生き方

【極度の人間嫌いならではの生き方】克服は人間と関わらずに自分を取り戻す

小さい頃から、自分の居場所を求めている。

そんな方、多いかもしれません。

自分があればあるほど、保持したければしたいほど、1vs集団が構成され、辛さや苦しみが増える。

同じ形態をした人間でありながらも、一人一人に個があり、社会生活での集団があり、自分を貫くと潰されることがあります。

私は極度の人間嫌いでしたが、常に自分の居場所がある気がしていました。

居場所の認知によって私は助かり、当時はそれが何なのかわかりませんでしたが、今ならわかります。

そこで、極度の人間嫌いである方におすすめしたい生き方を、私なりの理解にてお伝えします。

  • 極度の人間嫌いになるのはなぜ?
  • 人間嫌いの克服に大切なこととは?
  • 適した生き方とは?

これらを紐解き、「人間が嫌いだからこその関わりがあるんだ」と知っていただく内容となっております。

私達人間には固定観念がたくさんありますので、解きほぐすための一つの考え方となれば幸いです。

極度の人間嫌い

極度の人間嫌いになるのはなぜ?

私達は他と関わり合いながらも、前提に一人一人の個があり個々が組み合わさって全体として存在しています

個を持って生きるとこうなります。

オギャーオギャー。ジェンガだぁ、ボカンッ、ガシャガシャ。

大きくなってもそのままだと、電車内で大声で通話したり、キャンプ場で勝手放題騒いだり、公共施設を好きに使うだけでなく、損害や不利益を与えて帰ります。

しかし、ルールや常識に従ってばかりでは個がなくなります

従わず反発すれば個はなくならないと思えますが、周囲から抑圧され、強制されるか嫌われて放っておかれます。

人間嫌いになる場合、どちらでもありません。

自らルールを作り、自らに従うことで、結果的に周囲から受け入れられなくなります。

ルールに従えば自分という個がなくなり、AIのように。

反発する場合、ルールに従うからこそ反発できるので、逆AIのように(AIと同じ)。

自らルールを作って従う場合、AIにはならず個を持てますが、周囲からの躾、教育など、何か他のルールに従わせる干渉が必然的に増えます。

このことから、人間嫌いになるのは自律(自らルールを作り従う)が強すぎる可能性があります。

自律の強さは自意識の強さでもあり、自らの在り方を尊重するさまでもあります。

幼い頃から自律がある場合、心理やメンタルなどの後天的なものとは別に、意識として内在する先天的な自意識が関わっている可能性があります。

 

私が人間嫌いになった理由:「なんで?」が多過ぎる

自律の強さは私自身を見ると先天的にあります。

例えば私が幼い頃、父親は私との関わり方がわからなかったそうです。

抱っこしても、話しかけても、関わろうとしても、何をしても泣き叫ぶミニサイズの私。

こちらから話しかけることはなく、常に周囲を見回って状況把握する私を見ていた父親は、関わると自分を知られる恐怖が芽生え、関わりに難を示します。

憶えているのは、抱っこされた時の支配される感覚、話しかけてくる時の思うようにしたい欲求が、私の全身に流れるように入ってきて、強烈な嫌悪を感じて叫んでいました。

自律が強いと自分の中での拒否感が起きやすく、「あなたを変えてやる」という関わり方には拒絶を抱きます

同時に、既に自己ルールがあるために、何か従わせたい時にすんなりいかないめんどくささがあり、周囲からすると強引に強制したり、抑圧にて言うことを聞かせる手段に入りがちです。

特に多かったのは学校の先生でした。

私が社会人になるまでの期間で、拒絶を感じずに関われた先生は両手で数えられるくらいですので、全員憶えています。

それ以外は全て拒絶感が凄まじく、「はい、じゃあこれに着替えてね」とどれだけ優しい見かけで言われても、「おらっ、これに着替えるのがワシのルールじゃ、早く着替えろ、さもなくば怒り狂うぞ、ぉお!」と同じくらいのイメージです。

過敏で繊細で感受性が強いなどの解釈もできますが、それ以上に「自分ではこうする」という解釈があるので、自律や自意識の強さが関係していると考えます。

もしこの意識状態に該当する場合、ある癖があります

「なんでそうするの?」「それってどういうこと(意味)?」とよく聞きます。

 

自律が強いと周囲から受け入れられない

社会人になっても、今でもそうなのですが、「こうして、ああして」と言われると疑問を投げかけます。

相手を負かしたい、弱味を握りたいなどの邪な欲はないのですが、既に自分の意見やルールやスタンスがあるために、「なんで?どうして?」と聞いてしまいます。

照合したいからであり、どちらの方がいいか比較するためです。

自律がなければ、言われた時に「うん」とすんなりいきます。

反発によるひねくれや不真面目でもないため、いたって真面目に質問しますが、これは人によっては禁句だったりします。

「この後、18:00までに掃除終わらせておいて」
「なんで18:00なんですか、今やった方が効率良いのでは?」
「んっもうぅ嫌ぁ!ルールだからやって!」

あまりに聞き過ぎると、答えがわからない人は怒りかねません。

ルールに従う(または反発する)ことで他者や集団から拒否されず、不安や恐怖を味わわずに済み対処にもなっているので、答えを聞かれると「何も知らない(わかっていない)」在り方が露呈します。

知らぬ間に他者に恐怖を与えることにもなる「なんで?」は、周囲から受け入れられない拒否に繋がります

拒否されることで孤独感が強まり、はっきりとカテゴライズが表れます。

  1. ルールに従う人
  2. ルールに反発する人
  3. どちらでもない人(人間嫌いになる)

多くは①と②ですので、③は受け入れてもらえないことが増え、集団で生きる家族や学校や職場やコミュニティで孤独という疎外感や拒否感を感じます

全体の在り方に反発したい訳ではないのに孤独を感じると、自分の居場所がこの世にない感覚になり、「人間が嫌い、人間不信」となっていきます。

※人間嫌いになる日本の仕組みは、【嫌いで良かった】人間嫌いで気持ち悪い│日本ならではの原因と仕組み をご覧ください。

 

極度の人間嫌い克服と生き方

「極度の人間嫌い=自分の居場所がない状態」

人間嫌いの状態を紐解くために、再度私を例にします。

私の場合、小学生の頃は人間不信の極み。中学生の頃は人間嫌いの極みだったと思います。

学校では毎日のように理解できないルールを押し付けられ、自意識をギュウギュウと潰され、自分を別人にされる強制労働場にしのぎを削り、疲弊して帰宅。

自宅では毎日のように怒鳴られ、泣かされ、理解できないルールを強要され、自律心をバッキバキにへし折られます。

しかし、折れないのが問題であり、自律(自意識)の強さ

従えない、言うことを聞いて自分を消せない。むしろ自分と違うことに嫌悪すら感じ初め、人間嫌いが増長されていきます。

他者への強烈な拒絶感を感じ、他者から受け入れてもらえない拒否を見ながら、人間と関わることに恐怖を抱きます。

人間不信や嫌悪が続くと、自らへの嫌悪や存在疑問が発生し、これ以上生きていくことが危ぶまれ始めます。

恐怖に押し潰されそうになる頃には、自己愛を糧にして人間を怖れるのではなく嫌いになり、自分を嫌いになるのを防ぐ戦いに入ります。

明確に自分の居場所がなくなり、家庭環境も相まって人生を自律しながら生きていく限界が見えます。

極度の人間不信は、自らの存在意義を見失う自己喪失と、恐怖心を抱える闇の彷徨いが起きます。

極度の人間嫌いは、攻撃性を含んだ排他意識を強め、恨みや呪いにて自分も他も人間全般に憎悪を抱きます。

極度になると起きるのが、「自分」を見失えないのに見失う矛盾。

自律があると常に自分が主体で主軸なので見失うのは困難です、が、見失って憎悪や喪失が起きるのは、自分の居場所を求めてやまないからだと考えられます。

ここにも意識が関係しており、個を貫く在り方を持ちながらも、全体の中で生きている認識があるさまを、共同体意識と言います。

共同体意識があればあるほど、個を尊重しながらも全体として一体であることも尊重します。

しかし、今の社会では両方取りはご法度のルールか何かがありそうです。

個(自律)を抑圧され、さらに全体として生きる希望を失った時、自分の居場所がなくなり、人間嫌いは極地へ向かいます。

※人間嫌いの意識の詳細は、【楽園者の愛と意識】優しい心があるからこその人間嫌い・人間不信 をご参照ください。

 

克服ポイント:自分の居場所

自律や自意識の強さであり、共同体意識があるからこその個と全体の尊重。

人間嫌いそのものはかけがえのない大切なものだと考えます。

「個々を際立てるために自分を確立し、一人一人がお互いを尊重しながら調和し、全体として一つになる」が望まれる社会の姿かもしれませんが、実際には全くと言っていいほどかけ離れています。

そのため、克服するには人間を排他して理想郷を築く。

という訳にはいきません。危険思想になってしまいます。

では、人々と関わってルールに従えるように、自己ルールと調和を図る。

という訳にもいきません。これができれば苦労しません。

私自身を振り返って克服に最も重要だったのは、自分の居場所の確保です。

「自分の居場所」という言葉の内訳はこうなります。

  • 「自分の」=自律による個の尊重
  • 「居場所」=全体の中で一つの個として共存するさま

人間嫌いは誰しもがなれるものではありません。

先天的な意識の在り方があり、後天的な成育環境や人間関係による心理やメンタル影響があり、それぞれが別々に関与している人もあれば、両方が組み合わさる場合もあります。

極度の人間嫌いの場合、メンタル影響だけとは考えにくく、意識の強さ、または意識とメンタルの両方が関わっています。

克服は、自分の居場所探しからです。
※自分探しではないのが、人間嫌いになれる人の特徴

 

人間嫌いの克服方法:人間と関わらず自然と関わる

「どうやって自分の居場所を探すの?」が克服の焦点。

具体的には、人間と関わらない時間を定期的に設けます

関わる物事を「~界」で考えます。

人間であれば人間界。

動物であれば動物界。

自然であれば自然界。

克服方法は、動物や自然界と関わる時間を増やすことです。

私の体験上、自分の居場所がなくなっていたら、今頃刑務所かあの世です。

しかし、私は自分の居場所があり、おかしくなる寸前で自制できました。

当時の私の居場所は、「自然界」でした。

共同体意識のある人が、社会に揉まれ、抑圧され、拒否され、受け入れられず、自らも拒絶を感じ、自分を見失うと、自然から最も遠い状態になります

私達から自然がなくなると、自分そのものや、自由との向き合いがなくなるかもしれません。

ドイツの社会心理学、哲学者であるエーリッヒ・フロムはこんな言葉を残しています。

人間が完全に自然から離れることはない。あくまで人間は自然の一部だ。

一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。

by エーリッヒ・フロム(1900-1980)
※Wikipedia

人間嫌いになったからには必ず理由と原因があり、それ以上に大切な意味があります。

意味付けは経験者が唯一できます。

人間嫌いになった意味は自分を消さないためであり、全体として共同するための愛を持っている。そんな自分を明確にするためかもしれません。

意味を見出すためにも、まずは自分の居場所を確保するために動物や自然と関わってみてください。

※人間嫌いでいいという考え方は、「人間嫌いでいいじゃない」動物好きな特徴から見える原因と人間性 をご覧ください。

 

おすすめの生き方:自然界との触れ合い

経験上、自然とかけ離れた時に人間嫌いは極限に向かっていたので、少しずつでも自然との触れ合いを増やし、常に関わるスタンスを構築します。

森や砂浜を散歩するなど、とにもかくにも克服しようとせずに、自分が気楽に行ける居場所を作り、習慣化することが生き方にもなります

たまのソロキャンプなんかはよき塩梅です。

キャンプは今では流行していますが、野営場(市町村管理)などは人が少なくて、私はよく利用させてもらっています。

自然界の空気、風、森、大地、海、川、湖、山…etc、呼吸を初め、常に自然との繋がりがあると実感すると、「自分はこれでいいんだ」と思えます

これは人間嫌いを肯定するのではなく、自分の居場所が見つかった感覚です。

自然とは常に繋がっている共同体同士。

居場所の確保によって、普段は我慢しながらの人間関係があっても自分を見失わなくなり、何か極限状態でも自制できるようになります。

徐々に居場所を認識する時間を増やすと、自己認知だけでなく共同体意識も復活し、森の中でコーヒーを飲み、火を見ながら、風を感じ、自然の匂いを堪能して過ごす時、「あ、これが私だ」と言っているかもしれません。

※人と関わりたくない詳細は、【人と関わりたくない、面倒くさい、怖い訳あり】心理とスピリチュアル合体 をご覧ください。

 

極度の人間嫌い 克服&生き方 まとめ

克服するために人と関わるのはやめましょう。

関わる人は抑圧せず、思い込みをせず、決め付けずに、心を開いて関わる人、いわゆる個々を尊重する自律者であればいいのですが、そういう人は絶対数が少ないです。

たくさんの素敵な人々がこの世にはいますが、自ら発する波動や心理・精神状態によっても関わる人が区分けされてしまいますので、まずは人間以外がアプローチ対象です。

自らの意識が徐々に戻って来ると、愛のある、心を開き合える人との出会いや関わりが増えますので、その際には関わりを増やされてください。

克服するためには克服以上に生き方を考える大切さがあります。

生き方を考えるには、主本となる自分の理解が先決です。

他に従う以上に、自らの律しを重んじるからには必ず意味があり、そこに自分がいます。

自分を明確にするために居場所が重要になるのが、自意識や共同体意識があるからこその順序であり、社会での順応方法だと考えます。

いつからか私達は自然の原理や法則を重んじる以上に、人間様がこの世のルールだと思うようになりました。

神が必要かどうかではなく、自らをルールの上で何者かにした時、そこに自分が存在しないと気づけなくなるのは注意がいります。

人間嫌いだからこそ気づけることがあり、自然と関わる生き方があります。

自らの個や意識を尊重した時、同じ共同体意識を持ち、個々を尊重して押し付けや決め付けをしない動物、子供、人々との関わりが増えます。

それは全く違う別世界ですので、本来のご自身の在り方で生きる素晴らしい時間を味わっていきましょう。

生き方を考えるための一つの考え方となれば幸いです。

それでは、極度の人間嫌いのお話を終了します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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