生き方

怒らない人は優しい人ではない、優しさを教えてくれる人である【この真意】

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

※10分で人生が変わる

【最新の心理技術】
×
【最新の波動科学】


開発者・西澤裕倖による、人生を変えるプロジェクト発足

『10年悩み続けた問題が、たった10分で消える』


ラストリゾート
〜意識進化の最後の楽園〜


すでに1万人以上が奇跡を体感しています。


・今なら、以下の3つの特典が【完全無料】

📘 電子書籍(4,270円相当)
『凡人がお金持ちになるための10の秘密』(主婦の友社刊)

🎧 特殊音源(3万円相当)
“聴くだけで60兆の細胞を整える” バイオレゾナンス音源

🎥 特別映像(5万円相当)
キリンビール元副社長・田村潤氏
「奇跡の逆転劇」講義映像

合計8万円相当が無料公開中ですので、ぜひお受け取りください。

『詳細はこちらからご覧ください』

※期間限定~11/30まで、お忘れなくご活用ください。

PR:ラストリゾート運営事務局

販売店の一日は怒号から始まる、これは会社の文化なのでこれからも続く。

日本に対するイメージは外側からと内側からで真逆、おしとやかで静かな印象の裏腹では、毎日怒りで脳細胞が減り続けている。

日本で言う怒らない人とは、よく怒っていることを隠せている人かもしれません。

一方、国などの区分けなく見ると、本当に怒らない人が少数派として存在し、二つのタイプがあります。

一つは柔軟で寛容、穏やかでどこからどう見ても優しい人。

もう一つは知性高く、冷たく思われやすい人。

ですが、「優しい」とは何なのかを考えさせてくれる人であり、怒らないことの本質を教えてくれる存在。

ここでは、「怒らない人は優しい人ではない」という言葉の真意を掘り下げ、本質を見ていきます。

  • 優しい人ではない理由を知りたい
  • 「怒らない」「優しい」の真意を考えたい

中身を探求したい方へ向けた内容です。

怒らないとは冷たさか、頭のよさか、それとも…。

人間理解を深める一つの考え方となれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

怒らない人は優しい人ではない

優しくはない“怒らない人”の特徴

※優しいと思いやりは全く別物ですが、ここでは区分けなく“親切な心がある意”として『優しい』を使います。

インドという場所では常に誰かしら怒っています。

しかし、日本ではそうそう見かけない怒り場。

あらゆるものをさらけ出す国では怒りの表現は通常運行ですが、あらゆるものをさらけ出さない国では怒りの露呈は羞恥にすら捉えます。

「あ、あの人怒ってる、恥ずかしい」

すると怒らないようになる、なんてことは私たち我欲の多い人間にはできません。

怒っているけれども怒っていないように自分をまやかす、または怒らないように自分を歪めて抑圧させる、これが事実かもしれません。

インドのような国や環境にいても怒らない人、現地にたくさんいます。

一方ここでお伝えしたいのは、滅多なことでは怒らない人でありながら、怒りの感情が嫌いな訳でも、怒ることが恥ずかしい訳でもありません。

なにより、怒っていても怒っていないようにするでもない。

自分に怒る人です。

こんな特徴があります。

優しくない怒らない人の特徴
  1. 暗躍が得意
  2. 誰にでも合わせられる
  3. 忍耐の鬼、拷問も耐え抜く
  4. 我慢強いが本当は我慢弱い
  5. めんどくさがりで頭がいい
  6. 独りの時間、プライベートな時空間が好き
  7. 動物や子供、お年寄りが寄ってくる
  8. 癒しを好み、多動よりゆったり派
  9. ゴシップや噂はジャンクの生ゴミ扱い
  10. 人との有意義な会話を好む
  11. 認識力が高く、洞察力がある
  12. 個を重んじ、他者の個も尊重する
  13. 支配するのもされるのも好まない
  14. 人を責める前に自分はできているか見つめる
  15. 干渉しない、押し付けない、決め付けない
  16. 人の傷つけ方を知っている
  17. 幅広く関わるが安易に同調しない(結果的に関わらなくなることが多い)
  18. 偏った派閥に肩入れしないので中立になることが多い
  19. 対等な関係性、平等な関わり方、良悪優劣の偏りがない見方
  20. 本性が見えにくいと思われるが実は全て本性
  21. 人に興味なく思われるが、興味があるもないもない

これに該当する人は、怒らない様相から周囲は「優しい」と言います。

しかし、他人に興味がなさそうにも見え、疑い凝りがある人からは、「え、それは優しさじゃないよ」と思われます。

そして本人は、「どっちでもいいよ、ニコ」とします。

ほとんど怒ることはなく、怒るのは特例中の特例。

もし怒るようなことがあれば激怖

道徳も倫理観も持たない人間の形をしたブタが危害をくわえる、または仲間が危害をくわえられた時に怒り、相手の心と右耳を鷲掴み、ブヨンブヨンに引っ張って縄跳びにして遊び、「はいもう要らない」と原型のない心を律儀に返却します。

冷酷無慈悲の深緑鬼で、本当は山奥の洞窟に住んでおり、お風呂は滝とか違うとか。

特徴的なのは、怒りという感情をギャーと発散させたり、支配や変化を押し付けるためといった一般的な使い方をしません。

静かに、ゆっくり、穏やかに、かつ確実に心を潰しにいきます

しかし、よっぽどのことがない限り怒らないので、怖い一面は影を潜めます。

 

怒らない人の大きな特徴:相手を認めて無関心

なんでも
なんでも
一般的に言われる優しい人とは大きく一線を画する人、共通するさまがあります。

他人に干渉しない。

まるで猫。

他人の発言に左右されず、物事を判断する際は自分で感じて考えて結果を出す、自惚れず謙虚や謙遜する性格。

物事をクリアに見つめる姿勢と、実際に見抜く力があります。

誠実に関わりたい意志があるほど個々を敬い、対等で平等に関わることを望みます。

他人に無関心な訳ではないのですが、向き合いが自分にも他人にも深い人ほど、相手が対等を求めず上下差で利益を得たり人を利用したりする場合、美しいほどに不要物を認識から消します。

例えば、職場で突然挨拶を無視してきた人がいる。

「妬みから気を引きたいのかな?対等に関わる気がないのか、そしたら私も関わる意味はないな」

情動に揺さぶられず、冷静に相手を捉え、正確に把握して判断、後悔なくさようなら。

職場にいてもいないと同じ扱いになり、関わっても〇〇さんではなく村人G、または日本人K、Whatever。

戦わず、あしらい、存在しないものとして流れていき、にこやかに犬の糞を片付けるように一切の心の情を挟みません。

入ってくるものは自分の中に入れてから処理するため、実際に接してから決定を出します

段ボールに入っていた卒業アルバム、「それ捨てといて」なんてことはまずありません。

「あ、これ懐かしいなぁ、もう要らないや、燃やそう、ボボボ」と自らの手でしっかり焼き尽くします、目をギラギラ光らせて。

怒らない人の大きな特徴は自分を認め、相手もしっかり認めること。

良いも悪いも、見たいも見たくないも、認めたいも認めたくないも区分けなく、入ってくるもの全てを見て、感じて、考える。

相手を認めるからこそ相手をしっかり理解するスタンスがあります。

嫌な人、ずるい人、虚しい人、隠す人、張りぼてな人、全て見つめて、「この人はこういう人で、こういう生き方をしているんだな、きっと必要なんだろう大切なんだろう」

認めるからこそ干渉しないので瞬く間に無関心になることもできます。

怒らない人は冷静かつ鋭く、時が来れば何の躊躇もなく関心をなくします。

こんな自分を常に見ているため、「私は優しいな」と思うことはおそらくありません。

もし関わり不要な存在がいたら、相手をしっかり認めた上で無関心になる。

怒らない代わりに切り捨てるのではなく、認識から消して終わります。

 

怒らない人は頭がいいので相手はポカーン

なんでも
なんでも
怒らないのは他人に興味がないからでも、傷つくことを恐れて事前に心を閉ざしている訳でもはありません。

呆れることで怒らないようにして、想像した自己像の型枠に収める知的対処でもありません。

期待はしていない、けれどもそれは我を持った干渉をしない意味

期待が裏切られても呆れはしません

「ここまで予測できなかったなぁ」なんて具合に、自分の認識精度を見つめます。

こういう方はみんなが見えていないことまで把握しようとするため、相手との認識にギャップが広がります。

例えば、「せっかく準備した卵スープをこぼされたのに、それ怒った方がいいよ、許せない!」と誰がどう見ても思える。

許容が広く、一瞬で許す人もいますがこれは優しい人です。

ここでお伝えしている怒らない人は、「あの人こぼす直前にお腹いっぱいと言ってて、右手にスマホ、左手に爪楊枝、さらに養鶏場で働いていた時は辛かったと言ってたからさ」

「え、何の話?」となります。

「潜在領域も含めて相手の行動を予測できたはずなのに、それをしなかったのは自分の責任である」といった具合に考えていたりします。

認識力が高く、自分の責任を重んじる人は、どこまでも認識力を高める気があり、知的好奇心も高い特徴があります。

相手に責任を置く以上に、「私はどうできたか、私がこうしていたらどうだっただろうか?」と自分の影響範囲を考えるため、合わない環境で生きるほどに自分側の認識が強くなり、自然と目立つのも特徴的です。

そのため、怒らない人は周囲が知らない事実を把握し、事が起こるも起こらないもコントロールしていたりと、暗躍の力量が妖気的です。

気配を消して、「わっ!」と遊びで驚かしたら泡吹いて倒れ、救急車を呼ぶことになります。

見ている世界の解像度が違い、同じ教科書で覚えた言葉を使っても伝わらないことが増え、周囲をポカーンとさせます。

これで突然関わらなくなったら、相手は本当になんのこっちゃわかりません。

 

ちなみに、怒らない人が急に関わらなくなるのは…

なんでも
なんでも
補足:怒らない人は突然人間関係をなくすようなことを特定の人にしますが、理由があります。

人間関係リセット症候群でも、我慢の限界で縁を切った訳でもありません。

本人にとって、「最初から関わらなくなると知っていた」ことが考えられます。

その人に興味がなくなって感情が湧かないのでも湧かせたくないのでもなく、不具合が起きる、いつか関わらなくなる、期限が決まっている、そもそも合っていないと予想できている

この予測が潜在的でも顕在的でもできている人ほど、自然現象的に関わらなくなります。

小学校のクラス替え、前の友達と関わらなくなったみたいなイメージです。

認識の解像度の違い、誰にでも合わせられる度量から、相手は合っていると思っていても怒らない人にとっては合っていないと知っている。

「あなたとは初めから合ってないんだ」と言って傷つける必要などなく、実際に自分の理解を伝えてもわかってもらえないため、静かにフェードアウトしていく。

それなら初めから関わらなければいいとも思えますが、実体験して初めて理解するのが怒らない人の特徴。

相手をしっかり認めるからこそのもの

陰陽で言う陰寄り、冷たい思いやりと言えるとか、言えないとか。

 

【意識の知見】怒らない人は優しさを教えてくれる人

怒らない人はそもそも「怒る」意味が違う

なんでも
なんでも
怒りには大きく捉え方が二つあります。
怒りの捉え方
  1. 我(エゴ)・・・支配、期待、他責、他力、自己制御不能、未熟性の裏付け
  2. 本質(心)・・・自分の心に反していることに対する反応

エネルギーで見ると、怒りとは自己愛による凸型(陽)の反発・発散エネルギーです。

発散せずに内部で留めると未浄化の汚れたドブのようになり、邪気や精神に歪みを作る強いエネルギーでもあります。

私たち人間は企みや誤魔化しメンタルにて怒りを使うことができ、一般的には人を思うように誘導するためのエゴの表れが怒りと言えるかもしれません。

我を主体にすると、怒らないとは支配しない、期待しない、自責がある、自力がある、自己コントロールできる、精神が成熟している意味です。

我から離れている人であり、悟っている人。

しかし、「精神性が高い人は自分の心に反していることがあっても怒らないの?」と思えます。

現実的にはどうなのか。

神でもキレ散らかします。

怒りとは他との共存共有環境ではなくてはならない感情であり、サインになり、理解になり、修正にも改善にもなる本当に欠かせないもの

何より心です。

悟り人かどうか関係なく、ここでお伝えしたいのは誰しもの普遍。

怒りとは自分の心に反していることに対する反応。

深掘りすると『意識の在り方』がわかります。

 

最重要理解:怒らない人の意識

なんでも
なんでも
怒りを本質的に捉える場合、怒らない人には二つのタイプが見られます。
怒らない人のタイプ
  1. 心に反するものを少なくできる柔軟性や寛容力のある人
    …明確に優しく思われる
  2. 心が自分だけのものではない人
    …他人に興味があるもないもないので冷たく思われる

①柔軟性や寛容力がある人は、[心に反している→反していない]に反転させられます。

「クソー、プリン食べられた、ムキムキ!」だった5歳児は、「大丈夫だよ、お食べ」と80歳になった時には笑顔。

穏やかでいつもニコニコと子供たちを眺めるおばあちゃんのよう。

優しくて思いやりのある人、周囲のみんなもそう思って親しみ、平和的で豊かな空間ができます。

一方、ここでお伝えしている怒らない人はタイプ②心が自分だけのものではない人。

心が自分だけのものではない意識を持っている人。

言い方を変えると、優しさと思いやりのある心が前提にある人。

・タイプ➀は初めは心が自分のものであり、柔軟さと寛容さによって他を入れ込め[自+他]の意識が構成され、心は自分だけのものではなくなります。
※自他の繋がりを求める心とも言える

・タイプ②は初めから心が自分だけのものではなく、初めから[自+他]の意識があります。
※自他の繋がりがあると初めから知っている心とも言える

意識が広く、「自分の心に反する」が生まれにくい。

“心に反する出来事”が起きても、心に反するそれを俯瞰してジーっと見つめ、「他人のせい」「他人を変えよう」にはなりません。

心が自分だけのものではない人ほど“他人に怒る”にはなりえず、怒るとすれば対象は自分になります。

ちなみに、タイプ➀のように自他の繋がりを求める心である場合、“他人に怒る”になりえます。

怒りを我慢するとは似て非なるもので、自分への怒りが生まれれば制御しながら怒りという力(エネルギー)を吸収し逆境に活かす、昇華して芸術にするなどで活かしもします。

潜在的に心が初めから他に介入しているからこそ、関わる際には人見知りになりやすく、誠実で真っ直ぐ、相手をしっかり認め、深く関わるかさっぱり関わらないかも綺麗に分かれます

そこにあるのは、自分があるかないか。

ある場合は心があるため、人との関りは調和的。

ない場合は心がないと同じ。ニコニコとあしらうか、愛想もへったくれもない漆黒の死んだ魚の目でジーっと傍観し、相手を恐れおののかせます。

心が自分だけのものではない意識を持つ人は、認識や現実に真っ直ぐ向かい合う人。

物事にも人々にも自分自身にも真っ直ぐ向かい合うからこそ、冷たく思われることも優しく思われることも起きます。

心が自分だけのものではないからこそ、社会性に飲まれて自己の確立度が薄まると意図的に無関心になる頻度が増え、物事への否定が増えて和の心がなくなります。

自分だけのものではないため、人間でなくても動物や虫や菌や自然など“他”との深い関わりが薄れると自分の心も薄まり、生きづらくなる懸念があります。

※心の在り方による自然な無関心ではなく、意図的な無関心は内部に恐怖心を増幅させるため、優しくない人間道の邁進懸念もあります。

 

優しさを教えてくれる

なんでも
なんでも
どうでもいい人に対してこの世の終わりかのごとく関わったりあしらうのは、私の辞書では親切以外の何ものでもありません。

しかしそこに意図がないため、優しさだと思われにくいです。

前提が優しくないからこそ、何かわかりやすい表れによって、「わぁ、優しい~」となるのが私たちの心理。

それは強面の人がプリキュアのぬいぐるみを買っていくように。

一方、ここでの主役は前提が心からの優しさであり思いやり

差し引かれていくような見方をされやすいです。

事実はどうなのか。

怒らない人で着目したいのは意識の在り方

自分の心が自分だけのものではない意識。

これは意識の広さ、心をよく知っているさまです。

だからこそ、現代社会や周囲のふしだらな人格怠惰を見ると、「救いようがねぇ」と感じる人もおり、社会性に飲み込まれやすくなるので孤独の使い様が大切になります。

周囲の現状、現実をそのまま見つめ、認められる人ほど、「良いものは良い、悪いものは悪い、腐っているものは腐っている、ひん曲がっているものはひん曲がっている」と見ます。

それそのものをそのまま見つめることは、今の世の中、もとい見たくないものには蓋をして、自分が認められないことすら見つめない文化では好まれにくいです。

ですが、そもそも優しさとは何なのか

優しさや思いやりは親切な心に基づいており、親切さは心に[自+他]がバランスよく構成された表れ。

・[他]の割合が多いから優しい訳ではない

・[他]の割合が強くなるほどエゴから利用され、自他共に悪影響が及ぶ可能性がある

・[自]の割合が強くなるほど自らがエゴになり、人を利用して自他共に悪影響を作る可能性がある

・[他]の割合が多いと思い込みながら[自]の割合が多いのは、最もバチが悪い

心に自も他も含めてバランスを取るからこそ、温かさも冷たさも、悪態も愛想も、攻撃も防衛も、関心も無関心も共に持ったさまが表れます。

怒らない人はバランスが取れており、優しくも冷たくも思われます。

優しさとは何なのか、聖人君子か仙人か神様か。

温かくて冷たい人、冷たくて温かい人、そんなことを教えてくれるようです。

 

最後に:怒らない人は優しい人ではない

怒らない人は怒るとは何なのか、優しさとは何なのかを教えてくれる存在だと思います。

日常的にはわかりにくいものですが、怒らない人の大きな特徴にはこんなものがあります。

『大切な人のことでは鬼のように怒る』

何するかわからないほどキレます。

シルバーオーガ、銀の鬼。

自分に怒れる人でなければ他人に本気で怒れません。

自分に怒れない人は本当の怒りを知りません。

怒りとは心の反応であるため、本来は誰かに発するものではありません。

他人に怒る動機があれば他人に発しますが、本質的に見つめるのは他人ではなく心です。

怒らない人は心、それは自他の繋がりを求める心でも、自他の繋がりがあると知っている心でも、自分の心に向きます。

心を見つめ、自戒し、自省し続ける人は常に向上していきます。

そんな人は不安を活かし、恐怖を仲間にします。

意識が広く深く、精神的にも能力としてもレベルが高いために合う人は少なくなるため、関われる人は本当に大切な人。

その人は怒らない人の優しさを知っている人だと思います。

冷たさも温かさも共にあって合致するこの世の原理。

現実を見て、感じ、考え、作っていく人にとって、おそらく優しいも優しくないもなんでもいい。

そんなものかもしれません。

自己理解のご参考として楽しんでいただければ何よりです。

ありがとうございました。

『10分で人生が変わる』

【最新の心理技術】
×
【最新の波動科学】


開発者・西澤裕倖による、人生を変えるプロジェクト発足

『10年悩み続けた問題が、たった10分で消える』


ラストリゾート
〜意識進化の最後の楽園〜


すでに1万人以上が奇跡を体感しています。


・今なら、以下の3つの特典が【完全無料】

📘 電子書籍(4,270円相当)
『凡人がお金持ちになるための10の秘密』(主婦の友社刊)

🎧 特殊音源(3万円相当)
“聴くだけで60兆の細胞を整える” バイオレゾナンス音源

🎥 特別映像(5万円相当)
キリンビール元副社長・田村潤氏
「奇跡の逆転劇」講義映像

合計8万円相当が無料公開中ですので、ぜひお受け取りください。

『詳細はこちらからご覧ください』

※期間限定~11/30までですので、ご活用ください。

PR:ラストリゾート運営事務局

    POSTED COMMENT

    1. トンボが飛ぶ季節 より:

      じっくり読み返そうと思います!
      ありがとうございます!!

      • 北斗 より:

        もし“無関心”でわかりにくくなっているのであれば補足です。

        この内容の“優しくない人”とは一般概念でそう思われやすい、そして本人も優しいとは思いにくい人(ですが、実際は優しい心が前提にある人)。

        故意に無関心になるか、自然に無関心になるかで大きく内情は異なり、
        前者は呆れて関心を放棄している場合が多く、正確には受動的で相手次第で自を消す行為、優しい心が前提にありません。

        後者は相手を認めて関心も認識も無にする場合が多く呆れはしない、自発的であり、自を消すのではなく認識から他人を消す行為。

        そんな具合です。

    2. ⭐︎ より:

      昼、何気なく読んでて、夕方イライラ用事をしながら北斗さんの書いていた言葉の部分を思い出してハッとしたよ。心は自分のものだけじゃない。確かにそうかもしれない。自分の言葉や影響力が関わった人。関わった人が帰ってから関わる人。関わった周りの人。にも伝達するんだと思いました。
      北斗さんはやっぱりすごい。
      そういう一人一人が持つ影響力。自身の在り方。これから今までとは少し違う方向で手探りながら考えていこうと思います。北斗さんはやっぱりすごいや。さすが北斗七星。導きの星だね、
      それから違う認識もパッと浮かんで心が明るくなったよ^^ありがとう。いつも本当にありがとうね*^^* 

      • 北斗 より:

        素敵。
        一人一人の持つ影響力や在り方を探し、それを伝えられる人は優しい人。
        道に入るのはとっても素晴らしいと思う。
        どうしたしまして~♪

    3. トンボが飛ぶ季節 より:

      質問ですが、この記事に書かれている怒らない人は、過去記事の「怒らない人ほど実はよく怒る【優しい人と優しくない人がいる】」

      の、優しい人or優しくない人のどちらのタイプに該当しますか?

      • 北斗 より:

        その記事の優しい人に該当する人(時)もあれば、しない人(時)もあるタイプです。
        “優しくない人”とはかけ離れています。

    COMMENT

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です