心理と特徴

【優しい人が縁を切る明確な理由】切らなければならない条件付き人間関係

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日本ならではの「優しさ」には、利益を与える奉仕と忍耐と美徳が組み合わさり、時に突拍子もないシャットアウトが発生するようになっています。

優しい人が縁を切る時、そこにはある明確な理由があります。

そして、優しい人が絶対に縁を切らない人がいます。

ここでは、優しい人が縁を切る理由と共に、切らなければならない理由を詳しくお伝えします。

  • 優しい人が縁を切る理由を知りたい
  • 優しい人にとっての縁を切る・切らないの違いを知りたい

これらを紐解くと、優しい人の人間関係の軸と共に、関係性に大事なポイントがわかります。

縁を切る内情理解によって、よりよい人間関係を作るための一つの考え方となれば幸いです。

Youtubeもありますのでご覧ください。

優しい人が切る縁と切らない縁

優しい人が縁を切る明確な理由一選

友達だと思っていたのに、突然会わなくなる。

「あれ、留守かな?」と思うその家、とうの昔にもぬけの殻。

「最近あの人を見ないな」と思ったら、北極に移住していた。

今どこにいるのか、全くわからない忍者のような人。

大人しくて、率先して嫌な仕事も努め、周りをよく見てサポート、ニコニコと笑顔を振りまき、怒らない、優しい人。

なんでも
なんでも
縁を切られる側は理由もわからないままに、関係性が終わることすらあります。

一体何が起こったのか?

はっきりした理由が考えられます。

「これ以上我慢する意味がない」と判断が下った。

「これまでは我慢する意味があった」と同義です。

 

優しさは我慢で作られている

なんでも
なんでも
「我慢する意味とは?」を紐解くために、優しさの理解が鍵になります。

ここで言う「優しさ」は思いやりとは違い、愛や敬いとも違い、知性に基づく利益提供と考えられます。

日本ならではの特徴があり、我慢に則ります。

「嫌なことも我慢して耐え忍ぶ」

責任感や自責(自らの思考と行動を自覚する)がある人ほど、我慢を忍耐力として使います。

※忍耐力とは、嫌々ではなく自分のために喜んで我慢する能力

嫌なことがあっても、認めたくないことが起こっても現実から逃げず、心を傷つけず防衛し、不要な影響をなくし、自分を見失わず、邪魔に翻弄されない力。

我慢を上手に使うことで、人間関係をスムースに運ばせる工夫ができ、自己解決する知性の活用となり、自己防衛の合理的手法になり、優しさの形が生み出されます

他者に利益を与え、代わりに犠牲を払うことです。

[利益与え+犠牲払い=優しさ]

嫌々でも代わりになり、みんなの分も頑張り、努力と苦労を惜しまず、多少傷ついても諦めず、誠心誠意身を粉にする。

傷つき具合があるほど、利益をもらう側は優しい人だと認知します

全ての行為の大前提にあるのが、「我慢」

我慢で作られている優しさであるために、「我慢する意味があるかないか」の理解が表れます。

 

縁を切る対象:我慢する意味がないと判断した人

なんでも
なんでも
我慢する意味があるかないかは、優しい人にとって大きな線引きです。

知性によって合理的に優しさを見出した前提があるため、優しい人は物事の「意味」を重んじ、我慢する意味があるから優しくしました。

しかし、我慢そのものは自己防衛でもあるため、我慢する意味がなくなる場合、それ以上優しくすると自分が傷つく、護れない、問題解決できない、対処能力が間に合わないなどの危惧があります。

いわゆる、犠牲を払って優しくしていても、本来の目的はあくまで“自分のため”

自分がにとって防衛や損害回避できるか否かの指標があり、それに沿って我慢します。

これを継続することで優しくするのが癖になり、「我慢すればなんとかなる」が恒常化してやめられなくもなります

すると起こるのは、我慢することや我慢している自分に“納得いくかどうか”の自己判断。

我慢する自分に納得いかなくなると我慢する意味がなくなり、そう思った対象に縁を切ります。

対象にはこのような特徴があります。

優しい人が縁を切る対象の特徴
  1. しつこい
  2. 搾取し続けて反省しない
  3. 人を利用してマウントを取りたがる
  4. 思い込みと押し付けが強いことに無自覚
  5. 物事の有難みを知らず、甘えた寂しがり屋
  6. 対価を払う気がなく、一方的に貰うのみ
  7. コミュニケーション(相互交流)ができない
    …一方的に聞くだけ、話すだけ
  8. 妄想に浸って現実逃避し続ける
  9. 悪口や否定が多い
  10. 平気で嘘をつく

正直、これらは優しい人かどうか関係なく、オールラウンドにみんなが縁を切る対象ですが、

要約すると、人を利用する人であり、関係性に変化を望めない対象です。

特にお伝えしたいのは、「この人、私のことをわかっていないな、わかりそうもないな」と思ったこと。

これからも同じ状態が続く危惧であり、変わらない関係性の予測であり、自分の我慢許容を超えるアラームでもあります。

我慢し続けなければならないと判断できる対象であり、関わり続けても対等で平等な関係を望めない対象です。

例えば、優しくしても感謝しない場合。

すぐ「当たり前」だと思う認識、それに気づかない状態は執着心の強さを表します。

 

縁を切らない対象:同じような人

なんでも
なんでも
一方、縁を切らない人もいます。

この対象は、優しい人が利益を与え続けたいと思う人。

しっかり現実を見て、もらっているもの、提供されている価値を把握し、有難みを認識して対価を払う人。

いわゆる、相互交流できる人

お互いがお互いに何をして、受けて、与えているかわかっている人です。

ところが、優しさである[利益与え+犠牲払い]は、我慢という本人にしかわからない内面で行われているため、相互交流が一般的ではありません

「え、今の我慢だったの?」とわかりにくい。

例えば、「優しい人と話すと沈黙がないからすごく楽」と思っている傍ら、相手の気まずいムードを本人より早く察知して、先回りしてトピックスを変え、先読みして話し方を変え、間の置き方やスパンを変えるために頭をグルグル働かせるのが優しい人です。

家に帰ったら、「はぁ、づがれたぁ」と300年間置きっぱなしのニンジンみたいな顔をしていたりします。

このことから、「どんな人だったら縁を切らない?」の対象を要約するとこうなります。

優しい人と同じような人
(ニンジンみたいな顔になっているとちゃんと知っている人)

周りを見て、自責を持って全体を認識でき、細かいところまで配慮でき、もらった利益や価値を知り、対価を払え、我慢できる人です。

 

縁を切らなければならない、そんな優しさ

優しい人は静かに縁を切る

優しい人は、

スー。

切れたかどうかもわからないほどにスパン。

竹の原型が残り、静かにズレて倒れていく。

白肌の忍者が通過したように、冷たい風が残ります。

ここでお伝えしている我慢で作られた優しさは、我慢という本人にしかわからない内面が、優しくする発端です。

なんでも
なんでも
自分が優しくしたいからしているので、優しくしたくない時も本人の判断になります。

あらゆる決定権を持ちやすい状態創作が事前にあり、緻密で知的な人間関係の基盤を無意識かつ自然に作っているのが日本ならではの優しさ、非常に地頭と認識力の高さが伺えます。

といっても相手を支配して、自らのテリトリーでコントロールしやすいようにするのではありません。

そこは優しい人、どちらにも主導権を持たせない平等なステージを作ります。

人間関係の不具合や不祥事が起こった時、そのステージを作ったのは優しい人であるため、解体作業も逃げるのも、優しい人の方が確実に早く対処できます。

損害や不利益が発生し、「はい、これ以上は我慢する意味なし」となった時、ステージからいなくなる判断をいち早くでき、パパパと消える。

残ったのはこれまで関わっていた人。

「え、これって縁を切られたってこと…?」

ポテ、と照明器具がズレ落ちる。

静かに、そして突然縁を切られたように思えますが、優しい人からすると兆候やサインがたくさんあり、あらゆる一連を見続け、さらに我慢する意味があるかないかを判断するために、しっかり相手を捉えて判断する過程があります。

しかし、そんなことが起こっているなんて知らない場合、置いてけぼりを食らいます。

 

自己中とは違う縁切り

静かに縁を切るさまは、まるで自分勝手な自己中に思えるかもしれません。

なんでも
なんでも
実際は、自己中とは違う内情がありそうです。

自己利益のために人と関わり、「あ、もうこの人と関わっても何も楽しくない、あなた飽きた、チョキン」なんて人とは全く一線を画します。

優しい人の人間関係は基本的に、「相手に合わせる」です。

始まりから終わりまで相手に合わせて自らを変え、主張したり押し付けずに、相手の性格を許容し、利益を与え、よい関りを共有できるように柔軟に工夫し、対処し、受け入れます。

実際には一人でも生きていける自立した人ですので、自分勝手になりたくてもなれないほど自制心が整っています。

しかし、自己中に思える節もあります。

一方的に対等や平等を重んじるからです。

優しい人は対等な関係を求めながらも、我慢によって自らの不利益を回避し、同時に他者に利益を与えて不利益を除いてあげます。

平等意識があるからこそ自他両方のためになるように優しさを仕上げており、無意識に起こるのが“お返しがないと平等にならない前提”です。

お返しといっても、「あげたんだからちゃんとお返ししなさい」というのではなく、感謝でもなんでもよく、犠牲を払ってあげていると知ることで対等になり、これが納得して我慢する意味にもなります。

もちろんお返しの行為を実際にしてくれる人がいれば、なおのこと対等で心地よい関係性になります。

とにもかくにも、「自分をわかってもらえる」ことが重要になる優しい人。

相手のことがわからないと利益与えも犠牲払いも一方的で自己都合なので、自己中に思える節はあります。

 

自己中に思える理由:優しさはもらう側にも責任がある

なんでも
なんでも
優しい人の縁切りは自己中ではないのですが、自己中に思える節は他にもあり、大切なことがわかります。

相手に合わせて関わっている前提があるため、「相手が変わる」ではなく、「私が変わるかどうか」という脳内ルールが特徴的。

自責や自立ゆえの調和のズレが発生します

さらに、我慢に基づく優しさは、「利益をもらうならちゃんと付いてきてくださいね」という、相手に合わせた優しさではない特徴があります。

少しややこしいのですが、関りや利益そのものは相手に合わせるので相手のためになりますが、行為そのものは自分都合の優しさ。

極端に言うと、「あなたの利益に合わせるけど、利益を与えているのはこちらであり、自己防衛のためでもあるので、あなたのペースには合わせませんよ」なんてイメージです。

利益を貰う側が、「これって利益?あれって我慢してるの?」と相手の気持ちや行為を理解しなければならない前提の優しさ。

相手のための利益でありながらも、自分のための優しさであるために自己中に思えますが、実際にはしっかり対価をもらう前提での行為であるため、Winwinを重んじています。

与える側ともらう側の両方に責任がある日本の優しさは、見えないところまで把握を要する特殊なものです。

これを表す言葉が、「ただより高いものはない」

 

優しい人は縁を切らなければならない

優しさが我慢に基づく場合、大前提「自分のために優しくしている」があります。

優しい人の「自分のため」とは、「自分だけが愛しいんだ、オラオラオラ」という他の排他とは違います。

[自分のため=無用な邪魔や抵抗の撤廃(ディフェンス強化)]
※自衛を強めるさま

「自衛のために調和を図ろう」と平和的狙いが生まれ、自分のためが他者のためにもなり、結果的に自己犠牲で損してもディフェンス達成できれば善となります。

これが海外では、「オウ、ジャパニーズ、ポライトネ」とかなんとかになり、関わる他者はいいのですが問題は優しい人自身です。

自然と我慢による抑圧が溜まり、ストレスを積み、エネルギーを消耗しやすくなります。

これまで育んできた類まれな忍耐力と自制心があるため、エネルギー消費はかなり少ないですが、エネルギーそのものが多い訳ではないので、人と関われば関わるほどに損失が増えます

「この人は私とは真逆のタイプだ」と思う人と関われば関わるほど、遅かれ早かれ縁を切らなければ自己保持できなくなります。

自己喪失、精神形骸化、メンタル虚弱、うつ、統合失調症、過敏症状。

自らを護るためにも、優しさを多用した暁には、縁を切らなければ自らを苦しめてしまう状態がやってきます。

この世の原理は因果応報

「自分のため」である優しさを多用する見返り、同時に利益を貰うだけの見返りもある世の常。

縁を切らなければならない見返りと、縁を切られる見返りは起こるべくして起こった反動と考えられ、物事の意味を知り、変化する機会となります。

 

優しい人におすすめの人間関係

なんでも
なんでも
我慢に基づく優しさは、デメリットもありますがメリットもあります。

利益を与え、犠牲を払う在り方で他者と関わるため、何を与えているか払っているかわかってもらい、さらにそれに対するお返し(感謝でもなんでも)がないとWinwinにはなりません。

相互交流は現実を捉えてお返しする前提を要し、利益をもらう側は催促している訳ではないので、「え、関わるだけなのにお返し?」と思えます。

「じゃあ利益与えなくていいよ、犠牲払わなくていいよ」と思いますが、これでは優しい人ではなくなり、そもそも関わる理由がなくなるかもしれません。

優しい人、関わる人の人間関係は、見えない契約が交わされており、根本的にお互いが合わせようとしなければ相互交流できません。

このことからわかるのは、深い関係性しか成り立たないことです。

優しい人は一般概念よりも、関わる人を選別する大切さがあります。

優しい人が合うのは同じように優しい人であり、周りや全体が見える人、我慢できる人。

「優しくしなきゃ」ではなく、「この人のためにしたい、喜んで欲しい」と思える人と関わることで、優しさは一気にグレードアップします。

ネガティブ主体の我慢なので、「嫌なことが起こらないように」が行為の目的になりやすいですが、ポジティブな動機を持つことでこれまでの優しさが花開き、進化します。

傾向やタイプは違くとも軸が似ている人とであれば、常に利益を与え返し、貰い返し合う関係性となるため、平等で調和がとれ、さらに共有もはかどり、とてもいい関係性が作れます。

なんというか、日本と台湾みたいなイメージです。

同族にはどこまでも優しいのが優しい人の真髄でして、愛や敬いを持った思いやりになる素敵な民族です。

縁を切るなんて概念は存在しない、平和条約が自然と生まれます。

 

まとめ:優しい人は縁を切る

優しい人は我慢に基づく行為によって合わない人とも関り、自らを苦しめることが起こります。

誰とでも合わせられる柔軟性は優れた能力でありながら、自らを蝕み後々痛手を負ってしまうため、リスクがどうしてもあります。

縁は切らなければならない人もいながら、切ってはならない人もいますので、我慢の限界で切る以上に、しっかりと相手を見極めて断ち切るとご自身のために役立ちます。

優しい人と関わる人は、タダの怖さや一方的に貰うことに見えない影響があると知ることで、しっかり相手を見極めて関りを柔軟に変化させるアップデートに役立つと思います。

人間関係は見えない部分が多くを占めていますので、『優しさ』と『縁切り』の内情理解が、一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. 金時 より:

    長年にわたり自分の中にあるモヤモヤした感情や行動がスッキリしました。

    ここまで明解に解説されているサイトに巡り合えて感謝します。

    まるで私の事を書いてあるようでした。

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