悩み

【直し方は自分の手放し】自分の非を認めない、認められない。

ただでさえ自分を認めるのが難しいのに、自分の非を認めるなんて…。

喜びは認め、悲しみは?
納得は認め、不満足は?
愛は認め、恐怖は?
貰うことは認め、与えることは?

満足は認め、不満足は認められない。これは自然なさまであり、欲に忠実なさまであり、愛を持つさまでもあります。

非を認めることは難しく、認めたくない欲や目的や意識があります。

ここでは、自分の非を認められない原因と、直すための考え方をお伝えします。

  • どうして自分の非を認められないのか?
  • 本当に非を認めたいのか?
  • それでは、どうやって直すのか?

心理にて原因を捉えながら、精神を基盤にした理解にて直し方を知っていただければと思います。

直し方、それは自分を捨ててしまいましょう。というお話をご覧ください。

自分の非を認めない、認められない

自分の非を認めない原因

間違いや失敗をした時、一番初めに認識するのは、「あっ(やってしまった)」

0.数秒後にはその事実である認識をどうするかの選択が頭の中で起きます。

  • 認める
  • 認めないで逃げる
  • 嘘や涙や怒りで誤魔化す
  • 人のせいにする

「あっ」と思った時に既に自分の中では認めています。しかし、その後の選択で認めた事実を承認するか、もみ消すかをします。

非を認めない場合、自分が一度認めた認識を誤魔化す行為が起きます。

自分の非を認めないとは、自らに対して自らが誤魔化すことを意味し、自分を認めない上で非を認めないという内部の動きがあります。

 

「非」を認めるか否か=自分の価値の上下を作るというルール

「あっ」とは自分自身そのものであり、自らの基盤である価値観、観念、人間性にて認識した「あっ」です。

非を自分の中で認めたにもかかわらず、外側での他者との関わりでは認めたくないために、「私の間違いではありません、相手がいけないのです、相手から始めました」とプライドや見栄や防衛意識が表れます。

  • プライド
  • 見栄
  • 防衛意識

これらに共通するのは、自らを否定したくない、穢したくない、傷付けたくないという自分を護る思考です。

護るために自らの評価を下げない、価値を下げない、存在意義を穢さないように働きます。

「非」が自己価値を下げる種だと認めている価値観や観念の自己ルールがあると、「非を認めないことが自分を護るための方法」になります。

自分を護ることは一度認めた認識を誤魔化さない在り方以上に、自らを誤魔化して価値を下げない自己ルール順守を優先します。

【自分を誤魔化さない or 自分の価値を保守】の選択です。

「どうして自分の価値を保守する方を優先するのか?」に非を認めない原因があります。

 

自尊心を護るために自尊を思考で作った

「劣、下、負け、間違い、失敗」
これらの「非」は自分の価値を下げる種です。

全て他人がいなければ起きない価値観でありルール。
「非」が価値を下げるのは、他によって価値を下げられると思っている自己ルールに基づきます。これを観念と言います。

自らの価値や存在そのものを穢されないための防衛であり保守意識は、自尊を大切にするための自己愛です。

しかし、ここで言う「自尊」とは自尊心とは別物です。

自尊心とは心であり愛、自らを敬い尊重する心、区分けしたり比較したりと他を介入させられず、自分にしかわからない唯一無二。

心に「非」なんてものはありません。

自分の非を認めないのは自尊心を護るのではなく、自尊という自らが思考によって作った保守意識があると考えられます。

心ではなく脳で作る自尊はルールによって構成され、必ず「他」という存在が不可欠。他によって見出される自尊という一種の思考形態です。

これをうぬぼれやプライドと言います。

非を認めない原因がうぬぼれということではありません。原因は護る対象が自尊心という自らの愛ではなく、自尊という自らの思考であることです。

思考は自分を護ろうと思えば思うほどにルールでガチガチに固め、正当化や思い込みや頑固を貫こうとし、自分を護るために非を認めないことが正になります。

 

自分の非を認めない心理

心を使用しているか、脳を使用しているか。どちらも人それぞれに大切な在り方です。

非を認めない場合には脳に偏ってルールで固め、「自らの価値を下げない=正」になり、脳で作った自尊を護るために非を認めないという、自己愛の一種の形を知っていただきました。

心理として、「自己愛」「脳の使用」がキーワードとなります。

自己愛が強く、頭の回転が速いからこそ自分の非を認めにくくなると考えることができるかもしれません。

自己愛とは自尊心であり、おそらく誰しもが持っているものだと思います。

しかし、何も知らないでこの世に生まれ、家族や周囲の人々によって価値観や観念が構築され、他の影響と干渉によって成育した私達人間は、いくらでも自尊心は周囲によって穢され、消され、抑圧させられもします。

頭が働くならばそんな攻撃を食らっても自己対処しようと思考を巡らせ、過去の記憶にあるさまざまな情報や知恵を駆使して、何とか自尊を護ろうとします。

そこである研究所を設立し、自尊心というハート型のプニュプニュに似せたものを、粘土細工でモミモミして、電波を図りながらチップを埋め込んで近いものを作り、最後は思考で「これは護るべきものだ」とルール設定することで、徹底した防衛的思考自己愛の完成。

あとは脳を信じて生きていくと、失敗や間違えた時に自分のために認めない思考が作られます。

ここにある心理は周囲を信用していないことです。

 

自分への信頼度が高く、周囲への信頼度が低い

信頼度に関わるのは自責の強さです。
※自責とは思考や行動を自ら自覚して認めること

自責の強さによって自分への信頼度が高まります。

脳が先行すると、自らの信頼度が高いと自己認知できるように主張し、あえて周囲への信頼度を低くすることも起きます。

信頼度が低いと周囲の嫌なところばかり見たり、自分の捉え方でしか物事が見れなくなります。

周囲が見えなくなって自らの信頼や自尊を護るフォーカスが強まり、非を認めず、自らの行動に対する責任がなくなるという矛盾が起きます。

本当は責任感が強く、自責にて自らを自覚できる人ですが、他からの影響が強く、思考に偏ると非を認められなくなります。

 

心理によってわかる原因は脳(思考)

心理によって非を認めない原因の中核が判明します。

脳(思考)です。

脳は大切ですが、脳に飲み込まれて牛耳られると、自責や自尊は特徴的な自己愛の形となり、自分を護ることがルールに準じた自らの主張、非を認めないことが価値を保守して自尊を貫く一種の愛になります。

非を認められない原因は脳(思考)に飲み込まれ、コントロールできていないことが考えられます。

 

自分の非を認めない時の直し方

本当に非を認めたい?

非を認めないのは認めないことに目的があり、それが一種の自己愛という内容でした。

認めないことが自分のためとなり自尊を貫ける在り方であり、現状の価値観や観念を貫き自らを変化させずに済む利益になります。

実際に非を認められない状態を直す際には必ず目的が要り、「本当に非を認めたいのか否か?」の明確な回答が重要です。

 

直したいと思うか否かは天と地ほど違う

認めないか、認められないかには大きな違いがあります。

「認められない」場合には、認めない自分を客観的に捉えているさまを表し、自らの思考と行動に自覚がある=自責が脳に飲み込まれずに本来の形になっている意味です。

非を認めない時、「本当は間違えたって知っているんだ」と心の声が聞こえる。

「いやいや相手がいけない、私の問題ですらない」と頭の声が聞こえる。

頭に牛耳られると声は批判的で否定的という特徴があります。

自らの正当化が強くなればなるほどに非を認めない度合が強まり、心の声は聞こえなくなります。

しかし、「非を認められない」「どうにかしたい」「直したい」と思う場合、脳の声を客観的に捉えられている表れとなります。

そんな方は、直し方として思い当たる考えがあればぜひご参考にされてください。

 

自分の非を認めない時の直し方:自分の手放し

直す方法は一つ、「自分の手放し」です。

自分を一旦捨てると思ってもらってかまいません。

おかしな内容ですので見極めてください。

まず「手放す」というのは、自分に対する執着や固執を解放してあげる意味です。

執着や固執をする際にあるのは、「私は私」「自分が自分」という自我です。

自我はとっても大切なものです。しかし、これが「我」になった時に非を認めなくなります。

自我であれば非を認めます。自我がなくなれば非すら存在しなくなります。

自分を手放すとは我を手放すことです。

「我」はエゴとも言います。
とは自らのことを他によって見出し、認識しようとする意識

我は手放されてもまたフラッとやってきます。それでいいんです。この繰り返しによって自我の理解を深めて自分を知っていきます。

自分が非を認めない時、必ず我になっています。

我の自分を自覚することが初めの方法です。

 

我を捉えるために大いに非を認めない

手放す我は脳で固めたルール、価値観、観念、作った自尊、自己信頼の主張などの在り方が対象です。しかし、これらは必要であるために執着して手放さないように脳がしており、我は脳内でお菓子をバリバリしながら生活しています。

手放すには日常生活にて少しずつ執着している自覚を増やし、自らが納得して手放す必要があります。

例えば、仕事で発注ミスをして50件が500件。

「言伝だったから聞こえにくかった」
「入力したはずなのに機械がおかしい」
「それぐらいあなたがやればよかったんだ」

このように非を認めない場合、我によって手放されない無自覚な自分の在り方への執着があります。

手放すには自覚が必須。自覚せずに手放しはできません。

手放すと非を認めない抵抗となるルール(脳にコントロールされた状態)がなくなり、認めない自分が明確に捉えられるようになります。

この認めない自分を自覚することが直すために大切です。

自覚しやすくするには大いに非を認めないことが望ましく、確実に自覚して、直しへ向かいましょう。

※自分を認めるのが苦しい時は、【苦しいのは心のサイン】自分を認められないのが難しい時の自己理解 をご覧ください。

 

自分の意思を持つと非を認めない我が手放される

非を認められない状態(我)は、他によって自らを見出す意識が先行し、自分の意思を持っていないさまが顕著に表れます。

自己理解による意見や情報ではなく、他の情報をそのまま記憶した状態が主体となり、我の手放しを嫌がり、意思があると思い込むこともあります。

意思がないと失敗や間違いを起こした際に、自己納得や自己対処する術が見つからず、非を認めたくても納得できる材料がないので認められなくなり、人のせいにすることも起きます。

「どうしてお客さんを怒らせたんですか?」
「いえいえ、あちらが殺生なことを言ってきたんです」

意思があると着目は、「相手がどう思っていたんだ?なにに怒ったんだ?」と相手を捉える自分になり、意思がないと着目は他のみか自分のみと極端になります。

意思を作るために、日常生活での認識を変えるのが直す方法になります。

方法は、日常生活にて他の情報を得る時、自分を主観にしないことです。

 

自分の主観を外す

日常生活ではあらゆる他の情報で埋め尽くされます。

仕事、人間関係、テレビ、本、映画、SNS、新聞、会話内容、視界情報、音、においなど、私達人間は自分以外の他の情報を受信し続けています。

自らを主張して自己愛を貫く在り方を日常的に強める要因となるため、自分が主観である当たり前に一線を引き、主観を外します。

例えば、本を読む際には自らの価値観と観念を主体に読むかもしれません。本を書いた人側の目線になって読むのが、主観を外す状態です。

または字に没頭するように読んだり、自分の世界で本を読むのではなく、本の世界に入るようにします。

テレビでもSNSでも同様に、テレビ制作側の目線で観たり、テレビの世界に入って捉える見方をします。

 

主観を外すと自分の目、頭、心で認識する意思になる

本を読んでもテレビを観てもこのブロブを読んでも、作り手の目線で見るために自分の五感を使用し、作り手の認識で読むために自分の頭を使用し、物そのものとして捉えるために自分の心を使用しという形が自然と求められます。

自らを使用して意思を持って情報取得する在り方です。

これによって起きるのが脳を自らコントロールする使い方です。

嫌でも多くの情報がある今の時代、自らの意思がないと脳は社会性や常識や他者からの見られ方など、他の影響から身を護るために思考を主張し、自らの脳に飲み込まれやすくなります。

知らぬ間に自らを主張して物事を見たり考えたり感じる認識になり、我が強まって脳がルールで固めて自分を護ろうとします。

この状態では失敗や間違いが起きた時に自らを客観的に捉える認識がなくなり、認めたいのに認められないという状態になり、罪悪感や劣等感を感じやすくしてしまいます。

自分の主観を外すと、自己ルールで固めた見方、捉え方、価値観にて認識しなくなり、「失敗した時に何がいけなかったのかな?」「どうすればよかったんだろう?」と自らの意思で考えられます。

自らが脳をコントロールしている状態です。

※自分を認める際のポイントは、自分を認めるために。潜在意識に「ある一つ」のポイント をご覧ください。

自分を認めるために。潜在意識に「ある一つ」のポイントなかなか自分を認めることができない。 「認める」という行為には、顕在的と潜在的の両方の意味があります。 「自分を認めよう」と...

 

自分の非を認める直し方 まとめ

失敗した時に自らの意思にて納得できる答えを見つけられれば、認められるようになります。

「いや、あれはあの人が邪魔してきたから失敗したんだ」と思っても、「あの人がああやって介入してくるから次回の対策にしよう」と意思があると認められ、心の自己愛があります。

非を認められない時は我が主張するため、自己愛が形を変え、脳のルールを正当化し、脳が自らを支配するために作った粘土自尊をムニムニしながら主張します。

「これが自尊だろ!あいつがいけないんだから自分を責めるなよ」と脳は言ってきます。

非を認めたら自分を責めることにはなりません。自分を認めて認識の制限をなくして広げ、意思を持って成長する機会になります。

脳は何かと納得できることをずらずらと並べてきますが、次に進むための納得や解決能力がなく、現状維持を図り自らを変えさせない思惑のみが露呈しています。

ご自身の非を認められない時は、ぜひ認めない我の自覚を増やされてください。

我を知るとわかるのが自分の意思があると思わせてないことです。意思を持ちにくい今の世の中、多くの情報がありますので主観を外し、自らを使用して理解し、情報をインプットするだけでなく自らの情報として認識されてください。

そこには自分軸というものが現れ、認めるとは自分のための行為だと明確にわかります。

我を手放し、非を認め、自らを認めます。

何が自分なのかの正体が少しずつ表れることと思います。その際の認識を楽しまれてください。

それでは、自分の非を認めない時の原因と直し方のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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