生き方

【誰にでも優しくする必要はない】人に優しくするのをやめたらいい理由&アイデア

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優しくしたら図に乗り、なめられる。

目の色を変え、執着される。

つけあがり、いいように使われる。

優しさはしばしば損と生きづらさをもたらします。

「この原因は本人にある」。そんな読みたくない内容がここにあります。

ここでは、優しさがスムースにいかない方に向けて、優しさを見直すための理解をお伝えします。

  • 優しくすると利用や執着されるのでなんとかしたい
  • 疲れたからいっそのこと優しくするのをやめたい

表面動作ではなく、内面にフォーカスすると実情がわかりやすくなるため、優しさの内情を精神的に紐解いていく内容となっております。

実情理解によって優しさの使い方を考えるご参考になれば幸いです。

それでは、全ての原因は本人にあるお話をはじめます。

Youtubeもありますのでご覧ください。

人に優しくするのをやめたらいい

優しくするのに疲れた

優しさとは心地良いものです。

インドに行けば、初対面でも直ぐにチャイでもカレーでも奢ってくれます。

なぜならば、優しくしたいからしている。

「私が喜びたいから、このジャパーニーに奢るぞ!」と意気揚々と関わってきます。

自分が喜ぶために相手を喜ばせる、見返りも何も求めていない。

当然です、奢りたいから奢った。

両方が嬉しくて後腐れなくバイバイ、幸せな気分でその日の人生が続いていきます。

なんでも
なんでも
一方、優しくしても後腐れが残ると、不味いレストランに行った時と同じ気分になるかもしれません。

ドライブ中、優しく道を譲ったのに不愛想でノーリターン、プップー。

良かれと思って忙しそうな人の仕事を手伝ったら、「これもお願い」と調子に乗ってきた。

ボランティアで給仕していたら、「なんで綺麗な服をくれないんだよ!」と逆ギレされる。

後腐れしかない、優しくしても心地悪くなる。

仕舞いには依存し始め、執着して、利用してくる。

人によっては優しさに甘んじてつけあがり、舐めてかかる人すらいる。

このような状態に陥る場合、あることが考えられます。

「能動的に心を開いて優しくしていない」

相手が開いたらこちらも開く、相手が開かない以上はこちらからは開かないスタンス

心を閉じているかどうかは人それぞれですが、心を開かずに優しさを与える状態です。

これに該当する場合、優しさを貰った側はこう認識します。

「お、この人いい人だ、これくれるんだ、やってくれるんだ、ラッキー」

伝わるものがない、「ラッキー」で終わるのでお返しもない。
※お返しはあっても社交辞令のルール順々、同じように心を開かない与えが来る

優しくすればするほど相互交流ではなく一方通行が加速し、自らの時間と労力を消費する一辺倒。

「なんで優しくしてるんだろう?」と動機や意味をもわからなくなり、疲れてしまいます。

この類の優しさには特徴があるので、詳しく見ていきましょう。

 

人に優しくするのをやめたらいい理由①:責任重大

優しさが与える影響力はとてつもなく大きいです。

なんでも
なんでも
そのため、人に優しくすることには注意が要ります。

困っているからと手を差し伸べたら、いつまでも付いて来る。

良かれと思ってコッペパンをあげたら家まで付いてきちゃった、どうしよう、もう帰すこともできない…。

これは対象が犬でも人でも同じです。

与える利益が与えられる側にとって大きければ大きいほど、強い自制心を持っていないものは依存し、執着し、その内に利己的に利用し始めます。

このような現象が多い場合、“優しさ”に大きな特徴があります。

受動的に与える優しさです。

・困っている人を助ける

・可哀想だと同情して手を出す

・良かれと思ってプリンをあげる

・なんか気になるから仕事を手伝ってあげる

能動的に、「私はあなたに喜んでほしい!」ではなく、

受動的に、「あ、あの人は困ってそうだから」という具合に優しくすることで、相手に利益を与えます。

「相手はどういう状態か?」への意識が強まり、心配や干渉、相手の嫌な部分まで引き出すことも起こり、大きな副作用が起きます。

人を変えてしまいます。

目の色が変わる、脳みその躍動が変わる、価値観が変わる、対象(優しい人)を見る目的が変わる。

優しさの与える影響は人の頭や認識を変えるほど大きく、与える行為(カルマ)の実情は広漠とします。

人は優しい人を利用価値として見始め、甘いキャンディーに思え、つけあがったり舐めてかかることが起きます。

「5歳のあの日、弟が食べたそうだったからあげた大好きなプリン、まだお返しもらってないぞ」と60歳になった今。

人に優しくするのをやめた方がいいです。

 

人に優しくするのをやめたらいい理由②:心を閉じていく

なんでも
なんでも
能動的に心を開かない優しさは、行為の目的が“相手のため”ではなくなることもあります。

“損害回避するため”

「自分が不安と恐怖を感じないため、罪悪や苦しさなど嫌な気持ちを味わわないため」が目的になり、一度見てしまったら見過ごせなくもなります。

これに該当する場合、誰にでも優しくしたり、頑張って優しくする特徴があります。

例えば、可哀想だと手を差し伸べたり、周りの目が気になるから気を使ったり、見過ごせないからと正義主義になったり。

自己防衛が主体の活動になり、体裁、見栄え、評価を気にして優しくしたり、相手に自分の過去を投影するので手を出さずにいられない、同情せずにいられなくなります。

優しくする以上は既に素晴らしいことなのですが、自分主体で優しくするので思いやりではなくなります。

大きな特徴は厳しさのない優しさであり、心配、不安、恐怖を基にした自分の心を守り納得したい目的。

自分の心だけを見て与える優しさであるため、同じように自分の心だけを見て貰いたいテイカーが寄り付き、依存・執着される可能性が高まります。

この在り方は、「ネガティブを味わわないため」が主旨になり、優しくすればするほど心を開くのではなく、心を開かないための行動になります

心を開く唯一は可哀想だと同情できる相手との関り、それによって自分と同じ傷を持つ人以外に開きたくなくなる気持ちが増える可能性もあります。

人に優しくするのをやめた方がいいです。

 

人に優しくするのをやめたらいい理由③:抑圧が強まる

なんでも
なんでも
損害回避を目的にした優しさは、与えるほどに抑圧が強まる懸念もあります。

自らを縛り、抑え付ける。

優しくするほどに損害回避できているため、如何に自分を守り、ネガティブを味わわず、不安と恐怖を回避できるかを極めていきます。

常に周囲をチェックして気を使い、キョロキョロと頭を稼働させ続け、徹底的に嫌なことが起こらないように対処できる能力があります。

損害回避は大切なことである一方、行動抑制になり、新しいことにダイブする躍進や勇気を持ちにくいデメリットがあります。

自己保持、現状維持が強まり、変化や成長しなくなります

優しくするほどに現状のまま時が経ち、変化できないという新たな縛りが追加されるため、知らぬ間に抑圧が増えてしまいます。

するとさらに優しくすることで自己防衛する意識が強まり、優しくするために我慢したり頑張るようになります。

優しくする呪縛から逃れられない状態。

優しくしないと不安と恐怖に覆われ、優しくしたくないのにやめることができない、ある種の依存。

この場合、明確に人に優しくするのをやめた方がいいです。

 

人に優しくするのをやめたらいい理由④:本当の優しさがわからなくなる

なんでも
なんでも
最後の理由は、精神面での大きなデメリットです。

与える一辺倒の優しさを続けると、心を開くことに制限が起こり、さらに抑圧が増えて知らぬ間に開かなくなっていきます。
※心を開いていない自覚がなくなり、開いていると思い込みやすい

心を開かない以上は他者との本質的な相互交流は生まれにくく、一方通行が起こります

しかし、他者を喜ばせようと意図したり、実は自分を守ろうとする行動だったりという顕在・潜在意識では、「この優しさは一方通行だ」とは自覚しにくいです。

ここで明確にわかるのが、「優しさを与えても、優しさだと判断するかどうかは相手なんだ」ということ。

優しさとはとっても曖昧なものでして、「ちょっと色の付いた空気が漂っている」くらいなものです。

実質相手側しか判断できない以上、優しさに大切なのは心を開いて相手を想う気持ち。

この気持ちを与えるも与えないも重要ではなく、在り方、スタンスが全てです。

優しくし続けると、「優しさとは何なのか?」がわからず彷徨う可能性があり、気づけば自分側から見える世界だけに偏っていたりします。

優しくできることが既に人としての意識の高さ、社交性、努力、頑張りを表しているので、優しさの本質を見失うことは大きな損失です。

これによって軸がブレ、人のことがわからなくなり、自分もわからなくなってしまいます。

人に優しくするのを一旦やめて、優しさとは何かを見直すタイミングだと思います。

 

人に優しくするのをやめたらいい【真意】

誰にでも優しくする必要はない

なんでも
なんでも
誰にでも優しくすることは、おすすめしたいものではありません。

誰にでも優しくする、または優しくしようと頑張ることは、それだけで心を開かない前提条件を作ってしまうからです。

多種多様な人々とルールが共存する社会環境では、良いがあれば悪いも同時に存在するため、誰しもを喜ばせ誰しもから嫌な気持ちを味わわないためには、徹底的に相手に合わせる必要があります。

この目的を持つ時点で、自発的、半ば強制的に相手を理解する制約が課されます
※知性が高まるので利点もあります

相手に何かされてからでは遅い、失敗は許されない、レスポンスは早く、常に周囲を把握して気にかけなければ。

実際にやっているのは“自分のために相手を把握すること、自分のために相手に利益を与えること”。

結果、与えた相手の反応が絶対必須になります。

優しくするために事前準備を要し、さらに与える実行動も要し、さらに与えた後の反応によって優しくした意味が成される在り方。

この在り方にて起こるのが、心を開くかどうかは優しさを与えた後の相手のレスポンス次第。

いわゆる受け身になり、優しくしている時は心を開いていないことがわかります。

いつの間にか心を開かずに反応や見返りを求めやすくなります。

これを恒常化させてしまうと人間関係に不具合が出やすく、かつ、どうしておかしくなるのか自覚できなくなってしまいます。

全ての元凶は誰にでも優しくする、または優しくするために頑張ることですので、やめましょうという考え方です。

 

【真意】レベルアップするために優しくするのをやめる

なんでも
なんでも
優しさとは曖昧で、実像は空虚なものです。

心を開かずして何の形も意味も成しておらず、相手が優しさかどうかを判断して定義付けられます。

そのため、自分だけでも心を開いて優しさを与える、相手を想う気持ちを含めると優しさの中身ができます

これが見返りを求めない優しさ、思いやりや親切。

典型例が幼児、可愛い子供達です。

知らない人にも自分から挨拶してハグする天使みたいな子は、自分から愛を与え、人の心もパカッと全開させるスーパーパワーを持っています。

しかし、生育した私たちにはなかなか難しいです。

だからこそ誰しもではなく、人を見極め、心を開いて関わりたいと思う人に優しくする大切さがあります。

ここでお伝えしたい真意が、優しさには与えるだけでなく受け入れるスタイルもあることです。

スタイルの違いを見てみましょう。

  • 与えるスタイルの優しさ
    ・・・相手に利益を与える

・利益性を高められ、誰しもに優しくできる(喜ばす人を増やせる)

・損害回避でき、自分を嫌なことから遠ざけられる、心を開きにくくなる

・社交的、損得主義になりやすく、利益確認のために受動的、かつ陰性質が強まる

  • 受容スタイルの優しさ
    ・・・相手を受け入れる許容

・心を開くことが必須、我慢や頑張りは不要

・損害回避も何もなく、ただ相手を許し、受容する

・深い人間関係向け、優しくできるかできないか明確、陽性質が強まる

受容スタイルは、優しさが我慢や頑張りではなく許容になるのが大きな特徴です。

相手を許す、受け入れる優しさ、愛そのものです。

優しくすることに疲れたり、損や報われないことが増えると、突然縁を切って人間関係をリセットするなんてことも起こります。

それは我慢して頑張っているからです。

スタイルを変えることが優しくするのをやめる真意です。

 

これまでのスタイルに、新しいスタイルを追加する

なんでも
なんでも
受容スタイルは『許容』がポイントです。

許容できるかどうか、受け入れられるかどうかで優しくするかどうかが決まります。

我慢から許容になると、嫌々優しくしたり、人に利用されることはなくなります。

心を開いて相手を許し、受容する懐や愛を要する優しさ。

真に相互の人間関係を深め、心豊かな関りが円滑化されます。

このスタイルを知っていただくと、嫌になる優しさには我慢や頑張りがあるんだと気づけると思います。

我慢は続ければいつか体が壊れてしまいます。

しかし許容であれば、ないなら優しくしないだけ、「なんせ優しくできないんだもん」とシンプルです。

実際にやってみるとわかります。

例えば、隣人に大好きなドーナツをおすそ分けして、「もっとちょうだい」と催促してきたら。

「さぁ、許容できますか?」

我慢で優しくしてもイイ気分ではなく、相手はつけあがる結果にもなります

許容できなければ優しくしないだけ、「もうないよ、バイバイキーン」

許容できれば優しくしてあげてもいい、「美味しかったの?よし、じゃあもっと作ってあげる!」ヤッター

許容する優しさに後腐れは皆無、できるからする、できないならしない。

優しくすれば相手のためになり、自分の懐の広さも感じられ、両方嬉しい。

自分のこともよくわかります。

初めはこれまでのスタイル、継続する際は受容スタイルにするなど、組み合わせて使うと自分に合わせた調合ができます。

優しさは使い方が大事ですので、環境や対象に応じて、与える受け入れる割合を変えて自分スタイルを作ってみてください。

 

最後に:人に優しくするのをやめたらいい狙い

優しさには陰と陽があり、受信と発信があります。

同時に、与えと受け入れのスタイルもあります。

まるで料理。

混ぜ込めて組み合わせて使うことで、“優しさ”の姿形が生まれていく。

これは優しさとは本来空虚なもので、人間同士の関係性で作り合っていくことを意味します。

作り合いがない、相互がない、心を開いていない、心を開かれていないとわかったら、一旦これまでの優しさをやめてみましょう。

優しくするのに疲れるのは、優しさの使い方が違うからです。

自分に合っていない状態ですので、現状を見つめ、理解を追加し、試行錯誤して完成させる。

作ったケーキが美味しいかどうかと同じですので、美味しい優しさを作っていきましょう。

そんな考え方がご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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