四人で路上を歩いている時、世間様に迷惑にならないように幅を気にかけて歩く。
人に合わせながら社会にも合わせ、集団行動の縛りが激化する。
私は合わせることを苦痛に感じ、疲れ、ストレスで寿命を縮める、誰も得しないゲームをしていました。
こんなものポイッ。と捨てた時、私は人間である証拠を感じました。
人に合わせるのが苦痛であって欲しい。
ここでは、人に合わせたり、集団行動で縛られる苦痛に潜む、大切な自己理解を見ていかれてください。
- どうして苦痛を感じるの?
- 人に合わせるのが嫌いであった方がいいのはなぜ?
- 人に合わせたくない時の対処法とは?
これらを紐解き、「嫌だからこそ自分に必要なことがわかるんだ」と知っていただく内容となっております。
できれば抵抗や嫌悪、さもなくば疲れる自覚をして欲しい。
そんな内容に潜む重要な自己理解がありますので、一つの考え方としてお役立ちできれば幸いです。
Contents
人に合わせるのが苦痛

人に合わせるのが苦痛で嫌いな理由
「苦しい、嫌だ、辛い、疲れる」など、違和感や抵抗感には明確な自己表現があると考えられます。
「とにかく不自然」
人に合わせるのを苦痛に感じる時、自分にとって不自然な状態です。
何が不自然にさせているのか?
自分の見失いがあると考えられます。
俯瞰して自らを捉えられている人ほど、自然であれない影響や干渉、不具合や不調和があると、猛烈に反発を感じます。
それは、自分に対して自分が発する感覚。
「これ、なんか変だよ!」ってな具合です。
この感覚発信に大きな要因と考えられるのが、自意識です。
自意識の発達は集団行動を苦手にさせる
自意識が発達すればするほど、自分と他を区分けする能力が高まり、「自分は自分」「他は他」と認識します。
合わせたり、一緒にしたり、同じ事をしたり、同じ考えを持つと、良い悪いは抜きにして「んっ?」と違和感が出て来ます。
「この私が唯一無二の私なんだ」という認識をどんどん強めていきます。
主体性や主人公意識が強まり、「自分の人生だから、自分のやりたいようにやりたい」と無意識に思い、他に合わせるのを窮屈に感じます。
人に合わせなければならないルール縛り
自意識の発達は、他との調和以上に、自分の特化を望むことで加速します。
「人に合わせる必要なんてない」
「自分のルールに従うんだ」
「一人で生きていける」
しかし、現実社会では一人で生きていけません。
理由は、人と人の組み合わせによって構成されるルールが社会だからです。
一人用の社会は無人島やジャングルで存在させられますが、スーパーで買い物をする時点で社会ルールにイン。
生きている土台は元々完全アウェイです。
一人で生きていけない環境であるために、社会的に共存を図り、人間関係を作り、人類の繁栄を望み、文化や遺伝子の継承に参加する、または新しい社会を作る。そんなルールに合わせる必要性が出て来ます。
「人類を絶命させてはならない!」という絶対的根底の誓いがある人類社会。社会性に入って生きる選択をする以上、安全や安泰の利益がある反面、自由にしてはならない自意識の抑制が対価の支払いになります。
ポンッと生まれた瞬間、まずは肺呼吸にして、口から栄養素を取るようにして、二足歩行できるように合わせていきます。
徐々に親に合わせ、常識に合わせ、人に合わせていきます。
「次!」
「はい、この世ではこのマスクを被ってね、あなたは、えーと、日本人っていうカテゴリー、男って性別、名前はくまんちゅでいいかな。あと遺伝子は両親を主体にして、埼玉県地域の価値観をインプットしてねー」と言う社会。
社会で生きる以上は、他に合わせるルールの中で生存活動していきます。
たくさん合わせる中で、どうしても嫌で辛くて苦痛なものは人それぞれに出て来ます。
人に合わせるのが苦痛の場合、人に合わせるルールへの反発があり、自意識が抵抗を感じていると考えられます。
ここで人に合わせるのが苦痛な原因が表れます。
「どうして、人に合わせることを受け入れられないの?」
人に合わせるルールを受け入れられないと苦痛になる
私達は生まれた時から今日まで、裸で外出してはいけない受け入れから始まり、自販機のお釣りの取り難さ、仕事してお金を稼ぐ仕組み、他者と違うことを恥じる観念から何から何まで、数えきれないほどのルールに合わせています。
「そういうものなんだ」と認めれば違和感がなくなり、反発が生まれないので苦痛を感じず、その内に当たり前と恒常化します。
しかし、人に合わせるのを認めていない、受け入れられない場合、人に合わせることに反発が生まれます。
拒否です。
人に合わせることへの拒否が、苦痛で嫌いな気持ちを自己内部でもてはやします。
「人間関係、集団行動、他者や周囲に合わせることを拒否するのはどうしてなのか?」
人ではなく、日本の価値観や文化が合わない場合、「よし、フィジーで暮らそう」と臨機応変に対応できますが、いかんせん人はそういきません。
Human beings are everywhere.
人は人なくして生きていけないのかもしれません。
人に合わせられなければ社会性にも合わせられなくなり、生きる基盤がなくなり、自給自足しなければなりません。
これは大変。社会は便利で安全を得やすく、毎日サバイバルする必要がありませんので気が楽です。
シーソーのように駆け引きが起きます。
[人に合わせないで独りで生きていく or 社会性を使って気楽に生きていく]
防衛本能はきっちり答えを出します。
社会性で気楽にしたい、けれども人に合わせるのができない。
※合わせたくても合わない人の詳細は、波長が合わない人や場所から離れる?留まる?│対処法は人間の基本原理 をどうぞ。
誰しも初めは人に合わせられない
生まれてからこのかた、合わせられなかったものを合わせていく作業を進めております。
初めは合わなかったのが当然です。暗黙の了解を習得し、ジャパニーズメンタリストとして生存を図れるようになった人もいると思います。
合わせていく過程で経験を要し、失敗しながら調整し、自己理解を深めて対処・改善していきます。
しかし、人付き合いが苦手で、人との関わりが少なければ、シンプルに経験測と知識がないために合わせるのが困難です。
子供の時の限られた家族空間から、学校の同年代、学科、全体、同地域、社会、日本、グローバルとマクロに広がっていき、成育と共に人との関わりが多様になればなるほどコミュ技能を求められ、合わせるのが難しくなります。
できなければできないほど合わせたくなくなり、自分の中にある反発や拒否を肯定し、現状維持を図りたくなります。
自意識が発達する在り方を通したからこそ、人に合わせる人間関係が難しくなり、その反面、個人の強味や特性を活かしやすくなります。
わかりにくいものですが、等価交換は常にどんな行為に対してもあったりします。
中には頑張って合わせようとする人もおり、疲れやストレスを溜め、苦しんでしまう人もいます。
中には合わせすぎて自分がなくなる人もいます。私はこのパターンでした。
自意識を高めたり強める在り方を選ぶと、人との関わりで自らを変える柔軟性や協調性が育まれにくく、他者からの押し付けや決め付けに対する抗体、いわゆる恐怖心との向き合いが困難になります。
人に合わせるのが苦痛で嫌いになります。
※関わりが苦痛になる心理は、【人といると疲れる、けど寂しい】他人との関わりが苦痛になる心理と改善 をご覧ください。
人に合わせるのが嫌いでよかった

人に合わせると自分がなくなる
これまでのお話とは違い、「もし自意識の発達を望まない選択をすればどうなったのか?」と少し考えたくなるかもしれません。
考えられるのは、集団主義的な他律や他人軸を主体にする未来です。
「合わせるのが当たり前、親に言われたことは従うもの、教科書に書いてあれば正解、正解とはフォローするもの、みんなに合わせて目立たない方がいい、それがみんなのためにもなる」
他に合わせて自分を消すことで、苦痛や辛さは緩和されます。
生まれた時から自尊を穢されず、周囲から尊重され、強制や押し付けなど自意識を抑圧する環境がない。そんな中で育った場合には愛を持って合わせたり、心の余裕から楽しんで合わせられる人もいます。
しかし、そんな特例を除き、本当は誰だって人に合わせるのは苦手で疲れると思います。
自分としての個体があり、脳によってユニークな思考を作り、肉体の味わった経験の違いがあり、唯一無二の心があれば、人に合わせると自分がなくなってしまう可能性があります。
自分がなくなるのは嫌なものです。
しかし、“自分”を掻き消せば苦痛がなくなりますので、自己防衛として無意識に選択する人もいます。
自意識を発達させない在り方は、他との同調に機敏になり、人に干渉され、干渉し、執着し、依存し合うのが当たり前になります。
苦手でも苦痛にはなりません。当たり前だと思えるから嫌いにはなりません。
「自分がない」と思うこともない。そんな安心と安全ゲットです。
等価交換は集団主義による利益を与え、自意識の発達による育みのカットを対価とします。
人に合わせて自分がなくなるのと、自意識を高めて人に合わせるのが苦痛になる。人生は生まれた時から選択なのかもしれません。
人それぞれに生存戦略としての在り方は大切ですが、私自身は自己理解の大切さを深く実感していますので、自分がなくならない方を推奨します。
そんな理由を見ていきましょう。
人に合わせるのが嫌いでよかった
自分として生きられるのがどれほど幸せなことか。
[自分とはいるorいない]ではなく、[自分との向き合いがあるorない]と考えます。
集団主義や他律は人々の共生になくてはならない大切なものですが、大前提に自分との向き合いがあって、他律を自覚しているか否かが問われます。
自覚なく他律になっているのと、自覚して他律になっているのは、天と地の違いがあります。
自覚がないのは自分がない、いわゆる自分との向き合いがない、自意識の育みがない状態と考えられます。
人と合わせることが苦手でも得られる利益が大きいため、誰に対してもいい顔をしたり、話しを合わせたり、ゴマすりやチャラさに繋がります。
一方、人に合わせるのが苦痛で嫌いな場合、明確に発達した自意識があり、自律や自責を高め、自覚を増やして自己理解を深める基盤があります。
人に合わせるのが嫌いだからこそ、合わせるための努力をするか、合わせないで一人で生きるかを選択でき、自ら今後の成り行きを作れます。
一人で生きると言っても無人島に行くのではなく、自分を確立して社会の中で独立したり、代表として物事や価値を作り、世の中の動きを作るサポートができる、または好きなことだけを極める。そんな人生を謳歌し、幸福を作れます。
「嫌いでよかった」と思っていいかもしれません。
しかし、これで終わりはしません。
※人に合わせない人見知り心理は、【大人数が苦手な人見知り心理】内向性トラップに改善策4点 をどうぞ。
人に合わせたくない気持ちの真意
真意は本人にしかわかりませんが、何やら潜んでいるような気がします。
私を例にしますと、人に合わせることへの辛さには、見えにくいですが確実に真意が潜んでいました。
自分以外の他に合わせることは、今では楽しくて嬉しいものですが、自分のことをよくわかっていなかった時は、全くそんな認識はありませんでした。
人に合わせると自分を維持できない、消える、邪魔と思っていました。
自己防衛発達の不安優位です。
まるで自分の意見を消して他に同調しなければならない、干渉されれば翻弄されてしまう、軸がブレてしまう余計な関わりになり、自分色が不本意な雑味色に染まってしまう、「嫌だ、これ何色やねん!」と不利益が多い。
自分がはっきりと存在しているからこそ、人に合わせることに反発が生まれるのではなく。
自分をはっきりと認識したい自意識がありながらも、まだ自分が不明確だからこそ反発が生まれる状態です。
人に合わせたくない気持ちの真意は、自分がないからこそ見出さなければならない焦り、迷いによる、悩みを解消したいけどできないジレンマかもしれません。
※合わない人が多い場合は、合わない人ばかりなのはなぜ?│原因に潜む改善は「自分のため」をどうぞ。
人に合わせたくない時の対処法
自覚のない他律ではなく、自覚のある他律の場合、人に合わせるのがとても上手であり、気づかぬ内に蓄積しているストレスもありません。
人が寄ってきたり慕われる人であり、人の心を動かすのが上手な人でもあります。
同調ではなく協調になり、自分があるからこそ、向き合っているからこそルールを認めた上でフォローし、合わせられるように相手の立場や思考、気持ちや認識に寄り添う努力をします。
[属性は卵、慣れの果てはスライム]
何にでも合う卵のように、自分色を明確に持ちながら、他と調和して統合。親子丼は今日も美味。
極めていくと誰にでも合わせられるスライムに進化し、自分色すら消して完全に相手に寄り添う、傾聴、尊重、平等、共同体意識。
卵さんは凄いね、何にでも合わせられる。しかし、このようになるかどうかは選択です。
「私は私」となれるのが私達人間です。
まずは自分をしっかり理解する。
これは基盤であり、人生を選択して創作するための大前提です。
人に合わせるのが苦痛な場合、自分を理解し、軸をはっきりさせる大切さがあります。
この上で対処法がありますので、ご参考にされてみてください。
※軸の詳細は、【軸は繋がっている】他人軸と自分軸の特徴│違いに潜む本質 をどうぞ。
対処法①:「はいはい」と受け流す
個人主義の在り方が強い場合、他と混ざるとキンキン反発します。
油のように馴染まず、時に他を全て包み込み、味を牛耳る強さにもなります。
どれだけ馴染ませても分裂するので、個の分散はあっても調和がありません。
中には、「人に合わせてしまう」と合わせる能力がありながらも反発する、隠れ油さんもいます。
人間関係での合わせる行為は自らを苦しめるか、トラブルを作る可能性があるので、対処法は拒否せず受け入れもしないこと。
「はいはい(そういう考えもあるよねぇ)」と流します。
スーと流すためには一旦受け止める自然なプロセスが起きるので、拒否はしないでウンウンして、「なるほどね(あなたはそう思うんだ)」
受けて、入れない。
受けて、流します。
これによって人間関係での反発となる拒否をなくします。
対処法②:受け入れられる人のみ合わせる
誰しもに合わせる必要などありません。
受け流すのが上手になった後、少しでも合わせるのを受け入れられる人を見つけると、人生は大きく変わります。
受け流しは相手の意見やスタンスを一旦認識するので、一方的な毛嫌いや拒否が起きず、聞く力を高められます。
受信スタンスは個人主義の過剰を抑え、自分とは[自+他]で構成されている理解へ繋がる重要アイテムです。
受けてみて喜んで認められる、迎え入れられる人がいれば、その人に対しては合わせる努力をします。
相互交流の育みによって、人に合わせる意味や楽しさ、自分一人ではわからなかった領域の理解へ入り、相互の作り出しは創作だけでなく表現を含めて価値を増大させられます。
価値は納得や満足になり、社会や他者への調和や貢献にもなり、一人で生きる基盤強化にもなり、選択肢の拡大によって世界は一気に広がります。
ぜひ、聞く大切さを実感されてみてください。
※人混みで疲れる際は、【解決体験】人混みが苦手で疲れる原因と解決策「海外に行くとわかる」をご覧ください。
人に合わせるのが苦痛で嫌い まとめ
「人に合わせるなんて自分がなくなる」と思うかもしれません。
実際には、受け入れ許容を広げる経験の物語りだったりします。
しかし、自覚のない他律による同調、自分で作っていない他のルールへの無思考な従順では、自分がなくなってしまう可能性があり、自覚がないからこそ利益とみなせるトンチンカンが起きます。
社会のルールはトリッキー、なんとも中身が希薄です。
中身がないものに良いも悪いも見出せはしません。
そのため、私達ができるのは物事や自他の理解であり、自分ではどう思い、どう認め、どう受け止め、どう受け入れるかの選択です。
選択するためにも自己理解が鍵を握ります。
自己理解するためにも、人に合わせるのが嫌いであることがポイントになると考えます。
私自身、人に合わせることへの違和感や抵抗が強く、我慢して合わせてきましたが、自分と向き合って少し素直になった段階で、「いやなにこれ、もう完全に苦痛で嫌いじゃ!」と自覚しました。
あれは日本を出て一カ国目のニュージーランド。受け入れられる人を見つけた時、ポイポーイと不要な鎧を放り捨てるように、人に合わせることへの苦痛が手放されました。
物事は方法がわかるとスムースに改善できます。
そのため、再三になってしまいますが自己理解が大基盤になりますので、ここでの内容で思い当たるものがご参考になれば幸いです。
それでは、人に合わせる苦痛のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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