心理と特徴

【信用は生きていない】基本的に人を信用しないメリット4選

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人間は今も昔も常に戦い続けています。

国だけでなく隣人同士で戦い合っており、気に入らない不利益があれば怒りで攻撃や嫌がらせする、不合理な生物が私たちです。

まっくろくろすけの気持ちになると、テン・テン・テンと静かな場所へ向かいたくなるのは当然かもしれません。

そんな折で明確にしたいのは、人を信用しない大切さ。

とても良い響きですが、大衆観念はそうではなさそうです。

「人を信用する」。これが聞きたい、正しい道徳だ、良い教育だな、ねぇ先生。

はてさて、実は人を見極めずに信用する場合、人を無意識に利用しようとしているふしがあったりします。

ここでは、基本的に人を信用しない大切さ、不信に潜む人間の神聖なる知性に迫ります。

  • 人を信用しないメリットを知りたい
  • 本当に人を信用しない方がいいのか考えたい

何も考えずに人を信用する、そんなおとぎ話は毒リンゴ食ってクイッ、と決まっている。

一般常識の真相を知り、人間の理解を深める一つの考え方となれば幸いです。

基本的に人を信用しないメリット

大前提:[人の信用有無=透明性]

「信用」という言葉は、どれだけ隠し事をしていないか、どれだけ相手を見透かせるかに重きがあると考えられます。

例えば、最も信用しやすいのは赤ちゃん。

夫婦でも仮面被っていたら信用ならない、なんて具合です。

どれだけ近い関係性の人であっても、隠し事や嘘が多く、一体何を考えているかわからず、相手を把握できないほど信用できなくなります。

人の信用有無には透明性が大きく関ります

悪い人であっても、自分に危害を加えないなど相手のことがわかっていればいるほど、隠し事がなければないほど信用できます。

[人を信用する=相手の透明性が高い、隠し事がない]

[人を信用しない=相手の透明性が低い、隠し事だらけ]

さて、ここで日常を振り返ると、世間には裸の王様や、純朴で素直な人、子供のように内心を無造作に表す人がほとんど見当たりません。

日本では自分をさらけ出すのはもとより、自己表現を控えて周りに合わせる習慣があるのでなおのこと。

そんな中で人を信用するのは運試しか罰ゲーム、はたまた強制されているか固定観念かもしれません

世の中には関わりきれないほど多くの人で溢れます。

自分にできるのは透明性の高い素直なレアキャラを探索するか、相手の透明性を高めるために自らの眼識を高めるかです。

現実的なのは相手が信用に値するかどうか以上に、自らが相手の透明性を高める眼識を持てるかどうか

自分次第であるのが信用です。

この大前提があると、人を信用しない大切さが見出されます。

 

基本的に人を信用しないメリット4選

メリットを一つずつ見ていきます。

1,人を見極める力を鍛えられる

「あの人は開店前のラーメン屋で並び、鼻水を垂らしながらボーっとしている」

「まだ開店してないのに、そんなにラーメン好きなんだ」
「この寒いのに待つくらいだから、相当あの店一筋かも」
「鼻水が垂れても周りを気にしていない、メンタル強めだ」
「既にだいぶ待っている、忍耐力あり(ということは地頭も良い可能性高)」
「ボーっとできるのは感覚感受が鋭い天才型かも」

眼力や認識力を高めることで透明性を高める努力ができ、対象の情報が多ければ多いほど信憑性を上げられます。

人を信用しないからこそ関わる際に一人一人をしっかり見つめ、考え、理解しようとできます。

努力によって少しずつ向上していくため、眼識を高める基盤作りとなるのが人を信用しない在り方です。

 

2,自他の線引きができる

この世には一生かけても関われないほど人口がいますので、危険人物や離れた方がいい類と関わる時間はなるべく減らしたいもの。

人を信用しないことは対人関係にフィルタリングする状態ですので、無作為で何も考えない人間関係がなくなります。

浅く広い人間関係は皆無になり、狭く深い人間関係にシフト。

自他の線引きができ、自分のことは自分で、相手の問題は相手のものだと個々を尊重できます。

自分の意思や直感で関係性を育むことができ、誰彼構わず関わったり、断らずにズルズル行く、そんなあやふやが自制されます。

多数以上に少数と深く関わりたい人にとって大きなメリット。人を信用しないことでのフィルタリングは自他の線引きの明確化となり、自分の意思の育みにも役立ちます。

 

3,人を利用しなくなる

何も考えずに(努力や苦労なく)人を信用することは、人への執着や、自分のことだけを考えて無意識に人を利用する状態になりやすいです

「人を信用しないぞ」と決めることは、人間関係を考えて構築する自分になることであり、孤独の許容でもあります。

孤独になりたくないから人と関わり、不安と恐怖心をなくすために人間関係を作るなど、自分にとっての損害回避のために関わる人もおり、無意識に人を利用していると気づかない人もいます。

人を信用しない在り方は関わる人の絶対数を減らすので、孤独になる可能性を高めます。

孤独を味わうと、人と人のコミュニケーションは自分がいるからではなく、他者がいてくれるから営むと真に認識でき、人間関係の重要な部分を理解するきっかけになります。

人の有難みや尊重が深まり、人を利用しない誠実で正直な人間関係を作り、自分だからこその人間関係を始められます。

 

4,心を守れる

一人一人に欠かせないものは、『自分の心』だと思います。

人を信用することは大切ですが、信用しない事前フィルターがないと、誰しもに心を開いて利用されるだけ利用され、搾取され、疲弊し、自分を見失い、精神が骨身になる危険性があります。

私たち人間は何も学ばなければ動物と同じ。

世の中には何も学ばずに欲求や願望を押し付け、我欲しか見ていない人もおり、悪意なく、気づいたら、知らぬ間に、無意識に人を傷つけ、「ごめん、悪気はないんだよ」で済ませようとします。

信用する心に自制と調整力(知性)を加えないと、信用するからこそ利益を牛のように搾り取られ、エネルギーを奪われます

余裕がなくなり、心を失い、優しさも愛もなくなってしまうので、人を信用しないと決めることは心を守る生存戦略になります。

人を信用しないことは、「全員を疑ってやる」という反発とは違い、必要に応じて信用するための基盤作りです。

『自己成長そのものの基盤を自力で作る』

自分の行為に責任を持つ人だからこそ選択できるのが、人を信用しない在り方です。

 

注意点:反発による不信はNG

信用しない大切さがありながら、注意したい点もあります。

あえて疑心を生むことです。

「人を信用しないから何なのか?」という話でして、信用しないことに責任を持つか否かで道が極端に変わります。

責任を持つ場合、人を信用しないとは自他の線引き、自力で人間関係を作るための基盤と能力向上機会になり、わざわざ疑う必要がありません

人を信用しないからフィルタリングして、人を見極める能力を高め、認識力を上げて、人間関係を自分の意思と意志で作っていきます。

方や、「もう信用なんてしたくない、テイッ」と、信じたが思い通りにならなかったことへの反発の場合。

投げやりで責任を持たず、自力での努力や働きに向かわず、怠惰の道が広がります

「信用しないから疑う、あいつもこいつもダメ、みんな悪、私に合わない、どこかに白馬の王子様はいないの?」

ネガティブな目的でネガティブな感情を使えば、ネガティブな結果が起こりやすくなります。

[信用しない=疑う]にはなりませんが、[信用したくない=疑う]になります。

感情や欲求ばかりに目が行き、受動的で、被害者意識に浸かると、「嫌なことをされたんだから自分はなにをしてもいい」と正当化が起こり、無思考に陥る可能性があります。

信用しないことを活かすのではなく、信用しないことに逃げると、プラスの結果が生まれなくなってしまうので要注意です。

 

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【心理探求】基本的に人を信用しないことを推奨する訳

人を信用できるのは一時的、かつ限定的

私は会社員時代、貸金業務における信用情報や信用問題と深く関わってきました。

そんな観点から言えるのは、信用とは過去の産物であり、生きていません

透明性が重要であるため、「あなたにはこれだけお金を貸せますね」という判断は、過去から今日までの疑いのなさで決まります。

ここで着目したいのは、明日は信用できないことです。

過去から今日までの透明性によってあなたを知れた。しかし、今日から明日の内にあなたが家を購入すると知る由がなく、明日には信用できない人になっていることを知れない。

人間関係にも置き換えられます。

今日まで隠し事なく正直にあなたを知れたから信用できた。けれども明日隕石落下のアナウンスが全国中に流れた時、ポツンと置いていかれるなんて知る由がない。

人の信用とは過去の知っている範囲から今日までの情報で成り立ち、明日以降は信用したくてもできません。

一時的な性質があり、何も不都合が起こらない、何も変わらないという限定的な環境でのみ成立します

そのため、現状のまま変わらないのであれば信用できます。

しかし、明日何が起こるか誰も知らない世の中(自然界)で生きているので、思い込みや決め付け(という不透明の誤魔化し)によって、信用できると妄想しているのが事実だったりします。

 

「あなたを信用している」と言う人を信じてはならない

「あなたを信用している」と言う人がいたら、少し注意が必要かもしれません。

サイコパス、自分のことしか考えていない人、損害回避のために人を利用する人がよく使う言葉です。

「このまま私にとって都合よくあること、変わらないあなたを期待している」という真意が考えられます。

ビジネスであれば、現状の判断が良好ならばこのまま変わらないことこそが信用できるさま。

しかし、交友関係ではどうでしょう。

本人が変わらないことを望んでいればいいですが、人間は抑圧しなければ自然と変化していく普遍の摂理。

「信用している」とあえて表現してくる場合、相手の成長を望んでいない(または考えていない)可能性があり、望んでおらずとも相手のことは何も考えていない可能性があります。

人を信用するさまの外面は良好ですが、内面はまるで信用なし(実際には信用していると思い込む自己世界にこもる状態)だったりする、という考え方です。

良い悪いはありませんが、そこまでの関係性だと知れます。

 

人を信用すると、人を信じられなくなる

上述の心理で着目したいのは、相手の成長や向上などの他者利益を見ていないだけでなく、そもそも信じていないことです。

相手が何もかもをさらけ出し、隠し事がないから信じられると思う場合、そもそも信じていません。

信じているのではなく、危険性や不安要素がない不利益回避の確実性認知。

確実な状態が持続される期待は、期待通りにならなかった時に疑心に変わります

信じることに損得勘定や利益有無を考えている場合、条件付きで信じる状態となり、人間関係は期待通りに相手が変わらないままかどうか(相手次第)に委ねられます。

人を信用する場合、自分が何に対して何をどう信じているか、その気持ちとは何なのかをしっかり考えて見つめる必要があります。

何も考えずに信用することはできず、それは裏返して不信になり、疑心を生むようにもなります。

信じる責任から遠ざかる懸念にもなり、人を信じるとは何なのかがわからなくなってしまいます。

 

再度:基本的に人を信用しない大切さ

信じるとは相手に委ねた他力や他責ではなく、自らが相手を信じられるかどうかだと考えます。

相手を受け入れ、自らの決意や選択した責任を持つさま

例えば、我が赤ん坊がバブバブしながらこっちに来る時、「さぁ、パパのところに来るぞ」と信じる。

しかし、パパを間違えて隣の見ず知らずの男性のもとへバブバブ。

「ガガーン!!」とショックを受けながらも、赤ちゃんの言動を受け入れ、自らの選択に責任を持ち、信じているからこそ不都合でもしっかり受け入れられ、疑うなんてほど遠い。

人を信じるとは自分を信じること。

自分を信じるから受け入れ、責任を持ち、相手を真に見つめて、理解する努力をして、妄想でも思い込みでもなく人を信じられる自分になれます。

人を信用しないと決意することは、自分を信じるための転換点。

疑うための怠惰の増長ではなく、努力と苦労を覚悟して自己を高める選択。人を見極める能力を高め、自己を信じるための育みです。

 

まとめ:基本的に人を信用しない

人を信用しないのはとても大切です。

何も考えずに人を信用するのは、信じる力を衰退させ、無意識に人を利用しかねません。

かといって、反発心で人を信用しないのは疑心を生み、なおのこと信じる力を抹消しかねず、トラウマや心の傷と向き合う可能性を限りなく減らす可能性もあります。

基本的には人を信用せず、自他の線引きを明確にして、人を見極める能力を高める。

時代が変われば、物事の意味も目的も変わります。

近所の人々やコミュニティ同士で気楽に協力していた時代には、人を信用する大切さがあったと思います。

しかし今の時代、功利主義という損得概念で洗脳されている前提もあるので、人を信じるためには何が信用で、何が信頼なのか学ぶ段階があり、一つ一つ経験して成長していくからこそ“信じる”の意味を知ります。

日本という国は本当に特殊な環境に存在していると思います。

気付かぬ内に不変になりやすく、社会の思惑にハマり、正しさの意味すら破壊されて解釈する可能性があります。

よくわからない美徳や道徳観念を見つめ直していきましょう。

健康になりたいならばバランスよく毒も食らう、そんな考え方と同じ、人を真に信じるために不信がキー。

そんな考え方がお役立ちとなれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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