生き方

今を生きるとはどういうこと?│以外に知られていない意味と目的

今を生きなければいつを生きるのか。

過去と未来?

“今”の概念とは時間のことなのでしょうか?

「今を生きる」の意味を自分の喜びのためにする目的がある場合、これは時間の概念ではないかもしれません。

「なんのために今を生きるのか?の目的を明確にすると、今を生きることができる」という話がここにあります。

ここでは、今を生きる上で必要な目的を作るために、今を生きるとはどういうことなのかの意味を知る参考になればと思います。

今を生きることの意味を知り、あとはなんのために今を生きるかの目的を定めることで、本格的に今を生きる人生が始まります。

そんな初めの一助となることを願い、今を生きることの意味を一つの考え方としてご覧ください。

今を生きるとはどういうことか

今を生きる前に考えたいこと

今でも過去でも別次元でも頭の中でも心の中でも、顕在意識の中でも潜在意識でも超意識でも、“今この瞬間”というニュアンスにはさまざまな解釈があります。

「今ここ」と言えば、「時間と空間の三次元概念で、地球にいる状態かな」と何となく思うことはできますが、人生を生きる上ではどのように生きるかの基盤は完全に人それぞれで、地球という三次元世界に従うのではなく、使用しながら生きています

これは、「食べなければ死んでしまう」というのが固定観念で、何も食べずとも生きている人がこの世にはたくさんいることと同じです。

こんなおかしなことを当たり前として話していきますので、見極めて読まれてください。

 

何のために生きているのかの目的を明確にするとわかりやすい

今を生きる意味を知るためにも、「何のために生きているのか?」の目的は明確にしておきたいところです。

なくてもいいと思いますが、あると今を生きることの解釈がわかりやすくなります。

目的なんてのは気軽なものです。同時に、確実で明確なもの。
私であれば、「幸せに気楽に過ごすため」という目的です。

同時に、「何が自分にとっての喜びか?」を明確にしていると、より容易に意味を解釈することができます。

私を例にすると、「楽しさや面白みに溢れてみんなが気楽な様」に喜びを感じます。あとは単純に、自分が笑ったり癒されることなど、たくさんあります。

今を生きる上では、誰が生きているのかを明確にしなければ話が進まないので、これらから知っておきたいことは、“自分を主観にして人生を見る視線があるかどうか”の確認です。

今でも過去でも生きる土台があり、今を生きるのは「自分のため」「自分の喜びのため」という目的に繋がります。

今を生きる上で確実になければならない目的として、自分を主観にする前提が必要です。

この目的の中で、人それぞれにさらに詳細な目的を作るために、これからお伝えする今を生きる意味を見てきましょう。

 

今を生きないとは認識しないこと

自分の主観がいなくなると、今を生きなくなると考えられます。

自分で人生を認識し、喜びを求め、喜びを体感し、意志と思考を持って生きることで、人生の主人公になり、主観になり、全ては自分が決める土台になります。

自分でお腹が空いたと認識するから何かを食べようとし、食べる行為をし、口をもぐもぐして飲み込みます。

自分で食べようと思ったことを知り、食べるために食材を買い、買いに行くための労力を払い、さらに料理を作り、お店に行って注文して食べたり、何を作り食べるかを考え、食べる時に味を感じて、料理への意見を考えて、満足したりと認識します。

食べるだけでもこれだけの認識がありますが、認識をしなくなった時、今を生きなくなります。

「なんで認識しないの?」と思うかもしれませんが、それが主観がない状態です。

 

主観がないと物事を認識しなくなる、したつもりになる

食べていることを認識しなくなると、ご飯を食べながらテレビを観たりします。携帯でメールしながら音楽を聴こうとします。

すると、「ご飯も食べている、テレビも観ている」と思います。

さらに、ご飯のおでんの卵を食べた時に、「昨日の居酒屋に行った時のおでんはおいしかったなぁ」と思い、「このおでんはまぁまぁ、昨日のはグッド」と両方を認識しているように思います。

この時、実際は何にも認識していません。

「しているでしょ?!」という感じですが、認識の主観が自分ではなく、脳の記憶が主観になることで物事の認識をしなくなります。

記憶が主観になって認識すると、自分の主観がなくなり、認識したつもりになる。

記憶を主観にすると起きる特徴があります。

記憶を基に認識すると、今この瞬間の気持ちがない。
※気持ちとは、感覚や感情から感じる感受

 

今を生きない食事例

わかりやすくするために、おでんの卵を食べてみたいと思います。

口の中に卵の白身と黄身を入れて、さらにおでんのダシ汁を入れてモグモグします。すると、味とにおいと触感と音を身体で体感します。

その時にもし、「このおでんの卵、まぁまぁだね」と思った場合、「まぁまぁ」という感想を出すために過去にぶっ飛びます。

タイムマシーンに乗って、数日前に行った居酒屋で日本酒を飲みながら同僚と一緒におでんの卵をつまみ、「ん、これうまい!」と思った瞬間に行きました。

それは、過去の記憶となるおでん卵パートの一コマ撮り写真を見に行った状態で、そこに数秒前に認識した“今食べているおでん卵の味の記憶”を持っていきます。

今どこにいますか?

過去にいます。
ですが実際に過去に行くことはできないので、記憶の中にいる状態です。

モグモグしている自分はおでんの過去の写真を見に来ているので、今この瞬間の味を認識していません。記憶を見に来ている今も、歯にてクラッシュされるおでんとダシ汁が混ざり、味が最初とは変わっていることを知りません。

そして、過去のおでんと数秒前に認識した今のおでんの味を写真を見比べるようにして、「うん、こっちの方がおいしい」と左手の過去の写真を上げて、それを記憶が認識することで、「まぁまぁ」と答えを出します。

今を認識する際には比較はなしです。今起きていることに集中しているので、思考という記憶の組み合わせ作業に入りません。

比較する際には過去のおでんと、数秒前のおでんの味を写真の記憶として照合するので共に過去の記憶です。

思考している間に起きている、今という現実を認識する主観が空欄になります。

そして、今この瞬間のモグモグへのフォーカスが薄くなり、テレビなんかをピッとし始めたら終了。

味の認識は感想を見出す初めのあの瞬間のみ、またはたまにチラッと認識する程度。あとは、テレビや別のことにフォーカスが向き、テレビを観ながら口がモグモグしているので口から生まれる感覚を感じざるを得ず、そこまでテレビにも集中していない。

一体何を認識しているのか。

記憶です。言い方を変えると顕在意識です。

 

今を生きないとは顕在意識の中に住むこと

記憶との照合をするために過去の空間に滞在し、たまに評価と判断結果を述べるために今に戻ってくる。

それは自分の意志を離れて、頭の中にある顕在意識の記憶ゾーンに入り、自分という土台に誰もいない状態を作ります。

それを過去ではなく未来の期待や予想や予測にした場合も同じで、意識できる過去の記憶を巡り、未来というドリームワールドにて写真を並べて、「こうなるだろう」「こなったらいいな」とパズルゲームをしているような状態で、今自分の身体に起きていることを自覚できず、意見を新しく作る創造もできません。

記憶を巡る状態では今を生きることができず、顕在意識の中にいる

  • 顕在意識とは・・・自覚して行動と思考をする意識

今を生きないとは、脳の顕在意識に自分が入り、目の前で起きていること、自分に起きていることを認識する主観がいなくなる状態だと考えられます。

主観が顕在意識を使用するのではなく、顕在意識に身を置いて住み始めることで、自分の操縦者がずっとトイレに行っている状態になります。

記憶を巡って写真パネルを見る状態になるので、答えの出し方が過去の比較となり、感覚や感情の気持ちを組み合わせて思考を作り出すのではなく、フィルターして良い悪いを付ける方法となり、新しく何かを生み出す創造性がなくなります。

 

今を生きるとは

これまでの内容から、今を生きるとはどういうことかが見えてきます。

それは、目の前を認識する主観を明確にし、起きている現実を認識することです。

言い方を変えると、常に何が起きているかを把握しながら、自分として生きること。

自覚です。

今を生きるとは、自分として主観を持って生きる=自覚すること。

今自分の身体に何が起きて、思考は何を考えて、心は何を想っているかを認識することでして、今を生きるとは超現実主義です。

今を生きるとは、起きている現実を自覚する生き方。

顕在意識を使用し、過去や未来に行くのは日常的で自然なことだと思います。

ですがその際に、トイレに行ったらちゃんと戻ってくるのが重要でして、自分という存在の中心となる主観として生きることで、目の前のことを自覚します。

それは、“自分らしい”という表現になります。

今を生きる際に必ず必要なのが、「主観となる自分とは何なのか?」への理解です。

それが、“意志”です。

今を生きるためには勇気が要ります。

※楽しいことだけを考える今の生き方は、楽しいことだけを考える気楽な自分のために│心の声を知り、自分を知る をどうぞ。

 

意志が今を生きることを忘れさせない

意志があると目の前を認識して理解し、疑問に思い、意見を作り、感覚を体感し、感情を抱き、気持ちを与え、それを自覚します。

自分に起きている現実、自分が認識している事実、自分そのものを自覚します。

この状態、自分に正直で真っ直ぐ。逃げません。

もちろん逃げることもあります、認識したくない、自覚したくないことは山ほどあるのが人生です。

ですが、逃げたことも「私は逃げた」と自覚します。

今を生きることには、今か後かという時間の概念はなく、記憶の中に留まって主観となることを忘れるか忘れないかの状態です。

ご飯を食べていて、今、何を感じて何を思うのか。

過去の記憶を使用して感想を出すのではなく、ただ目の前のご飯を口に入れて、身体は、脳は、心は、何を感じ、考え、想うのか、真っ直ぐに自分を見つめます。

それを忘れてしまう、目を逸らしてしまうのが、意志を消す周囲の影響や環境、自分自身が自分らしくないことを求める“喜び”の意味や在り方です。

意志がなくなると自分の意見を作れないと同時に、恐怖に怯える生き方になる可能性が出て来ます。

すると、[喜び=恐怖を味わわない(嫌なことを自覚しない)]になり、変化をしない現状維持、周囲から否定されず当たり障りない従順、誤魔化し、仮面の無自覚、無視、拒否されない統一思想となり、自覚しないことが喜びになります。

そこに、自ら喜びを作ろうとする意志はありません。

今を生きない生き方を望みます。

※意志とは自らを主観にする勇気であり、自覚する源。喜びは自ら作ろうとする自分そのもの

冒頭でお伝えした、今を生きるためには、「なんのために今を生きるのか?」の目的が必要である理由はこのためです。

今を生きないことに人それぞれの“喜び”があるので、その認識を変えないことには今を生きるのは反対に辛く、怖くなります。

ここでの主旨は、「今を生きる意味」を知ってもらい、後は目的が作られた時に始まる、今を生きるための考え方となることです。

※自分らしい話は、自分らしいの本当の意味とは│らしさなんて存在しないエゴの大切さをご覧ください。

 

今を生きるための方法

今を生きる現実を知る

今を生きるとは超現実主義の生き方です。

自分に起きている思考・感情・感覚・想い・直感・欲求・影響など、あらゆる自分の現実を認識する生き方として、意志を持ち主観を定めて自覚します。

そこには常に自覚の材料となる、「現実」があります。

現実とは自分にしか認識できない今この瞬間です。

何が現実で、何が今なのかを知るためには自分が必要です。

それは、この世は自分の見方にて、自分の意見や知識や知恵として理解できるためです。

自分の目で見ている目の前の亀の甲羅は、他の人とは違う色に見えていることと同じで、自分と同じように物事を見たり感じたり思ったりの認識は他の誰にもできません。

現実は自分にしか存在せず、一人一人に現実があり、自分にとっての世界や世の中の見え方・捉え方があります。

現実は一人一人が持つ、自分の世界の認識。

 

認識は常に一つの意識

現実として認識する際は常に一つのことしか認識できません。

例えば、コーヒーを飲んだ味を感じた次の瞬間に思考に入り、その瞬間は何も認識しません。しかし次の瞬間にはにおいを感じ、その瞬間は味を認識できず、0コンマの時間差にてまた味を感じたりします。

内観するとわかるのですが、同時並列で二つの認識はできず、それは、右脚の細胞の感覚と左足の細胞の感覚を同じタイミングで体感できないように、「右ピク、左ピク、左、右」とスイッチが切り替わるように片側ずつ感じます。

その時間間隔が短くなることで同時並列のように感じますが、今というのは点であり、それをミクロかマクロで認識することで円にもなります。

一点を認識する状態があるために同時並列はなく、一つを見るという認識がなくなることで全てが一つに見えるようになり、同時並列を認識できるようになります。

それは意識状態を変えるために次元概念が変わり、スピリチュアルな理解として存在します。

しかし三次元世界として、肉体を用いて感覚や感情や気持ちを感じる私達はポンポンと点として捉え、それを連続的に感じて認識することで線のように現実を創ります。

実際は線のようなだけで点の連続でして、一つの認識の連続です。

二重人格者が同じタイミングで人格を出せないことと同じで、一つの意識は一つの認識をして、それを連続的にすることで現実や時間というものを脳が認識します。

事実は常に一つ。

一つを認識する自分がいることで現実を自覚し、今を生きることができます。

 

今を生きる潜在意識

顕在意識でも潜在意識でも意識の中に住みつくことで主観がなくなってしまいます。

しかし、潜在意識は自覚しない意識であるため、自然と現実を認識する在り方になり、今を生きる結果が起きます。

  • 潜在意識とは・・・無自覚の行動と思考をする意識

「自覚していないのに行動と思考をするの?」と不思議にも思えるものです。

私達の行動と思考の90%以上は潜在意識を基にしていると言われています。呼吸を吸うことや臓器の働きや身体機能など、ほとんどのことは自覚しなくても勝手に行動してくれています。

すると、「潜在意識使おうかなー」なんてことはできないので、顕在意識へのアクセスをしない状態を作ると、潜在意識が使用可能になります。

それが、思考しないことです。

思考しないと自然に今を生きることになります。

常に自分を主観にする在り方となり、意志を忘れず、今を認識して現実を生きます。

これは何というか気楽な状態で、「縁側で緑茶を飲んでたそがれる」みたいな感じです。

「あ、あの人、今を生きているな」と、都内のブランコの上で喪失している様との違いから今を生きることの意味が明確化します。

※今を生きるコツは、【今に集中するのは難しい】今ここの感覚を知るコツと方法は「体って乗り物」をどうぞ。

 

今を生きるための方法

最後に今を生きる特徴から、方法をお伝えして終了します。

これまでの内容から、今を生きるために必要なことをまとめたものがこちらです。

今を生きるための方法
  1. 自分の意志を持つ
  2. 感覚と感情と気持ちを感じていると意識して自覚する
  3. 自分を誤魔化さない(逃げない)
  4. 恐怖を味わわない喜びではなく、自分の喜びを明確にする
  5. 顕在意識に入っても、思考に飲み込まれない
  6. 潜在意識を使用して、思うまま感じるままに行動と思考をする
  7. 自分の現実に起きていることを自覚する
  8. 新しく何かを生み出す創造をする

今を生きるために大切なことは、自分の意志を持つ現実を自覚するの二つです。

現実は今自分が認識できることで、「思う」ではなく、「感じる」で把握できます。

さらに、新しく意見を作ったり、物事を生み出す創造性を働かせることで、今を生きることができます。

自分の意志があることで思考に住みつかず、思考を使用する立場として自分の意識になります。

今やろうと思えば今やり、それは今じゃなければいけないのではなく、ただ単に今やりたいだけです。

この状態が自覚、自分のことを自分が客観視し、俯瞰的に観ています。

ここに関わるのが意志、自分で自分を喜ばそうとする勇気であり、逃げないことです。

それが今を生きる意味です。

今を生きるとは、喜びのある自分らしさを表現する自分を作ること。自分の求めることをするための抵抗がなくなる状態です。

 

 

今を生きるとは まとめ

今を生きることに時間の概念はありません。

あるのは、自分のとって現実としての“今”があり、思考でも気持ちでも自分に起きていることを認識する主観がいることで、今この瞬間の現実が生まれます。

超現実主義としての概念となり、過去や未来に生きることは今を生きる生き方からすると記憶巡りです。

記憶に従い飲み込まれるのではなく、あくまで使用する主観として、自分の喜びを捉え、物事を認識する土台として鎮座します。

それは現実を生きる確実な幸せの認識となり、今はおでんの餅巾着です。

大切なのは自分の意志をフワフワさせず、「あは、うまっ♪」とそんな具合、ありのままに何の抵抗も入っていない状態の自分がいると思います。

今目の前に餅巾着があり、それを口の中に入れる自分を把握しながら箸でほおばり、油揚げに染みたダシを噛み締めた次には、餅の熱さにて歯の裏に刺激が走り、それを体感していることを理解しながらも餅に噛み付く自分を知り、熱さの中をハフハフしながらモチモチと噛み付き、自分の意志でダシを入れて味を深め、噛む度に餅のうま味と肺から抜け出る匂いにて味が増すことを体感し、目を瞑って口の中の世界を大いに堪能します。

とろけるほどの幸せを堪能して、最後に、ゴックン。

仕上げに何を感じるでしょうか?

これが今を生きることです。

何だかおかしな内容だったと思いますが、今を生きるための考え方の一つになれば幸いです。

それでは、「おでんのために今日を生きる」という話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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