対処・解消法

【サル化現象】余裕がない人の攻撃的になる原因と接し方

余裕がないと不安と恐怖に襲われ、迷いと焦りに翻弄されます。

我慢し、自制し、なんとか制御しながらも、その内にドバーンと限界突破。

人によってはパニック、壊れ、バグ発生、涙が止まらず、感情が消え、感度もなくなり、自分がいなくなる。

そんな中で特に目立つ言動となる、攻撃。

すぐにイライラし、悪口と否定が止まらず、声を荒げ、人を責め立て、物に当たり、暴力。

自制する気が初めからないそのさまは、サルと同じ。

過去の私のことです。

ここではどうして余裕がないと攻撃的になるのか、洞察対象として私を使用し、詳細をお伝えします。

  • 余裕がないと攻撃的になる訳を知りたい
  • 攻撃的になった人との接し方を知りたい

攻撃的になる人の内情を分解することで、本人や関わる人にとって大切な理解となれば幸いです。

余裕がない人の攻撃的になる訳

余裕がないとサル化する

今のご時世、誰しも余裕がなくなりやすいです。

心や精神、肉体や生活に余裕がないと、イライラと憤り、ストレスが溜まり、不安と恐怖で苦しくなります。

よほどの精神性や自分への絶対的信頼がない以上、余裕がないと焦り迷い、慌てふためき、普段の自分を保持できなくなると思います。

自己保持できないからといって、攻撃的になるかどうかは人によって違います。

攻撃的になるのはどうしてなのか?

動物だから」というのがここでお伝えしたい考え方です。

わかりやすく、“サル”とします。

余裕がなくて攻撃的になる時、サルになっています。

猿の惑星に出てくる、あの人間みたいなやつだと思うとイメージしやすいかもしれません。

 

サル化するとは、感情をコントロールせず動物的になること

私達人間は自己内部に二人の自分がいると言われています。

表現方法はさまざまに、

[感情的な一人、理性的な一人]

[動物性質に基づく一人、人間性質に基づく一人]

[動物脳を使う一人、人間脳を使う一人]

[エゴ(我)意識の一人、自意識の一人]

感情的に欲求や感受に従い衝動的に突っ走る自分がおり、経験測と思考知性を重んじて他の情報や状況も踏まえて選択するもう一人の自分がいます。

おそらく誰しもに内在していると思います。

攻撃的になることは暴言を吐き、ちゃぶ台をクルクル返し、唾を飛ばし、非常にユーモラスな顔を表現し、買ったばかりのグラスを壊し、周囲の人に危害と損害を与え、時間と労力を消費します。

ジャングルサバイバルであれば大切ですが、社会性という理性ある世界で生きている場合、攻撃的になる利点は暴力や脅しによる上下区分けに利益性がある時。

コアな世界にいない限り、攻撃性の露呈はデメリットしかありませんので、できれば出したくないものです。

そんなことを考えると、攻撃的になってしまう理由はシンプルです。

理性ではなく、感情的な自分に偏るため

偏ることで感情コントロールのキーとなる理性がなくなり、人間に内在する動物面が主張します。

これが、サル化現象です。

 

余裕がなくなると唯一無二の自分を護りたくなる

余裕がない状態は、お腹ペコペコ、服がなくて寒いなどを初め、ストレスがすごい、心が満たされない、思考が上手く使えない、状況把握できない、我慢しすぎた、対処・改善・解決できないなど、

どうすればいいかわからない状態です。

自己保持できなくなり、自分がわからなくなります

これを自己不一致(アイデンティティクライシス)と言い、精神不安や心と肉体の欲求不満が起き、物事を解決できないのを初め、自分という存在を保てなくなります。

即座に自己防衛が発動します。

自らを保ち、護り、精神不安をなくすための潜在的(無意識)な活動が起きます。

ここで、攻撃的になる人にはある特徴があります。

「自分をなんとしてでも消さない、消したくない!」という強い自己愛を持ちます

自分を護るために、他からもらったものや真似したものではなく、唯一無二の自らが生み出した自分だと思えるものを一生懸命に大切にします。

感情、感覚です。

理性には多少の違いはそれぞれに、自分以外の他の人や情報、ルールや常識、文化や教育など、あらゆる他からの影響が介入しているので、自分を見出すのではなくむしろ自己喪失する材料になりえます。

余裕がなくなって自分がわからなくなった時、自己防衛は潜在的に感情や感覚を絶対死守。

「これが私なんだ」とかくまうように抱きしめ、感情的な自分に思いっ切り肩入れします。

感情的であることは理性を挟まずに本能的になる、そんなさまとなりますので、後先考えずに行動へまっしぐらの能動と衝動。

動物性質や動物脳を使う一人が自己内部のほとんどを占め、余裕がなくなると感情的になります。

行動する凸状態は陰陽思想で言う陽(ポジティブ)。

本質的にポジティブである性質によって自己愛を持ち、自己防衛活動を邁進する結果、攻撃的になるという考え方です。

※余裕がないとイライラする原因は、心に余裕がない時の原因とイライラの関係性【改善は遊び心】をご参照ください。

 

洞察:余裕がなくなると攻撃的になる原因と心理

なぜイノシシなど別の動物ではなくサルと表現しているのか、理由があります。

攻撃的になる人は上下関係の世界で生きているからです。
※サルの世界は上下関係に基づいて構成

そんな理解を紐解くために、私自身を洞察してみます。

私が自己保持できない影響があるとすぐに怒り、暴言を吐き、威嚇し、物に当たり、人に当たっていた時、物事を上下・優劣でしか見れない世界に住んでいました

認識が狭く、人を見る時も、評価する時も、見られる時も、評価される時も、「私の価値とは○○と比べて良い悪い、強い弱い、高い低い、優れて劣って」

服装、髪型、話し方、歩き方、姿勢、食べ方、好みの決め方、考え方、何から何まで上下・優劣認識。

他と比較して区分けする差別化は日本で常識だと思いますが、問題はその自分を仕事場などの社会環境で振舞うのではなく、プライベートでも家族に対しても振舞うこと。

自覚した上で演じたり区分けたりができておらず、上下認識のみに基づいて生きる状態

他者と比較しないと自分という存在が何も出てきません。

上下・優劣認識によって自らを特定できるので、手放せなくなっていました。

自己内部には常にサルと同時に人間の私がいたのですが、そんなことを考える余裕もなく、上下関係の従属意識に浸かり、サル化を極めていきます。

自己保持できなくなるシチュエーション、例えば否定された時、仕事が忙しい時、ストレスが溜まった時、思い通りにいかない時、負担が多過ぎる時、自分だけ損している時、我慢できなくなった時…。

真っ先に感情へ肩入れして衝動的になり、攻撃的に怒りをぶちまけます。

当時はわかっていませんでしたが、全て自らが唯一無二の自分を護るために感情に偏り、サル脳を使ってサル化計画を促進させていました。

余裕がない時に攻撃的になる原因は、上下関係による他者との比較、優劣認識への執着だと考えます。

 

上下・優劣認識に執着するのは、感情的な自分がいなくなることへの怖れ

幼い頃からサル社会で生きると、感情的な自分を糧に生き抜く努力を要します。

ご飯を奪い合うように日々を一生懸命生きなければならず、感情的な自分を行動力と防御力の強さとして最大限使います

メガネをキラッとさせながら登場しても、一生ご飯など食べられず死んでしまいます。

攻撃性質を持つ経験の量により、攻撃的になるのが自然。

そんな自分と共に頑張って生きてきたからこそ執着は自然と強くなり、感情的な自分がいなくなることへの怖れがでてきます。

生きる世界であり、認識そのものを変えないと、サル化を止めるのは困難です。

 

余裕がないと攻撃的になる人の対処法、接し方

上手に接するために:攻撃的になる人の過去を知る

関わる際に攻撃されては損害や損失が起き、傷を負う危険性すらありますので、対処は欠かせません。

上手に接するためにも攻撃的になる人の理解が重要ですので、内情把握にフォーカスしていきます。

サル化して攻撃的になるのは、上下関係への執着と知っていただきました。

根本的に上下関係のサル世界に生きていることそのものは見逃せません。

生まれた時からサル山でみんなとウキウッキー、家族や成育環境がサル山化していれば、一番高い所で偉そうにしているボスを怖れて、ありつけるのは残飯です。

強者がいることは弱者の存在を意味しますので、媚びへつらい、愛想笑い、へこへこして、メンタルを弱めて、自信をなくし、自己肯定感を低め、不信を極め、余裕はすぐになくなります。

ボスが満腹するまで食えず、その後に食えると思いきや、その次に暴力を糧にした強者や勝者、権力を持つ者や社会的主導権を握る者。

最後に残るのは、フライドチキンの骨くらい。

バカヤローってなもんで、肉にありつくためには勝つしかない、奪い取るしかない、優れるしかない、弱者を作るしかない。

地獄の始まりであり、上下世界を生きるために感情的な自分を主体に生きる始まりです。

ルールに従うだけではなく、人間にはもう一人の理性がいるので、頭を働かせて生存戦略にアクセントが出てきます。

サル知恵。

強者のサル同士を戦わせて、弱くなったところをドンッ。

嘘を巧みに使い、誤魔化しながら争いを作り、残ったのはフライドチキンだけではなく、レッドホットスティックにフィレオフィッシュまであるぜ、へへ。

おっと、ヨダレが垂れたらバレてしまう。

別のサルの指紋でも残してとんずらだっ、ピュン。

上下関係を強いられて脳内にへばりつくと、それ以外の世界が見えない狭い認識になってしまうので、余裕がない時に自己防衛として攻撃性が表れます。

あくまで自分を護る目的ですので、実際には攻撃したい気持ちはありません。

誰しもの内部にいる動物的な自分を優先して使い、その場を対処する防衛策であり生存戦略。

本当のサルとは訳が違います。

 

自己防衛ではない攻撃的な人との違い

世の中には常に攻撃的な人もおり、喜んで攻撃したい人もいます。

サル山育ちで現在も生活中、サル山で上下の[上側]に執着する人です。

勝者という意味ではなく、「上になりたい、または下になりたくない」欲求への執着であり、大きな特徴を表します。

他責への執着者。
※他に責任を負わせる在り方であり、他者によって自らの思考と行動を認めさせる

他責に執着すると、「上になりたい=他を下にすればいい」「下になりたくない=もっと下を作ればいい」という他に基づく思考になります。

喜んで怒りを露わにして、他者を怖がらせ、言うことを聞かせ、従わせ、利用します

余裕がないと攻撃的になるのではなく、納得いかないと直ぐ攻撃的になり、思い通りに支配したい我欲を持ち、他者によって利益を得ようとします。

典型例がこちらです。

他責執着による攻撃性
  1. 強さを誇示するマウント
  2. 他者を劣等させる否定や悪口
  3. 周囲を従わせる強情なわがまま
  4. 他者を困らせるしつこい欲の押し付け
  5. 自己利益のみのための他者への干渉
  6. 言うことを聞かせる脅し、強要
  7. DV、ハラスメント、虐待

他責執着者は余裕がないから攻撃的になる訳ではありません。

サルであり、サル山に住んでおり、サル世界の認識のみで生きる結果です。

対処する際は一切関わらない一択です。

※攻撃的な人の心理詳細は、【攻撃的な人のかわいそうな心理】対処法は飼育員スタイル をご覧ください。

 

余裕がないと攻撃的になる人との接し方①:傷つかない事前準備

(自己防衛のために)余裕がないと攻撃的になる人と関わる際は、相手を理解すると対処しやすくなります。

初めにしたいのは、アグレッシブに攻めてきた時に、こちらが傷つかない準備です。

例えば、車内。

助手席に乗ったとして、「ちょっとコンビニ寄ってくれる?」と言っただけで、「チッ、後でスーパー行くならそこでいいっしょ!」とイライラしています。

自分が傷つかないことが大切ですので、「この人は自己防衛で怒ってるんだ、今は自分がわからなくなっているんだ」と相手の怒る原因を念頭に置いておくと、少し気楽になるかと思います。

しかし、アグレッシブになることで怖がらせ、従わせる狙いなど、攻撃によって自分の利益を得ようとしているかどうかは要見極めです。

その場合には関わらずにとにかく離れましょう。

 

余裕がないと攻撃的になる人との接し方②:主張せず、否定せず

自己防衛によって攻撃的になる人は、下になったり上になったりの経験測が観念や価値観を作っています。

攻撃的になる対象は自分より下、または上になれると思い込みたい相手になります。
※上になれない相手には攻撃的にならず、媚びたりヘラヘラする

上手に接するためには、相手の真意を把握して自らの在り方を定めます。

「下、劣っている」と思われているのであれば、今後も関わるかどうかを決めたり、めんどうをなくすために下手に出ることもできます。

当たり障りない会話をして深入りする内容は話しません

プライド(ネガティブな見栄)を傷つけないために、相手の意見を否定せず、意見の言い合いは避けます

気を使ったり接待的に関わるとストレスが溜まってしまうので、あくまでプッシュせず主張せず否定せず、相手の存在や意見を否定しない接し方がおすすめです。

 

余裕がないと攻撃的になる人との接し方③:褒める

相手の真意を見極め、「この人より上になりたい」と優越を求めているようであれば、有効的な接し方は褒めることです。

内心、相手の方が上だと自覚している心理が見え隠れしますので、褒めてあげると相手は穏やかに落ち着きます。

褒めるポイントは、その人の価値です。

才能や能力、優れた点など、「あなたは優秀で、価値があり、大切な存在である」と示してあげます。

特に、大切な存在である示しは非常に関わる上で活き、「劣っている」と思われていたとしても有効です。

 

余裕がない人は攻撃的になる まとめ

サル山が配下にある現代社会のドグマ。

独占を好み、排他が付加価値になる世界では、上下関係はもはや常識であり、争いを減らす合理的な方法にもなっています。

しかし、私達には動物面だけでなく人間面があります。

人間の面は人間と関わることで即座に花開くことは、私の経験上確実です。

攻撃的になる人も、周囲で関わる人も、誰と関わるかは本当に重要な事柄かと思います。

誰しも余裕のなくなりやすい社会、特に日本にはヒエラルキーが蔓延し、曖昧性という責任放棄を糧にしたモヤモヤの中で、確実に存在する上下区分けがたくさんあります。

社会に則ってありのままに生きることの恥。

悲しい気持ちにもなりますが、人間は現実を現実として捉え、先を見据えて物事を向上させる創造力があります。

余裕がないと攻撃的になる人もいれば、悲観的になる人もおり、人それぞれに何を守りたいのか、本当は何を欲しているかが表れます。

怒ったっていいと思います。

悲しんだって、比較したって、何だって意味があります。

道は違えど全て行き着く先は、自分の精神を満たす喜びや幸せの探求かもしれません。

余裕のなさによって感情に偏り、攻撃的になることで自己防衛していた私自身、動物面を極められたのは真に人間面と統合するためだったと理解しています。

比較するから比較しない大切さがわかり、差別するから差別しない意味がわかり、攻撃的になるから攻撃的にならないことができます。

サル山の上で生きているならば、その上で人間山を作って生きる選択ができます。

気楽にいきましょう。

攻撃的になる内情理解から、お役立ちする内容があることを願います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

お手紙でこのサイトを応援する『お気持ちを大切にします』

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。