生き方

孤独と向き合うと見える道│ぼっちの先には恐怖と愛、そして孤高

独り、誰とも心を通わすことができない。

孤独とはどんな気持ちなのか。

最高?楽しい?寂しい?虚しい?

孤独に対してネガティブな気持ちになるかポジティブになるかは選択です。

ですが、日本という土地で生まれ、社会性を重んじる素直な人であれば、ネガティブが先行します。

まずは恐怖、それから…。

私、こんなことを話す人間ではありませんでした。

ある日、孤独を知ってしまったんです。

それからというもの、孤独を愛していると開き直るように生き始めました。初めは驚きました、ドラッグかな?と。

ですが、これはただの事実でした。

孤独とは、自分の頭のことです。

ここでは、そんなおかしな話をして、孤独との向き合い方の詳細をお伝えします。

私の些細な理解でしかありませんが、孤独を知ることで見えるその先をご案内いたします。

貴方らしい孤独の理解が深まることを願います。

孤独と向き合うために

孤独と向き合う必要性

孤独とは何とも寂しい感じ。

「私は一人」

他者から見られるのも嫌、自ら体感するのも嫌、そんなの嫌だからなければいい。

同時に、虚しくもなります。

「私は友達がいない」「ひとりぼっちで身寄りがない」

誰かに知られるのも嫌、事実を認めるのも嫌、自分が否定されるみたいで嫌、価値がないみたいで嫌。

孤独を認めないことで、あえて孤独になろうと孤立するかもしれません。一匹狼のように独りを主張するかもしれません。

認めにくい嫌なことですが、遅かれ早かれ孤独とは向き合う時がやってきます。

結婚していても、彼氏彼女がいても、親友や友人がいても、家族がいても、みんな死にます。自分も死にます。いつか必ず一人になります。

こんな事実なければいい。
綺麗言で誤魔化したいものですが、現実逃避は本当にその時がやってきた時に絶望を見せてくるかもしれません。それは恐い。

なので言っちゃう、遅かれ早かれいつか孤独になっちゃう。孤独、孤独、やーやー、うー、うー、孤独うー。

「うるせぇ!」

失礼しました。

孤独と向き合うことは大切ではなく必須。自分のために必要なことです。

 

孤独と向き合うとは自分と向き合うこと

遅かれ早かれやって来る孤独。

今では、一人が好きな人、一人を楽しむ人、孤独を謳歌する人など、一つの個性として許容されているように思えます。

国が変われば価値観が変わるので、孤独で過ごせることは精神性や人間としての強さを表し、称賛すらされます。

なんだかいろいろです。

孤独であることはひとりぼっち。言わば、自分自身と向き合う時間。

見たくない、認めたくない自分も、見たい、受け入れたい自分も、何もかもの己の認識に他の介入や干渉など、一切の邪魔や抵抗がなくなります。

孤独と向き合うとは、自分が露になることと向き合うことです。

隠せない、誤魔化せない、嘘つけない、偽れない。あるべき姿そのままを自ら認識し、考え、感じ、思い、想い、知り、理解し、判断し、評価し、なすがままに見る、観る、診る、視る!

という感じ。

 

孤独を知る

孤独と向き合うために、孤独の正体を知りたいものです。

孤独の定義としては、ひとりぼっち、他者との関わり、接触、繋がりがないことです。

似ている言葉として、孤立があります。

孤立とは、自分一人だけ他から離れてポツン、切り離された状態。状況や状態表現です。

両方似ていますが、違いがあります。

  • 孤独は、自分に焦点を合わせて気持ちや内面がポツン
  • 孤立は、他者を含めた全体に焦点を合わせて、状況や状態や位置などの外観がポツン

孤独は自分の内側を見ている感じです。

そんな孤独には種類がありますので、見ていきましょう。

 

孤独の種類

孤独には二つの区分けがあります。

消極的か積極的かです。

  1. 消極的孤独(英語ではLoneliness)
    ・・・寂しい、悲しい、ネガティブなイメージを加えた孤独、孤独感
  2. 積極的孤独(英語ではSolitude)
    ・・・自由、気ままさ、ポジティブなイメージを加えた孤独

言葉を増やすことに重要性は何もありません。ここでお伝えしたいのは、孤独と一言で表しても、ネガティブもポジティブも両方の捉え方があり、人によって印象が全く違うことです。

言い方を変えると、孤独である自分の内側や気持ちの中身は自分で決められます。

「なんと、孤独の意味は自分で決めるだって?!」と驚きましたか?驚かない?

孤独の種類があることでわかるのは、孤独とはひとりぼっち=一人であるという状態の自分を作ります。

「私、今、独り、一人、ひとり」。以上。

この自分の内側に思考と感情を入れると、「自由~、気楽~、孤独最高~」となったり、「寂しいー、つらー、悲しいー、満たされないー」となったり。

孤独を知るとは、思考と感情を入れるこの部分です。

 

孤独とは脳内の自分のこと

孤独とは自分の内側の状態。そこに思考と感情を入れるのは紛れもなく自分自身です。

その自分を知ることが孤独を知ることを意味します。

その自分、一体何者なのか?

脳です。

脳内にはさまざまな情報が蓄積されています。短期記憶と長期記憶があり、顕在意識と潜在意識があり、自覚のある記憶と共に無自覚でも思考と行動を促します。

同時に感情も作ります。衝動的な行動としての性質(本能)もあり、反応として喜怒哀楽の感情を表したり、思考的に組み合わせて感情を作りもします。

たくさんの機能と役割を持ち、自分の意見も他者の意見も持ち、思い込んだり決め込んだり、嘘や誤魔化しもして、事実をなかったことにもできます。多様な機能を持って、孤独に思考と感情を入れ込めます。

すると、孤独が良い人もいれば、悪い人もいます。

ここで大切になるのが自律か他律、自分軸か他人軸かです。

ここからは、より詳細に孤独を紐解いていきたいと思います。

 

孤独との向き合いにて重要なこと

孤独と向き合うための自律と他律

孤独を良いと思うか悪いと思うかは、人それぞれに脳内のどの認識を当てはまているかで変わります。

価値観です。

孤独に対して自分の価値観を持っている人は、自分らしく孤独と向き合うために思考と感情を当てはめます。

しかし、孤独を恐れ、寂しく、悲しく、他者の目や反応を気にして、評価や体裁を気に掛ける場合、自分の価値観がない可能性があります。

日本であれば、常識やルールなど恒常化する全体の価値観として、消極的孤独のロンリーが一般的だと思うので、世間の価値観を適用することで孤独と向き合うことが難しくなります。

この状態、他律と言います。または、他人軸。

他律とは、他に支配されて翻弄され、他の命令や束縛に従い、行動すること。

自律とは、自らの意志を持ち、自らルールや規範を決め、自らの決定に従い、行動すること。

行動動機を他が決めるか、自ら決めるかにて、孤独の向き合い方が大きく変わり、他律の場合には世間の常識やルールなどの価値観を当てはめるので、おそらく誰しもに同じことが起きます。

孤独と向き合うことを恐れて嫌がる。

自律にて自らがルールや規範を決める場合には、孤独を自ら経験した上で意見も価値観も持って自らに従うことができます。

そのため、孤独を実際に経験していなければ孤独と向き合うことを恐れるのは当然です。

ここで一つ考えたいことがあります。

孤独って誰しも経験してません?
とそんな素朴な疑問。

 

他律だと孤独を経験していないことにしてしまう…?!

孤独になることを嫌がるのはもちろんのこと、孤独と向き合うこと自体を嫌がり、中には孤独な人を蔑んだり馬鹿にして、孤独と一線引く。

自分は孤独とかけ離れた場所にいると思い込み、そんな自分を正当化しようと勤しむ人もいるかもしれません。

この場合、自分の価値観がありません。ないことに何も悪いことはありませんが、孤独と向き合うことを拒否します。

そのため、他律の場合には孤独ではないことを主張し、他者から否定されずに評価を護ることや、自らの価値を喪失しないように護る、他者主観の行動をし、孤独を経験していないと思い込むことが起きます。

実際に経験していない人もいると思いますが、常に心通わせ、関わり、接触し、繋がり合うというのは、私達が一人一人個々に個体を持って生きている以上、結構むずそう。

過去、小中高と集団生活があり、その後も専門や短大や大学、コミュニティに家族に仕事場、あらゆる環境では何かしら孤独を感じる時があったと考える方が容易かなと思います。

そんなせっかくの経験もなかったことにしてしまう可能性を秘めるのが他律。

他律は社会環境では大切な他への従順と行動動機ですが、社会的にネガティブなこと(その一つが孤独)を嫌がる性質があります。

孤独と向き合うためには、他律があっても自律を含めていくことが重要なポイントになります。

※孤独の楽しみを知る話は、一人で楽しめる人の心理と特徴│旅をするとわかる孤独への愛と恐怖 をご覧ください。

 

孤独との向き合いは真っ暗

ここで、孤独のイメージがわかりやすくなるように、あることをお伝えしたいと思います。

これは私が孤独を理解した時のことです。

……

辺りは真っ暗でした。

真っ暗過ぎて何もかもが黒。黒以外は本当に何もありません。漆黒?黒黒?とにかく真っ黒。

この状態、自分がどこにいるのかわからなくなります。手も見えない、体も足も、顔も何も見えない。

怖くなります。

なので、どこかに抜けようと動きます。しかし、手足が見えないので動いているのかどうかの確証がなく、疲れるだけで進んでいるのか動いているのかもわかりません。

その内に、疲れているのかもわからなくなります。不思議なものです。

物理的な先も見えないですが、自分の中で思っている先も見えない=予想も予測も何もできない。

言い方を変えると、恐怖の対処が一切できず、対峙する以外は何もない状態に。

ここでわかったのは、脳内の情報にていかにそれらしさを作り、身を護る術としたり、思考の緩和をし、不安と恐怖を取り除きと、忙しなく脳を多用していることでした。

真っ暗な状態が続き、パニックになります。まさに孤独です。

パニックになって暴れるだけ暴れたら体が疲れてくれました。落ち着きを取り戻して冷静になると、直面している孤独が少しわかる。

孤独とは自分しかいないということ。

言い方を変えると、存在を認識できる唯一の情報が自分がいるというだけ。どこかはわからないけど、“ここ”にいるというだけ。

この“ここ”が自分の思考。

怖いと思ったのは、他の助けがない、執着して他から利益がもらえない、他を利用できないから。

そして、自分を知らない、考える力がない、意見がない、価値観がない、苦痛がないことを望むから。

まさに他律で自分軸がない。

孤独とはただそのまま自分を表していました。執着、他力、価値観のなさ、意見のなさ、自分を知らない事実そのもの。

 

孤独との向き合いは自分を知ること

孤独とはひとりぼっちの自分の内側を表す状態。思考と感情を入れ込めることで、恐怖の対処を脳がしてくれます。

独りは寂しいと思えれば脳の思う壺、考える必要がなくなる。ネガティブになっても孤独は辛いと理解して終わり。

対処すれば孤独の経験をなかったことにしちゃう。
「無事でよかったねー、一件落着、ちゃんちゃん」とお開きにする。

孤独とは自分自身そのものです。

孤独を恐れることは、恐怖を隠す自分を拒否することを意味します。
孤独を愛することは、恐怖を隠す自分を愛することを意味します。

恐怖を隠してもなんでも、そんな自分を真正面から認めて自覚することが孤独との向き合いです。

孤独とは真っ暗闇。何もかもが露になる自分を知る空間。

 

自分と向き合うことで孤独と向き合う

愛する必要はありません。孤独と向き合うことは、自分を知らない事実を誤魔化さずに直面することです。

孤独に向き合うとは、真っ暗闇にある恐怖でも何でも、自分をより知ろうとすることを意味します。

私達人間は未熟です。海や脳や水や地球や宇宙‥‥、あらゆることをほとんど知らないように、自分など知らないことだらけです。

孤独というと他者を踏まえた上での集団の中で一、と思えますが、実際にはこの世には自分しか存在しない個々の認識があり、個々の関わり合いとして自律を前提に他者を受け入れ許容し、他律を加えて共存を図るのかもしれません。

どんな自分でも自らを尊重して軸を持ち、主体的に能動的に、そして少しずつ他への敬いと共に他律を含めるか否かの選択をしていくことで、孤独を謳歌しながら他者と関わり合う共有が生まる。

そのため、孤独と向き合うことは初めにしたいほど重要。

そんな感じかなと。

※辛い孤独感の詳細は、誰にも理解されないなんて最高か│辛い孤独感の真相に自分らしさ をご覧ください。

誰にも理解されないなんて最高か│辛い孤独感の真相に自分らしさ他人であろうとなかろうと、誰にも理解されないことで孤独を感じることがあると思います。 自分が理解していれば、誰かにわかってもらおう...

 

孤独の先にあるものとは?

最後に、孤独の先にあるものをお伝えして終了します。

真っ暗な中、自分を知らないことで彷徨いもがき、恐怖に駆られて認められない事実と直面します。

目を背けることもできず、目をひん剥けられるように見る恐怖は自分そのものであり、知らないことを認めたくない拒否の認識、それは脳がしていることでした。

孤独の中で見えた脳とは、拒否と否定ばかりする思考。軸のない、価値観のない、考えのない、頭を使っているようで自らの理解がない空、思い込みと固定観念の固まりです。

しかし、それは自己防衛として恐怖の対処に勤しむ、どこまでも可愛がりたい自分。

それを超えた時、真っ暗な空間は大きな自分の中の一部であることがわかります。

孤独の先にあるものは無限に広がる広大な存在であり、まるで光が射すように自分の大きさを知る理解。

恐怖の理解と、影に隠れた世界の認知です。

知る喜び、楽しみ、敬い、慈しみ、理解を深めたい気持ちを抱き、そこで紛れもない意志を受け取ります。

意志は自律の源であり軸そのもの。

恐怖を理解した先にあるのは、自らの価値観と認識をいくらでも創り広げる世界、孤独を愛する道です。

自分を知る遊びが始まり、無限に広がる世界を探求する冒険をいつでも始めていい状態に。

孤独はフラットな状態表現として、「私、今、ひとり」

そこに、どんな思考と感情を入れるかを自由に選択でき、そのための材料集めとして自己の世界の探求が始まります。

それが孤独を愛すること。別名、孤高。

 

孤独を愛する孤高の道を行く

孤独であることに喜ぶか否かは全て自分次第。気分で変えちゃう。
「どうせなら心地良く、積極的孤独かな、うんどっちでもいい」と。

孤独を求めるわけではなく、目の前の状況や状態をそのまま敬い、どんな環境でも自らを知り理解することを遊びます。

すると、自然と独りの時間が増え、集中力と創造性が上がり、視野が広がり、多角的に未来も見据えた全体の認識をします。

意志や目的が明確になるため、他者との関わりの意味や必要性を持ち、時間を敬い大切にし、より孤独を敬う在り方が無意識に構築されます。

脳に翻弄され、他者に支配されることも己に支配されることもなく、我欲にて自らの価値や意義、他者からの見られ方や評価を気にする概念をジーッと観察する俯瞰性が付きます。

ジーっと見つめて、「これ要る?」と自問して、「うん、要らない、ポイッ」と自答。

孤独を謳歌し、時と場合に応じて孤独感を調整します。

するとわかることがあります。

孤独とは自分であり人生のこと。誰もが孤独、誰しもひとり、シンプルな事実。

どうせなら、「孤独、う~ん、じゃあ最高」と。

それは自分を愛して敬う認識。

そんな孤独を愛する孤高の道があるとかないとか、むにゃむにゃむにゃ。

※孤独を楽しむ話は、孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと│一人であることを活用しない手はない をご覧ください。

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孤独と向き合う まとめ

孤独との向き合いには、他律への自覚が大切になります。

自覚せずに誤魔化したまま孤独と向き合うことで、私のように真っ暗闇で彷徨い叫ぶパニックトリップ野郎になりかねません。

それはそれで楽しいですが、二度と恐怖と対峙しないなんてことにもなり得ますので、ご注意ください。

そのため、恐怖と対峙する以前に、孤独に対する認識を一度確認することが大切です。

社会環境にて生活している以上、孤独にネガティブな印象が付くことは自然なことですので、少しずつでも自らの認識にて孤独を捉え、自分を知ることで孤独と向き合う準備になります。

そして、軸を持ち、主体的に能動的に、意志を持って価値観と認識を持ちます。

孤独との向き合いは自分との向き合い。それは無限に続くほど未知なるものを探求することです。

知らない世界を知ることは不安と恐怖を脳が駆り立てますが、自らを掘り下げるように知ることは、喜びであり楽しみになり、何より心を使用する時間となります。

孤独と向き合うために思考であり脳を知ることは、自らの認識と同時に心を引き出す機会にもなり、他に従う以上に、自らの意見や価値観を作ることの意味を体感にて味わうことと思います。

孤独を楽しみ愛するためにも、自らとの関わりを見直し、縛りのない孤独を謳歌する人生となることを願います。

孤独とはこの世の仕組みであり、自らを理解する遊びの入り口。そんな話かなと。

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