人生哲学

本物は『知る』│本当に優しい人は傷つけ方を知っている

本当に優しい人は傷つけ方を知っている。

「傷つけ方?怖っ!」と思えそうですが、着目したいのは「知っている」こと。

優しく見える人でも、優しそうに演じられる人でもなく、本当に優しい人たる所以は、「知る」にあります。

海外を旅している時、名も知らぬ私を家に招待する人、食事をくれる人、家ごとくれる人、そして他者を尊重する人、さまざまに優しい人と出会いました。

そんな中でもひときわ優しさを心から感じたのは、宗教家でありグルジーやマスターと呼ばれる方々でした。

彼ら彼女らは全員共通して「知る人」であり、優しさのリアリティがはっきりと見えます。

ここでは、本当に優しい人が持つ、「知る」を紐解くと表れる真相をお伝えします。

  • 優しいとは何なのか考えたい
  • どうして傷つけ方を知っている人が優しいのか理解したい

「知る」とは私達人間にもたらされた自然の恵み、成長するための行動、優しさの材料、そして余裕の源。

人間だからこそ持てる本当の優しさについて、理解を深める一つの考え方となれば幸いです。

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本当に優しい人の決定的な特徴「知る」

本当に優しい人は知っている

みなさんはどんな優しい人々と出会ってきましたか?

時速100km/hで車を走らせ、私を乗せているにもかかわらずハンドルから手を放してスヤスヤ眠る。

私はそんな人と出会ってきました。あんなに優しい人はいませんね。

優しくするのは自らの肉体と脳と心を用いた行為ですので、自覚有無にかかわらず必ず目的があります。

何のために優しい行為を他者にするのか?

私達は二極化の世界に生きていますので、物事は[自分or自分以外の他(またはどちらでもないか、どちらでもある)]に分かれます。

自分のため?
人のため?
どちらのためでもない?
どちらのためでもある?

本当に優しい人は知っています。

優しさの目的を知り、行為の真意を知り、自分を知り、他者を知り、起きる影響を知ります。

私はまだまだ優しさを育む勉強中の身ですが、これまでに出会った本当に優しい人、

インドのグルジーやマスター、アマゾンのシャーマン、アフリカの長老を洞察するとわかるのは、彼ら彼女らは優しさの本質を知っていること。

少し表現がややこしくなってしまうのですが、「知る」とは何かを知っています

「え、知るってただ知ることじゃないの?」と思えるかもしれません。

私達には脳があり、肉体があり、心がありますので、頭で知る、身体で知る、心で知ることができ、ちょっとややこしいです。

 

「知る」を知るとは、余裕の源

頭で知るとはルールをインプットする意味ですので、教科書の内容を記憶するようなもの。

身体で知るとは感覚や感情で体感する意味ですので、リアルな体験を如何に自分なりに理解するか。

心で知るとは感情だけでなく直感や第六感、魂との繋がりや見えない認知も含めて把握する意味ですので、意識としての自分や他との繋がり、そして全体をどれだけクリアに認識できるか。

  • 知性(頭)、感性(身体)、心(繋がり)の三つ
    ※スピリチュアルを含めると魂やカルマが入り、言語化がふにゃけるので割愛

「知るを知る」とは、無知の知を初めとして、知るための基盤を理解し、使いこなし、抵抗なく認識し、全体を見通すさまと考えられます。

シンプルに、現実とは何かを知ることができる人

思い込みや決めつけ、嘘や誤魔化し、妄想や空想、ルールや常識従順ではなく、そのままをそのまま、そのものをそのものとして認識できる人。

目の前に見えるものが現実である人はあまりいないかもしれません。

例えば、突然噛んでくる犬がいる時、犬のことがわからなければわからないほど不安で怖くて緊張し、犬を理解できないだけでなく怖がる自分もわからなくなり、優しさから遠ざかります。

現実を知るとは、相手自身や行為そのものの理解もそうですが、「知る」ための媒体である自分を最大限使いこなし、脳、身体、心とガッシリ繋がる状態が前提条件と考えられます。

できる限り現実の抵抗や邪魔を撤廃し、今この瞬間のリアルを正しく捉える必要があります。

その上で目の前の人を知り、起きる現象や行為を知り、優しさへと続いていきます。

知るとは、自分の基盤を持ち、優しさを与えるための絶対的な余裕をもたらします。

余裕があると自然に優しくなるように、余裕の源との繋がりをもたらすのが、「知る力」

これを分解していくとどうして優しいかわかりますので、掘り下げていきましょう。

※頭のいい人が優しい詳細は、【頭がいい人は自然と優しい】頭の使い方を教えてくれる大切な見本 をご覧ください。

 

本当に優しい人には嘘偽りが皆無

この世はまやかしに溢れます。

暗黙の了解に同調圧力、美徳精神に文化への敬礼、蜜欲煩悩に見栄、優劣メンタルにエゴ、ホメオスタシスに自己防衛、脳の認識癖にRAS、自己愛に執着など、あらゆるあやふや魔法が並ぶ超大型モール。

これらは大切なものですので要らないなんてことはなく、「生きるだけで大変なの、優しさどころではない」のが現実かもしれません。

優しい行為一つとっても、優しいのか、優しく見えるのか、優しくしなければならないのか。

ルールに従い、我慢して自己犠牲を払う優しさの人もいると思います。

不安や恐怖を味わいたくないので、接待するように相手を持ち上げ、ビールを注ぐ優しさの人も。

後で待っているデザートをいただくために、演技を多用して優しいさまを演舞する人も。

人を思うように利用するために、相手が喜ぶ利益を与えて手のひらでこねくり回す人も。

優しく見える素振りには嘘や演技など、現実そのものを変形させる動作や思考が入ります

どんな類の優しさでも社会的に、功利主義環境で、損得勘定に基づき、不平や欲求不満がある場合、とても大切な作戦であり術となりますが、「優しさって何だっけ?」と本質から離れる見返りがありそうです。

本当の優しさには嘘や偽り、演技や誤魔化しが一切ありません。

現実から離れる行為はせず、現実へ向かい続けます。

相手に利益(安心や喜びや快楽など)を与えなければ、「ちょっとこのしょぼいシシャモは何なの、要らないわよ!テイッ」となることもありますので、

失敗を重ねて、如何に自分にとって、他者にとっての現実を極めるか

「シシャモはあげない、畑仕事して泥にまみれろ」が真に優しさになることもあります。

 

本当に優しい人が歩んだ段階

優しさには段階があると考えます。

優しさの三段階
  1. 知る
  2. 強さ
  3. 優しさ

私が出会った人々で言うと、100%必ず「強さ」があります。

本当に優しい人は期待せず、甘やかさず、執着させず、依存させず、厳しく、はっきり言い、その人をその人として敬います。

凸でガンガン押すのが強さではなく、「知る」からこその強さ

相手の状況を把握し、相手の立場で考えて敬うには、その人そのもの、現実として起きたことそのままを受け入れる必要があります。

拒否せずに受け入れるのは、起きたこと、現実そのものを偽らず、曲げず、誤魔化さない強さであり、嫌なことから逃げず、目をそらさずに向き合う強さとなります。

強さとは恐怖心から逃げないこと。

恐怖心とは、「嫌だ、認めない、許せない、拒否したい、誤魔化したい、逃げたい」と現実を認めたくない自分。

それをまざまざと見ることに強さがあり、弱い自分をボコボコに打ち負かすのではなく、「弱いなら弱い」と現実を認め、恐怖を克服する、いわゆる恐怖とは何かを知る経験に強さがあります

ゴリラと戦えば、平手パンッで首がもげてチーン。

AIと戦えば、頭脳はパニックを迎えて高熱シャットダウン、シュー。

私達人間の強さは肉体や頭脳ではなく、肉体と頭脳を合わせた二極化の一元化にありそうです。

二つを合わせるとは知性と感性を合わせることであり、陰と陽を、自と他を、闇と光を合わせる調和と平和。

自分を知り、他者を知り、自分の持っている力を最大化する一元化。

「どうして右手ばかり使っているのだろうか?」と疑問を持ち、左手を使うとどうなるか、一元化とはその先にある結末を受け入れるようなものです。

両方を上手く使う前提に「知る」があり、知るためには現実を拒否せずに受け入れる「強さ」があり、その後に必要に応じて「優しさ」へ向かうという考え方です。

 

本当に優しい人は傷つけ方を知っている

優しさに大切な「強さ」を知るための大前提があります。

「傷を知る」

ここから、この内容の本題へ入ります。

 

「傷」を知る過去

理論で固めた優しさは、確率と、方程式に基づく前例(記憶)で構成されます。

「この人にはこう言えば喜ぶ」
「あの人にはこう振舞えば脳みそを掴める」

策略である優しさ、もとい、自己利益のための利益授与の場合、過去の経験や前例によって見出す、人間行動と社会行動心理に基づく(教科書を読めば遅かれ早かれわかるもの)かもしれません。

本当に優しい人の場合は異なり、過去の傷を知る経験に基づきます。

私達は自分の目や頭や心でしか物事を認識できないため、自ら経験しないと脳内のイメージ、「きっとこうであろう」になっているかもしれません。

隣人が同じチューリップの花を見ているのに、「やぁ綺麗なオレンジ色だったね」と話したら、「たしかに、もはや真っ黒なオレンジ色だもんね」という衝撃的な違いが判明して、目が落ちそうになります。

同じものを見ているようでも、捉え方や色彩や感覚の何もかもが違うため、実際に自ら経験しないとリアルな理解ができなさそうです。

本当に優しい人は、「この人にはどういった配慮が、アプローチが、サポートが、助けが大切かな?」を知るために、幅広く経験しています。

優しさを必要とする人は心に傷を負い、トラウマやコンプレックス、憎悪の念やカルマの呪縛など、さまざまに痛みを味わっています。

目の前のその人自身を深く知るには、「痛みとは、傷とは、苦しみとは何か?」を理解したい。

だからこそ自ら傷を負い、痛みを深く味わい、嫌な経験をたくさんしてきた人ほど、傷を知ります。

辛い経験をたくさんして、その経験を活かして理解へ繋げた人ほど、より他者の気持ちを知ることができ、寄り添い、優しさへ繋がっていきます。

 

本当に優しい人は傷つけ方を知る

傷を知る過去は、ある力を与えます。

恐怖(闇)です。

痛みを深く味わうことで、「おらおら、ここが痛いんだろ、ツンツン」と相手の痛みポイントも把握します。

一人一人に個別の認識があっても私達は同じ生態系ですので、多くは近しいもの。

傷を負った際、自分のハートがウネウネのチョコパンみたいになり、「イテテテ」と知れば、「あれだけツイストすればこういう痛みになるのか」と知ります。

まるで闇医者ですが、そういう知り方でなくても、「これをされると心にクギを打たれたようになるんだよな」と経験をないがしろにせず学ぶと、相手に何をすればどうなるか大方わかります。

傷を知る過去がある人ほど、怒った時に何をされるかわからない怖ろしさがあり、一瞬で全方向から弓矢が飛んでくる可能性すらあります。

回復する肉体部位ではなく、回復しにくい心や精神の奥深くであればあるほど痛みは比べ物になりませんので、傷を知ることは真に恐怖を与える力にもなります

傷つきやすい人ほど人を傷つけられるように、「知る」とはあくまで基盤であり、次のステップである強さがないと、優しさとは別物になる危険行為だったりします。

と言っても、ここでお伝えしているのは本当に優しい人。

強さを兼ね備えているからこそ優しさへステップアップしており、「知る」を応用するさまがあります。

 

傷つけ方を知っているからこそ、傷つかない方法も知っている

優しさに強さが欠かせないのは、強さがないと傷つけ方の理解が誤魔化しに使われるからです。

人を傷つける行為はカルマを積むだけでなく、自らの弱さ、恐怖と向き合えない現実から目を背ける策になり、現実が自己都合の思い込みになりながら、自覚がないので気づけなくなり不変の沼にハマります。

他者にフォーカスしすぎると、自らのしている行為や現実に着目せずとも後ろめたさがなくなり、自覚せず責任を持たなくても心地悪くなりません。

こうなると、優しさとは何なのかさっぱりわからなくなる可能性があります。

人を傷つけている時に鏡で自分の顔を見ると現実に戻るように、現実を受け入れられなければ強さも知ることも得ることもありません。

人によってはその狂気に陶酔してさらに誤魔化す術とし、「自分は悪い人間だ、がはは」と認めていると思い込む脳内麻酔が自己注射されます。

強いからこその優しさは本当の意味で「知る」ため、傷つけ方がわかれば傷つかない方法も理解し、二極を把握します。

その上で、「どうするか?」の選択となるため、もちろん答えは相手を傷つけない。

かといって傷つかない方に導く訳でもありません。

傷つけ方を知っていることは、傷の痛みを乗り越え、恐怖を克服し、強さを得た意味。

傷を乗り越えずに一時凌ぎの誤魔化しをすればどうなるか。

無自覚の内に傷口が開き、解決に至らないだけでなく、執着や依存や甘えが増長される危険性も知っています。

どういう配慮、心遣い、気遣い、思いやりが相手に大切かは相手自身にしかわかりませんので、全てを踏まえて相手の立場や状況、思考や感情に寄り添い、相手にとっての現実を追求するのが、傷つけ方を知っているがゆえの優しさ

優しさの基盤は明確に、「知る」です。

 

本物の優しさ、「知る」とは?

理解する媒体であり基盤である自分の脳・身体・心との繋がりが太いからこそ、傷を知り傷つけ方を知る経験を学びにしてきたからこそ、より深く他者を知ることができます。

実際に他者を知るのはとても難しいです。

その人にはその人の歴史があり、思考の基となる価値観や観念があり、家庭環境や生活習慣、性格に特徴などさまざまにあります。

本当に優しい人は、他者の息を知り血の流れを知るように、その人そのままの観念の礎、癖、因果、根底にある一筋の光を探します。

「この考えの基は、在り方の源は、行為の真意は、見てる世界とは?」

深い海の底を探るように、相手を捉え、考え、経験を投影し、寄り添う。

「どこにある、喜びの基、楽しさの源、自由の扉、幸福の礎とは?」

自他を組み合わせたそこに今この瞬間の現実を掴みます。

知るとは繋がり

人間にとって根源的に必要なことを与えるための力

現実を知る人は、優しさの神髄であり、根源的なものを与えられます

それは傷の裏側の先にあるもの。

自分の力で成長し、自らが幸福を作れるようになるためのサポートです。

本当の優しい人は常に縁の下の力持ち、というお話です。

 

本当に優しい人は傷つけ方を知っている まとめ

傷や痛みを知ることは、恐怖心や闇を経験し、自分の力として学び取ること。

典型となるのは私が出会ったきた宗教家。本当に優しい人は悩みの先にある幸福を見ています。

陰陽二極化の地球では、ネガティブもポジティブも両方あって一つです。

物事にはネガティブな面があれば同時にポジティブな面もあるように、常に陰陽が内包されています。

傷は恐怖でありネガティブサイド、陰側の経験や自分そのものを知ることは、現実の片割れを知る基盤。

それを乗り越えて克服することは、陰から陽へ向かい、二極化が一元化する進化。

恐怖を知るからこそ強くなります。

弱いからこそ力を誇示して、マウントを取って見栄を張る、そんな優越感を得るための比較世界から俯瞰します。

強いから自分を知り、他者をも知り、傷を知るからこそ幅広く人々を知り、優しくできます。

義務でも強制でもなく、優しくしたいから優しくする、それだけのシンプルなもの、自由です。

甘えも心配もない優しさは、純粋に目の前の人のために与える価値、知るからこそ与えられる価値。

現実を追求する先にあるのが強さ、そこに勝負があれば勝ちます。

しかし、より知れば知るほど、勝つかどうかではなく、何を見出し、何を得て、何を与えられるかの世界。

イチロー選手が野球における現実を探求し、知ることで人々に勇気や動力を与えるように、本当の優しさは知ることで育まれます。

その範囲を人間味に広げた人は、どこまでも優しいのだと思います。

そんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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