生き方

人生どうでもいいことの真意│人生の意味から見える本当の捉え方

「人生どうでもいい」と思う経験があることで、人生の意味や生きている意味を考えることになります。

臨死体験や死にかけたことがある方は認識しやすいかもしれませんが、生きていることは結構どうでもいいことだったりします。

人生の意味を考える必要もなく、苦しみより喜びを味わっている方が楽なので、「幸せになるために生きている」という答えを私自身出していた時がありますが、考えれば考えるほど、「人生はどうでもいいものだ」と答えが出ます。

ここでは、私自身の理解にある人生の意味をお伝えし、人生どうでもいいと思う捉え方にある本当の意味をお伝えします。

気軽な哲学となりますが言いたいことは、「人生に意味なんかない!…けどあった」ということで、その理解をすることで人生どうでもいいと思えることに大切な捉え方が生まれます。

人生の意味を教える気付きと、人生をより深く考える機会とするためにぜひご覧ください。

人生どうでもいい

人生の意味を考える

キーンコーンカーンコーン

「はい、道徳の教科書の80ページを開いてください」
「生きるとは、ムニャムニャムニャのちろちろちろ、と」

人生の意味や生きている意味を考えると、実にどうでもよくなります。

その答えは、「どうして今、目の前のサバの塩焼きを食べようとしているのか?」と自問するのと同じです。

答えは、「サバを焼いて食べたいから」です。

生きている時間を人生と言います。そして、生きている空間を世界と言います。
時間と空間を基準にしたこの世は地球の三次元であり、肉体と脳と心を使用しています。

そのため、物事の認識は肉体の五感で感じるか、脳で蓄積した情報を引き出すか組み合わせるか、心で波動を変換して気持ちを感じるかです。

認識することで意味を見出し、生きていることを感じて、生きていることを理解します。

意味を見出すということは、自分が納得できる答えを出すことですので、サバの塩焼きを食べる時に、「どうして焼いたのか?」への納得できる答えを出すことです。

それはきっと、焼いた方が過去の経験から脳が納得して、おいしいことやものを食べられることや体が喜ぶことを肉体が感じて喜び、自分のやりたいようにできていることで幸せを感じて満足するから焼く選択をします。

人生の意味とはサバの塩焼きへの答えと同じで、生きていたいから生きています。

人生の意味の主観は自分のみで、自分の人生の意味は“生きていたい自分”がいて、“生きている自分”がいることで答えを見出す。

それは今人生を終えるのが怖いから、自ら何も食べないで朽ちていく際の苦しみを味わいたくないから、自らパラシュートをつけずにヘリコプターからジャンプできないから、などのネガティブな理由も含めて、生きている方がいいから生きています。

 

人生の意味はないから人生どうでもいい

人生の意味の題材は、“どうして生きているのか”、“人生とは何なのか”、“生きている時間や空間とは”が主だと思いますが、全ての主観は自分なので答えは生きていることにあり、すべて自分が選択して今生存していることが自ら出した答えだと思います。

人生の意味を考えるには脳を使用します。
同時に人生の意味を感じるには心を使用します。

脳は知識を入れて出して組み合わせるので、生まれてから今日までにインプットした情報が、人生の意味の答えを出す材料です。

さらに、答えの幅を広げる場合には心の認知となるスピリチュアルな概念も含めて、死後の世界や創造主やハイヤーセルフや守護霊など、さまざまに自分をサポートしてくれる存在も含めて洞察するかもしれません。

 

人生の意味などない理由と理解

人生の意味を考えるには、生まれてから死ぬまでが人生なので、死も含める必要があります。

しかし、経験していないことは自分の理解とはならないので、脳を使用しても心を使用しても、「たぶん」という前提になります。

そこで見出した人生の意味は全て、「そうだと信じる」ということになります。

それは臨死体験やスピリチュアル体験をしたとしても、現に今生きているのであれば現実ではありません。夢を見た、テレビで朝のニュースを見たと同じことです。

人生を終えた時にどうなるかは、いつか来る終わりの現実を経験しないとわかりません。

人生の意味はないとは:
人生の終わりを経験しないと人生の意味を見出せない
※見出せないが、考えや意見として信じることができる

信じることはできるのですが、「人生の意味はこれだ!」という確実なものは見出せません。

「人生の意味はない」としか言えず、これは、「よくわからない」であり、「なんでもいいねぇ、ところでこのみかん食べていい?」であり、「生きていることが意味なんじゃない?」という感じになります。

 

人生の意味はないので人生どうでもいいと思うのも自然

人生の意味は考えてもわからず、ないようなものです。言い方を変えると、考えたところで暇つぶしになることです。

意味が見出せなければ、生きている意味や目的がわからなくなるのは自然なことだと思います。

そのため、「人生どうでもいい」というのは当たり前のようなことで、自然な状態だと思います。

「どうでもいい」という認識は、何でもOKであり何でも拒否の、「何が起きてもいいですよ、そこに物事を認識する私はいませんから」と中身がない状態だと思います。

自分の主観がなくて、人生の主人公がいない状態の空虚では、喪失感や虚無感があり、どうでもよくなります。

人生に意味がないように、自分の人生の意味に意味がなければ、主観がなくなり誰の人生かわからない状態になります。

そこには、人生の意味を自分で決めるのではなく、誰かが決めるものだと信じている自分がいて、それを誰も決めてくれない状態。または、誰かに決められて、それに反発したら自分で決められないので、空っぽになるという状態があるかもしれません。

人生に意味がないのでどうでもよくなるのは自然なことですが、人生の意味はサバの塩焼きを食べる意味と同じなので、唯一意味を作れる人がいます。

自分です。

※人生どうでもいい際にやめちゃう方法がありますので、人生どうでもいいのでやめちゃう。全部放り投げてやめる方法 をご覧ください。

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人生どうでもいいことの真意

人生に意味はないけどある

これまでは物事の一側面からの考えですが、ここからはもう少し俯瞰して人生を捉えて、人生に意味がないけどあることをお伝えしたいと思います。

信じることで、ポジティブで幸福に繋がる考え方をする傾向が社会的にあると思うので、「幸せになるために生きている」とか、「笑うために生きている」などの微笑ましい考え方を活用して、生きる術や人生を変える方法にすることができます。

しかし実際、人生の意味など実にどうでもいいことです。幸せであることは、生きるのが楽になるので気楽で良いと思いますが、苦しくても良いと思います。

苦しみがなければ喜びを感じることはないので、苦しみは喜びのためにもなり、人それぞれに意味が生まれます。

人生に意味がないことは、「考えても意味など出ません、だって今生きているんだから」ということでもあり、これはもっと大切な意味を残します。

 

今を生きてみると人生に意味が生まれる

死んだ時に人生の意味がついにわかるので、今考えても意味はありません。

しかし、“人生”を“現実”として捉えてみると、生まれてから今この瞬間までの時間が事実として自分で認識できる人生になります。

そして、現実となるのは“今”のみです。

これまでの人生は事実であり記憶として保管されています。それらの記憶を基に物事の考え方や生き方が作られ、物事をどのように見て、感じて、思って、考えての認識の基になります。

そのため、過去の記憶がないと物事を認識できないので、自分のことを自分だと思うことも、楽しいも喜びも辛いもありません。

人生どうでもいいと思う場合は、自分のことを自分だと認識していない、または自分のことを拒否して受け入れていない状態ですので、記憶がないわけではありません。

すると、自分で認識して考えたり、感じたり、思ったり、想ったりしようとすればできます。

自分次第ということです。

認識する意志があれば、後は“今この瞬間”を認識することで現実を自覚して、人生の意味が生まれます。それは、人生の意味を唯一作れる自分が作る意味です。

今を認識することで人生の意味が生まれる
※自分の現実を自覚することで人生の意味を作れる

未来を含めた統括的な人生は空想になるので意味は見出せないですが、今目の前にある人生には意味がたくさんあります。

それは自分が見て、嗅いで、触って、聴いて、味わうことで体感し、喜びや怒りや悲しみや憤りの喜怒哀楽にて感じ、心地良い心地悪い気持ちにて認識します。

今の現実を認識できるのは、感覚と感情(脳が作る)と気持ち(心が生み出す)のみ。

 

人生の意味は自分の存在自体

今を生きることで人生の意味を自分自身によって作ることができます。

その際の意味とはとてもシンプルなものです。

それは、「サバを焼いて食べたい」と思ったから、今ユニクロで買ったばかりの白シャツに油が飛んで憤慨する行動をしていることに意味があり、行動している今に感覚があり、食べるには食べる行動があり感覚があり気持ちがあります。

今という瞬間から人生の意味を見出すと人生の意味は共通で、「自分がしたいからそうしている自分自身」が答えになります。

自分がしたいから生きていて、自分が食べたいから食べていて、自分がしたいから行動しています。

そのように物事の現実を見ると、人生の意味とは今生きている自分自身の存在が答えになります。

※人生や生きている意味の話は、生きている意味がわからない│そんな自分を観察するとわかる答え をご覧ください。

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人生どうでもいい理由と捉え方

人生を現実として見ると自分が生きている時間のことになり、生まれてから今この瞬間までが人生になります。

すると、人生の意味は生きている自分自身が答えを知ることができ、それは、「生きていたいから生きている今この現状」というシンプルなものになります。

人生の意味は今この瞬間に目の前に広がり、自分として存在することが全て表現しています。

しかし、人生がどうでもいいと思う場合には必ず理由があり、そこには自分を見失い、主観がいなくなる出来事や経験があります。

 

人生どうでもいいと思う理由

人生どうでもいいと思うのは全てを放り投げた状態で、「はい、全くもって自分の思ったようにならない」というお手上げです。

さらにそれが続くことで、「もうほんと、どうにでもしてよ、マジで」と疲れ切って疲弊しての虚無に至ります。

私は家庭環境とその後の彷徨いにてそうなり、私自身がそうだったのですが、人生どうでもいいと思う理由は、自分が人生の主観でないことや主人公不在状態だったのもあるのですが、特に、「人生は良いものだ」と決め込んでいたためでした。

人生どうでもいいと思う理由
  1. 自分が人生の主観ではない
  2. 人生の主人公不在
  3. 人生は良いものだと決め込む思い込み
  4. 自分ルールを押し付けて自分の思ったようにならない不納得の蓄積
  5. 自分で自分を認識できない
  6. 自分を受け入れない拒否

今ではなく、過去と未来の思考を巡る脳内で生きています。

それはエゴが多く、自分で自分を認識できない状態で、自分の存在を見出せなくなることで、空虚になり、人生がどうでもいいと思います。

エゴが多くなることで、他者と比較して自分を見出すためにプライドやうぬぼれとなったり、優越感と劣等感にて人を蔑んだり、自己憐憫となる郷愁感にて生きている感を作ろうとするのですが、人生どうでもいいと思う場合にはそのようなことは超越して、認識すらしなくなると思います。

自分が人生の主観とならない状態は周囲の影響があり、他者の存在によって自分を見失う基盤がもたらされる過去の経験があります。

自分を見失なった状態が蓄積されていき、周囲の環境にて自分の思うことが何もできなくなることで、他者との比較もしなくなり、何もかもがどうでもよくなってしまいます。

そんなどうでもいいと思う状態には真意があり、本当の意味となる捉え方があります。

 

人生どうでもいいと思う本当の意味

人生どうでもいいとは、「何だかもうどうなってくれてもいいね」という投げやりや自暴自棄があります。

それが喪失になることで、あらゆることに興味がなくなり、自分にも興味がなくなることでご飯を食べることをしなくなります。

しかし、もしご飯をお米一粒でも食べようとしている場合は、喪失ではありません。

そんな自分を観察するとわかるのですが、生きようとします。少なくてもご飯を食べて、水を飲みます。

人生どうでもいいと思う状態は、自分の意志を明確にする意味があり、“自分が喜びを求めて作ろうとしている”ことを一つ一つの行為から見ることができます。

人生どうでもいい状態の行動を観察すると、生きたい意志が明確になる

そんな自分を認めたくないかもしれませんが、認めた瞬間に人生どうでもいいと思っている時間が終わります。

それは選択になります。終わりたくなければ、そんな自分を認めないでもう少し我慢です。認めたら終わります。

私達は生きている以上、呼吸してご飯を食べて睡眠をします。私がそうだったのですが、どうでもいいと思いながらシャワーとか無心で浴びてたりするんです。

今では、海外の旅とかをするようになったので、一か月風呂なしなどは当たり前ですが、どうでもいい当時ですら数日に一回とか入るんです。

どうでもよくないんですね、においとか気になるし、ご飯もキャベツだけでしたけどバリバリしてました。

そんな自分を観察すると認めざるを得なくなります、「生きたいんだ」と。

それはそのまま、「自分を喜ばしたい」と言う真意で、自分を大切にしたい本当の意味が見えます。

人生どうでもいいと思うのは、自分を受け入れない拒否にて自分を認めないことで作られるので、自覚して認めると全てが決まります。

※人生への気楽な考え方がありますので、人生どうでもいいと思った時。それは実は大切な合図だった をどうぞ。

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人生どうでもいい まとめ

人生を捉える見方や視点によって人生の意味が変わります。

そして、人生とは今この瞬間までのことで、今を認識することで現実として唯一存在する“今この瞬間”から意味を見出すことができます。

人生に意味がないのかあるのかは、人生が楽しい方が良いのか苦しい方が良いのかと同じで何でもどうでもいいことです。それは一人一人が自分で決めることで、他の人にはわかりません。

寒い冬があるから、暖かい時に感謝する意味が生まれます。それは寒いことを感謝するのか、暖かいことを感謝するのか、自分の喜びを表現しているに過ぎません。

誰しもが自分のために生きているので、自分がどう思い、どう感じるかが全てです。

そして、せっかく人生どうでもいいと思える経験をしたことに、大切な意味があります。

そう思えることは大きな経験となり、自分の頭で自分としての人生を考える機会であり、始まりになります。

もう誰かのために自分の人生の時間を捧げるのは終わりです。その経験があったことで自分の頭で物事を考えて、自分の心で感じて認識して決めることができます。

全ては自分のやりたいようになります。全てを投げ捨ててもいいんです。自らの足と頭と心で行動することが大切で、その始まりの合図は鳴りました。

自分にとっての人生があり、過去の記憶があることで今を認識することができます。あらゆることは経験となり記憶となるために、全てが自分を構成する材料として大切な意味があります。

そんな一つ一つの紐解きとなり、実際人生をどう思うかは本人の自由であることから、そういった意味で、「人生どうでもいいね」という解釈になり、何か心が軽くなることを願います。

それでは、人生の意味から見える、人生どうでもいい捉え方の話を終了します。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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