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【人といると疲れる、けど寂しい】他人との関わりが苦痛になる心理と改善

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人といることは時に嬉しく、時に苦しく。疲れるけど必要。

一人が好きだけど孤独は苦手で寂しくなる。そんな気持ちがあります。

人といると疲れるけど、いざ離れると寂しいという相反する混在は、他人と一緒にいる時間を苦痛にします。

理由は、自分のことしか考えていないのに自分のことを考えていないからです。

ん?
明らかな矛盾があります。

ここでは、人といると疲れて苦痛になりながらも時に寂しくなる理由、改善方法を心理を交えてお伝えします。

  • 人といると疲れる、けど寂しい心理とは?
  • 人といると苦痛になる原因とは?
  • 疲れるけど寂しい時の改善はどうすれば?

これらの紐解きを知っていただき、苦痛と寂しさの緩和を目的にした改善を目指す内容となっております。

ご自身の内側を知る一助となれば幸いですので、人との関わりにある疲れと苦痛、同伴する寂しさの正体をご覧ください。

人といると疲れる、だけど寂しい

人といると疲れる理由

一緒にいて疲れるのが特定の人に対してか、誰しもに対してかによって、疲れる理由が変わります。

特定の人の場合はエネルギーを取られている可能性があり、一緒にいるからこそ疲れます。

特定でない場合には本人に疲れる理由があります。

人といると疲れる理由の区分け
  1. 関わる人からエネルギーを取られ、疲れさせられる
  2. 自らが疲れる理由を作って人と関わる

一つずつ見ていきましょう。

 

人といると疲れる理由その①:関わる人に問題あり

「一緒の空間にいるだけで疲れる、もう嫌だ、眠くなってきた、何だこの人」

このような場合、一緒にいる人からエネルギーを奪われて疲れます。

奪う方法は“ネガティブな同情”です。

愚痴や否定、批判に文句、泣き言に怒り。これらを用いて同情を誘い、同情に乗った場合にはエネルギーを奪い取られます。

同情する気がなくても、自然と同情してしまう人もいます。

心理学では“HSP”、スピリチュアルでは“エンパス”と言い、感受共感性が高いために自然と相手に飲み込まれ、愚痴や否定など自分のためだけを目的にして関わってくる人に対して人一倍疲れやすく、関わりに恐れを抱く要因にもなる気質です。

※エネルギーを取られて疲れる詳細は、エネルギーを奪う人の特徴と真意│人の幸せを奪うこと をご覧ください。

 

人といると疲れる理由その②:本人に問題あり

もう一つの理由は本人です。

人との関わりの場をコミュニケーションや交流、楽しみや喜びとは捉えず、自らに負担を作る場として認識すると、疲れを自ら作ってしまいます。

典型的な例は、気を使う、体裁を気にする、誤魔化す、嘘をつく、自分を隠す、自分のことを考えない、相手のために関わる、などの在り方です。

自分を露にせず、相手が喜ぶための自分を作り、相手に合わせて話し、出かけ、同情して意見を取り繕い、相手の気持ちを優先します。

特に、人のために尽くすことを義務化すると、とにかく疲れます。

まるでノルマを課せられているように、相手に得や利益として喜びや満足や納得を与えるタスクを持ち、嫌々仕事するような疲労となります。

他人と一緒にいることが苦痛になり、人間の嫌な所を探し出すようになり、人間を蔑み嫌悪を抱く原因になります。

本人が理由を作っている場合、人といるのが疲れるけれど寂しい、好きまでいかないけど一緒にいてほしい、いつもは人といたくないけどたまに一緒がいいと、抱く理由となります。

※人間嫌いになる詳細は、人間嫌いでいいじゃない。動物好きな特徴から見える意志と人間性 をご覧ください。

 

人といると疲れる、けど寂しい心理

本人が疲れる理由を作る場合、他人と一緒にいると疲れ、しんどく、苦痛になります。しかし、人から離れると寂しくなり、一人は好きでも孤独を嫌がる特徴が表れます。

人といるのが疲れて苦痛である紛れもない体感があるので、「一人の方が良い」と明確に認識するのですが、一人が大好きではなく、「一人が気楽」という具合だと考えられます。

実際に人が嫌いなわけではなく、一緒にいると明らかな不利益(疲れる、苦痛など)があるので距離を取りたくなります。

そこで寂しいと思う場合にはある心理が考えられます。

人と離れたくないのに離れているからです。

明確な不利益があるので本気で離れたい欲求が自己防衛として働き、「本当は離れたくない」という状態ではありません。

寂しいと思う理由は、離れたい真意がありながら実際に離れたらなんか違う。
嫌いなのに実際に嫌ったらなんか違う。
離れたら離れたくない気持ちが出てきた。
好きじゃないのに離れてほしくない。
とりあえず離れないで欲しい。

離れたい欲求がありながら、実際に離れる現実が伴うと欲求がすり替わる状態には、「人がどうこうではなく、望む環境が欲しい」という欲求が真意としてあるかもしれません。

望む環境とは、恐怖を味わわない環境。

恐怖のない環境とは、危険や苦痛や拒否したくなるさまがない意味です。

一緒にいると疲れる拒否したい状態と、離れて愛をもらえなくなる苦痛。

どの状態が自分にとって一番利益があるかを見て人と関わることで、人といるのはしんどいけど寂しい、一人が良いけど寂しがり屋となります。

この状態、自分のことしか考えていません。

しかし、他人のために得を与えて、気を使って喜ばせているので、本人はそのようには思いません。

自分のことしか考えていないとは思いたくない認識に、「どうして人といるのが疲れるのか?」「どうして離れたら寂しいのか?」の真相が判明します。

詳細は、人といるのが苦痛になればなるほど明らかになります。

 

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人といるのが苦痛

人といるのが苦痛になる理由

人といるのが疲れる、けれど寂しい状態になるのは、自分のことを自分自身で認めない状態が考えられます。

認められなくなる前提には“嘘”を多用するようになった過去が潜み、嘘をつくことで人との関わりに疲れる状態が積み重なり、人といるのが苦痛になってきます。

「自分のことを考えず、他人のことを考えている」という自分を作りたい思いがあるかもしれません。

人といるのが苦痛になるのは、人のために生きている自分を作りたいからという意味です。

誰かと一緒にいる際、自分という存在を消しながら、自分がいる価値や確証を得ようとします。

すると他人のために尽くすようになります。

自分で自分を認めずとも、他人が自分を認めることで“自分”が存在でき、その状態をあえて作ろうとします。

あえて作っている自覚がある人はあまりいないと思いますが、愛を求める潜在的な意識があると考えられます。

他者から必要とされ、肯定され、喜びをもらい、刺激をもらい、癒しをもらい…。

人といるのが苦痛になる人は、過去の環境から自分の力で生きてきたという認識が強く、他者に頼って願って求める自分を許したくない気持ちがあるかもしれません。

他者に頼らずに生きてきた記憶が強ければ、根底には頼り願い求める欲を強く持つのは自然ですが、認めたくない。

この顕在的な思考と、潜在的な願望の狭間にて起きる行動が、他人のために尽くすことです。

人のために生きている自分を作り、「人から必要とされない自分を作らない」という狙いを得ます。

自分のことしか考えていない認識がなくなり、認めたくない事実を見なくて済みますが、人との関わりでは相手に何かしら得をさせなければならないノルマが課されるために疲れ、苦痛になります。

対価交換は、見たくない事実を見ないで済む納得という利益に対して、人との関わりに苦痛を作り、離れたくないけど離れる結果です。

寂しがり屋というわけではない人でも、周囲に人がいないので人恋しく、愛が離れる環境を嫌がる自分が表れます。

それに反発すると、より自分を認めないために見栄やプライド、一人が大好きと思い込み、孤独を主張するように在り方を作る人もいます。

 

人といるのが苦痛になる心理

どうして、自分のことしか考えていないのに他人のことを考えていると思いたいの?
どうして、嘘をつくの?
どうして、他人のために尽くすの?
どうして、自ら疲れや苦痛を作るの?

全てに共通するのは、自分を認めたくないことです。

人のために生きている自分を作ると人との時間が苦痛になりますが、嘘をつく生き方があり、嘘をつけばつくほどに苦痛を作る心理が表れます。

納得いかない過去の記憶の蓄積です。

認められない記憶は、愛を欲する記憶

愛を欲しているにもかかわらず欲することを認めないと、人との関わりで疲れると寂しいが混在し、両方取りを狙います。

この状態、真意と行動のギャップから“自己矛盾”を作ります。

「愛が欲しい、いやそれは違う、いやでも、いやそんなことは…」

感情の起伏が激しくなり、言っていることとしていることが右往左往し、自分がよくわからなくなります。

自分を明確にしようと自己主張が強くなる人もいれば、自己否定や自己憐憫にて蔑み憐れみ、強引に自分の存在に対する価値を見出す人もいます。

矛盾を作り嘘をつき、嘘をついていることに嘘をつき、自己主張は承認欲求に独自性欲求を誇示して他者との関わりを作り、人との関わりに疲れるのではなく疲れさせられる側になり、寂しさを持ちます。

記憶を認めないことで人間性や在り方は形を変え、自分を他者によって認識するために、価値を見出してもらい、存在意義を見出してもらう関わりをします。

これをエゴと言います。

愛を欲するけど認めない記憶が蓄積することを発端に、さまざまな心理からの人間性が表れ、結果として苦痛を作り、寂しさを作ります。

以上の心理から見える内容を一覧にします。

人といるのが苦痛になる心理
  1. 他者との関わりで意味を見出すことで自分を存在させる
  2. 自分のために他人に尽くす
  3. 自信や自尊を持たず人の目を気にする
  4. 他人を認めず他人のために思いやることができない
  5. 自分のことしか考えていないとは思いたくない
  6. 嘘の多用にて自己矛盾を抱える
  7. 愛を欲する記憶を認めない

さまざまな記憶がある中でも、認めない記憶の焦点は“愛を欲する自分”です。

真意に愛があり、行動にエゴがあり、愛とエゴの狭間で自己矛盾を作るのが、ここでお伝えしたい主旨です。

これまでの内容は私の経験からの理解ですので、わかっている事実をそのままお伝えしています。

カウンセリングや気を晴らす内容とは少し違うので、思い当たらなければ読むに値する内容ではないので、テキトーに終わらせてください。

主体性を持って改善するためにお伝えしているので、自覚を前提に思い当たる内容であれば、最後に改善策をご覧ください。

 

人といるのが疲れるけど寂しい 改善方法

改善方法①:自己表現が上手な人と関わる

人といるのが疲れるけど寂しい場合には、過去の周囲からの影響、特に親などの家族によって作られた問題点が考えられます。

否定となる押し付けや干渉、拒否に無視、放任に強制などなど。

自分のために他人を利用する人間と関わることで、他人主観で自分を露にせず抑制するようになります。

自己表現せずにその場を取り繕い、嘘や自己否定を多用して周囲の目・反応・評価を気にして、他人を見ながら自分を考えるようになります。

改善は自分を露にして表現します。

しかし、他人主観の状態では自分を認めるのは困難ですので、頑張っても露にはできず、逆効果になる可能性があります。

如何に主体性を持ちながら、自分をさらけ出す機会を増やすかが大切です。

改善方法は、誰か一人、自分を露にできる人を見つけることです。

「運命の人を待ちましょう」というのは冗談ですが、主体性を忘れずに自ら人と出会う機会を増やし、自己表現を抑制しない、または上手な人を探し、できれば直接関わりを持ちます。

自己主張が強い人ではなく、自己表現が上手な人です。

 

改善方法②:子供を見習う

上述の自己表現が上手な人の典型は子供です。特に小学校低学年以前、8歳未満辺りの子供達がプロです。

誰か一人でも子供と関わるのが改善方法となり、関わる機会がなければ観察でも改善になります。

「子供のようになる、子供を真似する」となれば改善は逆効果、わがままになります。

現状の反発を作って解放すると、素の自分、本当の自分、ありのままの意味をはき違える可能性があるので、子供を見習うことを目的にすると自分のためになります。

着目は自己表現、自分の内側を如何に表し、他者に伝えるか。プロから見て盗みましょう。

※詳細は、自分を表現できない人の特徴と改善|苦手ならしなくていい本当の意味 をご覧ください。

 

改善方法③:嘘をついても認める

嘘が悪いなんてことはありませんので、嘘をつく時はつきます。しかし、嘘をついたことを認めるのが大切です。

自分を認めるための方法となり、少しずつ認める作業を増やすと、愛を欲する自覚を増やすことができます。

自らに対する抵抗や抑制が緩和され、より自分を露にしやすくなり、人との関わりに積極性が加わります。

 

改善方法④:自分のことしか考えていないと自覚する

主体性を強調した方法です。

思い当たればの話ですが、自分のことしか考えていないエゴであると認めます。

他人のために尽くす真意を知るという意味があり、本当に他人が困った時に助けるのか、自分以上に相手を優先しているのか、寒い思いまでして首に巻いているマフラーを相手に渡せるのか。猛烈に喉が渇いた時に大切なお水をあげられるのか。

思考ではなく現実としての在り方を見つめ、自分を知ります。

主体性が強いので根底から改善する方法になり、人との関わりを見直す機会になります。

しかし、認めるとは難しいものですので無理にはなさらず、徐々にできればそれが良いと思います。

 

改善方法⑤:寂しい過去を清算する

インナーチャイルドを癒すという言い方もします。

過去の記憶にある認められない思いは、今なお滞留して生き続けています。

親への思い、愛情を貰えなかった、抑圧された、愛を知ってもらえなかった、受け取ってもらえなかったこと。

あらゆる記憶にある“寂しい”と抱いた記憶が多ければ多いほどに、人が離れる時に当時の自分を投影するように過去の寂しさを感じます。

記憶への執着は強い執念にもなり得るため、過去を思い出して清算するためにも、専門家への相談が大切です。

 

人といるのが疲れるけど寂しい まとめ

人との関わりに疲れがあるとめんどくさくなり、煩わしくなり、しんどくなり、苦痛になります。

疲れるものは疲れる、めんどくさいものはめんどくさいです。それがそのまま事実です。

もし、「わがままだから良くない」「もっと我慢しなきゃダメだ」「私は悪く思われたくない」という在り方があると、疲れる苦痛も寂しさもより増長されていきます。

いつか終わらせる必要があります。

自己表現できる人と出会い、大切だと想える人が現れればラッキーかもしれません。しかし、主体性を忘れると常に相手が主観になり、自分が露になるか否かは他者次第になります。

そこに何も悪いことはありません。何が良いか悪いかの真意は常に本人が知っています。

自分を知ることはあらゆる改善を自ら作り、何より楽しいことです。

子供を観察するとわかるのは、人との関わりを楽しみ、自分を喜ばす本気の生き方です。

爽快な汗はその日の快眠を誘い、生きている実感と共に翌朝が始まり、良い循環がアラスカの川のように美しく起きます。

人との関わりに疲れる記憶の引っ掛かり、親との関係、愛への執着、寂しかったことへの怒り、抑制と縛り、支配と欲、愛とエゴ。

世の中は広いので、羽ばたいてもいいかもしれません。

心地良い解放が始まり、物事のスタートを切る一助となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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