心理と特徴

食事に興味がないのは自分を理解する喜び|偏食も少食も自然なこと

食事する理由は人それぞれにあり、ご飯を食べることは常識ではありません。

食事に興味のある人がいれば、興味がない人もおり、特に子供は大人よりも興味がない自然な傾向があります。

世の中にはたくさんの人がいます。

食事に興味がない理由には心の認知からわかる意味があり、悪いことではなく自分の理解度がわかる大切な意味があります。

ここでは、
食事に興味がない意味と理由
食事に興味がない人の特徴
少食になる理由
食事に興味がない子供の理由
をお伝えします。

私は食べることに一切の興味を持たずに生きていた期間があります。それはネガティブな思いを基にした理由ですが、食事に興味がなくなる理由や意味を理解することで、今ではポジティブな気持ちで、「食べなければならないことはないなぁ」と心から食事に興味がない状態です。

大人でも子供でも食事に興味がなくなる可能性や意味について、悩みとなっている方に役立つことを願い、食事に対する私達の認識を紐解きます。

それでは、食事の世界をご覧ください。

食事に興味がない

食事に興味がない理由

食事に興味がないのにはいくつかの理由があります。

食べることの意味として一番わかりやすいものは、肉体維持をして生きるためです。

そのため、根本の認識は、「生きていればそれでいい」です。

そこに人間らしさを追加して、より喜びのある肉体を維持して健康的になるために食べます。

食事する意味は、肉体が喜び、健康になるため

※生存活動を喜んでできる基盤作りとして、肉体のために食事をする

喜びがなく、健康にならないのであれば食べる理由はありません。

食事する意味がありますが、人それぞれに“喜び”だけをとったり、“健康”だけを優先する場合、それは“肉体のため”という状態ではなくなり、食事への興味が作られます。

 

肉体のための食事ではない場合、食事に興味が湧く

喜びのみを求める場合、体の健康を考える意識は薄れます。

食べるものがジャンクか自然物かどうかは関係なく、“自分の体の意見を聞かない”ということが起きます。

体が何を求めているか、どんな栄養素を欲しているか、無視しちゃいます。

同様に、健康のことだけを考えると、栄養素や必須アミノ酸やミネラルやカリウム摂取量などを数値として理解しようとするかもしれません。

すると、“自分の体にとって必要な健康”とは別に、“社会的な定義として健康に必要な食事”という病院目線の思考に則ります。

それらの状態にあるのは、“脳の思考が納得するための食事”です。

すると、何を食べたか認識することで喜び、みんなと同じように体が動かせることに健康だと思い、肉体のためだと思い込む脳のために食事するようになります。

食事することが楽しくなり、何を食べるかを考えるのが喜びになり、何を食べているかを認識して喜びます。

 

体の意見を聞くと自然と食事に興味がなくなる

体の大きさや生活環境、人との交わりにあるストレス量、そして何より肉体の稼働量と脳の使用量にて、人それぞれに肉体が喜ぶための食事の量も質も何もかもが変わります。

食事は脳が、「よし、今日は三回も食事取ったから健康なはずだ」などと思い込んで喜ぶためではなく、“肉体が喜ぶかどうか”が大切なので、食べる本人が“健康的な感覚”を感じることで心からの喜びとして気持ちを感じます。

肉体のために食事すると、自分自身で健康的な感覚を把握して喜びが生まれる

※健康的な感覚とは、血の流れ、リンパ液の流れ、経絡の流れ、活力、エネルギー循環、モチベーションなど

健康的な活力や脈動溢れる生命力というのでしょうか、“生きている感”や、“体に抵抗なく活動できる喜び”が感覚や気持ちとしてあります。

自分の感覚で肉体維持に必要な量のエネルギーとして食べ物を摂取して体が満足するので、“自分の体に必要な満足”以上に何かを食べようとすることはなくなり、必要以上の摂取すると食事に興味がなくなります。

 

食事に興味がないのは肉体を尊重して必要以上に欲しないため

肉体を健康的に維持するために食事すると、必要以上を求める食べ方はしません。

社会的な概念を当たり前にすると、必要以上に食べ過ぎていることに気付かなくなる可能性があり、肉体の意見を聞いたり尊重することを忘れてしまうかもしれません。

食事に興味がない人で太っている人はいません。

太りにくい傾向はあると思いますが、太らないのは単純に必要以上に食べないからです。
太ろうとすれば太りますが、体の意見を聞くと必要以上に食べることで苦しくなり、気持ち悪くなり食べるのを止めます。

体の意見を聞いて肉体が喜ぶために食事しているので、体が満たされれば食事は終了します。

すると、少食だったり、食べ方が独特だったりと特異性が表れます。

 

食事に興味がない理由一覧

肉体が満たされて必要以上に食べないこと以外にも、心の傷や過去のトラウマから、食事が苦手だったり楽しくないことで食事に興味がない場合もあります。

食事に興味がない、または興味がなくなる経験にて起きる理由をまとめるとこのようになります。

食事に興味がない理由
  1. 肉体の意見を聞きながら、自分に見合った食事をすることで必要以上を求めない
  2. 自分を理解して肉体が満足していることで食事に興味がない
  3. 食事が苦手、楽しくないことから食事に興味がない
  4. 食事に対するトラウマがあることで食事に興味がなくなった

少食になる

食事に興味がないと少食になる特徴があります。

年齢と共に食べる量が減るということを聞くことがあるかもしれません。

年齢と共にエネルギー消費が少なくなることで、必要なエネルギー摂取量が少なくなり、自然と食事量が少なくなります。

同様に、子供の食べ盛りの時期でも食事の量が減り、少食になることがあります。

その理由は、“自分の体の意見を聞くから”です。

 

なんのために食事をしているのか?

『肉体のためなのか?』
『脳のためなのか?』

どちらを目的にしているかにて、食事の意味が大きく変わります。

脳のために食事すると必要以上に食べられます。

食べる食事の味やにおいや感触、そして色彩や見た目までも食事する意味になり、脳の喜びはわんさかパーティ状態です。

さらに、ホルモン分泌による幸福ホルモンの関係から、“砂糖”、“動物性脂”、“うま味”を摂取すると幸せな気分になるために、それらが含まれる食べものを欲します。

そこには約束された脳の満足と納得があるので、摂取しない手はありません。パーティは最高潮です。

しかし、肉体の意見を聞くことを忘れる可能性があります。どちらを選択するかは人それぞれです。

 

肉体のために食事すると心が伴い、少食の喜びが生まれる

脳のために食事することに何も悪いことはありません。ストレス社会ではジャンクにお菓子、エナジードリンクに脳の刺激はクラブミュージックでフォー!最高です。

肉体のための食事、「精進料理、ちーん…」かと思いきやそうはなりません。

人によってはなるかもしれませんが、仕事内容や生活習慣や環境にて何を食べるかは完全に人それぞれです。

肉体の喜びを意識すると心の認知が伴います。すると、感覚や心の気持ちをより感じるようになり、腸内ホルモンから分泌される幸福ホルモンにて幸福を感じるようになります。

さらに、自分の体が喜ぶことは自分を大切にすることですので、自分を敬う愛を自ら感じるようになります。

肉体のための食事では心からの満足を感じるようになり、少食になったからこその喜びを体感しやすくなります。

少食であることに喜びがあり、体内からの活力と同時に幸せを感じ、さらに自分への敬いによる心地良さを感じ、縁側でゆっくりフワァ~です。最高です。

 

喜びを感じるための基盤作りとして体の健康を敬う

体の意見を聞いて少食になる理由には、食事自体へのフォーカスではなく、食事以外にて“自分で自分を喜ばすための基盤作り”の概念もあります。

食事で喜びを実感せずとも、健康維持することに無意識の喜びがあり、食事に重きを置く概念がなくなります。

体を理解して、その日その時の自分に必要なエネルギー摂取をすることで、健康的に行動できる肉体維持が目的になります

仕事や趣味、好きなことや楽しいことを精一杯できるように自分の体を最善な状態にすると、必要以上に食べて体に負担をかけないことや、抵抗や不純物をなくし、活力を生み出すための体の敬いとなり、自然と少食になります

脳の思考もクリアになり、創造性も独創性も高まり、体の機能や自分の能力を発揮する基盤作りとしての食事への考え方が作られます。


※食べ物や味覚が変わる話は、食べ物の変化と味覚の変化で幸せが始まる|意識と波動で変わる体さん をご覧ください。

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食事に興味がない人の特徴

体の意見を聞くことで食事への認識が変わります。すると、食事に興味がない人には独特な特徴が表れるので、順番に見ていきましょう。

1、食事の食べ方が自由

食事を一回二回という捉え方をせずに、“一口二口”の人もいます。すると、一口食べたら食事は終わりです。

その後、また体が栄養を求めたら一口食べるので、食事に10分も20分もかけずに体が必要な時にエネルギー摂取します。

食べる量が少なかったり、少し食べて終わり、でも少ししたらまたちょっとだけ食べたりを繰り返します。また、同じものだけを少し食べたりします。

子供だったら親に怒られる食べ方です。しかし、それが自分の体の意見を聞き、尊重する食べ方です。

 

2、脳の思考以上に感覚や感性優位

肉体ではなく脳が喜ぶために食事すると、さまざまなことを思考で考えます。

社会的なルールとして、タンパク質、糖質(炭水化物)、脂質がエネルギーを作るために必要で、体を作るためには必須ミネラルである、ナトリウム、カリウム、塩素、カルシウム、マグネシウム、リン、鉄、亜鉛、イオウ、銅、コバルト、マンガン、クロム、ヨウ素、モリブデン、セレンが必要という知識を適応させます。

さらに、食事は1日3回朝昼晩、野菜だけとか、お肉だけなど、さまざまにルール設定をすることで、肉体を無視して脳を納得させるために食べることになります。

食事に興味がない人はここら辺の思考知識以上に、自分がどう感じるかの感覚や、どう認識するかの感性を主体にします。

 

3、自分の喜びが何かを理解している

食事に興味がない人は自分の意見を確立して、自分を理解しています。

自分の肉体が喜ぶ食事の量や内容を感覚から理解し、肉体が喜んでいることを知っています。

満足したにも拘わらず、無理矢理に体に入れ込むことは拷問以外の何ものでもない辛い地獄。

自分を苦しめることはせず、感覚と感性から心の気持ちも認識して、自分の喜びを理解する特徴があります。

言い方を変えると、自分の世界を持って幸せを求める人で、自分を大切にします。

 

食事に興味がなくなる原因

これまでの内容をご覧いただくと、少し疑問に思うことがあるかもしれません。

肉体の喜びと健康のために食事している場合、実際は“食事に興味がないわけではない”ということです。

少食だったり、偏食だったり、食べ方が奇妙だったりするので、興味がないように見られますが、“興味があるもないもない”という状態です。

自分なりの食事を肉体のためにする人は、食事に興味がないと周囲に思われます。

しかし、“食事が苦手で楽しくないことから食事に興味がない”場合、明確な原因があります。

 

食事に良い印象がないと食事に興味がなくなる

私を例にすると13歳以降偏食です。誰かに作ってもらう環境がなくなり、食生活は一変します。

食生活が変わったことで起きたことは、“食事が辛い時間”になったことです。

その後の食生活は23歳のある日まで偏食。
高校生の時は1日のご飯はコンビニのおにぎり一つとガム一箱で、18歳からは都内で一人暮らしをして学生時代に働いていた深夜バイトの残り物コンビニ物質を食べ、自炊してもキャベツと白米程度しか食べません。

これは、自分の肉体の喜びを把握して満たされていることから食事に興味がないのではなく、食事自体に嫌悪感を感じる過去の心の傷にて、食事に興味がない状態を自ら作ります。

思い出したくない過去としてのネガティブな思いが、〔食事の時間〕〔食卓〕〔誰かとご飯を食べること〕〔食べる行為〕などにこびり付きます。

食事に興味がないのは、食事への辛さや苦しさ、楽しくない記憶が頭のどこかにこびりついている。

“悪い印象”や“負の思い出”が根深く強く心に刻まれていることで、食事の時間や人とご飯を食べることへの辛い苦手意識が浸透していき、時間が経てば経つほどに、自分なりに食事との関係性を構築するので、完全に興味がなくなります。

しかし、食べなければ肉体が朽ちてしまうので、食事はお腹に何かを入れる時間としてなるべく早く、簡単に終わるようにします。

 

食事に興味がなくなる原因を作る存在

過去の記憶で、“食事に対してのネガティブなイメージ”が付いていると、それを主張するために食事に良い印象を付けないように脳が働きます。

そこには“嫌悪感”があります。
それは食事に対してではなく、食事の時間を心地悪くした人に対しての“嫌悪感”です。

 

食事に興味をなくさせた人への嫌悪感

食事の時間を心地悪いものにした人への嫌悪感が拭えないことで、食事に興味がなくなります。

心の傷やトラウマの基となるのは恐怖心でして、自分を否定されることへの恐怖です。

小さい頃の食卓に愛がなく、エゴや心地悪さ、押し付けや決め付けにて強制や強要、無理矢理に食べさせ、説教、嫌み、暴力をふるうような存在がいることで、食事の時間は恐ろしくなります。

暴力や脅しにて食べさせようとする行為と、怒ったり説教をして食べさせることは同じ脅しであり、恐怖の植え付けです。

このような存在からの記憶を認められずに滞っていることで、その記憶を主軸として食事から距離を取るような在り方が作られます。

 

愛のない食卓では食事が苦手になり、興味がなくなる

食事の時間への恐怖の記憶、そこには愛のない食卓が常にあります。

愛がなければないでいいのですが、愛の反対の恐怖となるエゴを与えられることで、食事の時間が辛く地獄の時間になります。

食事中に泣くようなことがあれば、もう心はズタボロにされています。

無理矢理に食べさせられても、従おうと自分を苦しめることを受け入れます。それは拷問を自ら受け入れる意志です。

しかし体が拒否して食べてくれない、食べなければ恐ろしいことが待っていて、どうしたらいいかわからずパニック。嘔吐までして、完全にトラウマになります。

子供や幼少期であれば、親と一緒に食卓を囲むことが多いと思います。その環境に愛がなければないで子供は自分の愛を優先して、自ら肉体を喜ばす時間に認識を切り替えます。

しかし、愛がないだけではなく子供自身の喜びをも否定して、「この子は食事に興味もない、私に興味もない」と思い込み、愛と反対のエゴの時間を与えられることで食事に興味がなくなり、嫌悪感のある恐ろしい時間が完成します。

そこにあるのは、“押し付け”です。

恐怖を与えられることでストレスを作り、食欲がなくなり、食べられるものもなくなり、アレルギー反応としての拒絶も生まれます。

このことを理解していると食事への見方を自分なりに作ることができますので、ぜひ参考にしてみてください。

※食事はいらないスピリチュアルな話は、スピリチュアルな食事はエネルギー|食べる必要がなくなっていく?! をご覧ください。

スピリチュアルな食事はエネルギー|食べる必要がなくなっていく?!生きるために食べていた時代が終わり、何のために食べているのかは個々に考える時代がやってきたのかもしれません。 私達には肉体があるの...

 

食事に興味がない子供

食事に興味がない子供とは

食事に興味がない子供は生まれた時から食事に興味がないので、後天的に興味がなくなるネガティブな理由ではなく、自分の喜びは自分で把握して肉体を維持するために食事をしっかりとります。

自分に必要な栄養素や量や質を感覚的に理解して、食事によって得る自分の喜びを明確に感じています。

 

子供は肉体維持のために食事を摂取する

子供は脳の満足のために食事しません。

自分の食べ方や食べる量や質があり、どれが健康維持や肉体維持に良いかを“喜びの感覚”から理解します。

心と肉体が連動していることから、心で喜びを感じることで心も肉体も満たされた状態を食事で作るのが子供です。

心が満たされれば肉体も満たされ、肉体が満たされれば心が満たされます。

しかし、満足の基準は人それぞれで、「痩せているから満たされていない」「太っているから不健康」「一日一食だからダメ」「決まった時間に食べないから良くない」「言うことを聞いて食べるから健康」みたいな思考の決められたルールはありません。

子供は生まれたばかりであればあるほどに心を主体に生きて、思考を育みながら生きていきます。

その際には、心と連動した肉体の感覚から喜びを求めると心地が良いので、子供が行動する動機は“愛”になります。

愛を感じると心地が良いので、自分が愛の喜びを感じること、周囲の人から愛の喜びを感じることに従います。

心地良さが周囲になければ“自分の愛”をフォローするので、食卓の雰囲気や状況以上に自分の食事の在り方をして、子供それぞれに食事の量が少なかったり、偏食だったりの行動になり、食事に興味がないと思われてしまいます。

 

食事に興味がない子供はいないが、興味がないように勘違いされる

「この子は食事に興味がない」と思う場合、思い込みと決め付けの可能性が非常に高いです。

私が子供の時は食べられるものが決まっていました。肉や魚は食べられず、野菜を好んでいたのですが、野菜でもピーマンとかきゅうりとかが好きでそればっかりのグリーンキッズです。

そこで無理矢理に食べさせようとするとアレルギー反応が出たり、風邪や熱や病気になったりして、拒否反応や拒絶状態が膿のように様々な症状として表れます。

食べている本人は食事に興味がない自覚はなく、自分の肉体に見合ったものを喜んで食べます。

肉体の喜びが優先なので、味や食事の雰囲気がどうとかではなく、食べている触感や味覚や嗅覚、料理の視覚やモグモグしている時の口の中の音を感じながら、集中して楽しんでいます。

愛も恐怖もなければ自分の愛を主体にした食事の時間を作るのが子供であり、創造性の塊です。

 

愛のあるなしで食事への興味が変わる子供

子供は肉体維持のために食べる認識を持ち、自分の愛を感じることが全ての主体です。

そのため、愛情のこもったご飯を食べると心地良くなり、そこにある感覚やエネルギーを楽しみます。

「おいしいもの」という思考的な理論を求めておらず、“心地良さ”を求めているので味以上に愛があるかどうかを優先し、同じものを求めます。

 

愛のある食卓は楽しくて興味のある時間になる

食事の時間、子供は食べること以上に、自分で楽しみを作って心地良さを味わえる時間にしようとします。

そのため、愛が食事の時間にあるかないかは子供にとって大きな問題ではありません。

しかし、エゴがあれば大変です。

愛があれば自分の喜びの時間からシフトして、親や周囲の人からの愛を感じることを優先します。そちらの方が心地良いからです。

特に母親からの愛を感じることは、子供にとってはより心地が良いものです。

子供は食事に興味があるのではなく、食事の時間に興味があり、“食べることをする時間”に喜びが生まれる認識になります。

子供は肉体維持のために食べるので、体が喜んでいればそれで終わり。思考のために食べているわけではなく、少し食べてその時は満足して、また直ぐに食べたくなれば体が求めていることだと認識しているので食べる。

子供それぞれの体の大きさや生活環境や人との関わりや脳や体の稼働量から、その日その時の食べ方や食べるスタイルが作られ、そこに常識やルールや仕来りに準ずる思考はないので、自由に見えたり食事に興味がないように見られます。

 

子供は脳の快楽にはまりやすい

子供は喜びを純粋にフォローするので、強烈な甘さの化学物質などを与えると脳は驚くほどの快楽を憶えます。

それは一年間の断マシュマロをした後に、焙りマッシュを泡吹くほど食べた時の脳の衝撃のように、強烈な記憶と快楽への欲求を作ります。

心と肉体の喜びにて体を維持するための食事が脳を喜ばすための食事となり、自分の肉体も考慮しないお菓子だけ、チョコだけ、飴だけのカラフルキッズになり、超絶な不健康を極めます。

特に砂糖と動物性脂とうま味の成分による幸福ホルモンを味わうと強烈な刺激を感じ、はまります。

喜びや愛への線引きがないので、自分という存在が体でも脳でも心でも喜べばそれを求めるようになり、頭の中はパーティ状態です。

そのため、子供にとって思考制御不能なジャンク、お菓子などを制限してあげることはとても大切になります。

※子供から見える世界は、子供に好かれる人の明確な理由|小さな大人は仕事の協力者になる をご覧ください。

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食事に興味がない まとめ

食事に喜びを求めるのは肉体維持のためか、脳が納得するためかは人それぞれです。

心が満たされていれば食事の量は自然と少なくなります。さらに子供のような心の感覚や感性を主体に生きることで、自然や大気中のエネルギーを無意識に吸収するので、より食べる量や質が変わってきます。

食事が苦手であったり楽しくない過去の記憶から興味がないとは別に、子供のように心を主体にして生きることで、自分の肉体に見合った食べ物を理解するので、食べる量が少なくなり、食べるものも偏ったりします。

そのため、食事に興味がないことで欲が少なかったり、同じものしか食べないので変な人に思えるかもしれませんが、それは自分を理解していることであり、脳の思考による思い込みや決め付けのみんなのルールに従うのではなく、自分の体を知り、喜びを知り、満足を知ることで、何が必要で必要でないかを体感として認識します。

食事に興味がないことは悪いことでもなんでもありません。自分を理解していることからの自然な行動です。

そんな食事への見方があることを知ると、より気楽な食事の概念が生まれるかもしれません。

それでは、食事に興味がない話を終了します。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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