『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「あなたのせいだ」
「~のせい」という概念、物事を良悪で分け隔てる、そんな世界を狭くする枠付け、絞り込み。
暗黙の了解に同調圧力、水洗トイレに火葬、タレントの不祥事に議会の延期。
責任所在をなくし、だからこそ誰かのせいにしたい我らが日本、忍法曖昧の術、へにゃへにゃ。
人のせいにする人とは悪人なのか、それとも私たち日本人誰しもにある未熟性の代弁者なのか。
責任を俯瞰し、枠付けを取り外すために、精神というスピリチュアルな理解が役立ちます。
ここでは、人のせいにする実態を暴くためのスピリチュアルな理解と、末路をお伝えします。
- 人のせいにする人の正体を知りたい
- 人のせいにする末路と危険性を知りたい
世の中を見つめるために、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
Contents
人のせいにする人のスピリチュアル
人のせいにする人とは、自己否定癖のあるナルシシスト+α
「今日のケーキの出来が悪いのは、君がいるからだ」
「この前の演芸会、失敗したのはあなたが変なこと言ったからだ」
人のせいにする際、責任を擦り付け、相手に非があると押し付けます。
これをするために、要するものがあります。
自分に非がある前提。
「私が悪いんだ」と自覚しているからこそ、そこに認めたくない真っ黒胞子があり、自分では受け止められないと知っているからこそ、テイッと他者に黒いの擦り擦り。
「うん、この黒いのは悪、私これ嫌いなの、だから、ね、スリスリ」
人のせいにする人はたくさんのことを全て自分で作り、広げ、他を巻き込み、完結させています。
簡単に流れを見てみましょう。
1,「うわ、失敗しちゃった」
→「私が悪いんだ」と物事が思い通りにいかないことを悪、ダメ、恥、劣、負に決めつけ
2,「どうしよう、こんな現実認めたくない」
→自分で作った“悪”を嫌がり、腫物を触るように扱う
3,「認めたら自分がダメみたいじゃないか、そんなの絶対嫌だ」
→強い拒否を生み出し、恐怖心に対する防衛意識やプライドを強める
4,「でも自覚しちゃったから、どうにかこの現実を変えないと」
→自覚によって既に現実となっているため、新しく塗り替えることで恐怖心を対処
5,「あなたのせいだよ」
→この人を悪にすれば、自分が悪ではないことになり、現実を認められる
自分のことしか考えておらず、さらに自分のことしか見ていない。
ただのナルシシストではなさそうです。
物事を成否、善悪、良悪に分けて決めつける癖があり、自分をダメだと思う自己肯定感の低さ、自己否定する癖が見られます。
かつ、自己否定したくないので現実を変えるために、自己世界だけを見て他者に非を擦り付ける、そんな責任転嫁の恐怖対処を自発的にするさまがあります。
周りが見えず、自分だけを徹底的に愛そうとするナルシシストとは違い、このタイプは人を見分け、人のせいにできる人を選んでから責任をスリスリします。
例えば、子供がスーパーで泣き叫んでいます。
「ママのせいだ、チョコバー食べたかったのに、売り切れてるじゃないか、ギャー」
この時、一緒にいるのがママではなく超怖いパパだったら、無言で現実を噛みしめ、家に帰ってからママに当たります。
対処をしています。
都合のいい世界だけを生きたいがために、自己都合で物事を解釈する世の中の全てを自己都合で見ている訳ではなく、現実をフラットに捉える認識があり、その後に自己都合にすり替えるために働いているさま。
人のせいにする人とは、自己否定癖のあるナルシシスト+自己都合の世界作りを頑張る人です。
スピリチュアルな捉え方
精神的に捉える場合、着目したいのは現実と自己認識のギャップです。
自己ルールに照らし合わせて物事を見ており、現実として起こったことはしっかり自覚する人。
起こったことはそのまま捉えながら、その後に自分の中での解釈を変えたいので人のせいにするという後付けがあります。
少しややこしいのですが、シンプルにするとこうです。
現実を認識する意識と、自己を認識する意識が二つ順々にある組み合わせ。
別々の意識が、一つの自己都合という現実をクリエイトする、そんな二段階式の現実認識方法。
これ、おそらく一般的ではありません。
一般的には現実を認識すればそれが現実。
脳が情報処理して投影された現実がある、これを認識して完結の一段階。
認めたくなければ誤魔化したり、逃避したり、嘘をついたり、結果的に認知が歪むなんてことも起こります。
しかし、人のせいにする人は誤魔化しも逃避も嘘もなく、認知も歪みません。
シンプルに現実と、その後に自己都合で作る現実のセクションが分かれており、人のせいにすることで自分の非を認めた現実が、他人に非がある現実にすり替わります。
スピリチュアルに表現すると、悪行のカルマを作ったとしても、カルマなんてないよ、ふんふふ~んと潜在的に思える。
そんな認識方法、意識を瞬時に変えることで成功させます。
人のせいにする人とは、意識を瞬時に取り換えることで自己都合の認識を作る人。
自分の嘘さえも、カルマさえもないものとできる特殊な認識を、幼い頃から長年構築してきた人だと考えられます。
※謝れない人にも当てはまりますので、【一旦人生ストップ】謝らない人の特徴と末路。欲が鎮まるまでの待機条件 をどうぞ。
人のせいにする人のカルマは特殊
スピリチュアルな理解には、カルマというまさに責任を問う行為と見返りの法則があります。
認識を作って現実をすり替えるのは本人の選択による自発的な働きですので、本人にとって大事だと思います。
ですが、人のせいにする人はカルマが積まれていることに気づけないので注意が要ります。
カルマとは自らの行為に対する見返りをうたいます。
具体的には、責任を持つべき人がちゃんと持つまでエネルギーが返り続ける自然の原理。
※詳しくは、【真理の言語化】カルマの法則とは?わかりやすく『責任の生死』をどうぞ。
責任を持たずに現実をすり替えた場合、見えない領域では常にエネルギーがツンツン、コンコン。
「あのぉ、お宅がこのエネルギー作ったんで、ドア開けてもらえますぅ?」
「え、なんのことですの?うちは知らんなぁ、お隣では?」
自分の悪行に気づけません。
失敗や認めたくない現実があっても、「はい、これはあなたのせい、確定」と自己都合の現実に作り替えを完了させているため、既に自分に非を見ていた一瞬の過去は過ぎ去り、上塗りされています。
ナルシシストは自己利益に目がありません。
まるで、蜂に追われて「嫌だ~!」と走っている際、路上に一万円札が落ちており「ラッキー!」となった瞬間、既に蜂から逃げていたことなど忘れているような。
カルマを積みながら気づけなくなるのは、自ら行為しながら行為の原因を自らわからなくしているためです。
自分にとって認めたくない嫌なこと、悪事、罪の意識、羞恥、孤立、未熟さ、そして自業自得を拒むために人のせいにする結果、上っ面ではなく本当に自分がしていることの自覚がなくなります。
徹底的なまでの恐怖心回避策となる一方、カルマはこれを黙っていません。
人のせいにすると起こるカルマの見返り8選
責任所在を自分から他者に転換することで、気づかない内に自ら作るカルマ。
このようなことが起こります。
- 自分の問題を解決できない
- 成長や進歩ができない
- 訳のわからない不納得が増える
- 感情コントロールできない
- 怒りやすく、すぐにイライラする
- 突然やる気が出なくなる
- 日によって活力のムラがあり、自制できない
- 本気で生きられない
「なんか上手くいかないな、スムースに事が進まないな」と思っても、原因追及できなくなる可能性があり、解決が遠のきます。
「なんでだろう?わからない、解消しない、むむむ」
わからないとイライラがたまり、感情コントロールはできなくなり、怒りやすくなる傾向があります。
これが溜まるとやる気が起こらなくなり、何よりも決定的なことが起こります。
本気で生きられなくなります。
人のせいにする人のカルマは、本気で生きられなくなる。
責任を持たないために頑張る行為は、恐怖心という現実をスルーする策であり、ネガティブを肯定できなくなると精神基盤が緩く、軸がなくなります。
さらに未浄化のエネルギーを生産しながら、自分の非を認めないことで浄化されずに溜まり続け、潜在的に罪の意識が増えていき、負が量産されます。
カルマという見えない領域での作用によって、自分の思うようにならないことに不納得があればあるほどに、知らぬ間に自らでカルマを積み、罪悪感を強め、アイデンティティを失い、結果的に本気で生きる力がなくなります。
なぁなぁに生きる、というやつです。
※人のせいにする内部構造、【選択権のはく奪】人のせいにする人の育ちは完全に矛盾 もありますのでどうぞ。
人のせいにする人の末路
末路①:因果を積み続ける危険
人のせいにすることは、認めたくない嫌な気持ちを終着させる方法、一つの恐怖回避戦略です。
誰しも多かれ少なかれ使用しているかもしれません。
恐怖心と対峙できなければ、嫌な気持ち(恐怖心)を自己対処できず、うつになってしまう可能性もあり、必要な人にとっては時と場合に応じて必要です。
しかし、人のせいにした自覚、罪、恥の意識がないと、末路は厳しくなっていくと考えられます。
日本では、暗黙の了解に同調圧力、空気を読むという言葉があるように、責任を曖昧にする鈍化が長期的に流行っていると思います。
責任所在を曖昧にする結果、最終的にどこかに責任を置かなければ次へ向かえず、先に進むためにも誰かのせいにしたくなります。
恐怖心の一時的対処ができ、とにかくその場が収まるので楽ですが、見返りは大きいもの。
都度悪行カルマを積み、見えないところで重たいエネルギーを量産するため、結果的に生きる気楽さがなくなります。
人のせいにする人の末路は、悪行カルマを積み続けて負のエネルギーを心身に量産した結果、心が満たされなくなり、生きる気楽さがなくなり、体がだるく、やる気が出ず、心が重くなる。
生きる気力が出なくなる。
※気づかない、自覚できないため、解決や緩和ができず、知らぬ間にどんどんと重くなっていくことに危険性がある
「誰かのためにしていれば巡り巡って自分のためになる」なんて聞くことがありますが、人のせいにすることはこの逆。
自己都合で気楽に便利さを取ることの怖さを、人生そのもので表すマスコットになりかねません。
※自己世界にこもった人の末路は、自分にしか興味がない人の心理と末路【関わると大変だけど大切なことを教えてくれる】をご覧ください。
末路②:人生をなぁなぁにやり過ごす危険
上述の末路①が進展すると、人生を詰みも進みもしない空転サイクルに入ります。
海の無風地帯に入った船と同じイメージ。
人生をなぁなぁにやり過ごす末路です。
人のせいにすることで、あらゆる嫌なことをなぁなぁにできます。
人生のなぁなぁ感を認識せずになぁなぁに過ごすことができ、なぁなぁな日々をなぁなぁ言っていると自覚せずになぁなぁ生き、最後はなぁなぁでいられるのかどうかという運び。
おざなりな人生になりながら、本人にとって表面的にはおざなりでないため、自分で気づけなくなる、いわば空想的生存戦略と言えるかもしれません。
潜在的に自らを苦しめ続ける副作用のある生き方、かつ自らを追及しては罪や悪を感じてしまうため、自分との向き合いができず、解決の糸口が限りなく狭くなっていきます。
何が良いか悪いかは本人次第ですが、空転サイクルの無風は流れがないために変化がなく、進展も成長もなく、肉体の老朽に委ねた衰退を際立たせる潜在的プロデュースになります。
「つまらない」と強く思いながら、何も変えようとしないさま。
愚痴や文句、妬みや嫉みが増え、無気力同士の人間関係に限定されていきます。
人のせいにする人の末路は、「つまらない」を味わい続ける。
つまらないまま人生が過ぎていく。
※これを人のせいにしても現実は変わらないため、なぁなぁなまま愚痴と文句を言い続けると考えられます
本気になれないカルマは、ジワジワかつ確実に心を蝕み、向き合えない自分と恐怖心を左脳対処する、そんな脳内こもりが唯一できることかもしれません。
その先に待っているものは何もない、という考え方です。
※人のせいと似ている主義については、「事なかれ主義の何が悪いの?」末路は“何もない”と知ったインド体験 をご覧ください。
まとめ:人のせいにする人の末路
多かれ少なかれ人のせいにするマインドを私たちは持っていると思います。
人間は成長できる生態ですので、人のせいにしても失敗を認め、反省し、内省し、自らを見つめ直すことで改善できます。
気を付けたいのは、恥もかかず反省すらしない状態。
些細な積み重ねは、壮大なカルマと共に大きな絶壁を作ります。
それは遥か彼方、見えないところまで続く壁。
常にエネルギーは重くのしかかり続けるので、今すぐ客観的に捉えたい行為が人のせいにすること。
どれほど重大なことをしているかわかりやすくなると思いますので、スピリチュアルな理解が役立ちます。
人のせいにしてきた分、自分との向き合いは難しくなりますが、結局末路を変えるも何も全て本人次第。
困難でも自分にしっかり着目し、正せることから正す大切さがあります。
見えない領域はわかりにくいものですので、人のせいにする実態が一つのご参考になれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
うちの姉が完全にこのタイプ。
自分の決めたこと、結婚も離婚も、離職も病気もすべて自分が積み重ねてきたカルマのせい。
一生人のせいにして生きる人と一緒に過ごすには、忍耐と苦痛でしかありません。できるだけ早く離れようと思います。
初めまして、こんにちは!
色々悩みが多いので、とても勉強になります。
いつもためになる記事をありがとうございます。
相手から「あなたのせいだ!」と責任をなすりつけられた時に私はとても理不尽に思い腹が立ちます。(本当に貰い事故位私に関係のない事をなすりつけられるのです。)
責任をなすりつけられやすいため、家庭や職場等で何度も腹立たしい経験をし、それでも尻拭いをしないといけないためストレスで体調を壊してしまいました。
人は好きで関わりたい気持ちはあるのですが、責任転嫁する人によく当たるため、心身ともに疲れてしまいました。そして次第に人といかに関わらず生活できるかを考える様になりました。
質問なのですが、現状の私は、人のせいにするカルマの⑥⑦⑧が当てはまります。
なので結局私も人のせいにしてるという事なのでしょうか?
はじめまして。
お役立ちできて何よりです!
文章から読み取れる範囲では、エネルギーを与えやすい人なのかもしれません。
多かれ少なかれ人のせいにするのが私たち人間ですが、おそらくさなさんは人のせいにしない人だと思います。
ただ、エネルギー量が多く、利用されやすい、またはなめられやすいので、人のせいにするような人に寄り付かれる。
線引きをして、妥協しない大切さがあります。
責任を取るのは相手のカルマに干渉する行為でもあるので、責任を持つべき人に持たせることが、さなさんにとっての責任だったりしますよ。
では、素敵な一日を。