『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
エゴを手放すと何だか素晴らしいことがある。
それはまるで、死後は地獄か天国かのように、曖昧で、不確定でありながら…
希望とロマンに溢れている。
まるで夜空の星々のように、エゴの手放しには希望があるように思います。
ここでは、「夜空に光る何かがある」では終わらず、「それは星である」と探求へ向かう人々のような方へ向けて、
エゴの手放しについての考え方をお伝えします。
- エゴを手放すと起きることを知りたい
- エゴを手放すとは何なのか考えたい
少しでも真相に近付くために、言葉からアプローチする内容がお役立ちになれば幸いです。
実際に重要なのは行動と気持ちですので、道行きを明確にする探求を進めてまいりましょう。
Contents
エゴを手放す
エゴとは
エゴの心理的な捉え方には、エゴイズムという自己中心的なさまを表すものがあります。
仏教では、エゴのことを他責的思惑や虚無に繋がるものと説きます。
わかりやすくするために、簡略化した私なりの理解をここでは基盤にしたいと思います。
エゴとは、他によってあえて自分を見出そうとする意識。
※エゴの詳細は、エゴとは簡単に言うと何なのか?【性格・具体例・自己チェック】
「他によってあえて自分を見出そうとする」は、さまざまなシーンやメンタル、欲求、取り繕いに当てはめられます。
例えば、お金持ちになりたいと欲する人。
「どうして?」と真意を覗いてみたところ…
「周囲に認められたいから、それによって自分を何者(価値ある人間)として存在でき、肩書も付いて何もない人間じゃなくいられるから」
いわゆる、恐怖心と向き合わないための逃避策として、他からの評価欲しさに自分の外枠を形成しようとする意識。
これがエゴです。
肩書、常識、ルール、自己顕示欲、万能感、他者承認欲求、執着、依存、他責、他律、他力…。
エゴはあらゆるものを材料に、あらゆる欲や我やメンタル、状態に状況を生み出します。
こんなエゴをポーンと手放したらどうなるか。
恐ろしくてこの世を生きていられないかもしれません。
「私は大学出だから」
これが自己肯定材料となり、大学に出ていない人と上下優劣比較をして、なんとか自分の価値を保持する、そんな人もいるのが私たちの現代社会。
いわゆる、自己保持できない、自分が何者でもなくなる。
まるで自分には何の価値も存在意義もないと思える人もいます。
ここでわかるのが、「エゴを本当に手放したいの?」の答えには、覚悟や決意、本気や勇気がいることです。
私たち誰しもにエゴはあり、現代社会環境では、「なければ生きていけない」とまで言える人もいます。
だからこそエゴを手放す人は極稀であり、エゴを手放したいと本気で想っている人も極一部に限られます。
そのため、時間の無駄になってしまうので、この内容も読み進めるかどうか見極められてください。
エゴは自己防衛として役立っている
自動防衛機能が上手く働かなくなり、不安と恐怖に襲われることです。
まだ見ぬ知らぬ“死”を恐れるようなものかもしれません。
そういうものだと念ずる観念が植え付けられているのが私たちの多くだと思うので、エゴがなくなれば恐怖に苛まれてしまいます。
不安と恐怖を対処(逃避や誤魔化し)するために、無意識でも自動的な防衛機能が私たちには付いています。
防衛の典型例が、
我慢、見栄、ネガティブプライド、優劣区分け、比較差別、他者利用、マウント、見下し、馬鹿にする、正当化、主義主張、いじめ、心配、過干渉、悪口、愚痴、文句…。
多種多様な人々と生きていると不納得や不満足を感じることがあり、心身に嫌な気持ち(エネルギー)を持つと思います。
そのエネルギーの蓄積によって心には拒否や拒絶、迷いや彷徨いが生まれ、不安と恐怖ができます。
嫌な気持ちや状態を対処するために自己防衛機能が働き、自己保持できます。
例えば、家庭での不機嫌を仕事場に持ち込む課長。
部下に怒りを吐き出してストレス発散したり、日頃の文句を漏らしたり、人によっては我慢して、仕事後に居酒屋でお酒に酔うことで忘れようとする。
エゴが強くなると、自分を上にして誰かを下にするために見栄を使い、偉そうにしたり正当化やマウントを取ったり、ひどくなると誰かをいじめたり。
全て不安と恐怖を対処するための自己防衛として働いており、そこにエゴ意識があります。
※エゴが強い状態については、エゴが強いとはどんな感じ?│状態と特徴からわかる邪魔で大切な自分 をご覧ください。
エゴを手放す=自己防衛への執着を手放す
自己防衛への執着を手放すことを意味します。
なくなったら恐ろしく、問題続出するエゴでありながら、手放すことは空虚な自分という妄想をなくす、不安と恐怖によって歪んで見える世界からの解放を意味します。
[作られた世界→自ら作る世界]への移行。
・怖いからこそ自分を中心に世の中が周っていると思いたい
・恐ろしいからこそ自分は弱くない、強いんだと言える世界だと思いたい
・不安だからこそ間違っていると認めない、このままでいいんだと思える世界にいたい
・頑張ってきたからこそ自分の労力や時間消費を無価値だと思いたくない、この道が正しいんだと思いたい
それら自己防衛への執着を手放すことは、目先の利益や回避以上に、長期的な展望を持って大きな拡大を目指すかどうか。
または、過去・現在・未来という他が決めた流れに従うのではなく、不安も怖いも作られた感情に従うのでもなく、自らが時間も空間も創造し、自らが不安も怖いも気持ちを決める世界に生きるかどうか。
現実世界を切り開こうと月面着陸を目指すかどうかに似ているかもしれません。
エゴを手放すと起きる素晴らしいこと5選
そんな人間の本質、そして共通点もありますので探してみてください。
1,強くなる
エゴを手放すと不安や恐怖から逃げる対処ではなく、向き合って乗り越える、受け入れる強さの道に入ります。
または、誤魔化すのではなく受け止めて切り替える、過去は過去、未来は未来と切り分けて自分をコントロールする道です。
「強くならなきゃやってらんない、だから裏切られる前に裏切るの」
そんな企みも思惑も要らない。
ただ、起きたこととそのまま向き合い、そのまま見て、そのまま乗り越えたり切り替えたり。
※切り替える認識変換術には過去と未来に執着しない精神を要する
余裕があれば迎え入れることもできる、そんな強さを育む道です。
2,考える以上に感じる
エゴを手放すと独自性が高まります。
理由となるのが、感覚優位の世界を生きること、直感やひらめきが増えていきます。
感性全開の世界は独自性の塊、まるでリンゴと話し出す。
卵焼きを食べたら卵の滑り台を思いっ切り「あーああー!」と満面の笑みで滑っています。
仏教的に言うと、悟りの世界に入ると自我を手放して何者でもなくなり、自とは全である、全体の歯車の一部である理解に入っていきます。
そこには自意識の手放しだけでなく、絶対的な自己認知の両方があり、本当の意味での『個、自分らしさ』の始まりがあり、自由意志を取得します。
感覚主体に知を加えることで、智慧を学び、人によって賢者の道も開きます。
3,理解不能な人になる
エゴを手放すと常識に自分を従わせなくなり、独自の感性と知性がどんどん加わっていきます。
「奇妙な人」扱いが始まるので、生きる場所の選択は必須になります。
しかし、迷惑な変人とは違い、他者にプラスの影響、気付き、本質を開かせる存在であるため、「よくわかんないけど面白い」という印象が増えます。
自分の世界観に基づいてこの世の真理を見るようにもなっていき、周囲には理解できない宇宙人になっていきます。
4、好きなことをして生きていく
エゴが手放された世界は、不安や恐怖に苛まれて自分を我慢させたり、抑え付けるフェーズから解放されます。
なんの縛りもなく好きなことをして生きていきます。
思い通りの在り方を自ら創造するフェーズ。
自分の世界も人生も自ら創造するため、「あの人はどうやって生活してるんだろう?」と不思議がられることが増えます。
「苦労しなければお金は入らない」といったルールを撤廃すれば、その通りになる世界。
人それぞれの独自性、何を求めているかが思いっきり表れる創造の現実世界。
日々が充実し、面白味に溢れ、カラフルな世界のように済美で楽しい人生になります。
5,この世は美しい
エゴを手放すと起きる最も大きな出来事だと考えられるのが、美しさの知覚拡大です。
この地球に生きられることが嬉しく、希望に満ち、感謝に溢れます。
大自然の美しさ、宇宙との合作、調和、共鳴にあるエネルギー作用、循環、コントラスト。
「太陽が出たらなんと有難きことか、ありがたやー」
動物の美しさ、虫の美しさ、菌の、石の、雲の、風の、海の、火山の…。
蝶が泊まる葉っぱを眺めていたら、急に涙が出てくる平和な日。
ダイヤモンドのように、泥にまみれた子供達の遊ぶ姿が美しく、この世の素晴らしさを強く感じ、感動する世界。
愛、恐怖、光、闇、希望に絶望など、この世の本質に着目することが増え、生きていることや継承する在り方が輝いて見えます。
「下等な地球ごときの生態が」という目線はなく、今この瞬間を生き、感覚感受できること、思考できること、あらゆる体験ができることに大いなる感謝と感動があります。
生きることも死ぬことも、つまらないとは程遠い極上、楽しくて面白くて美しい日が今日も進んでいます。
※執着を手放すと起きることは、【6つの楽しみ】執着を手放した瞬間『別人になる』をご覧ください。
エゴを手放す方法
エゴを手放すとは一体?
これまでの内容を要約するとこうなると考えられます。
「恐いなと思えるドアを開いてみたら、メチャクチャ楽しい世界が広がっていた」
「宇宙人と交信してみたら、この世の小ささと大きさを味わった」みたいなイメージです。
エゴを手放すとは、固執させた自分の世界を解放させ、フニャフニャな自己世界をこの世に柔和させることです。
常に変化できる状態で気楽に生きる、と言えるかもしれません。
イエスキリストやゴータマ・ブッダを初め、あらゆる世界的大スターが現れてかれこれ2000年とか2500年経つと言われています。
その前から偉大な方々のいた地球ですが、どうして何千年も経って私たちの内面は何も変わっていないのか、少し疑問になることもあると思います。
答えはおそらく、“この世に答えはない”からです。
エゴを手放すとは、この世に答えがないことを悟ると言えるかもしれません。
このことからお伝えしたいのが、エゴを手放す方法とは決まっておらず、答えはないけれども一人一人に合った気づく道があること。
答えがないから、「こうしなさい、わかったね!」なんて人はおらず、それをしたら全員同じロボットを作ってしまう。
成長している人ほど、「これをしたらいいんだ、もっと頑張れば、もっともっと努力して!」とは真逆。
手放して、重荷をなくして、これまで積み重ねたものを有難く投げていく。
恐れ泣き笑い喜びながら海に投げていく。
その先に広がる解放を感じて、面白く美しい世界を認識して、今という一瞬一瞬を大事に感謝し、豊かな心を感じる。
押し付ければ退化になり、集団で同じことをすればロボットになる。
だからこそ仏教のように来るもの拒まず、去る者追わず。
学びたい人に答えのない学び、いわゆる真理と霊性の探求機会を与える。
エゴの手放しとは何か答えがあるのではなく、終始、覚悟と決意と勇気があるかないか、そんな行動と気持ちの話し、という考え方です。
※エゴと悟りの関係は、【我が強い意味と特徴と心理とスピリチュアル】実体のない我はエゴと悟り をご覧ください。
それでも方法がある:「ようは〇〇になる」
最後に、エゴの手放しを言語化してみます。
ややこしい内容でしたので、少しでもわかりやすくなればと思います。
お伝えしたい考え方は、
エゴの手放しとは、天然になること。
天然ボケとかなんとか言う、あの天然です。
エゴの手放しによって起きるのは、自分を他によって見出そうとするメンタルの育み。
そして、あえて他によって見出そうとする意識の変革です。
手放せない時には不安と恐怖があり、固執と執着があり、自己防衛を重宝して己を変えないようにしていると、さらにエゴが強まります。
これは、
・他によって見たいものを決められる状態→自分で見たいものを決める
・他によって作るものを決められる状態→自分で作ろうと行動する
・他によってやることを決められる状態→自分でやりたいことをやっていく
に変えていくことを意味します。
自分で決め、作り、行動していくさま、そして上述のエゴを手放すと起きること5選に共通するのが、
天然になることです。
天然な人は独自性があり、感覚主体で、自己世界があり、自分の認識を信じます。
だからこそ常識が通用しない時があり、おっちょこちょいだったり、意味わからないことをし始めたり。
しかし、自分に基づいて肉体を使い、頭を機能させ、心を用いているさまがあるため、やりたいようにやっている。
結果、楽しそうで笑顔が多く、楽観的で人生が面白い(面白ろそう)。
これは人為的なさまと真逆、独自の塊です。
人為的とはまさにエゴのことでして、他の人・もの・情報・環境・ルールなどあらゆる他に基づいて自分が存在するさまです。
天然な人のようになることがエゴの手放された状態であり、答えのない中をその人だからこその答え、その人に合った道を進んでいる状態だと考えます。
エゴを手放した人々が増えると、この世は天然人だらけ。
主義主張する人が減り、戦いは減り、全ては柔軟に寛容に進んでいき、自他を融和させながら美しい世界が深まっていくことと思います。
※天然な人の詳細は、本物の天然の特徴15選&見分け方【天然性のスピリチュアル理解】をご覧ください。
最後に:エゴを手放す
エゴを手放すとは天然になること。
天然道を行く、そんな考え方でした。
天地自然、この世は宇宙という天があり、地という地球があります。
重荷が積まれるほどに重く、天から離れ、人為に苛まれ、アイデンティティが抹消されていきます。
エゴの手放しの反対となるエゴの強まりは、我を主張して地にのめり込むさま、動きたくても動けなくなるのが結末です。
変化できないエゴと、変化を促すエゴの手放し。
そこには高宗な悟りなんたるものがありそうですが、悟りとはあくまで人生の始まりを意味し、ゴールでも到達点でもなく始まり、スタートです。
始まりには本当の意味での個、自分らしさがあり、自由意志があります。
自ら創造する世界は、自らを愛し、大切に使用するため、自分の肉体など物理物質を初め、知覚感受・認知・認識、能力に才能、直感にひらめき、見えない意識の働きや他との融合も含めた広大な“自分”があります。
そこにあるのが美しさを感じる眼と心、自分の真意と向き合ったスタイルです。
この世の感動を増やし、楽しく、つまることのない好奇の連なり、そんな地球を謳歌する方法がエゴの手放し。
そんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。