心の成長とは精神への繋がりである精神性を高める意味があり、一歩一歩進んでいく段階があります。
心や精神とは、日本では馴染み深い言葉かもしれません。
ここでは、心の成長とは何か、そして、成長するためには何が必要かについてお伝えします。
心は精神でもあるために”人間としての成長”を意味する話になります。
一体何を目指して、どういった自分が成長した人間らしくなり、成長することでどんなことが起きるかの詳細を見ていきましょう。
心があり、精神性があることで人間として生きる。
人間に潜む成長とは何なのか?
そんな哲学に心理とスピリチュアルを含めた話、気楽にご覧ください。
心の成長とは

心の成長は精神性
「心…って何?」と疑問があるかもしれません。
脳とは違い、どこにあるのかも、一体何なのかも不明確な物体?という謎。
日本では古くから”心”という言葉を使っておりますが、他国でもさまざまにスピリット、ソウル、最近ではメンタルなどの言葉が使われています。
心とは意志のことで、精神のことでもあります。
そこにスピリチュアルな認識を含めると、”魂との繋がりを理解させる波動感受の基”という具合です。
心とは意志であり、精神
※スピリチュアルな心は、魂との繋がり、波動感受の基
スピリチュアルを含めると具体的な説明になるので言葉が変わりますが、言っていることは同じで、魂や波動を理解するには意志や精神を理解することになります。
心の成長とは意志を明確にする精神性のこと
意志である心を成長させることは、意志を明確にしたり強くすることで、それはそのまま精神性を高めることを意味します。
心の成長とは精神性を高めること
⇒ 意志を明確にして強くすること
「精神性を高めることは…瞑想かな」というイメージがあるかもしれませんが、精神性は人間としての存在のように理解するとわかりやすいと思います。
簡単に言うと、「精神性とは、人間になること」です。
「はっ?」って感じですね。
詳細を見ていきましょう。
人間を知る心の成長
精神性とは人間になること。
精神とは意志であり、心。
これまでの内容にある上記は、全て”自分”についてを伝えています。
自分が精神性を持ち、自分が人間になり、自分の心があり、自分の意志があり、精神があり。
そして、自分になることが人間になることです。
「いや、みんな人間じゃい!」とツッコむ感じですが、”心や意志や精神を含めた人間”の場合、全ての行動と責任は自分です。
それは、自分で自分のことを認識して理解しているか、ということです。
例えば、仕事している同僚とあなたの二人がいます。
同僚と二人で仕事していたらこんなトークになりました。
「仕事結構辛いじゃん、でも給料低くない」と同僚。
「まぁね、でも仕事もらえるだけありがたいよ」とあなたは答えます。
両者には仕事へのモチベーションの違いがありますが、それ以上に自分に対する認識度が違います。
仕事しているからには、自分の意志があり、意見を持ち、理由があって今の仕事をして生きています。
そんな状況に文句を言えるということは、自分自身を認めておらず、意志はおろか行動を把握しておらず、責任もありません。
仕事できることを感謝しているあなたは、自分を認識しているが故に行動を理解して、責任を持ちます。
※責任とは人間として=自分として生きることへのもので、意志を持って行動していることを認識することが責任(自分がしたいから仕事をしていると理解する意志の把握)。
心の成長となる行動と責任の認識
- 行動は自分がしたいからしています。そこには「したい」と思ったり感じたりする意見があり、その根底には「する」と行動動機になる意志があります。
- 責任は自分がしたことを認識することです。自分の意志と意見にて行動して起きたことは、全て自分に責任があることを認識する自分がいます。
当たり前の話ですが、自分がトイレに行きたいと思うのはトイレに行きたいからです。
トイレではなく今この場でダダ漏らしたくないから、またはトイレでダダ漏らした方が心地良いから、または心地悪くないから。
トイレに行く行動があり、それを認識する自分がいれば、トイレに行く理由や意志を知っています。
もしトイレではなく今この場でダダ漏らしたとして、その自分を認識していれば責任があります。
ここで言っている責任は、「はは、ダダ漏らしたぜ」と意志によって行動したことを認識することです。
「あぁ、他の人に迷惑がかかるから、家が臭くなって申し訳ないから」という責任は社会性の常識やルールを守ることなので、心や意志ではなく脳の記憶と思考がすることで、全くの別概念です。
心の成長とは自分を自分で認識することで、脳にインプットした他の情報に従うことではありません。
ですが、脳も含めて自分であるために、常識やルールを重んじる自分がいれば、その理由や真意を理解して認識することに心の成長があります。
心の成長は行動と責任=認めて受け入れる
心の成長に関しての責任とは、負うものではなく認めることです。
責任を負うという概念は他者への迷惑や損害や危害への補償というルール順守ですので、「社会性を遵守する=記憶通りに行動する」という理解になります。
心の成長とは自分の行動を認識することであり、行動に必ず存在する意志を認識することで、それが自分を認識することになります。
言い方を変えると、如何に自分を認めるかが心の成長です。
ご飯を食べたいと思うから行動して何かを食べます。その自分を認識できれば行動意欲を知り、行動動機の意志を知ります。
さらに、どれだけの量、何を食べているか、その際の思考や気持ちを認識することで、食べることの責任として行動の影響や結果を知り、痩せていることや太っていることの意味が明確にわかります。
そのように責任として自分を認識することが、食べ過ぎたと思う反省にもなり、体を敬う気遣いにもなり、食べ過ぎていることを認めることにもなり、次の行動となる自分の意志を強くします。
認識がなければ自分のことがわからず、どうして痩せているのかわからず悩み、どうして太るのかわからず悩みと、責任がなくなり成長がなくなります。
心の成長とは、自分の中での不明確をなくすことから始まり、自分が行動しているからには自分の意志があることを認めることです。
認識できるのは今生きている自分
心の成長の際には脳も含めて自分を認識します。そのため、脳にある記憶や意見を認めて受け入れることで成長を促します。
しかし、脳に依存や執着にて頼りきることで自分を認識できず、成長できなくなります。
それは、行動と責任を認識できるのは“今生きている自分”が対象だからです。
言い方を変えると、現実を認めることで心が成長できるということです。
脳があることで少しトリッキーになり、過去や未来という現実にはないことを認識したと思い込む機能があります。
脳に依存と執着することで自己暗示が強まり、今起きている現実を見ずに過去と未来の回想と空想を現実かのように思い込み、自分を認識できなくなります。
過去と未来に行き来する際の現実は、”今という時間を使用して過去と未来に行っている”というもので、そんな自分を認識するには過去と未来から戻ってくる必要があります。
脳は大切な記憶と感情と思考の機能を持ちますが、依存と執着してしまうと成長することが困難になります。
子供に心の成長は不要、大人に心の成長が必要
ここで話がぶっ飛びますが、子供に心の成長は要りません。
「な~ぬ?!子供にこそ成長が!」という感じです。
しかし、心の成長とは今生きている自分の行動と責任を認識して認めることですので、子供は既にできています。
子供は今を生きて、意見や意志を明確に持って行動して、砂遊び、泥だらけ、ジャングルジムからダイブして骨を折る、はたまた、ブランコから昇龍拳ジャンプで飛び過ぎ、着地でモロにバキバキという具合です。
「馬鹿垂れか!」と無知に見えますが、完全に自分で自分を認識して、したいから行動して、責任を持つが故に骨を折った時に泣き叫んで本気で自分を表現します。
そこに行動を認識しなくなることで、責任を持たずに他者のせいにしたりと、生育と共に脳に依存と執着して嘘や誤魔化しを行使。
すると起きるのは、自分を他と区別や比較して見出す認識。心の退化です。
しかし、退化する前の子供は意志がとにかく強いです。
それは幼ければ幼いほど、0歳の生まれた時であればあるほどに意志が強く、「意志しかない!」と思うほどの塊です。
子供は既に心の成長ができている存在で、今後も自ら成長していきます。
心の成長が必要なのは大人でして、自分を認めて受け入れられるようになることで意志を明確にして強め、精神性を持って人間として生きている現実を認識します。
心の成長道場がもしあれば、ど真ん中の座布団に鎮座する主はベイビーでしょう。という話です。
※退化からの成長となる話は、生まれ変わる意味と方法│自分を変える今世の輪廻転生がある をご覧ください。

心の成長段階

これまでの内容から心の成長の片隅がわかって頂ければ幸いです。
ここから、人間の在り方にフォーカスした心の成長段階を見ていきましょう。
人間の成長段階にある9つのタイプ
私達人間は成長する人もしない人も含めて9つに分けることができます。
心の理解であることから、心理とスピリチュアルを含めたタイプ分けとして、初めにこちらをご覧ください。
- 自分を敬うも敬わないも考えたことがなく不幸せ
- 自分を敬うも敬わないも考えたことがなく幸せ
- 自分を敬えない
- 今の自分を敬えないが過去の自分を敬える
- 今の自分は敬えないが過去の自分を敬え、他者を敬えないにも拘らず他者優先する
- 今の自分を敬えるが他者を敬えない
- 今の自分を敬えて、他者も敬える
- 自分も他者も敬えて、地球を敬える
- 自分も他者も地球も敬えて、宇宙も敬える
“敬い”という表現を使用して心の成長段階が見える人間のタイプ分けです。
そして、人間として生きている場所や空間を含めた地球と宇宙という認識できる全てを対象にしています。
心の成長段階の流れ
心の成長段階にあるタイプを見ると、初めに”何も考えていない状態”があります。
何も考えていない状態は、脳があるのに脳を使用しない状態でして、自分としての身体機能の一部のみを使用する状態です。
それは人それぞれに、脳の記憶だけ使用したり、感情だけ、思考だけ、肉体感覚を認識しない、心の気持ちを認識しないというバランスを崩した状態です。
その状態から”自分とは何か?”と何かしら自分を認識すると初めに苦しみが伴います。
そして、苦しみを超えることで苦しんでいたこれまでの自分を労うように敬いを持ちますが、現実として生きている自分は敬えません。
過去の自分が最も初めに敬える対象となり、その後は現実である今の自分、それができると敬いは自分から距離感の近い人、最愛の人→家族→親友などと広がっていきます。
そして、自分も他者も敬えると、対象は自然や環境となり、それが地球への敬いです。
そして、地球という基盤がある空間の宇宙へと繋がり、私達が敬える認識の最後です。
心の成長段階を上げるためには認めるための敬いが必要
心の成長となる行動と責任の自分の認識は、認めて受け入れることです。
自分を認めることと受け入れることは、「はいわかりました、じゃあ認めます、受け入れます」という話ではありません。
認めることや受け入れることは、するしないではなく、できるかできないかで、できれば心が成長します。
しかし、認めるとは容易なことではありません。
生きる上で優先順位の高いものは自然と認めやすくなりますが、日常生活にて認められないことはたくさんあると思います。
例えば、道端を歩いていて、突然通りがかりの人がスライムを顔にビチャと付けてきました。
驚きすぎて笑ってしまうかもしれませんが、心の成長となる認めるとは相手のしたことを認めるのではなく、された自分を認めることです。
顔がベチャベチャスライム状態の自分を認めて、自分の意志で行動することを認識して責任を持てたとします。
すると、「やってくれたな」と顔のスライムを取って相手にベチャっとしてやります。
そこにあるのは敬いです。
「どこがやねーん」と言う感じですが、上記の話は自分への敬いがあり、他者への敬いがない段階を意味します。
自分への敬いもないと、ベチャッとされたことを認められずに、「なんだよあいつ」「一発ぶん殴っとけば良かった」「許さない、訴える」などと文句を言い続けたり、責任を持たずに負わせたりと、他責と自責の狭間で何も認めず受け入れない成長段階を表します。
自分がされたことに対する自身の状況や状態や気持ちを認めることは、”我慢”して、「はは、次はしないでくださいね」と媚びへつらい弱さを露呈することではありません。
されたことを認めてどう思うか、何をするかは人それぞれですが、認めることで本気でお返ししたり、おしりにベチャ返しをしてやったり、特に気にせず許したりします。
認めて受け入れるためには”敬い”という尊重や尊敬となる気持ちが必要で、それを持つためには精神性を高めることが大切です。
心の成長のキーワードは”意志と覚悟と許しと自信”
子供の頃には自分を認識することができています。
喜びを全ての中心として、自らの目と耳と鼻と口と身体と頭と心と…あらゆる自分の持っている機能や理解を最大限使用して意見や思考を作り、感覚や感情を感じ、心の気持ちを体感します。
それができる状態には、喜びのために行動している意志を明確に持ち、一生懸命楽しむための覚悟をして、許せないと抱く引っ掛かりがなく、今を生きることで当たり前のように自分を信じる自信を持ちます。
言い方を変えると、自分を認める抵抗となる障害が何もない状態です。
子供を基準にすると、心が退化することであらゆる抵抗を持ち、意志を忘れ、覚悟を持たず、自分を許さず、自信がなくなっていますので、あらゆる抵抗をなくすことから心の成長を促します。
“人間の成長段階にある9つのタイプ”の【⑥自分は敬えるが、他者は敬えない】が初めに目指す状態として、意志を持ち、覚悟して、自分を許し、自信を持つことで、自分を認めて受け入れる心の成長が始まります。
心の成長に必要なこと : 意志、覚悟、許し、自信
※自分を認めるための基本材料
生育と同時に大人になるにつれての心の退化があるので、意志、覚悟、許し、自信にて本来の状態に戻すことも”退化からの成長”と捉えることができます。
認めることで受け入れることができる成長段階
初めに自分を認める敬いによって心の成長が始まります。
その際、”過去の自分”と”今の自分”に分かれて認識されます。
過去の自分を認めるためには”許し”が必要となり、過去を認めていなければ今の現実を認めることはできません。
なぜならば、過去の全ての記憶を含めて今が構成されるので、記憶である過去を認めなければ現実を認める主観が定まらないためです。
そして、過去も含めた今の自分を認めることで、次に他者を認める範囲が広がり、地球から最後は宇宙を認めることになります。
認めることができるかできないか、これは日常的に何度も試される機会がありますので、自分自身を観察することで成長段階を把握できます。
例えば、誰しもが認められる行為に”呼吸”があります。呼吸をしている自分を認めなければ生きていることはありませんので、最も難易度の低い認める行動と責任があります。
それを初めにして、出来事や自分自身を観るとさまざまなことへの認めるか認められないかの自分がいます。
最愛の人が亡くなった時、その事実を認めることができるかできないかは大きく人によって分かれます。辛い現実ですので事実を認めないと同時に、影響を受ける自分自身を認めるのは難しいです。
そこで成長する人は自分を敬うことで現実を認め、悲しみを自分の成長の糧や行動動機として、亡くなった人の恩恵や記憶によって意志を明確にします。これまで一緒に居てくれたことや、存在自体が今なお学びや成長を与えてくれること気付くと感謝に繋がります。
そして、亡くなった人を敬い、供養したり祈りを捧げる際には悲しみではなく、喜びや愛を抱き、それを遠くから与えることで嬉しい気持ちになります。
人それぞれに認めることができるかどうかを知ることで、心の成長の段階を知り、如何に認められるかの方法も見出されます。
※魂レベルとしての成長段階の話でよりわかりやすくなるので、魂レベルの段階(人生のステージ)に8つのステップ|最後は宇宙行?!をご覧ください。

心を成長させる方法
最後に、心を成長させる方法をお伝えして終了します。
これまで、意志、覚悟、許し、自信という言葉が出ました。
さらに、認める、自分を認識する行動と責任という言葉が出ました。
それらの言葉を実際に行動して認めることができれば、敬いになります。
それらが心を成長させる方法になりますが、”敬い”へ向かう前に必ず存在し、全ての言葉に共通して含まれることがあります。
“受け入れる”です。
心を成長させる方法 : 受け入れる
※受け入れるとは、認めてWELCOME(認めて迎え入れる)
いろいろ言ってきましたが、結局全てこれに集約されます。
しかし、受け入れるためにはこれまでの内容の理解が大切になります。
なぜならば、受け入れるためには認める必要があります。
認めることができた時に心の成長に近付き、そこで迎え入れることができた時に受け入れるという行動と認識が完成されて、敬いという心の成長を一段昇ります。
初めは自分の受け入れから心の成長が始まる
最も心の成長が低い状態が、【自分を敬うも敬わないも考えたことがなく不幸せ】です。
これは何も考えず、何も認識せず、現実をただ否定して拒否する状態です。
認めるとは正反対の行動で、それを認識しないために、どうして不幸せなのかどうか、どうして笑っていないのかどうかを理解することがありません。
その状態から成長する場合、自分の行動を認識して否定や拒否していることをまず知ります。
「なんかいっつも否定して拒絶して拒否して文句言っているな、私」と現実を知ることで、それを継続するかしないかの選択ができるようになります。
何も考えないことは変わりないですが、否定や拒否しないことで不幸せな状態がなくなり、過去の自分と比較することで、「なんか最近よくわかんないけど日々が辛くないな」と、【自分を敬うも敬わないも考えたことがなく幸せ】へと成長段階を歩みます。
そのように、自分を敬うまでは自分のみを対象にして受け入れられるようにすることで、心は一段ずつ成長していきます。
迎え入れる受け入れには必ず愛が必要
自分を敬う時にわかることの一つで、心の成長をする上で必ず必要となるのが“愛”です。
認めたとしても迎え入れるかどうか、これができるかできないかに関係するのが“受け入れる愛”です。
受け入れることを別の言葉にするとシンプルに、“自分が喜ぶことを大切にしているかどうか”です。
それは自分を愛する気持ちでして、それを明確にすることが意志であり精神性です。
そのため、初めにお伝えした精神性の意味となる『人間になる』、すなわち『自分を自分で認識する』が必要となり、自分を大切にする気持ちがあることで精神性を高めることができます。
そして、その自分を大切にする気持ちが“意志”そのものです。
意志があることで自分を敬うための愛を持ち、自分を認めて受け入れることができます。
その段階を歩むことが心の成長、というのがここでの話です。
自分を受け入れた時、意志を持って精神性を高めることで、覚悟も許しも自信も持つ状態を基盤にして、“誇り”、“自尊”、“慈悲”など、人それぞれに意志を強める気持ちを持ち、精神性を高めると同時に心の成長段階をさらに歩みます。
※魂の成長へと繋がっていく話は、魂の成長とは遊びへの気付き|成長すると真面目になるかふざけるか をご覧ください。

心の成長段階 まとめ

以上が、心の成長にある、意志と精神性の話でした。
全ての基盤には自分を自分で認識する状態があり、それによって行動と責任を持ち、認めることでの成長を促します。
それは子供からすると退化を取り戻している状態ですが、まずは自分を理解して取り戻すことが退化からの成長となり、自分を取り戻した際には、退化の経験によってより自分と他者を認めて迎え入れる敬いを持てることに気付きます。
一人一人に成長段階があるため、自分の段階を知ることが成長するための一つの指標となり、目的を持ちやすくなりますので、ぜひ自身を観察して確認してみてください。
あとは、今生きている自分を知ることから始まり、認めて受け入れる成長への道を歩むことになります。
その過程では、自分への敬いに誇りや自尊が付き、さらに他者への敬いが慈悲や博愛となり、どこまでも自分と他者を受け入れて愛する成長となります。
そして、その敬いは地球へと向かい、呼吸できることを知ると木や川があり、海があり微生物がいることの恩恵だと理解し、自然の摂理や法則にて生物一つ一つが存在して循環していることで私達一人一人が生きられる現実を知ります。
その認識は敬いを広げ、地球へのお返しや人間としてできる循環を地球の一部として担い、それは宇宙への認識へと繋がっていく心の成長です。
そんな心の成長、何のためにするのか?
物事の意味を見出す時、脳を使用するのか、脳も肉体も心も使用するのか、それは自我意識として理解するのか、人間としてなのか、地球の一部としてなのか、宇宙の一部なのか。
どこを認識の基準にするかで答えは変わります。
すると、「まぁ、成長って幸せそうだから、自己満足ってやつ」という具合がちょうどいい解釈かなと私は思います。
そんなとってもとっても真面目な、心の成長段階についての話でした。
わかりにくい話かもしれませんが、ご自身の成長段階だけでも知って頂ければ、役立つものになるかと思います。
最後までご覧いただいまして、ありがとうございました。