愛とは何か

自分を好きになる方法「そんなものはない」というスピリチュアルな気づき

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「この人が大好き。それは私自身のこと」

このようになれば、おそらく幸せだと思います。自分を好きになり愛すれば、全ての中心を自分にして、喜びをもたらす生き方に何の抵抗もなくできます。

しかし、どうやって好きになるか?

自分を好きになるために、自分に娯楽を?快楽を?買い物をたくさん?

実はスピリチュアルな概念を含めると、自分を好きになる方法や、自分を愛する方法はありません。

しかし、「自分を好きになる方法などない」と気づくことが自分を好きになる方法になったりします。

そんな反抗期的な内容を気楽にご覧ください。

自分を好きになるスピリチュアルな意味

自分を好きになるとは?

初めに、「自分を好きになるってどういうこと?」という話をしていきます。

意味は言葉を知るとわかりやすいので、それぞれの言葉を紐解いていきましょう。

“自分”“好き”の二つのキーワードがあります。

 

自分とは

自分とは自我意識のことです。自分を自分だと認識する意識があります。

自我意識には肉体、脳、心があり、スピリチュアルを含めると魂に包まれるように存在します。

肉体も脳も心も魂も繋がり合っている意味です。

それぞれが繋がりながら、顕在意識と潜在意識を使用して、自分を自分だと認識します。

自分とは、肉体と脳と心の自我意識
※魂と繋がり、顕在意識と潜在意識と超意識(ワンネス)を使用する

 

自分を作る意志がある

この自分、魂の中にあることでさまざまな記憶との繋がりがあります。

スピリチュアルな認知では、過去世もワンネスとしての記憶もあり、過去の自分の全ての記憶を保持します。

今世での肉体と脳によって記憶した、運動情報や知識や思考や感情以外にも、自分の土台となる意志が存在します。

意志はあらゆる記憶を保持した上で見出す、「自分」の動力でありエネルギー。

自分の全ての記憶は主観も保持者も自分しかいないために、「自分を信じない」「これは私ではない」という嘘や誤魔化しがなく、自分以外という認識がありません。

自分の意志とは、全ての自分の記憶を受け入れて保持し、集大成として“自分”と言える自尊そのもの。

 

好きとは愛にある自分のみの喜び

次に、好きとは何かです。

好きになる際には、自分に喜びをもたらすことを対象に好きになります。

自分を対象に喜ばそうとする気持ちがあり、愛が内包されます。

愛とはわかりにくい言葉ですが、愛する対象を想像すると愛の意味がわかりやすくなります。

例えば性行為は欲望の一つですが、そこに愛があるかないかがわかるのは、“敬い”です。

  • 敬いとは尊重であり、尊敬であり、意志を尊ぶこと。

愛があれば自分の意志を尊重し、同時に人の意志も尊重します。

愛の敬いには妥協や我慢や忍耐は皆無、自分も他者も両方が対象です。

しかし、他者を敬うことで自分を敬えない場合には妥協や我慢となるので愛ではなくなります。

他者を愛せるかどうかは自分を愛してからできるかどうかが決まります。

愛する際のポイントとなるのが意志の尊重。愛を知るために自分の意志を知ることが大切になります。

 

好きと愛の違い

好きとは、自分の喜びを求めること

愛とは、自分や他者を敬い受け入れること

全く違うようですが、好きの意味である“自分の喜び”を求めるためには、自分を敬い受け入れている状態がなければできません。

好きになるためには自分への愛が必要、愛がある上で好きという喜びを求められます。

他者を好きになる際に必要なのは自分への愛のみです。相手を敬い受け入れる必要はなく、自分のためのみを考えて好きになると成立します。

ですが、他者を愛する際には、相手を敬い受け入れることで愛せるので、他者を敬うかどうかに好きと愛の違いがあります。

  • 好きとは…自分への愛を持って自分の喜びを求めること
  • 愛とは…自他への愛を持って自分の喜びを求めること

好きと愛を知るとわかるのは、自分が主観で自分を対象にしている気持ちであり行為だということです。

 

結論:自分を好きになるとは?

これまでの内容から、自分を好きになることの意味がこちら。

「自分の意志を受け入れること」

意志とは自分らしさの塊であり、一切抵抗のないありのままの自分です。もはや自分のことを自分だとも思っていないほどにそのままです。

意志を受け入れる敬いによって愛が生まれて、好きになります。

一方で、受け入れなくする拒否や誤魔化しがあると、愛はシュンッと消え、自分を好きになれなくなります。

ここで矛盾を指摘したいと思います。

“既に自分の全ての記憶を受け入れている意志を受け入れる”ということは…「受け入れようとしているあなた誰?」と。

自分ではない何者か、それは自分のことを受け入れていない何者かが、自分のことを自分だとマスクを被り、自分を受け入れて好きになろうとしています。

そんなことはできません。

これは“自分”の話です。自分が自分を好きになる話ですので、自分以外が自分を好きになる場合は話が全く変わります。

意識してなんとか自分を好きになろうとする場合、自分ではないことを意味します。

そこに、自分を好きになる方法の核心があります。

 

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自分を好きになる方法

自分を好きになるための気づき

自分を好きになるために最も大切な気づきがあります。

少しイメージをしてみてください。

新しい法改正が日本で発表されました。

「国民全員、自分の全財産を誰かに渡して交換し合う法決案、バンバン」

決まりです。必ず自分の財産を全て誰かに渡さなければなりません。見返りはなし、ただ自分が相手を決めて渡すだけです。誰が誰に渡すかは自分が決めます。

誰に渡しますか?

この法案、抜け穴があります。

「誰かに」とは、自分も含まれます。

どうでしょうか?

「自分のことを既に愛しているかもしれない」という気づき。

「大切なものを誰かに」となった時、見返りを求めない前提なので対象は最も敬いを持つ人=最も受け入れている人=最も愛する人になります。

  • 自分であれば、最も愛する人は自分
  • 自分でなければ、自分が与えて嬉しいと思う人(または、不納得を抱かない人)

自分であっても自分でなくても自分の喜びを求めていることがわかります。

 

既に自分が好きで愛している

生きることは当たり前ではありません。

ご飯を毎日何度も食べて、せっせと他の命を奪い取る行為を続けることで自分が生き続けている毎日があり、何かしら対価を払い、自分の意志を持ってご飯を食べる行為を続けています。

生きようとする自分の意志を受け入れている状態です。

今生きているならば、自分を愛していない人はいないと思います。

ですが、愛していないと思い込んだり、そう思いたくないことはあると思います。

嫌いな自分がいる場合、「こんな私は私ではない」と受け入れません。すると、自分はいなくなります。

その状態で自分を愛そうとすることで自分を見失う方向に走ってしまいます。

自分を好きになるために必要なことは、既に自分を愛していると気づくことです。

気づきを受け入れた時、意志がよみがえり、自分を愛して好きな状態が戻ります。

 

自分を好きになる方法はない

常に自分として生きているのであれば、「私は自分を好き、愛している」と思うこともなく、意識もしません。

しかし、自分を認めたくない、受け入れたくない何かがある場合、「自分を好きになろう」「自分を愛した方がいい」と思うかもしれません。

そして、「私は自分を愛しています」「こんなに大切で好きな人は他にいない」と暗示のように思い込もうとする人もいます。

何も悪いことはないのですが、愛する主観が“自分”であれば、そのようにはなりません。

生きている以上、自分を愛している結果が今この瞬間です。

自分を好きになる方法など存在せず、大切なことは気づきです。

自分を好きになる方法はないことの真意
:自分として生きることを邪魔する抵抗を失くすために、自分を嫌う時間、または自分が好きな時間があると気づく

自分を好きになる方法がないのは、1日24時間ずっと自分を嫌う、または自分を見失っている訳ではない意味があります。

その時その時、自分を好きだったり嫌いだったり、脳を使用したり心を使用したりと、生き方も認識も変わります。

自分が好きではないと認識する時間があり、「愛していない」「嫌い」「愛した方がいい」「好きになる方法は如何に」という自分を作ります。

自分を好きにならない自分を変えていくことで、物事は変わっていきます。

その際にすることはただ一つ、自分を受け入れることです。

 

自分を好きになろうとすると起きること

自分を好きになる方法がないと気づくことで、自分を好きになろうとする意味が見出されます。

一覧でご覧ください。

自分を好きになろうとすると起きること
  1. 自分を無理矢理作ろうとする
  2. 自分の好きなことを見出そうと頑張る
  3. 好きになる対象は今の自分ではなく、架空の願望になる
  4. 自分にご褒美を上げても幸せにならないことにストレスになる
  5. 自分の意志ではなく脳の思考を喜ばそうとする
  6. 自分を見失う

空回りが起きます。

自分を新しく作るのは素敵ですが、目的と行為の矛盾を作り、好きになる方法にならないので、“趣味を作る”など別の目的が大切になります。

 

楽しいことなんてなくていい

自分を好きになる方法として、楽しんで喜びを増やすと良い時間になります。

しかし、楽しいことや喜びのあることを探し出す場合には、新しく作ってしまいます。

そのため、思い出すことをおすすめします

昔好きだったことや楽しいと思っていたことで自分を癒すと、自分を好きで愛していると気づく機会になります。

もし思い出しても楽しいと思えない場合、そんなことする必要はありません。

自分を敬っていればそれで十分です。

風が吹いて、それを体感できたら十分じゃないですか?
カエルがゲコゲコ言っているのを聞いて、なんか十分じゃないですか?

「どこが?!」ですよねー。

しかし、楽しいことは探し出すものではなく体感するものです。

なんせ自分の意志があれば、何が楽しくて何を好んでいるかを過去の膨大な記憶から知っています。

「数打ちゃ当たる」と片っ端から探せば、「あ、これ楽しいかも」と思うことは過去の潜在意識のよみがえりがあれば体感します。

でも、思考的に顕在意識を基にして探していれば、情報が少なすぎて見つかるまでに100年くらいかかるかもしれません。

自分の意志がない状態で楽しいことを探しても見つかる可能性は限りなく低いですし、わざわざ楽しもうとしなくていいんです。

大切なことは、“自分をどこまで優先できるか”です。

それはそのまま、“自分の意志を明確にできるか”という意味です。

 

楽しいことを見つけるためには自分の意志を明確にする

楽しいことが見つからない人は、スピリチュアルな概念では過去世の経験が多く成熟しています。

そういう人は、刺激を求めて脳の快楽に溺れて満足などしません。

自分の認識を変えることで、自ら喜びや楽しみを作り出すのが好きな人が多いです。

自分を知っていくと、「あ、手があるんだ」「普通に話せるんだ」と気づきます。

事実を認識して、肉体と頭と心で組み合わせたり、認識の仕方を変えることで、いくらでも楽しいことは作れます。

赤ちゃんはそれを楽しんでいます。

手が動くと楽しい、自分の足が動くとキャッキャッキャ。

自分の意志を明確にすると、楽しいことの意味にも気づきます。

「そんなものはない」という。

本当はみんな楽しくてみんな楽しくないんです。自分に合えば楽しくて、合わなければ楽しくないんです。

自分らしいことであれば楽しくて、自分らしくなければ楽しくない。

自分のみが知っています。それを知っている自分は、自分のことを心から愛しています。

自分が人生の主観となり、主人公として何よりも自分を優先した本来の在り方の時、意志を尊重して自分を心から好きになっています。

 

自分を好きになる方法 スピリチュアル

自分を好きになる方法のスピリチュアルな意味

私達が宇宙に生まれた時、それは暗黒のブラックホールが…というのはびっくりするほどどうでもいいですね。

そもそも私達は自分のことを、「I love myself ye!」なんて言いませんでした。それは、原始人が洋服を着ていなかったことと同じです。

しかし、自分を嫌うことで、「自分を嫌うんじゃない、メッ」とされ、自分を受け入れられない思考が顕在意識に入り、「自分を嫌うなんて非人格的だ、私なんて」と、自分を嫌いなのに嫌えない矛盾を作り、物事を受け入れたくても受け入れられない在り方が作られました。

自分を否定された瞬間に主観である自分はいなくなります。しかし、否定が終わればまた自分に戻ります。

それを繰り返す内に自分に戻ることを忘れてしまい、「あれ、ここはどこだ?」と。

周りを見ると、自分を嫌いなのに嫌いだと思わないようにする自分がいます。本当はこうしたいのに、それができない自分がいます。

果たして、今身体を使用して生きているのは誰でしょうか?

これまた別の意識の自分、でもその自分もその内にここに来ます。そうやって増えていくのが、受け入れない未浄化の意識でありエネルギーであり記憶。

全てカルマとなります。行き場がないので長い時間をかけて戻ってきます、「受け入れろよ!」と言いながら。

自分を好きになるスピリチュアルな理解は、この未浄化を失くすことです。

それが“受け入れ”です。そのために必要なのが“気づき”です。

カルマを無用に作らないための受け入れをして、物事の拒否をしないことが自分を好きになる方法です。

※カルマの詳細は、【真理の言語化】カルマの法則とは始まりと終わりを作るスピリチュアル をご参照ください。

 

自分を嫌いなら嫌えばいい

自分を好きになるとは受け入れる意味。

自分が嫌いならば、嫌いになることが自分を好きになる意味です。

ボッコボコにしてやりましょうよ。というのは冗談ですが、嫌いなのに嫌いになれないのと、好きなのに好きになれないのは同じです。

どっちが良い悪いはありません。

現実をそのまま認めることが自分を好きになることです。

私はご飯を食べる時に箸ではなく、手を使ってしまいます。手の方が楽で、海外を旅していた時の癖から手がいいんです。

社会的にはバツかもしれませんが、私的にはハナマルです。

レストランで誰かと一緒で、その人は手は使わない人であれば、その場での自分らしい振舞いをします。

常に自分が中心です。嫌っても何でも、自分がそうしたいかどうか、自分の受け入れかどうかに意志があります。

自分を愛し好きになることは全ての主観が自分になること。

自分がどう思い、どう感じるか。他者ではなく自分です。

 

自分を好きになる方法 まとめ

自分を好きになる方法も自分を愛する方法もありません。

しかし、自分の意志を持った時、いくらでも楽しいことや喜ばしいことをすると、とても幸せな時間がもたらされます。

その際には自分を好きになり、愛してやまないかもしれません。それが標準状態です。

嫌いな自分がいればとにかく嫌いましょう。

嫌いになる対象をしっかり把握する大切さがあり、自分の振りをした何者かどうかは要チェックです。

実際、自分を嫌いになることはできません。自分を拒否すれば、嫌いになる対象は既にそこにいません。

自分の意志を受け入れれば、嫌いでも好きでも人それぞれにどちらでもいいんです。

意志を聞いてみてください。

「自分を好きになる?なんじゃそりゃ」と。

自分の意志を取り戻し、笑ってやりましょう、受け入れてやりましょう。

そんな気楽な気持ちになっていただければ幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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