心理と特徴

【食に興味がない人の特徴と心理】偏食も少食も自然な自己理解と喜び

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食事する理由は人それぞれにあり、ご飯を食べることは常識ではありません。

食に興味のある人がいれば、興味がない人もおり、特に子供は大人よりも興味がない自然な傾向があります。

食に興味がない理由には心と自分の理解が深まる大切な意味があります。

ここでは、
食に興味がない人の特徴と心理
少食になる理由
食に興味がない理由と原因

をお伝えします。

私は食べることに一切の興味を持たずに生きていた期間があります。

ネガティブな思いを基にした理由ですが、食に興味がなくなる理由や意味を理解したために今では、「食べなければならないことはないなぁ」と心から食に興味がない状態です。

大人でも子供でも食に興味がなくなる可能性や意味について、悩みとなっている方に役立つことを願い、食に対する人間の心理を紐解きます。

それでは、食の世界をご覧ください。

食に興味がない人の特徴

食に興味がない人の特徴9選

独特な特徴が表れます。

1、食事の食べ方が自由

人それぞれに食べ方がさまざまです。

食事は一回二回ではなく一口二口、体が栄養を求めた時だけ食べる、同じものだけを少し食べるなど、食べ方が自由であり、肉体の状態や状況に合わせた方法をとります。

 

2、思考以上に感覚や感性優位

社会的なルールである、タンパク質、糖質(炭水化物)、脂質が必須ミネラルで、ナトリウム、カリウム、塩素、カルシウム…むにゃむにゃという知識を適応させません。

食事は1日3回朝昼晩、野菜だけ、お肉だけなど、さまざまにルール設定をしません。

他の情報を基にした知識以上に、自分がどう感じるかの感覚や感性を主体にします。

 

3、自分の喜びが何かを理解している

肉体が喜ぶ食事の量や内容を感覚から理解し、肉体が喜んでいることを知っています。

満足したにもかかわらず無理矢理体に入れ込むことせず、自らを苦しずに喜ばそうとする合理性が見える特徴です。

 

4,我慢強い

幼い頃からの生活環境にて自然と養った我慢強さを持ちます。

我慢が当たり前になると、何かを欲する以上に肉体に変化を作らない在り方となり、あれこれと多種多様、多量に食べることがなくなります。

 

5,少食

やせ型の少食。

太る理由がどこにもないと、誰しもがわかる食生活をします。

 

6、ネガティブ感受が強い

お腹いっぱいになった時の、「おいしいものをたらふく食べた」という満足感以上に、肉体の苦しみを感受する傾向があります。

ポジティブを得る以上に、ネガティブを得ないことを求め、不利益や損害(危険、不安、恐怖)回避を強く求めます。

 

7,食に興味がないわけではない

興味があるもないもない。必要であれば欲し、必要でなければ欲しないと、自然なさまです。

植物や虫や動物のように必要以上を欲しないさまがあり、独占欲や支配欲がなく、我欲が少ない特徴です。
※我欲とは他によって自らを満たそうとする欲

 

8,創作力がある

創作意欲があり、物事を作り出す(作り出せる)人です。

物事を創造し、喜びを生む出し、楽しみを見出します。

感覚優位ですが何も考えないわけでなく、感覚も思考も共に使用し、感性も知性も持ち合わせます。

 

9,自己認識力が高い

自分をよく見て知っている特徴です。

自らを内側からも外側からも捉える目線を持ち、自らを俯瞰的に捉えられる人です。

認識力が高いために、自分だけでなく他者や物事を客観的に捉えるのが上手です。

以上が、食に興味がない人の特徴でした。

 

食に興味があるのはなぜ?

食への興味となる一番わかりやすいものは、肉体維持をして生きるためだと考えられます。

根本は、「生きていればそれでいい」

これだけでは味気ないので人間らしさを追加し、より喜びのある肉体を維持して健康的になるために食べます。

食事するのは肉体が喜び、健康になるため。
※生存活動を喜んでできる基盤作りとして、肉体のために食事をする

喜びがなく、健康にならないのであれば食べる理由はないかもしれません。

人それぞれに食事する意味の「喜び」だけや「健康」だけを優先する場合、食への興味が作られます。

 

肉体のための食事ではない場合、食に興味が湧く

喜びだけを求める場合、体の健康を考える意識は薄れ、「体の意見を聞かない」ことが起きます。

体が何を求めて、どんな栄養素を欲しているか、感じたり考えなくなります。

一方、健康だけを考える場合、栄養素や必須アミノ酸、ミネラルやカリウム摂取量など、数値として理解することに重きが置かれ、人それぞれに違う自分の体の意見ではなく、情報との照合や比較という脳内を見るようになります。

自分の体にとって必要な健康とは別に、“社会的な定義として健康に必要な食事”という病院目線の思考に則り、脳の思考が納得するための食事になる可能性があります。

何を食べたか認識して喜び、みんなと同じように体が動かせることを健康だと思い、肉体のためだと思い込む脳のために食事するようになります。

食事することが楽しくなり、何を食べるかを考えるのが喜びになり、何を食べているか認識して喜びます。

とても大切な興味となり、食に対する欲を抱く価値観ができます。

※食欲が止まらない詳細は、「食べても満たされないのはなぜ?」│食欲が止まらない心理とスピリチュアル をご覧ください。

 

食に興味がないのはなぜ?

体の大きさや生活環境、人との交わりにあるストレス量、何より肉体の稼働量と脳の使用量にて、人それぞれに肉体が喜ぶための食事の量も質も何もかもが違います。

食事は脳が、「よし、今日は朝昼晩と3回食事取ったから健康なはずだ」と納得するためではなく、肉体が喜ぶかどうかが大切ですので、食べる本人が健康的な感覚を感じることで心からの喜びを感じます。

肉体のために食事すると、自分自身で健康的な感覚を把握して喜びが生まれます。
※健康的な感覚とは、血の流れ、リンパ液の流れ、経絡の流れ、活力、エネルギー循環、モチベーションなど

健康的な活力や脈動溢れる生命力。生きている感じや、体に抵抗なく活動できる喜びが感覚や気持ちとして生まれます。

肉体のリアルな感受を基に肉体のために食事をすると、自分の体に必要な満足以上に何かを食べようとしなくなり、必要以上に摂取すると食に興味がなくなります

 

食に興味がないのは必要以上に欲しないため

肉体を健康的に維持するために食事すると、必要以上を求める食べ方は自然としなくなります。

欲の矛先が向きにくく、欲を持てば持つほどに肉体を苦しめてしまい、必要以上に食べようとしたり、食べさせられるとますます興味がなくなります。

食事に興味がない人で太っている人はいません。

太りにくい傾向が人それぞれにありますが、必要以上に食べなければ太ることは困難。太ろうとすれば太れますが、体の意見を聞くと必要以上に食べることで苦しくなり、気持ち悪くなり食べるのを止めます。

脳ではなく体が満たされれば食事は終了。少食で食べ方が独特だったりと特異性が表れます。

 

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食に興味がない人の心理

食に興味がない人の心理:体の意見を聞く自己理解力

肉体年齢と共に食べる量が減る自然現象がありながら、子供の食べ盛りの時期でも食事の量は減ることがあります。

子供でも食に興味がない人もおり、肉体の老朽化、精神静寂による自然な興味衰退とは別に、食に興味がなくなる心理的理由があります。

考えられるのは、「何のために食べているか?」を理解する心理

「どうして私はこれを食べるのか、これだけの量を食べるのか?」に対する意味を求め、意味がなければ(または答えがわからなければ)食に興味がなくなります。

自分の体の意見を聞く人は、食に興味がなくなる。という考え方です。

 

食べる目的が肉体のためだと少食になる

「肉体のため?」
「脳のため?」

どちらを目的にしているかにて、食事の意味は大きく変わります。

脳のために食事すると、私達は必要以上に食べられます。

食べ物の味やにおいや感触、色彩や見た目までも食べる意味になり、脳の喜びはパーティ状態。

ホルモン分泌による幸福ホルモンの関係から、“砂糖、動物性脂、うま味”を摂取すると幸せな気分になると知られています。

約束された脳の満足と納得があるので、「なんかお菓子食べようかな」という具合に、無意識に摂取したくなります。

「あ、なんか美味しいそうなラーメンの匂いがする、クンクン」となれば、お腹がいっぱいでも食べようとする人もいます。

しかし、肉体の意見を聞いて肉体のために食べる場合、少食になります

 

肉体のために食事すると心が伴い、少食の喜びが生まれる

「肉体のため」と意識がある場合、お腹がいっぱいであればただただ辛くて苦しいので、食べ過ぎることはまずありません。

肉体の喜びにフォーカスすると、食べる意味や目的が肉体を苦しませず、喜ばせるためになります。

心の認知が伴い、感覚や心の気持ちをより感じるようになり、腸内ホルモンから分泌される幸福ホルモンにて幸福を感じるようにもなります。

多くを摂取する以上に少量から喜びを見出す、不利益をなくして利益を得る在り方

肉体に負担を与えず、脳の意見による誤魔化しや食べ過ぎ、欲求優位で自らを苦しませる食事がなくなり、理想と現実の狭間や曖昧さをなくした自分にとっての現実的な食事になっていきます

肉体のために食べると、脳の喜びとは別の心の喜びが追加され、少量や食に興味がないからこそ自ら喜びを作りやすくなります。

 

自分で自分を喜ばす心理

体の意見を聞く理由は、自分で自分を喜ばすための基盤作りの心理があります。

自分の体が喜ぶことは健康や生活習慣などの自己管理を大切にするさま。

「自分が何を感じ、どう思い、どう理解するか」と自らを主体に軸を持つさま(自律)が強まります。

食べ物で喜びを実感せずとも、食事による自己理解、健康維持、自己管理することに喜びがあり、食事に重きを置く概念がなくなっていきます。

体を理解して、その日その時の必要なエネルギー摂取をすることで、健康的に行動できる肉体維持が目的になり、より自分のことは自分で知り、自分で管理し、自分で喜ぼうとする意識。

他の物によって喜ばせて貰う以上に、主体と主観を明確にして、自らの意思と感覚によって喜びを作る在り方。

他から貰う快楽や快感とは別の、全く違う喜びです。

仕事や趣味、好きなことや楽しいことを精一杯できるように自分の体を最善な状態にすると、必要以上に食べて体に負担をかけないことや、抵抗や不純物をなくし、活力を生み出すための体の敬いとなります。

思考がクリアで創造性も独創性も高まり、体の機能や能力を発揮する基盤作りとして、食への興味有無が作られます。

自らが喜びを創造できる場合、自然と少食になり、食への興味が少なくなります。

 

食に興味がなくなる原因

食に興味がなくなる原因

自分なりの食事を肉体のためにする人は、食に興味がないと周囲に思われやすくなりますが、実際は食に興味がないわけではありません。

興味があるもないもないというものです。

私達は記憶を基に「自分」が構成されて、価値観や観念を作って考え方や生き方を作り、欲の見出しや矛先を決めます。

食事に対して「良い印象」を付ける記憶が少なく、「悪い印象」を付ける記憶が多ければ、心理的に食に興味を持つ動機も理由もなくなります。

自己理解や肉体の意見を聞いて食事する場合には、食に興味があるもないもない状態ですが、食事への負の記憶がある場合には意識的に食に興味をなくします。

例えば、食に興味がないことで自分で喜びを作れますが、周囲からの理解を得られないと干渉が増え、「興味がないなんておかしい」と無理に食べさせられる可能性があります。

自分で喜びを作る楽しみや、食べる意味や目的を破壊されてしまいます

自己認識を壊される不利益や恐怖を与えられ、干渉は抑圧となり、自分という存在でいられない苦しい縛りとなり、食事への嫌な記憶が強まります。

成育して独立した暁には、解放されるように食に興味を持たなくなります。

 

食事に良い印象がないと興味がなくなる

私を例にしますと13歳以降偏食です。誰かに作ってもらう環境がなくなり、食生活は一変。

その後は23歳のある日まで偏食。

高校生の時は一日のご飯はコンビニのおにぎり一つとガム一箱。深夜バイトの残り物コンビニ物質を食べ、自炊してもキャベツと白米程度しか食べませんでした。

自分の肉体の喜びを把握して満たされていることから食に興味がないのではなく、食事自体に嫌悪感を感じる過去の記憶にて、食に興味がない状態を自ら作ります。

過去のネガティブな記憶を認められないと、〔食事の時間〕〔食卓〕〔誰かとご飯を食べること〕〔食べる行為〕が食の興味をなくそうとします。

悪い印象や負の思い出が心に刻まれていると、食事の時間や人とご飯を食べることへの苦手意識が浸透し、時間が経てば経つほどに自分なりに食事との関係性を構築して、完全に興味がなくなります。

※ジャンク食への依存については、ジャンクフード依存にスピリチュアルな意味│カルマが関わる屑食欲求 をご覧ください。

 

原因を作る嫌悪感

過去の記憶が原因で食に興味がなくなると、記憶を主張するように食事に良い印象を付けない脳の働きが起きます。

食に対してではなく、食事の時間を心地悪くした人に対しての嫌悪感が、興味をなくさせます。

食卓に愛がなく、エゴや心地悪さ、押し付けや決め付けにて強制や強要、無理矢理に食べさせ、説教、嫌み、暴力をふるう存在がいることで、食事の時間は恐ろしくなります。

このような記憶を認められず、記憶を主軸として食事から距離を取るような在り方が作られます。

 

愛のない食卓では食事が苦手になり、興味がなくなる

食事への嫌悪感は、愛のない食卓に基づきます。

愛がなければないで問題ではありません。しかし、愛を否定して拒否するエゴがあると食事の時間が辛く地獄になります。

食事中に泣くようなことがあれば、もう心はズタボロにされています。

特に子供であれば親や強い者からの干渉に対して、自分を苦しめて従うことを受け入れます。

しかし体が拒否して食べられない、食べなければ恐ろしいことが待っていて、どうしたらいいかわからずパニック。嘔吐までしたら完全にトラウマ。

食事の時間が楽しく愛のある記憶であれば、食に興味を持つ動機と理由が生まれ、食べ物に興味がなくても食に興味を持とうとし、欲を食に向ける価値観が作られます。

食事空間の愛か恐怖。

恐怖が多いと食事への嫌悪と苦手意識が強まり、元々の自己認識や自律意識の高さによって、興味を抱く理由がなくなります。

 

食に興味がない まとめ

食事に喜びを求めるのは肉体維持のためか、脳が納得するためかは人それぞれです。

心が満たされていれば食事の量は自然と少なくなります。

子供のように心の感覚や感性を主体に生きると、自然や大気中のエネルギーを無意識に吸収しますので、より食べる量や質が変わってきます。

肉体に見合った食べ物を理解するために食べる量が少なくなり、食べるものも偏ります。

欲が少なかったり、同じものしか食べないので変な人に思えるかもしれませんが、自分を理解している心理があります。

他の情報やルールに従うのではなく、自分の体を知り、喜びを知り、満足を知ることで、何が必要で必要でないかを体感として認識します。

食に興味がないのは悪いことではありません。

自分を理解しているが故の自然な行動であり、自ら喜びを作る在り方です。

人によっては過去の記憶にある心の傷やトラウマが原因となり、食事への距離を取る在り方を作っている可能性もあります。

記憶を認められないことで食への距離となるため、自分を知ると食への距離感は自由に調整できるようになります。

食への見方が世間的には定着しているかと思いますので、より幅広くご自身の食への向き合いを知っていただき、自らが興味有無を作るようになると良き塩梅かと思います。

偏食も少食も心理次第で自然なさま。

何より重要なのは、「何のためにどうして、どれだけの食べ物や命を摂取しているか?」の自分にとっての答え。

食べるものは自分で決め、喜びのある食事を作っていかれてください。

それでは最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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