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【大切にされる人との違い】いいように使われる人のご法度&改善方法

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優しさのつもりが、いつの間にか舐められている。

「お返しなんていらない、けれども利用してくるのはおかしい」

いい人はいいように使われ、搾取されることが多いかもしれません。

方や、同じようにいい人であっても利用されず、頼られ、大切にされる人もいます。

一体何が違うのか気になるところです。

ここでは、大切にされる人との違いを明確にして、使われないようになるポイントを見つめていきます。

  • いいように使われる理由を知りたい
  • 何がいけないのかメンタルを精神的に考えたい

人間には与える人と貰う人に分けられるように、奪う人と奪われる人にも分けられます。

与えたり奪われるだけ資源が心身にあることは素晴らしいことですので、無駄に使われないためにもご自身を見つめ直す一助となれば幸いです。

Youtubeもありますのでこちらをご覧ください。

いいように使われる

いいように使われる理由:等価

優しさ、配慮、気使い。

相手に合わせて、お助けし、ケア、利益を与える。

なんでも
なんでも
いいように使われる時、ネガティブな動機によって相手に合わせる状態があると考えられます。

際立つのが我慢と頑張り、気の弱さ。

相手が困っていれば手を出し、仕事が溜まっていれば助ける。

初めは感謝されていたが、これが続けばなんのその、「じゃあ先に帰るね~バイバイ」

「おいおいおい、ちょっと、これ、アンタの仕事じゃろ」と。

思っているけど言わない、意思表示しない

メンタルを覗くとこんな考えが。

  • 敵対したくない
  • 関係悪化させたくない
  • 嫌な顔されて傷つきたくない
  • 相手の顔色を伺う癖ができている
  • 言い返せない、言ったら気まずくて会社に行きたくなくなる

動機がネガティブな場合、いい人として利益を与える目的は明確です。

不安と恐怖をなるべく味わわないため

いわゆる、自分の自己防衛のためにいいようにするため、お返しがないのは当然かもしれません。

これに該当する場合、はっきり言えない、断れない、意思表示を明確にしない、相手としっかり向き合って関わっていないなどの傾向があります。

いいように使われると言うよりは、使われることで自己保持を図り、防衛スタンスになることで自分の在り方を貫いている、とも捉えられます。

使われることで自分の存在を承認し、自分を保持して、在り方を一貫させる生存戦略の一つ、存在意義や価値を見失わずに自己保持できる利益があります。

そのため、いいように使われるているのではなく、「いいように使わせている」可能性があります。

これはここでお伝えしたい主旨ではありません。

少し先に入ります。

 

相手を思いやってのことなのに、いいように使われる

動機がネガティブな場合もありながら、基本的には相手のことを思っての行為

なんでも
なんでも
「思いやり、心から相手に喜んでもらいたいと想っての優しさ、手助け、サポートだったのに」と思う方もいると思います。

自分のためではなく、相手のためにしている。

これこそがいいように使われ、搾取される理由になります。

「この人のために、この人が困らないために、この人が喜ぶために」

聞こえは美しいものですが、素晴らしい(自然な)ものではありません。

「自分のため」に偏ると自分勝手な自己中になりますが、「相手のため」に偏ると犠牲と押し売りになります。

相手のためだけ』の行為はご法度です。

人間関係に相互がなくなります。

お互いがわかり合い、協力し合い、同意し合う状態がなくなります。

自分のためだけに行為すれば奪う人になりますが、相手のためだけに行為すると奪われる人になってしまいます。

 

相手のためにする人は、自分のためにする人を寄せ付ける

なんでも
なんでも
一辺倒の行為が増えると、「相手のため」の意識が強くなります。

すると、「自分のため」だけを考える人間こそが凹凸合致となる、いわゆる「合う人」になります。

「どこも合っていない、何も合っていない」と思えます。

しかし、心身やエネルギー状態では一辺倒同士だからこそ、在り方の凹凸が合致します。

寄って来るのはいいように使う側であり、搾取する側。

・自分のことだけを考える人であり、一人では生きていけない怠惰な人

・弱い(自分が弱いという自覚をもできない本当の意味で弱い)人であり、自己愛に執着しているために自分側の認識にしか興味がない人

自己犠牲がすぎる、相手のためにと自分の対価を求めなさすぎるなど、自分を疎かにして他者を主体にすることは望ましい結果を生みません。

いいように使われ、搾取され、疲弊してしまう行為です。

 

使わずに離れていく人は優しい

「あ、重い荷物持ちますよ」
「忙しいですよね、手伝います」
「プリン作ったんで、ぜひどうぞ」

「相手のため」に偏っている在り方に該当する場合、相手のための行為に対して、「けっこうです」と言われたり、まったくプリンに手を付けない人がいると、相手を責めることはまずありませんがモゾモゾします。

「あの人が必要としていないならいっか」と思いながらも、なんか頭をカリカリ搔き始める。

「相手のため」一辺倒というのは人間の自然味では、あり得ない状態です。

私たち人間は自分の精神を満たすために生きているため、「自分のため」が出て来ないのは、意図的に認識を誤魔化して封印している、本当の気持ちを眠らせているさま。

こうなったら人前でおならなんてもう。

なんでも
なんでも
「自分のため」でも「相手のため」でも、目的が片方に大きく偏ることは自然の摂理を壊す行為でもあります。

いいように見えて、実情は反旗が多々あります。

精神的には人間関係の縁起を壊す行為であり、無自覚に起こる自己ルールの押し付けにもなりかねません。

優しくされる、いいようにしてもらう側は有難いですが、初めだけ

貰えばお返ししたい気持ちになりますが、いざお返ししても申し訳なさそうに気を使われる、あまり喜ばれない、迷惑だったのかな。

「自分のため」がない弊害は周囲に広がり、「じゃあお返ししない方がいいかも」「なんかこっちだけ貰って罪悪感じる」「心を開かれていない」と思ったりします。

貰う側は、「お返ししないで貰うだけにしよう」か、「なるべく良くしてもらわないようにしよう」となります。

相手のことを考える人は一方的に貰わないように距離を取るようになるため、いい人ほど使わずに離れることを心掛けます。

すると、いいようにしていた人の周りに本当のいい人はいなくなり、使われることが多発します。

 

いいように使われる人と大切にされる人の違い

いいように使われる人と大切にされる人の違い

大切にされる人には必ず「自分のため」があります。

例えば、一生懸命会社のため、チームのために働いている主婦のGさん。

残業代は一切の漏れなくもらい、さらに誰も使わなくなったデスクがあれば上司に確認してからもらう。

給仕室のお菓子、公然かつ公式に毎日持って帰っている。

人の話を聞きながら、自分の話もする。

気を使いながらも、得られるものはゲットする。

利益を与えるだけでなく厳しさも与え、言う時は言う。

一辺倒がなく、相互理解を重んじる関係性、コミュニケーション。

「相手のため」を大切にしながらも、自分の喜びになっているかどうか認める。

「この前奢ったんだから、次は奢ってよ、テヘ」と相手に求め、甘えることもする。

相手の様子がおかしければ遠くから見守るだけでなく、一言声をかける。

嫌な気持ちになれば怒り、相手を嫌な気持ちにさせれば謝る。

お返しをされたら心から喜び、感想を伝える。

「相手のため」を大切にしながら、「自分のため」を忘れません。

相互交流を大切にするため、自分が喜んでいる、喜んでいない意思や状態を自覚し、相手の行為に対するレスポンスを伝えます。

適度な甘えや干渉、厳しさや叱咤も挟み、一方通行をなくす努力が見られます。

特に目立つのは、自分の意志や状態を表すのではなく、“伝える”こと

伝える行為の重んじに、相手の目を見る、繋がりを強める、相互認識を育むといった、“お互いさま”を作る在り方が見られます。

 

いいように使われる着目ポイント:自分の気持ち

なんでも
なんでも
大切にされる人との違いからお伝えしたいのは、“自分の気持ちの重んじ”です。

相互を重んじる認識も大切ですが、「相手のため」に偏ってきた場合、外側は相手一辺倒で内側は自分一辺倒になっていると考えられます。

突然これを変革するのは困難ですので、相互認識は少しずつ人との関わりで育むことになります。

この相互認識を育む助けにもなるのが、自分の気持ちの重んじです。

相手によくする、優しくする、心遣いをする際、必ず存在するのが“自分の気持ち”。
※波動やエネルギーとも言う

そして、事実として明確に把握できる唯一のものでもあるのが“自分の気持ち”です。

自分の気持ちを疎かにせず、大切にする。

気持ちは生きもの。

生み出した以上は存在し、エネルギーとしてうねり続け、カルマにもなります。

確認してみてください、

【人によくする時(または直前、直後)、どういう気持ちですか?】

「なんか助けたい」
「この人のためになって欲しい」
「これをあげたら喜ぶんじゃないかなぁ」
「あぁ、心爽やかイイ気分」

行為に及ぶ以上、または及んだ以上、必ず気持ちが存在します。

それをしっかり感じ取り、自覚し、大切にします。

これが「自分のため」の部分を担ってくれます。

あとは思う存分相手のために行動されてください、人間関係は変わります。

 

いいように使われないために

「いいように」する在り方を見直すと、使われなくなります。

使われる理由になるのが、「相手のため」という一辺倒な目的や認識の在り方です。

なんでも
なんでも
見つめたいのは、「相手のため」はそのままに、「自分のため」を追加すること。

それが相手のためにする際の“自分の気持ち”の重んじです。

私たちは癖や当たり前ができる機能を持っているため、いつの間にか一つ一つ生み出している自分そのものを流しがちです。

唯一明確に把握できるのが、他者でも他者の行為でも気持ちでもなく、自分が生み出している気持ちです。

正真正銘、本人のみが責任を持ち、自らで誕生させたもの。

私たちはその親であり、それをしっかり認めて、受け入れる責任を持っています。

「おばあちゃんが困ってる!」と思った時、そこには気持ちがあります。

「助けたい」かもしれない、
「誰かがやらなきゃ」かもしれない、
「あの方に笑顔になって欲しい」かもしれません。

はたまた、「しようがない」という人もいるかもしれません。

自分の気持ちを重んじることで自分そのものの真意を無視しなくなります

どんな気持ちでも生み出したら大切にすることで、自分のためが疎かにならなくなります。

すると自己犠牲はなくなり、相手に合わせて終わりではなく、「相手に合わせてじゃあどうする?」という次のステップ、自分との向き合いができます。

それが喜びであれば大いに行為できる。

そこに憂いがあれば一旦ストップもできる。

自分の気持ちの重んじは、全て自分のために繋がっていきます。

優しさをやめる必要はありません。

ただ、自分のためを忘れないでみてください。

 

最後に:いいように使われる時の精神理解

私たちの社会は、いい人なくして存在も存続も困難です。

自力で生きられないからこそ共同社会を作り、他と関わりながら、助け合い、協力し合ってきました。

しかし、全体の余裕がなくなると利用し合い、搾取し合いの環境も生まれます。

利益や助けを与える側がいなくなれば、路頭に迷う人々が続出します。

だからこそ怠惰も生まれ、甘えも生まれますが、これを使われる・搾取という形ではなく、お互いを理解し合いながらの循環にできれば素晴らしいことだと思います。

余裕がない状態でも人に優しくできる人がいることは、この世の不平等を緩和させうる存在がいる証です。

より手助けやサポートに尽力するためにも、「自分のため」は絶対必須。

何よりも重んじるものです。

そのために自分勝手になる必要はありません。

「自分のため」とは自分に利益を与える、そういう損得や資本主義の観念従順ではなく、自分が生み出したものを大切にする意味です。

私たちは自分の気持ち全ての親です。

そんな親としての在り方を全うする姿に「自分のため」があり、重んじるべきものを尊重したさまが象徴されます。

ぜひ、人間関係を楽しんでみてください。

自分が変われば起きる物事も、関わる人も変わってきます。

人との関わりは楽しくて素敵、何より美しいものですので、いいようにしていきましょう。

躍進と変動の一助となることを祈ります。

ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. レプラコーン より:

    とても良いお話をありがとうございます!!
    相手の顔色を伺って自分の行動を変えようとしているときに、自分が今どんな気持ちでどんな目的でそういう行動をしようとしているのか、その都度自分に問いかけてみようと思います
    難しいなぁと今も心のなかでは感じていますが、頑張ってみます

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