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【鉈をかかげた挙句】プライドが高すぎる人の末路を知る体験談

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自尊心がなくなり自らを名誉に感じる心を見失うと、プライドがなくなるので頭で作ろうとします。

結果、プライドが高くなっていき、あるラインを超えると高すぎる状態になります。

過去の私はプライドを高くしていましたが、海外を旅する中でプライドとは何かを学び、少しずつ緩和させていきました。

そんな中、メキシコのとある田舎町の外れでプライドが高すぎる人に出会い、行き着く末路を垣間見ました。

ここでは、プライドが高すぎると起きる失敗を見ていかれてください。

  • プライドが高い人の心理とは?
  • プライドが高すぎると起きる末路とは?
  • プライドの塊と出会った体験談とは?

これらを紐解き、「高くてもなんとかなるけど、高すぎると危険なんだ」と知っていただく内容となっております。

束の間の出会いは過去の私自身を見ている投影があり、「見栄や虚栄を守る誤魔化し人生を続けたら、こうなっていたのかな」と感じる経験でした。

そんな理解が、プライドの扱いと教訓を知る一つの考え方となれば幸いです。

若干のホラーとなりますので、お気をつけて読まれてください。

プライドが高すぎる人の心理

プライドが高くなる心理

人格と能力を誇り、尊ぶ心。

プライドは心との向き合いによって保持する欠かせないものです。

プライドとはあるかないかですが、プライドがなくなるとあることが起きます

プライドを低くするか高くするか、頭で作る

プライドの高低見出しに用いる手法はシンプルに、他との比較・区分け・差別化です。

  • プライドを低くする場合、自らを下・負・劣・否にする
  • プライドを高くする場合、自らを上・勝・優・正にする

他のルール、他からの評価判断、他人がいないと、プライドを見出せなくなるのが、プライドの高低見出し活動です。

過去の私は、自尊心と誇りを見失ったことでプライドを見出す活動へ入り、[プライド高]を求めるためにシーソーゲームの上側を目指しました。

自上げ他下げ活動によってプライドを高めます。

この心理にはある一つの原因がドンッと目立ちます。

ナルシシスト。

ナルシシストは自己愛を用いて自らに唯一無二の絶対性を見出そうと、プライドがない自己内部を直視せずに自己保身を図ります。

自尊がなければ自信もなくなり、現実を認めたくないのでプライドを高め、自らを保持・管理してコントロールを狙います。

この活動中枢にあるのがナルシシスト的在り方、自己愛の過剰性であり、自意識過剰、自己特別感、自己陶酔です。

※メンタルが弱いプライドが高い心理は、【極端に違うプライド活用法】プライドが高いとメンタルが弱い&強い をどうぞ。

 

ナルシススト濃度が濃いとプライドが高すぎる

ナルシシストが用いる自己愛は、自尊心のある心からの愛とは全く別物です。

頭から抽出します。

ラブ汁を脳内から搾り、フレッシュミルクの如くゴクゴク飲み干す。

言い方を変えると、男性ホルモンをとにかく捻出し続けて自己愛を保持し、自らを大切に愛する動機を見出し、自分にとって嫌なことを味わわず、優越によってプライド認識できる事柄を味わい続けます。

心の愛と違う点は、頭の愛は自分の利益しか考えないことであり、自分を絶対的中心にして周囲を使えるかどうかで見ます

  • 使える人に対して注ぐ優しさ
  • 見返りを求める前提での利益提供
  • 自己利益取得のための演技・誤魔化し笑顔
  • 自己優越を得るためのボランティア
  • 他者を劣等させるための同情
  • 傷負い人への捕食的擦り寄り

異形を極めた愛。

ラブ汁は脳から流れるために自分にしか向かず、他者によって自己愛を認知するため、別名我欲とも言います。

ラブ汁、もとい我欲が強ければ強いほどナルシシストは濃くなり、脳の自己愛に基づくプライドを高める活動は激化します。

自己保身を図るための自上げ他下げの過激行為は、自己中心性や自己愛性を強めた自己都合の見方に偏り、相手の意思や意図を一方的に捉え、勝手に怒ったり泣きます。

過激派は怒りや泣く行為に攻撃性と排他性を含め、他下げするために相手を傷つけ、責任を押し付け、罪悪感を感じさせようと狙います。

過去の私をモデルにするとこう言えます。

プライドが高すぎる状態は自己喪失のあらがい表現

あらゆる不都合な現実を認めず、不安や恐怖に苛まれて逃れられないキープ恐怖状態

自らの頭によって牛耳られた自分という空虚な存在は、被自己支配下

ナルシシストによる自己愛は本人にとっては利益を見出してくれる愛であるため、手放すことができずにハマり、依存します。

自己愛への依存は、プライドをどんどん高めていきます。

表に出すと自信過剰や万能感を持った幼児性となり、裏に隠すと自信がなくて自己否定や卑下による幼児性表現となります。

 

プライドが高すぎると悩みが解決しない

私自身の体験理解でしかありませんが、プライドが高すぎると悩みが解決することはありません。

自分にとって不都合で不利益なこと、プライドを傷つける出来事は自然現象でも何でも許さない念があり、過剰な自己愛を自己利益のために使う見返りに怨念発生があることが原因です。

霊に憑りつかれやすい状態と同じです。

怨念を発生させる在り方にいつの間にかなっており、「許さない」と思うようになります。

自責の抹消を意味し、あらゆる不利益事は他者のせいだと思い込む思念から離れなくなります。

悩み相談をしても相手を一方的に利用し、解決しなければ相手のせいにして、それに違和感を感じなくなります。

プライドが高い状態であるラインを超えると高すぎる状態になり、ラインとなるのが自分で自分のことを捉えようとしなくなった瞬間です。

プライドが高すぎると悩みが解決することはないので、頭がいい人やメンタルが強い人の中には、悩みを初めから作らないようにする人もいます。

自分を絶対的中心にすると悩む意味や必要性がなくなり、悩んでいるのが時間の無駄になります。

悩む意義となる認識向上、変化材料、成長機会などはなくなりますが、自分が絶対的なので、「そんなものは何の腹の足しにもならんわ」と一蹴して終わり、自分にとっての利益しか見なくなります。

※プライドが高い仕組みは、【仕組みと直し方】プライドが高いのに自信がないという人間ルール をどうぞ。

 

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プライドが高すぎる人の末路

プライドが高すぎる人の末路は一つ

プライドが高すぎる人にもいろいろな人がいますが、共通するのは一点、自分を自分で捉えられないことだと考えられます。

自らを捉えている思い込みがあり、実際は自らではなく他人や他のルールや社会性によって捉える常識が根付きます。

嫌なことを認めない、比較が癖になっている、自分の利益しか考えないさまで、この共通点有無がわかります。

自分を自分で捉えないと起きるのは、他によって自分を捉える認識。

ここにラブ汁を流し込むと、頭を使って自分を正当化、優越探しのマウントや論破、他下げの否定や批判、攻撃性や排他性を含めた自己中心性など、自己愛性のナルシシズムが踊ります。

不都合をなくして利益を得られるので本人は喜びますが、末路が少しずつ垣間見えてきます。

 

他者が関わらなくなり、自らを見つめなくてはならなくなる

プライドを高める過激活動をしながらの人間関係は、日に日に厳しい情勢へと変化します。

他者に執着できなくなっていきます

他者利用によって自己利益を上げることができなくなるのは、他者が関わってくれなくなるためです。

一方的に利益を得るための同情や優しさや根回しは、自分のことしか見えていない人にとってはわかりにくいですが、周囲からはモロバレです。

鈍感な人でも何度か利用されると気づき、周囲に残るのは無自覚な自己中心性を傍から見て楽しむ人か、同じように自己利益のために他者を利用する人です。

人が多いコミュニティなど関わる人が多い環境であればあるほど、プライドを高める過激活動は取得する利益以上に、見栄や虚栄の自己保持エネルギーの消費が多く、利益が割に合わなくなります。

人と関われば関わるほどに不都合が多くなり、認めたくない現実との直面を誤魔化すのに疲れ、耐えられないほど疲弊し始めます。

人を利用できないだけでなく、人と関わることが嫌になります。

このことから、他者に執着できないと明確なことが起きます

自分で自分を捉えなければならない

一人になればなるほど、生きるために自らが自らを見て、感じて、考えて、想い、評価し、判断します。

他者によってでしかそれをできなかったのは、プライドがない自らと向き合い、見つめることへの不安や恐怖、プライドを傷つけることを許さない念があるためです。

しかし、自らを捉えなければ一人では生きていけません。

他者に執着したい、けれども関われば周囲は嫌悪し、攻撃もされる。

疲れるし嫌になるので人と関わりたくない、けれども自らを捉えることを許さない念があるために、一人にもなれない。

初めは一人の時間を増やし、定期的に人と関わることで調整しながら難を逃れられます。今ではネットやSNSで人と関われるので、短期間の関わりでも継続すればなんとかなりますが、この在り方に末路があります。

 

プライドが高すぎる人の末路はプリズンブレイク

「逃げ続けなければならない末路」

常に追われる心理を抱えながら、逃げ切ることができない、という考え方です。

なぜならば逃げるのは他者と世間からでありつつ、自分自身からでもあるためです。

プライドを高めることは自己能力や才能を開花させ、より向上させる動機にもなる大切なものですが、プライドが高すぎる場合の着目は自分ではなく他であり、プライドがないことを直視したくない現実逃避です。

高めれば高めるほどに現実から遠ざかる結果がもたらされ、不都合をなくして自分にとっての利益取得、いわゆる自己保身になります。

保身している“自己”とは一体何なのか。

不安と恐怖に飲み込まれて苛まれた現実が“自己”であるのが、プライドが高すぎる状態です。

※自己中心的な人の末路は、【支配か成功】自己中心的な人の末路は二つ│自己中は大切な土台 をどうぞ。

 

【体験談】メキシコでの過激派プライドマンとの出会い

これまでの内容がわかりやすくなればと思いますので、私の体験談をご覧に入れます。

私がメキシコの田舎町を旅していた時のこと。

世界遺産の遺跡がある最寄町からさらに二つほど隣町へ行き、ゆっくりできる場所を探していました。

多くの人々に聞き込みをした結果、町から離れた森の奥に地図にもない宿泊場があると聞き、探しながら向かいます。

一本の道路脇にはズラーッと木々の緑が並ぶ中、何もない途中でコレクティーボ(乗合バン)を降り、木々の奥へ入っていきます。

深い森になり、泥だらけで舗装路のない地面を奥へ歩き続けると、綺麗な湖の畔に出ました。

周囲は森、目の前には澄み切った青色の湖。

そこには木で作られた小屋が何軒か建っており、髭の生えたおじいさんが経営しているコテージのような宿場がありました。

いつでも湖に入り、上がれば草原でポカポカと日向ぼっこ。ボートの上で宿泊もでき、振り返れば森散歩し放題。湖を一望できるデッキでは、風に包まれるように座れる自然界のソファがあり、一生座っていられるほどの心地良さ。

「スゴイとこ見つけた」と思いました。

「お客さんは他にいないから好きなだけ泊っていいよ」と言われ、小屋に案内してもらい、宿泊が決まりました。

「でも一人だけ日本人がいるんだ、前に出て行ったはずなんだけどね…」と意味深なことを言われ、含みのある違和感を残されました。

それが主役、プライドが高すぎる人、別名過激派ナルシシストです。

 

プライドが高すぎる日本人は迷惑でしかなかった

その日の夜、外にある共同キッチンで料理していると、その日本人と出会いました。

中年男性、歳は40中頃、はげ。

軽く挨拶と会話をした後に、「まぁ今日はゆっくりしなよ、明日には出てってもらうから」と言って去っていきました。

まるでこの宿泊場を自分のものだと思っている話し方をするので、変なのいるなと思いながらの翌朝、事は起きました。

私が湖の前で朝食を食べていると、「おぉ、まだいたのか」とおじさんがやってきました。

「えぇ、まだいますよ」と言うと、「この後、出ていくんでしょ?」と聞かれます。

「どういう意味ですか?」と聞くと、「昨日言った通りだよ、出て行ってもらうから」と表情が変わります。

「ちょっと意味がわからないのですが」と言うといきなり怒り出し、「あぁ!てめぇ反論するのか!」

口からピッピと唾が飛んだので、「おい、その口を閉じろ」と伝えると、火山が噴火するかの如く、顔がピーっと真っ赤になるおじさん。

机をドンッと叩いて、「出てけぇこの野郎!」と吠え始めます。

プライドが高すぎるおじさんは自分の言いなりにできないだけでなく、反論されたことで憤慨し、キレて暴れ始めました。

私の顔擦れ擦れに近付いてキスするくらいでしたので、「それは怖がらせたいの?」と伝えたところ、「ああぁあぁあ!」と顔の赤みは少し黒みがかりました。

極端な陰陽コミュニケーションが加速する中、おじさんは我慢の限界となり、自室にムンムン向かうと、なんと大きな鉈を持ってきました。

「オラァァア!!コロす!」

思いっ切り振り上げて私目掛けてやってきます。

怖い人だと思いますが、私はその前の一連でおじさんの目と顔に映るあるものを見ていたので、全く恐怖はありませんでした。それよりも私は自分の闇が出て来ると目のギラギラが血走るので、抑えるために高揚の枠から出ないように頑張ります。

声を荒げられて心臓がドキドキする高揚感の中、彼の目と顔に写っていた恐怖心が忘れられませんでした

それはまるで小学生時代の自分を見ているような。

私はずっと彼の目を見ていたのですが、彼は鉈を振りかざしたにもかかわらず、鉈の降ろし所がわからず、挙句には困り始めます。

振り上げても降り下げられない鉈をブンブンしながら、机を叩き、木を刻み、草を刈り採り、「あぁああ!何なんだよぉ!!」と憤ります。

私はどうしようか迷っていました。

詰め寄るか、解放するか、落とすか、なだめるか。

結局、宿泊場の管理人がやってきて彼を止め、彼はなんとか終着点を見つけているようでしたので、私は向かいました。

「今のところ出て行く気はないけど、なんで出てって欲しいの?」と尋ねると、未だ興奮状態の彼は、「あぁうるせぇよ!出てけよ!」

「理由がちゃんとあって、私が納得できれば出てってあげてもいいよ。はい、何?」と言うと、「あぁ!!もうどうすりゃいいんだ!出てってくれよぉ」とパニックに。

「どうすればいいんだよぉ」と虚弱化していきます。

この時、私はこの場を去ろうと決めました。

※人のせいにする因果の怖さは、【危険度高め】人のせいにする人の末路とスピリチュアルな捉え方 をご覧ください。

 

プライドによって逃げ続ける末路

この体験で理解したのは、プライドによって常に恐怖心に苛まれる状態を自ら作っている心理です。

他者との関わりではプライドの押し付けによって不利益が多くなり、関われば関わるほどに自らが傷つけられる思い込みに入り、それを拒むために他者を攻撃して恐れさせ、難を逃れているつもりになってきたのかもしれません。

宿の人に聞くと、「この人は前に出てってもらったのに、一定期間したら人が嫌になって帰ってきたんだよ」と言っていました。

プライドによって自己世界を押し通し、思い通りにならないと他を否定して排他する。

この先に待っているのは感情も思考もコントロールできずに、他によって自己愛の蜜を吸う我欲に支配された在り方。

自分がこうだと思えば、それ通りにならないと自己保持できず、起きるのは内部に巣食う恐怖心との向き合い。

しかし、それができないので他者に執着するも思うようにならず、自らを正当化したり、マウントにて優越を図り、他者を下にするための攻撃に向かいます。

彼は恐怖を与えることで思い通りに現実を認識し、恐怖心からの逃避としていましたが、それができなくなると逃げ道がなくなってパニック。

やり口から見るとだいぶ声を荒げるのは慣れているようでしたので、多くのカルマを積んできたように思います。

この件で宿の人は、「こんなに危険なやつだとは知らなかったから、出て行ってもらう」と言っていました。

逃げ続ける末路は、我欲の押し通しが如何にこの世で通用しないかを物語ります。

自らを変えずに、自己都合で周囲を傷つける見返りとして、恐怖心に苛まれて他者と自らに追われ続ける末路になるのだと考えます。

※偉そうな人の末路は、【偉そうな人の末路は二つ】特徴と心理にある末路の分かれ道 をどうぞ。

 

プライドが高すぎる人の末路 まとめ

体験談の時に感じたのは、過去の私を投影しておじさんを見ていることでした。

プライドが高かった時の私は、とにかく現実から逃げて、事実を誤魔化して自己都合の捉え方をしていました。

不利益を嫌がり、利益事に執着し、自らを正当化して心と向き合わない。

結果、人と関わるのは利益取得の利用概念となり、最終的には関われば排他されて傷つき、自らとも向き合えない恐怖心の苛まれ。

どこに行けばいい?

自己怨念による蟻地獄は、とにかく走るのみ。

「あのまま行っていたら、こうなっていたのかもしれない」と思うドッペルゲンガー的体験でした。

プライドの肥大化は自分だけの問題ではなく、明確に他者に干渉して迷惑をかけているため、見返りをしっかり受け取る時間がありそうです。

それは自己理解への兆し。辛ければ辛いほどに認められれば光へ向かいます。

光へ向かわない場合には闇へ向かいますが、どちらにも向かわずに彷徨うのがプライドが高すぎる状態です。

このことからわかるのは、プライドの危険性と大切さだと思います。

プライドを高めることは自らのプライド喪失の対処になりますが、自尊を見出す活動ではなく、自尊がないことを誤魔化す活動は、自分を喪失するだけでは終わりません。

一方で、プライドを高めるからこそ自分に集中して能力や才能を高め、極端ではありますが自分の絶対性によって物事を作り、新しい道を切り開いて人々を引っ張る力にもなり、その先に真にプライドがある状態を知る段階へ入ります。

事実を知るためにもプライドが高すぎる人が表すものに意味があり、プライドは高めるも低めるもなく、本来はあるかないかだと知れるのだと思います。

エゴもプライドの高さも今の社会では欠かせないもの。

末路の理解によって、何が事実かを知る一助となれば幸いです。

それでは、プライドが高すぎる人の末路のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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