悩み

【優しくするほど不幸になる人】「私はあなたのお母さんではない」

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「あれれ?あなたのためにやったのに…」

調子に乗っていく、どんどん便乗していく、仕舞いに踊り出す、あぁ日本。

初めは喜んでいたのに、依存と執着心が茂みから覗いている。

こちらが利益を与えないとなんだかおかしい空気。

こちらが失敗した時は控えることなく責め立て、弁償までさせられる。

なんともリスキー。

世の中には優しくするほど不幸になっていく人がいます。

一方で、優しくするほど幸せになっていく人もおり、両者は同じ行為(カルマ)ではないことが一目瞭然となります。

ここでは、不幸になっていく“優しさ”について、私の実感も含めて追及し、補える点を見える化していこうと思います。

  • 優しくするほど不幸になる理由を知りたい
  • 優しさを見直したい

根本的なことをお話する内容となっています。

一つの考え方としてご参考になればと思います。

優しくするほど不幸になる人

優しくするほど不幸になる人の特徴15選

なんでも
なんでも
初めに、どんな人が該当するか特徴を見ていきます。

1,怒らない

とにかく怒りません。

怒りたいほど嫌なことがあっても口にジッパー、無視するかその場から黙って消える。

相手を責めない特徴でもあり、声を荒げるなんてもってのほか。

怒らないことは自己愛を相手にぶちつけないさま、それが優しさだと思っている人もいます。

 

2,結局助ける

嫌いなのに、もう関わりたくないのに、困って助けを求められたら見過ごせない。

結局またお金貸してる…もはやあげてる、なんて状況。

罪悪を感じる自分自身を見過ごせない特徴自己内部の闇や悪を増やしたくない“拒否、拒絶”の強さでもあります。

 

3,距離感が近過ぎる

距離感が近く、他人との境界線作りが苦手な特徴。

とにかく褒めようとする人もいます。

関わると心を思いっきり開く人、仲がいいかどうかで関わり方が天と地ほど変わります。

一度仲良くなると酸いも甘いもドラマチック(または過激)になりやすく、相手次第で共依存に陥る懸念があり、何より相手の性格を変えてしまいます

 

4,繊細

よく気づき、気が利きます。

感受機能が鋭く、細やかな部分にも認識が行き届き、キャッチする情報量は多くなり、必要以上になることも。

口に出さずとも感じ取り、周囲の気持ちを察し、先回りして相手のために動くことができます

空気読みのプロであり、暗黙の了解は百も承知、周りに合わせるのが巧みです。

 

5,自分がない(透明)

自分という存在をあまり主張せず、周りに合わせようとする特徴

自分がないのは能力と言えるものであり、ポケモンのメタモン的にコピーや同調にてなんにでもなれる人

中身がないとは違い、自分を周囲に馴染ませたり、存在を消す性質であり力、模倣性と応用力と柔軟性が際立ちます。

癖のように周りに合わせるために、よく見て空気を乱さず関係性を壊さない、配慮に考慮といった優しさになっていきます。

 

6,断らない

明らかに利用されていても断らない特徴。

「No、ダメ、嫌だ、近付くな」などの明確な自己表示は一層好みません。

断るシチュエーションになると焦り、冷や汗が出て、対処に勤しみます。

拒否や拒絶反応を人前では示さない人であり、例えば生理的に発生してしまう、「こいつ嫌いやねん、オエッ」の嗚咽すら隠そうとするので自分が苦しくなりがちです。

 

7,察して欲しい

断れないがために曖昧になりやすく、結果、受動的になります。

自己表現が少なく、自分のことは表すのではなく察してもらおうとする傾向があります。

「今はちょっと、だから…ね」

「え~と、あの、私その時間忙しくてぇ(だからあなたとは遊びません、わかってください)」

 

8,気持ちを他人に表さない意図

自己表現の中でも特に“気持ち”を露わにしない特徴。

感情や心の想いといった気持ちを出さない結果、愛想笑いのニコニコを多用し、嬉しそうな雰囲気を醸し出す努力をします。

一人の時には気持ちを隠しませんが、ひそかに露わにするのを好む人もおり、自分の気持ちをジワジワ感じるのが好きです。

 

9,知性が高く控え目

頭の回転が速く、とても知的な特徴。

そして、それを露わにしない控え目な人です。

コーチや監督になれば作戦勝ちするチームを作れる人であり、味方になると心強いことを周囲はなんとなくでも感じていたりします。

身近にいて欲しい存在とみなされます

受動的で控え目であるため、「私が活かす」という傲慢な猿からは“活用的なアイテム”と思われる場合もあります。

 

10,自分に価値があると思っている

控え目でありながら、自分の価値は認識しています。

これまで優しさや在り方から周囲を魅了し、巻き込み、豹変させてきた経験。

周囲が「価値ある」と認めたからこそ近付いてくる、そんな実務の積み重ねにて自らの価値を認識するのは自然です。

着目したいのは、他によって「自らは価値ある人間だ」と認識する積み重ねであることです。

 

11,身を捧げる

自分の価値を自分自身で認めるのではなく、「他が認めるからそうなんだろう」という認識は、優しさの形が“捧げ”になる可能性があります。

時代が時代なら人柱になる、そんなイメージの人でして、実際に身を捧げる意識があります。

それは奉仕にも慈善にも慈悲にもなります。

一方で自己犠牲や他者優先にもなります。

 

12,仮面(嘘と誤魔化し)

誰に対しても笑顔を示す人。

嫌な相手に対して表面上は笑顔で優しくても、内面で腹わた煮えくりかえっている。

が、それを露わにせず、怒らず、涼しい顔をします。

内部で抑圧、外面と内面で全く異なる裏腹を抱え、ギャップは葛藤にもストレスにもなります。

多様するのが我慢

内部のドグマで黒魔術ができそうですが、そんな訳はない綺麗な世界を生きようとします。

 

13,理想郷

不幸を招く大きな特徴と考えられるのが、理想を生きていたい願望の強さです。

それは美しく、平和で、愛に溢れる豊かな世界。

自分の求める理想の世界や在り方、他者との関係があり、リアリティ以上に優先します。

美しい世界を生きている認識をするために、“知らぬ間に”優しくする義務が課されている、そんな可能性があります。

 

14,一人好きだが寂しがり屋

人と関わる際は傷つかないために、そして傷つけないために細心の注意をはらいます。

疲れてしまうので対人関係が面倒で億劫になりやすい。

一人を好み、自分だけの場所、誰にも邪魔されない空間を愛します。

しかし、寂しくなり、誰かと一緒にいることを求め、そのためにも優しくしようと意図ができます。

 

15,復讐心が強い

怒らない分、表現しない分、発散しない分、フツフツと内部に溜まった未浄化エネルギーは形を成します。

『復讐心』

この状態で優しくすると、嘘と誤魔化し、抑圧と我慢になり、人前でニコニコするほど身を削り、カルマを作り、未浄化エネルギーが溜まります。

恨みや怨念になっていきながら、それを認めない理想郷があると、優しくするほどに自分を見失い、不幸を招く懸念になります。

以上、優しくして不幸になる人の特徴でした。

 

優しくするほど不幸になる理由

「アイテム化」する優しい人

なんでも
なんでも
ここでお伝えしている優しい人、言い方を変えるとこうなります。

『周りに合わせられる人』

周りに合わせられるのは挙げたらきりがないほど多才な証です。

気が付く、気が利く、器用で細かい所まで見れる、空気が読める、理解力があり即応的。

そういった認識力をはじめ、感受鋭敏、共感力、応用力、柔軟性がある、相手の気持ちを感じ取れる、寄り添えるなどなどなどなど。

スピリチュアルな言い方をすると、転生回数が多い人です。

多種多様な経験ができる、またはこれからする人であり、異文化にも馴染めるので海外にも適応し、さまざまな人と関わり、いろいろなものを吸収していきます。

イメージは女性的に多様性を受容でき、知性を活かして社会でも活躍できる人。

そんな人が優しくする。

他者に利益を与え、不利益をなくす働きをする。

「一体誰が不満だって言うんだい?」と思えてきます。

なんでも
なんでも
着目したいのは、受動的で控え目であること。

これは自己肯定感が低い、自信がない可能性です。

周りに合わせることは、他者や周囲からしたら優しさになりやすいです。

一方、自信なく控え目にそれをすると、周囲の反応は変わってきます。

「この人は自分がないのか?困っているのか?この作業を手伝いたいのかも?」

「あ、どうしたらいいかわからないんだ!」と、いわゆる好き勝手いろいろなことを決め付けられます

干渉してくる意味です。

ちょっと大げさに言うと、「自分の活かし方がわからないのかな、よし、じゃあ私が使ってあげよう」

他者との境界線、線引きがなくなります。

図々しいのが出てくると言えますが、相手を図々しくさせてしまっているとも言えます。

この時点で優しさはほぼ認識されません。

「ちょりーす、あざーす」と。

良かれと思って業務量が多い人の作業を手伝ったのに、「この人は手伝いたいんだな、あざーす」と思われる。

もはやこちらのやり方に口出ししてくる。

「あんたの仕事なんだから、口出しする暇があるなら早くやれ」と言いたい所だが言わない。

「この人はこういう時にやってくれる人だ」とみなされ、活用的アイテムとして見られます。

周りに合わせて、かつ控え目で、かつ断らない、怒らないと、他者との境界線が壊れやすく、優しくできる能力や在り様はいつの間にか活用的アイテムの働きになる、という見方です。

 

不幸になる理由

なんでも
なんでも
不幸になるというのは、損が増える、嫌なことが増える意味です。

一般的に、人に優しくしたり、何か良いことをすると心地いいと思います。

心が晴れるような爽快な気分で、「いやぁ、ゴミ拾いって意外にいいもんだなぁ」と幸福度が高まる。

定期的に行えば幸福度を高めるイベントになり、良い趣味にもなりそうですし、一緒にする仲間が見つかったりと素敵な流れにもなりそう。

なのにだいたいの結果は眉間に皺が寄っている。

なぜなのか?

優しくして不幸になるのは、利用されてこき使われたり、何にも有難く思われない、自分だけ苦しくなるため。

要約すると、一方通行で“相互がない”状態

「これやっときましたよ」
「あ、ありがとう」

これだけでいいのに。

「そしたら、これもお願いしていい?」
「え」
「頼んだよ!」
「は、はいぃ」

相互がないと摂理が壊れ、線引きが壊れ、有難みもなくなります。

「私はあんたのお母さんじゃねえんだぞ」と思える状態になります。

お母さんが我が子にしている毎日の数えきれないほどの優しさがありますが、あれを見ず知らずの他人にされたら発狂もの。

「ねぇ、ご飯まだ?」

「こここ、〇ろしてやろうか!?」となりかねない。

しかし、これを断らず、怒りもせず、我慢して行ったらどうなるか。

当然コロ、いえ、復讐やお返しに向かうのは当然。

それでは事件になってしまうので我慢、しかし一方的にやられてこちらだけ何もできないなんて拷問。

「やり返すと戦いは止まないので話し合いで解決しましょう」といきたい所ですが、

優しくする在り方を変えない限り、これまでの一人一人とこれからの一人一人と一生話し合いをしなければならないというこっちが拷問かなと思えてきます。

優しくして不幸になるのは他人のお母さんになっているから、という考え方。

お母さんになることで我慢と抑圧が増え、嘘と誤魔化しが増え、復讐心が芽生え、自分の見失いやカルマの蓄積へ向かい、精神を壊したり運気が悪くなったりという弊害へ派生します。

 

優しさの見直し

なんでも
なんでも
私自身、この類の優しさを提供していた時があります。

仕事であまりに酷使され続けたため思いっきりキレた所、二度と利用されなくなりました。

嫌なものは嫌とはっきり断れば、まずお母さんになることはなくなります。

解決策は壊された境界線の再生、そのために断るのが方法になります。

しかし、断れない人もいると思います。

なんでも
なんでも
そこでお伝えしたいのは、優しくする行為のそもそもの見直しです。

人に優しくすると物でも気持ちでも返報があり、「やってよかった」と思えて幸福度が高まります。

相互の認識や交流が生まれるからこそ優しくする甲斐があり、もっと優しくしたい動機にもなり、関わりの循環が起きます。

不幸になる優しさは相互がなく一方的。

こちらから与えるだけで終わる一方向、または相手からお返しなし、利用され、調子に乗られる一方向。

「あの、これプレゼントです、ぜひ受け取ってください」と恥ずかしい中でせっかく渡したのに、「あぁ今忙しいからそこに置いといて」と物も見ずに言われる。

「チッ」と舌打ちするか、悲しい気持ちになるか。

相互がなければそれは怒りか悲しみを生む行為となり、相手を嫌う理由作りにもなり、見返り欲しさの行為だったこともわかるなど善いことなし。

ここで考えたいのは、「これをやる、なにをした」ではなく、「相互が生まれたかどうか」を重点に見ると優しさの見直しができること。

どれだけ相手のため、相手に喜んでもらいたいと思って励んだ行為であっても、相互が起きていない場合は自分のためにも相手のためにもならない、「え、なんのため?」と思える行為になります。

優しさとはそんなもの。

ドロボーの家宅侵入を助ければドロボーからしたら優しさ。

受け取り側次第で善も悪も変わる透明行為です。

「相互が生まれているか?」という見方で現実を認識すると、「優しさが本当に相手のためになっているか?自分のためになっているか?」が見えてきます。

相互がなければ相手のためにはなっておらず、こちらも嬉しくないので自分のためにもなりません。

誰のためにもなっていないなら、優しくしない。

これまでしていた良かれと思ったことをやめると、自分のためにも相手のためにもなります。

 

ポイント

誰のためにもなっていないなら優しくしなければいい。

なんでも
なんでも
とシンプルにいけばいいですが、実際のところ「誰のためにもなっていない」とは思いにくいです。

優しさを受けた側は明らかに利益を授与して笑顔だったのは事実。

「クッキー作ってみたのでぜひ食べて」

「ワーイワーイ」と初めはみんな笑顔だった。

「作って良かった、ほっ」と心の温かさを感じた初夏。

その内、「ねぇ、あのクッキーの味付け、もう少し甘さ控えめにできない?」と言ってくる。

「はい喜んで!」と思えれば相互が成り立っていますが、「な、なんだこいつは、有難みを感じられない猿か?返報性を失った人形か?未開の一種で人間の着ぐるみを着ているだけなのか?」と思えれば相互なし。

相互なしを自覚することで、これでも優しさを提供する場合は明確に“自分のためにしている”とわかります。

“自分のため”なのでやめる理由はありません。

相互の営み、調和や交流や循環作りが目的ではなかったのかもしれません。

損害回避という不利益対処が目的だったのかもしれません。

“相互有無の確認”にていろいろなことが見える化されていきます。

罪悪を感じたくない、断るのが面倒、嫌われたくない、恐怖心を味わいたくない、嫌な人だと評価されたくないなど、嫌だと思うことから逃げるための“他人合わせやごますり”は明確に自分のための他人利用です。

しかし、もし自分のためにもなっていないなら、他人利用とはまるで別物

自分のためになっていなければ、優しさの継続は不幸作りの行為そのものを自らしています。

我慢と抑圧が増えて、カルマも生んで、自分を見失い、復讐心もできてしまう。

誰のためでもないならば、やめるのが得策です。

曖昧な断り方でもいい、「あ、ちょっと今はできないんです」と言えなくても無視でもいい、一方的に距離をとってもいい。

初めはこれまでとのギャップにて周囲から反感ができますが、その内に何もなかったかのように静まります。

当然です、そもそも不利益を与えていたのではなく利益を与えていたので、主導権も影響力も優しい人側にあります。

コンビニが17時閉店になったら感じることのように、もらえなくなるとこれまでの有難みがジワジワ浸透し、周囲は価値あるものだったと認知します。

『やめる』

これは境界線を作る方法になります。

 

最後に:優しくして不幸になる人

「それでは相互ができるように頑張ろう」と思うのがここでお伝えしている優しい人かもしれません。

それはとても素敵なことだと思います。

しかし、一方的に与える場合には相互は生まれにくいのが私たち人間。

私たちには平等意識が心の奥底にあります。

まともな人間ほど平等を重んじ返報の気持ちがあり、返報できなくても相手への敬いや尊重など形を変えて想いを抱きます。

世の中には相互を知らない人がいます。

そのような人に優しくする大切さはありますが、優しさを幾度も継続することは一方的にする要因です。

依存や執着を煽り、その人自身を猿に退行させる危険もあります。

相互の理解は理論ではなく心の問題であるため、「知らないなら教えればいい」は成り立たず、本人が経験して自ら理解することであるため、干渉しないことも優しさになります。

そんなことから、「やめる」「優しくしない」も優しさ。

陰陽両方があって現実が成り立つように、温かさと冷たさが両方あって優しさは成り立つと思います。

断る、怒る、叱る、そういった厳しさも大切なのは、愛が恐怖と受容で成り立つから。

いろいろな意味での相互、意識してみるとなにか気づくことがあるかもしれません。

そんな理解がご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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