スピリチュアル

【孤独は最大の友になる】孤独を感じるスピリチュアルな仕組み

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「あぁ、なんかひとりぼっち…」

孤独を感じた時、「…辛い」と思う人もいれば、「…気楽でいいわぁ」と思う人もいます。

実際に孤独感を味わっている時、どんな気持ちなのか気になるところ。

孤独感とはなんともわかりにくいもので、実は心地良さも悪さも感じていなかったりします。

自らでしか作り出せない虚空の埋め合わせ、自由の選択。

ここでは、孤独感の正体をお伝えします。

  • 孤独を感じるスピリチュアルな理解を知りたい
  • どう活かして孤独と付き合うか考えたい

意識を紐解くためにスピリチュアルを含めてお伝えします。

私自身の孤独感を洞察した内容となっておりますので、孤独の捉え方を切り替えるご参考になれば幸いです。

孤独を感じるスピリチュアルな仕組み

孤独を感じる原因

孤独とはひとりぼっち、心が通じ合わないと認識した感覚や気持ちです。

[独り]は[一人]とは別物。

周りにどれだけ人がいても、周囲との関係性や繋がりがない気持ちや精神状態に孤独があります。

独りでいても集団でいても繋がりを認識しなければ孤独を感じます

着目は、繋がりを認識しないです。

「どうして繋がりを認識しないの?」の紐解きが、孤独を感じる原因となります。

紐解きはとてもシンプル。

他と繋がらないからです。

繋がれない、繋がり方がわからない、繋ぐ気がない、繋がりたくない。

人それぞれにどれが該当するかは違いますが、何かしら繋がらない在り方があります。

 

孤独を感じる心理

孤独は気持ちや精神面にて繋がり有無が決まります。

物理的に一緒であっても、物理現象として繋がっても、気持ちで繋がっていなければ孤独を感じます

そのため、一人でいても集団でいても、無人島にいても大都会にいても、孤独を感じる人は感じます。

他と繋がらない在り方によって孤独を感じる以上に、他と繋がらない在り方によって孤独を作るというニュアンスが事実に近いかもしれません。

この心理に潜むのは、自らと向き合いたくない気持ちです。

自分自身と繋がっていない状態。

この世で最も親愛なる存在、かつ最も身近、さらに最も知っている人間は、『自分』です。

自分と気持ちや精神で繋がっていないのは自らと向き合わない状態。

現状の自分に認めたくない何か、自己否定したい何か、大きな不安や恐怖、欲求不満や不平不満があります。

自信を持てなくなり、自己肯定感が低くなり、自己評価も低くなります。

「自分がいない」という感覚を味わいます。

これを拒否すると寂しくなり、負の要因として認めると虚しくなります。

孤独を感じる状態です。

[孤独=自分しかいない]ではなく、[孤独=自分がいない]と認識し、辛くなります。

 

孤独が辛くなるのは無知

仏教の教えには三毒、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)と言われるものがあります。

孤独を辛さにすることはこの内の痴(ち)に該当し、無知を意味します。

無知は真理への疎さを表し、事実を変形させてしまう思い込みや決め付けが大きな足かせを作ります。

「どうして孤独が辛いと認識するのは無知なのか?」の大きな理由と考えられるのは、自ら作っているのに気づかないことです。

孤独を自ら作っていると認識しないことが無知をもたらし、誰といても孤独を感じる心理を形成していきます。

 

孤独を辛くしていると気づきにくい

  • 孤独を作っている自覚がないと孤独=辛い(寂しい、虚しい)
  • 孤独を作っている自覚があると孤独=気楽

自分を認めない、向き合いたくない、自分を知っていると思い込む場合には、孤独を辛さにしながら自覚ができず、自らをルールで縛って制限しやすくなります。

縛りの最たるものが、ルール従順、社交的ないい人でなければならない縛り、親の言うことを聞くいい子でいなければならない制約、他者優先、自惚れ、我慢。

ありのままの真逆、自由がない、好き勝手できない、自分を出せない縛り。

本当はガムを食べながら、「え、ご飯作んの、だるっ、ンチャンチャ」だけど、「はいはい今作るからねーヨイショヨイショ」

縛りと制約を善きものとしていれば別ですが、嫌々であれば自分との繋がりを遠のかせ、孤独感を作ります。

自分で作っているとは気づきにくいのが孤独感。

だからこそ、孤独とは何なのかを知る大切さがあります。

なぜならば、孤独を感じる人だけが孤独とは何かを知ることができるからです。

 

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孤独感のスピリチュアル

孤独感の正体:空

心理的な捉え方では、「繋がり」「自分との向き合い」に重きを置きますが、スピリチュアルになると捉え方がブンッと変わります。

孤独感とは空、何もありません。

孤独を感じる認識をスピリチュアルに捉えると、真理に入ります。

『孤独感とは何もなく全てがある空』

そんなお話へ入りましょう。

 

孤独感の洞察内容

詳細がわかりやすくなればと思いますので、私が孤独感を洞察した内容をご覧ください。

私はよく孤独を感じます。

ふとした時に、「あぁ、ひとりぼっちって、あれだなぁ」とあいだみつをの真似をします。

田園風景を見てたそがれながらの私は、誰も来ない神社の敷地にある林の中に独りで住んでいます。

人との関わりはほとんどなく、孤独を感じるととても気楽な気持ちになります。

しかし、以前はこんなことはありませんでした

孤独とは寂しくて辛い、ひとりぼっちとは他との繋がりがない孤島ライフ、「無意味なサバイバルかよ」と声を漏らしたものです。

何が変わったのか?

孤独感を知ったのがきっかけでした

以前の私は孤独を感じるのを嫌がり、寂しさや辛さという嫌なことから逃げるため、そして逃げているとは認めたくないプライドやナルシシズム、自我主張と我欲によって誤魔化していました。

実際に孤独感を味わわず、思い込んで決め付けて距離を取る、逃避していない空想の果ての誤魔化し。

まさに自分と向き合わない状態でした。

実際に孤独と向き合ってみると、ノーコントラストの虚空な世界が広がっていました。

 

孤独感=何もない虚空な気持ち

あらゆる状況を活用して孤独感と正式に向き合ってみました。

例えば、クリスマスは独り、アラスカの森で独り、人間のいない環境で独り、バックパッカーで賑わう宿で独り、英語を話せない状態で英語しか話さない人々の中に独り…。

いざ孤独に浸ると、

私の目の前にポツンと、孤独の自分がいました。

よっ。

まるで、「よくここに来たな」と自分に言われているようでした。

「え、あなたは今孤独を味わっている私、自分自身だよね?」

「そうだよ、あれ、嘘だけどね、テヘペロ」

孤独感とは何もない虚空な気持ち、心地良くも悪くもない、真っ新で空白な感受そのものでした。

しかし、自分が感じているその虚空な気持ちに、思い込みと決め付けをした私が真っ青色を塗りだくり、辛さと悲しさと寂しさを感じるように工作していました。

孤独感には何もなかったけど、エゴが覆いかぶさっている状況。

孤独を辛さにするのはエゴの私の仕業でした。

「孤独は辛い、クリスマスで独りは寂しいはずだ!そうだろ、みんなそう言ってるし、そう言われてきたんだから!」と他と比較して自らの在り方を決める私、いわゆる自分と向き合わない私が孤独を全くの別物に仕立て上げていました。

しかし、エゴは何も悪くありません。エゴとは過去によって構成された私そのものですので、他によって作られ従っている自らの在り方です。

着目したいのは、エゴを嫌がって向き合わないがために、自ら辛さを作っているのに自覚しないように誤魔化していることでした。

 

孤独感とは真理との向き合い「何もないから何してもいい」

孤独感そのものをジーっと観察すると、まるで何もない虚空。

良いも悪いもなく、「あぁ、ひとりだなぁ」とただ何もない感覚を味わいます。

この状態、何もないからこそ簡単にコロッと寂しくなります。

「辛いのいっちょ上がり」と寿司屋で板前さんが出してくれるように。

空虚な状態を悪く印象付けて認めると、寂しさではなく虚しにもできます。

全てエゴがやります。

実際の虚空とは本当にただただ虚空なだけです。

これを知った私は、瞑想中に頻繁に起きている状態と全く同じであると気づきました。

常に虚空。

しかし、空っぽに色付けして評価付けたがる自分がいます。

ネガティブな自分は青色、寂しさや辛さに。

ポジティブな自分はオレンジ色、楽しさや好ましさに。

両方エゴ。

何もないから何かを当てはめようとしますが、本当は何も当てはめる必要すらありません。

しかし、自分と向き合わない状態では、[何もない感覚=耐え難い恐怖]と脳にプログラミングされており、[何もない感覚=自分がいない]と思い込んでしまいます。

空想や思い込みを取っ払います。

孤独感とは空っぽな感覚、何を入れても当てはめてもいい自由です。

「何もないからこそ何してもいい」

なので寂しくしても虚しくしても、辛くてもなんでもよく、それは既に自らで孤独を作った証です。

何もないからエゴが何かを当てはめてくれる。自分がいないと認識させないでくれるエゴの優しさ。自己防衛です。

エゴを当てはめなければ残るのは自由。何をしてもいい、何を感じてもいい。真っ新で何もないキャンパスに何を描いてもいい気楽です。

無知がなくなると孤独の正体は空。

空とは何もなくて全てがある、全ては自らの創造であり、向き合いで存在が決まるこの世の真理、そんなスピリチュアルな理解です。

 

要約:[孤独感=エゴを手放す選択]

孤独を感じる時、私たちは自由になっていい許可がおります。

許可とは自らへの許し、人生を始める許しであり覚悟です。

自分との向き合い、自己理解を真に深めるかどうか選択できます

自己理解の深まりは、外側ではなく内側、本質であり真意、エゴではなく愛の探求です。

孤独感はエゴを手放す選択であり、機会そのもの。

捉え方を変えると、何もかもの真っ新な現実を感じている本来の自分に戻れる状態が孤独です。

ここではっきりすることがあります。

多くの人にとって孤独とは嫌で、怖ろしく、苦しいものであること。

エゴとは社会性であり、自己防衛であり、不安や恐怖という嫌なものと向き合わずに人生を進めるアイテム、誰しもにとって重宝するもの。

自由を本当に欲する人などほとんどおらず、現実的に欲しいのは安泰や安心だったりします。

だからこそ孤独の捉え方は人によって変わり、寂しくなる人もいれば楽しくなる人もおり、闇に染まって怖ろしくなる人もパニックで壊れる人もいます。

真理とはエゴを手放した先にあります。

エゴが手放されると自意識が残り、そこには闇と光(恐怖と安心、拒否と受容)の愛があります。

日々移り変わる私達は、自らの軌道修正のために孤独感を作り、自らに感じさせます

深い意識、自分という存在の源から発されるサイン。そんなスピリチュアルなお話です。

 

最後に:孤独を感じるスピリチュアル

大切なのは孤独を知り、無知を活かすことだと思います。

私達は誰しも無知で未熟、だからこそ学び、真理に近づけます。

無知でも未熟でもないと、孤独を感じることすらありません。

あらゆる自らの向き合いを示し、深める場となる孤独感。

感覚によって創作される空間は、自らの恐怖を垣間見せながら、自分という確たるものを鎮座させます。

恐怖を受け入れた時、孤独は愛するべき自由への下地となり、お花見を楽しむピクニックシート代わり、最終的にはシートをぶん投げて地べたも最高。

そんな自由へと続きます。

気楽な自由創作の考え方を持つと、「自由になりたい時に独りになる」と、あえて孤独になる工夫もできます。

知るには経験が要ります。辛さを感じた時がまさに経験ですので、あとは経験を如何に理解に繫げるかが無知の活用。

そんなご参考になることを祈ります。

最後までありがとうございました。

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