に喜びます。
両者の特徴から、“刺激”か“癒し”か。
どちらを求めるタイプかを明確にすることで、自分の好きなことや欲を知る一助となり、好きなことを見つける際の手助けや、行動する際の道標となります。
※自分がわからない際の話もありますので、自分がわからないこそのスピリチュアルな意味|本当の自分を見つける機会 をご覧ください。

好きなことがわからない まとめ

好きなことがわからない時は、好きなことを見つけようとする自分を一旦置いておきましょう。
そして、自らの意志や内側を探すことで、自分の好きなことを知る手がかりを得られてください。
傾向や性質や悩みから欲を知り、過去を思い出すことでより自分を知り、好きなこととは何なのかの理解と共に、目の前のことを好きなことにすることができます。
あらゆる行動や経験は大切ですが、そこで大切なことは行動する意志を認識することです。
私は訳も分からず突っ走ったことで露頭に彷徨うこととなりましたが、その甲斐あって遠回りを知りました。
そんな遠回りは別名“遠回り”。
そのまんまの時間消費。良いように言って、誰かのためになればいいなという経験。
ぜひ彷徨わないために、ここでの内容を利用していただければと祈ります。
悩むことにも意味があり、見えるヒントがあります。あらゆることに意味がありますので、ぜひ現状から見える気付きや理解を得ながら、喜びのある素敵な時間を過ごされてください。
それでは、ありがとうございました。