『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
海外どこに行っても日本人は重宝される。
優しいから?礼儀正しいから?
利用できるから。
海外を周ると嫌でも実感せざるを得ないのが、日本人の自己犠牲による美徳精神は、傍から見ると利用価値になることです。
自己犠牲による他者優先、我慢を強いて他に利益を与える在り方は、嫌なことすら断らなくなります。
好んで楽しいならいいものですが、苦しく辛い思いをしながら犠牲を払う美徳観念。
一体どうなっているのか、内情が気になるところです。
ここでは、嫌なのに断れない理由を紐解き、自己犠牲をやめる理解を見ていかれてください。
- 嫌なのに断れないのはなぜ?
- 自己犠牲してしまう理由を知った体験談とは?
- 自己犠牲をやめたい時はどうすれば?
これらから、「自己犠牲を目指す意図が潜むんだ」と知っていただく内容となっております。
私自身が自己犠牲をやめられなかった時の体験談と共に、自己理解を深める一助となれば幸いです。
Contents
自己犠牲の精神
自己犠牲してしまう精神
私達は自分の精神を満たすために生きている大前提があり、誰しもに自己愛と自己防衛機能が兼ね備えられています。
利益を認め、不利益を拒む自然な在り方。
利益が減り、不利益が増える危惧となるのが、「断ること」。
人間のことをよく観て、経験し、理解してきた人ほど、人間とは不納得になると狂暴化し、自己を喪失し、コントロールから外れ、何をするかわからない狂気な一面があると知っています。
肉体は大きく、知性も働く賢い生態、小さなゴジラを管理するように関わります。
強く抑えては暴れる、納得してもらいたいけど欲求が満たされないと落ち着かない、恐怖を与えては人間としてどうなのか、どうしよう。
触らぬ神に祟りなし。
自らを犠牲にしても我慢できる力や許容がある人は、断らないことで面倒をなくす選択を持ちます。
「傷つきたくない」「嫌なことを味わいたくない」という損害回避を求める願望や強く、我慢できる人ほど、断らない選択をします。
嫌だとしても断らないことで心を守り、損害をなくし、面倒をなくし、人間の狂気を見ずに済む。
一石何鳥にもなり、とにかく不利益がなくなります。
しかし、一点だけ問題があり、自らの不利益だけが増えます。
周囲にとっては不利益がなく、人によっては利益すらいただける、けれども本人は不利益を被るため、自己犠牲になってしまいます。
自己犠牲という現実創造癖
「お願い、この仕事頼まれてくれ!」
「あ、これも、ポン」
「こっちも、ポン」
「ポンポンポン、あ、ポンポンポンっと」
震える拳をつねりながら、下唇を噛みしめる。
そして外面はアハハと愛想笑い。
自己犠牲する時に着目したいのは、望む願望を叶えていることです。
スピリチュアル、量子力学、遺伝子工学の理解では、私たちは自ら人生を創造しており、今この瞬間の出来事も全て作っています。
スピリチュアルでは、波動(エネルギー)の同調と自然の原理(縁起・カルマ)によって、自らの感情と心の在り方が現実を構成し、引き寄せています。
この考え方では、自己犠牲は自らが望んで作り出しています。
現実創造パターンは何度も繰り返すことで、脳のホメオスタシスとも連動し、恒常化して癖になります。
何も考えずとも自己犠牲を無意識に選択するようになり、面倒をなくしたり、損害回避して心を守る、認めたくない現実から目を背く願望を叶えられます。
自己犠牲するスピリチュアルな理解
現実創造の材料は、ネガティブなエネルギーです。
嫌で心地悪く、認めたくない、拒否したいエネルギーは全て恐怖心が生み出しています。
「断りたくない、嫌なことを言われたくない」など、損害回避を欲する際、ネガティブなエネルギーを生み出しながら、同時並行して願望も発しています。
願望は恐怖心に基づいて叶っており、自己犠牲する現実が構成されます。
自己犠牲に限らず、誰からも嫌われたり、嫌がらせされる、利用される、執着されるなどの副作用も人によってあります。
自分にとって不利益なので好ましい現実には思いにくく、ましてや願望が叶っているなんて考えにくいです。
しかし、自己犠牲によって損害回避という利益を既に得ていたりします。
損害回避は、言葉通り損害を回避することですので、「面倒が起こらず無事に今日が終わった、ふー」という感じでして、「やったー、何もなかった、最高!」とはなりずらい。
利益ではないために気づきにくいものですが、不利益がないという利益であることには変わりありません。
自ら自己犠牲している場合、願望が叶っているのがスピリチュアルな理解です。
※人柱のように強制的な犠牲は該当しません
自己犠牲の精神はやめにくい
どうして自己犠牲を創造してしまうのか根本的に考えると、自意識が「自分」という存在を守るためのルールを固めた可能性があります。
この要因となるのが、[自意識の強さ+他からの存在否定]
何者かでありたいと願いながら、他者から否定や無視され、支配や強制によって私物化され、やりたいことができず、やらされて諦めや我慢が増え、常識やルールでクルクルに。
「お兄ちゃんなんだから、お姉ちゃんなんだから」
「この家の子なんだから」
「親になったんだから」
「○○なんだから…」
他からの影響によって、私と言う存在が消される、自意識が穢される、アイデンティティを壊される。
すると、自意識が叫びます。
自意識とは自己愛でもあり、自らを他と区分けして存在する誇りがあります。
自らを誇る気持ちは、自意識への干渉を拒みます。
結果、他を優先して自らを犠牲にしてでも存在を認知し、価値を見出そうと努力し、頑張って我慢することに大きな意味ができます。
自意識の誇りを消したくない美徳が完成し、美徳ルールに準ずることで自分が消えずに済みながら、自己犠牲や我慢をやめにくくなります。
※何者でもない自分については、何者にもなれないと気づく大切さ│自然をもたらす何者でもない自分 をどうぞ。
自己犠牲をやめられない体験談
これまでの内容がわかりやすくなればと思いますので、私自身の自己犠牲体験をご覧に入れます。
嫌でも断れないバイト
18~20歳の学生時、私は都市郊外で一人暮らしをしながら専門学校へ通っていました。
「国家資格を取り、就職するため」と明確な目的を持った学校でしたので、遅刻は一度でも就職活動に響くと叩き込まれ、徹底的に無遅刻無欠席、好成績を目指す学校生活を二年間過ごしました。
同時にコンビニで深夜バイト。初めは週二で始めました。
場所柄もありアルバイトは学生と外国人が多く、バックレが多くて経営は忙しそうでした。
オーナーは人を入れ替わり雇い続けながら戦うように経営しており、70歳近いにもかかわらず自己犠牲を払い、何十年も休みゼロで働きづくめでした。
そんな中、オーナーの奥さんが倒れ、病院に通いながら経営するようになり、日に日に顔の青味とやつれ具合がゴッホの絵画並みになってきました。
さすがに限界が近いと悟り、私に「悪いんだけど、バイト日数増やしてほしい」と頼んできました。
私は夕方のシフト、夜勤明けの朝からお昼も入るように。
学校が終わってからコンビニへ向かい、土日は翌お昼まで働き、平日は夜勤明けにそのまま学校へ直行するようになります。
辛いのはわかっていながら断れない私自身を垣間見ながら、ウトウトと働き、ウトウトと勉強し、自己犠牲をやめられませんでした。
夜勤明けの原付運転中、ある通りの一部が崖になっているので、そのままダイブしようと何度も試みるほどの状態でしたが、それでも増えたシフトを変えてもらうことはありませんでした。
※追い込む自己犠牲は、自分を追い込む癖は使い方次第で最高。我慢癖と頑張り過ぎのアイテム化 をどうぞ。
自己犠牲をやめたいのにやめられない答え
「どうして苦しんでまでバイトを増やし、少しでも調整してもらうように言わないの?」
当時の私には考えることすらありませんでしたが、今ならはっきりわかります。
自己犠牲したかったからです。
しかし、肉体や精神が悲鳴を上げているので、心身内部は自己犠牲を拒否します。
一体何が自己犠牲を貫くのか?
『自分が必要とされている実感』を得るためです。
紐解くと出て来るのは、自意識に縛られたさま。
自意識の誇りを消したくない美徳ルール。
自分を何者かにしたい自意識の強さの真っ当欲求。
オーナーから頼まれて断れなかったのは、必要とされている承認欲求を満たし、さらに相手のためにもなることで、「必要な存在である私」と認識できたためでした。
「私を何者か(意義や価値ある存在として)認めたい」と自意識を貫く美徳従順が自己犠牲を促進させる。
承認欲求ですが、ポイントは自意識の強さを貫きたい点。
誰か他者に必要として欲しいのではなく、自らが必要とされていると実感したい積極的なエゴです。
美徳トラップに注意
美徳とは美しい響きがあり、なんとも誇らしい、道理にかなった行いに思えます。
「誰かのために働く」。そんなボランティアは素敵です。
「必要とされていると実感したい」。そんな自意識の誇りも素敵であり、結果的に他のためになるので周囲が喜びます。
しかし、美徳とは自らの道徳心を牛耳り支配するルールにもなり得ます。
「善」を認めていればいるほど、他のルールとは比べものにならないほど強固な支配下が起きる、絶対的な暗黙の被コントロールが起きます。
良かれと思い、他者のためになると思い、自らの承認欲求満たしにもなると思い、実際に起きるのは、利用する・される従属関係。
エゴの増殖による、自分の見失いです。
これに気づかなくなるのがトラップ。
「自らの存在を認知し、さらに他のためになっていながら、エゴを増やし、自分を見失う」という矛盾が起きる、摩訶不思議なことです。
自意識による自己犠牲の貫きは、自己犠牲になりたいと思いながら、なりたくないと思う二重の思惑が潜む、少しわかりにくいものです。
※優しい人の自己犠牲は、【お手本はYoutuber】優しい人が損する理由4選&注意点 をどうぞ。
自己犠牲をやめるために
自己犠牲をやめるための見極め
「断われないのではなく、断りたくない」が真意となる、自己犠牲。
他者に必要として欲しいのではなく、自らが必要とされているかどうかを実感することに意味があります。
この自己犠牲と大きく異なるのが、「嫌われたくない」と他に執着や依存する場合です。
同じ言葉でも、全く意味が異なります。
他に執着や依存する場合、「嫌われたくない」という我欲を押し付ける形になり、必要とされている実感を得ようとする積極的エゴではなく、必要として欲しい消極的エゴ(受動的)になります。
- 積極的エゴ
…必要とされている実感を得るために、自己犠牲を嫌々望む矛盾 - 消極的エゴ
…必要として欲しい他力と他責、あえて身を削る自己犠牲の押し付け
消極的エゴは他から必要とされることに利益があるため、明確な不利益があっても、他次第の決定を待つために自己犠牲を強いて改善へ向かいません。
我欲を押し付けて利益を得るための待ちスタンスは、利用されるのではなく、利益を得るために利用させる、と言った方が正確かもしれません。
自己憐憫、他に憐れんでもらうために発言することはあっても、実際にやめたいわけではないため、ここでの内容には含めていません。
「やめたい」と思うのは積極的エゴによる自己犠牲です。
改善へ向かいましょう。
※自分を優先する大切さは、他人より自分を優先することに常識がある【自分を優先する方法】をどうぞ。
自己犠牲をやめる方法
やめるためには、断れるように頑張るのではなく、積極的エゴの内情に気づくことが大事です。
内情を明確にするため、言葉をはっきりさせます。
「自己犠牲したくないのにしてしまう」
「自分の必要性や承認を得るために頑張っている」
シンプルにすると、「愛されたい、必要とされたい、それをもっと味わいたいけど、そんなのは良くないから認めたくない」
承認欲求とはとても大切なものです。
しかし着目したいのは、自らを自らで承認しているように思わせて、他によって自らを承認している点。
【自己承認欲求に基づいて、他者承認欲求を満たす状態】
※承認欲求の詳細はこちら
積極的エゴは少々巧みに思考を用いる特徴があり、自らの思うようになっていると信じ込み、自己価値を下げない保険をかけながら承認を他から得ます。
自分に対する誤魔化しです。
自己犠牲は自らを誤魔化して、他者承認を得ることで自己承認していると思い込む術。
積極さは巧みな誤魔化しであり、自己価値を下げないための思考策。
過酷な状況や、恐怖心をたくさん味わう経験の中では、とても大切な自己保持方法なのですが、自己犠牲をすればするほどに起きるのは誤魔化しの広がりであり、自分の見失いです。
自らと向き合うことが自己犠牲をやめる方法です。
必須:目的の明確化
自己犠牲そのものはとても大切な行為です。
私を例にすると、オーナーからのお願いを断らなかったのは、承認を得られるのもそうですが、オーナーが安心することが嬉しかったからです。
今でも、あの時は断らずにお手伝いできて良かったと思っています。
しっかり捉えたいのは、「やめたい、苦しい、辛い」と思いながらやめられない、断りたいのに断れないことが自分の見失いに繋がり、エゴを増やし続ける事実。
自己犠牲する目的をはっきりさせるのが重要です。
「なんのために身を削っているの?」
「何を求めて犠牲を払っているの?」
「断らないとどういう利益を得られるの?」
「私がやらないといけない」
「多少の辛さは乗り越えないといけない」
「ここで頑張れば後々楽になるはずだから」
これらは全て目的ではありません。自意識の主張と縛りです。
目的を明確にする場合、「自分は何をしているの?」が着目の全て、行為そのものを見ます。
自己犠牲の結果でも未来でも被害でも責任感でもなく、「今、なんのために、何をしているのか?」
「したいからしている」か、「したくないのにしている」か、はっきりわかります。
目的がはっきりすると、やめるやめないは選択できます。
「聞く」
目的が明確になると、やめる人はやめる、やめない人はやめません。
「犠牲を払う意味があるからしているんだ」とわかれば、人によってやめないことも大切です。
しかし、利益以上に不利益がはるかに多いにもかかわらず、自らを誤魔化して我慢や頑張り続ける人がいます。
自意識の美徳従順は過去に抑圧されてきた経験があればあるほど、過剰なまでに絶対性を誇ろうとします。
自らが思うように決めたい欲が強くなり、何者かでありたい縛りがきつくなり、周囲に聞く耳を持たなくなり、まるで罰を与えるように自らを縛りの中で戒めます。
自分で自分のことを見つめられないまでに逃避と誤魔化しが起きている可能性があるので、周囲に耳を傾けることがやめる方法になります。
「聞く」を知る。とても大切です。
※いい人をやめる方法は、【いい人をやめられない時のコツ】難しいけどやめる方法がある をご覧ください。
まとめ:自己犠牲の精神とスピリチュアル
自らを犠牲にして周囲に恩恵をもたらす。
自己犠牲は周囲からすれば利益ですので、利用してくる人はたくさんいます。
海外に行くと、「私達は日本人が好き、だから日本人しか募集してないの」という企業もホテルもお店もたくさんあります。
日本人がただ好きな人もいますが、資本主義にハマった損得勘定者の場合、面倒がなく、損害懸念が少なく、利益性が高く、利用価値が高いからだったりします。
自己犠牲は一方通行を作り、自らの利益や目的を明確にしないと、精神を穢してダウンしてしまいます。
自意識の強さは大切な個人の突起ですが、人間とは自他共に組み合わさって「自分」が存在します。
自己犠牲をやめたい時、ご自身を見つめてみてください。
目的を明確にして、今後の行動を見極める一助となれば幸いです。
それでは、自己犠牲をやめるお話を終了します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
お元気でお過ごしでしょうか?
北斗さんが原付で崖から落ちることなく、生きていてくれて本当によかったです。
貴重な体験のシェア、心から感謝します。
私も似たような経験があります。
人に頼られ喜んでもらえるのが嬉しくて始まる関係、最後は私の満身創痍で終わるのです。
最近は近所の日本人高齢ご夫妻。ちょっとした副菜のお裾分けをしたのがきっかけで、最後はお食事を届けるような関係に発展していました。
友人から「なぜあなたがそんな事を無償でするの?」と言われ、ハッと我に返りました。
美徳トラップにはまっていたのですね。自分の積極的なエゴの存在、気が付きませんでした。自分を見失っていたと思います。
北斗さんにひとつご質問があります。
コンビニオーナーさんとの関係はどのように終わりましたか?
もしかしたら円満に感謝されて終了しましたか?
私は疲労困憊でごめんなさいとお断りすると、怒ったり冷たい対応をされ、私がシュンと消え入るような感じで終了です。
今回、なぜ自分が自己犠牲をしてしまったのかが解ったおかげで今後に活かせそうです。
本当にありがとうございました。
日本は暑いようですね。どうぞ熱中症に気をつけながら楽しいご旅行を♫
道中のご無事と安全をお祈りしています。
千鶴さん、こんにちは。
こちらは暑さでとろけていますが、元気にやっています。
日本の旅が、もうすぐ始まります。
お役立ちできて良かったです。
美徳トラップ、自分の道徳や正義に沿っているので、気づき難いですね。
オーナーとは円満でした。ご飯や靴を頂いたり、就職して遠くなってしまったにもかかわらず、「美味しいもの食べて」とお金を授けてくださったり。
私ほど働いた人はいないそうで、喜んでくれていました。
ちなみにですが、積極的エゴは他者の消極的エゴを引き出す特性があります。
いい人が突然嫌な人になります。
人間とは基本的にエゴですので、いかにエゴを楽しむかに、自分を見失わない術がありますよ。
ありがとうございます。旅行、楽しみます。
北斗さん、お忙しいところ早速ご回答いただきありがとうございました。
コンビニオーナーさんとその後も良い関係が続いているとは素晴らしいです。
北斗さんは責任感が強く、優しく温かい方ですね。素敵です!
『エゴを楽しみながら、自分を見失わないようにする』という良いアドバイスをありがとうございました。早速、心に刻みました。
日本の夏の暑さは厳しそうですね。
塩分&水分の補給をしながら、どうぞ体に気をつけてくださいね。