心理と特徴

【成長or戦い】友達がいない人の末路は一つ、選択は二つ

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なんとも悲しい響きのある、友達がいない、ひとりぼっち。

実際に友達がいないことには、自責がない他人利用、相互交流のない心理的捉え方がありながら、非常に大切な人間の本質的捉え方もあります。

友達がいない人の末路は悲しい孤独死なのか?

いえ、事実はそう一辺倒ではありません。

ここでは、友達がいないと起きる大切な理解と、心理を覗くと判明する末路の選択を見ていかれてください。

  • 友達がいない人の末路とは?
  • 末路を分ける二つの選択とは?
  • 友達がいない人の因果と、末路変えとは?

これらを紐解き、「末路の良い悪いは全て自分次第で変えられるんだ」と知っていただく内容となっております。

私の家族には友達がいない(いなかった)人が多く、実存的に教わった心理と末路には、ある一つの因果が際立ちます。

理解には人間の本質が見られますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

友達がいない人の末路は良い悪いが極端

友達がいない人の末路は一つ

末路は孤独。

非常にシンプルですが、どう向き合うかは人それぞれです。

孤独を受け入れれば、自分の時間と空間認知による人生を作っていきます。

孤独を拒否すれば起きるのは執着。

自分ではどうすることもできないほど人や物や情報や制度や保障である“他”に寄りかかり、依存心が剥き出し、他なくして生きられなくなります。

不安や恐怖に対して自分でどうすることもできず、誤魔化しや逃避をもできない状態では、他への干渉をやめられなくなります。

末路である孤独にはとっても重要な意味があります。

 

末路は自分の人生との向き合い

死ぬ前だと考えるとわかりやすいかもしれません。

死を迎えて覚悟した時、私達は独りになります。

周囲に他がいる認識の上での“一人”ではなく、自分のみの“独り”。

この時、はっきりと自分と自分が向き合います

私はこの瞬間を何度か経験したことがあるのですが、全ての経験で共通したのは、一切他が介入する余地のないシンプルな[自分:自分]。誤魔化しと嘘のない、心から誠実で正直で真摯的な向き合いでした。

孤独になってわかるのは、自分そのものです

自分を知らなければ知らないことが、わからなければわからないことが、存在しなければ存在しないことがはっきりわかります。

友達がいない人の末路とは、自分と正式に向き合う人生と考えます。

この捉え方は、良い悪いが人によって極端に分かれます。

 

友達がいないから始まる人生

自分と向き合える人は、プラスに捉えられます。

「利益がある良いことだけは認める」「不利益な悪いことは認めない」という功利都合主義ではなく、良いも悪いも共に認められる人は、愛も恐怖も共に向き合えるため、友達がいないからこそ真に自分の人生が始まります

ひとりぼっちが良いも悪いも、寂しいも楽しいも、事前概念に基づいた仮想生存ではなく、「楽しみたいから楽しむ」「悲しみたいから悲しむ」と実存化します。

他の介入による気の使い、演技、偽りに取り繕い、偽善に建前、制約や慣習へのルール従いに惑わず、在り方も人生も自分で作ることができます。

友達がいないからこそ成長するための機会作りになるのが、この末路です。

 

友達がいないから終わる人生

一方、自分と向き合えない場合、執着、依存、干渉、エゴ、他律、他責、他力、他人軸、他動、形骸化が顕著になります。

誤魔化しや嘘による自己欺瞞(じこぎまん)が通用しなくなり、見たい所だけを抽出して彩った自己都合の世界、認知の歪みから目を逸らせなくなり、不安と恐怖が襲い掛かります。

まるで目隠しで安心して生きてきたのに、友達がいなくなると目隠しがポイッと取れちゃう。

あらゆる現実が浮き彫りになり、これまで勉強、努力、経験、行動、育み、学びをしてこなかったことに直視せざるを得ない。

他者との人間関係によって自分と向き合わずに済ましていた場合、友達がいない期間が長くなると、自然とこれまでの人生を維持できなくなります。

元々自分の人生を生きていなかった事実に直視せざるを得ない、そんな末路と言えるかもしれません。

※友達が少ない人の心理は、悪口を言わない人の心理と友達が少ない関係性│無関心と怖さは特定の人を離す をどうぞ。

 

友達がいない末路に二つの選択

孤独による人生との向き合いは良い悪いが極端に分かれますが、どちらも共通の選択肢が二つあり、良い悪いの違いはそんなに重要ではなかったりします。

重要なのは選択肢のどちらを選ぶかです。

孤独による二つの選択肢
  1. 自分の人生を極めるための成長
  2. 自分の人生と向き合わないための戦い

[成長 or 戦い]

友達がいない末路は、片や孤独を成長機会にし、片や戦ういばらの道にします。

詳細を見ていきましょう。

 

①自分の人生を極めるための成長

一つ目の選択は、「友達がいない、やった、成長し放題」というものです。

大げさではなく最高の成長機会となり、喜ばしいものでしかありません。

その理由があります。

他者との関わり、特に友達として自分をよく知ってくれている人とは、調和や協調、共有に仲間意識が育まれ、さまざまに利益がもたらされます。

楽しみや喜び、満足や納得を求め、得る時間になりますが、成長機会は極端に乏しくなります。

“友達”との関わりは嫌な人との関わりではないので、喜びなどの利益を得る目的を持った自分の感情と欲求を主体にした時間になりやすく、フォーカスが自分になる(または相手にフォーカスしていると思い込む)と、自分という成長媒体を知ることができません

まるで指をピロピロしたいと思ったらピロピロなっていることを理解できないように。

自分がしっかり認識されていないと、成長するのは自分だと思い込んでいる空想上の何か。

私達は自分をまず明確にし、その後に他者との調和を図ることで自他を認識でき、初めて成長する本体をガッチャ、掴み取ります。

この典型は幼少期頃までの子供です。

その後の成育と共に他の影響が強まると、自分がしっかり認識できなくなり、社会的に定められた成長という何かはあっても、人間としての成長はなかったりします。

成長は楽しいことや他者との調和、利益にフォーカスした在り方以上に、関わりたくない人との関わり、変化や行動を促す今を生きる在り方、求めるのではなく付いてくる結果を作ることにあります。

自己納得の先ではなく、変化と行動による開拓の先に成長があり、最も促進される環境が孤独です。

  • 楽しい友達との時間は、嬉しい利益をもたらす
  • 友達がいない孤独は、人間に必要な成長機会になる

という違いがあり、友達と喧嘩した後の仲直りなど、成長できなくはないのですが、機会がめっぽう少ないのが友達との時間です。

「自分とは何なのか?」
「自分の人生を生きるとは?」
「幸せとは?楽しいとは?喜びとは?」

あらゆることを本当の意味で知れるのが孤独。友達がいない末路は自分を際立たせ、人生を謳歌するための機会です。

※友達がいるからこその苦労は、【いらない友人関係?】友達に疲れるようになった時に大切な自己理解 をどうぞ。

 

②自分の人生と向き合わないための戦い

もう一つの選択は、過酷な道へ進みます。

「どうしてそんなことをするの?」と思えますが、自分と向き合いたくないからです。

不安と恐怖を直視したくないからであり、恐怖心に対する抗体を一切育まずに来ると、勇気や覚悟を持てないために、選択は逃げるor誤魔化すになり、自ら過酷な道を選んでいることに気づかなくもなります。

例えば、何でもかんでも友達の言う通りや、他とつるんだ集団構成によって自分の存在を誤魔化したり見出してもらったり。

恐怖を乗り越える経験機会がなくなり、ネガティブや失敗したり嫌なことが起きると、対処・改善・解決できなくなります。

過去の辛い経験や一人でのチャレンジなど、苦労を自分の力にしている人は、ここではっきりと差が出ます。

恐怖心と向き合うためには我慢や忍耐や自制、自らを直視する誠実さや正直さや意志、自分との向き合いを要し、苦労を力にしてきた人は孤独を愛して成長できるだけできます。

しかし、恐怖心に対する抗体は筋トレしなければ筋肉がないように、育まなければありません

※ここでは、恐怖心の抗体を“孤独力”と表現します。

孤独力がないと起きるのは、他への執着と依存です。

依存したくなくても、しなければ恐怖心と向き合わなければならないので、他者への迷惑や損害、自分の中でジレンマや矛盾や戦いが起き、成長とは真逆へ進みます。

※性格が悪い人の末路は、【自滅か幸福】性格が悪い人の末路は極端│始まるも終わるもない人生 をどうぞ。

 

友達がいない人の末路は変えられる

因果が関わる末路

「友達がいない、ひとりぼっち、孤独」などのフレーズは、世間的にはネガティブな印象を持たれやすいかもしれませんが、ネガティブに思うのは孤独力がない人だけかもしれません。

実際に末路が良いのか悪いのかは本人にしかわからず、本人が選択によって決められます。

選択している自覚がなければ自分との向き合いがない意味ですので、友達がいないことは、過去何をして生きてきて、何を育んできたかを問われる法廷のようなものかもしれません。

「バンバン、静粛に!」

「該当者は前に」

「友達がいない現状が続いております。さぁ、あなたはどちらを選択しますか?」

「成長か、戦いか?!」

‥‥

私自身、友達があまりおらず、会社員の時の休日はほとんど一人での活動でした。

散歩、サイクリング、バイクツーリング、旅行、本屋巡り、公園でぼー、資格の勉強。

都内で一人暮らしだった私は、ときおり寂しく思っており、「このままどんどん孤独になるのかなぁ、チョボチョボ」と蛇口から滴り落ちる水の気持ちでした。

そんな私も法定に立たされ、問われます。

「成長か、戦いか?!選べ!」

戦うのは嫌なので成長~。

末路は本人が決めます。

これを自由意志と言います。

ここには因果が関わります。

 

孤独の領域に入る時、因果が返る

友達のいない時が続き、孤独を感じた初めの瞬間、人間は誰しも寂しさや辛さを感じます。

孤独ゾーンに入る瞬間です。

そこは紛れもない自分と向き合う真摯な場。

ここでは嘘や誤魔化しができません、四次元領域と同じです。

嘘や誤魔化しを使用する人は、そんな自分を自覚せざるを得なため、心地悪くて苦しくなります。

善や悪の区分けによる苦しみではなく、自らと向き合わず、自分がない人かどうかがわかる感覚領域です。

向き合わないとは、自責がない意味。

自らの思考と行動を認めて自覚しないことであり、全て因果の見返りを作ります。

別名悪行の蓄積です。

例えば、友達を作ったのは自分が利益を得たいから。私が喜んで楽しくなりたいから一緒に遊び、カラオケに行き、旅行に行った。

独りでいるのが怖くて、辛くて、周りからの評価が気になり、恥ずかしい思いをしたくなくて、向き合いを誤魔化し、不利益をなくせるから。

孤独力のない人の友人関係とは、感情と欲求主体の希薄で空虚な利用し合い。相手が困っていても、自分が困っていても誰も手を差し伸べません。

利益があるのは大切、楽しくて嬉しいのは素敵なことです。

しかし、いつか誰しもに訪れる孤独に入った時、自らの功利のみに着目して成長しないで来た人は、自責のない人間関係によって積み上げた因果がドンッと返ってきます。

利益を自分で作らず、貰い続けて現実から逃げ続けた因果の見返りは、自分がないというはっきりした自覚です。

※友達がいない時に知りたいことは、【恋人作りより難しい】友達ができない人の理由と特徴は“大人ぶる” をどうぞ。

 

自分がないからこそ末路を変えられる

自分がない自覚

これのために私達人間は長い年月をかけます。

この自覚がないと、自分というものを見出すための学び、経験を活かした成長ができませんので、自分がないと認めることはプラスの意味しかない“始まり”の物語りです。

始まらなければ自分のみの利益追求に走り、自己愛と自己防衛に基づいて功利取得を目指し、友達との関係でエゴを作り、執着と依存を育んでいきます。

孤独とは自分がないことを自覚する機会そのものです。

孤独になって初めて自覚する人は、孤独力など到底まだありません。

一切育まずに誤魔化して逃げてきた在り方には意志がないため、自由意志が存在しません。

成長したと思っても、思い込みによって認識した空虚な自分に対する外枠付帯であるため、孤独になった時には何の役にも立ちません。
※社会的に生きる上では大いに役立ちます

しかし、孤独になれば全てが始まります。

初めは大変ですが、成長を始められます。

高齢者であっても筋トレすれば筋肉が付くように、勉強すれば記憶できるように、自分と向き合えば成長できます。

成長に年齢は関係ありません。

「もう遅い」という概念は人生に存在しません。存在するのは死ぬまでやらなかったアウトオブライフの時です。

自分がないと自覚できる孤独を使わない手はありません。

自分がないからこそ成長しようと思う意志を見出すと、末路は変えられます。

※友達を作る必要性を考える、【利用は餌撒き?!】性格の悪い人ほど人気者で友達が多い訳がある をどうぞ。

 

友達がいない末路に大切なこと

末路をポジティブな成長機会にしていきましょう。

孤独に辛いイメージは似合いません。辛いのは孤独領域に入る瞬間だけです。

入ってしまえば、自分の好きなように人生を作る物語の始まりです。

一人焼肉に行き、肉が来るまでは緊張しますが、肉が来たらこっちのもの、好きに肉を焼いて食べるのと同じようなものです。

冒険は何歳になっても始められます。

ただ、絶対に忘れてはならないことが一つあります。

行動し続けることが欠かせません。旅と同じです。

成長と言っても苦行・修行をナムナムするのではなく、友達がいないことを人生活用するのがここでお伝えしたい考え方です。

「滝行するために冬は山籠もりだ!」ではありません。

友達がいない孤独だからこそできることをします。

できるのは人生の創作であり、「自分の人生って一体何なんだ?」の答え作りです。

図工の授業が始まったと思ってください。

「はい、今日の授業はライフスパンでやってもらいたい、自分の人生作り~」と先生が言っている。

「よっしゃ、何しようかな。人生を極めてみよう」

自分の人生の答え作りは、自分のしていることを極めるための行動です。

 

行動してやりたいことを極める

やることはシンプルです。

やりたいことを極めます。やりたいことがなければ探索の極めからです。

何もかも極めます。

新聞を読むのを極めます。一字一句読んで知らない単語を習得します。その内英字新聞です。

散歩を極めます。昨日出会った人間の100倍はいる虫達の観察を極めます。

何をしてもOK。必要なのは、楽しくするための自主的な極め行動です。

楽しくするために何ができるかを考え、実践し、さらに工夫し、応用し、行動し続けます。

バスケが好きなら大会に出る、チームを作るなんて具合です。

自分で考えて、行動して、創作して、工夫するための変化を加えていくのが、末路を成長機会にすることです。

「それをしたいのはなぜか?」の答えが、自分の人生を作るためであり、人生を極めるための行動かどうかです。

その行動には必ず意志である、自分を喜ばす気持ちであり覚悟があります。

行動継続の先に良いも悪いも、楽しいも辛いもあり、「自分の人生を作っている」と思える成長、人生開拓、自己理解がある、そんなお話です。

※友達がいない常識は、【社会人の友達がいない仕組み】普通のことだからこそ人間味がある をご覧ください。

 

友達がいない人の末路 まとめ

友達がいるから楽しめることもあり、友達がいないから楽しめることもあります。

友達がいないことは人間としての成長機会であり、はっきりと人生を自分で作っていくからこその歓喜、真に幸せな人間模様があると思います。

成長すればするほど楽しくなり、自分とは他によって成り立っていることが行動や体感からわかるようになります。

すると他との関わりへと続き、毎日頻繁に会わずとも、年に数回の関わりでも、本当の意味で友達の大切さがわかります。

初めにしたいのは孤独経験。一人暮らしや社会勉強、ネガティブな出来事が重要になります。

成長後には他者を敬い尊重できるため、男女どうこうといった空虚なものではなく、愛を持った関わりが促進され、友達に対する考え方は一変していると思います。

友達がいないと寂しく悲しいと思いますが、自らがしてきた過去の清算は遅かれ早かれされます。

そのために自らと向き合い、孤独力を育み、物事を受け入れられるように私達人間は成長でき、末路を変えることができます。

楽しむのもいいですが、成長は人間の本質。なくてはならない基盤。

せっかくなら機会を活用し、成長してより人を尊重し、自然な人間関係にて信頼できる深い関わりを作られてください。

そんな一助となれば幸いです。

それでは、友達がいない人の末路のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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全ての物語りは自分を知った後に始まります。
人生を創り、使命を得る機会。現状打破と今後の飛躍。人生を変える際にぜひご活用ください。

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POSTED COMMENT

  1. たいじろう より:

     とても刺激的な記事で、ワクワクしながら読ませてもらいました!ありがとうございます。
     まだまだ僕には、余分なエゴや防衛システムが残っている感じがしますが、純粋に好きな物事を極めるという方向に進んでいくことができればいいなぁと思います!

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