スピリチュアル

【見極めポイント】スピリチュアルの危険性は大切なことを教えてくれる

「最近おにぎりにハマっちゃって、おかずを食べなくなったなぁ」

非常に危険な状態です。

依存して他に期待すると、エゴは抑えようがないほど増え、お酒でもパチンコでも恋愛でも危険性があります。

そこで、「スピリチュアルの危険性って一体何なの?」と知りたいところです。

依存症になればお金を費やし、我が強まり、周囲が見えず、世界が限られ、現実から逃げる癖が付きますので、わかりきった危険性かと思います。

しかし、それ以外に特殊な危険性の核として、わかりにくいものがあります。

ここでは、スピリチュアルの危険性の深掘りを見ていかれてください。

  • スピリチュアルの危険性とは一体?
  • 危険だからこその利点とは?
  • 危険なスピリチュアル信仰の見極め方とは?

これらの内容から、「スピリチュアルって危険だから意味があるんだね」と知っていただく内容となっております。

この内容も危険な変人教の勧誘かもしれませんので、一つの考え方として見極めながら、気楽に読まれてください。

スピリチュアルの危険性

スピリチュアルの危険性とは

「ありゃ、爆弾じゃ」という危険性とは違うスピリチュアル。

みなさんはスピリチュアルにはどんな見解をお持ちでしょうか?

神秘的な学問、自己の成長促進、宇宙規模の現世認知、不思議な能力、意識変容、魂レベル、過去世、次元別平行世界、自己暗示の陶酔麻薬、特別感抽出心理引用、陰陽鬼神付け、運気アップ、龍神蛇乗り、思想の現実化、神事信仰、密教それは…。

私の好きな点を出してみました。

既に危険臭がプンプンします。

スピリチュアルの危険性には、現実味のなさ、現実逃避っぽさ、甘汁チューチュー的心理、依存心の増長、周りが見えない陶酔模様など、物事の視界を狭めるさまがありそうです。

しかし、上記は危険性の核ではありません

スピリチュアルの危険性はこれらの表立ったものではなく、裏側にひっそりこっそりしているわかりにくいものです。

実際に危険なのは、「自分がいなくなっていると気づけないこと」と考えます。

 

信仰心が自分を消す危険性

スピリチュアルは不安や恐怖を緩和、誤魔化しても肯定、優しい声掛けをしたり、良いことが起きると安堵させたり、「信仰心による利益」の多い特徴があると思います。

メンタルを癒し、希望を見せ、光を崇め、魂を信じ、意識を紐解き、良き事を起こす。

とても大切です。

しかし、信仰の意味がわかっていない場合、気づきにくいけどはっきりしたことが起きます。

「自分がいなくなります」

この世を二分化すると、[自分 or 自分以外の他]になります。

スピリチュアルという他を知識として頭に入れ込みながら、自分を肯定して正しいと思うと、「他によって自分を見出しながら、他を含めない自分を主張する」という矛盾が起き得ます。

これは周囲に違和感や、「怖い」という印象を与え、スピリチュアルに懐疑的な認識をもたらします。

 

自分がいないことに気づけなくなる

スピリチュアルに限りませんが、何か自分以外の他を信じる際には、自分という存在の認識方法は変わります。

自分=自分
自分=自分+他

他を含めて自分を認識する意味でして、「自分は自分」という個の主張は自立のために大切ですが、スピリチュアルを信仰する上では(または自立を求めていない場合)、矛盾を作ってしまいます。

スピリチュアルを重要視して信じれば信じるほど、能力や特別感や引き寄せ、恐怖回避や自己評価UPなどの利益が多くなるため、「自分は自分」と思いやすいです。

既に矛盾です。

さらに、正式に学問として学ぶ場が少なく、学びとしての認識になりずらいこともあり、「スピリチュアルを知る」ではなく、「利益を得る、与えられる」にフォーカスされていきます。

これをしようと思った自分は既にスピリチュアルという他に基づくため、自分という存在はいなくなっています

にもかかわらず、利益を得れば得るほど何者かになったと思い込みやすいのがスピリチュアル。

「私は私」「私は特別」「私は能力が使える」「私は何者かである」「私の利益が欲しい」「自分=自分」と思えば思うほど、自分はいなくなるのがスピリチュアルです。

依存や傾倒してスピリチュアルにハマれば、より自分がいなくなっていきながら自分を大切にするので、いなくなっているとは思いもしません。

※スピリチュアルの詳細は、【スピリチュアルの本当の意味とは?】簡単に言うと学び。深掘りすると宇宙。をどうぞ。

 

妄信の危険性

「スピリチュアルを信仰しながら自分を自分だと信じる」
これが既に矛盾であると思いにくいのが、スピリチュアルの危険性です。

私達人間の多くは何かを信じて、頼り、すがります。

自分だけでは未熟であり、未発達であり、未完成であるため、何かを信じることで空白をギュギュっと埋めて、安堵しようとします。

宗教や学問がわかりやすい信仰先ですが、それ以外にも夢を持ち、希望を見据え、社会性に則り、大衆というバックアップに寄りかかり、思想、情報、教育、制度、ルールなど、人それぞれにさまざまなことを信仰します。

「1+1=2」という法則や、数学者の意見を信仰したりと、信じていると思わないほど根強いものもあります。

こんなことを考えると明確にわかるのは、自分だけで存在するものが見当たらないことかもしれません。

自分を信じると言ってもその自分は、生まれた時から他の食べ物や空気や水を入れ、他の情報や躾や教育を入れ、スクスクと細胞と血を作りながら、脳をプクプクと大きくして、他によって構成されていきます。

なにかしら信仰する際には「他」があります。

スピリチュアルを信じる際には、「自分」の意味が変わるため、自分を何者かに特定しようとすればするほど妄信してしまいます

利益を求めてスピリチュアルを信仰すると、[自分=自分]を無意識に主張して自分がいなくなり、それに気づかないと妄信が強まって依存症になり、生きる世界や認識が狭くなり、本人は意図せずに現実逃避のさまが露呈してしまいます。

※怪しい理由は、【胡散臭さの謎解き】スピリチュアルは怪しいと思っていい をどうぞ。

 

スピリチュアルの信仰心は正当化に変貌する可能性大

自分が絶対的に主体になると、意識や魂を基盤にした大切さを初めは物語りたくなります。

能力認知や利益取得の引き寄せなど、信じれば信じるほど数多くの恩恵がもたらされ、信じる対象が自分に変わっていきます

自己肯定感や自己評価が低いと、なおのこと自分を信じたい気持ちを埋める後押しとなり、スピリチュアルによって特別感や独自性を見出して過剰に信じようとする人もいます。

利益を得れば得るほどに[自分=自分]になっていき、自分を大切にして愛するために正当化が強まります。

信仰心はいつの間にか自己正当化の強固に変貌です。

「この私が私らしい」
「ポジティブな私がまさに私」
「自分を愛することの素晴らしさ」
「私は愛するに値する特別な存在」

非常に大切な認識ですが、スピリチュアルを信じたからこそこうなった場合には、正当化ではなく謙虚で寛容的になります。

これが[自分+他=自分]です。

スピリチュアルを信じて学び、知ることを求める人は感謝や尊重、他に対する敬いや愛を抱くようになります。

しかし、スピリチュアルを信じて利益を覚え、利益を得ることに邁進する人は、自分がいないからこそ信じるために正当化します。

既に信じる対象はスピリチュアルではなく、利益を得る自分です

信仰心によって利益を得ることは非常に大切です。しかし、他を含めて自分を認識しないと、自分が強く存在できたと思い込みながらいない事実が見えず、エゴが拡大しても自覚できず、正当化する無意識な行動が全て現実逃避になっているとわかりません。

他を含めて認識する必要などないのですが、スピリチュアルを信仰したことで自らが構成されている前提の上では、他を含めて自らを認識するのが道を逸脱しないルートです。

※依存やハマる危険性は、スピリチュアルにハマる人に知って欲しい│特徴と心理に心鷲掴まれる共通点 をどうぞ。

 

危険なスピリチュアルの見極め

危険なスピリチュアル信仰から離れるポイント

自分がいないまま信仰を続けるとどうなるか?

利益を得られるので本人にとっては良き事が起きます。しかし、いずれ自分がいないことと直面する日がやってきます。

深くハマっていると、スピリチュアルなしでは何をどうすればいいかわからなくなってしまい、現実逃避して生きる世界や関わる人が限りなく狭くなります。

世の中、危険なスピリチュアル信仰を推奨する人は腐るほどいると思います。

全員が悪意を持ったビジネス金品搾取ではなく、自らがスピリチュアル信仰に陶酔しきっているから、正しいと思い込んでおすすめする人もおり、自分がいないとは微かにすら思っていない人もいます。

危険なスピリチュアル信仰を推奨する人には傾向があり、外面では見分けはあまり付きません。

しかし、内面がはっきりしています。

うぬぼれています。

 

見極めポイントは二点

うぬぼれとは、自分がいない状態で正当化すると起きる空虚な尖り、しけったとんがりコーンだと思ってください。

パリッパリだと言わんばかりの特徴があり、自信満々で、自分を大きく見せようとします

この根底に二つの見極めポイントがあります。

危険見極めポイント
  1. [知るスタンス]を壊す人
  2. [自分=自分]の人

利益を得るスタンスも大切ですが、自ら知って学ぼうとするスタンスを壊す場合、注意が必要です。

一見優しさに見えます。しかし、知る以上に利益取得を推奨したり、知ろうとする行為をやんわり流す、「努力なんていらないよ~ニコニコ」などは、相手の主体性を度外視して、本質からピューっと飛んでしまっている可能性があります。

知るスタンスを壊さず、他も含めて自らを捉えている人は、関わる人自身の主体性や行動を尊重します。

主体性の尊重は相手への敬いと同時に、厳しさも持ち合わせて執着や依存させません。

日本という曖昧な国では、何がスピリチュアルなのか非常にわかりにくくなっていますが、ご自身を護るためにも見極めは大切にされてください。

※スピリチュアルが嫌いな理由は、スピリチュアルが嫌いで苦手│好きでもどちらでもない人が知る理由 をどうぞ。

 

スピリチュアルが危険だからこそ大切なこと

あらゆる人間の意識理解に基づき、思想を現実化させたり、幸運を引き寄せたり、予言したり、さまざまな利益取得に及びますが、利益に目がくらむと自分がどこかにシュン。

怖ろしい学問ですね。

しかし、そんな好き勝手をせずに抑えるためにもカルマがあり、因果応報は自らの行為の責任を持たせる法則です。

スピリチュアルを学ぶ上で良い所だけ取る。そうは問屋が卸しません。

スピリチュアルを知れば知るほどわかるのは、自責の大切さです。

自責とは自らの思考と行動を認めて自覚すること、必ず自分のことは自分で責任を持ちます。

利益を得るならば対価が要ります。恐怖心を誤魔化せる解消をしてもらえたならば、必ず見返りを払います。

信仰の意味を知らずにスピリチュアルを利用すると危険性が生まれますが、危険性があるからこそ道を明確にできます。

スピリチュアルの危険性の理解は、信仰の意味を知る大切な材料です。

 

信仰を学ぶために失敗も大切

私達は例外なく誰しもが未熟です。

うぬぼれている余裕なんてありません。勘違いも甚だしいと、神社の神様に怒られてしまいそうです。

未熟だからこそ何かを信仰し、信仰の意味を知らないから失敗し、失敗や危険性を知るから本当に信仰できます。

「信じる」の捉え方はさまざまにあると思いますが、ここでお伝えしたいのは、自分を主体に他を受け入れることが信じるです。

信じる対象を明確に認識する前提があり、そんな自分を認め、他を受け入れていきます。

スピリチュアルとは他を受け入れ、その自分を認めて自覚するための学び。

もしかすると、この世で最もうぬぼれない学問かもしれませんね。

※信じる心理は、スピリチュアルを信じる人と信じない人の心理│信じない私が変わった体験談 をどうぞ。

 

スピリチュアルとの向き合い方

危険危険と言っていますが、何が危険でも最終的に選択するのは本人です。

この世に正しいことなどありません。ただ、何が正しいかを考えて自由に決められます。

この考えをする前提になにがあるか。

他者との共存があり、社会があり、ルールがあり、法律があり、何より地球があります。

全部「他」

自分を貫き尊重する大切さがありながら、他を忘れない大切さがあります。

これを愛や敬いと言います。

スピリチュアルとは、自分という存在の幅広さや他との繋がりの学びとなり、許容や寛容、感謝に心配り、尊重に敬い、自己受容に受け入れを知れます。

ポジティブな側面だけでなく、愛には恐怖があり、光には闇があるように、不安と恐怖を知り、執着や依存させない厳しさ、不干渉に無関心を知る大切さもあります。

陰陽両面を知り、他者も含める認識の高まりに、「自分」という意味深な意識や魂の存在があり、深く物事を捉える理解へと続きます。

おそらく一生続くほどです。

これらの理解を深めていく過程で、スピリチュアルな能力認知があり、必要に応じて分野に分かれた学問に向かい、練習や鍛錬に励み、自他共の許容を広げていきます。

利益は得るものではなく作っていくものだとわかるのがスピリチュアルであり、向き合い方だと思います。

※執着を手放す詳細は、【執着を手放すとは停滞を流すこと】解決方法は心理とスピリチュアル をご覧ください。

 

スピリチュアルの危険性 まとめ

「自分=自分」と個を貫く在り方はとても大切ですが、スピリチュアル信仰では他を含めた自分を信じて学ばないと、いつの間にか別物になっているという危険性があります。

利益を得るスタンスではなく、自らを知り、利益を作るスタンスです。

こうやって一方を危険だと言っている人ほど、甘い蜜で誘う悪人かもしれないので、とにもかくにも信仰している自覚は欠かせません

自覚を増やすことは自らを認め、受け入れる意味です。

自覚がなくなるとスピリチュアルな危険性は発生し、利益を得るためのスピリチュアルが誕生します。

信仰心がなくなり、自らの理解や能力にうぬぼれ始めてしまう可能性があります。

「私は神様とこんなやり取りをしているんだぜ」と言い始め、他者にわからないことを主張するさまほど、自分のことしか考えていない露呈はありません。

世の中にはスピリチュアルに携わる本当に素晴らしい人々がいます。

そんな人々を知るとスピリチュアルの奥深さを知り、神秘性への向き合い方は自然と表れ、尊敬の念を持って学ぶ努力へ向かえます。

学んでいますか?
知ろうとしていますか?
信じていますか?

信じる気持ちは絶対的です。信じている自覚がない場合には、スピリチュアルは自分を失わせる危険なものになります。

利益をたくさん与えられるからこそ危険性があり、恩恵が待っているからこそ自分を見失いやすく、さらにそれに気づかないという不変の泥沼にもハマります。

しかし、他も含めた自分として利益を作る時、対価は学ぶ努力と等価交換です。

どんなスピリチュアルでも否定するものではありませんが、自らがしっかり信仰して知ろうとしているかだけ、確認したいものです。

違和感を感じている際には、危険性を特定するご参考になれば幸いです。

それでは、スピリチュアルの危険性についてのお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. たいじろう より:

    ご回答ありがとうございます。
    これ以上ないくらい明確で納得できました。
    本当に不思議で面白い世界ですね!
    今後も更に過去記事を補助線に、心での理解を深めて行ければと思います。

  2. たいじろう より:

     楽しく記事を拝見させて頂きました。
    読んでいる中で疑問が出てきましたので、コメントを書かせて頂きます。

    「自分」という言葉についてですが、
    ①肉体的な意味(エゴも含めて)と
    ②スピリチュアルな意味において(本当の自分など)の文脈で使われているように思えます。

     過去記事では、「自分」はほとんど存在しないということも書いてありまして、凄く納得できます。その上で、これは①と②の両方に言える事なのか、②の「本当の自分」という文脈においてはまた別の事が言えるのか、の部分で混乱をしてしまいました。

     質問は②のスピリチュアルな「本当の自分」は本当に「自分」なのか、それとも「宇宙」なのかをお聞きしたいです。

     的を射ていない質問になってしまっているかもしれませんのでその際はご指摘頂ければと思います。
    よろしくお願いします。

    • 北斗 より:

      たいじろうさん、こんにちは。
      そうですね、「自分」とはいくつもに分離した意識の集合体(エゴとか、次元別の自我など)と考えるとわかりやすいかもしれません。
      「本当の自分」はこの複数の意識を俯瞰している目線であり、その状態は既に宇宙と同じ。
      質問の回答は、本当の自分=宇宙です。

      しかし、それは小宇宙であり、大宇宙と繋がっている状態。同化しているけど別にも捉えられる状態。
      一体化しているけど個の意識も残っており、自も他も忘れない状態です。

      本当の自分とは、「これが本当の自分だ」と思うことがありません。
      ※「本当の自分」で参考記事があるのでどうぞ。

      このサイトでは、「本当の自分」という表記をしていなければ、三次元概念を主体にした自分を物語っています。

      その自分が本当の自分を知るスタンスによって、スピリチュアル信仰は花開き、危険にならないという考えがこの記事です。
      まさにいただいた質問がこれを象徴します。

      回答になりましたかね?

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