愛とは何か

本当に心配してくれる人は二人で成り立つ【盲目旅人が教えてくれた意味】

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「心配」は意味が極端に変わってしまう不思議な力。

周囲に心配してくれる人がいるのは、とても有難いこと。

しかし、心配してくれる人には自分のためか相手のためか、極端に違うさまがあります。

心配の意味はわかりにくいものですので、ここでは本当に心配してくれる人についてを見ていかれてください。

  • 心配してくれる人のタイプ別心理とは?
  • 心配の本当の意味を教えてくれた体験談とは?
  • 本当に心配してくれる人とは何者?

これらを紐解き、本当に心配してくれる人が持つ心配りの意味を深掘りする内容となっております。

旅先での盲目旅人との出会いが心配の意味を教えてくれる体験となりましたので、心配の力を活用する一つの考え方となれば幸いです。

本当に心配してくれる人の心配り

本当に心配してくれる人のタイプ

「よかったぁ、雨に濡れちゃうんじゃないかと思って心配したよ」

「大丈夫?なんだか顔色が悪いみたいだけど、今日は早退した方がいいんじゃない?」

両者は全く異なる気持ちによって相手を心配しています。

心配してくれる人には大きく二つのタイプがあり、それぞれの心理と心配の意味が変わります。

心配してくれる人のタイプ
  1. 自分と相手のために心配する
  2. 自分のためだと思わずに自分のために心配する

心配する際、「なんのため?誰のため?」という目的があり、「なんのため?」に対する答えは共通と考えられます。

抱いた不安を解消するためです。

不安があるから心配する動機が生まれ、自分の中にモヤモヤやゾワゾワの落ち着かない心地悪さを解消しようとします。

「大丈夫かな?不安だ、どうすればいいんだ、ああなったらどうしよう、あぁ心配だ」と抱けば抱くほどに心配が膨らみ、心配性にもなります。

もう一つの目的、「誰のため?」に対する答えがタイプを分けます。

不安を抱くのは自分にしかできないので、不安の解消を目的にする場合は明確に自分のために心配します。

しかし、心配する対象が他者であれば、自分の不安を解消する目的がありながら、心配する相手のためでもあり、自他共のために心配します。

目的が自分か他者かの違いによって、心配してくれる人の心理が変わりますので、それぞれのタイプを深掘りしていきます。

 

①自分と相手のために心配するタイプ

一つ目は自他共を目的にした心配です。

心配とは不安を抱くことが動機となる心配り。

不安という心地悪さは自分の中にあり、心配する対象が他者の場合、自然と自分も相手も含めた心配になります。

例えば、今年は息子の高校受験。

「大丈夫かな、あの子あまり勉強してなかったからなぁ、心配だ」となった時、自分では解決できないことによる不安を抱き、回答がない中を目を瞑って徘徊するようなモヤモヤや違和感を感じます。

自分が受験を受けるならば自分のみにフォーカスして、不安を解消するために行動・思考・努力・諦め・受け入れなどをして自己解決を図ります。

しかし、実際に受験を受けるのは息子。不安解消の目的を自分の中に持ちながらも、解決を図る行動は息子にしかできません。

不安解消したい気持ちがありながら、息子次第で解消有無が決まる状態。

自分だけではなく相手のためも目的にする人は、息子を自分の思うままにしたり、自分が納得いくように強制・管理するのではなく、息子の行動や思考を見守り、必要に応じて促します。

自分の不安解消を忘れずに、息子の望む進路が決まるように応援、見守り、サポート、優しさ、心配りします。

 

自他共のためを忘れない心配は相手を信頼する

  • 自分のためを忘れないことで、全力でサポートや見守りする動機になる
  • 相手のためを忘れないことで、干渉や執着や私物化せずに信頼して敬う

起きていることを明確にし、目的を知り、自らの認識を把握する人は、愛を持った心配りをします。

この心理には、「自他共に忘れない=自分も他者も一人の人間として捉える尊重」があると考えられます。

※相手を尊重する優しい人の詳細は、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をどうぞ。

 

②自分のためだと思わずに自分のために心配するタイプ

二つ目は自分のみを目的にした心配です。

心配そのものは自分の不安解消が目的ですので、自分のみが目的になるのが常です。

しかし、他者をきっかけに心配する場合には上述のように[自分+他者共の目的]になります。

他者を心配すると自分のためという目的を忘れたり、相手のためという目的を忘れたり、人それぞれに心配の形が崩れます。

「自分のために心配している」と思わなくなると、大切なことを忘れてしまいます。

「自分の不安解消という目的はどうする?」

内なる小声はヒソヒソし始めます。

心配する発端の目的ですので忘れることはできず、無自覚の領域で真意は稼働し続け、「あなたのために心配している」「これだけあなたのことを思っている」という主張が起きます。

自分のためという目的を忘れてしまうと、相手のために心配してあげていると付加価値を付けて、損得勘定に組み込めることが起きます。

相手のためだと思える自分のための行為でありながらその自覚がなくなり、「相手のためなんだ、自分は正しい、自分のための心配なんて自分のことしか考えていないからダメ」などと思い込み、心配しているさまによって満足や納得を得ようとします。

自分のために相手を利用する状態です。

「自分のため」の目的を度外視すると自覚がなくなり、無意識に相手のためと思いながら自分のために利用してしまう可能性があります。

「良かれと思って」と善意が知らぬ間に利用になってしまうトリッキーな心配心理です。

※知らぬ間に人を利用している心理は、無意識に人を利用する人の心理と対処【自然な利用には気づきにくい】 をどうぞ。

 

「自分のため」の目的が強すぎると私物化が起きる

自分のためを忘れる場合には自然と自覚がなくなって善意が利用になりますが、相手のためを忘れるとあえて自覚をなくして思うままにする支配が起きます。

自分の不安解消目的が強くなり、相手によって不安解消できるという事実がわからなくなると、支配が始まります。

私物化です。

心配だから料理させない
不安だから教師になりなさい
心配だからあの友人と離れなさい
不安だからあの人と結婚しなさい
‥‥

「これだけ心配しているのにどうしてわからないの!」と逆ギレにも発展し、支配するために怒り、涙、愁いを多用します。

相手を一人の人間として捉えなくなる危険性があります。

一人の人格者であり、歴史があり、千差万別の認識があり、個性があり、アイデンティティがあるにもかかわらず、見えない、知らない、わからない。

「家族だから、私の子供だから、私の妻だから、私の夫だからいい、大丈夫、問題ない」

この状態のあらゆる心配は全て自分のためだけの目的になり、自分の不安解消のために不安要素を作った他者を支配し、コントロールし、思うままにし、利用します。

自ら干渉・執着しておきながら相手に責任を負わす状態であり、「許せない、これだけしているのに、見返りがない、これだけ心配してあげたのに」と一方的に利益換算した思い込みと決め付けを貫きます。

そんな自分を自覚してしまっては自分のためにならず、さらなる不安を仰ぐため、自覚しないように自らを正当化、強く誇示し、自分が正しいと思えない他の意見や事実は全て排他する人もいます。

危険な心理状態(本人ではなく周囲にとって)、周囲の人は離れる必要があります。

※心配する心理は、人の心配ばかりする人の心理と演技「本当は心配できない?!」をご覧ください。

 

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本当に心配してくれる人の正体

体験談:障害者が教えてくれた本当の意味

「自分のため、他者のため」のどちらかを忘れてしまうと心配の形は変わり、優しさの善意が利用になってしまい、人によっては私物化の利用概念が強まります。

善意が知らぬ間に利用になる人は非常に多いと思います。

私もその一人であり、障害者と関わるまでは心配の意味になかなか気づきませんでした。

 

障害者と関わって気づく心配の意味

私が海外を旅している途中から障害者の方々と関わる機会が多くなりました。

自然と出会うことが多くなり、旅先のあらゆる国々で出会います。そんな中で心配の意味を教えてくれた出会いがありました。

盲目の日本人旅人。一人で旅していた男性と、南米チリで出会いました。

彼は非常に自信満々で、周囲の出会ったばかりの人々に手助けしてもらって日常生活をしていました。

買い物も移動も何もかも一人でしても物怖じせず、チリにいるにもかかわらずスペイン語を一切話しませんが、気にしていませんでした。

常に周囲に心配する人がおり、「大丈夫?あれ必要ですか?一緒に買い物行きましょう!」という優しい人々が多く、珍しさもあってか周囲が常に助けていました。

私は少しネジが外れているので、そのさまを傍から見て、どうしてそんなにみんなが心配しているのかわかりませんでした。

「チリに一人で来ている時点で、彼にとってはできることなんじゃないの?」と。

そんな彼からある日、買い物に行こうと誘われました。

港町であったために鮮魚市場があり、新鮮な魚や貝が海の前でたくさん売っています。

車や段差なんかもあるので、付き添いながら二人で買い物をして過ごしました。

しかし、気づくと一人でソソソと行ってしまうので、「感覚的に周囲を認知しているのかな?普段は自由にしても周囲が助けるのかな?」と歩いている後ろで、気づかれないように一定の距離感を持って観察したりしました。

危なそうな時には手を掴んで誘導したりしますが、常には付き添わないでお互いに自由にしていました。

その日の夜に私は彼に言われました。

「私が一人でいた市場で、ちょっと後ろで観察してませんでした?さらにどこか行ってしまいましたよね?」

ギクッ、バレていないと思っていたのに。

「初めてです。付き添ってくれる人といて、その場を離れて助けられなかったの、しかも観察、ハハハ」

認知能力の高さにて全てがお見通し。

「まぁ、困ったら声かけるかなと思って、勝手に勉強させてもらいました」と伝えると、「私みたいなのは普通に関わってもらえないんですよ、何かと心配されて直ぐに手を差し伸べられる」と話し出しました。

「一緒に出かけてあんなに一人にされたことはない。自由にしてても付き添ってくれるからには助けられると思い込んでいて、あそこまで助けられないのは経験ないです。なんか忘れてましたあの感覚、普通になれたみたいな」と新鮮なひと時だったよう。

一人の人格者として人を知ることの大切さ、思い込みや決め付けではなく同じ立場で物事を把握して理解する大切さを教えてもらいました。

「鮮魚市場では新鮮な魚はなかったけど、経験は新鮮でしたね」なんてふざけたことを言いながら談笑し、心配の意味を少し知った気がしました。

 

心配とは不安を乗り越えるための力(意志)

私の理解では、心配とは不安解消パワーです。

不安そのものは自分でしか作れないので、他者からの影響でもなんでも、最終的に不安にするかどうかは本人のみが決められます。

空虚で答えの見出せない状態が不安ですので、恐怖に塗り替えるか、答えを作る喜び創作にするかの選択があります。

不安と向き合って自己解決するために心配が力になります。

他者との関わりでは自分に不安がありながら、その不安の増減は目の前の他者次第という少し特殊な状態です。

人の不安をなくなったと誤魔化すことはできますが、解消するためには本人が乗り越える自力を要します。

この場合、自分と他者両方の不安を乗り越える目的となり、自他共の不安を解消するのが心配なのだと考えます。

  • 自分の不安解消は自らの不安との向き合い
  • 他者の不安解消は他者自身が不安を解消できるようにするサポート

他者自身が不安を解消するので干渉や押し付けや決め付けではなく、その人を一人の人間としてしっかり認識し、よく知り、不安を広げるのではなく安心や行動動機を与えるサポートをします。

基盤には相手を信頼する気持ちがあります。信頼は干渉しない忍耐になり、相手をよく把握する認識になり、一人の人間として尊重する敬いになります。

他者との関わりでの心配は、自分のためも他者のためも忘れずに不安を乗り越える力。
自分のために不安と向き合い、他者のために信頼して自力を育むサポートをし、両方の不安を解消する力となるのが心配です。

 

本当に心配してくれる人とは何者?

自他共を忘れずに心配するさまは、自らを敬い、相手の自力を見守り、不安解消のサポートをする人間関係。

本当に心配してくれる人とは、自分と他者両方の成長を見据えて心配りできる人だと考えられます。

典型例が、育てられる赤ちゃん(または子供)と育てる母親です。

心配する側だけでは成り立たず、心配される側が自ら成長する意志を持つことで成り立つという考え方です。

例えば、雨が降りそうな時、家で奥さんは旦那さんが濡れないか心配です。

ここで旦那さんが全力で濡れないように走って帰ったり、傘を買ったり、お迎え願いの電話をすると、奥さんは自分の不安と向き合いながら、旦那さん自身が状況打破や自己解決できるようにサポートします。

この際のサポートは安心感や行動動機を与えることや、旦那さんのアクションを黙って見守ることです。

もし奥さんが不安と向き合えていなかったら、旦那さんに有無を言わさずに傘を買う指示をしたり、旦那さんの意見なく車で迎えに行ってしまいます。良かれと思っての善意ですが心配は異形します。

また、旦那さんがやっと帰ってきたと思ったら、「みてくれよ、最高だね雨の中をビショビショで帰るって、ハハハ」とお花畑パーティであれば、心配していた意味などなくなるので、「この人を心配する必要はない」と一刀です。

一方通行では成り立たないのが心配してくれる状態であり、心配される側が自力の育みや不安解消の意志、自ら成長や現状打破する気がなければ、心配したくてもできなくなります。

心配とはネガティブな不安を乗り越えるための力ですので、本人がネガティブに入り込んで乗り越える状態を見守るネガティブ側の目線と、ポジティブに見守る目線を両方要します。

  • 心配する側は忍耐して勇気を与える役割
  • 心配される側は不安を乗り越える意志と自力を育む役割

お互いの役割を理解した人同士ができる不安解消という成長が、心配なのだと考えられます。

本当に心配してくれる人とは、心配される人との結託による見守り、お互いが不安と向き合う成長によって見出される姿です。

 

本当に心配してくれる人 まとめ

自らの不安を解消するために心配し、自らが解消して打破して乗り越える力にします。

これが他者との関わりになると一方通行では成り立たず、心配する側がいれば、心配される側の役割や認識を要します。

心配する側は相手を敬う前提があり、「相手のため」を忘れずに自らの不安と向き合い、相手を信頼して安心感や行動動機、きっかけや勇気を必要に応じて与え、後は自力に委ねる忍耐やサポートをします。

死にゆく人を温かく見守るように、自らの死を受け入れて不安を乗り越えようとするように、お互いの役割があり、両者が不安を解消する関係性があります。

心配する側は本当に心配してくれる人になります。

心配される側は本当に心配される人になります。

心配してくれる人がいるからには心配してもらえる理由があり、心配される人がいるからには心配してくれる理由があり、両者の関係を愛と呼びます。

心配の中身には信頼、安心感、自力の見守りがあり、忍耐も大切になると教えてくれる、本当に心配してくれる人。

そんな考え方が心配の使い方をより温かくするものとなれば幸いです。

最後までありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. たいじろう より:

     「心配」になった時や「助けたい」と思った時の望ましい心のあり方について、ここまで明確に分かりやすく書かれた文章は初めて見ました!
     普段、子供と関わっていて本当によく抱えるジレンマの部分です。雨のエピソードは確信をつきまくっていますね(笑)
     盲目の方がなぜチリにいるのか、それまでどんな人生を歩んできたのかも、もっと気になるところでした。障がい者の自立という部分では考えさせられます。
     とても濃密な記事をありがとうございます!

    • 北斗 より:

      たいじろうさん、それは良かった。ありがとう。
      盲目の彼は盲目の奥さんがいて、一緒に旅をしていたけど一時的に個々に旅をしようと一年くらい離れて、
      また再会して一緒に海外を旅すると言っていたよ。

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