対処・解消法

【我慢してしまう癖をやめる方法】いつの間にかうぬぼれている?!

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我慢して自己犠牲。他者のために自らを抑え、気を使い、空気を読み、意見を言わず、周囲に同調、手のかかる家族に四苦八苦。

忙しく周囲を認識すると疲れて、辛く、ストレスが溜まりやすくなります。

やめたくなる我慢ですが、どうしても我慢してしまい、癖になりやすい特徴があります。

ここで、一つ明確にしておきたいことがあります。

我慢とは、辛抱や忍耐とは違う。真意は異なる現実を見せてきます。

ここでは、我慢をやめるために、我慢してしまう癖の深掘りを見ていかれてください。

  • 我慢してしまうのはなぜ?
  • 我慢とはそもそも何?
  • 我慢をやめるためにはどうすれば?

これらを知ることで、我慢癖をやめる理解を深める内容となっております。

私自身に我慢癖があったのですが、我慢しなくなる人生のスタートとなった体験がありますので、体験談と共に一つの考え方となれば幸いです。

我慢してしまう癖の原因と心理

我慢してしまうのはなぜ?

自分以上に他者を優先したり、自らの大切さを度外視すると、我慢してしまうかもしれません。

嫌なことでも耐え、認めたくないことでも忍び、辛くても苦しくても我慢。

あまり良い印象のない我慢ですが、日本では我慢を強いる人がいるほど重要視されています。

どうして我慢が大切なのでしょうか?

我慢する目的があるからだと考えられます。

なにかしら本人にとっての利益があると、我慢する目的ができ、動機が見出され、行動へ向かいます。

目的は、自分を納得させられることです。

 

納得できなければできないほど、納得するために我慢する

雑多な世の中です。普段の生活には、さまざまに不納得を抱く出来事があると思います。

  • 仕事場で客に横柄な態度をとられた
  • お店で店員にしっかり接客されなかった
  • 子供が言うことを聞かない
  • 家族がなんか、おかしい
  • 道が工事して、遠回りしなければならない
  • ‥‥

もう無限にあり、人それぞれにどこまで許容できるかによって不納得有無が変わります。

不納得になった時、我慢が効果を発揮します。

我慢すると納得できます

我慢とは自分を納得させるための鎮静剤であり、どうしようもできない不納得を抑える効果があると考えられます。

自らを抑えなければならない状況や、自らを抑えがちな心理があればあるほど、我慢による効果や作用が効くので、やめられなくなります。

 

我慢してしまう心理

心理で注目したいのは、「どうして自分を抑えるのか?」

自己抑圧する意味・目的・動機・原因です。

  • 自分以上に他者を優先する観念(自己ルール)
  • 自分が得をしてはならない価値観
  • 自分の欲求や感情を解放しない縛り
  • 自分を認めたくない
  • 被害者意識、自分を責めたい悪者意識
  • ‥‥

人それぞれの家庭環境や過去の記憶、経験則、意識状態によって変わります。

なにかしら自らを抑えるようになる過程があり、自己抑圧する自分を認めます

認めると自己抑圧に必要なことを考え、我慢が方法の一つになります。

自己抑圧して不納得を対処するために我慢する状態です。

※我慢癖による自己抑圧の詳細は、感情を抑え込む癖に潜む「自分」│抑え続けると起きる爆発防止策 をどうぞ。

 

自己抑圧は認識力がないとできない

自己抑圧するさまには自制心、責任感の強さがあり、周囲を気にする性格、見た目を気にする、他者と比較する癖があり、自らの内側に向かう強さがあり、外側に向かう弱さが見られます。

内向性だと考えられます。

内向性とは、
自らの内面と向き合う能力。興味や関心が他ではなく自分自身に向けられる特性。

内向性によるものではありませんが、自己抑圧によって外側に向かう弱さがあると、自信がなくなります。

自己評価が低い、自己肯定感が低い状態です。

自己評価や自己肯定感の低さは自分を認められないことに起因し、認めていない自分に不納得が起きると、「自分が悪いんだ、私のせいだ」と被害者意識が強くなります。

自己抑圧は自制心であり、我を主張せず、他に押し付けや強要をしない大切なもの。

迷惑をかけない在り方です。

認識力があるからこそ自分と向き合い、他を気にかけることができるため、我慢することは認識力の高さを物語ると考えられます。

しかし、こうなれば我慢してしまうとは思いません。

迷惑をかけないようにするのが他者ではなく自分のための場合、認識力の使い方が変わり、自分と向き合わず、他を自分のために気にかけることが起きます。

 

自己評価が低くて認識力が高いと、自分のための我慢になってしまう

自己評価が低いと自分を認め難くなり、認識力の使い方によって不納得になりやすくなります。

  • 自己内部の自信のなさ、自分を認められないことを認識し過ぎてしまい、納得が作られにくくなる
  • 周囲の言動や気持ちや状況を認識し過ぎてしまい、他からの影響が強くなって自らを外に出す以上に内側に向かわせ、真意や感情があっても外側に吐き出す解放がしにくく、不納得が作られやすくなる

不納得が多くなると我慢の使用頻度が高まり、手放せなくなります。

他者に迷惑をかけない動機が、自分が困らないため、嫌な思いをしないため、不安にならないため、恐怖を味わわないためとなり、我慢は自分を納得させるためにツール化され、多用していきます。

 

我慢してしまう原因

我慢の原因となるのが、不納得になった時に我慢という方法に手が伸びる真意です。

不納得とは自らが納得できない状態ですので、「嫌だ、認められない、味わいたくない」という拒否が現れます。

これを恐怖心と言います。

不納得を納得させることは、自らの恐怖心と向き合い、許し、作り、戦い、妥協、話し合い、折り合いをつけなど、「思い通りにならないことの解決を図る力」を要します。

「思い通りにならない=嫌なことを乗り越える力」

我慢すればこの行動は必要ありません。自分を納得させて一時的に対処できます。

我慢してしまう原因は、拒否したくなる現実(恐怖心)に向き合いたくない心と考えられます。

 

我慢とは無知・うぬぼれ

我慢の意味をここで明確にしたいと思います。

我慢とは、
仏語。七慢の一つ。我(が)をよりどころとして心が高慢であること。自分をたのんで、自ら高しとすること。自分自身に固執して他人をあなどること。うぬぼれ。

我意を張ること。強情であること。弱さを見せまいとすること。また、そのさま。
※コトバンク 引用

我慢は仏教が語源と言われ、心が高慢で他人をあなどるうぬぼれ、我を張り、弱さを隠すさまを意味します。

「辛抱、忍耐」とは意味も使い方も異なり、一緒にはできないほど内部事情が異なる言葉です。

我慢とは認識力があって周囲を把握する能力がありながら、自分自身や他者をしっかり認識していないさま、無知であり、うぬぼれを意味します。

※我慢しすぎた時の対処は、我慢しすぎて辛い時は早めに対処│とんでもないのが出て来る前が肝心 をどうぞ。

 

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我慢してしまう癖をやめる方法

我慢癖をやめるためのご参考となれば幸いですので、我慢ばかりだった私が我慢しなくなった体験談をご覧ください。

一人暮らしを始めたら我慢しなくなった

私は幼少期から我慢癖が強く、不納得を味わう経験が多かったので、納得できない怒りやジレンマや心地悪さを味わわないためにも我慢を多用しました。

事あるごとに我慢していたので自己抑圧が激化し、自分の意見も感情も何も表現せず、とにかく無言でした。

成長していくと、「どうしてこんなに我慢しなきゃならないんだ?!」と憤るようになり、我慢が癖になっていたので、自分で我慢していると思わなくなっていました。

「この家族のせいだ、この環境のせいだ」と人のせいにし始め、まさに我慢の意味通りの状態でした。

私が中学生の時、我慢の蓄積は限界に達しており、いつ何をするか自分でもわからない状態に陥り、内部にとんでもない化け物が育っているとわかり、もう一人の自分が怖くなってきました。

そんな日々でしたが、物事は突然変わります。

いろいろあり、私は一人で暮らさざるを得なくなり、突然一人暮らしが始まりました。

これがきっかけでした。

我慢するのが癖だった私は、一人で暮らし始めてから我慢しなくなっていきます。

一番初めの要因は、他者から不納得を作られる状況が減ったためです。

急激に我慢癖がなくなりはしませんが、頻度は徐々に減っていきました。

 

我慢は自分のためでしかない高慢に気づく

我慢が減っていくのは、自分をしっかり見るようになったためでした。

一人暮らしは全て自分でやらなければならないので、あらゆることに知性を使い、良いも悪いも自分自身のリアルと向き合いを要します

認識力は知性に変換しやすく、学校の署名や役所の届出に銀行書類などもろもろ、三つのサインを使い分け、判子もたくさん持っていました。

あらゆる時間は自己理解を深める経験となり、我慢ばかりしていた時と比べると、大きく異なる点に気づきました。

自分への誤魔化しが減っている

我慢していた時は周囲を見ているようで目の前の人をしっかり認識しておらず、良かれと思って自己犠牲(気を使ったり、自分を抑える行為)をする時、自分の不納得を対処する目的でありながら、「この人のためだ」とスーッと理由を後付けします。

自己欺瞞(ぎまん)、強情なプライド、自分が弱くないと思わないための誤魔化し、自分のための我慢でありながらまるで他者のための行為だと思い込む。

内向的と認識力を使って他者も含めて全体を捉え、まるで他の人よりも物事を把握できていると思い、他者の考えや気持ちや状態を勝手に思い込み、相手は欲してもいないのに自己犠牲を押し付ける。

[何もわかっていない無知+わかっていると思い込んで押し付けるうぬぼれ]

知らぬ間に他者を尊重せず、まるで自分より下であるかのように勝手に決めて振る舞う、高慢そのものでした。

自分の世界にこもり、目を閉じてうずくまり、周りを見ない箱の中。

徐々に我慢しないで納得できるようになっていき、成育して海外への旅をした時、明確に我慢をやめることができました。

自分を認められないがために不安や恐怖を対処できず、そんな現実からの逃げに我慢を使っていたとわかった時、やめられました。

我慢をやめるためには、恐怖心と向き合わない自分を明確に自覚し、我慢する目的をはっきりさせる必要があると考えられます。

※我慢癖のアイテム化は、自分を追い込む癖は使い方次第で最高。我慢癖と頑張り過ぎのアイテム化 をどうぞ。

 

我慢をやめる方法①:自分のためにしていると知る

私が理解している中で大きなポイントになるのが、「無知」です。

我慢の目的がわかっていないと、我慢をやめる動機が見出せなくなります。

我慢は紛れもなく自分のためであり、不納得を対処する、または不安や恐怖からの逃避・誤魔化しのためと考えられます。

目的がわかれば自分にとって必要かどうかを自覚できるので、やめる動機があればやめられると思います。

しかし、この自覚をしないようにするのが我慢の目的ですので、やめる動機を見出すのは難しいかもしれません。

人それぞれにやめたいか否かの道が分かれますので、この道に辿り着くために我慢してしまう自分を知る大切さがあります。

 

我慢をやめる方法②:我慢している自分と向き合う

我慢しないでみるとわかるのですが、難しいです。

[我慢しない=不安と恐怖を対処する利益がなくなる]

我慢が癖になるほどやめられなくなるのは、人間が本能的に嫌がるものを一時凌ぎできるからです。

我慢をやめる場合、はっきりと自分の改善ポイントと向き合う必要があります。

改善ポイントは、恐怖心と向き合わない点(嫌なことを乗り越えない)

我慢している最中がまさにこの状態です。

我慢している時の自分を観察し、目的を自覚し、「どうして我慢しているのか?どうしてやめないのか?」を確認するように向き合うと、我慢癖は少しずつ緩和されていきます。

※我慢した経験を活かす詳細は、【我慢しない人は幸せになる】我慢してきた経験が活きると知った出会い をどうぞ。

 

我慢をやめる方法③:やめることを喜ぶ

「どうしてやめたいのか?」「やめるとどんな良いことがあるのか?」を見出します。

やめることの利点を増やし、喜びやワクワクする理由を作ります。

「創作」です。

利点を作り、喜びを考え、ワクワクする未来を想像します。

  • 今の不納得の生活をバーンと解放できる
  • ノーストレスの気楽な人間関係
  • 感情を抑圧しない自由表現
  • 言いたいことを言う意志表現
  • 好きなことをして生きる創造世界の始まり
  • ‥‥

楽しいことだらけです。

「でもこうなったらどうしよう」という恐怖心以上に喜びを作れると、我慢をやめられます。

 

我慢をやめる方法④:勇気

楽しい解放の始まりは、自ら喜びを作る創作世界。いざ始める時に不安や恐怖が出現し、思い通りにならない不納得が作られ、これまでであればここで我慢します。

我慢とは抑圧にて先に進まず、自己世界にこもる行為。一度こもってしまった時には、出るために勇気が要ります。

我慢という殻から飛び出すための勇気です。

勇気を出すためにも自己理解を深める経験を増やし、不安や恐怖と少しずつ向き合う大切さがあり、日々の生活が学ぶ場そのものです。

恐怖を味わう経験を我慢するのではなく、自ら恐怖を経験する意味と目的を持つイメージです。

例えば、人前に立つのが怖いと思う場合、我慢して無理矢理立つのではなく、どうして怖いのか、どうして嫌なのかを知ると自己理解になり、「この怖さを克服したい!」と思えば自分を喜ばせたい意志になります。

その際は我慢ではなく、忍耐になります。

忍耐は自らの意志を持って耐え忍ぶ行為。

嫌なことを味わわない不安や恐怖の対処ではなく、自らを喜ばそうとする働きであり成長を作る行動です。

 

我慢をやめる方法⑤:マラソン

最後は実用的な方法です。

たくさん経験している我慢には、必ず育みがあります。

我慢経験を活かすためにも、我慢しなくするのではなく、我慢を忍耐に変えるのが私のおすすめです。

我慢を忍耐に変えつつ、さらにこれまでお伝えした我慢をやめる方法全てを内包するのが、マラソンです。
※ウォーキング、山登りも効果的

一定のリズムで自己内観できる反復運動がポイント。徐々に辛くなっていく際に自分と向き合う時間がもたらされます。

「うわ、きつい」「でもやめません」

この時、やめない理由を我慢ではなく、自分の喜びのためにします。

「ダイエットになる」
「運動不足解消」
「マラソンして前頭葉を活性化」
「記憶力アップ」
「細マッチョになるぞ」

なんでもいいのですが、自分の喜びを目的にしたマラソンを趣味のように定期的にすると、我慢する自分を肯定し、意志を持った忍耐に変換されていきます。

喜びのためにマラソンしている時、「我慢と忍耐の違い」がはっきりわかり、強さや精神力に繋がる耐える力が育まれます。

我慢の増長ではないので、無理せずに自分のペースでされてみてください。

※我慢しないで逃げる時は、忍耐力がない人の改善は逃げる力の活用。鬼ごっこが強ければ辛抱不要 をご覧ください。

 

我慢してしまう癖をやめる まとめ

我慢癖は直す以上に、するかしないかの理解であり選択の明確化です。

我慢する目的があり利益があるからこそしていますので、自己理解を深めて、自らの真意と向き合う大切さがあります。

実際に我慢をやめるのは大変です。

利益になるもの、自分にとって嫌なものを対処できる手法ですので、「自分のためになっている自覚」「自分との向き合い」は我慢癖がある人にとって難関です。

しかし、できないなんてことはありません。

我慢できる人は自己抑圧できる人。

自己抑圧できる人は自制心がある人。

自制心がある人は認識力がある人。

自己抑圧はしたくないものですので、一般的にホイホイっとできるものではありません。これまでの経験はとっても大きな意味があり、育みになっています。

あとは認識力の使い方、プライドやうぬぼれの隠れた自分の理解、不安や恐怖を誤魔化す自覚、そして忍耐力への変換がものを言います。

我慢癖はなくなります。

マラソンを始めた時、初めは辛いし身体中が痛いです。しかし、物事を知るように行動継続し、行動の意味と目的を自ら把握し、意志を出して喜びを求めた時、我慢癖は大きく変わります。

「よっしゃ、フルマラソン参戦だ!」となった時、それは紛れもない忍耐力。

そんな理解が、我慢をやめるためのご参考となれば幸いです。

それでは、我慢してしまう癖をやめる方法のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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