スピリチュアル

カルマとは?意味は真理を教える|始まりと終わりを作るスピリチュアル

カルマとは、カルマの法則や因果応報の基となる基本原理です。

そのため、カルマの法則や因果応報の仕組みを理解するために、カルマを初めに知ることが大切なスタートとなります。

カルマを知ることは、自分という存在を知る核となる事実を露にします。それは知りたい人も知りたくない人も同様にです。

カルマとは何か?

カルマとは真理であり自分でありこの世の仕組みです。

一つの言葉に自分やこの世を知る真理が含まれるために、情報が錯綜して解釈がわかりにくくなっているかもしれません。

ここではカルマの意味を紐解き、よりわかりやすく解釈できるようにスピリチュアルを含めてお伝えします。

カルマとは何なのかのスピリチュアルな理解を見ていきましょう。

カルマとは

初めにカルマの基礎知識として、言葉や仏教からの解釈を見ていきましょう。

カルマとは

カルマとはインドの言葉、サンスクリット語でKarmaと言います。

私達日本人は、カルマのことを『業(ごう)』と言い、カルマの意味は、『行為、行い』のことです。

カルマという言葉の意味自体はとても簡単なものです。しかし、真理であり、この世の仕組みでもあるために、“行為”と一言で言っても奥が深いんです。

 

カルマの行為とは働きのこと

カルマの意味となる“行為”。

文字は二文字ですが、行為を理解するためには“自分”、または“人”、そして“この世”を知る必要があり、二文字で三部構成の映画が作れるほどの内容です。

「そんな長いのは嫌じゃ」と私も思いますが、安心してください。ちょっと長いけど要点をまとめてお伝えするので、ノーストレスで行きましょう。

カルマを知ることは自分自身を知るための材料となり、成長機会となり、良いことも悪いことも自分次第で起きるこの世の理解、または引き寄せの法則を知る基盤になります。

そんな行為を紐解くと、行為の基となる自分が必ず存在します。

同時に、行為するためには動機があり、そこには自分自身との関わりによって作られるきっかけや原因があります。

そのため、行為しようとする始まりの自分が必ず存在することでカルマが作られます。それは同時に、行為による結果も作ります。

以上から、行為というカルマには始まりの動機となる理由や原因があり、終わりに結果が伴うことがわかります。

一連の、始まり→行為→結果が作られるのがカルマでして、カルマがあることでさまざまなものを作り出すスタートを切ることになり、結果をもたらす終わりも作ります。

それら一連を言葉にすると、“働き”と言うことができます。

カルマとは : 行為であり働き
※行為の始まり(原因)を作り、行為の終わり(結果)を作る
※全ての作り出し、生み出しの基となり、終わりとなるのがカルマ(終わりを作ることで始まりも作る連鎖や循環の基にもなる=人の変化を作る)

サンスクリット語では、Karma(カルマ)。
パーリー語では、Kamma(カンマ)と言い、パーリー語の意味は『働き』という意味です。

 

カルマは働きによる生み出しと作り出しの行為のこと

働きの意味でもあるカルマは、物事の始まりと終わり、そしてその終わりからまた始まりを作る動力になります。

言い方を変えると、自分自身によって生み出し・作り出す行為により、自分にも他者にも影響を与える働きがあり、さまざまな影響や変化を自他に作ります。

このように、カルマとは自分発信によって働きを作る行為のことで、“自分発信”=“自分で作り出した”というところにカルマの法則の仕組みがあります。

カルマとは : 自分で作り出して始めた行為による働き

 

カルマの法則とは

カルマの意味が分かるとカルマの法則がわかりやすくなります。

カルマの法則とは、「原因と結果によって、良いことも悪いことも自分が作り出したものは自分に結果として返ってきますよ」というものです。

原因と結果とはカルマの行為にある始まりと終わりのことで、「自分でしたことは自分で受け止めましょう」という責任を物語る仕組みがカルマの法則です。

カルマの法則とは : カルマによって作り出した責任を持つために返ってくる仕組み
※善行も悪行も自分が作ったものは自分に返ってくる法則であり、この世の真理

「責任って、そんな固いことおっしゃって」

この責任とは、責任を負うというこの社会でのルールとは全くの別概念です。

人間としての、そして自分としての責任のことで、それは自分自身の行為・働きを認めることを意味します。

そのため、「責任を負う、誰かに負わせる」ということではなく、「責任を認める、持つ」ということ=自分の作ったものは自分で認めて受け入れることです。

 

カルマの行為や責任とは何のこと?

ここではカルマの法則ではなく、その基となるカルマ=自分で作った行為+自分で作った結果(責任)、についてを知ってもらうのが目的です。

それを知ることで、カルマを自分のために活用する理解が育まれるので、カルマを活用していきましょう。

 

カルマの行為とは肉体、脳、心がする行動全てのこと

カルマの行為とは幅広い意味を持ち、多くの作り出しと生み出し、そして影響を与える働きがあります。

そんな行為とは行動のことですが、行動するとは口で何か言ったり、体を動かしたりという物理的にわかることだけではありません。

それ以外にも、口に出さずとも思ったこと、そして心にて抱いた気持ちや想いも行為としてカルマになります。

言い方を変えると、自分という存在のゼロ地点から自らの意志による動きがあれば、それはカルマになるということです。

わかりにくいですね。

これは、無の状態をゼロ地点とします。何も考えず、感じず、抱かず、想わず…無、チーン。

「何も考えていない、ここにもう存在しない」というのもありません、…ススス…ムムム…という感じでしょうか。

この状態から血が流れ、臓器の動き、リンパ液や気の流れを感じていきます。この状態ではゼロ地点から意識が肉体や感覚へ向かいました。

そして、呼吸をしていることに意識が向かいます。その際もし意識的に、「あとちょっと空気吸いこもう、スー」
「はいカルマ!」ということです。

口に出さずとも、「あの人嫌な感じ」と思ったら、
「はいカルマ!」ということです。

このように自らの意志による動きがあれば、それはもうカルマです。

厳密に言うと、無意識に臓器が動くなどの身体機能に関してもカルマは常に作られて存在します(ですが、カルマの法則などでカルマが返ってきても無意識で自覚なく解消されるので気にする必要はありません)。

「もうカルマだらけじゃん」ということです。

ですが、「カルマだから何だ」って話です。行為とはそういうものです。

ここで知ってほしいのは、私達が日常的にしていることはほどんど行為ということ。そして、行為する際には“自らの意志”が必ずあるということです。

空気吸うかどうかを意識してスーハーしていれば行為。何か食べようと思ったり、作ったり、食べたり、おいしいと感じたり考えたり、全て行為です。

そんな行為を仏教の業ではこのように言います。

仏教における業(カルマ)

『三業(さんごう)・・・身(しん)、口(く)、意(い)に分けられる行為』

  • 身業…身体に関わる行為、身体的行為
  • 口業…言葉に関わる行為、言語表現
  • 意業…意志に関わる行為、心意作用

※引用 Wikipedia

あらゆる行為があることで、あらゆるカルマが作られます。

そこに共通するのは、カルマを作るのは自分であることです。

※意志についての詳細は、心の声を聞くとは│意志を知る頭と体との連動。魂を含めた意味がある をご覧ください。

心の声を聞くとは│意志を知る頭と体との連動。魂を含めた意味がある心に声があり、頭に声があり、体に声がある。 一体どの声を聞くのが良いのか? その答えを知っているのが意志です。 何の声...

 

カルマの行為に付随する責任があることでカルマの法則が生まれる

「行為があるからなんだ」ということですが、行為とはただの行為です。

しかし、その行為に責任が付随することでカルマの法則が存在します。

あらゆることが行為であり、その行為を紐解くとわかるのが“意志”です。

意志があるからこそ、「ご飯をたべよう」「空気を吸って生きよう」「オシャレな服を着よう」となります。

その行為の基となる原因(理由やきっかけや動機)は自らの意志でしか作れません。

たとえ嫌なことをされて、「あいつに辛い思いをさせられたからお返ししてやるんだ!」と思っても、それは相手によって動機付けられていますが、行為の基となる意志は自らのもの以外は存在しません。

言い方を変えると、相手に動機を駆り立ててもらい、自分の意志で動機を明確にして行為に及ぶということです。

そのため、相手の影響とは動力補助であり、核は常に自分であり、お返ししようとする際には、「相手に嫌な思いをさせてやろう」などと自分の意志があります。

以上から、行為が自分の意志でないことはありえません。ありえるのは、気絶させられて二人場織のように手足を掴んでご飯を食べるみたいな、「いや、それ行為じゃないわいっ」とわかるような自分の意志のない状態です。

そんな、「あなたが作り出してますよね、それ」と言ってくるのが責任追及者、カルマの法則審査官。
自分の生み出しは自分に返ってきちゃうカルマの法則です。

「いらん、そんなもん」という感じですが、あるもんはある。そして、責任追及は別に嫌なことではなく自然の摂理であるカルマの意味があります。

詳細をスピリチュアル的に見ていきましょう。

※カルマの法則(因果応報)の詳細をまとめていますので、因果応報とは何なのか?スピリチュアルな理解に現実的な真理が潜む をご覧ください。

因果応報とは何なのか?スピリチュアルな理解に現実的な真理が潜む良き事は良きように、悪しき事は悪しきように。 そんな自然の摂理に、因果応報というものがあります。 因果応報とは原因と結果によ...

 

カルマとは スピリチュアル

ここからは、カルマの意味をより紐解くためにスピリチュアルを含めていきます。

カルマの意味が分かることで、カルマとはあくまで自然なものであり、責任は負うのではなく持つものだとわかり、自分のカルマを知ることが容易になります。

 

カルマのスピリチュアルな意味

カルマとは行為であり自他に影響を与える働きです。

自分の行いには全て意志があり、カルマを作る際には“自分”が全ての主体です。

そのため、自分以外にカルマを作ることはできず、一人一人に己のカルマがあります。

そんなカルマの行為をスピリチュアル的に認識すると、波動というエネルギー概念になります。

波動とは振動数、振動幅、振動域、振動リズム、整然性を持つ振動のことで、万物全てが常に発している己の状態と状況を表すエネルギー。
※波動の詳細は、波動とはスピリチュアルな精神性│波動が高いも低いも自分次第 をどうぞ。

意識的な行動のみならず、無意識の身体機能や働きに関しても常に振動があることから、あらゆる状態と状況の表現として波動があります。

そのため、行為という意志の含まれた働きには、自分の状態や状況(意志や思考、認識からの自分自身)を表す波動が発されます。

その波動はエネルギーでもあり、何かしらカルマを作る際には発しています。

スピリチュアルなカルマとは : 意志によって発する波動
※他者を含めた行為の際には、自らの意志によって生み出した相手の波動もある
※自らの行為にて相手に結果を与え、相手から波動が生み出される際は自らのカルマになる

スピリチュアルな認識にて、行為を波動としてより詳細に紐解くことができます。

そして、波動にてカルマを理解することで、行為によって作られる責任の意味がわかりやすくなります。

 

カルマの責任とは自らの行為を認めて受け入れること

行為があれば、それに対して責任を持つことになるのは自然なことです。

「どうして責任なんか持たなきゃいけないんだ、反対!」と思う人もいるかもしれませんが、責任とは自らの行為を認めることです。

責任を持つことは自分を明確にすることでもあり、責任を持たない場合に不自然でおかしなことになります。

例えば、「納豆食べたい」と意志を持って行為します。

納豆食べて、「うむ納豆だな」「おいしい、幸せだぁ」などと行為を認める場合、それは責任を持っていることを意味します。

しかし責任を持たなければ、「なんで納豆食べなきゃなんないんだよ」と自分の行為の始まりを認めず、結果も認めず、「えっ、あなたの意志で始まってますけど」という謎の状態になります。

それが、拒否、認めない状態です。

カルマは意志によって作られて波動が発されているため、嘘や偽りや誤魔化しは通用せず、波動として行為の記憶に残るカルマを一度作れば、責任を負わないかぎり存在し続けます。

作ったカルマを認めないと、「あれぇ、私カルマは生み出されたけど、どこ行けばいいの?」と困ってしまい、生み出すだけ生み、茂みにポイッと捨てられた気分。

なので自らの所に戻ってくる。それがカルマの法則です。

自らカルマを作っている以上、カルマにも生死があり責任を持って終わらせることが自然な摂理
※生まれれば死ぬように始まりと終わりがあり、そんな自然な状態に行為と責任であるカルマがある

 

カルマが積まれる仕組み

波動でも意志でも、命でも出来事でも、物事でも何でも、生まれたからには死があるように、始まりがあれば終わりがあり、終わりがあれば始まりがある普遍の真理が存在します。

しかし、認めず責任を持たないことは事実の拒否を作り物事を終わらせない意志になります。

カルマは波動として発されるエネルギーでもあるために、エネルギーは未浄化にて滞りを作る原因にもなります。

そのため、自ら作ったものは自らが責任を持つことで自然な形となります。

そこで、責任を持たずに自然な形にしない場合、おかしなことが起きます。

矛盾を作り、自らの意志を認めず、行為を認めず、責任を持たず、波動の行き場がなくなり、現実が現実として進まない。

人生のストーリーに一時停止が入ります。

浮遊霊みたいなものです。

どんな影響を周囲から受けていようが、自らの意志にて行動している以上は、自らがカルマを作ります。

創造主である己が責任を持って物事を完成させなければ、カルマは作られた後に行き場がわからず蓄積していきます。

それを、“カルマを積む”、“カルマが解消されない”とも言います。

カルマが積まれるのは、生み出したものを認めず受け入れない(責任を持たない)ことで、行き場のなくなった波動は未浄化エネルギーとして滞留する
※滞留は淀みを作り、自然な状態とは正反対の不自然や違和感として漂い残る波動

善行も悪行もカルマは作られます。

善行=責任を持つ自然な状態=受け入れやすい、むしろ受け入れたい喜ばしいことなので、善行のカルマは行き場を失うことがない自然な状態です。

縁側で一日中ぼけーっとしたいからして、夕方頃にひぐらしの声を聴き、「いい日だな~」と責任を持つ。とても自然です。

しかし、悪行となるカルマは拒否があり、認めず受け入れず、波動は唯一の行き場である“生み出した本人”に戻れず、拒否され続けることでカルマが積まれていく。

そんな仕組みです。

 

カルマを知るために

積まれたカルマは必ず返ってくる。

それがカルマの法則であり、ありのままにできないカルマをありのままの自然に戻す仕組みです。

カルマを解消するためには、自らの責任となる“認める”、“受け入れる”で解消されます。

責任を持つためには、自らがカルマを作っている自覚が最も大切になります。

どのようにカルマが生み出されているかはわかりにくいものですので、よりカルマを知るための話を最後に見ていきましょう。

 

カルマは自分が原因となる出来事で作られる

単純に、「自分がご飯食べたいから食べている」という自分のみが対象の行為であれば、行為も責任も分かりやすいと思いますが、他者が含まれる行為では何がカルマになるかわかりにくいものです。

例えば、良かれと思って会社の同僚に義理の誕生日プレゼント。

義理…。

果たしてこの時どんなカルマになるでしょうか。

カルマの鍵となるのは、プレゼントを渡す自らの意志にどんな波動があるかの真意です。

*再三になりますが、波動は自分の状態や状況から発される行為そのものなので、嘘や偽りや誤魔化しはそのまま行為としてカルマになります。

義理でも何でも喜んで渡す場合、そこには行為を認めて受け入れる自分がいます。

するとまず、自ら発した喜びの波動が伝わり、相手は善意でもらえることを感じて喜びます。

すると、相手は嬉しい波動をプレゼントによって生み出し、「やった」「ラッキー」「ありがとう」などと、自らの波動を受け入れます。

そして、プレゼントを渡した本人も自分の行為の結果を喜び受け入れ、カルマを積まずに善行のカルマを作り、それがいつか返ってくる=徳を積む状態になります。

また、同時に喜びやポジティブな波動にて高波動と同調する波動の引き寄せも発動し、良き影響を作る始まりにもなります。

しかし、「義理だから」と社会性に嫌々従い、常識を守る自分を作り、常識に従わない自分を作らない。あくまで自分の価値や評価のために他者にプレゼントをあげる=相手を利用する場合はどうでしょう。

自らの行為を認めず、意志も誤魔化し、自分のためではなくあくまで相手のためという嘘も自他につく。

見返りを求めたり、自らが優位な立場になるための企み、偽善、自分の正当化を貫くエゴ、認めてもらい評価してもらうための体裁確保、承認欲求などなど、真意がふわつき、その場では自ら発した低い波動を認められなくなります。

それは悪行のカルマとなり、良かれと思ったことがカルマを積むことになります。

さらに、プレゼントを渡した際に我欲まみれの波動が相手に伝わり、相手も義理だとわかって仕方なく受け取ることで、相手にも低い波動を生み出させた責任が発生し、これまたカルマを積みます。

上記の例からわかることは、自らの行為を認めない理由となるエゴや嘘の行為は、悪行としてカルマを積むことになります。

 

相手に拒否や認めないカルマを作らせることも自らのカルマになる

カルマのポイントは、“自らが発信して作った(または作らせた)”ということです。

“どれほど物事の創作に自分が関わっているか”でカルマか徳か、積み物が変わります。

例えば、ある男性が自分の子供を虐待したとします。

嫌なことをされる子供に明らかな低い波動を生み出させる原因となる行為です。

自らの行為を認めているかどうかにてカルマが積まれるかどうかが分かれますが、この場合、子供の波動も男性のカルマになるため、男性が行為の責任を持つことはできません。

ぶっ飛んだヤバい奴なら、自らの虐待行為を認めることができますがそれは責任ではなく、エゴの擁護や自分の正当化です。

さらに、他者が生み出した波動を自分の意志で変えることはできず、自らの行為としては“子供自身が認められないカルマを生み出させた”、“自らが責任を持てないカルマを積んだ”となり、悪行としてカルマが積まれます。

すると、自分が年を取った時に同じように虐待されたり、他者によって認められない嫌なカルマを作らされます(子供が発した波動と同じものを味わう→今世ではなく来世かもしれません)。

波動であることから、振動数と振動域、振動リズムに振動幅など、明確に波動を発する際の状態と状況があります。そのために、したことと同じようなことが返ってくることが多いです。

しかし、一概に自分のしたことがそのまま返ってくるとは限らず、あくまで自分が起因した波動と同じものが返ってくるので、カルマを作った際の自分の意志・肉体行為・気持ち、そして巻き込んだ他者の意志・肉体行為・気持ちの波動の記憶を基にして返ってきます。

自らが原因となって発生した波動に対して責任を持つカルマの法則にて、相手に味合わせた拒否や認めない低い波動に対しても責任が発生します。

相手にした行為であれば、相手が味わった気持ち、強引に作らされた意志などがいつか返ってくるというもので、良いことも悪いことも味合わせたようにそのまま返ってくるのがカルマの法則です。

 

カルマは見返りではなく、自然ではないものを自然に戻すために返ってくる

悪行が悪行として返ってくると言うと、なんだか怖い印象がありますが、カルマが返ってくるのは、あくまで自分のカルマに責任を持つためです。

そのため、見返りや復讐的なものではなく、「コンコン、あのー私カルマと申しますぅ。行き場があなたのとこなんですけど…」という、「早く認めてくれませんか?」的なノリです。

自然な状態ではなく、自分の行為や意志、現実を認めないことを正すための仕組みとして、カルマの波動、または未浄化エネルギーは行き場を求め、唯一の帰る場所へ向かいます。

そのため、認められず責任を持たなければいつまでも何度も戻ってきます、「ねぇねぇ、早く」と言いながら。

カルマの行為を知ると“人間性や現実とは何か?”という理解も含まれることがわかります。そこには常に、“認める”、“受け入れる”が自然な状態としてあります。

認めない、受け入れないとは行為なくして起きない認識です。

行為している以上は自らの意志にて始まっているので、自分の期待や予測したことが起きない時に、現実を認めないというのは不自然な状態でカルマを積んでいきます。

物事を認めて受け入れるというのは本来ありません。あるのは、認めない受け入れないという認識であり、拒否の基は恐怖です。

そのため、「何に対して自分は恐怖を感じているか?」を観察することで自分のカルマを知ることとなり、受け入れること以上に拒否という不自然をなくすことが大切です。

カルマを知るとは自分を知ることであり、自分にとっての恐怖を知ること
※認められない、受け入れられないことを紐解くと自分のカルマを知れる

カルマを知り、責任を持つことで、あらゆることは善行のカルマとして徳になり、それは同時に引き寄せの法則として良きことをもたらす行為にもなり、良き結果待ちを作ります。

※自分のカルマを知る方法は、自分のカルマを知る方法|知るだけか解消するかが分かれる意志がある をご覧ください。

自分のカルマを知る方法|知るだけか解消するかが分かれる意志がある「私のカルマは何だろな?」と枝木をブンブンしながら歩いていた学校帰り。 気付きました、「あっ、これがカルマだ」と。 気付いて...

 

カルマとは スピリチュアル まとめ

以上がスピリチュアルな認識によるカルマの意味と理解でした。

カルマには輪廻転生の概念があるために、過去世や来世を含めたスピリチュアルも含まれます。

すると、魂の記憶としてカルマの記憶が残り、生まれてくる際にどのカルマを解消するかを決めてくるというスピリチュアル的な認識もあります。

過去世がたくさんあれば、私達人間はどれほど野蛮なことや、高尚なことをしているかわかりませんので、認めて受け入れられることを予め決めてくることでより自分らしく生きる時間が作られます。

大切なのはカルマを知り、自分の行為を自覚して責任を持つことです。

どんなに良いことでも、自分を認められなければそれさえも拒否してしまいます。

そのため、カルマとは自分を如何に知り、認められるかを教えるものでもあり、自分自身の理解を深めて育む行為の真理があります。

一つ一つの行為を紐解くことで、自分は何を求め、本当にそれが欲しいのか、心からの真意なのか、あらゆる自分を見ます。

行為というカルマの業。

ここには私達人間の摂理と真理と仕組みが集約され、意志と認識の基となる“自分”が存在します。

如何に自分を知るかはカルマの理解をどこまでも深め、よりカルマを善行として作り、良きことや引き寄せを活用する時間が作られます。

全ては自分から作られることを教えるカルマのスピリチュアルな認識にて、あらゆることに責任を持って物事を創造していくきっかけになることを願います。

それでは、カルマとは何か、そこにスピリチュアルを含めた話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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