生き方

【本質】頑張らない生き方とは?「インドに行くとはっきりわかる」

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張り切って身を粉にしながら、エネルギーを費やして壁を壊す、壊れるまで壊す、ムンムンムン。

努力と我慢を要する、いばらの頑張り。

目的を達成するために大切な手法の一つですが、私たち人間は一種類ではないので、頑張らない生き方が合う人もいます。

そんな頑張らない生き方とは何なのか?

怠惰になることではありません。

女性性を追加すること。

ここでは、頑張らない生き方とは何なのかについて、本質を見ていかれてください。

  • 頑張らない生き方とは何か知りたい
  • 頑張らないために必要なことを知りたい

頑張らない生き方の真髄とは如何に。

私自身がインドにて気づいた理解と共に、一つのご参考になれば幸いです。

それでは言語化の世界を気楽にお楽しみください。

頑張らない生き方

頑張らない生き方とは、自力の緩和、俯瞰

どうしても頑張ってしまうのは、気が張っているからかもしれません。

気が張る要因はいくつかあります。

  1. 完璧主義
  2. 強迫観念
  3. 個人主義
  4. 責任感が強すぎる
  5. 頑張って生きてきた自負
  6. 頑張ることを強要された躾・教育
  7. 頑張ることを美徳にする大衆観念

全てに共通することがあります。

自分一人の力だけに頼り、物事の視点が一つに集約されていること

行き過ぎると、「頑張らないと生きていけない」という強迫観念、それ以外の選択肢が見えなくなります。

心身が硬直した状態でして、肉体も心もガチガチに硬くなり、重い。

慣れてくると自覚がなくなり、頑張ること(気を張る、心身が固い、重い状態)が当たり前になります。

厳しい練習に明け暮れた野球部、監督の叱咤の中でも頑張ってボール拾い、三年生の時にはレギュラー入り。

頑張ることは大切な目的達成方法の一つですが、頑張らない人はこうです。

「カコン!カコン!カコン!ヒャッホー!!」

大好きなバッティング練習だけを誰よりも楽しむ。

マラソンの外回り、「これは抜け出してアイスを食べる休憩だよ、ペロペロ」

頑張らない生き方とは、気を緩めて(心身を柔らかくて軽くして)物事を俯瞰すること。

そんなお話、詳しく掘り下げていきましょう。

 

大前提、頑張る生き方とは?

頑張って生きる場合、張り切って、力一杯、できる限りの努力をすることになります。

日本で言う“頑張る”とは、もはやできなくてもやる。

過酷で辛くても、許容オーバーでも、やり続けて一線を乗り越える、精神の皮むきと言えるかもしれません。

仕事を例にすると、嫌でも継続し、忙しくても妥協せず、諦めずに耐え、かつ邁進すら目指す。

まるでボクサー。

徹底的に自分を追い込み、叩かれても起き上がる、「やるからにはやらねばならない」

そう、やらなきゃならない時がある。

ここで着目したいのは、勇士でも男気でもありません

自己世界(自己ルール)に浸っていることです。

本人が納得できるか否か、ルールに則っているか否かが、頑張っているか否かになるさま。

甲子園に行けずとも決勝まで行ければ頑張った、という具合に、納得有無が頑張った基準になります。

[納得いかなければ=ダメ、頑張ってない]
[ルールにそぐわなければ=ダメ、頑張っていない]

評価付けする在り方でして、物事や自分、他者や人生そのものが勝負、優劣、上下、高低、良悪を当てはめる認識。

そんな時、頑張らない人は言います。

「ベスト8、やったー!今日はご褒美に焼肉だぜ、イエー!」

 

頑張る生き方は、男性性優位

怠ける自分を許さず、弱音を吐かず、諦めてはいけない。

傷ついても、辛くても、やらなければならない。

これは男性性(男性エネルギー)に偏った在り方と考えられます。

頑張る生き方は、諦めずに凸し続ける破壊力があり、優劣ルールの上では勝ちという枠組みに入るための力となります。

壁があっても貫く、壊れなければ何度も叩き、叩いて叩いて叩きまくる。

男性性の特性

[陽、ポジティブな力、破壊、支配、太陽、左脳、理論、技術、物質、エゴ(我)、能動、破壊、火…]

破壊を司り、邁進して壁を壊すように目的を得る最たる手法であり、エゴによるエネルギーの使い方。

脳科学で言う、左脳に偏った脳の使い方です。

私たちは男性性と女性性を共に内包するため、このやり方に適した人もいれば、適さない人もいます。

頑張ることは大切ですが、不適応なのに強引に強いることは、適任する人に強いるとは訳が違います。

頑張る生き方とは、男性性(または左脳)の偏り、それによる納得を求める(またはルールに従う)人生の基準です。

 

頑張らない生き方とは:①女性性の追加

頑張らないとは、頑張ることを放棄するのではありません。

男性性の過剰を緩和し、女性性を追加すること

女性性を追加すると、男女性のバランスが取れて気が楽になります。

男性性が破壊を司るのに対して、女性性は受容や創造を司ります
※捉えやすくなる場合、[女性性=右脳]とイメージされてください

許し、愛し、受け入れる。

心に重きを置き、視点を広げ、新しくクリエイト。

受容は、自分と向き合い、見つめ、しっかり捉えて初めてできます。

頑張らない生き方は自分という存在(アイデンティティ、性格、価値観、性質、能力、才能、感情、欲求、思考、状態)を縛らず、解放的にさせてあげることが重要です。

自分をないがしろにせず、心を大切にして喜び、楽しみ、愛する生き方です。

 

頑張らない生き方とは:②納得を基準にしない

頑張らないことのもう一つの重要理解がこちら。

納得とは、感情の充足、欲求の満たし、物質の豊かさ、社会的肯定など、利益です。

私たちは利益にめっぽう弱く、利益があるからこそ本気で頑張ることができます。

とても大切ですが、「納得」が認識の基準になるとこうなります。

「納得できないから見たくない、認めたくない」

生きる世界が一気に制限され、自分が見ている世界や認められる世界のみが基準になります。

頑張らない生き方とは、これを撤廃することに意味があります。

[頑張らない生き方=納得を基準にしない生き方]

ではなにを基準にするのか?

なんでもいいんです。

基準を撤廃することに意味があり、制限をなくすと残るのは、自分で決めて受け入れる人生です。

頑張らないためには、あらゆる物事の認識、基準を自分で決めます。

  • 何が良いか、悪いか
  • 何が勝ちか、負けか
  • 何が優れているか、劣っているか

良悪、勝負、優劣を決めないと決めることも可能でして、なんでもよくなります。

重要なのは本音、本心。

納得するかではなく、それが自分にとって受け入れられるか考えて決めることが基準になります

自分一人で決めるかどうかは人それぞれ、考えて決められなければ奥さんに相談したり、周囲の人と一緒に決めるのも頑張らない生き方です。

自分にとって受け入れられるか見極め、決める生き方です。

 

勘違いに要注意

頑張らない生き方に必ず要するのが、自分の目と頭と心で現実と向き合う認識です。

「みんながこう思う、こういうもの、これが常識だ」ではなく、「私はどう思い、どう決めるか?」

もちろん法律や憲法など、社会に従属して生活する以上は守るべきものがあり、そういう前提も踏まえて決める生き方です。

考えて決めたからには不納得や拒否がなくなり、好きなことや、やりたいことをしやすくなります。

しかし、意味を勘違いすると、楽ですがかなり自分勝手になります

勘違いの例:

・家族がいても、「私はこれまでのような仕事を続けるのは嫌だ、だから退職してカフェを開くぞ!」
→これまでの辛さを取り除く納得のための頑張り
(何かが新しく変わったと思い込む、納得基準のまま)

・「そんなに働かなくても生きられるから、さぼっちゃおう」
→男性性のエゴは邁進から怠惰に変わる特性有
(頑張ることを放棄した状態)

・「頑張っても相応の見返りがないから、やる気出さなくていいや」
→受け入れではなく受動的になり、進歩と成長が止まり、自分限定の愛にフォーカス
(男性性を緩和しすぎて女性性に偏りすぎた状態)

「納得いかないからやる気出さなくていいや」と受動的になるのではなく、

出さないなら出さないで、「こっちの方が自分の喜びになるからやる気出さないぞ!」と能動的に決め、「テキトーにした方が心が軽いからいい感じ」と自分を受け入れるのが頑張らない生き方です。

勘違いすると頑張らないことが自分勝手になり、周囲に与える違和感が強くなります。

これを防止するためにも、頑張らない生き方には本質があります。

 

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頑張らずに生きる本質&方法

【本質】頑張らない生き方とは、他に感謝する生き方

頑張らない生き方の着目点は、自分を受け入れて、人生の基準を自分で決めること

少しややこしいのですが、ポイントはこちら。

「自分とは私だけのものではない」

「どうして働ける、どうしてご飯を食べられる、どうしてカフェでのんびりできる?」という前提を見る必要があります。

己一人に限定せず、周囲や他者、社会やルールといった他があって生きられる、他があって考えられる、他があって選択できるリアリティ。

頑張らない生き方とは、自己世界の浸りから抜け出て、生きることとは自分だけでなく、他も含めて成り立ち、構造されている前提を踏まえること。

なんだか頭を使う生き方に思えそうですが、本質はこれです。

他に感謝する生き方。

本質的には、他に感謝したくなる生き方をするのが頑張らない生き方、という考え方です。

例えば、「疲れるから人と出かけるのは月一回にしよう」と緩い人間関係にする際。

月一回関わってくれる相手がいるということが向き合いのメインです。

緩く縛りを解いた人間関係にしようと決める際、自分一人だけを考えても何も決められません。

相手のことを考えずに決められる場合、それは頑張らない生き方ではなく、相手を尊重せず、思いやらない自分勝手な生き方です。

それはそれで一つの生き方ですが、頑張らない生き方とは別物です。

頑張る生き方は逆に極端でして、相手のことを気にかけ、周りの目を気にして、自分がどう思われるかも気にして、常識や社交性にも照らし合わせて、やることがわんさか、縛りもわんさかです。

頑張らない生き方をする際は、相手に注目しなければならないのではなく、自分で考えて決める以上、必ず相手に着目することになります。

「頑張らずに人間関係を持てるのは相手がいるからだ」という視点になり、自然と感謝が芽生えます。

これはどんなことでも適用されます。

「仕事は週三日(月・火・金)にして、週二(水・木)はキャンプ、週二(土・日)は外に出たくないから好きなデザートを家でまったり」と決めた場合。

決められるのは、週三日で働かせてくれる会社があり、キャンプできる場所や自然環境があり、おいしいプリンを作るパティシエがおり、ゆったりする家を作った人がおり、それらを決めてくれた自分がいるから。

頑張らない生き方とは認識を自己世界の浸かりから離し、自分を許し(受け入れ)、さらに相手を許すこと(頑張らなくていい現実ができることを受け入れる意)。

感謝する生き方です。

 

体験談:インドに行くとはっきりわかる頑張らない生き方の本質

体験談を見ていただくと、頑張らない本質がわかりやすくなると思います。

私事ですが、海外の旅をして生きています。

観光に興味がないため、現地の人と関わり、文化を知り、未知の経験を増やす、そんな人間開拓と学びの日々。

当初は辛いことばかりで、頑張っていました。

ホテルに泊まることはなく、安宿やゲストハウス、現地で出会った人々の家に泊めてもらったり、テントで野宿生活が主。

シャワーは外付けの井戸、ドブの臭い濁った水なんてこともあり、ホットシャワーがでれば、「あぁ、今日は高級宿や~」

しかし、メキシコで荷物を全て盗まれ、お金を恵んでもらったり、お菓子を売り歩くサバイバル人生ゲームをせざるを得なくなった辺りから、自然と徐々に頑張らないスタイルになっていきました。

コロナでしばらく外に出れませんでしたが、2023年から再開した旅はスタイルが大きく変わり、頑張らない生き方でインドにイン。

無理に山奥のグルジー探しなんて、これまでは当たり前だと思っていたことはしません。

奇妙な幻覚植物を探し求める、そんなこれまでのような頑張りはありません。

紛争地帯に入ることなどなく、流れに身を任せ、あるがままに自らを運び、体験させます。

自然に出会う人々と関わり、人間理解を深める日々。

インドは暑くて毎日45℃、頑張って経験増やしなどせず、石造りの床に裸でピターと寝そべり、ダラダラ。

「ご飯は50ルピー(約80円)以下!」なんて制約はなくし、500ルピーでも払う。

「涼みたければ路上のサトウキビジュース20ルピーでも飲んで凌げ!」なんて課さず、ただ涼むためにカフェに行ってカフェラテをゴクリ。

頭が飛びそうなほど甘い路上のスイーツではなく、なんだか日本にもあるようなチーズケーキ。

頑張らない生き方は、「ここはインドなのか?」と思うほど別世界を味わわせ、はっきりとあることを認識しました。

「私がこういう生活をできるのは、この国で、過酷な環境で、毎日汗水垂らして働き、こんなに笑っている人々のおかげなんだ」

基盤には、私ではない他者の、インドの人々みんなが作った社会や環境、作った街や店がありました。

単純に、カフェに行って頑張らずにのほほんとできるのは、そのカフェがあるからであり、カフェで働く従業員がいるから。

道が塗装されている方が珍しいこの国で、デコボコの土の道で砂埃が舞う中、埃まみれでゲホゲホせずにリキシャーでサーっと移動できるのは、みんなここの人々のおかげ。

「ありがとう」

自然と出てくるものでした。

インドはあらゆるリアリティを隠さない国ですので、一つ一つの自分の行動、それが与える影響がありありと現れます。

頑張らずに生きられるのは、他者や過去の人々の継承や繋がり(縁起)あっての賜物だとはっきりわかります

頑張らなければ頑張らないほどに、「他なくして私はいないな」と自然に認識することから、頑張らない生き方とは感謝する生き方なんだと思いました。

ある国にはチップという感謝の物質化があり、その本質を見極めると学べることは多いのでおすすめです。

 

まとめ:頑張らずに生きる方法

頑張らないことは、気を楽にする手法であり、心を軽くすることです。

生きていれば日常的に不納得なことは起こると思います。

そこで、「はいはい、あなたはね」と受け流す時、そんな自分を受け入れているさまが見られます。

「あなたは頑張れる人だ、素晴らしい、私は違うけどね」となれば、自分一人でなく他者も受け入れています。

気を張らず、力を抜くためには、縛りを解く必要があります。

解く方法が受容。

男性性の緩和、女性性の活かしです。
※または左脳の使い過ぎ緩和、右脳にシフト

この合体となるのが、感謝です。

男性性が強すぎると感謝がなくなり、女性性が強すぎても感謝がなくなります。
※女性性が強すぎる場合、自分への感謝はあっても他者への感謝がない

頑張らないで生きるのではなく、頑張らなくても生きられるという事実を受け入れる先に、感謝があります。

このことから、他に感謝することを増やす生き方が頑張らない方法

お願いしたり、頼ったり、甘えたり、代わりにやってくれる人がいると理解し、向き合う。

他力本願が他に感謝する最たる方法です。

気楽に生きるために、一つのご参考になれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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