心理と特徴

「なぜめんどくさい?」自己肯定感が低い人の解釈違いと最適化案

米国は自己肯定感が高い、日本は自己肯定感が低い。

よく聞くことです。

私は自己肯定感が低い日本代表のごとく海外を旅しておりましたが、「米国の自己肯定感が高い人はめんどくさいな」と思いました。

同時に、「自己肯定感が低い日本人はめんどくさいな」と思われていたことでしょう。

「なぜそんなにめんどくさいのか」

おそらく、両者共に知っています。

しかし、言語化しないとわかりにくいものですので、どうしてめんどくさいかを明確にしたいと思います。

見出されるのが自己肯定感の真意、大事な理解が潜みます。

  • 自己肯定感が低い人はなぜめんどくさいの?
  • めんどくさい人とそうでない人の違いは?
  • 自己肯定感、いる?

これらを紐解き、「自己肯定感の解釈を間違えるとめんどくさくなるんだ」と知っていただく内容となっております。

自己肯定感は低いからこその意味がありますので、今一度言葉の解釈を見つめるための一つの考え方となれば幸いです。

自己肯定感が低い人はめんどくさい?

自己肯定感が低い人がめんどくさい理由

自己肯定感とは自らの長所や価値や満足を認め、ありのままの自分を大切にする感情や態度。

同時に、自らを否定的に捉える感情や態度。

「自分は素晴らしい人間だ」と思わず、「自分はダメな人間だ」と思うのが、典型的な自己肯定感が低い人になると思います。

私は典型でした。

幼児期や幼少期の周囲との関わり、特に親との関わりに自己肯定感が低くなる原因があると心理学では言われていますので、肯定度合が高くも低くもなるのは自然だと思います。

着目したいのは、「どうしてめんどくさくなるか?」です。

自らとの関わり、他者との関わり、自他共からめんどくさいと思われるのはなぜなのでしょう。

私自身を洞察してめんどくさいと思ったのは、プライドの高さと、プライドがない在り方です。

 

プライドが高いとめんどくさくなる

自己肯定感が低いと自らを肯定的に捉えず、否定的に捉えます。

しかし、本当は否定したくない。

するとプライドによって自らを護り、肯定はできないけれども否定しないように自己保持を図ります。

結果、見栄、強がり、うぬぼれ、傲慢、自慢、虚言、負けず嫌い、非を認めず、マウントを取りたがり、他者承認欲求を強め、否定的になりながら繊細で傷つきやすくなります。

弱みを隠すために攻撃的になり、他者から肯定されるように周りの目を気にして、外部装飾や取り繕いを激化させます。

自分のことをめんどくさく思いますが、周囲で関わる人も大変です。

強がっているので強めに関われば怒り、否定するので否定し返せば傷つき、あからさまなかまって欲しいスタンスになりながら、負けず嫌いにてそれを認めず、承認欲求を得れば傲慢になってうぬぼれる。

過去の私は人との関わりを怯えながらも、自らの存在価値や意義や評価を得るために他者に執着していました。

否定されると自己価値が下がる、けれども価値を上げるには他者から認めてもらい、褒めてもらい、必要としてもらわなければならず、関わりたくないけれども関わります。

本当は一人がいいけど、一人は寂しいから人とつるむ状態。

実際には自分しか見ていないので、他者を敬い思いやることができず、その風貌は欲しいのでルールや常識を鎧代わりにして、自らを正当化しながら優越を見出し、社会性というバックアップに依存して肯定されるように取り計らいます。

「合わせないといけないな、さもなくば機嫌悪くなるし、でも執着されるからな、どう関わればいいんだ?」という印象を周囲に与えます。

プライドは自分を護る術でもありますが、自らを過信させて夢見にさせる現実逃避にもなり、ポジティブに偏って存在価値を見出す方法は、すがるように他者利用するため、めんどくさいと思われるのが増えます。

※プライドが高くなる詳細は、【内部洞察】自己肯定感が低いとプライドが高くなる仕組みを把握 をご参照ください。

 

プライドがないとめんどくさくなる

一方、プライドがない(低い)場合はネガティブに偏って存在を保持する方法になります。

自らを劣等させ、罪悪を感じ、卑下し、自己否定感が高くなります

実際に自己否定すると、闇落ちにて死や恐怖が身近になり自己保持できなくなってしまうので、真に自己否定はせず他者から否定されるのも嫌がり、恐怖を抱くことからとにかく距離を取ろうとします。

なるべくぬか喜びせず、感情を表さず、抑圧を増やし、我慢し、喜んで悲しむなどの刺激や上下変動を極力抑えます。

自分と恐怖心との距離感を常に把握しておきたい欲求があり、否定して自らを卑下していると思い込む材料を増やすことで、本当の恐怖へ向かわないようにします。

「否定に値する存在なんだ」と認識する状況が必要になるため、自ら求めます(無意識の場合も有)。

「善悪、正否、勝負、高低、上下」の社会的に定まる低評価サイドに当てはまるように、他の意見や情報やルールと照合し、他者と比較して劣等感を抱きます。

「私はダメなんだ、誇りもない、価値もない、能力もない、なにもできない」と本当に思っては恐怖に苛まれるので、思い込ませるために他と照合比較する世の中を見ます。

不安を感じることで否定性が高まるために、自らを信じず、敬わず、大切にせず、愛さず、幸せにならず、ネガティブに依存して物事を悲観的に捉えるようになります。

実際に幸福を感じると不安になり、不安を感じて自らを卑下する状態が恒常化すると、不幸であることに安堵を抱く人もいます。

ネガティブに偏り、他者を疑い、信じず、詮索し、否定し、拒否し、心を閉じて、相手の嫌な部分を探し、自分の嫌な部分を探します。

自らをダメだと卑下するために否定されることを求めながら、必要とされずに離れられるのを怖れ、他者への執着と依存が加速します。

その際に不安を抱くことで、さらに自己否定感を高めて安堵することにもなります。

あらゆる行為は自らを恐怖心と向き合わせない対処のためであり、自己否定感を高めるための人間関係になるため、周囲はめんどくさくなります。

中には、自らを被害者にすることで自己否定感を高める人もおり、関わる人を加害者に変えてしまう場合もあります。
※この場合、関わる人は自己肯定感が低くてプライドが高い人になる

※自己肯定感が低いメンタルのずるさは、【心が弱い人は努力しない?!】メンタルが弱い人の甘えとずるい真意 をどうぞ。

 

自己肯定感が低いと自分がわからない

プライド有無は、自己肯定感が低いとどちらにもなりえます。

私は両方を内包し、時にプライドを高め、時にプライドをなくします。

「私はここにいて、私として存在している」と思うために、プライドを高めたりなくしたり変化させます。

関わる人、状況によってコロコロ変わり、存在認知の術だと考えられます。

しかし、幼児期や幼少期の周囲との関わりによって自尊心がなくなっている場合、自分で存在認知できません。

虐待され、無視され、父母で躾が違い、育児放棄され、嘘をつかれ、いじめられ、過保護にされ、言いなりにされ、私物化され、他と比較され罵倒され…。

自己肯定感が低い場合、人それぞれにさまざまなことを経験していると思います。

アイデンティティを消し去る周囲の影響があり、自ら存在認知できなくなっても、「私は生きている、ここにいる、これが私」と思わなければ生きている意味を喪失してしまう怖れが生まれ、何かにすがりたくなります。

これは地球上で生きていくために呼吸する、空気への依存と同じですので親や環境次第で自然な現象だと思います。

「他」によって自らを見出す意識が強まり、欲求願望が他者、他のルール、他の意見、他の情報に向かいます。

他に向かえば向かうほど、「何が正解で、何が良くて、何が評価され、何が認められる?」と他を見ながら答えを出すようになります。

他で埋め尽くされた記憶が増えていくと、自分がわからなくなります。

自分がわからないと、自ら存在認知を求め、意義を求め、自らを知りたい人ほど、自分のことがめんどくさくなります。

「この人を知りたい、もっと本音を知りたい」と思ってくれる人ほど、関わるとめんどくさく思えてきます。

本当に関わりたくない人は興味をなくして離れますので、めんどくさい」とは関わりたいのに関わりたくないジレンマをうたう心理だったりします。

 

自己肯定感が高い人もめんどくさい

自己肯定感が低いと、自らの存在認知を自らで見出せなくなる

これは自己肯定感が高くても同じかもしれません。

海外を五年間旅しているとさまざまな人々と関わります。米国や欧州(特にフランス)の人々は世界各国の中でもずば抜けて自己肯定感が高いと思いました。

自己肯定感が高い人はとにかく自信があり、自分という存在を主張し、自らの価値を認めて満足しています。

関わるとわかるのは、俯瞰して自分を見れているか否かのタイプがあることです。

自己肯定感が高い人のタイプ
  1. 自らのことを自らで認める人
    …俯瞰できる
  2. 自らのことを他からの結果や反応や成果で認める人
    …俯瞰できない

②俯瞰できない場合、賞を取った、評価された、肩書きがある、称賛された、親や周囲から肯定された成功体験など、他のルールや意見に基づく成果によって自らを肯定します。

とても大切だと思いますが、自らでは認めていないことに自覚がなくなる可能性があります。

例えば、私があるプロサッカー選手と出会い、一緒にお酒を飲んだ時。

モデルの奥さんがいて、可愛いお人形さんのような子供がいて、高級住宅に住み、ファンにキャーキャー言われ、今では好きな時に旅行していると言います。

満足感があり、とても幸せそうでした。

私は尋ねました。
「素晴らしいね。ちょっと気になるんだけど、何のためにサッカーをしているの?」

「サッカーが好きで、上手かったから評価されたんだよ。そのまま一生懸命やり続けていたらプロになってて、楽しいしお金も入るし、大変だからやりがいもあるよ」

「自分でサッカーしていることに意味付けしないの?」「理由はお金が入るとか、モテるからとかいろいろあると思うけど、自分にとってのサッカーって何?自分を認める道具?」と聞くと、表情が変わりました。

「はぁ、初めて聞かれたなぁ。サッカーは好きで、仕事になって、お金がもらえて、称賛されるからやりがいもあって…でもサッカーって俺にとって何だ?」「サッカーとは人生、とか簡単には言えるけど意味わからない、お金くれなきゃやってるかわからないしなぁ」

わからなくなった彼は本音を言ってくれました。

「俺って自信ないんだよね。世界各国の有名プレイヤーと一緒にやってきたけど、サッカーの時だけなんだ、自信あるの」

彼は賞やタイトルや名声など、他が決めた評価に基づく成功体験によって自己肯定感を高めており、「自分はできる」と思える周囲の反応によって心の余裕を得ていたそうです。

自らと向き合わずに自己肯定感を高めることを善としたため、他による結果や反応によって自らを見る仲介が入っていそうです。

この場合、自らと向き合うと悲観的になるか、過剰な自信で物事を誤魔化すかになり、外部装飾のない真っ新な自分との関わりが嫌になり、めんどくさくなります。

自分をめんどくさいと思う状態です。

人によっては、絶対的な社会的肯定を得て自らとの向き合いが皆無となり、他への着眼が増え、肯定される自分を比較対象にするために否定が増えてめんどくさがられます。

例えば、「何もしない人は時間がないと言い訳ばかりだ」と否定ばかりする人のように、どうしてそうなったかを認識できなくなります。

※自信過剰な人の心理は、【自信過剰な人はハマり中】うざいと思える大切さと過剰心理 をどうぞ。

 

「めんどくさい」からわかる自己肯定感の真意

めんどくさい人とめんどくさくない人の違い

めんどくさいと思われる人がいる反面、思われない人もいます。

自己肯定感が高い場合、俯瞰して自らを肯定している人はめんどくさくなりません。

自らと同時に他をマルチに見れるので、他者を比較対象にして捉えなくなり、否定へ向かいません。

自分だけを対象に見ると、肯定者は自分が[善、良、正]であるため、無意識に他が善悪のどちらかになるルール縛りが起き、どうしても自分が頑張ってきた分、他を否定しやすくなるか、偽善や体裁による誤魔化しでいい人を装います。

俯瞰する人はルール縛りがないので、正否良悪関係なく、その人をその人のままに認識します。

すると、「あなたはこうした方がいい」とは言わず、「こうすると役立つかもしれないよ」というスタンスになります。

これと同じく、自己肯定感が低い場合にもめんどくさくならない人がいます。

 

自己肯定感が低い人は謙虚に反省と成長を繰り返す

謙虚になる人(卑下ではない)は、めんどくさいと思う思われる状態からかけ離れます。

謙虚な人は自らを他と比べて良悪、正否で捉えません。

かといって自らを卑下して否定もしません。

自分のことは自分でしか認められないと知っており、そのために過去の辛い経験や苦労を活用し、より物事を俯瞰して捉えられるように失敗を反省し、成長し続けます。

自己肯定感が低い人は肯定の高めや、他を引用した区分けや差作りではなく、自らに着目します。

自己肯定感を高めるのではなく、過去の記憶を全て認めていきます

過去を振り返ればそれは全て失敗であり、だからこそ謙虚に学び、後悔を活かして反省し、成長し続けられます。

過去は意味付けすることで今この瞬間に変わり、過去が変われば未来が変わります。

自己肯定感が低いからこそ謙虚に自らと向き合い、過去と未来を変えながら自らを変え、結果的に自己肯定が必要も不必要もない領域へ向かいます。

これを、自己受容と言います。

 

自己肯定感は低くてもいい

自己肯定感を高めることは本当に重要ですが、今あるものを最大限活かし、無用なものを手放し、最適化していくことも欠かせません。

西洋と東洋の思想が大きく異なりながらもなくならないのは、共に大切だからです。

同じように、自己肯定感は高いのも大切ですが、低いのも大切です。

それは高めよう、低めようではなく、そのままを認めて受け入れる始まりの行為。

資本主義社会では大企業があるから多くの人々に価値を与えられ、自己肯定感を高めて価値を作る意味があります。

同時に中小企業や個人事業のように、たくさんの肯定や満足がなくても、自己肯定感が低くても自らのことを見つめ、できることをする意味があります。

自己肯定感の高まりは、上や先へ向かうことを善とする自然な認識があり、無意識に比較対象を設定し、善悪、正否、勝負の概念を含めた捉え方になります。

だからこそ社会的価値が生み出せると同時に、過去を振り返る以上に未来へ突き進む在り方となります。

それは自己肯定感が低くならなかったからこその邁進力であり役割。

自己肯定感が低いからこその役割は別であり、過去を一つ一つしっかり見つめ、意味付けを今この現在からして、あらゆるものを無駄にせず、重荷を取り払い、あるものを如何に活かすか。

謙虚であり、自己受容であり、過去を変えるからこそ未来を変える方法です。

自己肯定感は低くてもいいんです。

「低いから高める」のは自己肯定感が高い人の考え方ですので、その考え方が合う時にすればいいと思います。

無理をせず、自分にないことをせず、あるものを最大限活かし、謙虚を目指して自らのできることを一歩一歩進む道

物が多くなり過ぎたこれからの時代の在り方だと思います。

※ネガティブな人のめんどくさい理由は、ネガティブな人に疲れる、めんどくさい時に知りたい「本当にネガティブな人?」をご覧ください。

 

めんどくさいから見える自己肯定感の低さ まとめ

「日本人は自己肯定感が低い」とよく言われます。

これは褒め言葉なのかどうか、私は海外で迷いました。

きっと褒め言葉でしょうね。

日本には自己肯定感が低くなる土壌があり、教育があり、親子の接し方、人間関係があります。

それは今作られたわけではなく、継承し続けてきたものと、突然変化していった社会の西洋的流れのジレンマかもしれません。

自己肯定感が低いことにはなにかしら意味があり、プラスでもマイナスでもあり、人間だからこそ私達は意味付けができます。

プラスに変えてしまいましょう。

変えるには過去がポイントになり、記憶と向き合い、自らを受容し、失敗を糧に、意味付けします。

意味付けはクリエイト。フォローではなく創作。

めんどくさいと思い思われたからこそ、謙虚に反省し、意味をもたらし、マイナスからプラスに大変換でき、最適化していきます。

自己肯定感が低いからこその利点は、過去を見つめて未来を変えられることであり、自己受容によって受け入れる愛を知れること。

「めんどくさくてよかった」

そんなことを思う日が来るように、自己肯定感の捉え方を気楽にする考え方となれば幸いです。

それでは、自己肯定感が低いとめんどくさいお話を終了します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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