人生哲学

やりたいけどやりたくない心理。本当にやりたいことを知る改善話

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

やりたいことが頭に浮かび、その後の行動へ向かい、結果が作られる。

私達人間の行為・働きには、動機があり、行動へ向かい、結果が作られます。

「やりたい」と動機があるにもかかわらず、「やりたくない」と行動へ向かわないことがあります。

一体どうしてなのか?

ここでは、やりたいけどやりたくない原因と、真相に潜む心理をお伝えします。

  • やりたいけどやりたくないのはなぜ?
  • 心理にある重要な核とは?
  • 本当にやりたいこととは一体何?

やりたいけどやりたくないという相反する状態には、「本当にやりたいことって何なんだろう?」の真意があると、私は体験から理解しています。

心理にて見出される改善策が、自らの動き出しを作る一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

やりたいけどやりたくないのはなぜ?

やりたいけどやりたくない原因

「今日は家の大掃除をするぞ」
「副業を本格的に始めるぞ」
「語学勉強に励むぞ」


気づけばYoutube観てる、なんてことがあるかもしれません。

私達人間は行動する際、初めに動機を持ちます。

ご飯を食べる時には食べる意味や理由があり、目的になり動機となります。

動機があればあるほどに、「やりたい」という気持ちになります。

その後に行動という行程に入ります。

行動したら結果が生まれ、「行為や働き」として一連の出来事になります。

やりたいけどやりたくない時、動機はあるけど行動へ向かわない、または完結しないという状態になります。

ここで一つ、「その動機は本当に目的がありますか?」ということが考えられそうです。

 

動機が明確であれば自然と行動へ向かう

ご飯を食べる、仕事をする、趣味や友人との会話、飲み会などなど、実際に行動できていることを確認してみると、動機が明確だと思います。

明確と言ってもご飯を食べるように、お腹が空いたら何か食べるのが当たり前になっているかもしれないので、わざわざ自覚はしない無意識な事柄もあると思います。

動機が明確だと、目的が明確です。

「なんのためにそれをするの?」に対する自分の答えが自覚できます。

これが明確ではない場合、やりたいはずなのに行動できず、やりたくないという認識になってしまうと考えられます。

すると、「本当にやりたいことなの?」という疑問が出て来ます。

 

本当にやりたいことではないかもしれない

行動するためには、人間のあらゆる肉体機能を駆使して稼働する必要があります。

何気なく動いたり考えたりしていますが、実際には大きなロボットがガシャン!ガシャン!と行動するように、たくさんのエネルギーを消費し、筋肉を使い、細胞が死に、生まれ、血が流れ、リンパが循環し、と多くのものが働きまくります。

このことは病気になったり、筋肉がなくなったり、エネルギーがなくなるとはっきりわかり、行動するためには大きな動機を要し、行動する意味や理由がわかる目的がないと難しかったりします。

現状行動していることは、自覚していなくても大きな目的がちゃんとあり、したいからしており、嫌々でもすることで受ける恩恵や利益などがあり、行動を優先する選択をしています。

「働きたくないけどお金がないと生活できないから」というのは、実際には働かない以上に働くことを優先するほど明確な目的があり、大きな動機があるというイメージです。

やりたいけどやりたくない場合、行動しないことを優先する状態ですので、動機が肉体を稼働させるほどに大きなパワーがなく、本当はやりたくない可能性があります。

やりたくない理由は一つです。

 

自分のためにならなければやりたくない

私達人間の行動目的はとてもシンプルに、「自分のため」が主体です。

「どの選択が自分のためになるか?」を意識的にも無意識的にも模索しながら、自分の利益となる満足や納得、または不満足や不納得のなさを得るために選択します。

自分のためになることであれば大きな動機になり、大型ロボットがバリバリ動くほどの動力になります。

やりたいことがあっても行動へ向かわない場合、自分のためになるとは内心思っておらず、誰か別の人のためになる、他者から動機を促されたなど、自分の利益にならないと知っている可能性があります。

やりたいけどやらない選択である行動しない方が、行動する疲労や不安やいざこざなどがないために、自分のためになるという状態です。

 

動機が自律か他律かによって目的の強弱が変わる

自律にて自らルールを作り、自らの意思に従い、目的を自覚して行動動機を持つ場合、行動が自分のためであると信じて疑わないので、やりたいことがあればやるのが自然なさまになります。

他律で他の情報や意見に従い、他に影響されたり反応を気にしたり、見栄えや体裁のための行動の場合、目的が自分のためではなく、「他によって認めてもらえる自分のため」と少し複雑になります。

「ん、これって自分のため?それとも他によって存在させられている自分という何かのため?」とわかりにくく、目的に違和感や不納得や疑いなどの“抵抗”が作られます。

抵抗によって行動の動力エネルギーがピューっとロボットから漏れるように流れ出てしまい、「疲労しない」「不安にならない」「嫌な気持ちにならない」「恐怖を味わわない」など、自分を護ろうとする自己防衛が優位に。

一言で言うと、ロボットが崩れないために維持する活動へ向かいます。

目的が真意ではないために弱く、「自分のため」に自己防衛を優先して、「行動しない」がやりたいことになります。

やりたくてもやらない選択が自分のためになり、行動しないという行動がやりたいことになっているという捉え方です。

※楽しいことがわからない時は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をどうぞ。

 

『自分を知りたい方へ』

自己理解は知識の習得だけでは本質になりません。
経験と実践を含めて理解がより深まるため、機会をここに提示します。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※自分を本当に変えたい方のみご活用ください。

やりたいけどやりたくない心理

やりたいけどやりたくない心理

やりたいことも、やりたくないことも、どちらも願望であり欲求です。

やりたいことが自分のためになり、やらないことが自分のためになり、「何が自分のため?」の理解に人それぞれの心理が表れます。

行動するのが自分のための人もいれば、行動しないのが自分のためになる人もいます。

行動には動力が必要で、多くのエネルギーを費やして結果を作ります。

いざ行動すればいばらの道ですので、ジャングルの中を駆け抜けるように危険があり、苦痛があり、嫌なこともあり、その反面楽しく、躍動になり、動力を増すようにエネルギー循環が起き、能力開花があり、成長があり、経験になります。

行動にはネガティブな恐怖として、味わいたくない認めたくないと思える抵抗があり、その先にポジティブな安心があります。

ポジティブを味わいたいのか、ネガティブを味わいたくないのかで、大きく「自分のため」の意味が変わります。

  • ポジティブな結果を得たい人は、行動することが自分のため
  • ネガティブな状態を得たくない人は、行動しないことが自分のため

ポジティブゲットを優先する人は、「やりたい」を選択します。

ネガティブなしを優先する人は、「やりたくない」を選択します。

両方あるのが、やりたいけどやりたくないという状態。

動機はポジティブを求めていながら、行動する際にはネガティブなしを求めるため、行動を抑制する何かがあると考えられます。

 

不安や恐怖が強いと「やりたい」以上に「やりたくない」を選択する

自信や自尊との繋がりが表れます。

自信がないと不安との関わりはネガティブなものになりやすく、恐怖という拒否したくなる自分が作られます。

恐怖が先行すると、行動した先にあるポジティブは見えずらくなり、「自分のため」に入るであろう喜びや楽しみや安心の利益確証がなくなり、目の前にあるリアルが立ちはだかります。

不安や恐怖という嫌なものがドーンと出て来て、「これならやらない方がいいかな」と、行動しないことが自分のためになる選択が起きます。

やりたいけどやりたくない心理には、不安との向き合い方が大きく関わると考えられます。

 

事前予測できない状態は不安が増すのでやらなくなる

極端な例ですが、何も考えない人であれば目の前に不安があっても度外視して、ポーンと弾き飛ばすように突っ走り、その先にあるポジティブを目指します。

しかし、不安を度外視しない場合には理論的に理屈を用いて不安と向き合い、予想・予測にて嫌なことを緩和する思考対処になります。

事前予測して、嫌なこと、味わいたくないこと、認めたくないことが出現しないように、あれをしてこれをしてと、やりたいことの道筋をスケジュール的に作るかもしれません。

不安をなくすために道を制限すると、「あれ、結局私がしたいことって何だ?」と目的が不明確になり、動力エネルギーが湧き出されなくなります。

不安対処にエネルギーを大きく消費するために、元々あった動力エネルギーが行動する前になくなり、休息してエネルギーチャージするのがやるべきことになったりもします。

頭がグルグル回るようにいろいろと考えてしまうと、目的の喪失になる動機が衰退し、エネルギーも漏れるように消費され、やりたいけどやりたくないという気持ちになります。

 

心理の核となるポイント

やりたいけどやりたくない状態や気持ちには、不安との向き合い方、ポジティブ以上にネガティブなしを求める在り方、自信が大きく関わると考えられます。

特に重要になるのが、自信です。

自信とは自分を信じることであり、自らを信じられないと不安や恐怖が目の前にある時、対処が困難になります。

「また別の機会にしよう」という動機が自分のためになり、自己防衛にて維持・保持する生存本能や、防衛本能が表れます。

せっかくのチャンスや機会も、足が一歩先に出ず、「また今度にしよう」と怠惰欲を優位にする状態にもなります。

自信のなさが行動の抵抗を作りますが、ここで何より重要なポイントは別にあります。

自信がないと、行動動機(目的)が本当に自分のためなのかがわかりにくくなることです。

 

「自分のため」である選択が否定される可能性

どんな選択でも、ポジティブでもネガティブでも、行動するもしないも、どちらも自分のためになります。

「自分のため」とは言葉通り自分のためですので、利益であり優先するべきものです。

しかし、自信がないと起きるのが、「行動しないことは自分のためではない」と思い込んでしまうことです。

自らの選択を自ら否定してしまいます。

やりたいけどやりたくない状態のトリックは、そこに何も悪いことはないのに、やらない選択をする自分を悪にしてしまう心理です。

これが他律です。

自信がないと自らの意見や価値観以上に、他の常識や社会性、他者の意見や価値観を基にする方が不安や恐怖の対処が容易になるので、他律になりやすくなります。

すると行動しないさまは世間的に低評価、あまり良いイメージはないままに自分自身を捉えます。

自らが自らを見て、感じて、考えて、判断するのではなく、他の認識で自らを判断する状態です。

より自分を信じられなくなり、悪循環に入り、行動できないジレンマが作られてしまいます。

これがここでお伝えしたい主旨です。

※好きなことがわからない時は、好きなことがわからない時│見つけようとしている自分を一旦ブン投げる をご覧ください。

 

やりたいけどやりたくない改善

やりたくない自分を自ら認識する大切さ

「やりたくない」という状態や気持ちがあり、それに対してどう判断し、選択するかは本人にしかできません。

選択結果として行動するかしないか、しないことも行動しない行動になります。

常に自らのことは自らが決めており、自分のことを常識やルールに照らしてまるで他人のように見るのではなく、「これが自分だ」と自らの内側から自分として捉えます。

良否、正否ではなく、自らを自覚してそのまま認めると、自分を信じなくする拒否をなくすことができます。

自覚が増えると自然に自らの思考や行動を自ら認識するようになり、信じる要因が自然と増えていきます。

他を主体に自らを捉えると、常識やルールを前提に自分が適合しているか、正しいか間違っているか、良いか悪いか、善か悪かという捉え方になり、信じる信じないではなく枠にはめる作業になりかねません。

やりたいけどやりたくないのは自らの選択であり、今の自分のためになっている自覚が、改善の一歩目になります。

 

本当にやりたいことを知る

真意として目的を明確にできるやりたいことを知るのが、実際に改善するための行動になります。

「本当にやりたいことは何なのか?」

これはとてもわかりにくいものですが、ここでお伝えしたい考え方は、あることをすると本当にやりたいことなんて何でもいいとわかるためのものです。

実際に何をするか、何をやりたいと思うかはどうでもよく、やりたくないと思えばそれで良く、行動するもしないも行動であり、自らの選択であると知る大切さがあります。

この改善となるのが、自分を知ることです。

 

本当にやりたいことを知る体験談

私はやりたいことがわからない人でしたので、そんな時の体験談と気づきがお役立ちできればと思います。

私は会社員としてお金と評価のために無理矢理業務を増やして働いていました。

この時、「私自身がそれをしたいからしている」とは一切思わず、何かにさせられているような気持ちでした。

自信がなく、他律そのもの、不安との向き合いが苦手で、思考過多でした。

やりたいことというのがよくわかっておらず、仕事を辞めて海外を旅するようになり、一年ほどした時に気づきます。

「やりたいことなんてない」と。

その時に、南米出身の人達と一緒に生活して仕事もしており、たくさんの影響がありました。

彼ら彼女らは“やりたいこと”を毎日して、人生を過ごしていました。

毎日笑って、楽しんで、喜ぶことしか考えておらず、何をするかでもポジティブ一辺倒になるでもなく、どういう心持ちで物事を見て、捉えて、感じて、考えて、想うかの自らの認識を大切にしていることに気づきます。

自分で自分を認識している人々でした。

※具体的なやりたいことの発見方法は、【実は簡単】本当にやりたいことがわからない時にしたい自己理解 をどうぞ。

 

やりたいもやりたくないも自分自身

やりたいこととは事柄や行為でなく認識なんだとわかった時、私は本当にやりたいこととは何かがわかりました。

自分を知ることでした。

旅自体がやりたいことであり、会社員自体がやりたいことであり、ご飯を食べたり、空気を吸ったり、生きること自体がやりたいことでした。

「やりたいけどやりたくない」というのは、あらゆるやりたいことをしている中で、行動しないという行動の一つであり、それがやりたいことだと知れるのが、自分で自分を見て・感じて・考えて・捉えて・判断しての認識です。

例えば、「新しい仕事をしたい」と思えば、目的と選択、そして行動するかしないかを自覚しているか否かが、自分を知る意味です。

やりたい気持ちも、やりたくない気持ちも、共に行動の基。始まりは他であれ何であれ、最終的には自らが決めます。

その選択を敬った時、自分を信じています。

自信が芽生えると不安との向き合いが上手になり、物事を自らの意思で捉え、自然と自律が育まれます。

自律が身に付くと他律の重要性がわかり、自律が行き過ぎて自分勝手でうぬぼれてしまわない抑制になり、自も他も、ポジティブもネガティブも両方がどれほど重要かがわかり、経験が身になります。

「やりたいけどやりたくない」と思う時、ご自身を自らが認める機会にされてみてください。

その選択自体が自分のためになっていると思えた時、自信の育みと共に、物事の捉え方は一変して改善されていきます。

そんな考え方がお役立ちできれば幸いです。

それでは、やりたいけどやりたくないお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です