悩み

【幼少期の遊び心を分析】昔のように心の底から楽しめない原因と改善法

社会に揉まれ、切磋琢磨して他に従い、自分がすり替わりながら、見栄と防壁を塗り重ねて殻にこもる。

遊びを忘れると、楽しむことが少しずつ困難になっていきます。

楽しむとは自らの行動と努力次第であることを忘れてしまい、昔のように楽しめなくなり、心に空洞ができてスースーと涼しい。

そんな時には一休みして、現実という世界を一度見てみましょう。

ここでは、昔のように心の底から楽しめない原因と改善ポイントを見ていかれてください。

  • 昔のように心の底から楽しめないのはなぜ?
  • 昔はどうやって楽しんでいた?
  • 楽しむための改善法とは?

これらを紐解き、「昔のことを忘れると、自分がいなくなるんだ」と知っていただく内容となっております。

私自身の幼少期の記憶を分析し、「楽しむとは何なのか?」の理解を深めながら楽しみ攻略を進めてまいります。

遊び心を取り戻し、毎日を楽しく生きるための一つの考え方となれば幸いです。

昔のように心の底から楽しめない原因

昔のように心の底から楽しめなくなったのはなぜ?

この内容を読まれている方は、昔は楽しんでいた記憶があると思います。

昔はあったものが今ではなくなった。

今では友達と話していても上の空、休日に映画を観てもそこまで集中していない、飲みに行って仲良しと関わってもどこか思考が巡り、違和感がはびこる。

心の底から楽しむ気持ちが、薄れてしまったのかもしれません。

どこかへ行ってしまったのか?

実際にはその気持ちは今、存在すらしていないと考えられます

昔のように心の底から楽しめなくなった原因となるのは、「心の底から、純粋に、以前の自分のように、子供の時のように楽しめなくなった」と思うことそのものだったりします。

 

心の底から楽しめない理解は現実を擬似化させる

「昔はこうだった」
「心の底から楽しむ自分がいた」
「なのに今は…」

このように思考する場合、過去の記憶を意識的に今現在に持ってくる活動が盛んになります。

過去を基に評価・判断して今を見ると、過去と今の比較であるシーソーゲームが始まり、特徴的な心理が発生します。

自己支配による認識の制限です。

「こうならないと、これだけでは、ちょっと物足りない」などの過去との比較による認識は、今の自分が納得しないと起きている現実を認め難くなります。

接待的自己認識。自らの在り方に納得いくか否かで認めるか否かを決める認識は、自らが納得いくものだけを現実にする自己世界に、いつの間にか深く入り込む可能性があります。

現実の疑似化は本人がしているつもりがなくても起き、今を感じて生きなくなる兆候が表れます

※楽しいことがわからない場合は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をどうぞ。

 

集中力がなくなると楽しめなくなる

「今を生きる」「感じる」は、現実を認識するためのキーワードとなります。

感じることで今この瞬間を認識でき、思考や欲求を挟み込んで現実に干渉して疑似化させる隙間がなくなり、現実をそのまま認識します。

これをするには感覚にフォーカスするのも大切ですが、何よりも集中力が欠かせません

しかし、社会性という洗脳や従順しやすい環境で生きると、物事の答えを一定の枠で決め、正否・勝負・上下すら決めるルールインプット、暗記主義。感じることが減って集中力が衰退しやすくなります。

他者と共存し、仕事をしてあらゆる他の情報に揉まれ、マルチタスクを求められて行動し続け、他に従った目的達成、ルールに従い、常識を守り、暗黙の了解を読み取る世界。

嫌でも集中力はなくなり、今を生きることや現実の認識が減り、「こういうものだ」「こうあるべきだ」という既存の枠組みに従う世界に限定されてしまう可能性があります。

 

エゴの世の中に飲み込まれると楽しみ方を忘れる

他に従うことはルールや常識や法律を守るために重要ですが、社会や会社や集団などの大きな存在である他に飲み込まれると、自分の意思や意志がなくなり自然とエゴが増えます

エゴとは他によって自分を見出したり、消さないようにする意識です。

自分という存在以上に他が主体になると、楽しむためにはエゴが必要になります。

自ら楽しむのではなく、他によって楽しませてもらう、自らが納得できるようにエンターテインしてもらう、お金を払った対価を返してもらうといった、他律で他力で他責に基づく楽しみ方になっていきます。

典型例が、世間的に人気な映画だからとりあえず観る、そんなさまです。

エゴは生きる上で欠かせない処世術の一つですが、元々自ら楽しみを見出し、心の底から楽しんでいた人であればあるほど、他によって自らを喜ばせるエゴ(我欲)に本当の笑顔はないと知っています。

自律があり、自力で楽しみ、自責がある人ほど楽しめなくなってしまうのが、社会従順による集中力欠如。

感じる以上に従うために考える生き方が強くなると、昔のように楽しめない原因になると考えられます。

※孤高の楽しみ方は、【孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと】孤独を楽しめる人の特徴と方法 をどうぞ。

 

幼少期の分析内容:心の底から楽しんでいた昔を思い出す

子供の頃を思い出すと、「楽しむって一体何なんだ?」の理解が深まります。

私事ですが、保育園児時代の心の底から楽しんでいた記憶を題材に、楽しむ分析内容をご覧に入れます。ご自身と照らし合う記憶があれば、思い出してみてください。

保育園児の時、好きな先生と一緒にいるか、一人で遊ぶことがほとんどだった私。

ある日、保育園にブランドニュートイがやって来ます。

新しい遊具として、大きな滑り台がトンテンカンと設置されました。

小さな子供にとって巨大な滑り台。公園にあるような一人が滑る細いものではなく、幅1.5m×高さ2.5mほどの大きいもので、階段を昇るのも一苦労する代物。

「うわぁー、スゲー!」

園児たちの歓声が沸き上がり、目は夜な夜な輝くカンガルーの目のようにキラキラしています。

設置初日、6クラスほどあった園児たちはほぼ全員が滑り台に群がり、歩けない赤ちゃんもバブバブーと室内を抜け出して外へ向かおうとしちゃう。

先生たちは子供を見守るのに大忙しです。

滑り台後方の階段に行列ができ、みな一様にまだかまだかと押し合いへし合い、途中で混雑が激化し、ルールを守らない可愛い獣たちによってカオス、けが人が発生するほど大興奮の危険地帯に変貌。

私は危険だろうが何だろうが、早く滑りたくてしようがなく、少しずつ近付く階段に胸を躍らせていました。

階段を昇りきると、「ほぇ、たけー、こえー」と本気でビビる高さ、「ムリ」ということで階段上で泣き叫び動けなくなる子が続出し、私もその一人でした。

しかし、どうしても滑りたい気持ちがあり、10分ほど立ち往生しましたが、覚悟を決めて滑ってみました。

ヒュー。

アンビリーバボー。ぐうの音も出ず、滑り台着地場の砂場で衝撃を噛みしめます。

「楽し…すぎる、ぷるぷる」

ドガッ、痛ぇ!
もたもた留まっていると後ろから子供が滑り降って来ます。忘れてはならない、これはどこにいても危険な遊具なのである。

ここで小さな私は、「楽しむ」の意味を痛感します。

 

楽しむとは、楽しむ理解を深めること

私は完全に滑り台の楽しさにハマりました

実際に滑ってみると一度滑ればいいほうで、二回滑ろうとする子供などほとんどおらず、巨大滑り台の周辺は泣きじゃくる子供たちで溢れる、とんでもない危険恐怖遊具となりました。

先生たちの予想に反して、危ないものを持ち込んだ結果になりましたが、どこぞの少年Aはハマった。

休憩時間となれば外へ出て、休憩が終わっても滑り台での遊びをやめられないほど、一人で遊び続けました。

見かねた先生がやってきて、「もうクラスに戻って、お絵描きの時間が始まってるよ」と言っても、私は楽しみたいから滑り続けます。

一人でひたすらヒュー、タタタ、ヒュー、タタタ、ヒュー。

最終的には強制的に抱えられて室内に連行されましたが、とにかく楽しんでおり、そんな日が滑り台使用禁止になるまで続きました。

この時のことをよく覚えているので状態を分析すると、滑り台から滑り落ちる時に私は楽しむモードに入ります

カチッと切り替わるようにモードに入ると、「何が楽しいの?」を知ろうとするために滑ります

感受に完全フォーカスして、とにかくその瞬間の感覚と感情を感じる。

自己表現しない子でしたので、「ヒャッホー」と口には出しませんが、心の中は完全に叫び倒していました。

楽しい感情をこれでもかというぐらい感じており、もっと感じるために何が楽しいか知ろうとします

右端から手すりを持って滑る。
左端はどうかな。
手すりなしだと。
お尻接地から背中接地にしたらどうか。
頭からいってみよう。
横向きでゴロゴロは。
勢い付けて落ちてみよう。
‥‥

毎回変化を加え、楽しい感情を引き出せるだけ出す。そのために何が楽しいか知る行動を繰り返し、変化を作りながら遊ぶ。

楽しみたい、喜びたい、もっと自分を喜ばせたい欲求を爆発させるような、結果以上にプロセスを楽しむ今を生きる時間

「左端で手すりなしがベストかも」とわかれば、それを繰り返して楽しみます。

少しすると、また別のを見出そうと模索します。

楽しみを導く遊びの時間を一言で表す言葉が、創作です。

今この瞬間の楽しみを感じるための創作は、現実の創作

今この瞬間の現実を喜ぶために自らが作り感じる時間が、楽しむだと考えます。

※仕事を楽しむ方法は、仕事が楽しいなんておかしいと思える大切さ【楽しむ方法は一つ】 をどうぞ。

 

心の底から楽しむ改善法

心の底から楽しむポイント

「楽しむ」の意味を知っていただくとわかるのが、「感じる」「自ら作る」の重要性です。

  • 感じる=現実認識
  • 自ら作る=創作(変化作り・受け入れ)

二つ合わせて現実の創作。

楽しめない時の状態として考えられるのが、「考える」「他に従う」です。

[考える=自分の意思による問題解決能力]であれば、感性に基づいた知性として感じるからこそ考えられ、さらに作る状態が加わるので楽しめます。

しかし、他に従うことが主体になり、飲み込まれて自分がいなくなる(知らぬ間に自己支配が進む)場合の「考える」は、「従う」「暗記する」などの記憶の脳内出し入れ作業を意味しますので、楽しむ意味を忘れやすくなります。

この場合の楽しむ意味は、他に楽しませてもらう、脳を満足させてもらう、脳の不満を解消させてもらう意。違和感がなければ本人が認められるので楽しめます。

心の底から楽しむ場合は、他から貰うのではなく自ら作る一択。必ず自発的な認識、主体的な行動を要します

もしエゴが強くなっている場合には、昔の記憶があるからこそ自らを主体的に引き戻せますので、「今楽しめていない」という自覚はとても重要な変化の促しになります。

※楽しむための遊び心の身につけ方は、【社長の必須アイテム】遊び心がある人の特徴と身につける方法 をどうぞ。

 

楽しめない時に大切な存在:ニート

現状楽しめなくなっている場合、自分主体がなくなって他に従う癖ができている可能性があり、常識を疑う概念が希薄化します。

常識を疑えないと、どういう考え方や生き方をすればいいかわからず、楽しむための変化や改善ができずに彷徨ってしまう可能性があります。

そんな時の大きな指標となるのがニートです。

ここでのニートとは、「働かない自分を肯定する人」だと思ってください。

ニートには批判・肯定両方の意見があると思いますが、ニートは社会性からすれば反対の道。

ニートが良い悪いのお話ではなく、ニートの方々は「他に従う」が少なく、自分のことは自分で認識する意志があり、自ら感じて考えて見出す意思もあります。

楽しめない原因となる、「他に従う」がないことは、「自らに対して素直」である表れ、他ではなく自らに従う自律意識を持って楽しみやすくなります。

それは楽しませてもらうのではなく、心の底から楽しむ子供のような楽しみです。

アニメや漫画やパチンコなど他の作品で楽しむとしても、自らの認識で観て、感じて、考えられると、自分にとっての楽しいポイント、着眼点があり、自ら楽しむ創作性が高まります。

周囲からの目や肩身の狭さは否が応でもあり、不安や恐怖との向き合い、暇な時間を自分の時間にする創作・創造性を要しますので、実際にはするかしないかではなく、できるかできないか。

そんな見方もあり、今を如何に楽しむかをわかりやすく表してくれる存在がニートだと思います。

 

心の底から楽しむ改善法①:今を生きる

具体的に楽しむためには、過去と未来を見据える以上に、今この瞬間を生きることが方法です。

今を生きるとは感じる意味です。

感覚や感情や感性は今この瞬間にしか認識できず、思考やルールや欲求などの干渉なく、現実をそのまま捉えられます

実際に今を生きる認識をしたくてもできない場合、過去と未来を見据えるのは、不安や恐怖心と向き合えないからかもしれません。

自らの状態を自覚し、「どうして今ではなく過去と未来を考えるのか?」を把握するのが、今を生きるためのポイントとなります。

「怖いから、先を考えないと心配だから、過去のデータがないと行動できないから」など、自らのことを自らが捉えて理解を深めると、他に従う呪縛から少しずつ解かれ、自らに従う自律が加速します。

自律によって自分の意見や考えを持つと、今を生きるための抵抗がなくなり、感じたり、自ら作る行為がしやすくなり、楽しめるようになります。

※今を生きる詳細は、今を生きるとはどういうこと?│以外に知られていない意味と目的 をどうぞ。

 

心の底から楽しむ改善法②:自分だけの意見を持つ

楽しむための重点は、「他に従う」をとにかく緩和させることです。

他に従うと思考停止しやすく、自ら考えているようで誰かの意見や情報、既に存在する何かをフォローしながら自覚がなくなります。

心の底から楽しむためには自ら作ることがポイントになりますので、「自ら」の部分を際立たせるために、唯一無二の意見を持つのが方法となります。

例えば、「どうしてあなたは日本人なの?」と聞かれた時。

「日本で生まれたから」というのが他に従うさま、思考停止ですので、何にも従わない自分だけの意見を持つためには、作る必要があります。

DNAが、遺伝子が、顔が、日本語話せるから、武士道リスペクトだから、などなどは全部ポイッと投げ捨てます。

「アイヌのことになると毛が逆立つから」
「日本茶の香りが腕からする」
「ニホンザルより温泉好き」
「神社で神の音を言付かった」
「かかとを付けないで歩いているから」

なんでもいいのですが、自分だけの意見を持つように訓練します。

言葉遊びではなく、正解も間違いもなく、実際にそうだと思う自分にとっての理解があるからこそ意見になります。

実際に意見を作ると、必ず感性を要するとわかります

感性とは知性を育むための基盤であり、自分として物事を認識(情報収集)する際の初めの部分、感じることです。

自分だけの意見を作るには自らが実際に経験した「感じ」があり、思考を混ぜ合わせることで知性が発達し、他に従うのではなく自らの意見ができます。

これを遊びのように楽しみながらすると、自然と感じる経験が増えるので一石二鳥のお得な方法です。

※人生を楽しむ生き方は、人生楽しそうな人と出会ってわかること│特徴に表れる楽しむ生き方 をご覧ください。

 

昔のように心の底から楽しめない まとめ

楽しめない時には、強引に楽しもうとすると疲れてしまいますので、ご注意ください。

着目は楽しむために感じたり、自ら作る基盤がなくなっていることですので、楽しめない原因を知り、自らを見出すのが先決となります。

楽しむために苦労して頑張るのではなく、楽しむためには楽しむことが重要です。

感じることを楽しみ、自ら作ることを楽しむ時間。

あらゆる着目は外側ではなく内側にあり、子供の時に心の底から楽しんでいた自分が、それを知っています。

楽しむ先生は子供たちです。

おままごとをする時、彼ら彼女らはイメージを広げ、周囲の言動を真似し、あらゆる感性によって集めた情報を基に、知性を働かせて創作します。

一人であっても、リカちゃんハウスで一人何役もする遊びは、脳内の創造性と心の創造性を組み合わせた芸術です。

センスの塊、遊びが仕事の子供たち。

社会の中での他との共存では、あらゆる情報にルールに人が溢れ、知らぬ間に遊び心がピュンと消え去り、エゴどんが脳内で鎮座します。

平手打ちして追い出したいところですが、エゴは社会の中で自らを護り生きるために働いてくれていますので、エゴはエゴで認め、心を持った子供のような自分は別で認めると、少しずつ唯一無二の自分が表れます。

あとは自ら作れるか否か。

それが楽しむという行為です。

昔のように鼻の穴の奥底まで見せる、そんな笑顔を出すためのご参考になれば幸いです。

それでは、昔のように心の底から楽しめない時のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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