『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「オラオラオラー」と怒鳴っている時、言語変換するとこうなっていることをご存じでしょうか。
「もう!心開いてプニプニプニ~」
怒鳴る人、怖いですね。
威圧は犬の特権かと思いきや、人間にも使う人がいます。
怒鳴る人を嫌がり怖れる時、なんとかしたいものですが、当人を変えることは当人にしかできないため、関わりが難しいものです。
しかし、自分だけ我慢して嫌な思いをするのは良くありませんので、相手をしっかり理解して対処する大切さがあります。
ここでは、怒鳴る人を対処するための理解を見ていかれてください。
- どうして怒鳴るの?
- 怒鳴る人が怖いのはなぜ?
- 怒鳴る人を観察するとわかった体験談とは?
- 対処は如何に?
これらを紐解き、「相手も大変なんだと思う客観視が対処法になるんだ」と知っていただく内容となっております。
私は幼児期からの怒鳴られによって頭がおかしくなった人間ですので、経験理解がお役立ちとなれば幸いです。
Contents
怒鳴る人が嫌いで怖い理由
怒鳴る人の心理
大声で相手を責める怒鳴り。
怒鳴ると言っても、威圧効果を得たい人もいれば、自制できずに発散する人もいます。
どちらも怒鳴ることに自らの利益を得る意味があります。
- 威圧効果を得たい人は、相手を怖れさせる心理的優位を欲する
- 自制できずに発散する人は、感情のなすがままに自己利益を欲する
一方は威圧して相手をひるませる悪意のある攻撃、一方はどうすればいいかわからない自己表現として、悪意のない暴君を働きます。
どちらも“怒り”を内部から外部へ強く発散させており、まるで砲弾が口から出て来てドーン。
相手に向けるのが威圧効果取得。
どこに向けているかわからないのが自制不可。
両方の共通点として考えらえるのが、「自分のことしか考えられない余裕のなさ」
不安と恐怖に苛まれながら、利益(または不利益解消)を得るために叫んでいる在り方を意味します。
怒鳴るとエネルギーを周囲に放散する
怒りのエネルギーが心身内部に作られやすい心理があります。
怒りとは陰陽五行説の“木”に該当する。
木のエネルギーであり、火の燃料となる。
“火”は喜びを意味しており、喜びの基となるのが怒り。
このことから、怒りを多用する人は喜びを欲するポジティブな陽のエネルギーがあると考えられます。
しかし、怒鳴って相手に怒りをぶつける場合、陽のエネルギーに他者への執着が混ざります。
自分で喜びを作れない、または自分の喜び作りだけでは満足できない(不安と恐怖を誤魔化せない)ので他者を巻き込む心理です。
- 人への敬いのなさ
- 自立がない他責
- 執着心による利用概念
- 認識力のない脳の未熟
- 恐怖心と向き合えない気の弱さ
- 自分のことだけを考える自己中心性
[怒鳴る=利益を得られる他者への執着行為]になり、本来の怒りの意味を大きく逸脱していきます。
自分の思い通りにならず、不納得になると憤り、自己内部に認められない因子が作られ、抵抗や反発など自らの心への拒否が増え、ストレスが溜まります。
些細なことでイライラしたり、ムカついて憤り、わからない状態に納得いかず、怒りのエネルギーがどんどん心身内部に蓄積していきます。
抑圧による滞留エネルギーが作られて、今か今かと発散の時を待ちます。
怒りを発散すると周囲に泥水をぶちまける
ドーン!と発散した時、内部の不純エネルギーは瞬く間に周囲に放散されます。
怒りとは非常に強いエネルギーであるため、周囲に伝播します。
まるで尖った砲弾がピョンピョンと全方向に放たれるさまは、周囲の人々の個人テリトリーにお構いなしに突き刺さり、小爆発ボンボン。
何も関係ないのにまるで泥水をぶっかけられた気分になり、怒鳴る人の周囲も同じように怒りたくなります。
周囲を巻き込んで怒りのエネルギーを増大させ、さらに生み出しやすくする副作用となります。
放散が恒常化すると、信念体系は怒鳴る行為を生活や生存活動に組み込め、すぐ怒鳴るようにもなります。
※怒りのエネルギー概念は、【怒りのエネルギーが強い利点&汚点】すぐ怒る人は頭が悪い訳ではないと知った体験 をどうぞ。
怒鳴る人が嫌いな理由
威圧効果を使う場合は、対象に標的を定めているので周囲への放散は極力収まります。
しかし、自制がない怒鳴りの場合、砲弾は無差別に放たれるため、周囲にいるだけでテリトリー浸食をされて反発心を抱く要因となります。
怒鳴る人を見るだけでイライラが伝播し、何もしていないのに一方的に不利益を与えられます。
周囲を鑑みないで自分のためだけにする行為は、知らぬ間に不利益な影響を与えるために、怒鳴る人を嫌いになります。
自分のために怒鳴る人を嫌いになるのは当然
怒りは抑圧すればするほど、解放時に大きなエネルギー消費と共に快感を得ます。
「あぁ、スッキリした!」という具合です。
一人でやる分には効果的でストレス発散にもなる大切な行為ですが、誰か他者を怒鳴る場合は話が変わります。
威圧効果を得る場合も、自制できない場合も、どちらもしっかりと利益取得するのが怒鳴る行為。
このことを理解している人ほど、嫌います。
自分のことだけを考えて、自分のためだけに怒鳴る行為は、周囲への影響や迷惑を鑑みずに自己利益だけを得る、ナルシシストの過剰状態です。
「相手のために怒鳴る」という行為はありえないと考えます。
怒鳴った後はスッキリするので我に戻り、「本当はあなたのためだからね」と言うことは可能ですが、初めから本当に相手を思っていれば怒鳴る以外の選択肢があります。
怒鳴るに近い言葉で“叱る”があります。
叱るとは、目下に対してアドバイスや教育するために厳しく責め、とがめる。
相手のための大切な行為ですが、上下関係がない間柄であるにもかかわらず叱る場合、「相手のため」が薄れた自己満足行為となるので、人によっては嫌いになります。
※嫌いな人への拒絶反応については、【最上級のサイン】嫌いな人への拒絶反応に潜む意味と対処法(解説by体験談)をどうぞ。
怒鳴る人が怖い理由
嫌いになるだけでなく、怖くなる人は多いと思います。
恐怖心とは危険や危惧、そして拒否したくなるさまであり、自分自身との向き合いを表す気持ちです。
自己内部に拒否感が強ければ強いほどに怖くなります。
怖くなる理由、すなわち拒否したくなる理由には、怒りエネルギーの放散が関わります。
自ら作った憤りでも反発でもなく、他者が作った不純な未浄化エネルギーである怒り。
怒り自体は私達人間に大切な木のエネルギーですが、執着や自立のない他責を含めたエゴを存分に混ぜて淀んだエネルギー。
感受性が高い人ほど、このエネルギーが放散された時に吸収してしまい、拒否感が強まることで「怖い」と認識します。
感受性・自意識・自己コントロール欲が強ければ強いほど、怖くなる
我慢や頑張り癖など自己抑圧心理が強いと、さらにエネルギーを吸収してイライラが伝播し、「怒っている自分は嫌だ」と拒否感が強まります。
自意識や自己コントロール欲求が強いと、「なんで急にイライラしているんだ?」「あの人のせいで怒る自分になるのは嫌だ」と拒否感が強まります。
怒鳴っている人の影響によって自分の在り方が作られると、その自分を認めたくなくなります。
「まるで支配されるようだ」と無意識に感じたり、怒鳴る人との空間にいる自分を認めたくないほど、恐怖心を抱くことで拒否活動を促進させ、自己防衛を強化します。
自己防衛を発動させるために強い拒否感をあえて抱き、「怖い」と認識します。
過去のトラウマや心の傷の記憶によって、怒鳴られることに拒否感を抱く人もいますが、怖いのではなく自らを大切にしたい意識が強ければ強いほどに怖さを作ります。
ガタガタ震える怖さではなく、自らを傷つける危惧を認識するために、「怖い」と捉えて強い拒否感を出している、という考え方です。
※気が強い人への苦手意識は、気が強い人を苦手な時に知りたい│特徴にある棘はチク?フニャ?をご覧ください。
怒鳴る人が怖い時の対処法
観察し続けてわかった怒鳴る人の内情
怒鳴る人そのものを把握するためにも、私の理解をご覧に入れます。
私は赤ちゃんの頃から父親に怒鳴られ続けてきました。
今となってはこれほど有難いことはありませんが、なかなか後遺症の克服には気を使いました。
幼児期からの信念植え付けか、本当に怖いからか、私は父親ほど怖い人にこれまでの人生で会ったことがありません。
そのため、中学生の頃には父親以外の怒鳴る人が全く怖くなくなってしまい、怒鳴る人がいると目の前でもジーッと観察するようになりました。
そんな私は教師から好まれず、よく怒鳴られていました。
私が全く無反応であるために権威性を示したい人々は寄ってたかり、仕舞には三人に囲まれて怒鳴られていました。
どれだけ怒鳴られても、何もなかったかのように効果がないので、怒る側はなんとか怒鳴る利益を見出すために必死でした。
私は怒鳴られる経験測によって我慢癖が絶対性を持ち、怒りの感情コントロールができなくなります。カッとなりやすく、かんしゃく持ちのようにポコポコと怒っていながら、我慢も並行していました。
慎ましくコンビニで働いていた学生時代は、怒鳴ってきたヤク〇と喧嘩したり、素行の悪いお客さんを店外にぶん投げるような人間になっていましたが、我慢していたので一線を超えずに済みました。
怒鳴ることへの嫌悪感が凄まじかったので、私が怒鳴ることはなく、怒鳴る人がいれば食って掛かる状態。
こんな観察を続けたことで、心理の理解はより明確なものとなったように思います。
※すぐ怒る人の過去については、【すぐ怒る人の育ちに秘密あり】関わるのがめんどくさい時の対処法 をご覧ください。
観察結果①:人が好き
わかったのは、「怒鳴る人達は人が好きなんだ」ということでした。
自立と自責がないために、シンプルに我欲を主張して自らが喜ぶために人と関わろうとする心理。
喜びの基である木(怒り)のエネルギーを使い、「自分は喜びたい、辛い思いをしたくない、嫌なことをしたくない」という欲求を解消しようと、怒鳴り散らします。
本当は仲良くみんなと遊びたいのに、勇気を持って恐怖心と向き合い、「あ~そ~ぼっ」と言えないので、感情に身を委ねて思い通りの現実を得ようとするイメージです。
そこで少し知性を使う人は、威圧して思う利益を得ようとします。
知性を使わない人は、自制を取っ払って感情のなすままにして利益を得ようとします。
一点大きな特徴があります。
執着して人と関わり、自らを喜ばすために人と関わり、利益を得るために人に興味を持つさまは、勝手な自己都合にも思えますが、心を開いて人と関わろうとすることです。
純粋な子供のようです。
この心理用語を、「ジャイアンの本音」と言うとか言わないとか。
観察結果②:我慢しているけど我慢できない
もう一つわかったのは、怒鳴る人なりの我慢をたくさんしていることです。
恐怖心と向き合っていない前提での我慢は、周囲からすれば我慢とは言えない代物。
しかし、本人は怒りを作りやすい心理状態であるために、我慢しているつもりです。
認識力のなさがはっきりと表れ、自己都合の世界のみを見て生きているために、「他者目線ではどう思うのか?」など外界から捉える目線を知らないか、重要視しません。
余裕のなさが関係しており、常に不安と恐怖に苛まれているので、我慢していながらも許容の狭い点が否めません。
観察結果③:頭がバグると怒鳴る
もう一点重要な理解は、頭がバグっている可能性です。
※バグとはシステム損傷や、コントロール不可状態
私自身がそうだったのですが、怒りの感情に身を委ねた時、知性が限りなく皆無になります。
認知・認識能力の低下、物事の判断が正しくできず、情報処理が著しく下手になり、アドレナリンを感じてなんだか強くなった気分。
この自分を折り重ねて怒鳴る人を観察すると、自制できないで怒鳴る人、カッとなってコントロールを外れる人は、エネルギーを発散する時に頭がバグっているかもしれません。
恐怖心から逃げ続けて認識力の育みをしてこなかった場合、依存症のごとく脳機能が上手く働かないだけでなく、感情や欲求に支配される可能性があります。
これは威圧するために怒鳴る人も同様で、感情や欲求に支配されると、脳にインプットされている行動はできるのですが、その自分を自覚できなくなるので自制する余裕を作れなくなります。
俯瞰性や客観視がない状態です。
威圧して権威性を示すために他者を攻撃して怖れさせ、劣等させて自らの優位性を見出したり、上下関係をはっきりさせて支配やコントロールを狙い、自己顕示欲を撫で可愛がります。
この時、相手を牛耳るので物事を理解して自覚しているように思えますが、実際にはインプットした単調な[怒鳴り+自己満足]を得ているだけで、変わり映えのない映画シーンを自らの脳に観せられて従っているだけの可能性があります。
怒鳴り慣れている人が怒鳴って何の効果も得られないと、一瞬でパニックやコントロール逸脱に陥る率が高いため、このような理解になります。
※私調べ
以上をまとめながら、対処法を見ていきましょう。
※怒鳴る人の末路は、【怒鳴る人の末路は強制逃避】行き着く先は意外に『光』をご覧ください。
対処法:自分も相手も客観視すると怖くない
自他共の理解が重要になり、“客観視”がポイントです。
怖い感情は自己内部で抑圧を作る最たる要因。抑圧が蓄積すると、普段は怒らなくても未浄化エネルギーが蓄積していくため、いずれ発散する必要があります。
さもなくば、ストレスや疲労、精神を穢し、病気にて症状を表したり、自己喪失もありえる自己抑圧です。
「怖い」と感じることは大切ですが、怖い上に我慢したりと抑圧を続けることは今すぐにでもやめましょう。
そこで、怒鳴る人がいると非常に邪魔ですが、相手を変えることはできませんので、対処法は自分を変える一択です。
自分を変えるとは、我慢したり、笑って誤魔化したりの抑圧をしないことです。
このためにおすすめしたいのは、自他両方の客観視。
自他から離れるイメージです。
客観視するために必要なのは、物事を理解することです。
※攻撃的に怒鳴る人の上手な対処法は、【攻撃的な人のかわいそうな心理】対処法は飼育員スタイル をご参照ください。
怖いと感じた時の自分から離れ、相手を捉える
物事は納得して理解すると、自分のものになります。
実際に理解するためには経験を要しますので、怒鳴られることがあれば、「どうして怖いのか?何に対する拒否感なのか?」を探ります。
これがわかった時、既に客観していますので、目の前で吠えている人がなんだか懐かしく、モノクロ映画を観ていると感じるかもしれません。
「あれ、この人怒鳴ってる…あ、そういえばこの人の放散エネルギーからの影響を嫌がって拒否感が生まれ、自分を護るためにも怖いと捉えているんだった」
「怒鳴られると過去の親に怒られたトラウマが蘇り、それを克服したくない拒否感によって怖くなるんだ」などなど。
このように理解が深まると余裕が生まれ、次は相手を捉えることができます。
「この人は純粋な子供のようだ。怒っている今、おそらく頭はバグっているけど、心は全開じゃないか」
「わからない状態を解消したいナルシシストは、自分にとっての嫌なことを対処しているんだ」
不安と恐怖に向き合えないながらも、自分の喜びを得るために怒りのエネルギーを使っているのは、目的は違えど相手も対処中だからです。
相手を捉える余裕があると、「どうして恐怖心に向き合わないんだ?」「どうしてそんなに内部に拒否(恐怖)があるんだ?」「幼い頃に何があったんだ?」という認識も必要とあらば見出せます。
褒められて育つ過程で甘えすぎていたり、怒鳴られるので自分の身を護ることに必死だったりと、ナルシシストが過剰になる原因があると考えられますので、サポートする温かい関わり方も見出せます。
全く関わらないのも得策です。
客観視は常に存在する選択肢をありありと見せてくれる、大切な対処法となります。
※感情的な人が苦手な方は、【すぐ感情的になる人に疲れる方へ】苦手意識があるからこその策略 をご覧ください。
怒鳴る人が嫌いで怖い まとめ
感情に身をまかせるさまも、知性に牛耳られるさまも、頭のバグりを生み出します。
怒鳴るとは動物性質であり、ワイルドな生存戦略でもあり、どちらにしろ自分のことだけを考えた恐怖心のあらがいです。
なるべく関わらない大切さがありますが、嫌いだったり怖いと感じることは、自他の理解を深めてより気楽に生きるための強さを得る機会になります。
私自身、怒鳴り続けてくれた父には感謝しきれないほど感謝しています。
怒鳴ること自体は誰しもしない方がいいですが、認識力と経験値を高める基盤作りになり、克服した暁には「怖い」との関わりがまるで一変します。
怒りとは不要なものではなく、大切な発散行為であり、抑圧の解放であり、使い方があります。
物事には意味があり、感情には自己内部の物語りがあります。
怒鳴る人も大変、怒鳴られる人も大変。
気づいて行動する人から変わっていきますので、動き出す準備運動としてお役立ちできれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。