人生哲学

未来は決まっているけど決まっていない│運命は自ら決める無限の選択

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未来が決まっているのか決まっていないのか。

ここでは、物理学と量子力学、スピリチュアルと哲学を含めた未来の観測として、私の知っていることをお伝えします。

結論から言うと、未来は決まっていて、それを選ぶことで現実を創っていると考えられます。

そこには、ミクロとマクロの仕組みがあり、ワンネスと自我の仕組みがあり、愛とエゴの仕組みがあり、全て共通で繋がる話です。

それでは、未来は決まっているけど、自分で決める仕組みをお楽しみください。

未来は決まっているとは

未来は決まっているとは

未来が決まっていれば、安心も落胆もすると思います。

「決まってんなら何もしなくていいね、なるようにしかならないんだから」

人によってポジティブにもネガティブにもなる状態。

実際、「決まっているってどういうこと?」という感じはありますよね。

未来が決まっていれば、今この記事を見ることも決まっていて、コーヒー片手であることも、スマホを使用しているのも、途中で眠くなることも、気づいたら月を眺めていることも決まっています。

誰が決めるのか?

自分です。

未来が決まっているとは、人生のシナリオを作るが決まっていることです。

それを結んで線にする物語作りは決まっていない。これは内容です。

言い方を変えると、映画監督があなたで、機材や俳優、舞台やカメラマンは既にスタンバイ完了、そして台本なし

人生を生きる基盤として、顔や体があり、家族や生まれる場所、出会いや関わり、問題やトラブルの出来事、楽しみや苦悩があり、「監督さん、材料は全部準備してますんで、後はご自由に起きる出来事やタイミングを決めて映画作っちゃってください」と言われている状態です。

未来は決まっているとは、起きる出来事となる材料は既に容易されていること。

材料をどのように使用し、人生のストーリーを作るかのシナリオは決まっていないというものです。

それは結婚することやしないこと、その相手や別の相手、喧嘩する日にちに原因、その時の反応やセリフ、どのお皿を投げて、いつ仲直りするか。

材料は点として無数に存在します。

その点と点を結ぶ作業は自分でするために、未来は決まっていて人生は決まっていない=未来は決まっているけど人生は選択して作ることになります。

わかりにくいかもしれませんが、いくつかの視点を順番に見ていくとわかりやすくなっていくので、見ていきましょう。

 

未来は決まっていて決まっていない物理と量子

この世はマクロとミクロによって作られます。

  • マクロとは大きいもののこと、巨大に捉える見方や、統括的で包括的で全体的な認識
  • ミクロとは小さいもののこと、詳細に捉える見方や、端的で瞬間的で個として具体的な認識

それぞれに全く違う捉え方があり、マクロは大きく全体を見るので俯瞰しています。さらに時間の概念も含めて過去も現在も未来も含めた認識です。

ミクロは一部を詳しく細かく見るので、中に入り込むようにして、時間の概念はなく認識する瞬間のみに集中します。

とっても要約すると、マクロは円、ミクロは点です。

 

マクロで未来は決まっている、ミクロで未来は決まっていない

マクロの視点では、物事を統括して俯瞰するために未来は決まっていると考えられています。

それは起きる現象に規則性や原理があるので、起きる現象が予測できるためです。

例えば、植物の生え方もその場の土壌環境や天候、風の強さや向きなどから、三日後にはどれほど伸びてどんな形をするかわかるようなものです。

しかし、ミクロの視点では個々の詳細まで見ていき、具体的に分解した素粒子や電子には確実な規則性や原理がなく、近いものを予測はできても不確定な状態で確実に予測できません。

ミクロの視点では未来は決まっていないと考えられています。

 

マクロの中にミクロがある

未来は決まっているとも決まっていないとも答えがあるマクロとミクロですが、ミクロはマクロの中に存在するので、少しごちゃ混ぜ感が発生します。

それは、人間という物体をマクロに捉え、その中に分子や素粒子や電子としての個々のミクロが無数にあるようなイメージです。

ミクロに時間の概念はなく、瞬間瞬間に現象を起こして物事を認識するので、今この瞬間のみを点として生きる状態です。

未来は決まっている自分がいて、自分を構成する中身の材料は自由に、「未来なんて決まってないよー、へへへ」と走り回っているように。

マクロの中にミクロがあるため、未来が決まっている捉え方の中に、未来が決まっていない捉え方が共存する。

ややこしいですね。

未来が決まっている中に決まっていない点があるのは矛盾のようにも見えますが、マクロの中にミクロがあっても、個々の集合体として物体に捉えるだけで、捉える視点は私達人間が勝手に決めています、自由です。

私達が捉えられなくても存在することは確かで、ミクロ達は「これが私だー!」と思っていて、マクロの中に存在することすら知らないかもしれません。

以上から、マクロとミクロの視点を知ると、未来は決まっているとも決まっていないとも取れ、その根底には今この瞬間のみを認識する“点”が、「全体とか知らんし、これが私だし」と言いながら個として今を生きています。

おそらくミクロさんに聞けば、「はっ?未来が決まっているだって?未来のことなんてどうでもいいわい!」と言うかもしれません。

※結局大事なのは今だね、という話は、今を生きるとはどういうこと?│以外に知られていない意味と目的 をご覧ください。

 

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未来は決まっている?! スピリチュアル編

ここからは魂の概念も含めたスピリチュアルです。

話はぶっ飛びますが、内容は元々そんなようなものですので気になさらず。

ワンネスにて未来は決まっている

ワンネス、宇宙は全て一つ、というものです。

全ては一つの意識に繋がり、そこから派生するようにバラバラと散らばっている状態が私達個々の自我意識。

ワンネスは統括的で俯瞰的な意識として全体を包み込み、一つとして存在します。

そこには次元概念もなく、そのために時間も空間もありません。しかしそれは、同時に時間も空間もあることを意味して、過去も現在も未来も次元もあります。

認識が“全体”であることから、何もかもがあり何もかもがない、あるのは一つワンネスの意識のみという状態です。

ワンネスは全てを包括しているため、未来も存在して決まっています。それは時間の概念も超越しているので、未来という時間の概念として先に何かがあるわけではなく、全部が同じようにある状態です。

それは、ワンネスの中に自分が含まれているためでして、自我意識を含めた魂はハイヤーセルフやグループソウルなどの繋がりを持ちながらも、全ては内包されます。

言い方を変えるとワンネスとは“記憶”です。

記憶の集大成であり、マクロでありながらミクロでもあり、全ての視点も認識も持つために、あらゆることが無限な記憶のように保持され、次元も時間も空間も超越して、私達が想像できることは全て記憶として保持し、いつでもどこでも何をして、何を思い、何を考え、何を感じるかが認識されています。

ワンネスは全ての記憶を所持する意識で、思考や感情や認識などあらゆる行動の基・動機・結果を持つ

ちょっとややこしさが増してますが、これは記憶を基にして、物事の働きや動機を持って現実を創っている意味です。

 

自我意識があると未来は決まっていない

そんなワンネスの中に存在する意識が自我意識です。

自我意識とは、ワンネスから派生して離れ、「私は私」と自分を認識する意識です。

個として存在し、現実として認識できるのは“今この瞬間”のみです。

過去と未来を時間軸として使用する三次元認識を持ち、その基盤に脳を使用するために記憶として過去があり、記憶を組み合わせて未来を空想できます。

「明日は雨だろうな」という具合に何となくの解釈をしたり、思い込んだり決め付けたり、嘘や誤魔化しなどもして、さまざまに未来を作ったようになりますが不確実で決めることはできません。

自我を認識している状態で、「未来は決まっている」というのは思い込み以外には困難です。

自我意識が強い場合は、「未来は決まっている」ということに違和感や嫌悪を持つようになっています。それはミクロの気持ちがわかるためで、「何がワンネスだ!我は我なりー!」と走り回る感じです。

ワンネスと自我意識はマクロとミクロの関係と似ていて、ワンネスであるマクロの中に自我意識のミクロが含まれ、未来は決まっていると決まっていないの両方が混在します。

※ワンネスと自我意識については、ワンネスとは宇宙の法則|スピリチュアルと哲学でわかる視点を変える話 をご覧ください。

ワンネスとは宇宙の法則|哲学とスピリチュアルでわかる視点を変える話「全ては一つで、みんなも一つ」 漠然としていて何のことかわかりにくいワンネス。 ワンネスとは、この世の摂理として存在する誰し...

 

未来は決まっている?! 哲学編

ここから最後の仕上げに入ります。より詳細を紐解くために、哲学にある思想(脳と心)を使用して、これまでのを全部混ぜちゃいます。

未来は決まっている哲学

哲学の思想にて未来が決まっているかどうかを洞察すると、“決まっていて決まっていない”=“決まっているけど自分で決める”ということがわかりやすくなります。

初めに、未来は決まっている思想をご覧ください。

 

愛を認知することで未来は決まっている

哲学の愛にはさまざまな種類がありますが、全ての愛を統括するのは“無償の愛”や“博愛”などと言われるもので、ギリシャ哲学では“アガペ”と言います。

愛があれば人を敬う気持ちがあるために、無償で愛を提供できます。そして、敬うためには自分を受け入れる状態が必ず必要です。

拒否をなくすことで受け入れる基盤ができ、それは“自然”という状態になります。

あらゆることを起きるままに、なるがままに、あるがままに、ありのままに。

受け入れる許容が増えることで自分を敬い、愛が存在します。すると、目の前の人を受け入れることができ、それが他者の敬いになり愛の認知が広がります。

全てをあるがままにして、起きることをそのままにする自然体は、自分という存在の視点から大きく俯瞰して捉える統括的な見方になります。

そうです、マクロでありワンネス。

距離が遠く空へ浮かぶように、みんなが点「・」になり、青い地球が見え、地球も「・」になり、星々が「…」とたくさん散らばる夜空のようになります。

マクロの視点として全体的な捉え方で過去も現在も未来も含めて時間の概念はなくなります。

統括的な認識として全てがあり、全ては一つであることから、未来も過去も含めた中で生きていることを理解します。

愛によって、未来は決まっていることを認識するというものです。

 

未来は決まっていない哲学

同時に、未来は決まっていない思想があります。

それはエゴを基に紐解きます。

エゴとは愛の裏側にある意識で、自分を他人と区別して認識する意識です。

自分で自分を認識せず、評価や判断によって他人と比較や区分けして自分を見出し、劣等感と優越感を主体に作ります。

エゴを作るのが“脳”でして、過去の否定や恐怖の記憶から、自分の存在価値を見失わないように対処をするための意識として、自己防衛を司ります。

そんなエゴは自覚的に未来に対する思考(想像、空想、予想、予測)を広げるため、未来は自らが決める認識が強くなります。

その認識がなければ思考する意味を見出せなくなるので、未来は決まっていると思うことは困難です。

エゴは未来を顕在意識にて作るため、未来は決まっていない認識になる。

エゴによって自分の見出しに集中する考え方と生き方を作り、“自我”への意識が強くなり、より自分を中心にする視線を持ちます。

それはミクロの世界に入ることを意味します。

顕在意識が主体となり、脳内にインプットした記憶情報を基に行動するため、「コーヒー飲みたいな」と思ったら誰かがコーヒーおごってくれるのではなく、自分でコーヒーを買う行動をします。

エゴによって未来は自分で決める明確な認識となり、未来は決まっていないと思う思考を強めることになります。

 

未来は決まっているけど自分で選択する

これまでの内容から、物理も量子も、ワンネスも自我も、愛もエゴも同じことを言っていたとわかると思います。

それらの共通から、“未来は決まっているけど決まっていない”という両方の理解があり、物事をどのように捉えるかの視点や認識の仕方によって人それぞれに両方あります。

そして、私達はミクロとマクロで構成されて肉体となっているように、いくつもの点の集まりを一つのように捉えています。

それを捉えているのが自我意識とワンネス意識であることから、両方の見方が混在します。

共にあることに意味があり、愛があることでワンネスを強めて未来が決まっている基盤の材料があり、エゴがあることで自我を強めて物事を自分目線で選択することができます。

エゴも自我意識もとても大切なもので、自分を自分だと認識しなくなれば全てを受け入れてありのままなので、「未来が決まっているんだね、そうかそうか」「未来が決まっていないんだってね、そうかそうか」と老人ホームのいっつも笑っているおばあちゃんみたいになります。神様的な。

「未来が決まっている」というニュアンスは脳の直線的な時間軸として、過去→現在→未来という捉え方をしてしまうかもしれませんが、それは自我意識のミクロの捉え方です。

ミクロもマクロも共に含めて捉えると、未来が起きる仕組みには記憶との繋がりが大きく関与します。

それを最後に見て、未来が決まっている話をまとめたいと思います。

 

人生のストーリーは決まっている中から選択する話

私達は自我意識を主観にしていますが、ワンネスに包括された状態という両方を含めた捉え方があります。

未来が今目の前に起きる仕組みには、行動動機が大きなポイントです。

未来が決まっていようがなかろうが、その未来が現実になることで未来が生まれます。
それは自分が未来に向かうのか、未来から自分に向かってくるのか。そこに時間の概念はありません。

時間の概念はミクロと脳のみの認識です。存在するのは頭の中だけですので、バランスの取れていない捉え方になりますので、ここではポイッと放ります。

時間がない状態ですと、現在が未来に行くか未来が現在に来るかではなく、自分が未来に行くか未来が自分に来るかです。

行くのか来るのか気になりますが、人それぞれです。

「それぞれかーい」という感じですが、これはミクロ寄りかマクロ寄りか、自我かワンネスのどちらの認識が強いかによって分かれるためです。

未来が来るか自分が行くかは、受け入れ(敬い=愛)の許容に比例している

  • 受け入れが多ければ未来から自分にやって来る
  • 受け入れが少なければ自分から未来に行く

※未来からやって来ることを“引き寄せ”とも言います。

「未来へ行くタイプ、向こうから来るタイプ」
あなたはどちらでしょうか?

 

記憶を基に未来の結果が起きる

未来が来ても、自分が行っても、未来という結果を起こすには行動が必要です。

家でぼけーっとしていて、お金が降ってくる未来が決まっていても来ないのはなぜか?

行動しないと未来がやってきません。それは、未来が来ても行っても、未来というのは記憶だからです。

記憶はこれまでお伝えした未来を選択するための“材料”のことで、私達は記憶を基にするために自我意識かワンネス意識かと繋がります。

そこで自我意識と繋がる場合、自我が強ければ強いほどに“顕在意識”を使用します。自我が薄くなっていくとワンネス意識に近付いていくので、“潜在意識”を使用して、最終的にワンネス一体となることで“超意識”という宇宙の記憶を使用します。

超意識とは呼び方は何でもいいのですが、ビックバンにて何百億年か前に宇宙が誕生した時からの膨大な記憶のことです。

ワンネス意識に近付くことは記憶にアクセスすることで、スピリチュアル的に言うとアカシックレコードや、魂や死後の世界、天使とか神様とかの記憶も含めたものです。

私達から未来に行く場合は、自分の頭の中で未来を想像して、それをゲットできるように行動します。

それは、顕在意識にある記憶を基にして、行動動機となるモチベーションを作り、行動を継続して手に入れる一連を経て未来へ辿り付きます。

「コーヒーを飲もう」と頭で考えて、ミルで豆を削り、エスプレッソマシーンのスイッチを押してカップに黒い液体が入ったものを飲むことで、自分の未来へ辿り着きます。

その一連を考えると、私達は記憶にないことを現実として認識することはできず、脳の中にある情報以外は、目の前にあっても認識できません。

そのため、顕在意識でも何でも、既にある記憶があるためにコーヒーを飲む自分を作り出すことができ、それは既にあるコーヒーを飲む自分を知っている記憶があり、それを頼りに記憶を組み合わせる“選択”をしています。

その言い様が、“未来は決まっているけど自分で決める”。

未来は決まっているけど、今起きる現実ストーリーは自分で選択してつくる、という話です。

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