「あぁ、なんかひとりぼっち…」
孤独を感じた時、「…辛い」と思う人もいれば、「…気楽でいいわぁ」と思う人もいます。
実際に孤独感を味わっている時、どんな気持ちなのか気になるところです?
孤独感とはなんともわかりにくいもので、心地良さも悪さも感じていなかったりします。
自らでしか作り出せない虚空の埋め合わせ、自由の選択です。
ここでは、誰といても孤独を感じる時に知りたい、孤独感の正体を見ていかれてください。
- 誰といても孤独を感じるのはなぜ?
- 孤独感のスピリチュアルな理解とは?
- 孤独感の洞察結果とはいかに?
これらを紐解き、「孤独感の鍵となるのは意識なんだ」と知っていただく内容となっております。
そのため、意識を紐解くスピリチュアルな解釈も含めてお伝えいたします。
私自身の孤独感を洞察した内容となっておりますので、何か該当するものがあれば、孤独の捉え方を切り替えるご参考になれば幸いです。
Contents
誰といても孤独を感じる心理

誰といても孤独を感じる原因
孤独とはひとりぼっち、心が通じ合わないと認識した感覚や気持ちです。
[独り]は[一人]とは別物。周りにどれだけ人がいても、周囲との関係性や繋がりがない孤立した気持ちや精神状態が独りです。
一人の場合には、「私は一人だな」と思っても周囲に人がいて、大小かかわらず何かしら繋がりを認識します。孤立した気持ちにはならないため、大きな違いがあります。
こんなことから、独りでいても集団でいても繋がりを認識しなければ孤独を感じます。
着目は、繋がりを認識しないです。
「どうして繋がりを認識しないの?」の紐解きが、誰といても孤独を感じる原因となります。
紐解きはとてもシンプルです。
他と繋がらないからです。
繋がれない、繋がり方がわからない、繋ぐ気がない、繋がりたくない。
人それぞれにどれが該当するかは違いますが、何かしら繋がらない在り方があります。
紐解いていきましょう。
誰といても孤独を感じる人の特徴9選
一人でいる時に孤独を感じる場合と、誰かと一緒にいて孤独を感じる場合、他と繋がらない在り方は共通していますが、繋がらない動機が異なります。
一人では繋がるも何も対象がいませんが、他者といる場合には対象がいるのに繋がらない状態があります。
この場合、孤独を感じる人には共通した特徴があります。
1,相互交流の概念がない
人との関わりは相手から自分で完結、自分から相手で完結。常に一方通行の特徴です。
一方通行同士のやり取りを繰り返し、コミュニケーションという名を取った関わりにはなりますが、相互交流による関わりにはならないため、利用し合いが起きます。
自分の利益を得るか、欲求を満たす目的を持った人との関わりになるため、繋がりたいとは思わなくなり、孤独を感じます。
2,自己表現をしない
自らの内側にあるものを外側に出さない特徴です。
意思や感情、価値観や観念など、自分自身が抱いて持つものを他者に伝えず、伝えるとすれば当たり障りない他の情報、他に従った意見、他に基づいた価値観になりがちです。
自分の意思がないために自己表現できない人もおり、自己表現が社会性と逸脱しているために、自分を露わにしても受け止められる人がいない場合もあります。
3,心を開かない
自ら心を開いて人と関わらない特徴です。
「相手が開いてくれればどうするか考える」というスタンスが無意識に恒常化している可能性があります。
他者への不信感があり、信用するためにまずは自らの安心を欲する潜在意識、不安や恐怖心の強さが見られます。
4,周囲の目を気にする
どう思われているか、どう判断されるかを気にかけ、他者の在り方に沿わせた自らの在り方を作る特徴です。
自らが評価・判断されている強迫観念に繋がり、他者を評価・判断する見方が当たり前になります。
5,自己肯定感が低い
自信がない特徴です。
自らを信じられない意味でもあり、自らの存在認知の方法が他者からどう思われるかの評価・判断になります。
6,想像力がある
自己肯定感は低くても自己否定しないのが孤独を感じる人の特徴です。
自己否定ではなく自己憐憫にて自らを憐れみヒロインのように存在を高め、自己評価を高めているとは思わないように高めて安心を得ようとするなど、二重工作が特徴的です。
頭を良く使い、想像力が高く、空想や妄想癖があります。
7,思い込みが強い
自己表現せずに内向的に殻にこもる傾向があり、自分だけ理解している事柄が多くなります。
外部との照らし合わせや答え合わせが少ないので信憑性はないのですが、自らにとっては理解した正解であるため、真意や現実とは違ってもそれを疑わなくなります。
「私のことは私が知っている」という思い込みをしやすい特徴です。
8,嘘が多い
特に自分に対して嘘をつくことが多く、誤魔化しを多用する特徴です。
事実や現実を捉える認識がなくなりやすく、知らぬ間に、気づかぬ内に、無意識に事を運び、流す癖になります。
不安や恐怖、嫌で認められないことがあれば、なかったかのように、見なかったかのように逃避し、気にしていることや恐れていることに目を向けないようにします。
9,エゴが強い
自分の中に別人がおり、その自分の存在がとにかく大きい特徴です。
他を気にかけて自らに不安や恐怖がもたらされないケア意識が強く、他によって自らの存在や在り方を認識する自分です。
結果的に我慢が多くなり、思い込みが強く、決め付けが増え、承認欲求が強く、いい人になったり、気を使いすぎたり、誤魔化したり、逃げたりという在り方が作られます。
以上が、誰といても孤独を感じる人の特徴でした。
※孤独を楽しむ人の特徴は、【孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと】孤独を楽しめる人の特徴と方法 をどうぞ。
誰といても孤独を感じる心理
孤独を感じる他者との繋がりのなさは、気持ちや精神面の繋がりです。
他と繋がらない在り方によって孤独を感じると言う以上に、他と繋がらない在り方によって孤独を作るというニュアンスが事実に近いかもしれません。
この心理に関わるのが、エゴを認めない自分の在り方。
自らと向き合いたくない気持ちです。
[エゴを認めない=自分を認めない]と同義ですので、自信を持てなくなり、自己肯定感が低くなり、自己評価も低くなります。
すると自責の概念が希薄化し、自ら孤独を作っているとは考えたくない心理が働きます。
特徴にあるような思い込みや誤魔化しが恒常化すると、自ら在り方を作り、結果を作っている自覚をしにくく、知らぬ間に孤独が起きるので着目を自らではなく他にしてしまいます。
さらに思い込みや決め付けによって、[エゴ=悪、ダメ、受け入れない]といったルールを作り、自らを自らで認め難くなりながらも否定はしたくないジレンマが起き、自分が何なのかわからなくなって向き合いたくても向き合えなくなります。
「自らを認めたいのに認められない、なぜならば自分の中にもう一人の自分(エゴ)がいるから。そいつは悪だから」
一体本当の悪は誰なのか?
そもそも悪は存在するのか?
あらゆることがわからなくなり、孤独を感じた時に明確なことが起きます。
「自分がいない」という感覚です。
これを拒否すると寂しくなり、負の要因として認めると虚しくなります。
[孤独=自分しかいない]ではなく、[孤独=自分がいない]と認識し、辛くなります。
孤独が辛くなるのは無知
仏教の教えには三毒、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)と言われるものがあります。
孤独を辛さにすることはこの内の痴(ち)に該当し、無知を意味します。
無知は真理への疎さを表し、事実を変形させてしまう思い込みや決め付けが大きな足かせを作ります。
「どうして孤独が辛いと認識するのは無知なのか?」の大きな理由と考えられるのは、自ら作っているのに気づかないことです。
孤独を自ら作っていると認識しないことが無知をもたらし、誰といても孤独を感じる心理を形成していきます。
孤独を辛くしていると気づけない
- 孤独を作っている自覚がないと孤独=辛い(寂しい、虚しい)
- 孤独を作っている自覚があると孤独=気楽
自分を認めない、向き合いたくない、自分を知っていると思い込む場合には、孤独を辛さにしながら自覚ができず、自らをルールで縛って制限しやすくなります。
無知を悪いと思うこともできますが、無知は知るために必ず要する前提であるため、理解に繋がる良きこととも捉えられます。
無知であれ。
孤独を感じても辛さではなく気楽さにするために、無知を活用して孤独感の深遠へ向かいましょう。
※孤独との向き合いは、孤独と向き合うと見える何か│ひとりぼっちの先に恐怖と愛と自分 をご覧ください。
孤独を感じるスピリチュアル

孤独感のスピリチュアルな理解
心理的な捉え方では、「繋がり」「自分との向き合い」に重きを置いた孤独をお伝えしましたが、スピリチュアルになると捉え方がブンッと異なります。
孤独感とは空、何もありません。
突然内容が跳ね飛びますが、孤独を感じる認識をスピリチュアルに捉えると、真理が存在します。
孤独感とは何もなくて全てがある空、それは真理というお話へ入ります。
孤独感の洞察内容
詳細がわかりやすくなれば幸いですので、私が孤独感を洞察した内容をご覧ください。
私はよく孤独を感じます。ふとした時に、「あぁ、ひとりぼっちって、あれだなぁ」とあいだみつをの真似をします。
田園風景を見てたそがれながらの私は、誰も来ない神社の敷地にある林のような森のような場所で独りで住んでいます。
かれこれ数年経ちますが、人との関わりはほとんどありません。
孤独を感じると、とても気楽な気持ちになります。
しかし、以前はこんなことはありませんでした。
孤独とは寂しくて辛い、ひとりぼっちとは他との繋がりがない孤島ライフ、「無意味なサバイバルかよ」と声を漏らしたものです。
何が変わったのか?
孤独感を知ったのがきっかけでした。
以前の私は孤独を感じるのを嫌がり、寂しさや辛さという嫌なことから逃げるため、そして逃げているとは認めたくないプライドや自己愛と言う名の自我主張と我欲のために、誤魔化して認識しないようにしていました。
実際に孤独感を味わわず、思い込んで決め付けて距離を取る、逃避していない空想の果ての誤魔化し。
まさに自分と向き合わない状態でした。
実際に孤独と向き合ってみると、ノーコントラストの虚空な世界が広がっていました。
孤独感とは何もない虚空な気持ち
孤独感と正式に向き合ってみると、「考えられないほどの絶望感だ!」と思い込んだ自分が私の目の前にポツンといました。
ポツン、よっ。
まるで、「よくここに来たな」と自分に言われているようでした。
「あなたは今、『絶望感だ!』とかなんとか思っていた私だよね」
「そうだよ、あれ、嘘だけどね、テヘペロ」
孤独感とは何もない虚空な気持ち、心地良くも悪くもない、真っ新で空白な空間そのものでした。
しかし、その虚空な気持ちにエゴの自分が真っ青色を塗りだくり、辛さや悲しさを真っ感じるように私に真っ仕向けていました。
孤独感には何もなかったけど、そこにはエゴがいて、エゴではない私がそれを観ている状況です。
孤独を辛さにするのはエゴの自分の仕業でした。
しかし、エゴは何も悪くありません。エゴとは自分自身そのものですので、自らの在り方でしかありません。
着目したいのは、エゴを嫌がって向き合わないがために、自ら辛さを作っているのに自覚しないように誤魔化していることでした。
孤独感とは何もないから何をしてもいい真理との向き合い
エゴは辛さを作りますが、それら一連を観察している自分自身は、何もない孤独感に良いも悪いも評価付けしません。
「あぁ、ひとりだなぁ」
ただ何もない虚空な感覚を味わいます。
空虚な自分を悪く印象付けて認めると、寂しさではなく虚しさを感じますが、それもエゴがやります。実際の虚空とは本当にただただ虚空なだけです。
これを知った私は、ふとした時に感じる孤独感を洞察し始め、それは瞑想中に頻繁に起きていることにも気づきます。
常に虚空。
しかし、空っぽに色付けしたがる自分がいます。
ネガティブな自分は青色、寂しさや辛さに。
ポジティブな自分はオレンジ色、楽しさや好ましさに。
両方エゴです。
何もないから何かを当てはめようとしますが、本当は何も当てはめる必要すらありません。
しかし、エゴを認めていない時の私は、[何もない感覚=耐え難い恐怖]になっており、自分と向き合わないので存在を認められる自分がおらず、[何もない感覚=自分がいないという事実]と思い込んでいました。
このように孤独感を洞察していった結果、始めは辛くて大変でしたが、自分と向き合って自らを認めるようになると、その内にわかりました。
「何を当てはめてもいい自由空間なんだ」と。
何もないからエゴが何かを当てはめてくれる。それは自分がいないとは認識させないでくれるエゴの優しさ。別名自己防衛。
エゴを当てはめなければ、そこに残るのはただの自由。何をしてもいい、何を感じてもいい。真っ新で何もないキャンパスに何を描いてもいい気持ち。
なんて気楽なことか。これまでの辛さは全てこの気楽さへの道すがら。知るか知らないかが重要でした。
※孤独を辛くするルールは、【孤独が辛い時のルール見直し】孤独ほど幸せなものはないかもしれない をどうぞ。
孤独感の洞察結果はスピリチュアル
洞察結果、孤独を感じるとは自由を広げる下地作りということ。
孤独を感じた後に自由が広がるのは、自由とは作らなければ存在しないためです。
そのための事前準備になるのが孤独感。
孤独を感じた時、私達は自由になっていい許可が出ます。
それは自らが自らに渡す許し。何の重荷もない、自分の道、人生を始める許しです。
もし自らの道を進んでいないと、深い真意が孤独感を味わわせてくれます。
日々移り変わる私達は、自らの軌道修正のために孤独感を自ら作り、自らに感じさせます。
深い意識、自分という存在の源から発されるサイン。そんなスピリチュアルな捉え方です。
こんなことを考えると、孤独が辛いと思うことの無知がわかりやすくなると思います。
孤独とは大切なものでしかありません。人間として重要な意識の輝きであり、道しるべ。必要なのは自らが孤独の上でどれだけ自由を作り広げられるかです。
自らのことは自らが活かし生かす。そんなメッセージが潜む孤独感です。
※絶望のスピリチュアルな理解は、【絶望とは一体?】希望を知る絶望の正体│哲学とスピリチュアル をどうぞ。
注意点:孤独をあえて感じる必要はない
上述の洞察内容は、ネジの飛んだ人間の人体実験だと思ってください。
実際にあえて孤独を感じようとする場合、自らを認めていない場合には絶望の淵へ落される危険性がありますのでご注意ください。
孤独をあえて感じる必要は一切ありません。
大切なのは孤独を知り、無知を活かすことだと思います。
私達は誰しも無知であり、無知だからこそ知り、真理に近づけます。
自らが孤独を作っているからこそ孤独感を大切に捉えられます。そこには大前提の自分がいますので、如何に現状を把握し、自らを認識し、指標を見出し、行動へ繫げるか。
孤独感を気楽な自由創作用キャンパスにすると、「自由になりたい時に孤独になる」と、あえて孤独をもたらす工夫もできます。
春夏は東京、秋はメキシコのキノコ村へ行き孤独を味わい、冬はアラスカの森で孤独を謳歌する。
人それぞれに孤独を愛する孤高へと続きます。
孤独は恐れるか愛するかがあり、そのままをそのままにして自由に活用した時、自然と孤独を愛する結果がもたらされていることと思います。
孤独を感じる心理とスピリチュアル まとめ
無知であれ。
孤独を感じられるご自身を自愛ください。
孤独を感じて辛くなれることは、孤独を恐れる意味です。
人間とは無知で愚かな存在ですが、無知にも愚かにもなれないと、孤独を感じることすらありません。
それは一切の自己認識にある事実を抹消する抑圧、他の意見や情報やルールを絶対的にインプットした他。
自分がいなくなると孤独を感じられません。自分がいるからこそ孤独を感じられます。
あらゆる自らの向き合いに存在する事実を示す場となるのが孤独感です。
感覚によって創作される空間は、自らの恐怖を垣間見せながら、自分という確たるものを鎮座させます。
恐怖を受け入れた時、孤独は愛するべき自由への下地となり、お花見を楽しむピクニックシート代わり、最終的にはシートをぶん投げて地べたも最高。
そんな自由へと続きます。
孤独を辛さにするか気楽さにするかは選択です。
選択を可能にさせるのは知ることです。
知るには経験が要ります。辛さを感じた時がまさに経験ですので、あとは経験を如何に理解に繫げるかが無知の活用です。
「孤独を感じるからこそ自分のためになった」と言える日が必ず来ます。
真理を灯す孤独感。ぜひフル活用していきましょう。
そんなご参考になることを祈ります。
それでは、誰といても孤独を感じる心理とスピリチュアルのお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
お手紙でこのサイトを応援する『お気持ちを大切にします』