本当の自分

【いい人の生存戦略】誰にでも優しい人は誰にも優しくない

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誰にでも優しい人は人々の仲介者であり、報われるべく存在。

周囲をよく見て配慮し、人々に恐怖を与えず、嫌なことをせず、満足させる。

この優しさ、安売りするといつの間にか別物に代わっており、生存戦略的な優しさになっている可能性があります。

実際には誰にも優しくないことが露呈し始めます。

ここでは、誰にでも優しい人は誰にも優しくない詳細を見ていかれてください。

  • どうして誰にでも優しい人は誰にも優しくないの?
  • 生存戦略的優しさとは?
  • 優しいのに優しくない心理内情とは?

これらを深掘りし、「生存戦略的優しさは大切だけど、使い方があるんだ」と知っていただく内容となっております。

優しさとは何ともわかりにくいものですので、優しさを知る一つの考え方となれば幸いです。

元誰にでも優しい人として、人間模様の探求を開始いたします。

誰にでも優しい人は誰にも優しくない

誰にでも優しい人とは?

「いい人」と言われることもある、誰にでも優しい人。

人々に負の印象を与えず、不利益を与えず、利益を与える。

素敵な存在であり、人間の調和と共有には欠かせない仲介者、攻撃性や排他性がなく、ニコニコ顔の使用頻度が高いです。

周囲をよく見ており、認識力に長けています。状況把握や人の気持ちの察しが良く、理解力も高い特徴があります。

怒らず、弱さを見せず、人に頼らず、周囲を配慮して空気を読み、相手に合わせ、他者をケア。関わっていて嫌な気分になることがなく、不利益を人々に与えません。

ただ、嘘が多い。

特に自らに対する誤魔化しが強く、自己都合で物事を解釈し、揉め事や問題が起きないように対処するので、解決や改善にはならない。

恐怖心を与えることはないが、進歩や向上となる変化は起きず、嫌なことは起きないが飛躍も起きない。

自己防衛が常に発動しており、嫌なことからは我慢という防壁で逃避し、距離感を保ち、言い訳や誤魔化しが多い。

「うんうん、そうなんだ、それは良かったねぇ」

「はぁ、この人と話していると良い気分だ、でも気になることがあるなぁ」
「ねぇ、人の話を聞いている時、とても多様な顔をしているの気づいている?」

「えっ?!」

誰にでも優しい人は他者を多角的に客観的に捉えながら、自らの客観視が苦手な特徴があり、特定の人に好かれて、特定の人に嫌われる傾向があります。

一方的な人間関係を作る人に好かれ、相互合致の人間関係を作る人に嫌われる

利用してくる人に好かれ、お互いを認識して関係性を作る人には違和感や苦手意識を持たれます。

違和感を持たれればさらにいい人になり、優しさを与えて、相手に利益を与えようとします。

誰にでも優しい人を一言で表すと、「人との関わりが一方通行の人(相互合致がない)」と言えるかもしれません。

※自然な優しさは、【頭がいい人は自然と優しい】頭の使い方を教えてくれる大切な見本 をどうぞ。

 

誰にでも優しい人は誰にも優しくない

誰しもに優しくできれば、「誰にでも優しい人は誰にも優しくない」とはなりません。

ここで引っ掛かりになるのが、優しさとは優しくするかどうかではなく、優しいと判断されるかどうかであることです。

優しい人かどうかは本人が決められず、優しさを貰った側が唯一判断できる存在です。

私達人間は相手への思いやりや敬いの愛によって、優しさを与える努力ができます。

優しさとは相手を知り、相手側の目線で理解した後。人によっては不干渉や一切関わらないことが優しさにもなり、激励や説教などの厳しい態度も優しさです。

誰しもに優しくするには、目の前の一人一人をしっかり捉え、相手側の認識に寄り添い、それを一人一人が優しさだと判断するか否かで決まります。

これができる場合には、「誰にも優しくない」なんて思われることなどありません。

しかし、できていない明確な光景が、誰にでも優しくすることだったりします。

 

誰にでも優しくしようとすると安売りバーゲンが始まる

「目の前の人をしっかり認識して、相手の今を思いやる心配り」が消えます。

「誰しもこれなら喜ぶだろう、困らないだろう」という一人一人を捉えないさまが露呈し、中には我慢すればいい、肯定すればいいと、相手を一切認識せずにルールに基づいて関わる人もいるかもしれません。

この瞬間にシュポンと優しさが消え、自らの目的を果たすための一方通行になります。

例えば、面白い話をしていないのに、相手が心地良く話せるように、嫌な気分にならないようにアハハと作り笑いや愛想笑いする人がいます。

人によっては喜んで利益になるので、優しさだと思う人もいます。

しかし、相互交流を求める人は、「どうして今のところで笑うんだ?」「なんでニヤニヤしているんだろう?」「話を理解していないのかな?」と違和感を感じる人もいます。

相手を認識せずに自らの目的を果たそうとする露呈になり、バーゲン品を求めていない人にとっては押し付けになります。

誰にでも優しい人は自らの利益を他から得ようとせず、自分のことは自分でなんとかしようとする調和概念のなさや自責の強さがあるため、一方通行とは思われにくいです。

しかし、実際には相手に着目していないさまが表れるため、人をしっかり捉えて関わろうとする人には違和感となります。

相互合致による人間関係を求める人は、苦手になったり嫌いになります。

「優しい人と思われる」と、本人が優しい人かどうかは全く別。

相手を認識しているようで実際にはしていない結果、「人との関わりが無意識に一方通行の人」になります。

※本当の意味で優しい人は、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をどうぞ。

 

誰にでも優しい人の「生存戦略的優しさ」

「人との関わりが無意識に一方通行の優しい人」の大きな特徴は、嫌なことがあれば我慢か逃避、良いことがあれば喜びを分かち合わない。とにかく相互合致の関わりがありません。

優しい人でなければ一方通行は相手を利用して、攻撃して、エネルギーを奪い取り、振り回しと大変ですが、誰にでも優しいさまには攻撃性のなさがあり、何より不安や恐怖など、嫌なことが起きるのを事前に対処する立ち回り生存戦略があります。

  • 人に嫌われたくない
  • 人に好かれたい
  • 人に不必要だと思われたくない
  • 人に必要だと思われたい
  • 優しくして自らの存在価値を認識したい
  • 嫌なことが起きて欲しくない
  • 嫌なことをなくしたい
  • ‥‥

上記は全て自分のことのみです。

生存戦略の目玉は恐怖心との向き合いの一掃。嫌なことや拒否したいことなど、受け止められない恐怖心との向き合いを事前になくす対処です。

生存における潜在的な目的であり、恐怖心と向き合わない最たる方法が自らの誤魔化しです。

自らを誤魔化して他者と関わり、嫌なことをなくすために振舞うと、相手に不利益を与えず利益を与える関わり方となります。

恐怖心から逃避して誤魔化せるのが、生存戦略的優しさです。

これは非常に大切な戦略でして、私自身は相当重宝しました。

しかし、行為として優しくなりながら、潜在的に「自分のために優しくする」が根強く、自らの利益にしかフォーカスしなくなり、人との関わりが一方通行に偏ります。

目的が潜在意識であるため、無意識に一方通行になっているので、なかなか気づきにくいのがネックです。

自覚できる顕在意識では、「自分のためだ」と思うのは嫌なこと(恐怖心)そのものですので、「相手のためだ」と認識を誤魔化して、仮面のように表面を取り繕います。

この結果、「誰にでも優しくする」が起きます。

※誰にでも優しい人の心理は、【優しい人は損をする仕組み】あることが欠けていると報われない をどうぞ。

 

生存戦略中の優しさは、思いやりにならない

優しくするかどうかは完全に人の自由ですので、ここでお伝えしているのは、「誰にでも優しい人は悪い、ダメだ、腹黒い」なんてことは一切ありません。

生存戦略的優しさは必要だからこそ行使しており、使用するに至った過程があり、他者から利益を得るためではなく、自らのことは自らが責任を持って対処・保持・管理する働きの一つです。

私達人間はさまざまに恐怖心から逃げ、誤魔化し、食われ、向き合い、戦い、克服と、関わります。

恐怖経験が多い場合には、人によって恐怖心を心の中の檻に封印し、無感情になります。

するとメタ認知が高まって客観的になり、怖れずになんでもできるようになったりしますが、実際には意識を半分抜いて恐怖を感じなくする自己防衛だったりします。

このように対処法がある中で、誰にでも優しくする人は持ち前の能力を駆使して、「誤魔化す道」を選んだ可能性があります。

所持能力となるのが、認識力と理解力の高さ、知性です。

周囲を把握する能力に長け、状況察知や人の気持ちの理解に得意、他者の客観視ができます。

しかし、誤魔化しによってこれらを得る代わりに、自分自身の客観視が疎かになります

自らを客観的に捉えるとは、傍から見た自分の事実を捉える意味ですので、まさに恐怖心との向き合いになってしまうため、誤魔化すことで自らを客観視しているように思い込みます。

おそらく、人と会話している時の反応や受け答えをビデオか何かで観返すと、想像もしていない自分が表れます。

自分が思っている自分と、周囲が思っている自分の誤差が多く、自らを優しくないとは一切思いもしない人もいます。

中には少しずつ恐怖と向き合い、客観的に自覚を増やし、「本当は凄い怖いよ」と理解している人もいます。

※優しいと生きづらい件は、【優しすぎる人は生きづらい】知っておきたいシーソー心理と解消方法 をどうぞ。

 

生存戦略実行中であればあるほど、誰にも優しくない

自らの客観視がないと、人との関わりや相手との接し方を疑うことがなくなります

自分自身を捉えても、「私は相互交流できているのか?」「今のは相手のための行為だったか?」など、自分と相手の両方を含めた認識がなく、他者に興味がない可能性もあります

興味があるのは生存戦略であり、自らの求める目的を果たせたかどうかかもしれません。

[目的への意識=恐怖の誤魔化し意識]が強ければ強いほど、優しくする行為は無意識な潜在目的へのフォーカス増しとなり、優しくするために必要な相手へのフォーカスが薄れます。

これは思いやりや心配りの優しさではなく、自分も相手も誰も困らないその場凌ぎです。

私達ジャパニーズメンタリストは、不安が前提にある社会で生きているので、メンタル的に困らないというのは既に利益になり、「スマイルをくれるなんて優しい人だ」と思えますが、他の国では、「Hey what’s up man,ケンカウッテンノカYo」と通用しません。

知らぬ間に他者に興味を持っていない上での優しさ提供となり、それを優しさだと思ってくれるのは、人の表面だけを捉える人や、一方通行の関わりをする人、自分の利益にしか興味がない人に限定されてしまいます。

同じように自らの目的のみにフォーカスした人同士の関わりになり、相互交流のない人間関係が作られます。

※優しい人は怖い件は、【優しさの種類がある】優しい人が怖いのは不干渉か闇の配慮か。をどうぞ。

 

誰にでも優しい人は突然消える

誰にでも優しい人が自らの客観視をできていないわかりやすい例が、突然いなくなることです。

優しさではなく、生存戦略としての行為であるため、嫌なことがあれば我慢や誤魔化しや逃避という方法が主体となり、ストレスや憤りなど、自らと向き合わなければ解消できないものが蓄積しやすくなります。

客観視できると徐々に様子がおかしく、体調が変、いつもと違うなどの異変に気づき、改善や解消行動へ向かえますが、客観視できないと気づくのが限界間際や破裂後になります。

気づいても改善ではなく一時凌ぎ対処になってしまうので、「まだ大丈夫」などど我慢してやり過ごす癖が出てしまい、ある時に起きます。

何もかもが嫌になります

突然人との関わりをシャットアウト、仕事を辞める、人と別れるなど、ゲームをリセットするようにブチッとOFF。

人との関わりが一方通行であるために、人に助けてもらう、甘えるなどの選択肢が初めからなく、一人で問題を抱えて虚無感や空虚を感じ、ぼーっとたそがれるように休息期間に入ります。

何も悪いことはないのですが、他者との相互交流に対する概念が希薄な点が、行動にて表現されます。

相互を真に認識しない優しさとは一体何なのか?

相互で合致しない人間関係での「優しさ」は、思いやりは心配りや敬いとは別物になり、誰にでも優しい人は誰にでも優しくないことがわかります。

※優しい人が消える詳細は、【優しい人は突然離れていく】優しい人が置いていく最後の利益 をどうぞ。

 

優しいのに優しくない内情

私自身、誤魔化しは生存戦略にとても重要だと理解しています。

しかし、誤魔化しは問題を問題と思わなくし、違和感すらなくせる完全魔法。自らを客観視できていなくてもできていないとは思わず、事実を認められなくなるトリックです。

魔法を解けるのは、自らをしっかり目を開けて見る自覚、または他者のサポートによって自覚を促す以外にありません。

魔法は本来の優しさを安く切り売りする形になってしまい、本当は優しいのに優しくない結果が起きてしまいます。

さらに既に知性があっても能力の一部しか出せておらず、魔法が解けた時の開花は想像域を遥かに超えます。

優しさとは自らが決められず相手が決めるものですが、他者をしっかり捉えているように思い込んで認識しない場合、相手のための優しさなのに誰のためでもない優しさに成り変わります。

優しさだと思ってもらう方法が、不利益をなくして利益を与える一方通行になり、これを優しさ(利益)だと思ってくれる相手に限定して関わるようになります。

それが恐怖の回避になるので、誤魔化しはあらゆる場面で出て来て、関わる人も見える世界も知らぬ間に制限していき、事実に気づきにくくなります。

あらゆることが事実とは矛盾になりながら、誤魔化すことで何も起きていないように思えますが、全ての行為でエネルギーを消費し、ストレスを溜めるため、疲れや不調和が起き、知らぬ間にプツンと限界になる危険性があります。

本来の優しさを引き出すためにも、自らを疑う目線を持って自覚を増やすのが大切になります。

※日本だから優しいと思われる詳細は、【日本の優しさ】他人に興味がない人が優しいと思われる仕組み をご覧ください。

 

誰にでも優しい人は誰にも優しくない まとめ

私達は誰しもさまざまな生存戦略を持ちます。

無意識な潜在領域で遂行されていることが多く、肝となるのは恐怖との関わりです。

恐怖と関わるのが苦手なのは誰しも同じです。そこで誤魔化しを使用する選択をした場合には、優しさは結果であり、目的は別物になります。

生存戦略的優しさは結果的に評価を貰える後付けですので、目的を明確にして使用すると、より本人のためになります。

ここでネックとなる誤魔化し道は、一人で何でもしようとすることです。

私達は一人で生きていない。これが事実かもしれません。

「誰にでも優しい人は誰にも優しくない」と思う人は、物事の中身をよく見ていますので、相互合致の人間関係を育める大切な存在になります。

「優しさ」とは曖昧なものですので、このように捉える人もいます。

[優しさ=自分の利益取得]
[優しさ=不利益なし]
[優しさ=利用させてもらった]

全て相互合致のない認識が露呈します。

誰にでも優しい人に対して、誰にも優しくないと思う人こそ、誰にでも優しい人に必要な存在かもしれません。

そんな見方をする一助として、生存戦略的捉え方がご参考になれば幸いです。

それでは、誰にでも優しい人は誰にも優しくないお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

著名なメンタルセラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生とのセッション機会。
自己理解を深めて悩みを解決する個別相談、心理セラピストになる養成講座。
ご自身を知りながら悩みを解決し、使命を得る機会があります。
現状打破と今後の飛躍。人生を変える際にぜひご活用ください。

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