スピリチュアル

【人間の凄みを知る体験】与える人の特徴とスピリチュアル

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幼い頃から貰ってばかりの人生、そろそろ何かを与え、恩返ししたい。

なんて、ふと考えることがあるかもしれません。

与えれば返ってくる、そんな因果の法則もあるので、できれば与える人になりたいものです。

そんな与える行為、人と人の継承を作る働きであることをご存じでしょうか。

与える人とは一体何者なのか、天使か神か、はたまた依存沼の主かマインド支配の研究者か。

ここでは与える行為の真相に迫り、与えると何が起こるのかお伝えします。

  • 与える人の正体を知りたい
  • 与えると起こるスピリチュアルな理解を深めたい

私自身、与える本質の探索を続けており、今回とんでもなく与える人を目の当たりにしたことで、少しばかしですがわかったことがあります。

そんな体験談を含めて、一つのご参考になれば何よりです。

与える人の特徴と正体

与える人のタイプ

「与える」の言葉の中身は異なり、タイプが分かれますので、ここでの主旨を明確にします。

与える人のタイプ
  1. 喜ぶために与える人
    …余裕があることで気前が良くなる(チップ的な)
  2. 奪われることで与える人
    …抵抗しない我慢強さと優しさ(自己犠牲、他者優先)
  3. 継承を作るために与える人
    …慈悲の心

このようにタイプが分かれることで、与える行為の意味が変わりますので、詳細を見ていきましょう。

 

①喜ぶために与える人

気前の良さが目立つタイプ。

物質、経済、社会的に余裕があり、不安や恐怖から緩和されたメンタルを持ち、チップを与えたり、要らなくなったものをあげます。

ビジネス面で例えると、起業する際に資本金がなければお客さんに利益を与えにくいけれども、資本金があるほど与えられる。

人によっては優越感を強めるために、家に招待した際に高級紅茶を与え、旅行帰りに高めのギフトを与える、物乞いされたから与えるなど、余裕のある人間だと自らを認める喜び、自己価値を高めたり、心地悪さを緩和する方法にもなります。

「喜ぶために与える」の言葉の意味は、「対価や見返りがあるから物を与える」

 

②奪われることで与える人

奪われる&与えるの二刀流タイプ。

優しすぎる、いい人、自己犠牲、他者優先する人など、気を使いすぎて自分を抑える(我慢)特徴があります。

潜在的なエネルギー量の多さと強さがあり、与えられるだけの価値をたくさん内服しています。

人によっては断れず、搾取されるようにエネルギーを奪われ、評価を取られ、利益を騙され、痛い思いをしながら与えます。

受動的に与える状態から、主体的に与えるようになると性格や人間性が一変するタイプでして、奉仕の精神に進化する発展途上の与えるさまとなります。

「与える」の言葉の意味は、「自らを与える」というアンパンマン的な人間ドラマが含まれます。

 

③継承を作るために与える

この内容の主旨、与える意味が明確です。

「与えることで人と人を繋ぎ、継承していく」

慈悲の心を持つ人の与えるさまです。

愛と調和を重んじ、人と人の平等と一体を思いやります。

※自由以上に、平等への意識の強さがある

あまり大それたものではなく、挨拶を大切にする、感謝する、笑顔で接するなど、日常的にある気楽な与えも含まれます。

このタイプは、相手に与えて終わりにはなりません

同時に、たくさん与えてマインドコントロールする、あえてサービスしまくって見返りを増やすなど、心理把握による自己利益目的の作為やプロデュースではありません。

必ず自らも含めた自他両方への与え(利益や満足や成長などのプラス)を見出し、一方通行を作らず、相手にプラスを与えることを始まりにします。

与える内容は人それぞれ、物を初め、流通、思想、価値、治癒、成長、サポート、叱咤激励、厳しさ、辛い経験など。

例えば、「世の中のために」とモットーを掲げた社長、「お客様のために」とサービス精神旺盛なお店、「成長のために」と厳しく育てる親。

そんな与える人には、いくつかの共通した特徴があります。

 

継承を作るために与える人の特徴一覧

与える人の特徴
  1. 挨拶を大切にする
  2. 人前では笑顔が多い
  3. 一人の時は鬼の顔をしている
  4. 一人の時に考え事が多い
  5. 人のために働くことに熱意がある
  6. 「ありがとう、ごめんなさい」をよく言う
  7. 切り替えが早くて上手
  8. 過酷な経験をしている
  9. 物事をはっきり言う
  10. メタ認知が高い
  11. 洞察力が高い
  12. 平等を重んじる
  13. ポジティブ

与える人は眼力があり、物事をよく考え、真実を見ようとします。

幅広く先行きも踏まえて俯瞰するメタ認知が高く、一時的な与えではなく、長期的に与えられるように工夫します。

そのためにも、相手側の立場を理解する努力をし、相手のために言葉を使い、態度を表し、物事を考えます。

いろいろ言っていますが、与える人の特徴を要約するとシンプルです。

与える人は、調和と思いやりの心を持ち、他者のために自分ができることをします

 

与える人の正体

「自分ができることを他者にしてあげる、なんのため?」

見返りがなければ、与える理由がなければ、なかなかできることではありません。

「なんのため?」の答えはシンプルです。

「相手のため」

自分のできることを他者のためにしてあげる人は、自分だけで生きていない、生きられないことを深く理解していると考えられます。

これまで生きてきた中でどれだけ人々に助けられ、家族に守られ、社会から利益を貰い、豊かに生きられたか、そういった現実のポジティブな面をしっかり捉えます。

他と比較して、「五体満足で有難い、貧しくなくて助かった」とは違います。

「この自分で本当によかった」と心から想うさま。

良いも悪いもあったけど、この自分だからこそ味わい、経験し、学べた。

周囲に自分以外の他(環境、自然、人、社会)があったからこそ味わい、経験し、良いも悪いも学べた。

そんな大切な自分がいるのは親があって、ご先祖様がいて、日本という社会があって、地球があって、生命の根源があって。

「この私で本当によかった」と感じれば感じるほど、自分以外の他、それは身近な他を初めに、感謝し、思いやり、信じ、貢献したくなります。

与える人とは、既に貰ったものをしっかり捉え、それに対する自然な反応を示す人。

お返しする理由や意味を感じ取り、実際に実行に移せている人です。

 

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与えると起こるスピリチュアル

ここからは少しややこしいので、奇妙なお話が好きな方はぜひご覧ください。

スピリチュアルな与える意味:ワンネス

「相手のために与える」

そんな行為を紐解くと、自然とスピリチュアルな理解に繋がります。

「今の自分がいるのは、自分以外の他があって」と心から理解している場合、自分を知るとは他を知る状態です。

そんな人は、超現実的と言えるかもしれません。
※いわゆるブッダのような認識の仕方

超現実的に認識すると、私たちは自分を見ることも知ることも、自分一人ではできません。
※そもそも一人しかいなければ、「私」とすら思わないので、知る必要や動機が見出されない

例えば、鏡を見ると自分が写る鏡を見れますが、私たちは自分を自分で見ることができません。

「目をびよーんと伸ばして折り返せば」と怖いことを考えたりしますが、いかんせん他を通してしか見れません。

川に写る自分を見たらもう、「ウホウホ、ウ、ウホホーイ(おぉお、なんだぁ、これはぁあ!)」

できるのは他によって自らを見る、または自らの内面から自らを見る。

赤ちゃんの状態です。

テイッと手を動かして机からおもちゃをバチ落とした時、赤ちゃんは「我がやったなり」とは見ず、落ちたことで生じる働き(音や周囲の反応)を見ます。

「ちょっと何してんの、メッ!」と叱られると、「いけないことをした私」とはならず、嫌な気持ちを発する親&それによって感じる嫌な気持ちそのものを見ます。

そこに「私」たるものはおらず、周囲や感覚そのものにフォーカスすることで、自分と言われる何かが浮き彫りになる。

キャンパスの背景を埋めていったら、残った空白が自分になる状態です。

この状態では、「相手のために与える行為」は自分のために与える行為と同義になります。

いわゆる、キャンパス全体が自分みたいなものでして、他者のために働くことが最終的に自分の彩りになり、中身になり、喜びにも悲しみにも、利益にも不利益にもなります。

同時に、自らの内面から自らを見る場合も同様でして、鏡の法則と言われるもの。

波動(エネルギー)の同調と共鳴によって成り立つ量子やスピリチュアルの考えでは、出会う人はもとい、起こる出来事、認識する物事は全て自己の内面が外側に反映された状態です。

そのため、相手に与えることは自己に与えるからこそできる行為

自分を大切にして愛するほど、自然と鏡のように相手を大切にして愛するようになり、無意識に与えようと働きます。

これらによって、「相手のため」の意味がはっきりします。

『相手のため=相手を含めて存在する自分の理解=調和、一体(ワンネス)、平等意識』

環境や人や社会など他との調和であり、ワンネス意識による動機、意図、行動。

この「相手」は身近な人から俯瞰し、大規模に捉えると平等意識になっていきます。

「他に与えることは自らに与えること、自らに与えることは他に与えること」

スピリチュアルな与える意味は、ワンネス意識による働きという考え方です。

 

与えると起こるスピリチュアルなこと

これまでの内容から、与える人とは自分に対する捉え方に特徴があると知っていただきました。

[自分=自分]
[自分=他+自分]

これによって感謝やお返しの気持ちが生まれます。

さらにスピリチュアルを含めると、超現実的でワンネス意識を持つ人ほど、与える動機や熱意を持ちます。

そんな与える人は[自分]という限定思考がない(または執着が少なく)、調和や一体、人によっては平等意識を持ち、実際に行動に移します。

無意識でも調和があるからこそ自ら笑顔を示し、自ら挨拶し、自ら感謝し、自ら与えます。

これが表すのは、自発的に相手のために働く行為

主体性を相手に置き、「一体になりましょう」的関わり方。

これを自分主体でされれば、「一体?嫌だよ、やめて!」となる可能性があり、与えるからこそ依存や執着を増長させ、押し付けや戦いにも、怠惰の沼トラップ作りにもなりえます。

自分を主体にすることはとても大切ですが、与える場合は別。

与える人は相手を主体にしながら、自ら率先して与えます。

「相手のため」をメインに行動するため、感謝や思いやり、お返ししたい気持ちが芽生えます。

自らが調和、一体感、平等意識を持っているだけでなく、与えることで相手に調和、一体感、平等意識が芽生える。

すると起こります。

与えると起こるのは、循環です。

「私があげたいからあげる」ではなく、お客さん側の立場になって提供するサービスによって、感謝やお返しとして口コミが広がる、なんて具合。

循環が起こると、与えれば与えるほど、受け取ってもらえればもらえるほど流通が広がり、感謝、調和、一体感が広がります。

これを経済に展開した場合、与える人は大金持ち。

これを精神に展開した場合、与える人は豊な心を育む。

与える人は幸せになります。

「相手のため」が流通する先にあるのは、利他心の拡大、調和によるエネルギーの共有、コミュニティ作りや社会貢献にも進展していきます。

 

体験談:与える人の究極系

継承を作り、循環をもたらし、幸福を量産する与える人。

大小与える違いが人によってあると思いますが、とんでもなく与える人を垣間見る体験をしましたので共有します。

北インドのダラムサラ(ダライ・ラマ法王が住む場所)にいる時のこと。

私は現地のチベット仏教寺院に滞在し、僧侶の方々が毎朝行うプジャ(お経、供養)に参加していました。

お寺はダライ・ラマ法王から提供されたもので、宿泊費はそのまま施設の維持費や僧侶の必要費になるとのことで、ブッダガヤのチベット仏教施設から続いて約2ヵ月間滞在しました。

毎朝プジャに参加させてもらうだけでなく、供養の一貫としてバターティー(チベットといえばの飲み物)とパンを与えられます。

さらに大事な供養の日には、それ以外に果物、お菓子とたくさんのものを与えられます。
※ブッダガヤの施設ではお粥、果物、チャイが毎朝与えられる

とにかく与えられます。

全て必要であれば受け取り、要らなければ受け取らないスタイル。
※チベット仏教の入信と同じ

この在り方には常にダライ・ラマ法王の存在と考え方があり、僧侶の方々はみな感謝し、信仰し、尊重しています。

そんな生活をしていたある日、私は幸運にもダライ・ラマ法王と鉢合わせ、挨拶される機会がありました。

と言ってもたくさんの人々がいる中で、たまたま近くのドアから出てきて手を振っていただいた状態です。

あるセレモニーが別の寺院(法王が住む本堂)であったその日、世界中から多くの人々が集まり、大きなお寺でありながら動くのは困難なほど人で埋まり、大勢のチベット僧侶によるプジャが始まりました。

みな静かに座り、僧侶のお経を聞きます。

すると始まりました。

大勢の僧侶が所狭しとバターティー、甘いライス、パン、果物、お菓子、バラエティに富んださまざまなものを、寺院内にいる全員に配りまくります。

終わりません。

貰ったと思えば次のがやってきて、私は何度お断りしたかわからないほどであるにもかかわらず、目の前にはバナナ、リンゴ、チョコと飴の山、口はモグモグしながらライスとティーをズズズ。

参加していた僧侶は全員がお金も貰っていました(別の協会からの支援金)。

みんな食べながらお経を聞き、ダライ・ラマ法王がお話するのはみんなが食べている最中。

明らかに調和と和みのあるタイミングに話しながら、謙虚にみなの食事を邪魔しない配慮。

プジャそのものが一体感のあるものとなり、私はこの時点でなんて素敵なセレモニーなんだと感じてやみませんでした。

そんなセレモニーが始まって2時間経過した頃、私は足場を探しながらトイレへ行き、5分ほどかけてやっと到着。

「戻んの大変だなぁ」と思ってトイレの前でぼーっとしていたら、直ぐ横のドアが法王のいた部屋の裏出口だったようで、なんとセキュリティと側近の僧侶と共にダライ・ラマ法王が出てきました。

周囲にいたチベット人はみんな一斉に腰を下げ、手を合わせて拝み、私は法王に目を取られました。

「無」だったんです。

法王は周囲に目をやり、常に笑顔を絶やさず、挨拶しながら手を掲げている。

私は泣いていました。

手を振っていただき、フアァっと空間の広がる感覚があり、自然と頭を下げている自分を観察している私がいました。

心臓が5倍大きくなったような気分でして、心が引き出され、とっても温かい気持ちを感じ、感動を与えられました。

幸運にも別日にさらに近距離でお見掛けでき、私は見えない領域でたくさんのものを与えられていると気づきました。

プジャの食事や、お寺の在り方や仕組み作りもそうですが、「この方を尊重したい、有難い」という心からの純粋な善の気持ちが出るのは、存在感がどうこうではなく、「こちらのため」に気持ちを与えられていること。

自我を押し出さず、周囲のためにプラスを与えるさまは、自ら相手のために調和を作り、一体の中に入れてもらい、平等であることも認識させてくれる。

自分の中から本性が導き出される

絶対的な安心感であり、信仰にも繋がり、心から感謝し、さらに守りたい、サポートしたいと想わせてくれる与えでした。

そんな法王はご高齢、一人で歩くのも大変そうでして、常に側近の僧侶が両腕を抱えながらの移動ですが、この光景は本当に温かかったです。

両サイドの僧侶だけでなく周囲のみなみなは心から喜んで支え、サポートしているのが手に取るようにわかるさまであり、「すごく愛されているんだろうな」とホッコリ感じました。

 

まとめ:与える人の特徴とスピリチュアル

  • 与える人には、①喜ぶために与える人、②奪われることで与える人、③継承を作るために与える人がいる
  • 継承を作るために与える人は調和、一体感、平等意識、慈悲の心があり、自他両方のプラスを考えて与える
  • 特徴は、調和と思いやりの心を持ち、他者のために自分ができることをする
  • 既に貰ったものをしっかり捉え、自分一人では生きていない、生きられないと理解している
  • ワンネス意識があり、他によって自らを知り、自らの内面から自らを知る
  • 超現実的な人であり、他に与えることは自らに与えること、自らに与えることは他に与えることと同義
  • 与えれば与えるほど、受け取ってもらえればもらえるほど循環が起こり、流通する
  • 流通にて感謝、調和、一体感が広がり、経済展開するとお金持ち、精神展開すると豊な心を育む
  • 与える人は幸せになる
  • そんな人と一緒にいるだけで安心があり、感動があり、心から守りたい、助けたい、サポートしたい気持ちになる

与える人とは知的な天使だと考えます。

善の心であり、受け入れの先にある働き。

人のため、社会のため、地球のために循環を作り、継承をもたらし、他と他を繋げる力の持ち主です。

私個人的には与える人を垣間見る体験にて、人間の凄みを味わい、動物との決定的な違いを体感しました。

そんな、「人間とは素晴らしい生き物なんだ」と思わせてくれる存在の紐解き、ご参考になれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. 青空 より:

    いつも更新を楽しみにしています。
    宗教に疎いのですが、こちらの記事を読んで、北斗さんがダライ・ラマ法王をお目にかけた〜からの下りの愛ようなパワーが圧倒的に伝わってきたと同時に、自分の抱えている向き合っていきたいものも浮上してきて…。
    それだけでもダライ・ラマ法王がどれほど偉大な方なのかが伝わります。
    ありがとうございます。

    • 北斗 より:

      いつもありがとうございます。

      His Holiness
      本当に偉大な方だと感じました。
      実はもっといろいろ書きたかったのですが、気持ちを含める形での言語化にしました。
      感じ取っていただけて嬉しいです。

  2. 森の小人 より:

    おお〜〜!
    北斗さんはダライラマ法王に直に会ったことがあるんですね…!

    私が苦しみを抱えて生きていた若かりし頃…ダライラマ法王の“こころの育て方”という本に偶然出会い、実際に会わなくとも、とても感動したことを思い出します。
    私もそんな風に生きてみたい…そう願った、尊敬する人であり希望の光でした。
    あの時のあの本との出会いが、これまでの私を支えてきてくれたのは間違いないです。

    いやぁ〜、北斗さんがそんな体験をされていたとは…( ´ ▽ ` )
    なんだか嬉しくなりました♪
    素敵なお話しありがとうございました(*^_^*)

    • 北斗 より:

      そうだったんですね♪
      「会わなくとも、とても感動した」と仰る意味がよくわかります。

      よかったです、どういたしました!

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