何にも興味・関心がないのは悪いこと?良いこと?
「どっちでもないけど必要」という理解がここにあります。
興味がわかない理由には、人間味だけではない人生のめんどくささがあり、“他”の物や人や事からの影響に対する、「…それってどういうこと?」という理解不能なワンシーンが挟まれていることをご存じでしょうか?
ここでは、物事に興味が持てない理由にある心理と意味、そして特徴をお伝えします。
興味が持てない無関心な様にある紐解きとして、真意や認識を知る一助であることを願います。
“無関心の大切さ”を知る時間を始めましょう。
Contents
物事に興味が持てない

物事に興味が持てない理由
早速答えです。
興味が持てない、わかない、無関心の理由。
情報の取捨選択にてフィルターをかけることが理由です。
ここに人間の正直な姿があります。
自分にとって必要のないものを省くためにフィルターをかけて選択し、必要の有るもの以外は興味が持てなくなります。
なぜならば、「必要ない」と既に決定したからです。
物事を経験する前から必要有無を決めていることで興味が持てない
「それ要らない」と思ってしまえば、手に入れようとはしません。
その際、多くの人は経験してから判断します。
「このオモチャ、見た目つまらなそうだよな…でも以外に楽しいかも」と判断材料がない未経験状態では興味の有無はまだわかりません。
実際に触って、使用して、遊んで。
楽しければより興味を持って好奇心を深めようとします。
「それはマジでつまらないから本気で要らないぜ」と友達に教えてもらい、信用度が高ければそれが判断材料になり、「じゃあ要らないな」となる人もいます。
何かしら、自分にとって優先度の高い材料を基に判断して決めます。
物事に興味がわかず無関心の人は、経験せずとも判断します。判断材料は己の認識です。
見て、「それ要らねぇ」
聞いて、「つまらなそう、無用」以上。
考える余地もなく一瞬で判断し、興味という次の段階へ進まないことで興味も関心もありません。
その理由には、自分への絶対的な信頼があります。
興味が持てない人は自分の認識に信頼がある
瞬間で判断できるのは自分を信じているからです。
信頼があり、自信があります。
言い方を変えると、自分の認識に責任を持ちます。
そのため、興味が持てない人は、興味が持てず無関心なことを気にしません。
持たないと言う方がしっくりくるかもしれません。
自分が出した答えによって興味・関心がないので、持てないのではなく自分を疑う概念がありません。見て、感じて、考えて、想って、知って、判断して、評価してのあらゆる認知による認識は自分の情報なので、疑う余地もありません。
しかし、その人間性や個性は、大衆的で誰しもが同じようになろうとする世界では目立ち、浮き、嫌われ、妬まれます。
「ねぇねぇ、こっち来いよ」と。
「同じテーブルで一緒に飲もうよ」と。
「は?なんで?」
「一緒の方が楽しいじゃん」
「は?それ答えじゃないよ、だからなんで?」
もう必要ないと判断しているから興味も関心もない。一緒に飲むことにも、あなた達の顔を見ることも、話すことも。だからこれ以上の時間は無駄になる、「なんで?」と同じことを三回も言わせるなんて自分がかわいそうだ。
情報の取捨選択を明確にしないと、自分を疲弊させて拷問を課すように苦しみを与えます。
他からの影響と情報に渦巻く社会では、自らを大切にする防衛と喜びを与える選択と判断はとても重要です。
このような真意、正直、素直さはあまり今の時代には好かれません。ここ何百年か好かれていないかもしれません。
興味・関心が持てないことを気にしませんが、他者から干渉に強要に否定されれば、嫌でも気にするようになります。
絶対的な信頼と自信は周囲から嫌われ、興味が持てないことを気にするようになりますが、本当は気にしていません。真意を確認しましょう。
興味を持たないのは他者によって喜びを見出そうとしないから
これまでの内容から、必要ないと直ぐに決めてしまうから興味が持てないことはわかりますが、どうしてそんなに直ぐに決めてしまうのか不思議なものです。
その答えには、興味を持てない人間性が関わります。
喜びは自ら作るタイプだからです。
興味を持てない人は喜びを自らが作り出す意識が強いため、“他”である物や人や事によって喜びを与えてもらおうとしません。
自力に従い、他力は無用というタイプです。これは嫌われます。
私は全く物事に興味なく、無関心です。
「人をゴミのように見る目をしているね」と言われますが、そんな風に見てはいません。興味がないだけで、ゴミのようにも神のようにも見ないだけです。えぇ、嫌われます。
でも良いんです。
物事に興味が持てない人は持たない人です。喜びは自ら作り発し楽しみます。
他という物事や人に興味がない場合、無理に興味を持つ必要はありません。
興味を持てない心理と仕組み
本主旨の興味を持てない人とは、興味を持たない人であり、興味を持たなければならないと思わせられる他からの影響がある人のことです。
興味を持てないと思うか、持たないと思うかは大きく認識を変え、考え方も見方も変えます。
興味とは、好奇心や喜びを自らに与えることに対して抱きます。
興味のメカニズムが心理的に存在しますので、どうして興味が持てないかを紐解くヒントが潜みます。
興味を持ち始める状況的興味
喜ぶことを欲しなければ興味を持つことはありません。
うつなどの神経症ですと、自らに喜びを与える気力がないために興味がわかず無関心になる兆候があります。
その状態とは全く異なるのが、ここでお伝えしている興味が持てない人です。
喜ぶことを欲しますので興味を持ちます。にも拘わらず興味が持てないのは、興味の仕組みを吹っ飛ばした認識を持つためです。
興味の仕組みや心理には、状況的興味という外部からの影響にて興味・関心の一歩目となる理解があります。
テレビを観て楽しんだり、おもちゃやお菓子にウキウキし、他者と関わり、自分の肉体感覚を他からの影響にて感じと、外側からの情報や刺激から興味というゾーンへ入っていきます。
そこに好奇心があれば興味ゾーンへ一気に入りますが、なくても少ない関心を基に経験して認識する情報を増やしていきます。
前評価を基に映画を観始めるようなイメージです。
そして、経験を伴うことでよりゾーンの深くへ入っていきます。
興味を掘り下げて自分のものにする個人的興味
状況的興味から自分の内側へ向かい、思考や感情を経験にて見出すことで、より興味を自らが作るように幅を広げていきます。
より自分寄りの興味となり、喜びとなる満足や納得や利益を得ることにフォーカスして、自分だけの喜びを作るようになります。
自分を掘り下げることや自分を知ることに向かっていき、外部からの情報を創造や変化にて楽しみながら喜びを作るゾーンです。
さらに奥へ向かうと、心の想いを使用したり、潜在意識などの無意識で無可視な認識を含めて掘り下げ、一つのことを全く別ものに捉えるようにもなります。
映画を観て、途中からストーリの展開を自分で読んだり、もはや創り出して楽しむ状態です。
これが芸術家や哲学者や心理学者、アーティストや研究家などの、掘り下げを楽しむ人達です。
物事に興味が持てない人は個人的興味がある
物事に興味が持てない場合、“状況的興味”をすっ飛ばします。
外部情報による好奇心=他によって喜ぼうとする意志がなく、自分を主体にしているために、自分で喜びを作る意志が絶対的な信頼と自信からあります。
そのため興味の始まりは、いきなり個人的興味となります。
物事の掘り下げや世界を描写し、照合してより自分の世界を知ることに楽しむところがあります。
仕事としては、アーティスト、芸術家、デザイナー、建築家、哲学者、探偵、作家、脚本家、Youtuber、占い師、セラピストなど、物事を掘り下げて自分の世界を価値にする業種が合います。
※他人に興味がない人の良し悪し話は、他人に興味がないのは良い?悪い?│どっちでもいい大切な話 をご覧ください。
無関心な人の特徴
無関心な人の特徴
興味が持てない理由が見えやすくなりますので、順番にご覧ください。
1、物事を認識した瞬間に必要有無を判断する
物事の認識から判断までの時間が凄まじく早い特徴があります。
「はい、要る」
「はい、要らない」
社長タイプです。
要る、要らないという判断なので冷酷に見られることもありますが、本人にそういった意思はありません。
2、周囲から誤解されまくる
「もう何でもいいよ」と思うほど誰も理解しません。
いちいち反応するのも面倒なほど誤解され続けてきたので、気にして自分の見られ方を正そうとすることにも興味がなくなります。
自分が他者をわからないように、他者も自分をわかるはずはない理解もあり、気に留めることでもなくなります。
3、自分で喜びを作ることに興味がある
教科書を自分なりの見方で使用するので、落書きだらけ、というのは冗談ですが、書かれたものをそのまま鵜呑みにはしません。
喜びを与えられることに喜びがなく、喜びを作ることに喜びがあります。
そのため、クリエイティブなことや、一つのことに取り組んで詳細の紐解きや世界を広げていく探求や洞察に優れています。
不思議の国のアリスのようで、ドアを開けば世界がどんどん広がることに嬉しくなり、興味がわきます。
4、良い・悪いの判断がない
無関心な人は要る要らないの判断ですが、そこには良いも悪いもありません。
「要らないからダメー」
「要るから価値があるー」などの固定観念がなく、常識やルールに縛り付けられる認識を持ちません。
物事を客観的に捉える目線を持ち、適格に必要有無を判断しますが、そこで人を評価・判断して上下左右の見方を変える差別に興味がありません。
「良いも悪いもどっちでもいい」という具合です。
5、自分に嘘をつかない正直者
物事に興味を持てないと思う理由の一つです。
疑いの認識がないために自分に嘘をつかず、他者から押さえつけられて強制されることで、気にしなかったことも気にするようになります。
本人の認識にて気にしているわけではないので、反発の如く強く気にすることに心理が顕著に表れます。
正直が故の人間性が他によって作られる素直さを持ち、人から好かれることと嫌われることが極端になる傾向があります。
6、一点集中型、能力値“高”
集中力がとても高い特徴があります。
後述しますが、無関心になることには本人のためになる理由があり、一つのことに集中することで自分らしさを出し、能力や才能発揮に花開きます。
別人になるようにゾーンに入り、見えないドアにて別空間に行っていたかの如く帰ってきます。
ゲーム的に言うと、能力値が高い人です。
必ず何か得意なことを持つ特徴の人です。ない場合には気付きがあればわかります。
7、感性もあるが理論的で考えることが好き
無関心な人は理論を用いた思考派タイプです。
感性が豊かですが、思考も兼ね備えていることに特異な特徴があります。
ですが、思考を多用することに長けておらず、喜び作りや楽しみとして思考することは好きですが、嫌なことであればどうでもよくなり考えもしない一面があります。
ボケーっと川や人込みを見ながら楽しむタイプで、人間観察ではなく洞察が好きな掘り下げ者、宝探ししているように認識します。
8、死んだ目をしている状態が気楽
力が入っていない状態になることが多いです。
全身というよりも“認識”に力が入っておらず、目は死んだように( ゚ ρ ゚ )ボー。
この状態は実は能力の一つでして、感覚や感性を生み出す技的なものだったりします。
本来は思考的であるために感覚や感性優位ではないにも拘わらず、ボーの力で認識の幅を広げ、無気力状態に心地良さのような気楽な感覚があり、気付くとなっています。
ここに、無関心で物事に興味が持てない良い意味が潜みます。
9、人の上に立つポジションが適役
部下として指示されることで能力が一切出せなくなります。
そのため、無関心な人は状況や状態をしっかり見て仕事をして、人と関わる必要があります。
自らが起業して発信する立場が最も適役で、管理職は合いません。
そのため、個人経営者として物事を始めることで一生懸命取り組めます。
人と関わったとしても社長などの上のポジションであれば、人を良い悪いで評価・判断せずに理論的で客観的に物事を見ることでの良き結果を作ります。
極端ですが、独りで仕事するか、社長として経営するかが合っている人の特徴です。
物事に興味が持てない人の特徴 一覧
特徴の一覧です。
- 物事を認識した瞬間に必要有無を判断する
- 周囲から誤解されまくる
- 自分で喜びを作ることに興味がある
- 良い・悪いの判断がない
- 自分に嘘をつかない正直者
- 一点集中型、能力値“高”
- 感性もあるが理論的で考えることが好き
- 死んだ目をしている状態が気楽
- 人の上に立つポジションが適役
※他人に興味がない人の特徴は、他人に興味がない人の特徴は普通|正体は冷たいか優しいか をご覧ください。

物事に興味が持てない意味と良さ

物事に興味が持てない線引き
興味が持てない無関心な状態は、興味が持てないのか持たないのかの違いが明確にあります。
医学的なことの詳細は私にはわかりませんが、うつ病や統合失調症などの神経症による無関心や、パーキンソン病の症状にある無関心など、まったく異なる病気に似たような外観があります。
パーキンソン病は、肉体に表れる筋肉のけいれんや硬直などの症状とは別に、精神的な無関心や興味のなさなどの症状があります。
ここでお伝えしていることはパーキンソン病のことではありませんが似通っているところがあります。しかし、うつなどの神経症との明らかな無関心の意味の違いがあります。
それは、エゴかネガティブかです。
※シゾイドパーソナリティ障害と言われる無関心・無感情、社会関与への無気力の症状も似ていますが、上記の症状群とはさらに全く理解が違いますのでここでは触れません。
神経症の無関心はエゴによるネガティブな状態
自分の経験を基にするしか方法がないので私の理解を材料にすると、神経症の無関心はエゴにて自分を見失った状態です。
空虚・虚無にて、自分の価値や存在意義が見出せなくなったことで、自己防衛としてネガティブな思いを使用し、「死にたい」などとなります。
ネガティブな思いがなくなると完全な空虚となり、生きている意味が見出せず対処が自分ではできなくなります。
その前提に、自分の存在を他者と比較して区別して見出そうとする認識があり、それをエゴと言います。
エゴによって自分の喜びを求める動機がなくなり、無関心になります。
※エゴの詳細は、エゴが強いとはどんな感じ?│状態と特徴からわかる邪魔で大切な自分をご覧ください。
興味を持たない無関心はネガティブが自分らしい本意
興味を持てない=持たないことで無関心の場合は、「死にたい」とは思いません。
喜びを作ることには興味があり、自分のことをありありと認識して確立しているので、エゴの対処によるネガティブではありません。
無関心であることは元々の気質や性質がネガティブよりの人間性があり、それが自分らしい本意という意味があります。
無気力で目に力が入らないのは、その状態が気楽で好ましいからしますので、うつ病などの神経症とは明らかな違いがあります。
ネガティブであることに良いも悪いもなく、陰と陽は共にあることで一つになるものですので、無関心な人はネガティブな状態が自分らしさそのものです。
そこで、他から色々言われて否定にて攻撃されることで、強引にポジティブになろうとする=自分らしさを壊そうとして苦しくなります。
無関心であれば、「自分は陰系なんだな」と理解する、そういう捉え方もあります。
※陰系と陽系の大切さがありますので、やりたいことがない、けどやりたくないことはある場合に知っておきたいこと をご覧ください。
物事に興味が持てないお得感
最後に興味が持てないことの利点をお伝えして終了します。
利点の最も大きな要因は、必要有無の取捨選択が非常に早いことです。
これは、自分を喜ばすことに一点集中するための方法であり、技法です。
私達人間は思考の発達により認識幅が広がり理解力が高まり、取得する情報が多くなると同時に物事の判断が遅くなり、認識の核が薄くなり自分という存在が希薄にもなります。
その瞬間に刀でズバッ、ブシュー。
「くぅぅー、来世で待ってろよー、復讐なりー」と人生終わり。
とまぁこんな時代ではありませんが、判断が遅く、自分の認識が薄くなることで喜びを得ることが減ります。
物事に興味が持てず無関心であることは、自分にとっての必要有無=それが喜びになるかどうかを瞬時に判断する能力を意味します。
言い方は能力でも認識でも人間性でも何でもいいですが、無駄で不要な時間を割くことに意味があるのはそれに利益がある人だけです。その人にとっては無駄でも不要でもありません。
しかし、無駄で不要だと思えば本人にとっての事実ですので、興味をあえて持とうとする必要はありません。
ただの無駄の削減ですので、興味が持てない無関心は自分のためになります。
ですが、「必要ない必要ない」と削減だけしていても喜びがありませんので、物事に興味が持てない意味が成り立ちません。
そこで発動、( ゚ ρ ゚ )ボー。
一点集中を使えます。
興味が持てない時は自分で喜びを作る
状況的興味がないので、初めから個人的興味に向かいます。
段階など要りません。自分で喜びを作れればそれが最高に楽しく嬉しい満足になります。
無関心な陰系は思考的であるために掘り下げや紐解きが得意で、無気力な様に気楽さがあります。
無気力はトランス状態を作り、潜在意識とのアクセスを容易にし、無意識に持っている認識や才能を発揮する一点集中の力をもたらします。
創造性、探求力、洞察力です。
楽しみの原材料はあちらこちらにあります。何かを創り出し、探り、理解できることに無関心の良さがあり、物事に興味が持てない真意となる自分らしさが見出されます。
ボーは人を蔑む目ではありません。興味がない無気力は気楽な自分らしさにて、物事に興味が持てない意味を見出すボー。
※人への興味が持てない理解は、他人に興味がないと生きやすくなる|サイコパスでもいいじゃないという話 もご覧ください。

物事に興味が持てない まとめ
物事全てに意味があります。
他者との関わりに満足や納得があるから人々は関わります。
それは恐怖の対処に家族や集団やコミュニティを作ることと同じであり、喜びの拡大に企業やグループやユニットを作ることと同じです。
人それぞれに興味の理由があり、全ては自分の満足と納得です。
物事に興味が持てない人は認識が完全に自立しています。そのため、確立した己を持ち、自信と信頼は当たり前なのでわざわざあると思うことはなく、自らを疑い嘘をつくこともありません。
そのような人が興味を持たないのであれば持つ必要がないことを表しています。自ら喜びを作れるのであれば、恋愛する必要も結婚する必要も、人と関わる必要も趣味を増やす必要もありません。
何か一つでも楽しいことがあれば十分ではないでしょうか。誰か独りでも大切な人がいれば十分ではないでしょうか。
大切なことは気付きです。
陰系に悪いことはありません。それは陽系に悪いことはないと同じです。
自分を見つめ、再認識する機会となる内容であれば幸いです。良い時間を作っていきましょう。
それでは、最後までありがとうございました。