方法

自分の思い通りにならないと気が済まない原因【貧乏瞑想施設での学び】

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

『DNAシフトセラピスト養成講座』

・セラピストになりたい方
・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※本気で人生を変える方専用。

コントロールは自分に対してか、他者か。

思う通りにならないと憤り、怒り、イライラし、落ち込み、妬む。

コントロール目的があるにもかかわらずコントロールできない現実を自ら作ると、気は滞り蓄積し、塊になって心身内部に残ります。

気が済まないのは当然かもしれません。

そんな内部事情を知ったのは、旅先ネパールのとある貧乏瞑想施設でのことでした。

ここでは、自分の思い通りにならないと気が済まない原因についてを、私の体験談と共に見ていかれてください。

  • 自分の思い通りにならないと気が済まないのはなぜ?
  • 支配欲を垣間見た体験談とは?
  • 自分の思い通りにならないと気が済まない原因の核とは?

これらを紐解き、思い通りにしたいのは当たり前であることと、それがまかり通らない表現に、原因があると知っていただく内容となっております。

奇怪な体験話ですので、一つの考え方として気楽にご覧ください。

自分の思い通りにならないと気が済まない原因

自分の思い通りにしたい自己支配

自分の思い通りにしたいさまには支配欲があり、自らを支配したいか、他者を支配したいかが人によって分かれます。

自らを支配する場合、思い通りになるように自らを使い、制御し、コントロール。

「ダメだダメだ、そんなんじゃ思ったサバの味噌煮は作れないぞ!」と自らに叱咤激励。

自分ロボットの操縦席に座り、自らをコントロールして思う通りにしようと思考・行動します。

もし、「そんなんじゃダメだ」と評価が厳しいと、自らをグルグルと縛り始めます。

完璧主義、生真面目と言われる状態です。

「自分の思い通りにしたい」という欲は自発や主体性を作り、自ら作る行動や創造性を高め、自立へ繋がるとても大切なものだと考えられます。

しかし、行動の基盤に評価採点する思考(他を基準にした概念)があると、創造性ではなく自らを縛るコントロールが起き、脳が思った現実が目の前にないと納得いかない憤りを作ります

 

コントロールは「怖れ」による自己支配

縛り付けるコントロールは、「これではダメだ」と良悪、正否、優劣を組み込める社会的ルールや他の意見を組み込め、不納得になる評価を作りやすくします。

創造かコントロールかの目的の違いによって、自分の思い通りにしたい欲の意味が極端に変わります。

  • 創造目的…自らを自由にして、喜びや納得をもたらす自主
  • コントロール目的…自らを縛りつけ、不納得や不満足をなくす強制を自らに課す

喜びを作りたいか、不納得を怖れるかの違いがあり、不納得を怖れると他の意見や情報や反応を気にし、自らを縛ってしまいます。

怖れる原因は幼少期の記憶に遡り、心の傷やトラウマが考えられます。

「怖れ」がキーワードになるのが、「自分の思い通りにしたいコントロール」

怖れをなくすために創造ではなく自らをコントロールし、不納得をなくせる結果を予測して思考して絞ります。

五円玉の丸を弓矢で射貫かなければダメという状態です。

射貫けなければ怒られる、否定される、愛されない、必要とされない、肯定されない、傷つけられる…。

私達はあらゆる過去の記憶で生きているため、怖れを抱き、解決していない記憶が多いと、自分の思い通りにしたい欲が強まります。

※誰しも支配欲がある件は、【支配されたい女と男の心理】誰しも支配したいしされたい真意 をどうぞ。

 

自分の思い通りにしたい他者支配

一方、自ら思考・行動して思い通りにするのではなく、他者を巻き込む人がいます。

他者を自分の思い通りにする他者支配です。

この場合、上述とは心理も状態も一変します。

支配、独占、権利、自己顕示欲。

自分ロボットの操縦席に座らず、城の王様椅子に座ってパタパタと執事が風を送ります。

怖れをどうこうする自発と自主がなく、自らではなく他によって利益・恩恵を得ようとします。

他によって生かされ、他によって構成され、他によって利益をもらい、他によって価値を見出し、他によって自分がいる。しかしその自覚がない状態です。

思い込みの空想、自己世界に陶酔するように周りが見えず、自らを最も見れなくなっていますがなんのその。

初めから他によって生きているので、自分の思い通りになるのが当たり前だと思い、自分の思い通りにしたいのが当たり前だと思い、他が従い・もたらし・甘やかします。

猫がミャー(エサをくれ)と言って飼い主がエサをくれるなら、これからもお腹が空いた時にはミャーというのが自然ですが、エサを貰えない時に自発がないと怒りや不機嫌にて気が済まなくなり、自己解決できません。

 

他律で無責任だと、気の済みどころがわからない

他者支配は、完璧主義でも自らのコントロール目的でも何でも、自ら作り、思考し、行動する人の気が済まないとは全く別物です。

他者を支配しようとする人の大きな特徴は、自分がいません

ドアをコンコンと叩いても誰も出て来ないハート、そしてブレイン。

自覚がないので自分がいないと思うことがありません。支配していいものだと思い込み、支配するのが当然であるためにできないと憤り、自らの行為が支配だと思ってすらいません。

裸の王様は自分が悪いと思うことができず、自らを見つめ直せず、認識力がありません。

周りが見えていない、理解していない、知らない、わからないことがわからない。

前提に認識する基盤の自分が見えていない状態です。

自分がないと自責も自力も自立も自律もできません。自覚がなければ対処も改善も向上も変化もできません。

憤りますが結局周囲に助ける人がいたり、お金によって解決できる今の社会では苦しむことが少なく、自覚しないで済む環境だったりします。

「どうしてここのホテルにはドライヤーがないの!キー」
「なんでこんなに渋滞しているの?みんなおかしいんじゃない」
「どうして言う通りにご飯を食べてくれないの?これもあれも食べなさい、もう!」
「あなたの進路はもう決まっているの。医者よ医者」
「どうせ私のことなんか好きじゃないんでしょ、私なんか、チラ」

他者支配には怒り・涙・愁い・同情がメインとして使用されます。

怒って相手を思い通りにする恐怖の植え付け以外にも、涙を流したり、落ち込んだり妬んだり愁いに浸ったり、同情して自分サイドに飲み込んだりと、相手を思うように誘導する術があります。

他律で無責任なさまがあり、常に他者や他の情報、教科書やルールを主観に物事を捉え、それが正しいと決め込むことで自らが自らを認識しなくなり、自分を知ることが難しくなります。

自分の思い通りにならないと気が済まない状態には、自己支配か他者支配かの違いがあります。

他者支配の場合には原因を知ろうとすることも、改善を求めることもありません(または支配による利益があるので改善する理由がない)。

自覚がある場合には自己支配によって他者を支配している可能性もあり、自らをコントロールして縛る原因理解が重要です。

 

自分の思い通りにしたい欲を知る体験談

自己支配欲を知る体験談

私が旅にてネパールの瞑想施設にお世話になった時、自己支配そのものを具現化して直面する体験をしました。

それは鬼との直面。自己支配の正体を見ました。

おかしな内容ですので、気楽に読まれてください。

 

貧乏瞑想施設で気づく、自分の思う通りにしたい当たり前

私は18歳の時から独学で瞑想をし続けており、インド・ネパールにいた際は瞑想施設にお世話になることがありました。

ネパールでは訳あって、導かれるように瞑想施設へ辿り着き、施設にこもりっきりでひらすら瞑想をしていました。

ボロッボロの建物、狭い土地、何もない田園風景に囲まれ、牛がモーモー言っています。

一畳の眠る狭い空間を貸していただき、一日二回いただける食事はダールという豆スープと米。とにかく貧乏な施設でしたので量も少なく、いただけるだけで有難いと心から想える環境でした。

そこでは一日十時間以上瞑想をします。

長い瞑想をし続ける経験がなかった私は初めの数日間憤りました。

「足が痛い、腰が痛い、長い、お腹が減った、汚い、朝が早い、動ける距離が狭い、施設を出れない、本もない、電子機器も全て没収されてない、誰とも話してはいけない、やることがない、瞑想だけなんて、トホホ」

「ああしたい、こうしたい、ああなればいい、こうしたほうがいい」

自分の思う通りにしたい欲が爆発するように向き出ます。

「日常生活は本当に解放的で何でもある状態だったんだな」

あらゆる環境と設備、自由や解放によって余裕がもたらされ、普段も自分の思う通りにしたい欲だらけだけど、既に思う通りに叶っているから欲の認識ができていなかったと知りました。

なんでもかんでも思い通りになっていたこれまでの日常。その中でも厳選されて思い通りになっていないものだけが、「思い通りにならない」と抽出されていた気づき。

極端な違いを体感し、普段から支配欲だらけであったことを知りました。

ただ、支配が自分へのものか、他者へのものかの違いがあり、私は自己支配がとにかく強く、そのあらがいによって他者支配していることも多々あると気づきました。

 

瞑想施設四日目、鬼が来た!

瞑想を続ける日々、四日目にあることが起きました。

長い瞑想をしていたその日、私はいつものように憤っていました。

「くっ、足が痛い、激痛が走っている。骨にヒビが入っているのでは?でもやめてはならない、くそ、痛い、我慢できない、耐えろ、ダメだ、耐えろーぉぉぉ」

私は痛くて怖くて辛くて泣いていました。

骨と骨が合わさる足の痛みが強烈で、何時間も瞑想をしていたのでおかしくなりそうでした。

そこで、痛みそのものにフォーカスして耐え続けました。まるで滝行をしているように。

すると次の瞬間に、目の前から物凄い勢いでダダダダダと何やら怖ろしいものがやってくる気配がありました。

私は瞑想中で目を瞑っているのですが、何かが目の前に来る。

なんと、鬼。

ダダダダダと駆けてきた鬼は怖ろしい形相をしており、瞑想している私の目の前に大きな顔を近づけます。映画千と千尋の、千尋とゆばーばのシーンのようで、大きな鬼の顔が私の目の前すれすれでジロジロと見ています。

とても怖ろしく、現実なはずはないのですが、妄想とは違い本当に目を開けたら目の前にいると思えるリアリティがありました。

戦いでした。鬼とではなく自分との。

鬼は私に恐怖心を与え、飲み込もうとします。私は恐怖に飲み込まれないように自分を保持します。

そして、私は鬼の恐怖を受け入れました。

「私はあなたが怖い。でもそれだけだ。私を飲み込むことはできないだろ」

痛みと向き合っていたことで、恐怖に飲み込まれずに一線を引いて物事を捉えられました。

恐怖を受け入れた瞬間に、鬼は私の味方になってパッと消えました。

まるで式神になった瞬間のようです。

 

憤り、怒り、痛み、怖れという鬼にあらがう状態が自己支配

鬼が味方になった瞬間、私の瞑想は一変します。

自分でも自分が急変したとわかる体感があり、施設や瞑想への憤り、怒り、痛み、怖れ、何もかもの認識が変わり、とても有意義で実りのある心地良い時間となりました。

ここで知った自己理解はとても奥深く、痛みは観察し続けると痛みではなくなり、怒りは観察し続けると怒りではなくなります。

「痛い痛い」と耐え難いほど思っていた痛みをジーッと観察すると、「このズキズキが痛いのか」「どうしてズキズキ=痛いなんだ?」「ホワホワが痛いではないのはなぜ?」「痛いって何だ?」と追及していきます。

細胞と対話するイメージです。

すると、ズキズキを痛いと思うことで自らをコントロールしようとする自己支配が見えてきます。

痛みだけではありません。
「どうして、なにが痛いのか?」
「どうして、なにが怒るのか?」
「どうして、なにが憤るのか?」
「どうして、なにが悲しむのか?」

自分の中に反発がある、抵抗がある、拒否がある、欲があると教えてくれます。

全ては「生きている」という認識に繋がり、生きている感は幸福にも苦しみにも変わり、痛いからこそ幸せになれます。

「この痛みをなくしたい」「こんなに痛いなんておかしい」という自分の思い通りにしたい欲には、憤りや怒りや痛みや怖れに対するあらがいや拒否があり、「鬼は怖いから嫌だ」とする自分を作ろうとする自己支配があります。

「怖れ」が自己支配を促し、直面して乗り越えずに一時凌ぎを欲すると、自分の思い通りにしたい欲が強くなります。

※支配欲による怒っていないのに怒る詳細は、【本当は怒っていない】訳もなくイライラする人に明確な心の合図 をどうぞ。

 

自分の思い通りにならないと気が済まない原因の核

「怖れ」への拒否感であり抵抗感。

あらがいが強ければ強いほどに自己支配を加速させ、自分の思い通りにしようとします。

思い通りにならなければ怖れの対処ができないので不納得が強くなり、嫌なことを味わう可能性が高くなって気は済みません。

気が済まなければ済まないほどに、怖れを認識しないようにさらに怒り、イライラし、不機嫌になります。

自分がいない他者支配であれば、不機嫌を他者に押し付け、人のせいにし、責任を負わせ、泣いて干渉し、同情を誘って思うままに人を動かそうとします。

 

怖れを自己解決できない原因が、自分の思い通りにならないと気が済まない原因

「怖れ」には恐怖心があり、「嫌だ、拒否したい、認めたくない」と思える危険や苦痛や拒否があります。

怖れは一時凌ぎで誤魔化せますが何度でも戻ってきます。乗り越えて克服することが真に自己解決です。

恐怖は愛と表裏の関係性があるため、恐怖を乗り越える際には愛を要し、自尊心(愛)がないと自己解決は困難だと考えられます。

自信のなさ、自己肯定感の低さがネックになります。

「どうして自己肯定感が低くなったのか?」の大きな要因を探ると答えがあります。

例えば、幼少期に親から否定されたことに起因すれば、親への許せない気持ちがあり、兄弟姉妹がいて自分だけ褒められず否定された場合には、不公平感による不納得が蓄積します。

これらの気持ちは心身内部に滞留し、鬼を大きくしていきます。

自らが認めたくない気持ちであるために、「嫌だ、拒否したい」という気持ちは強くなり、内部で大きな塊として鎮座し、自分の思い通りにしたい欲を作り、自己支配を作っていきます。

原因を理解することが改善の道を開き、鬼を活用することもできます。

この世に要らないものはないのかもしれません。

 

自分の思い通りにならないと気が済まない まとめ

自己支配なのか他者支配なのか、そこに自分はいるのかいないのか。この見極めはとても重要です。

支配欲とはとても大切なものです。自信を最大限に広げて能力や才能開花に繋がり、全体を統率する力にもなります。

一方で恐怖に怖れおののき、自ら向き合うことをも放棄して他者に頼り甘え、周囲も甘えさせて躾しないことでの他力正当化、自分がいないとすら気づかない陶酔にもなります。

大切なものですが、思い通りにしたい欲が自ら喜びを作る創作なのか、不納得をなくしたいコントロール目的なのかの違いによって、心理は一変します。

コントロール目的には怖れがあり、自己支配を強めて不納得を解消するために自らを縛る。そんな矛盾といばらの道を作ってしまいます。

しかし、自己支配の場合には根底に自己愛があり、責任を他になすりつけないさまがありますので、いくらでも自分次第で改善と向上へ向かえます。

自分の思い通りにならなくて気が済まない時、見つめるのはご自身の恐怖心。憤り、怒り、痛み、怖れをどうして嫌がるのか、ぜひ一度考えてみてください。

私の場合は恐怖心が鬼となって現われましたが、人それぞれに違う光景が目の前に広がるようです。

ネパールの瞑想施設では他に約二十名参加していましたが、恐怖を乗り越えたのが一名おり、その人は光を見たそうです。

恐怖の先には愛があり、闇の先には光があります。

自分の思い通りにならないと気が済まない時が闇。原因を理解して乗り越えた時、光が待っていることと思います。

そんな理解を深めるためのご参考となれば幸いです。

それでは、自分の思い通りにならないと気が済まないお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です