人生哲学

【根源的幸福】小さな幸せを感じられる人の共通点3選&精神本質

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※本気で人生を変える方専用。

His holiness,ダライラマ14世は常々、思いやりと愛の大切さを説かれます。

思いやり、誰かが与えてくれれば返報できる、これが私たち人間の自然な心の反応。

「もらうばかりでなく、自ら思いやり、与えられるようになろう」と思った時、“精神性”が大切になります。

そんな精神を表すわかりやすい状態が、小さな幸せを感じられることです。

小さな幸せを感じられる人を紐解くと、幸せになる方法だけでなく、精神の本質までわかります。

ここでは、人間の本質に還ることを目的に、精神的な幸せについてお話していきます。

  • 小さな幸せを感じられるようになりたい
  • 精神的な幸せについて理解を深めたい

「今ここ」「本当の自分」にも繋がる「小さな幸せ」

本当に小さいのかどうか、私の体験理解と共に追求していきましょう。

徐々にだいぶ奇妙な内容にのめり込んでいくので、要見極めでご覧ください。

Youtubeもありますのでぜひご視聴ください。

小さな幸せを感じられる人の共通点3選

小さな幸せを感じられる人の特徴

散歩中、コンクリートの隙間から咲いている一輪の花を見つけて豊かな気持ち。

スーパーでの買い物、30%割引の品を見つけて宝くじを当てたように喜ぶ。

家のお掃除をして、汚れがゴッソリ取れたらなんだかウキウキしちゃう。

夕方のデザートタイム、プリンは一日を労う解放の宴。

なんでも
なんでも
小さな幸せを感じられることは、自分を喜ばせるプロと言い換えられます。

私たち人間は常にエネルギーが入り混じる中で同調有無、調和有無を繰り返して生きています。

自動的に波動が浮き沈みするように高くなれば低くもなり、気分も機嫌も上下変動を繰り返します

そんな中、小さな幸せを感じられる人は高い波動を維持するのが上手です。

自らを喜びの中に漬け込むように、不安や恐怖があっても自己を保持し、高い波動状態を維持し、あらゆるシーンで幸せを感じられます。

そんな方にはこんな特徴があります。

小さな幸せを感じられる人の特徴
  1. 感情に支配されない
  2. 焦らない、困らない
  3. 落ち着いている、冷静
  4. 穏やかで柔らかい雰囲気
  5. 子供っぽい(自由、無邪気)
  6. 自分の機嫌は自分でとる
  7. 切り替え上手
  8. 物怖じしない
  9. マイペース
  10. よく気づく
  11. 優しい

精神性の高さを表す特徴でもあります。

このような人には他者と一線を画する特異な共通点があり、そこに幸せになりやすい理由が潜みます。

 

小さな幸せを感じられる人の共通点①:自分を認めている

なんでも
なんでも
自己受容できているさまです。
※自己肯定感が低い高いは関係ありません

思考や行動、そして自分自身そのものを認めており、自分のすることに責任を持っています。

自分の始めたことであれば尻拭いは絶対、やると決めれば覚悟してやり抜きます。

「やるならやる、やめるならやめる」と決意し、行動し、やるなら継続できるのが特徴的。

意志があり、行動力があり、継続力があり、自己受容しているとマイペースで独自性が表れ、「変わった人や」と言われやすくなります。

自分を認めているさまは、責任と自覚を持って自らを律する礎になります

自分の頭で考え、身体で感じ、心で捉える。

物事は自分なりに理解するので他に流されたり、翻弄されることがなく、落ち着いて焦らずマイペースに日々を楽しみます。

 

小さな幸せを感じられる人の共通点②:認識力が高い

なんでも
なんでも
認識力が高い人は、自己認識力と他者認識力が高いです。

・自己認識力…自らを自らの内面と外面から認識する力

・他者認識力…他者や物事を他側の目線や立場、または全体の目線や思考で認識する力

※詳しくは、【決定的に違う認識力】気がつく人と気がつかない人の特徴と能力をどうぞ。

いわゆる、理解力が高い人のことです。

すると、とってもよく気づきます。

髪型チェンジ、ちょっとした絵画のズレ、味付けの変化、化粧の違い、雰囲気がなんか、浮気…。

嘘が見抜かれる、そんなイメージでして、小さな幸せを感じられる人は感性と知性の両面から物事を理解して気づく力があります。

すっごく楽しそうな探偵、みたいなものですね。

認識力によって物事の事実や現実、嘘偽りのないリアルを見ることができます。

カナブンの背中の模様を始め、自己都合で歪めた認識ではなく、それそのものをありのままに捉えることができます。

例えば、日本のニュース番組が都合よく放送していたとしても、「これって言ってることおかしくない?」と気づき、英語版でニュースを見たら全く異なる事実が判明。

理解なく突き進むことがなく、事実を事実として捉えることで、コンクリートをぶち破ってでも生えてきた木を見たら、木がこれまでしてきた多大な苦労と達成を理解し、本気で労う気持ちを持てる人です。

 

小さな幸せを感じられる人の共通点③:現実に近い

最もお伝えしたい共通点がこちら。

小さな幸せを感じられる人は現実に近い現実を見ています。

なんでも
なんでも
ちょっとなに言ってんのという感じですが、私たちが見ている現実とやらのほとんどは現実ではない、そんな前提に基づいたものです。

例えば、「ここに木があるよ」と言われて、その“ここ”という現実は本人にしかわかりません。

さらに本人が見ている“木”と、こちらから見ている“木”はそもそも認識の元(媒体)である人物が違うので、見え方や捉え方から見えている物までまるで違います。

そこで私たちの脳が用いているのが、過去の経験や記憶によって蓄積した認識手法でありフィルターであり、一人一人の見方が過去の蓄積で(遺伝子なども含めて)できます。

あなたの過去と認識の仕方を完全コピー、とはいかない時代ですので、本人以外にはわかり得ないのが「ここ」「木」です。

時間感覚や空間認知の認識が人それぞれに違うのと同じでして、そんなややこしいことをなくすために、「ここって言ったらこの指が示すこの辺り」「太陽が昇って沈むまでで時間ってやつを設定しよう」などの共通認識があります(この字や言語も)。

共通認識は概念やルールといった脳内データを基に物事を認識するので、「あの茶色くて細長く、上にパラパラと葉っぱが咲いているのが木ってやつだよ」とデータを捉えます。

「この木は隣の木より虫を嫌がる癖があって、毒性の成分を出しやすい臆病なやつなのさ」なんて木それぞれにある現実を見ることはなくなっていきます。

小さな幸せを感じられる人は、頭の中ではなく目の前の現実を見ます。

ルールやデータではなく、考えて見出す思い込みや決め付けではなく、今ここにしかない現実を認識します。

木がそれぞれ違うことを知っています。

木そのものの現実は存在せず、自分が認識することで木が存在する(=自+他の組み合わせに現実がある)と知っています。

朝食が毎日同じメニューでも毎回違うものを食べていることを知っています。

お米はどこ産なのか知っており、炊飯器を使わない理由があり、使う理由も知っており、どうして夕方にコーヒーをじっくり飲むのかも知っています。

自分の認識ではなく相手側の認識も捉え、さらに両者が融合して繋がる結果であることを知っています。

現実を認識できる人ほど、その現実の体感から幸せを得ています。

少し不思議な内容ですが、ここに精神性の本質があるのでここから深掘りしていきます。

 

小さな幸せを感じられる人の精神

なんでも
なんでも
ここからはわかりやすくするために、私の体験談を織り交ぜながら進めていきます

幸せの基盤となる『現実』

幸せは人それぞれ主観的に感じます。

美味しいものを食べている時、大好きな人と一緒にいる時、自然の中で心安らかな時、温泉でおサルさんのように落ち着く時。

幸せを体感する時の共通点として考えられるのが、目の前の現実を大いに受け入れている状態です。

なんでも
なんでも

目の前のものが疑似現実だったら?思い込みだったら?妄想だったら?

その場は良くても結果的に波動が下がるため、現実から遠いほど虚しくつまらなくなる可能性があります。

現実には思い込みも決めつけもなく、そのままをそのまま捉える状態、認識に一切の抵抗がない結果です。

例えば、炭であぶる脂の乗ったウナギの蒲焼き。

口に頬張ったら、目を閉じて蒲焼きと自分の世界に集中。

モグモグと咀嚼しながら舌の上でうま味を感じ、鼻からスーッと空気を取り入れると味覚が増し、ゴクリと飲み込むと同時に、肺から空気を循環させて猛烈な甘みと脂を堪能。

「あぁ、美味い」

幸せには、現実をしっかり見つめる自分主観があり、今ここがあり、それを大いに迎え入れて体感されます。

ウナギと自分である自他の融合、それを受け入れる気持ちがあります。

しかし、この時に「ウナギだって知らなかったら?」「天然じゃなくて養殖だったら?」「ウナギが嫌いだったら?」「不味かったら?」

なんでも
なんでも

目隠しして食べたら現実が薄れ、幸福度が低くなる。

拒否感が強く、迎え入れる気持ちが衰退したら、幸福度が低くなる。

思考を働かせると脳内に入るので今この瞬間の目の前の認識が薄れ、幸福度が低くなる。

現実という目の前の物事をそのまま認識できるほど、幸せを感じる基盤ができます。

あとはどれだけ現実を受け入れたいか?

どれだけ目の前の物事や事象を自分と調和させたいと認識できるかで幸せが決まります。

幸せの基盤となるのが現実でして、如何にウナギのことを、それを食する自分のことを、そしてそれらの融合する有様や状態を理解できるかどうかに幸福度のポイントがある、という考え方です。

 

幸せ体験理解:現実に近づく五段階

なんでも
なんでも
この内容はそもそもややこしく、「現実とは何か?」を知っている人などおそらくどこにもいません。

そこで、私が理解している現実に近づいていく段階を五つご覧に入れます。

雲を見るのが大好きなので、『雲を見る』という現実を題材にします。

段階①:概念の雲

「あれが雲、あれが積乱雲で、あれがひつじ雲かぁ」

一つ目は概念に囚われた状態、最も現実から遠いので幸せも感じにくい段階です。

雲を見てもなんの幸せもありません、当然だと思うかもしれません、なんせただの雲。

領域は三次元、他が決めたルールとデータに基づいて物事を見るため、疑似現実以外の何物でもなく、実際には雲そのものではなく自分の脳内(または他が言っていたデータ)を見ています。

 

段階②:感性と自己愛の雲

「あの雲はモクモクして綺麗」「青い空とのコントラスがいい感じだ」

現実に少し近づいた段階です。

でも幸せというほどではなく、脳内にある他の意見やデータと、自分の感性と自己愛を比較して良悪を見出した認識。

比較が特徴的で、「昨日よりイイ感じ」と思うことで良い悪いを思い込む妄想的な楽しさが多少あります

 

段階③:創造域の雲

「鳥になって、魚になって、犬が踊ってる、はは、尻尾が小さな犬の群れになったぁ」

さらに現実に近づいた段階でして、雲を見ているのがかなり楽しいです。

クリエイト認識が強くなるのが特徴的でして、自我の主張や押し付けた認識がなくなって雲を見ることに集中しています

多少思考が含まれているので雲そのものを捉えながらも自分なりに捉えた状態で、“今ここ”の領域に入ったばかりという具合です。

この段階で既に相当楽しいので、雲を見ているだけで幸せを感じられます。

 

段階④:繋がった雲

「あぁ、なんかあの雲、ずっと眺められる」

雲に魅了されて包み込まれる感覚があり、我に還ると「あれ、ここどこだ?」と最初なるくらい別次元にいた感覚があります。

この段階では、雲を見ているだけなのに他に何もいらないくらい幸せ。

自我は皆無、「雲と繋がった自分」が存在し、雲と共に存在している感覚になります。

 

段階⑤:一体化の雲

「OK、ついて行く!」
「次はあっちに一緒に行こうぜ」

これは傍から見たら危険でヤバい人の光景でして、雲と繋がり遊び合っています。

幸せすぎて、我を忘れて没頭する領域(生きていることすら忘れがち)です。

実際には「幸せだ」という認識にはならず、ただ雲との一体化感覚があり、「雲によって自分が存在している感覚」になります。

雲と自分の意識同士が繋がったことによる反応にただ従うだけでして、雲がついてこようとしていたり、どこに向かっていくのかが明確にわかり、向こうから伝えてきているのもわかります

ただ、「わかる」という感覚ではなく、お互いが通じ合った状態はシンプルに両者の一体を歓び、楽しむ状態となり、心満たされる愛の感受があります。

肉体そのもののバイブレーションがわかる状態でして、意識と波動が高まっているのでかなりブルブル感じます。

雲を見ているだけですが、本人はこれ以上ないほど極上の幸せを味わいます。

人それぞれ雲ではなく海だったり、食事だったり、好きな人と一緒にいる状態だったり、全てに現実の段階があります。

現実に近づくほどに自我はなくなり、そのままをそのまま捉える認識に抵抗がなくなっていきます。

自然と受け入れることになり(徐々に受け入れるも受け入れないもないあるがまま)、完全なる調和、融和の愛のステートに入ります。

 

現実に近づける人ほど、小さな幸せを感じられる

私たちはそもそも現実をほとんど知りません。

しかし、わかるのはあらゆる物事は[自と他の融合]であることです。

調和、思いやり、愛。

スーパーの野菜より、自分で育てた庭の野菜の方が食べると幸せな気持ちになるのは、その野菜達のことを知っており、野菜を育てるために苦労と努力をした自分を知っており、自他の繋がりにある現実を理解しやすいから。

現実に近づける人ほど、調和する対象の他を思いやり、相手と自分との相互クリエイトの傑作だと無意識に理解しています。

そんな認識をする人は、常にいかなる時にもそこら中に幸せがあることを知っています。

現実に近づける人ほど小さな幸せをたくさん見つけます。

そこには常に愛がある、というお話でした。

 

最後に:小さな幸せを感じられる人

目の前に落ちているものほど、この世で最も大きく、最も大切なものだったりします。

目の前にしか現実はないからです。

誰しもが今特別な現実をお互いに作り合い、味わい合っています。

小さな幸せを感じられる人は一つ一つの出来事を大切にします。

そこにも現実をより現実として認識する在り方があり、精神性が表れます。

現実認識力が高い人は自己理解が深い人、小さな幸せを感じられる人は自分をよく知っています。

それは、自分とはなんでもない存在であり、大切なのは他との組み合わせでどれだけ調和や思いやりを持てるかを理解していること。

そんな考え方が幸せを見つけるご参考になれば幸いです。

最後までありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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