心理と特徴

天然な人の頭がいい理由6選【頭の使い方はまるで量子コンピューター】

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ドテッとこけた後、「わかった!」

そのひらめきは、今期の社内業績に最も貢献するアイデアとなった。

「普段は天然だけど、実は誰よりも頭がいいのではないか?」と思えるあの人。

どこか抜けているボケ模様、一般概念とは離れますが、本当の意味でいい頭を持っていたりします。

ここでは天然な人の頭の中を探求しながら、AIとは違う人間だからこその頭のよさに迫ります。

  • 天然は本当に頭がいいのか知りたい
  • 天然の頭の中を知りたい

独自性と絶対性のある「自分」

AIの参入が増えるこれからの時代、特に必要なのは天然な人の頭かもしれません。

そんな考え方と共に、頭がいい所以をお楽しみください。

天然な人の頭がいい理由6選

 1,素直に吸収する

天然と言えば、『素直さ(または純粋さ)』があります。

物事を理解する際、素直さは知識吸収に対する一切の邪魔や抵抗をなくします。

「いや、それは違う気がする」は吸収抵抗が分厚く、記憶力がよくても歯止めや制限になり、理解も認識も偏り狭くなります。

素直に吸収する天然な人は、「頭がいいって他の人より優れてるってことだよね」という社会ルールの付帯する湾曲した捉え方をしません。

そのままをそのまま捉え、ゴクリっと全部吸収。

吸収しやすいだけでなく、吸収する情報が軽く、一つ一つを的確にインプットして理解していきます

例えば、私が天然である友人にファイヤースターターによる火のつけ方を教えたところ、失敗しながら教えたことを吸収し、コツを見つけ、私よりも上手に早く火をつけるようになりました。

しっかり理解しなければできないことも理解するさまは、頭がいいです。

 

2、執着しない柔軟さ

天然な人といえば、『独自性』です。

自分に対する絶対性があり、自分の世界の捉え方、見方が基盤となり、自分軸も信念も意志も強いブレない人。

独自性は自分への信頼や尊重をも意味しますが、同時に執着のなさも表します。

執着がないと柔軟に物事を認識するため、「よく気がつく人」になります

「あ、右手の小指だけ爪切ってる!」なんて具合に、「そんなとこ見てんの?!」と驚かれることも。

一方で、当たり前に認識しているものには気がつきにくい点があり、透明なガラスに思いっきりぶつかります。

執着のなさは良くも悪くも認識をフラットにし、他者が気づかない僅かな変化もキャッチする認識力の幅広さを拡大していきます。

「誰も気づかなかったのに、唯一あの公式の間違いに気づいたぞ、ザワザワ」となったりします。

 

3,常に向上できる頭の使い方

『素直さ+執着のなさ』があると百人力です。

間違ってもしっかり認められ、頓着しないので切り替えが早く、上達速度が速いだけでなく、独自のやり方で教わったこと以上のものを習得します

間違える度に修正して正すことができ、年齢を重ねるごとに熟練していく、常に向上できる頭の使い方があります。

間違えるからこそ上達できるさまは、人間ならではの頭のよさだと思います。

一方、せっかく教えているのに全然違う方法でやり始めるので、教える側をうんざりさせてしまうことも。

 

4,洞察力が鋭い

天然な人といえば、『よく見ていること』です。

注視ではなく、物事を認識する幅広さのことでして、木を見れば葉のサイズ、色、枝の形などミクロ(細部)を見ながら、「なんかこの木、遊園地で風船配っている人みたい」と全体像をマクロで見ます。

独自の解釈を持ちながら、一つのことをよく見ており、だからこそ細部によく気がつきます。

観察力と洞察力が自然と鍛えられ、物事の着眼が鋭くなります

「あれ、この人はいつもとお化粧が違う」と気づいてからさらによく見る結果、「何が違う?」「あ、目の下が黒い!」

「目の下の黒いのを隠したいから、いつもと化粧が違うの?」と聞いちゃうところあり。

自分の認識にこもって相手側の目線を忘れてしまうのがたまに傷ですが、気づく力となる認識の幅広さと洞察の鋭さは地頭がいい人の特徴そのものです。

 

5,集中力の高さ

天然と天才を象徴するのが、『集中力』です。

周りが見えなくなるほど一点集中する状態は、一つの認識(現実世界)に没頭して向き合うさま。

寝ぐせが気にならないのは、生きることに没頭しているのかもしれません。

お腹がグーグーなれば、お腹が空いていることや何か食べたい欲求に集中するため、どうしても何か食べたくなります。

意識を一つにするだけでなく、魂と繋がるなど天からの力も授かる集中は、極めれば極めるほど人間の域を超えていきます。

「集中するぞ」などとも考えない、気づいたら美しい夕日に無言で見惚れている時のように、スーとその世界にイン。

感じ、考え、作り、修正し、見極め、遊ぶことに埋もれるさまは、一切の抵抗がない、心を開放的に剥き出して取り組む状態。

集中力の高い天然は、認識力も理解力も洞察力も高くなりながら、興味のある事柄への熱意や情熱があります。

興味がないことには一切無関心なところがあり、一切集中なし、感性も思考も使わないので、頭が悪いと思われます。

一方、興味があることに対しては、頭がいいのは明白な事実となります

 

6,感性の豊かさと創造力

天然な人と言えば、『感性の豊かさ』が欠かせません。

独自性と絶対的なまでの自己認識は、「この私がこの私を使用し、愛し、生きる常識」を露にします。

風が吹いた時にどう感じるかは完全なる自由。

包まれるように踊りだす人もいます。

物事をよく見る人はよく感じる感覚的な人であり、独自性に基づく感性に一切抑圧しない自由が、直感とひらめきを生み出しながら創造力を高めます

芸術的で独創的、この世を唯一無二の着眼と認識で生きるさまは価値と影響力になります。

真似はできても、私たちは創造する難しさを知っているため、創造者による価値は「そうありたいけど私にはできない」という心理にも繋がります。

自分との対比が無意識にでき、天然な人を上にする結果、人によっては自らの劣等を拒否するために強引に馬鹿にしたくなる人もいます。

誰しもにできない唯一無二の創造力は、個人としての価値であり、人間としての価値。

[肉体+頭(脳)+心]の三位一体の使い方の巧みさであり、執着のなさが大きく関わる人間力は、もはや「頭がいい」という言葉では説明がつかない状態です。

 

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天然な人の頭の使い方

どうして天然な人は頭がいいと思いにくいの?

上述の理由を見ていただくと頭がいいと思えそうですが、いかんせん目の前にするとどうでしょう。

一緒に映画を観ていたのに、トイレから戻ってきたら別人の隣に座っています。

「足つった!」と言った顔の勢いで、「あ、右目が開かない!」と騒ぎ出す。

「お腹痛い」と言っていたのに、美味しそうなデザートがやってきたらケロッとしてる。

どこに頭のいい要素があるのかてんでわかりません

おそらく、このように思うのは私たちが概念を刷り込まれているからだと考えられます。

頭のよさとは知恵であり、価値であり、在り方。

マンモスをウホウホ取っていた遺伝子を考えると、頭のよさは生存能力だと刷り込まれます。

学問的で試験やIQによって測定するもの、という概念は薄れている昨今だと思いますが、未だ[頭がいい=比較上の優れたさま]と捉えるのもおそらく自然です。

比較ありきですと、[頭のいい人がいる=頭の悪い人がいる]という価値観になり、天然の頭がいいのであれば、「じゃあ頭が悪いのは誰?私より頭いいの?じゃあ私はこの人より頭悪いの?」と捉えようと脳が働きます。

このような刷り込みがあると、天然な人のさまは頭がいいとは捉いにくく、むしろそう思いたくない気持ちになる人もいます。

いろいろ考えながら天然な人を見ると、「あぁ、今日は唐揚げの気分~」と言っていたのにうな重を食べています。

実際に頭がいいのかどうかわかりにくい、そんなつかみにくい対象が天然。

そこで、天然な人の頭の中を覗くと、頭のよさを表す重要なものが見えてきます。

詳しく見ていきましょう。

 

天然な人の頭の中はまるで量子コンピューター

私は天然な人と関わることが多く、毎回思うことがあります。

「な、何も考えてないぞ!」

天然な人は常に感じています。

考えておらず感じているさまは、例えば木を見れば、「あ、(葉っぱがあってこんな形だから)木だ」とはなりません。

「縦に長い茶色の棒に、手を広げたように細い棒が付いて、その先に緑のヒラヒラが踊ってる」なんて具合になります。

感覚主体でありながらよく見ようとする人の認識は、情報量がとにかく多いです。

しかし、今この瞬間を生きる感覚的な生き方をするため、情報に翻弄されにくく、執着しないので頭の中を巡る情報は取得しながら川のように流れ出ていきます。

この在り方は、とても特徴的な頭の使い方を作ります。

天然の頭の使い方
  1. 一般論的因果律をぶち壊し、独自性を盛り込む
  2. 頭を使う時と使わない時の切り替えが早い
  3. 頭の回転が極めて速く、潜在意識を多用する

私たちは物事は原因があるから結果がある、そんな物理科学の刷り込みを前提にして、現実世界を感じて、考える認識をします。

因果律があると、物事を捉える際に情報を得て、結果は答えという何か正しそうなものに合わせ、過去→現在→未来という時間軸に縛られます。

[1+1=カタツムリ]なんてなりませんし、[答えの2]に合わせるために[1+1]も合わせます。

一方、因果律を独自性に変えた頭では、[1+1=2]である必要がなく、むしろその答えのだいぶ先に行っていたり、随分と過去に遡ったりします。

科学コンピューターか、量子コンピューターかの違いのようなイメージ

常識的に順序立てて、「これがあれば次はこう、そして次はこう」とはならず、随分遠くにあるところへ行ってから即座に手前に戻ってきたりします。

早とちりしたり、先を行き過ぎて「何言ってんの?」と思われやすく、逆に後に遡り過ぎて誰も覚えておらず、単純な会話でも天然ボケのようなことが起こります。

「明日は雨かもね」と言われれば、「そうだね、じゃあキャンプしよう!」と言い出す。

[雨→キャンプ]へ向かう因果律がなく、独自性が組み込まれます。

例:雨でジメジメ → 嫌な気分
→ キノコの気分 → 燻製の香り
→ 炙りたい → キャンプに行こう

因果律がある場合、雨でジメジメ → 菌が繁殖する → 焚火がいい → キャンプに行こう、なんて具合になりますが、天然な人はあまりこのように考えません。

瞬時に頭が高速回転し、感性を盛り込みながら独自の因果律たるものを構成しつつ、そこに一切干渉しないので結局因果律などない、そんな頭の使い方が考えられます。

頭の使い方は一瞬でシュッ、一瞬でストップ(あとは常に感じ中)

量子コンピューター的な頭を持つ天然な人は、感覚によって集め続ける大量の情報を、瞬間的に高速回転する頭によって扱います。

 

頭の使い方に無駄がない

特徴的な頭の使い方は、要約すると一つのことを言っています

『執着がない』

執着のなさは、固執のなさ、頓着のなさ、縛りのなさ、制限のなさ、因果律のなさ、時間軸のなさ…。

あらゆる制約のない自由な頭の使い方が許された状態です。

これによって因果律の観念縛り(常識の大元)がなくなるだけでなく、切り替えが早くなります。

一つの物事に留まることがなく、天然な人は何か考えても考え続けません。

常に流れるような頭の使い方をするため、わからなければそれが答えになり、わかりたければ勉強したり誰かに聞いたり、わかりたくなければ既に終わったこととなり、次へ向かっていきます。

執着のない頭の使い方は、無駄が全くありません。

傍目には無駄にしか思えなかったりしますが、感覚的なので、「もうわからないからいいや、チョコでも食べよう」と忘れても、人と話している時の情報で突然物事が繋がり、「あ、これだ!」と解決したりします。

「今答えを出さなければならない」などの制約もなく、流れは巡り巡って答えを一つに集約します。

そんなさまはまるで海。

無限の情報を感覚的に把握しながら、その時その時に必要な情報をつかみ取り、瞬間的に高速回転させた頭で物事を一つの形に形成します。

天然な人は頭の使い方に無駄がなく、ストレスも少なく、自分らしさが際立ち、感覚的な知性が盛りだくさんかつ多彩でキラキラ。

個人的なイメージは、自由に海を泳ぐクジラのような頭のよさ、なんて感じです。

社会の常識を引用する前提が私たちにはあるので、「今すぐ答えを出しなさい」などの制約(執着)が多い環境では、頭がいいとは思われにくいです。

しかし実際には、因果律がないと過程がなく、IQやテストのような概念が通用しないため、世間的に評価する術が少ないだけだったりします。

 

まとめ:天然な人は頭がいい

天然な人といえば、執着のない頭の使い方。

一つに完全集中する力を発揮しながら、よく見て感じて認識し、一つの情報の一面ではなく多面的に捉える力。

これを感覚的にするのは、潜在意識に委ねる自分の手放しだと考えられます。

潜在意識に足を踏み入れる頻度が高い人は、福引などのジャラジャラ回すくじ、金色のボールが出てくるまで回すのではなく、金色ボールだけを目指してポンッと一回で出す。

どれだけ情報が多くても、ルール縛りがあっても、必要なものを的確に引き上げて端的にポイントを突いてきます。

感覚的な情報網羅であり、直感やひらめきの釣り上げにも繋がり、突然大ヒット商品のアイデアを出したり、気づいたら新しい分野を創造していたなど、底が知れない知性を秘めています。

「それじゃあ明確に頭がいいんだ」とならないのは、独自性の強さによって社会的価値と認めずらいところがネックなのかもしれません。

しかし、天然な人が表してくれるさまは、AIや他との比較による頭ではありません。

人間としての頭の使い方、肉体や心との連動、一個人として人々に与える影響力に、比較のない真っ新な頭のよさがある、という考え方。

それらの大元に、『素直』があったりします。

天然性の素晴らしさを見つめるために、一つの考え方となれば幸いです。

それでは最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. ねこ。 より:

    はじめまして、いつもありがとうございます。お礼が言いたくなりました。北斗さんのお知恵に助けられた者です。
    不躾ながらあなた様が幸いであります様に。

    • 北斗 より:

      ねこさん、はじめまして。
      お役立ちできて良かったです。

      ありがとうございます、お言葉で幸せです!
      何よりで、また読んであげてください。

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