生き方

孤独と向き合うと見える何か│ひとりぼっちの先に恐怖と愛と自分

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誰とも心を通わすことができないひとりぼっち。

孤独とはどんな気持ちなのか?

孤独との向き合いには恐怖があり、一見して喜んでしたいものではないと思えます。

しかし、孤独と向き合う前と実際に向き合った後、孤独への印象は全く異なります。

ここでは、孤独の正体と向き合うための詳細をお伝えします。

  • 孤独と向き合う意味とは?
  • 孤独の正体とは?
  • 孤独と向き合うためには?

孤独を知ると見える先には、恐怖と愛が待っています。

それらの理解の先には完全なる自分の生き方があり、孤独と向き合う大切な理解が潜みます。

貴方らしい孤独の理解が深まる一助となれば幸いです。

孤独と向き合うために

孤独と向き合うとは?

寂しく悲しい孤独。

「私は独り」

他者から見られるのも嫌、自ら体感するのも嫌、そんなの嫌だからなければいい。

虚しくもなります。

「私は友達がいない」「ひとりぼっちで身寄りがない」

事実を認めるのも嫌、自分が否定されるみたいで嫌、価値がないみたいで嫌。

孤独を認めないことで、あえて孤独になろうと孤立するかもしれません。一匹狼のように独りを主張するかもしれません。

認めにくい嫌なことですが、遅かれ早かれ孤独と向き合う時が誰しもに必ずやってきます。

結婚していても、彼氏彼女がいても、親友や友人がいても、家族がいても、みんな死にます。自分も死にます。いつか独りになる日がやってきます。

こんな事実なければいい。

孤独と向き合うことは怖いです。孤独感は恐ろしいです。

なんで怖ろしいのでしょうか?

答えは自分にあります。

 

孤独と向き合うとは自分と向き合うこと

遅かれ早かれやって来る孤独。

一人が好きな人、一人を楽しむ人など、一つの個性として許容されている一面もあります。

しかし、この「一人」とは自分の周囲には人がいるという集団を認識した上での単体です。

「一人」に恐怖はないかもしれません。現状は一人でも周囲に人がいると認識しているので、どこかに安心感を抱けます。

孤独であることはひとりぼっち。自分自身しかいない状態です。

孤独である「独り」との向き合いは、自分自身との向き合いを意味します。

見たくない、認めたくない自分。見たい、受け入れたい自分。

何もかもの己の認識に他の介入や干渉など、一切の邪魔や抵抗がなくなります。

孤独との向き合いは他の介入なく、自らへの誤魔化しができなくなり、何もかもの自分が露になることとの向き合いです。

隠せない、誤魔化せない、嘘つけない、偽れない。あるべき姿そのままを自ら認識し、考え、感じ、思い、想い、知り、理解し、判断し、評価し、なすがままに見る、観る、診る、視る。

遅かれ早かれやって来る、「自分との対面」です。

※孤独がサインになる詳細は、【ステージが変わった時のサイン】孤独と審美眼に人生のイロハ をどうぞ。

 

孤独とは?

孤独の定義はひとりぼっち。他者との関わり、接触、繋がりがないことです。

似ている言葉に「孤立」があります。

孤立とは、自分一人だけ他から離れてポツンと切り離された状態です。

両方似ていますが、違いがあります。

  • 孤独は、自分に焦点を合わせて気持ちや内面がポツン
  • 孤立は、他者を含めた全体に焦点を合わせて、状況や状態や位置などの外観がポツン

孤独は自分にフォーカス。孤立は全体の中の自分にフォーカスした時の状態です。

 

孤独の種類

孤独には二つの区分けがあります。

  1. 消極的孤独(Loneliness)
    …寂しい、悲しい、ネガティブなイメージを加えた孤独、孤独感
  2. 積極的孤独(Solitude)
    …自由、気ままさ、ポジティブなイメージを加えた孤独

孤独と一言で表しても、ネガティブもポジティブも両方の捉え方があり、人によって印象が変わります。

孤独という状態は良いも悪いも自由に決められます。

「私、今、独り、一人、ひとり」

この自分の内側に思考と感情を入れ、「自由、気楽、孤独最高」となったり、「寂しい、つら、悲しい、怖い」となったり。

孤独の中身を決めるのは自分であるために、中身が孤独の正体となります。

中身を入れるのは脳、肉体、心を持った自分。情報、記憶、思考、感覚、感情、想いの何を入れるかの自分と対面した時、孤独の正体が明らかになります。

※孤独を求める心理は、【ひとりになりたい気持ちは合図】心理とスピリチュアルな意味がある をどうぞ。

 

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孤独と向き合うために

孤独との向き合いは真っ暗

ここで、孤独のイメージがわかりやすくなるように、私が孤独を理解した時のことをお伝えしたいと思います。

辺りは真っ暗でした。

真っ暗過ぎて何もかもが黒。黒以外は本当に何もありません。

自分がどこにいるのかわからなくなります。手も見えない、体も足も、顔も何も見えない。

怖くなります。

何とか対処しようと動きます。しかし手足が見えないので動いているかどうかの確証がなく、疲れるだけで進んでいるか動いているかもわかりません。

その内に疲れているかもわからなくなります。不思議なものです。

物理的に先は見えない状態ですが、自分の中で思っている先も見えず、予想も予測も何もできません。

恐怖の対処が一切できず、対面する以外は何もない状況です。

この状況でわかったのは、身を護る対処をしたり、思考の緩和をして不安と恐怖を取り除いたりと、私は忙しなく脳を多用していることでした。

さらに真っ暗な状態が続き、完全なる孤独を認知して孤独感に耐えられず、対処もできず、誤魔化しもできず、恐怖との対面が加速してパニックになります。

孤独との向き合いができず、自己対処もできなくなった状態です。

パニックになって暴れるだけ暴れたら体が疲れてくれました。落ち着きを取り戻して冷静になると、直面している孤独が少しわかりました。

孤独とは自分しかいないということ。

※孤独を辛くするルールは、【孤独が辛い時のルール見直し】孤独ほど幸せなものはないかもしれない をどうぞ。

 

孤独とは、知らない、未知、認めたくない、拒否したい自分そのもの

孤独の状態は存在を認識できる唯一の情報が「自分がいる」というだけになります。

怖いと思ったのは、他の助けがない、執着して他から利益がもらえない、他を利用できないから。

自分を知らない、考える力がない、意見がない、価値観がない、苦痛がないことを望むから。

他律で自分軸がない私は、拒否したい自分との対面が起きた時にパニックになりました。逃げて誤魔化せず、どうすればいいのかわからなくなりました。

孤独とはただそのまま自分を表します。執着、他力、価値観のなさ、意見のなさ、自分を知らない事実そのものです。

 

孤独との向き合いは自分を知ること

孤独とはひとりぼっちの自分の内側を表す状態。思考と感情を入れ込めることで、恐怖の対処を脳がしてくれます。

独りは寂しいと思えれば脳の思う壺、考える必要がなくなる。ネガティブになっても孤独は辛いと理解して終わり。

対処すれば孤独の経験をなかったことにすらします。
「無事でよかったねー、一件落着、ちゃんちゃん」とお開き。

孤独とは自分自身そのものです。

孤独を恐れるのは、恐怖を隠す自分を拒否することを意味します。
孤独を愛するのは、恐怖を隠す自分を愛することを意味します。

恐怖を隠してもなんでも、そんな自分を真正面から認めて自覚することが孤独との向き合いです。

孤独とは真っ暗闇。何もかもが露になる自分を知る対面です。

※孤独感の意識的捉え方は、【孤独は最大の友になる】孤独を感じるスピリチュアルな仕組み をどうぞ。

 

孤独と向き合うための自律と他律

孤独を良いと思うか悪いと思うかは、人それぞれに脳内のどの認識を当てはまているかで変わります。

価値観です。

孤独に対しての価値観を持っている人は、自分らしく孤独と向き合うために思考と感情を当てはめます。

しかし、孤独を怖れ、寂しく、悲しく、他者の目や反応を気にして、評価や体裁を気に掛ける場合、自分の価値観がない可能性があります。

日本であれば、常識やルールなど恒常化する全体の価値観として、消極的孤独のロンリーが一般的かもしれません。世間の価値観を適用すると孤独と向き合うことが難しくなります。

この状態を他律、他人軸と言います。

他律とは、他に支配されて翻弄され、他の命令や束縛に従い、行動すること。

自律とは、自らの意志を持ち、自らルールや規範を決め、自らの決定に従い、行動すること。

 

他律は孤独と向き合いにくくする

行動動機を他と自のどちらが決めるかにて、孤独との向き合い方が大きく変わります。

私達人間は自らに興味があり、自らを正しいと思いたい、自らを認めたい生き物です。

他が決めた他のルールに従っているのに何も悪いことはありませんが、そんな自分を誤魔化さずに真っ直ぐに対面するのが孤独であるために、孤独と向き合うことを拒否したくなってしまうかもしれません。

自律にて自らがルールや規範を決める場合には、経験した上で意見や価値観を持って自らに従います。

自らの経験があることで自律を育むため、孤独の経験があればあるほどに自律を持ちます。

他律は社会環境では大切な他への従順と行動動機ですが、社会的にネガティブなこと(一つが孤独)を嫌がる性質があります。

孤独と向き合うためには、他律があっても自律を含めていくことが重要なポイントです。

 

孤独になれる人は自分を知る強さ

孤独に向き合うとは、真っ暗闇にある恐怖でも何でも、自分をより知ろうとすることを意味します。

自分を知らない事実を誤魔化さずに直面すると、孤独と向き合います。

私達は自分として生きているので「自分を知らない」とは思いたくありません。知っていると思い込んで生きていきます。

孤独とは恐怖。とても嫌で認めたくないものですので、脳の思考があれば直ぐに誤魔化して向き合いは終了です。

しかし、向き合いから逃げず、自分から逃げない人は孤独という自分自身を知ることができます。

ひとりぼっちを知っている人は、孤独と向き合う人は、自分を知ります。

自分を知る人は逃げても何しても、自分を誤魔化しません。自らと誠実に向き合い、正直に語ります。

他者にではありません。自分に対して一切誤魔化さず、明確な強さを持ちます。

認めたくない恐怖と向き合える強さ、そんな自分を認めて受け入れられる強さを持ちます。

 

孤独と向き合うと見える道

孤独の先にはとてつもなく大切な人間性があります。

孤独の中で見える脳とは拒否と否定ばかりする思考。軸のない、価値観のない、考えのない、頭を使っているようで自らの理解がない空、思い込みと固定観念の固まりです。

自己防衛として恐怖の対処に勤しむ、どこまでも護り可愛がりたい自分です。

恐怖が初めに襲い掛かりますが、乗り超えた時、真っ暗な空間は大きな自分の中の一部だと気づきます。

孤独の先にあるものは無限に広がる広大な存在であり、まるで光が射すように自分の大きさを知る理解。

恐怖の理解と、影に隠れた世界の認知です。

知る喜び、楽しみ、敬い、慈しみ、理解を深めたい気持ちを抱き、紛れもない意志(覚悟)を受け取ります。

意志は自律の源であり軸そのもの。

恐怖を理解した先にあるのは、自らの価値観と認識をいくらでも創り広げる世界、孤独を愛する道です。

自分を知る遊びが始まり、無限に広がる世界を探求する冒険をいつでも始めていい状態。

孤独はフラットな状態表現として、「私、今、ひとり」

どんな思考と感情を入れるかを自由に選択でき、材料集めとして自己の世界の探求が始まります。

 

孤独を愛する孤高の道

孤独と向き合う人は強い人です。

いじめを経験した人、大切な人を失った人、排他された人、独りで生きる人、孤独と向き合う人。

初めに恐怖との対面があります。恐怖を乗り越え理解した人は、「一人」ではなく「独り」で生きられる強さを持ちます。

自分を知り、自らに誠実で正直に、自らを誤魔化さずに生きる人生には、明確な自律があり、自己理解の深みがあります。

孤独に恐怖がなくなると積極的孤独にてポジティブな時間の堪能が待っています。

それは、「孤独とは楽しいものだ」という理解から、「良いも悪いもどっちでもいい」という孤独の本当の理解へ繋がります。

孤独と向き合う人は良いも悪いも自らが作ります。

孤独だからこその自分の価値観、観念、生き方が作られ、孤独を心から愛することができます。

これを孤高と言います。

孤独と向き合う先にある道は孤高の人生。自らが自らを認識し、自らを理解し、人生を創り、独りだからこその在り方、軸、信念を持ち、自らを敬い尊重する道です。

人間にしかできない生き方だと思います。

※孤独を楽しむ話は、孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと│一人であることを活用しない手はない をご覧ください。

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孤独と向き合う まとめ

多かれ少なかれ、孤独を嫌がる場合には他律への偏りがありますので、孤独との向き合いには他律の自覚が大切です。

自覚せずに誤魔化して孤独と向き合うことで、私のように真っ暗闇で彷徨い叫ぶパニックトリップ野郎になりかねません。

それはそれで楽しいですが、「二度と恐怖と対面したくない」なんてことになるかもしれませんのでご注意ください。

恐怖と対面する以前に、孤独に対する理解の確認が大切です。

社会環境にて生活している以上、孤独にネガティブな印象が付くのは自然ですので、少しずつでも自らの認識にて孤独を捉えると、孤独と向き合う準備になります。

向き合う方法は、自律のために軸を持ち、主体的に能動的に、自分の価値観と認識を持つことです。

孤独との向き合いは自分との向き合い。無限に続くほど未知なるものを探求する意味です。

自分には肉体があり脳があり心があります。

思い込みを手放して知らない世界を知ることは不安と恐怖を脳が駆り立てますが、自らを掘り下げる理解は喜びであり楽しみになり、何より心を使用する時間となります。

孤独と向き合うために思考であり脳を知り、自らの認識と同時に心を知る機会になり、他に従う以上に、自らの意見や価値観を作る意味を味わいます。

孤独を楽しみ愛するためにも、自らとの向き合いを見直し、縛りのない孤独を謳歌する人生を生きましょう。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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