心理と特徴

【男性性トラップ】群れない女性が嫌われる理由&対策

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群れない人は実際に群れから出た人。

群れがデフォルトである人間社会、中には嫌われ意地悪されるなど、弊害が発生することも。

集団や協調を大事にする女性内や、学校などの義務的コミュニティで発生しやすい事象です。

どうして群れないだけで嫌うのか?

反発が生まれるのは何故なのか?

群れの従属心理と欲求だけでなく、男女性質の割合と衝突、そんな精神的な解釈もあります。

ここでは、群れない女性が嫌われる理由を“性質”から紐解き、対策を探求していきます。

  • 群れないと嫌われる理由を知りたい
  • 群れ族から反発を持たれないための在り方を考えたい

“族”にあるのは見える・見えないに限らず、契り。

契りを言語化し、人間関係を気楽にするご参考になることを祈ります。

群れない女性が嫌われる理由

群れる人と群れない人

民主主義族、マレーシア移住族、エコビレッジ族、暴走族、日本族。

群れる族がたくさんあり、私たちは誰しも大前提として群れの中にいることがわかります。

群れる人とは社会の自然な流れや現象に従う人と言えるかもしれません。

群れない人はその反対

群れる理由と群れない理由で考えられることがこちらです。

・群れる理由は、安心を得て不安をなくすため

・群れない理由は、「自分の欲しいものくらい自分で決める」という意思

社会の自然な流れや現象の中枢にあるのは、[安心を得る&不安をなくす]

お菓子のパッケージングになれば爆売れ、街灯にズラーっと結んだ旗に記したい、誰しもが欲する“安泰”は“万歳”と同じ。

群れるのは大衆、普通でありマジョリティ。

群れないのは普通ではなくマイノリティ、と区分けされる社会の中にいるのは、私たちが既に群れの中にいるためです。

群れない人は自然な流れや現象に従わない人であり、社長に誘われてみんなが行く飲み会に行かない。

マイノリティがマジョリティの中にいると、嫌でも目立つようになります。

群れは集団そのものとして目立つため、個人として目立ちにくい。

適度に自分のことを話す人の方が、自分のことを隠せるのと同じ心理です。

群れない人は個人として目立ちます。

隠していること、隠さないこと全てに着目されやすく、思い込みと決め付けの勘違いをされやすく、面倒が増えます。

この“目立つ”という外枠の明瞭化に、好かれたりカッコイイと称賛される理由がありながら…。

嫌われる意地悪されるといった邪が生まれる理由があります。

詳しく見ていきます。

 

群れる側が嫌う理由➀:尊重がない

職場、みんなで食べるためのケーキを買ってきたK子さんは女性集団に囲まれます。

「これ、みんなで食べようと思って買ってきたの」

「ねぇねぇみんな、K子がケーキ買ってきてくれたよ、食べよ食べよ!」
「え、うそぉ、やったー、ワーイワーイ」

群れないウェンディは気を使い、「ありがとう、でも今この仕事しなきゃだから終わってからでいいかな、ごめんね」

「え~、仕事は後でいいよ、せっかくみんなで食べようって買ってきてくれたんだから、一緒に食べよ、ね」と同僚の干渉

「え(めんど、なにこれ相撲部屋かよ)、あんまりお腹も空いてなくて」

「え(全然空気読まないじゃん、なにそれ)、そっか、残念」
(周囲)「美味しいのにね~」

一匹狼のダッシュハイニーさんは直球で、「白砂糖摂取すると腸に良くないから要らない」

「あの二人はいいからみんなで食べちゃお」「そうねそうね」「ありがとうK子、ワーワー」

そして始まる、「ヒソヒソヒソヒソ」

この例で気になるのは、登場人物全員に受容がないことです。

あるのは拒否、非賛同、妥協、諦め、演技による誤魔化し、良かれと思って。

なんでも
なんでも
女性性を持つ人は協調や調和を重んじます。

女性性という性質、凹の受容、他を受け入れ、静的に待つ在り方。

女性性が高い人ほど協調と他者への尊重も兼ね備えます。

ここで着目したいのは協調を願望しながら、群れない人に尊重がないこと

※[尊重がない=期待してしまう][尊重がある=期待しないことができる]と同義

期待とは興味のことではないため、尊重できるからこそ干渉せず、期待しないことができます。

相手に尊重がない、または期待しており、調和を求めるだけ求めてその通りにならないと嫌うことが起きます。

ちなみに、

協調を強く願望し、それを阻害されると自分たちの安息が脅かされる懸念となり、排他的になる集団保持の心理があります。

「一緒にケーキを食べなかったから嫌い」ではなく、「調和を乱す懸念は自分に不利益となりうる」となるのは支配的でナルシシスト、気疲れが多く常に周りを気にして思い通りにしたい、自己愛が満たされていない人が考えられます。

こういう人は一部なので詳細は省きます。

 

群れる側が嫌う理由②:男性性が強すぎる

なんでも
なんでも
期待や尊重のなさには裏腹があります。

期待は賭け事メンタルでもあり、相手側の認識に寄り添わず、自分の認識に寄り添い、利益を得ようとする姿。

チベット人でダライ・ラマ法王に期待する人に、私は一人も出会ったことがありません。

尊重があれば期待ではなく信じて見守る、または実際に協力したり一緒に戦う行動に出ます。

サポートできるので喜ばしいものでありながら、執着でもあるために期待は強いほど思い通りにいかないと落胆、失望、他力、他因、他責、「あぁあ、なんだそれ」と肩が外れてヘロヘロ。

期待するのは相手にそれだけの見込みがある、ネガティブに言うと利用価値があるからします。

ちょっと上から目線なのは、尊重がないからかもしれません。

尊重がないならないですが注目したいのは、「それじゃあ放っておく」ではなく、干渉すること。

干渉に向かうと[尊重のなさ=攻撃性を帯びる排他]に化ける可能性があります。

この干渉、攻撃性、排他性に男性性が関係しています。

男性性とは、突破、破壊、知、我(エゴ)の性質。

凸型の動的働きであり、強くなると批判や非難、攻撃や正当化、正論主張、見栄、思い込みに決め付け、比較、優劣勝負の色眼鏡が増えます。

この社会で象徴的な男性性の在り方は、『頑張る、我慢する、正当化(当たり前)』

頑張る人、我慢し続けている人ほど男性性が強く、そんな人ほど自分を消してでも当たり前に染まる努力をしてきた人が多いと思います。

「そういうものだ、嫌でもやらなければならない、自分の好きなようにしていいなんてことはない」

「なんだZ世代は」と。

不納得に正当化が組み合わさると、その正当性に反発する在り方を見るとイライラしやすくなります。

例えば、自分は焚火台まで買って綺麗にキャンプ場を使っているのに、直火でキャンプする人がいればイライラして嫌う。

嫌なことも頑張ってきた人ほど男性性が強く、凸の性質は干渉という形になり、不納得や無尊重があるほど対象が気になります。

大事な性質でありながら、男性性優位で構築された社会では正当化の材料になり、「群れるべき時は群れなさい」「そんな好き勝手は許されない」と怒りに変化します。

男性性が強い人ほど男でも女でも、群れない人(不納得と無尊重の対象)を嫌いやすくなります。

 

群れる側が嫌う理由③:思考停止

なんでも
なんでも
尊重がないことでもう一つ着目したいものがあります。

尊重がないからこそ対象を大いに嫌う自分の肯定が起きます。

相手を嫌うほどに自分が正しいと思える人もいます。

「調和しないあの人がいけない」と平気で思い、自分に疑問視がなくなります。

実際にケーキを断って実損や迷惑があれば話は別ですが、そうでない場合。

願望だけあって相手側の尊重がないのは、思いやりや優しさ以前に自分の知っている世界以外を見る理解力や想像力、認識力に俯瞰性がない人もいます。

自分側の認識だけ強く、他者側の認識がないのは、思考停止している可能性もあります

願望や欲求を主体に自分の喜びを第一にできる一方、自分から抜け出した認識になりずらく、ネガティブに対する抗体や挑む勇気がなくなり、徹底的に不安と恐怖と向き合わなくなります。

不安要素があれば排他的に相手の非だけを見て、過信や聞く耳を持たないなど周りが見えなくなります。

群れる・群れない関係なく私たちは群れの中にいます。

何も考えなければ大衆的でマジョリティに染まり、そこに違和感も賛同もなく、「そういうものだ」とそれ以上も以下もない答え(=詰む)。

みんながそうしているのだから、そうするものだ。

私もそうしてきたから、そういうものだ。

こうなると考えているつもりになりながら実際は何も考えておらず、自己解決できないがためにイライラする、相手を責める、そんな凸的怠惰。

尊重のなさ、他者認識のなさ、自己ハマり、正当化、思考停止、自己解決能力がなくなり、どうすればいいかわからない、嫌いになる、という考え方です。

 

群れない女性側の嫌われる理由

なんでも
なんでも
一方、群れない側にも嫌われる理由があると思います。

群れない側の嫌われる理由➀:繋がりのシャットアウト

嫌うからには怒り、嫌悪、反発といった、落胆や失望以上に強い感情が生まれています。

これは期待した予測とかけ離れた反応、関わり方をされたことに起因するかもしれません。

シャットアウトです。

期待している以上は相手に利益を見込み、求めているので、少なからず思いを寄せている実情があります。

情を寄せているにもかかわらず、相手から繋がりを遮断されたら傷つきます。

防衛反応が即座に出ます。

「壁バンッ!」
「こっちだってバンッバンッ!!」

芯ではなく気が強い人ほど「私の方がバンッバンッバンッ!!!」

組織やコミュニティなど集団従属が基盤、例えば社長のモットーに従って働くなどであればチームになります。

チームであれば仲間意識を持ちます。

チーム内では、やって欲しいノルマがあれば期待するのは自然です。

その期待は利用価値というネガティブな捉え方ではなく、仲間であるならば期待しないことの方が冷たいと思い、ポジティブに仲間意識や情を寄せる意味で期待する人もいます

尊重や認識力があれば、「期待しないのは冷たい」と言葉通り取ることは減り、より相手側の立場で汲み取り、考えて理解できます。

しかし、相手を仲間だと思っているからこその在り方は、「自分は相手のために良きことをしている」と思えます。

実際には行為は男性性過剰の我(エゴ)であり執着ですが、これを正しいと思っていれば繋がりの遮断はショックで寂しい思いに捉える人もいます。

物事を相手の立場で考えないが故の事象ですが、遮断する側にも同じことが言えそうです。

言い方を柔らかくしたり、相手のために相手の立場で考えて対応するなどがないと嫌われます。

 

群れない側の嫌われる理由②:他人に興味がない

なんでも
なんでも
そもそも他人に興味がなければ、相手側の期待や仲間意識があっても自動的に無視することになります。

例えば、「職場は仕事をする場所であって仲良しごっこなんてしないでくれ」と群れない人。

人間関係が存在する場所ではコミュニケーションそのものも結果的に仕事になりえて、見える契約だけでなく見えない契約が私たち人間にはあります。

しかし、業務と雑談を別と捉える、そんな無駄を嫌う人にとって見えない契約はないようなもの、もはや効率ダウンに非合理。

群れる側にとっては相手のためのコミュニケーション、コミュニティのためのコミュニケーションであっても、群れない側にとっては無駄な時間、意味わからん。

相手側への尊重がなく、興味がないので期待もない。

気付かぬ内に排他的態度、無礼や失礼に受け取られ、嫌われます。

相手が嫌っているのに全く我関せず、相手の感情や存在も無視すると激情しかねません。

 

群れない側の嫌われる理由③:男性性が強すぎる

なんでも
なんでも
群れない人は自立しており、自力の重んじがあると考えられます。

不安対処を集団でする必要がなければ、孤独力や寂しさとの向き合いができれば、自力で顧客を喜ばせる力があれば、意思を持つことができれば。

コンビニ前でたむろして騒ぐ、ドラッグストアを集結させる、授業で全員に同じことをインプットさせる必要があるかどうかを選択できます。

群れない人は一人の時間が多いため、自分との向き合い、自己の学び、能力や才能の育みに特化します。

群れがデフォルトの社会ですので、実際に群れから出られた人は不安と恐怖を学ぶ経験側が多く、勇気と忍耐と覚悟を持って自分の道を歩むことができます。

一人であることは頭を働かせ、知性を高め、問題も悩みも解決・改善していく力が要ります。

一方、そのための我慢、頑張り、努力してきた人ほど男性性は特化

過剰化すると起きる弊害が、他との区分け、正論、主張です。

「私はあの人達とはレベルが違う」「あの人達は弱い、一人で何もできんやん」

これは差別意識と言うよりは、前や上を見る癖だと考えられます。

努力して頑張ってきた人ほど、実際に実践を積んできた人ほど、後ろや下ではなく前や上の人々、自分よりスゴイ、優れている人々に目が行きます

多くの努力、苦悩、経験があり、育んできた才と力があるため、周囲の大衆や群れ族に対する“合わない感覚”があり、より区分けが強まります。

これが他人への興味のなさ、上から目線や、偉そうに思われる要因になる人もいると思います。

優れている人々には尊重や敬いを持てるので、自分の在り方に疑問や違和感がなくなります。

男性性が強すぎると比較や位分けが自動的に起き、自分側にそんな意図はなくても相手側からしたら無尊重で差別だと思われる可能性があります。

さらに、嫌う側も男性性が強いために衝突が起きます。

群れない人の折れない屈強さが相手の我をチョコチョコし、群れが一人を相手に負けさせられないとプライドが傷つき、納得いかない。

群れない人の折れない我によって相手はイライラし、怒りを自己対処できない人からはより嫌われるなんてことになります。

男性性によって構築された社会という群れの中、嫌う側は社会の男性性に、嫌われる側は自らの男性性に飲み込まれると、両者の反発が起きるという考え方です。

 

群れないのに嫌われもしない人の共通点

なんでも
なんでも
群れない強さは孤高と能力の育み、行動力や勇気になりながら、物事を正しいか正しくないか、意味があるかないかという見方を強めているかもしれません。

いわゆる、正論、答えがあるという考え方。

これがまさに男性性の考え方です。

実際のところどうなのでしょう?

善とは悪を内包した先にあります。

強さとは弱さがなければ存在すらしません。

正しさとは変化の流れ、時と場合と環境と個々人によって変わります。

答えはあるもないもなく、あるのは本人の中のみ、自分の意思は自分の中にのみ存在します。

群れないことに正しさはなく、群れることに間違いもなかったりします。

群れずとも他者と調和し尊重すると、正しい間違いの呪縛がなく、自由に近付きます。

自分のやり方やルールがありながら、いる環境や社会のルールに沿わせ、適合させ、工夫しながら自分の道を進みます。

ある時は群れ、ある場所では群れない、自由な人。

自分を大事にするからこそ、一人の時間も他者との関わりも敬います。

こういう方には共通点があり、群れる人から反発を貰わない理解に役立つことと思います。

一人一人と関わることです。

群れという集団にいると個々の認識が薄れ、一人一人にフォーカスが行きにくくなります。

「あの人」ではなく、「あの集団」という捉え方になりがちですが、一人一人を認識して向き合うと存在の尊重ができます。

個々人にフォーカスすると、相手の技能や性格など尊重したくてもできない部分が出ますが、相手を相手として捉えようとする意識があると存在自体を尊重できます

「あの人この人」を一人一人認識することで、個性、性格、歴史を見つめ、聞き、知ろうとするため、反感を持たれにくくなります。

区分けや色眼鏡なく、そのままをそのまま見る人は期待ではなく見守り、心配ではなく応援、排他せずに調和し、上も下もなく目の前の人をその人として認識します。

その人をその人の存在として尊重することは、群れずとも既に、そして常に群れの中にいることを理解している在り方。

嫌われなくなる、という考えです。

 

最後に:群れない女性は嫌われる

男性性が強く、尊重がないと嫌う・嫌われる事象が発生するという内容でした。

方や相手を嫌い、方や相手に興味がなくなる。

群れないことは既に群れから出られた証ですので、個としての在り方を強化する育みができ、気にしなくなります。

そのため、気にすることは群れへの意識が未だ残っている。

これは個でありながら群れることも両方を許容し、適応できる表れです。

群れない人でありながら、もし群れることを許容していない場合、群れることを自分の中に追加するのがおすすめです。

選択肢の拡大になりながら、認識力の拡大となり、意味を見出せないと認められない男性性が緩まり、許容という女性性を増やせます。

嫌われなくなりながら、一人の過ごしも大切にし、やりたいことをできます。

こうなると外部から嫉妬という別のものが出てきますが、認識に偏りがなくなると精神的に動じにくくなるため、気にするものではなくなります。

群れないから強いなんてことはありませんが、気にしないことには強さがあります。

気にしない、動じない精神は硬さではなく、群れないことも群れることも許容する柔らかさにあります。

俯瞰して見ていくと私たちは必ず何かと群れているため、群れの中で起きている事象として理解を深めるご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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当ブログの運営をしている北斗です。
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POSTED COMMENT

  1. ミカン より:

    北斗さんこんにちは(^。^)いつも記事楽しく見させてもらってます。
    私は群れない人で、記事の通り男性性をグングン伸ばしてきました。正義感は人には向けず自分に向けるもの、とある人からアドバイスをされ、自分の思考と感情を整える為に使っていました。でもずっと心の奥深くには不安感を感じていました。何かが足りない感じ。でも、ある時急に自分の感性と出会う事ができ、子供の時の様なワクワク、感動が蘇ってきました。男性性を使い、自分の成長を目指していた時は自分の感情と思考しか使っていなかった。だから不安感がずっとあった。でも、ある時急に自分の感性と触れる事が出来て、そこから自分の感覚の軸が出来た。楽しみ、ワクワクと共に気にしない自分になれた。群れない人とも楽しく関わる事が出来た。今まで幸福は心で感じるものだと思って必死に心を整えてきたけど、幸福は身体全部で感じるものなんですね(〃ω〃)!今まで思考と心が自分の判断基準で軸だった。でもそこに感覚の軸を入れると今までよりもはるかに心や思考を使う事が出来るし、楽しい!!自分の感覚を大切にすると人の感覚も大切にでき、今までよりもずっと相手の事を尊重した関わりが出来ているように思います。
    そこに至った経緯には、北斗さんの普通の人の記事や色々な視点からのアプローチ、そして、どの在り方も否定しない視点、本当に参考にさせてもらいました。ありがとうございます!
    ‘こうじゃないといけない’から、’どんな在り方でもオールオッケー!’:*+.\(( °ω° ))/.:+人生の自由をもっともっと楽しみます😊!

    • 北斗 より:

      とっても素敵なコメントをありがとうございます。
      他の方々にとっても大切な気付きになるお言葉だと思います。
      ありがとうございます♪

      「ようはなんでもいい。」ということで、お互いに自由を楽しみましょうね^^

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